下関旅日記(2)、の巻 | ナードサークの独り言

2013年、退職記念に始めたブログ。「悠々自適」を夢見ながら、せわしく過ぎゆく日々の雑感を、写真と一緒につぶやきます。

月別アーカイブ

プロフィール

kazg

Author:kazg
2013年、退職記念にブログ始めました。
最初、「フォーカスは過去に向かったり、身辺に向かったり、内面に向かったりで、浅く、淡く、ミクロサイズの日録になるでしょう。」と書いたとおり、細々と更新を続けてきましたが、利用していたso-netブログ〈当時)が、事業から撤退するというので、2024年11月、こちらのfc2ブログに引っ越しました。
旧ブログに投稿していた記事は、少しずつこちらに移転作業を続けていますが、まだ作業途中で、記事のダブりやリンク先の不具合など、いろいろと問題が残っていますので気長に見守っていただけるとうれしいです。
どうぞよろしくお願い致します。

0 コメント

下関旅日記(2)、の巻

前回記事のつづきです。
2日目の日程は次の通りでした。
 8:40 貸し切りバスにてホテル出発
9:30 人類学ミュージアム(豊北町土井ヶ浜)
11:00 角島観光
12:20 道の駅「ほうほく」
13:30 「海峡ビュー下関」帰着(新下関駅経由)
朝の関門海峡の写真は、昨日載せました。朝方は雲が厚く、雨も心配されたほどでしたが、バス旅が始まる頃には青空に恵まれました。

地元山口のお仲間が、事前に詳しい案内書を作ってくださっていますし、ガイド役の三人ほどの方が、代わる代わるマイクを持って、歴史、地理、文化など、詳しい説明をしてくださいます。朝から楽しく授業を受けている気分です。
案内プリントの一部をコピーしてご紹介します。

ホテルを出発してすぐの辺りに、源平合戦の最後を飾る「壇ノ浦の戦」の史跡が、沢山あり、車窓からも見えます。ガイド役の先生が平家物語の記述も引いて、詳細に語ってくださいます。
道沿いの海辺にある「みもすそ川公園」には、源義経や平知盛のモニュメント像などとともに、8歳の幼帝、安徳天皇を抱いて入水した二位尼(平清盛の妻時子=安徳帝の祖母)の辞世の歌「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」が刻まれた歌碑があるそうです。「これからどこへ行くの?」と問う孫に、「海の底にも都がある」と言い聞かせながら、ともに入水する平家物語のシーンが思われます。
同じく平家物語が伝える平知盛の「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん。」の最期の一言も蘇ります。そういえば、石母田正さんの「平家物語」(岩波新書)は、この言葉にスポットライトを当てて知盛の人間像を浮彫にしていました。
この地で散った平家の武将たちの怨霊が迷い出る「耳なし芳一」の逸話も、また恨みの面相を甲羅に焼き付けた「平家蟹」の話も、親しみ深い話題でした。車中で出されたクイズで、「耳なし芳一」と、「平家蟹」の二つを、私はいち早く応えることができました。(エヘン!!)
というのも、「耳なし芳一」は古文の授業で、平家物語の導入で何度も使ったネタですし、「平家蟹」は我が家に実物標本がありますから・・・



トリミングして拡大してみます。

想像を超える憤怒の形相ではありませんか?
実はこの標本は、以前妻がスーパーの魚売り場にパートで勤めていた時、小魚の中に混じっていたのを見つけたのだそうです。タツノオトシゴとか、種々の甲殻類とか、何度かこんな珍しいものを拾って帰っています。

横道に外れました。

「みもすそ川公園」におかれているもう一つの主要な展示物は、5門の砲台です。当公園は幕末の下関戦争時に実際に稼働した長州藩の砲台跡であり、そのレプリカが海峡に向けて設置されているのだそうです。
ガイド役の先生は、この地を、1)貴族社会から武家社会への、2)徳川から明治への、二つの時代の転換点にかかわった場所だと強調されました。
吉田松陰、高杉晋作、久坂玄随、桂小五郎、伊藤博文、西郷隆盛など、歴史教科書に登場する幕末・維新の歴史人物が躍動する物語を楽しく聞かせていただきました。

バスはまだ出発したばかりですが、今回記事はこれで一休み。
続きは次回といたします。
関連記事

コメント

非公開コメント