昨日の記事で山田火砂子監督の映画「母 小林多喜二の母の物語」を観てきたことを書きました。ネタバレの懸念もありますし、到底力の及ぶところでもないので、作品全体に関わる内容紹介や感想は避けますが、印象に残ったところ、そこから連想した事柄などを。思いつくままに述べてみることにします。
岡山県出身の画家、竹久夢二を話題にした先日の記事、愛酒の日?の巻、
◇「宵待草」異聞、の巻にこんなことを書きました
岡山県出身の画家、竹久夢二を話題にした先日の記事、愛酒の日?の巻、
◇「宵待草」異聞、の巻にこんなことを書きました
ところで、「宵待草」の歌は、1910年(明治43年)、夢二27歳の夏、避暑旅行中に遭遇した長谷川カタとの淡い恋をモチーフにしているそうです。恋多き夢二の、青春のひとこまです。 それはそうに違いないのでしょうが、夢二のもう一つの側面に目を向けることによって、宵待草に別の解釈を与えることも可能なようです。 |
週刊新聞「京都民放」のwebサイトに、『ほっこり京都』というコーナーがあって、戦前、治安維持法に反対して右翼暴漢に暗殺された京都出身の労農党代議士山本宣治(ニックネームは山宣)と竹久夢二との交友を、こう紹介しています。
美人画で有名な竹久夢二と山宣は、神戸中学で2年違いの同窓生。夢二は8カ月で退学したので、二人の出会いは、大正元年(1912)11月23日から12月2日までに岡崎の府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」が開かれた時だと思われます。 山宣は、夢二に正月を「花やしき」で過すように勧め、夢二は1月2日から5日間滞在しています。交流が深まり、夢二は大正5年(1916)11月、33歳で京都の東山の高台寺門前町に引っ越してきました。まもなく夢二が東山区の二年坂へ引っ越した時は手伝いにもいっています。(中略) 山宣といっしょに夢二の引越しの手伝いをした安田徳太郎は、貧乏所帯の中でも多くの洋書やハイカラな洋食器をもっていた夢二のことを回想しています。また、「宵待ち草」などの絵を描いてもらった山田市蔵は、三高・東大と山宣の同級生だった山田種三郎の弟で、「テニス友だちに女の手ばかり描いている友人がいる」と山宣に夢二を紹介したともいわれています。当時、夢二は社会的には評価が低かったのですが、山宣は「ほんとうに民衆の心をつかんだ夢二さんの絵は50年、100年後になっても残り、時代がたつほどに素晴らしくなるだろう」とほめちぎったと言います。 「まてどくらせどこぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよいは月もでぬそうな」(宵待ち草) 夢二は、22才のころ大逆事件のデッチアゲによって死刑となった幸徳秋水らが作った平民社機関紙『直言』にコマ絵を掲載し、平民社の荒畑寒村らと自炊生活もしていました。安田氏は夢二が「宵待ち草」の「詩に託して社会主義の到来を待った」と述べています。大逆事件被告処刑の翌年、明治45年(1912)に発表された「宵待ち草」の真意は定かではありません。 |
この文章に登場する安田徳太郎氏については、上述の◇「宵待草」異聞、の巻の記事で少し詳しく触れました。
安田徳太郎 |
その著作「『思い出す人びと』の〈竹久夢二〉の項に「夢二さんは日本で最初の社会主義画家としてメーデーを描き、〈まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよいは月もでぬさうな〉という詩に托して、社会主義の到来を待った社会主義詩人であった」とあります。
また、上述の◇「宵待草」異聞、の巻では、こんなことも書きました。
また、上述の◇「宵待草」異聞、の巻では、こんなことも書きました。
ちなみに、その安田氏の義弟、高倉輝(タカクラ・テル)氏は、作家で戦後、衆議院議員、参議院議員となるがマッカーサー司令で公職追放された波乱の経歴の持ち主。そう言えば、先日市民劇場で鑑賞した演劇「春、忍び難きを」(俳優座)で、初めて選挙権を得た、文字の書けない農村女性サヨが、「タカクラテル」の文字を一所懸命覚えて投票する場面がありました。 |
ここまでは序。これから本題です。
昨日の映画で、多喜二が築地警察署で虐殺され、引き取られた遺体を母(ひさ)や同志たちが取り囲み、哀悼している場面で、この安田徳太郎さんが登場します。
母・せきは、この安田徳太郎の従兄が労農党代議士の山本宣治であること、そして山本宣治が、弱い者貧しい者の味方として奮闘したために、権力に憎まれ、右翼暴漢に暗殺されたことを教えられます。山本宣治と多喜二が重なり、改めて宣治の母のかなしみを思うのでした。
ところで、山本宣治については、過去にこの記事を書きました。
◇うすごおりの張りたる今日は山宣忌
昨日の映画で、多喜二が築地警察署で虐殺され、引き取られた遺体を母(ひさ)や同志たちが取り囲み、哀悼している場面で、この安田徳太郎さんが登場します。
母・せきは、この安田徳太郎の従兄が労農党代議士の山本宣治であること、そして山本宣治が、弱い者貧しい者の味方として奮闘したために、権力に憎まれ、右翼暴漢に暗殺されたことを教えられます。山本宣治と多喜二が重なり、改めて宣治の母のかなしみを思うのでした。
ところで、山本宣治については、過去にこの記事を書きました。
◇うすごおりの張りたる今日は山宣忌
山本宣治についての記事は、この「宇治山宣会」のホームページや、「ほっこり京都」のこちらのサイト に詳しいので、勝手にリンクを張らせていただきます。山宣は、治安維持法の最高刑を死刑とする改悪に帝国議会内でただ一人反対し、発言を準備していたが強行採決によって阻まれ、その夜、宿舎で右翼のテロによって暗殺されたのでした。 その帝国議会出席のために上京する前に、大阪での全国農民組合大会でかれはこう挨拶しました。 「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから・・・」ここで挨拶は中止させられたそうです。 この言葉は、大山郁夫の筆により、かれの墓碑銘として刻まれています。 権力は、この墓碑銘を、セメントで塗りつぶさない限り墓碑の建立を許さないという妨害を加えたそうですが、何度塗りつぶしても、いつの間にか民衆の手によってセメントがはがされ、また塗りつぶされ、、を繰り返し、1945年12月、戦後最初の追悼墓前祭で、墓石のセメントをノミではがし、墓碑は白日のもとによみがえったといいます。 このエピソードは、1960年(昭和35年)に大東映画が製作・配給した山本薩夫監督の映画『武器なき斗い』(ぶきなきたたかい)のなかでも描かれていたように記憶しています。この映画の原作は、西口克己の小説『山宣』です。
学生時代、先輩のTさんが16ミリ映写機と映画フィルムの巻かれたリールを重そうに抱えて、キャンパスを歩いておられるのに会いました。 「なんですか?」 と問うと、 「『武器なき斗い』の上映会をやるから、観に来てね」 といった具合で、観たのが最初だったと思います。 そのあと、いろいろな機会に、何度か観たことがありました。 |
昨日の記事でも登場する同業のO先輩は、ちょっと前、『武器なき斗い』をみて 感慨深かったと語っておられました。京都での学生時代、これを見て、深く感動した記憶が蘇ったそうです。その場にいあわせた何人かの友人は、比較的世代が下であるせいか、あまりピンと来ていない様子。「山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから」の句を引こうかと思いながら、タイミングがなくてその話題は終わりました。少し心残りがありましたので、ここに記しておきます。
今日は予定通り、田舎へ帰ってきました。長女に声をかけると一緒に行くというので、一歳児もつれて、長女の運転でドライブです。
運転を人に任せると、車中から写真が撮れたりします。
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芋堀りデビューです。
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栗拾いにも行きましたが、イノシシのかじった後はありましたが、無傷の栗は三個だけでした。
山道を歩くのは楽しいようです。
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この蛾は何者でしょう?
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今日はこれにて。
運転を人に任せると、車中から写真が撮れたりします。
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芋堀りデビューです。
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栗拾いにも行きましたが、イノシシのかじった後はありましたが、無傷の栗は三個だけでした。
山道を歩くのは楽しいようです。
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この蛾は何者でしょう?
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今日はこれにて。
この記事へのコメント
hatumi30331
芋掘り楽しそう〜♪^^
初めての体験は、必死になるのよね。^^
今日は暑いくらいの大阪。
今からオフ会です。
ハマコウ
恥ずかしながら、私も『昭和名せりふ伝』でお名前を知っているぐらいでした。広く知られてほしい方です。
kazg
ポスターの写真の力士、顔におぼえはあるものの、全員は名前が思い出せませんでした。
今日は暑かったですね。
今日も芋掘りを、別の場所別のメンバーでしました(笑)
kazg
『昭和名せりふ伝』ですか。興味深いです。
思えば、40歳前の若さだったのですね。
クッキー
子供が多いです
kazg
まったくです。商品棚でしか見たことがない、、、というのはまだましで、カットされたもの、調理されたものしか知らない子どももいるでしょうね。
風船かずら
kazg
>人間らしい心がつぶされることのない社会
こんな当たり前の願いが、なかなか困難を伴うことに、ともすれば心がくじけそうになりますが、意識して護り続けるしかありませんね。