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このシリーズの最初に書いたように、私自身は同じCDを複数枚、 (どころか1枚も)買いませんが、そういう行為を否定はしないという 立場です。 そして、最後の話はアイドル論になるんですが、これまた・・・・・ 私自身はこれまで特定の誰かを特にアイドルとして追いかけたことが ないのです。「熱狂的○○ファン」になったことがありません。 特定の誰かのテレビ出演や雑誌記事をチェックしたり、グッズを集めたり、 部屋にポスター類を貼ったり・・・ そういう類のことすら一切したことがないんですね。子供の時から。
例えば誰かの曲がいいと思ったとしても、それはその曲が好きなので あって歌手が好きなのではないわけです。 好きな曲が多ければその人の「ファンだ」とは言えるでしょうが、 そんなに「熱狂的(盲目的)ファン」にはなれないのです。 熱心なファンって何でも「いい」って擁護するでしょ。ああいうのは 私は一切ないんです。
昨年からブログにライヴ観覧記も書いていますが、ファンが書いた レポとは全く違います。やっぱりその人に思い入れのある人のレポは 「あつい」ですね。それに対して、私は基本的に醒めて見ているので 同じものを見てるのに、文章の熱量が全く異なります。 私の場合は「(特別な)ファンでない人間がどう感じたか」という記事。 なにせ 私がハロプロ系やAKB系等の出演するライブに行くのに躊躇する理由が 「私のような姿勢で見る人間にとって居づらいから」ですから。 (もちろん単にファンの声援が鬱陶しいというのもあります)
では、 私の「アイドル観」と絡めてAKB48を考察しましょう。 私の懸念もそこありますから。 熱心なアイドルファンになったたことがない私が書くのはおかしいんですが・・・・
AKB48には従来のアイドル像をそのまま継承している部分もあり、差異性を 打ち出している部分もあります。
そもそもAKB48とは
「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、専用劇場でチームごとに 日替わりでほぼ毎日公演を行っている。メディアを通した遠い存在だった アイドルを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、 共に成長していくアイドル・プロジェクトとされている 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コンセプトとして「会いに行けるアイドル」を掲げるのは 普通は「アイドル」には気軽に「会いに行けない」ものだからですね。 そのアンチテーゼとして生まれたわけでしょ。
かつての女性アイドルというのは (基準は時代によって異なるとはいえ)美少女かつ純粋で無垢な存在。 清潔感。透明感が求められました。 そして、その姿はテレビ(映画)を通してして見ることができない 「手の届かない人」、ファンは「雲の上の人」として仰ぎ見る存在。 (悪くいうと生身の普通の人間とは思えない、生活感がない存在ですね。) 広い意味で対象と距離感を持った「憧れ」の対象であって、気軽に「会いに行く」 ものではありません。当然、普通は直接話しかけられない存在ですね。
それに対して、AKB48は劇場等に気軽に(今となっては気軽でもないけど) 会いに行け、握手会では握手券を持っていれば握手をすることもできる。 身近な存在だということ。
それに加えて、 AKB48のメンバー選抜の基準が「クラスでずば抜けて可愛い美少女」と ではなく、「クラスで2~3番目に可愛い子」というもので、 「近寄りがたい(大げさに言えばオーラを感じる)美少女」ではなく、 「友達に近い身近な存在」になっているとも言われます。 気軽に話しかけたり、握手をしたりできる、そういう距離感だということ。
劇場で接するという対象との距離感のなさに加えて、心理的にも近い 存在だということなんでしょう。
さて、こう書くと AKB48が全く新しいコンセプトのアイドルのようですが、もちろんそうではありません。
1980年代後半から既に、バラドル(バラエティーアイドル)が誕生して いますから。 バラエティー番組に出演して笑いを取る。これが正統派アイドルになり 損ねた人達の新境地でした。 アイドルという制約から解き放たれた結果、 「アイドルだからできないこと」「アイドルだから言えないこと」 そういう正統派アイドルには許されないことができる存在であり、 バラエティ番組では重宝されたわけです。
そして、まさに「夕やけニャンニャン」というバラエティー番組から 誕生したアイドルがおニャン子クラブ。
メンバーを続々とソロデビューさせたり、毎週開催される番組内の オーディションなどにより、継続的にメンバーを追加したりするなど、 独自の展開がアイドルの新たな売り方を示した。ソロメンバーだけでなく、 うしろゆびさされ組やニャンギラス、うしろ髪ひかれ隊などのグループ内 ユニットも輩出し、一時は毎週のようにオリコンチャートを独占した (1986年のシングル1位獲得46曲中、おニャン子クラブ関係が30曲。 52週中の36週。)このアイドル選出法やクラブ活動感覚の活動手法、 さらには「バラ売り」の展開方法などが、後に同じく秋元康が プロデュースを務めるAKB48のベースとなっている。
メンバー選出は必ずしも歌の上手い者やダンスの上手い者、美少女には こだわらず、芸能人ではなくあくまで普通の女の子というコンセプトで、 その素人らしさと親近感が、放課後の女子校感覚や部活動感覚、 バイト感覚、クラブ活動感覚をイメージさせ受けたとも言われる 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
となると・・・・ 「AKB48」と「おニャン子クラブ」は基本的なコンセプトは同じだと いうことですね。 国生さゆり 新田恵利→ 前田敦子 大島優子って感じかな・
では、 何が違うんでしょうか?
秋元康の表現では・・・
「おニャン子を見て育ったつんく♂が、モーニング娘。を作った。 人気ミュージシャンが作ったアイドルだから音楽的レベルが高く、 最先端を行っていた。はっきりとしたプロ集団なんです。その点 AKB48は、おニャン子とモー娘。の中間。いわば、甲子園を目指す 球児の集団なんです」 http://www.daily.co.jp/gossip/kozo/2010/01/28/0002758254.shtml
茂木健一郎 「AKBは少女時代にどう対抗?」と秋元康に質問
「少女時代」は、みんな同じように整った顔立ちで、すらりとした肢体を 持っている。これには、日本ではとても対抗できない。彼女たちは、 小さな時から選抜され、トレーニングを受けてきた。・・・・ AKB48の魅力は、むしろ「不揃い」なところにある。一人ひとりの 個性が違う。踊りや歌も、完全に同調しているとは限らない。 でも、そんなところに惹きつけられるのが、日本の美学というもので はないか http://www.news-postseven.com/archives/20101202_7029.html
やはりキーワードは「未完成」「距離感」「劇場」ということに なるんでしょうか。
劇場公演で物理的にも心理的にも距離感が近い彼女たちは 現状ではパフォーマンスが未完成ながらも 公演を重ねることにより 自分たちファンが応援することも加わりどんどん成長していく。 ・・・ようにファンには感じられる。育成型アイドル・
それは芸人だって同じです 吉本の芸人が他の事務所の芸人に比して有利なのは、自前の劇場があり そこで観客の反応を直に感じながら、ネタを披露できるということ。 そのことによって腕を磨くこともできる。
(続く)
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