上京物語その490
上京物語シリーズ再スタートとしては 地味なネタからのスタートです
6年前の11月22日に書いた記事
江戸幕府15代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ) 家族は「けいき」様と呼んでいたようだけど。 生誕 1837年10月28日~没 1913年(大正2年)11月22日
大正初めまで生きていた。
俳優 森繁久彌(もりしげ ひさや)1913年5月4日 ~ ) 将軍慶喜が亡くなった年が森繁久弥の生まれた年。
今年で戦後62年、もはや「明治」と「大正」を足した年数より「現代」が長くなったとはいえ、 日本の「近現代史」は まだこの二人の一生を足した分でしかない。 http://kazuuun.blog79.fc2.com/blog-entry-864.html
1913年11月22日没
そう 今年の11月22日は ちょうど没後100年の日だったのです
ということで・・・ その命日に 谷中霊園にある徳川慶喜公 墓所へ
行ってきました
徳川将軍家では家康が日光東照宮 家光は輪王寺大猷院に葬られていますが それ以外の将軍の墓は芝の増上寺と上野の 寛永寺にあります では慶喜だけがなぜ谷中霊園なのかといえば 遺言で「神式での葬儀」を望んだからですね 墓というより円墳になっています (まあ 元は水戸藩 徳川斉昭の子供ですから・・・)
その数日後に・・・ こういうニュースもありました
榊原喜佐子さん死去 「最後の将軍」徳川慶喜の孫 榊原喜佐子さん(=「最後の将軍」徳川慶喜の孫、故高松宮妃喜久子さまの妹) が26日、心不全で死去、92歳。通夜は12月2日午後6時、葬儀は3日午前 10時30分から東京都中野区中央2の33の3の宝仙寺で。喪主は長男政信さん。 http://www.asahi.com/articles/TKY201311280008.html
ところで 水戸といえば
墓の門にある三つ葉葵紋
徳川家の家紋というと この「三つ葉葵」を想起すると思いますが 実は同じ「三つ葉葵」であっても基本的には将軍によってデザインは違っており もちろん御三家や御家門の松平家もそろぞれ違っています
今はこのデザインに統一されていますが あくまでこれは慶喜の「三つ葉葵」ということになります
TBSの「水戸黄門」のページを見ると
格さんが掲げる印籠にさんぜんと輝く「三つ葉葵」テレビでもどどーんと アップになるお馴染みの家紋ですが、実はこれ、黄門様自身の家紋では ありません。 印籠に描かれている家紋は将軍家の家紋で、水戸をはじめと する御三家の家紋とは少し違うのです。どこが違うのかって?よーく見てください。 御三家の方が葵の葉の筋模様が多いでしょう。 「そんなちまちましたことに大騒ぎするなー」と怒る人もいるかもしれ ませんが、水戸徳川家はあくまで将軍家の家臣。 身分制度の厳しい 江戸時代ではこの筋が多いか少ないかで天と地ほどの違いがあったのです。 黄門様が自分の家紋ではなく、将軍家の家紋を見せるのはあくまで自分は 将軍のかわり(この時代は綱吉)に世直しをしていることを人々に示す ためなのです http://www.tbs.co.jp/mito/univ_MITO/shakai/dogu/d01_3.html
まあ めちゃめちゃな理屈を言っていますが (そもそも「諸国漫遊自体がフィクションだとか」 「黄門って中納言の意味でしょ 副将軍って何?」というのは今更ツッコまないとしても)
それにしても・・・ その理屈なら綱吉の「三つ葉葵」にすべきで 印籠の「三つ葉葵」は茎の太さが慶喜の頃のモノなんですよねぇ 時代が合わない
(おまけ) このすぐ近くに
大原重徳の墓もあります 島津久光の文久の改革に絡んででてくる人ですね
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