「すてれお」 の再生
実は以前も同じことを書いたなあ
僕はオーディオを始めてからウン十年同じことを言っているんだなあ
進歩のない人間だとつくづく思う
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-266.html
メタボパパさんがブログ仲間とやり合っていて、うまい表現を考えてほしい
と言われて書いた記事だ、随分とブログの世界から離れているけれどパパさんは元気しているだろうか?
この「音場」とか「定位」について、またまた愉快な書き物を見つけたので少し掘り下げて考えて見たいと思う
その名もズバリ
「オーディオに定位は不要」と云うのだから、一周回って実に潔くてよろしい!
細かく書くのはもうメンドくさいので、興味のある方は上記リンクの過去記事を読んで頂きたい
それで以上終了なのだけれど、読み物として愉快なのでもう少し掘り下げてみよう
話は簡単だ
ジャスやロックのナマ演奏、クラシックのコンサートのどこにも定位現象はない。
SRを使用する電気楽器とクラシックのコンサートを一緒するところから説明しなきゃいけないのか?と途方にくれるが
少なくともオペラやオーケストラを聞きに行って目を瞑って聞いていても何処で誰が演奏して居るかは、交差点で声をかけられて全くどの方向かが分からなくないのと同じくらいには当然分かる
それは特段ステレオ的な聞き方なんかしなくたって
耳が2個付いている人間の構造上の問題なのだから否でも応でも楽器の所在はわかる・・・と以前にも書いた
ステレオ再生において、”定位”なる概念が生まれたのは、いつだろうか?
その答えは「マタイ」を聞きに教会へ行けばどんな人にも一目で分かるはずです
蓄音器なるものが発明される遥か以前のことですよ
画像検索したのですが、演奏会形式ではマタイの醍醐味を味わえそうな写真を中々見つける事が出来ませんでした
その中で流石!の
魂のバッハ・カントル リヒターです
もう一枚、マーベラスな配置を実現したのは
やっぱりと言うか アーノンクールでした
Bachはマタイに立体音響の効果を織り込んで=演奏時に立体的に聞こえる音を期待して作曲したのですよ
ステレオレコードで聞く事で、バッハの想いをより正確に受け取る事ができるでしょう
当たり前だが、名盤の宝庫であるジャズ・クラシックのモノラル盤にも定位なんかない。
モノラルレコードを聞くと広大な音場情報が入っていて、それは21世紀の最新優秀録音盤なんかでは足下にも及ばないリアルな再現になります
モノラルどころか、蓄音器でSPレコードを聴いても天井の高さが見えるように分かります
大変恐縮な物言いですが
再生側の微少信号のクオリティが不十分な環境で音楽をお聞きになっている場合には絶対に音場感を認識出来ません
そして、音像は点じゃなく、馬鹿でかく肥大するのが正しい。
何故なら、ナマ演奏の音像はとてつもなくデカいから
これは、個人の自由で・・・といってあげたいところですが
胴の長さが40cm程のヴァイオリンを10m〜15m離れた場所(客席ね)から聴いてとてつもなくデカイ音像に聞き取れるとなると・・・困りましたね とてつもなく困りました
前略・・この設置を実現できれば、モノラル盤から、演奏家の心が聴こえて来る。
モノラル盤が上手に鳴れば、ステレオ盤はさらに向上することが経験から分かっている。
結果として定位に優れる盤もあるかもしれないが、
演奏家の心が鳴っていれば、定位などラーメンの”なると”と同じようなモノだ。
かと思うと、こんな鋭い感性も持ち合わせていたりするので余計に困った事だ
「なると」でも「チャーシュー」でもいいのだけれど、ステレオ再生における定位が勝手に付いてくるナルトのようなもの・・これは良い表現だと思う
音場情報はレコードの中にもう既に入って売っている(実際は入っていないレコードの方がはるかに多い、下記参照)
聞き手がいるとか要らないとか、出すとか出さないとか言うべきものとは根本的に異なる
ナルトもチャーシューも入っているならありがたく食う
好き嫌いやアレルギーとかで食べられない食品がある人は、本当にかわいそうに思う
作り手(ラーメン店主も作曲家も演奏家も同じ作り手)が考え抜いて時には命を削って作ったものは
一見取るに足らないと思う人がいるようなナルトであっても入ることで完成しているのです
聞き手が手前の嗜好で要る要らないなどと言い出すのは、僭越至極だと肝に銘じ厳重に慎むべき事です
あなたはモーツァルトを聞きながら「ここのフルートは要らないな」なんて言いますか?
まあ、結論は
そもそもオーディオに定位なんてありません
定位(音場)情報はレコード(CDでも良いが)に入っています
その情報を聞いて脳が認識した際に、脳内で定位を再生成する人間の脳のメカニズムなのです
オーディオ装置の使い方や能力や特徴とは無関係です
したがって
「これは音場型スピーカーですね」
「バッフルは狭い方が音場作りには有利」だなんて聞くとコメントに困ります、お前が「音場」作るなよー って
さて、その定位を感じる為には以下のような、極々簡単な条件があります
・2chステレオ録音された音源であること
ほとんどのJAZZやPOP'sの音源では立体的音場再生は不可能です、レコードに音場情報が入っていないからです
それらには、パンポットと音量差による多チャンネルモノラル信号しか入っていません
・再生装置が、楽音(ヴォーカルや楽器の音)から40〜50dB小さな音を再現できる能力を持つこと
理由は、この暗雑音ギリギリの微少信号の中に方向や距離感を再現するための情報が入って居るからです
それはピアニシモとかシャツの擦れる音などというレベルでは無く、音なき音=空気の動きのような微少信号です
マニアの方と話していると
ピアノは難しいとかオーケストラはもっとむっずかしい と言うのはよく聞く話です
でもそんなのはプレイボタンを押してヴォリュームを上げればいやだって出てきます
何も難しいことなんかありません
本当に難しいのは、耳には聞き取れないほどの 音ならぬ音=微少信号を正しく再生することなのです
淡雪のように、儚く脆く、すぐに壊れて消えてしまいますから
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進歩のない人間だとつくづく思う
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メタボパパさんがブログ仲間とやり合っていて、うまい表現を考えてほしい
と言われて書いた記事だ、随分とブログの世界から離れているけれどパパさんは元気しているだろうか?
この「音場」とか「定位」について、またまた愉快な書き物を見つけたので少し掘り下げて考えて見たいと思う
その名もズバリ
「オーディオに定位は不要」と云うのだから、一周回って実に潔くてよろしい!
細かく書くのはもうメンドくさいので、興味のある方は上記リンクの過去記事を読んで頂きたい
それで以上終了なのだけれど、読み物として愉快なのでもう少し掘り下げてみよう
話は簡単だ
ジャスやロックのナマ演奏、クラシックのコンサートのどこにも定位現象はない。
SRを使用する電気楽器とクラシックのコンサートを一緒するところから説明しなきゃいけないのか?と途方にくれるが
少なくともオペラやオーケストラを聞きに行って目を瞑って聞いていても何処で誰が演奏して居るかは、交差点で声をかけられて全くどの方向かが分からなくないのと同じくらいには当然分かる
それは特段ステレオ的な聞き方なんかしなくたって
耳が2個付いている人間の構造上の問題なのだから否でも応でも楽器の所在はわかる・・・と以前にも書いた
ステレオ再生において、”定位”なる概念が生まれたのは、いつだろうか?
その答えは「マタイ」を聞きに教会へ行けばどんな人にも一目で分かるはずです
蓄音器なるものが発明される遥か以前のことですよ
画像検索したのですが、演奏会形式ではマタイの醍醐味を味わえそうな写真を中々見つける事が出来ませんでした
その中で流石!の
魂のバッハ・カントル リヒターです
もう一枚、マーベラスな配置を実現したのは
やっぱりと言うか アーノンクールでした
Bachはマタイに立体音響の効果を織り込んで=演奏時に立体的に聞こえる音を期待して作曲したのですよ
ステレオレコードで聞く事で、バッハの想いをより正確に受け取る事ができるでしょう
当たり前だが、名盤の宝庫であるジャズ・クラシックのモノラル盤にも定位なんかない。
モノラルレコードを聞くと広大な音場情報が入っていて、それは21世紀の最新優秀録音盤なんかでは足下にも及ばないリアルな再現になります
モノラルどころか、蓄音器でSPレコードを聴いても天井の高さが見えるように分かります
大変恐縮な物言いですが
再生側の微少信号のクオリティが不十分な環境で音楽をお聞きになっている場合には絶対に音場感を認識出来ません
そして、音像は点じゃなく、馬鹿でかく肥大するのが正しい。
何故なら、ナマ演奏の音像はとてつもなくデカいから
これは、個人の自由で・・・といってあげたいところですが
胴の長さが40cm程のヴァイオリンを10m〜15m離れた場所(客席ね)から聴いてとてつもなくデカイ音像に聞き取れるとなると・・・困りましたね とてつもなく困りました
前略・・この設置を実現できれば、モノラル盤から、演奏家の心が聴こえて来る。
モノラル盤が上手に鳴れば、ステレオ盤はさらに向上することが経験から分かっている。
結果として定位に優れる盤もあるかもしれないが、
演奏家の心が鳴っていれば、定位などラーメンの”なると”と同じようなモノだ。
かと思うと、こんな鋭い感性も持ち合わせていたりするので余計に困った事だ
「なると」でも「チャーシュー」でもいいのだけれど、ステレオ再生における定位が勝手に付いてくるナルトのようなもの・・これは良い表現だと思う
音場情報はレコードの中にもう既に入って売っている(実際は入っていないレコードの方がはるかに多い、下記参照)
聞き手がいるとか要らないとか、出すとか出さないとか言うべきものとは根本的に異なる
ナルトもチャーシューも入っているならありがたく食う
好き嫌いやアレルギーとかで食べられない食品がある人は、本当にかわいそうに思う
作り手(ラーメン店主も作曲家も演奏家も同じ作り手)が考え抜いて時には命を削って作ったものは
一見取るに足らないと思う人がいるようなナルトであっても入ることで完成しているのです
聞き手が手前の嗜好で要る要らないなどと言い出すのは、僭越至極だと肝に銘じ厳重に慎むべき事です
あなたはモーツァルトを聞きながら「ここのフルートは要らないな」なんて言いますか?
まあ、結論は
そもそもオーディオに定位なんてありません
定位(音場)情報はレコード(CDでも良いが)に入っています
その情報を聞いて脳が認識した際に、脳内で定位を再生成する人間の脳のメカニズムなのです
オーディオ装置の使い方や能力や特徴とは無関係です
したがって
「これは音場型スピーカーですね」
「バッフルは狭い方が音場作りには有利」だなんて聞くとコメントに困ります、お前が「音場」作るなよー って
さて、その定位を感じる為には以下のような、極々簡単な条件があります
・2chステレオ録音された音源であること
ほとんどのJAZZやPOP'sの音源では立体的音場再生は不可能です、レコードに音場情報が入っていないからです
それらには、パンポットと音量差による多チャンネルモノラル信号しか入っていません
・再生装置が、楽音(ヴォーカルや楽器の音)から40〜50dB小さな音を再現できる能力を持つこと
理由は、この暗雑音ギリギリの微少信号の中に方向や距離感を再現するための情報が入って居るからです
それはピアニシモとかシャツの擦れる音などというレベルでは無く、音なき音=空気の動きのような微少信号です
マニアの方と話していると
ピアノは難しいとかオーケストラはもっとむっずかしい と言うのはよく聞く話です
でもそんなのはプレイボタンを押してヴォリュームを上げればいやだって出てきます
何も難しいことなんかありません
本当に難しいのは、耳には聞き取れないほどの 音ならぬ音=微少信号を正しく再生することなのです
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