2022年03月 Der Klang vom Theater (ドイツ~劇場の音と音楽)
FC2ブログ

オーディオに求めるもの  完結編・・・になるのか?

このブログを読んでいただいている人の反応も色々で

「お前のブログは何を言っているのかさっぱり分からん」と言う人あれば、同じ日の記事に対して

「今回の記事は”あるある”だよねえ、笑った」と言ってくれる人もいます

この様な反対の感想が出るのは、特定の思想に「右向け右」をしていない証拠で健全な内容である為と自負しております

音楽やオーディオを聴くことは、感性による作業ですから受け取り方が人それぞれに異なるのは当然です
感性のベクトルが真逆の人とオーディオや音楽の話をしても全く噛み合わないのは必然ですから、一つのブログの記事に対して異なる反応があるのは正常なことでしょう


尤も、ブログは日記的に平明でたくさんの人が興味のある内容のが良いのも又真実でしょうがねえ
閲覧数とか👍の数を競うのが目的であればそれも正義でしょう

それでも、見知らぬたった1人の誰かのきっかけにでもなれば本望だと思いブログを書いています



さて、そんな分かり難いこのブログにおいても前回は超絶中途半端に終わりまして、各方面からツッコミが入っています

私が言いたかった事を簡単にまとめると

生演奏でも、特別な機会でしか体験できない様な「エモーショナルな経験」をオーディオを通じて追体験できるならば、オーディオを以て音楽を聴く行為としては本懐である
元々はこんな趣旨で書き始めました

でも、途中で李香蘭のライブ音源に出会ってしまい
この歌唱を聞いてしまったら、自分がどんな文章を書いたところでこれ以上を伝える事は不可能だと打ちひしがれて途中で投げ出してしまった訳です




私が初めてオーディオを通じて意識を失いそうになるほどの衝撃を体験をしたのは、40年近く前の22歳頃の事でした
こちらでも何度も書きましたから、簡単に列挙しますが

・我が家にて 
 ボベスコ/ジャンティ ラフマニノフのヴォカリーズやフォーレの入った一枚 アメリカの再発盤
 WE728+WE713モノラルで

実家の子供部屋・・・在来工法の二階6畳
トランポリンの様な床に、厚さ6mmの板を貼っただけのタイコ状の内壁
炊飯ジャーと電子レンジとヘアドライヤーを同時に使うとブレイカーが落ちてしまう様な電源環境という
オーディオマニア的には禁則事項の展覧会の様な環境でもたらされた体験でした

その後、我が家と他所で合計数回これに匹敵する体験をしましたが、いずれもスーパーオーディオマニア宅の立派な装置と専用室ではなく一般の住宅で、極めて紳士的?なオーディオセットによるものでした

ちょっと悪い言い方を許してもらえるなら
施策の限りを尽くしたオーディオマニアさん宅の音は、美しく整っていて非の打ちどころの無いものも多くありましたが、その為か返って音楽や演奏の熱を伝えにくい印象を受けることがあるかもしれません

元メーカー出身=提案する側?の私が言うのも変ですが、オーディオフェアのブースや試聴会で聞かれる「あの音」と言えばご理解頂ける方もいると思います


さて、
それらの神の如き再生音楽体験はその後のオーディオ人生における決定的な「指標」を私の中に植え付けてくれました


今の私が、真空管やケーブルを変えたり、アースの金属タワシがどーしたのと言った音変え遊びに全く興味がないのは

普通の住宅環境で、ビデオに無料でついてくる様な赤白ケーブルだったり、テーブルタップもホームセンターで売っている700円くらいの白い物でも「神の如き音」は出るときには出るし

レコードも特別製の高額盤やオリジナル初期盤ばかりで無い経験があるからなんです


3L.jpg

あるときネットで拾った画像です。どなたのかは存じません
印象的な写真(映え)だったのでずっと前に保存していました、本文を補完する一例以外の他意はありません

色々なアプローチがある事は否定しません、本人の満足に従って楽しむべき事です
個人的な感想は、賑やかな色彩の室内は好まないかなあ




私は知ってしまったんです


・高額で有名なアクセサリーやケーブルや
・真空管を変えて音の変化を楽しみ、より良い音を追求する
・〇〇な特殊金属のインシュレーターやボード類を使うと音質向上
・金タワシや200本のアース棒、しまいにゃ自家製電柱  ・・・ その他大勢 ・・・


この様なベクトルで幾らお金をかけて身を減らして音の変化を追いかけても自分は「神の如き音楽」には一生出会えないんだということ身を持って体験させられたのです
他人様のことは知りません、そうしたアプローチを楽しんでいる方々の趣味は最大に尊重します

私がオーディオに求める「音楽のエモーショナルなパワー」を聴くためにはその方向では、上手くいかないんだな。と
私の感性が思い込んでいる・・・だけであるということです



この体験を、いくら紙面(ブログ記事)で力説したところで全く他人に伝える力はありません
その瞬間に同席した人か、あるいは明らかに同様の経験を持つ人にしか理解されることは無いと断言できますからブログ記事としては何の意味も無いかもしれませんが


まだ出会っていない、これからも出会う必要もないですが同じ経験をした人と時空を超えて共感できるといいなと思います