次も伊予鉄から。今回は松山市東部の横河原線平井駅前のモニュメントを紹介します。平井は平井でも、総武線ではありませんよ(笑)
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ここにもあったのは
松山市駅や
JR松山駅と同じ、正岡子規の句碑でした。ここに来てようやく私も調べ始めたのですが、正岡子規って松山出身だったんですね。だから松山市内に各所で詠んだ俳句の歌碑が設置されているんですね。ちなみにここの駅前のものはリバーシブルになっており、表(道路側)には「巡礼の 夢を冷すや 松の露」という句が、裏(ホーム側)には「茸狩や 浅き山々 女連れ」という句が書かれています。

説明としては2つ。設置時のものと思われるミニ石碑と、他の場所の句碑にも設置されている松山市教育委員会のものがあります。ミニ石碑の方には「小野を詠める子規の二句を両面の句碑とす」という記述がありますが、この”小野”というのは昔のここの地名”小野村”のことを指しています。小野村は1961年(昭和35年)に松山市に吸収合併されて消滅してしまいましたが、駅前の農協の支店名(JA松山市小野支店)や学校(小野小学校、小野中学校)などに名前が残っています。教育委員会の説明には各句が詠まれた背景が書かれていましたが、表の句は1891年(明治24年)に帰省していた子規が大田正躬、竹村鍛とともに唐岬、白猪の二滝の見物に出かけた際に、途中の平井町畑中の老松の下で憩い、この句を読んだのだそうです。一方で裏の句は1900年(明治33年)に寝たきりだった子規が、このあたりで開かれていた「松茸市」を題材に、望郷の気持ちを詠んだ句なのだそうです。
このように地元の内容を取り入れた句があるということで、子規が松山出身であったことをよく理解することが出来ますね。
- 2016/02/26(金) 09:00:00|
- 駅前モニュメント
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