人真似で買ったレコード・・・結果は?
そうなんです
そろそろお暇しようかと、飲み残しのコーヒーなどをぐいと呷ったその時、レコードにニードルがコンタクトする「ポツ.パツ」という音が聞こえてきました
オーディオとは簡単なものです、ニードルのタッチダウンの音を聞けば全てがわかります
このタッチ音ならば悪い音がするはずがありません
リードグルーブを進む一時のしじまの後に、抑えたしかし力に満ちたアカペラのmezzoが滑り込んできました
カンツォーネかジプシーの音楽の様な悲しみを帯びた旋律でしたが、聞いた記憶がない曲です
1分ほどでしょうか手を止めてその声に聞き入っていました
すると、とてつもない実体感を伴ったギター伴奏が歌手の左奥3mほどの位置から飛び込んできたのです
これには心底びっくりして、何十年ぶりかにオーディオの音を聞いて腰を抜かしそうになりました
ジャケットを見せてもらうと、大して古くもない年代のレギュラー盤だったので拍子抜けしたことをはっきりと思えています
ベルガンサ先輩の「スペインの歌」 1974年のリリースとありますから最新録音盤!ですね(笑)
伴奏はイエペスのギター一本で全曲をカバーしています
我が家のKlangfilmではギターの胴鳴りの実像が全く及びません、最新録音そのもののスチール弦の振幅しか感じられず、ギター独特の乾燥した薄板が共鳴しあって膨らんだり縮んだりする様子が伝わってこない
その時私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたでしょう
Kさんとオートグラフ・システムの構築に取り組んでまだ3ヶ月ほどしか経っていないのにこの出音は一体どうしたことなのでしょう
ポケーッとした頭で、どうしてこんなことが可能だったのか?遠くにベルガンサを聴きながら考えました
・とりあえず、一回ご自身の趣味嗜好を封印して、機械的な正しい使い方を受け入れてくださったこと
・・・・結局、ラインに入る全ての機材をメンテしてどこにも不確定要素を残さなかった
このことによって、途中「この機械が悪いかも?変えたほうがいいのかも?」とは一度も議論にならなかった
・開始して2週間ほどで音楽の姿に変化が出始めてからは、ご自身の「求める音」「好きな音」という音を良くするために一番障害となる意識を捨ててくださったこと
・当初描いたグランドデザインに沿ってこちらで手配した決して安くはないパーツに対して、100%何の疑いもなく採用していただけたこと
・・・・実はこれが難しいことで、部品を買う前から「音が気に入らなかったらどうしよう」「買う前に試聴できないかな?」なんてことを言っている様では全くお先真っ暗だ
以上のことは文に書くことも、まして読むことはとても簡単なことだ
しかし、やれと言われて簡単にできるものではない、ここを理解できずに波乱万丈の(音もお金も)オーディオ人生を送っている人を数限りなく知っている。残酷な、しかし疑いようのない現実だ
一つ、後日談を申し上げて今回のテーマを結びましょう
プリ・パワー間にお手持ちのケーブルを使用して問題が出た、「バズ・ノイズ」を引いている。ならばショートさせましょうとプラグを開いた時、ケーブルを見てとても嫌な気持ちになった
私はケーブルの音の評論なんかするつもりはない。構造を見て良からぬ気配を感じただけ
Kさんに聞いて見た。
「外国のガレージメーカでF◯ Aという会社のもので新品なら10mで数十万円以上するもの」とか
その構造、絶縁体の色や手触りからしてカナレ辺りと同じ工場製だろうか、だとしたら随分と吹っ掛けたものだ
ちょっと変えて見ましょうかと
その時持ち合わせていたバランス・ケーブルは長さが足りなかったので2種類の物を繋いで差し替えた
EMTを買った時におまけで付けてもらった物と、klangfilmのアンプラックをバラした時に一山いくらで買ってきた古いケーブルで、合わせても5千円ほどだろうか?
その時はKさんと、会社のMさんと私の3人がいたのだが、ケーブルを変えて音を出した瞬間に3人とも顔を見合わせていた
一休さんの虎退治ではないが、絵に描かれていた虎がその絵から抜け出して目の前にスックと立っていたから
この話には教訓がたくさん含まれるが、一つだけ・・・・
システム全体の整備が終わりスピーカーから望みうる最良の音楽が出現したその後にケーブルを変えたので意味があった
現状の音に納得できない、好みに合わないなど不満があり
ケーブルや真空管やその他の「テクニック」を使って「いい音にしてやろう」ではいつまでも同じ平面を回り続ける恐れがありましょう
まず、80点の土台を作る
ここに行くまでは必ず数字的な根拠が必要なのです
家を建てるのに設計図もなく、水準器や定規すらない状態で「自分が気持ちよければ」それでいいと工事を開始したのではまっすぐな家を建てることはできません
Kさんの音はこれから10年かけてKさんしか出し得ない音に育って行くでしょう
個性というのは自分から発表するものではない
一心不乱にその道を歩めば、時を経て周りの人から「あの人らしい音だ」と評価されるものです
「俺の好きな音はこうだ」なんてやるのはもっとも恥ずかいことと慎まなければいけません
逆に、Kさんがグランド・デザイン(設計図)を踏み外して好みの音にしようと、ケーブルや真空管を取り替えるならば瞬く間に10点の音に下がってしまいます
音を忘れて、10年間ただ音楽を聴く
その末に恐ろしいほどの個性と響きが付いてくることは小布施はBUDさんのマスターが証明してくれています
それほどにオーディオとは儚く、脆く些細なことで価値を損なう反面
実にシンプルに簡単にいい音がするものなのです
どんな音にするかは、あなたの頭の中で「もう決まっています」それ以外の音は決して出せません
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オーディオとは簡単なものです、ニードルのタッチダウンの音を聞けば全てがわかります
このタッチ音ならば悪い音がするはずがありません
リードグルーブを進む一時のしじまの後に、抑えたしかし力に満ちたアカペラのmezzoが滑り込んできました
カンツォーネかジプシーの音楽の様な悲しみを帯びた旋律でしたが、聞いた記憶がない曲です
1分ほどでしょうか手を止めてその声に聞き入っていました
すると、とてつもない実体感を伴ったギター伴奏が歌手の左奥3mほどの位置から飛び込んできたのです
これには心底びっくりして、何十年ぶりかにオーディオの音を聞いて腰を抜かしそうになりました
ジャケットを見せてもらうと、大して古くもない年代のレギュラー盤だったので拍子抜けしたことをはっきりと思えています
ベルガンサ先輩の「スペインの歌」 1974年のリリースとありますから最新録音盤!ですね(笑)
伴奏はイエペスのギター一本で全曲をカバーしています
我が家のKlangfilmではギターの胴鳴りの実像が全く及びません、最新録音そのもののスチール弦の振幅しか感じられず、ギター独特の乾燥した薄板が共鳴しあって膨らんだり縮んだりする様子が伝わってこない
その時私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたでしょう
Kさんとオートグラフ・システムの構築に取り組んでまだ3ヶ月ほどしか経っていないのにこの出音は一体どうしたことなのでしょう
ポケーッとした頭で、どうしてこんなことが可能だったのか?遠くにベルガンサを聴きながら考えました
・とりあえず、一回ご自身の趣味嗜好を封印して、機械的な正しい使い方を受け入れてくださったこと
・・・・結局、ラインに入る全ての機材をメンテしてどこにも不確定要素を残さなかった
このことによって、途中「この機械が悪いかも?変えたほうがいいのかも?」とは一度も議論にならなかった
・開始して2週間ほどで音楽の姿に変化が出始めてからは、ご自身の「求める音」「好きな音」という音を良くするために一番障害となる意識を捨ててくださったこと
・当初描いたグランドデザインに沿ってこちらで手配した決して安くはないパーツに対して、100%何の疑いもなく採用していただけたこと
・・・・実はこれが難しいことで、部品を買う前から「音が気に入らなかったらどうしよう」「買う前に試聴できないかな?」なんてことを言っている様では全くお先真っ暗だ
以上のことは文に書くことも、まして読むことはとても簡単なことだ
しかし、やれと言われて簡単にできるものではない、ここを理解できずに波乱万丈の(音もお金も)オーディオ人生を送っている人を数限りなく知っている。残酷な、しかし疑いようのない現実だ
一つ、後日談を申し上げて今回のテーマを結びましょう
プリ・パワー間にお手持ちのケーブルを使用して問題が出た、「バズ・ノイズ」を引いている。ならばショートさせましょうとプラグを開いた時、ケーブルを見てとても嫌な気持ちになった
私はケーブルの音の評論なんかするつもりはない。構造を見て良からぬ気配を感じただけ
Kさんに聞いて見た。
「外国のガレージメーカでF◯ Aという会社のもので新品なら10mで数十万円以上するもの」とか
その構造、絶縁体の色や手触りからしてカナレ辺りと同じ工場製だろうか、だとしたら随分と吹っ掛けたものだ
ちょっと変えて見ましょうかと
その時持ち合わせていたバランス・ケーブルは長さが足りなかったので2種類の物を繋いで差し替えた
EMTを買った時におまけで付けてもらった物と、klangfilmのアンプラックをバラした時に一山いくらで買ってきた古いケーブルで、合わせても5千円ほどだろうか?
その時はKさんと、会社のMさんと私の3人がいたのだが、ケーブルを変えて音を出した瞬間に3人とも顔を見合わせていた
一休さんの虎退治ではないが、絵に描かれていた虎がその絵から抜け出して目の前にスックと立っていたから
この話には教訓がたくさん含まれるが、一つだけ・・・・
システム全体の整備が終わりスピーカーから望みうる最良の音楽が出現したその後にケーブルを変えたので意味があった
現状の音に納得できない、好みに合わないなど不満があり
ケーブルや真空管やその他の「テクニック」を使って「いい音にしてやろう」ではいつまでも同じ平面を回り続ける恐れがありましょう
まず、80点の土台を作る
ここに行くまでは必ず数字的な根拠が必要なのです
家を建てるのに設計図もなく、水準器や定規すらない状態で「自分が気持ちよければ」それでいいと工事を開始したのではまっすぐな家を建てることはできません
Kさんの音はこれから10年かけてKさんしか出し得ない音に育って行くでしょう
個性というのは自分から発表するものではない
一心不乱にその道を歩めば、時を経て周りの人から「あの人らしい音だ」と評価されるものです
「俺の好きな音はこうだ」なんてやるのはもっとも恥ずかいことと慎まなければいけません
逆に、Kさんがグランド・デザイン(設計図)を踏み外して好みの音にしようと、ケーブルや真空管を取り替えるならば瞬く間に10点の音に下がってしまいます
音を忘れて、10年間ただ音楽を聴く
その末に恐ろしいほどの個性と響きが付いてくることは小布施はBUDさんのマスターが証明してくれています
それほどにオーディオとは儚く、脆く些細なことで価値を損なう反面
実にシンプルに簡単にいい音がするものなのです
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