Marantz 8B Tさんの涙! って泣いてないか、でも泣けるよねえ
さて、件のマランツ8Bは購入したお店に発送して周りの抵抗をもう2、3本交換して無事戻されたそうです
それから半年ほどのち再びTさんから電話がかかってきました。やっぱり暗い声です
「どうしました、大丈夫ですか?」
「それがさ、マランツ8Bの片方のchの音が小さくなって左右のバランスが取れないんだよ」
「左右の球は入れ替えましたよね、ソケットの掃除はしましたか?プリアンプ以前ではないですか?」
「それがさ、8Bにはメーターが付いてるよね、出力管4本のうち1本だけが針が十分に振れないんだよ」
「それは困りましたね、一応見てみますから持ってきてください」
出力管の脇にある(黒いキャップが被っている)半固定抵抗を調整して右端のメーターの針をメーター内の白いラインに合わせるという作業
まあ、出力管のPiを測ってppのバランスを取るんだよねえ、おそらくカソードで測っているのだからパスコンが抜けたんだろう。くらいの軽い気持ちで待っていました
30分もすると、ちびまる子ちゃんが焦った時に頭から青い線が降りてきているような顔をしたTさんがアンプをかついでやってきました
それでも、随分とのんきなことを言ってきます
「今日はさあ、まだレコード聞きたいからさあ、抵抗とかコンデンサーとか変えればいいんでしょ、早くやってよ」
まあ、見てみますからちょっと待ってください、とNETで落としておいた回路図から見始めた・・・・その瞬間今度はこちらがガーーンとなりました
なんと、固定バイアスなんです
メーターはバイアス可変によるDCバランスを測るためにあったのです、ほとんど部品がない場所の電圧だぞ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おそらく修理はできないだろうな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日は無理ですね、あまり好ましくない状態だと思います、せいぜい早くやりますがそれでも2、3日はください。
それと手直しではできないと思いますので正規の修理代が発生しますし、修理不能でお返しする可能性もありますのでご理解ください」
無念というか不服そうな顔でしたが、直ぐに出来ないのは事実は事実なので納得してもらって一旦お帰りいただきました
さてここからはこちらの気分が暗くなる番です、早速原因の特定=犯人探しを始めました
普段はこんなに急がないんだけれど、気が早ってしまうというか嫌な予感を拭いたいからという感じです
まずは関連するであろうCR部品の不具合を個別に確認していきます・・・・予想通り問題は見つかりません、数は少ないのでここまで20分ほど
早速行き詰まりますが、そうも言ってはおられません、気力を振り絞って次の手に移ります
各部電圧を4本の出力管から見た立ち位置で測っていきます
音声回路でも特に問題はありません、ここまでで1時間弱。少し焦りが・・・
このメモは信号回路で犯人がわからず、B電源の流れを測っていて犯人検挙の瞬間を記録したものです
答えは想像以上に悲劇的なものでした
アウトトランスの1次側のレアショートだったのです
自分の測り間違いじゃないかと何度も何度も確認しました、しかし残念ですがスクリーン=プレート間に導通はありませんでした
いつもより数倍重い携帯を取り上げてTさんに連絡しました
翌日、Tさんは購入したお店に連絡したのですが、部品としてはすぐにはないのでジャンク品が出た際に生きているトランスを探すしかないと言われたそうです
それからどうなったか委細はわかりません、日本にはたくさんの同型機があるでしょうからトランスは出てくると思いますが早く叶うことを祈ってやみません
最初に抵抗が溶断した時にはこちらで修理(の記録)をしていないので、今回のトランスが切れた同じ場所の球が不具合だったのかはもう私にはわかりません
まっとうに考えると真空管アンプは400vレベルのB電源で動いているわけですから、短絡事故の際には重度の損害が生じる可能性が大きいのです
使う人間は常にその覚悟というと大げさですが、もしもの時の安全保障を考えてしかるべきでしょうね
私が長いこと真空管と付き合ってきて思う事です
「なんとなく嫌な気がする、これをやっちゃいけない」という第六感を敏感にするしかこんな恐ろしい器械と付き合う道はないと思います
別の言い方をすると「気配を察する」感性です
前回話題にした「球転がし」を私がしないのは、アンプにとっては「ヤバイ気がする」ってことも大きな要因だと思います
そこんところが鈍感になると、いつの間にか大きな渦に巻き込まれるかもしれないと思うのです
今回は大変な悲劇でしたが、このアンプを初めて見た時に言った
「抵抗で済んで良かったですよ、トランスでもやったら大変でしたね」なんて冗談が本当になってしまったのです
その時の修理を自分でせずに販売店にお願いしていただいたのも「なんとなく近寄りがたい感じ」がしていたのだと思います
次回は、この悲劇を通じて学んだこと
球転がしをする前にやるべきことは山ほどあった!
最終回です
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それから半年ほどのち再びTさんから電話がかかってきました。やっぱり暗い声です
「どうしました、大丈夫ですか?」
「それがさ、マランツ8Bの片方のchの音が小さくなって左右のバランスが取れないんだよ」
「左右の球は入れ替えましたよね、ソケットの掃除はしましたか?プリアンプ以前ではないですか?」
「それがさ、8Bにはメーターが付いてるよね、出力管4本のうち1本だけが針が十分に振れないんだよ」
「それは困りましたね、一応見てみますから持ってきてください」
出力管の脇にある(黒いキャップが被っている)半固定抵抗を調整して右端のメーターの針をメーター内の白いラインに合わせるという作業
まあ、出力管のPiを測ってppのバランスを取るんだよねえ、おそらくカソードで測っているのだからパスコンが抜けたんだろう。くらいの軽い気持ちで待っていました
30分もすると、ちびまる子ちゃんが焦った時に頭から青い線が降りてきているような顔をしたTさんがアンプをかついでやってきました
それでも、随分とのんきなことを言ってきます
「今日はさあ、まだレコード聞きたいからさあ、抵抗とかコンデンサーとか変えればいいんでしょ、早くやってよ」
まあ、見てみますからちょっと待ってください、とNETで落としておいた回路図から見始めた・・・・その瞬間今度はこちらがガーーンとなりました
なんと、固定バイアスなんです
メーターはバイアス可変によるDCバランスを測るためにあったのです、ほとんど部品がない場所の電圧だぞ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おそらく修理はできないだろうな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日は無理ですね、あまり好ましくない状態だと思います、せいぜい早くやりますがそれでも2、3日はください。
それと手直しではできないと思いますので正規の修理代が発生しますし、修理不能でお返しする可能性もありますのでご理解ください」
無念というか不服そうな顔でしたが、直ぐに出来ないのは事実は事実なので納得してもらって一旦お帰りいただきました
さてここからはこちらの気分が暗くなる番です、早速原因の特定=犯人探しを始めました
普段はこんなに急がないんだけれど、気が早ってしまうというか嫌な予感を拭いたいからという感じです
まずは関連するであろうCR部品の不具合を個別に確認していきます・・・・予想通り問題は見つかりません、数は少ないのでここまで20分ほど
早速行き詰まりますが、そうも言ってはおられません、気力を振り絞って次の手に移ります
各部電圧を4本の出力管から見た立ち位置で測っていきます
音声回路でも特に問題はありません、ここまでで1時間弱。少し焦りが・・・
このメモは信号回路で犯人がわからず、B電源の流れを測っていて犯人検挙の瞬間を記録したものです
答えは想像以上に悲劇的なものでした
アウトトランスの1次側のレアショートだったのです
自分の測り間違いじゃないかと何度も何度も確認しました、しかし残念ですがスクリーン=プレート間に導通はありませんでした
いつもより数倍重い携帯を取り上げてTさんに連絡しました
翌日、Tさんは購入したお店に連絡したのですが、部品としてはすぐにはないのでジャンク品が出た際に生きているトランスを探すしかないと言われたそうです
それからどうなったか委細はわかりません、日本にはたくさんの同型機があるでしょうからトランスは出てくると思いますが早く叶うことを祈ってやみません
最初に抵抗が溶断した時にはこちらで修理(の記録)をしていないので、今回のトランスが切れた同じ場所の球が不具合だったのかはもう私にはわかりません
まっとうに考えると真空管アンプは400vレベルのB電源で動いているわけですから、短絡事故の際には重度の損害が生じる可能性が大きいのです
使う人間は常にその覚悟というと大げさですが、もしもの時の安全保障を考えてしかるべきでしょうね
私が長いこと真空管と付き合ってきて思う事です
「なんとなく嫌な気がする、これをやっちゃいけない」という第六感を敏感にするしかこんな恐ろしい器械と付き合う道はないと思います
別の言い方をすると「気配を察する」感性です
前回話題にした「球転がし」を私がしないのは、アンプにとっては「ヤバイ気がする」ってことも大きな要因だと思います
そこんところが鈍感になると、いつの間にか大きな渦に巻き込まれるかもしれないと思うのです
今回は大変な悲劇でしたが、このアンプを初めて見た時に言った
「抵抗で済んで良かったですよ、トランスでもやったら大変でしたね」なんて冗談が本当になってしまったのです
その時の修理を自分でせずに販売店にお願いしていただいたのも「なんとなく近寄りがたい感じ」がしていたのだと思います
次回は、この悲劇を通じて学んだこと
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Marantz 8B と球転がし 大好きなTさん
私の家と同じ市内にTさんという先輩がおられる
この人を私は大好きなんだけれど、今まで出会ったオーディオ好きな人の中でも群を抜いてユニークな方なんです
何がすごいかってその発想力が、私のような凡人には遠く及びもつかない程とてつもないパワーがあるのです
それはもう、30年前に出会ったその日から一言一句発言を全て覚えていますから、いつか「T氏語録1〜7巻」という本を出版して大儲けしようと企んでいるんですが・・・「やめてくれよお」と拒否られているので現在は虎視眈々とチャンスを窺っているところです
さて、そのTさんからある日電話をいただきました
その頃Tさんは長年使っていたマッキントッシュのアンプに加え、マランツの#7と8Bのコンビを導入して随分と楽しんでいるらしい。という話を風の噂に聞いていました
しかし、電話口の向こうからは何やら元気のない声が聞こえてきます
「マランツの8Bなんだけどさ、球を変えたら音が出なくなっちゃったんだ、それに少し焦げ臭い匂いもする」
それは大変ですね、一応見るだけ見ますから持ってきてください、ということで我が家に持ち込まれました
この写真はNET上からいただきました
一目で、出力管のカソードに有る抵抗の溶断とわかりました
多分C電圧測定用の抵抗だったと思います
多分というのは、そのアンプは購入後まだ2ヶ月ほどだったため、販売店へ送ってくださいと話していましたのでその時は回路図を見ていなかった
どうしてこうなったかと話を聞きますと
いわゆる「球転がし」をしたくなった(マッキンの当時からやっていたという)のでe-bayで海外からEL-34を取り寄せて差し替えた途端バリバリっとなった、らしいのです
「kaorinくんも海外から球を買うだろうけれど、こんなことはないの?」と聞かれましたが
私は、アンプに実装する前に真空管試験器で球の良否を測ってからでないと使いません。と答えました
もし不良の場合は、数字的根拠を突きつけて返金を要求する必要もありますしね、外国人相手は骨が折れます
何よりも、球の不良による今回のような「もらい事故」が怖いので、氏素性のわからない球をすぐにアンプに入れてB電源を投入するなんてのは自殺行為だと思っています
オークションにある「測定済み」「整備済」なんてのは夏のお墓で肝試しするより怖い
今回は、抵抗1本で済んで運が良かっただけなんです、トランスでもやっちゃったら泣いても泣ききれませんよ
なんて話をしたところで、一服してコーヒーを飲みながら昔から疑問に思っていたことを聞いてみました
なんで、真空管を変えるんですか?
私の疑問はこうです
そりゃ真空管を変えると音は変わることもあるでしょうね
ブランドや型式が、果てはロットが同じでも個体差はある、さすれば「内部抵抗」が違い、同一条件下で「流れる電流値」も違うのは当たり前、人間の顔がたとえ双子でも違うようにね、当然出てくる音が微妙に変わるのはこれも道理だ
現在自宅で稼働中の2セット(モノラル4台)のアンプはフルメンテしたのち、使用する全ての真空管の個々のバラツキを考慮しアンプに実装した動作状態を汲みして、ステレオ2台ペア毎のゲインや特性を揃えてあります
いざ、真空管を交換する段になったら・・・
手持ちの真空管は全数測定してからストックしてありますから、切れた真空管と測定結果の近い1本を選び出して交換するのですが、それでも微妙な調整に関しては実装の上オーバーオールで調整・確認する必要が生じます
これは大きな労力なのです
以上の通り、真空管が切れる→交換 という事態に対しては大変な恐怖を感じているのです
現状の動作状態が保たれなければ困るし、今の音が変わっては困る という恐怖なのです
それなのに、積極的に球を変えるなんて、一体全体どういう心持ちなんですか?と 問うたわけです
ある真空管を測定したときのメモです、これは試験器で単体で測っただけ
より大きな問題は回路に実装したときにこの人たちがどのような振る舞いをするかなのです
では、Tさんの答えはどうだったのか?
多くのブログやコミュニティーでも球を変えて音の変化を楽しむという記事を見かけますけれど、Tさん以外の方も同じような意見なのかなあ?などと考えつつ息を飲んで答えを待ちました
しばし、沈黙ののちTさんはこうおっしゃいました
「だってさ、今よりいい音がする球があるかもしれないじゃん。可能性があるならそれを聞いてみたいじゃない!?」
おっと、びっくり、
予想していたより遥かに説得力のある回答で、一瞬身じろぎました
でも、何か、何かひっかるモノがあったのでその後も互いの本音をもう少し探り合いました
それでもやはりTさん揺るぎない精神でさすがです、俺の気持ちは一言で伝えた!それ以上でもそれ以下でもないってくらい堂々としています
きっとそうなんでしょう、
昔からよく言われる、音の変化を楽しむという趣向も含めて、趣味としてはその考え方も一理でしょう
お前はあらゆる可能性を放棄するのか?それで人類に進歩はあるのか?なんて言われたら返す言葉もありません
でも、Tさんごめんなさい、やっぱり凡人の僕にはその深謀遠慮は理解できませんでした
自分がアンプに対してしていること、それによってアンプから得ていることを考えると違うんです、僕はアンプに「いい音」を出してもらいたいんじゃないんです
アンプが意図した通りの動作をして欲しいだけなんです、だからアプローチが異なるのだとわかりました
ただ自分はまだその道の半ばで、足場を固めている途中なのでより良い可能性を追求する段階に至っていないと思っているのです
そこで精一杯考えて、こんなカスカスの意見だけ言わせてもらいました
もし、私がコンサートヴァイオリニストとして生活できるほどの能力があったとして、何らかのご縁があって稀の名品をロシア政府(笑)から無償で貸与していただいたとしましょう
例えばガルネリウス「キャノン」を借りたとして、それを使って演奏活動をしています
そんな私が「たまには他のヴァイオリンを使って違う音を楽しみたい」とか「このキャノンはいい音でないから駒とかをスズキのに変えようかしら」と考えるでしょうか?私には無理ですね
どんなに頑張ったって自分が「キャノン」と伍するだけの演奏をできるとは思えない、精一杯勉強して少しでもその名に恥じないような演奏家になろうとするしかないです
そして、鞍上人なく、鞍下馬なし という状態になりたい、名器ガルネリウスを体の一部のように弾きたいと願うはずです
これは曲の作り手ベートーベンや、ヴェイオリンの作り手ガルネリと演奏者である私との時空を超えた真剣勝負なのです
現在稼働中の真空管です、これらより「いい音」の出る球があるのかどうか知りませんが、作り手と使い手の時空を超えた真剣勝負をするためには球を変える前にやるべきことは山積みです
対してTさんの「可能性のある限りいい音を聞きたいし、その為には自分ができるだけの手を打ってみたい」という志もよくわかりました
お互いに意見を交換しあっても尚且つ双方の意見が両立するという意味のある時間となりました
しかし・・・
このお話はこれに留まらず、もっともっと大変な事になる続きがありました
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何がすごいかってその発想力が、私のような凡人には遠く及びもつかない程とてつもないパワーがあるのです
それはもう、30年前に出会ったその日から一言一句発言を全て覚えていますから、いつか「T氏語録1〜7巻」という本を出版して大儲けしようと企んでいるんですが・・・「やめてくれよお」と拒否られているので現在は虎視眈々とチャンスを窺っているところです
さて、そのTさんからある日電話をいただきました
その頃Tさんは長年使っていたマッキントッシュのアンプに加え、マランツの#7と8Bのコンビを導入して随分と楽しんでいるらしい。という話を風の噂に聞いていました
しかし、電話口の向こうからは何やら元気のない声が聞こえてきます
「マランツの8Bなんだけどさ、球を変えたら音が出なくなっちゃったんだ、それに少し焦げ臭い匂いもする」
それは大変ですね、一応見るだけ見ますから持ってきてください、ということで我が家に持ち込まれました
この写真はNET上からいただきました
一目で、出力管のカソードに有る抵抗の溶断とわかりました
多分C電圧測定用の抵抗だったと思います
多分というのは、そのアンプは購入後まだ2ヶ月ほどだったため、販売店へ送ってくださいと話していましたのでその時は回路図を見ていなかった
どうしてこうなったかと話を聞きますと
いわゆる「球転がし」をしたくなった(マッキンの当時からやっていたという)のでe-bayで海外からEL-34を取り寄せて差し替えた途端バリバリっとなった、らしいのです
「kaorinくんも海外から球を買うだろうけれど、こんなことはないの?」と聞かれましたが
私は、アンプに実装する前に真空管試験器で球の良否を測ってからでないと使いません。と答えました
もし不良の場合は、数字的根拠を突きつけて返金を要求する必要もありますしね、外国人相手は骨が折れます
何よりも、球の不良による今回のような「もらい事故」が怖いので、氏素性のわからない球をすぐにアンプに入れてB電源を投入するなんてのは自殺行為だと思っています
オークションにある「測定済み」「整備済」なんてのは夏のお墓で肝試しするより怖い
今回は、抵抗1本で済んで運が良かっただけなんです、トランスでもやっちゃったら泣いても泣ききれませんよ
なんて話をしたところで、一服してコーヒーを飲みながら昔から疑問に思っていたことを聞いてみました
なんで、真空管を変えるんですか?
私の疑問はこうです
そりゃ真空管を変えると音は変わることもあるでしょうね
ブランドや型式が、果てはロットが同じでも個体差はある、さすれば「内部抵抗」が違い、同一条件下で「流れる電流値」も違うのは当たり前、人間の顔がたとえ双子でも違うようにね、当然出てくる音が微妙に変わるのはこれも道理だ
現在自宅で稼働中の2セット(モノラル4台)のアンプはフルメンテしたのち、使用する全ての真空管の個々のバラツキを考慮しアンプに実装した動作状態を汲みして、ステレオ2台ペア毎のゲインや特性を揃えてあります
いざ、真空管を交換する段になったら・・・
手持ちの真空管は全数測定してからストックしてありますから、切れた真空管と測定結果の近い1本を選び出して交換するのですが、それでも微妙な調整に関しては実装の上オーバーオールで調整・確認する必要が生じます
これは大きな労力なのです
以上の通り、真空管が切れる→交換 という事態に対しては大変な恐怖を感じているのです
現状の動作状態が保たれなければ困るし、今の音が変わっては困る という恐怖なのです
それなのに、積極的に球を変えるなんて、一体全体どういう心持ちなんですか?と 問うたわけです
ある真空管を測定したときのメモです、これは試験器で単体で測っただけ
より大きな問題は回路に実装したときにこの人たちがどのような振る舞いをするかなのです
では、Tさんの答えはどうだったのか?
多くのブログやコミュニティーでも球を変えて音の変化を楽しむという記事を見かけますけれど、Tさん以外の方も同じような意見なのかなあ?などと考えつつ息を飲んで答えを待ちました
しばし、沈黙ののちTさんはこうおっしゃいました
「だってさ、今よりいい音がする球があるかもしれないじゃん。可能性があるならそれを聞いてみたいじゃない!?」
おっと、びっくり、
予想していたより遥かに説得力のある回答で、一瞬身じろぎました
でも、何か、何かひっかるモノがあったのでその後も互いの本音をもう少し探り合いました
それでもやはりTさん揺るぎない精神でさすがです、俺の気持ちは一言で伝えた!それ以上でもそれ以下でもないってくらい堂々としています
きっとそうなんでしょう、
昔からよく言われる、音の変化を楽しむという趣向も含めて、趣味としてはその考え方も一理でしょう
お前はあらゆる可能性を放棄するのか?それで人類に進歩はあるのか?なんて言われたら返す言葉もありません
でも、Tさんごめんなさい、やっぱり凡人の僕にはその深謀遠慮は理解できませんでした
自分がアンプに対してしていること、それによってアンプから得ていることを考えると違うんです、僕はアンプに「いい音」を出してもらいたいんじゃないんです
アンプが意図した通りの動作をして欲しいだけなんです、だからアプローチが異なるのだとわかりました
ただ自分はまだその道の半ばで、足場を固めている途中なのでより良い可能性を追求する段階に至っていないと思っているのです
そこで精一杯考えて、こんなカスカスの意見だけ言わせてもらいました
もし、私がコンサートヴァイオリニストとして生活できるほどの能力があったとして、何らかのご縁があって稀の名品をロシア政府(笑)から無償で貸与していただいたとしましょう
例えばガルネリウス「キャノン」を借りたとして、それを使って演奏活動をしています
そんな私が「たまには他のヴァイオリンを使って違う音を楽しみたい」とか「このキャノンはいい音でないから駒とかをスズキのに変えようかしら」と考えるでしょうか?私には無理ですね
どんなに頑張ったって自分が「キャノン」と伍するだけの演奏をできるとは思えない、精一杯勉強して少しでもその名に恥じないような演奏家になろうとするしかないです
そして、鞍上人なく、鞍下馬なし という状態になりたい、名器ガルネリウスを体の一部のように弾きたいと願うはずです
これは曲の作り手ベートーベンや、ヴェイオリンの作り手ガルネリと演奏者である私との時空を超えた真剣勝負なのです
現在稼働中の真空管です、これらより「いい音」の出る球があるのかどうか知りませんが、作り手と使い手の時空を超えた真剣勝負をするためには球を変える前にやるべきことは山積みです
対してTさんの「可能性のある限りいい音を聞きたいし、その為には自分ができるだけの手を打ってみたい」という志もよくわかりました
お互いに意見を交換しあっても尚且つ双方の意見が両立するという意味のある時間となりました
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Garrard301 について雑感
続編を書き始める前に、まず一つ重要なことを先に書いておかなければいけません
今回はたまたま301が2台同時期に我が家へ来ました、そして、偶々が重なって初期型の軸受けのものでした
・・・ただそれだけの事なんです
オカルト話が盛り沢山なオーディオ趣味の世界ですから、301の色が違うと音が良いだの軸受けが違うと音楽の聞こえ方が違う・・・・こんな霞のような話が多くてたまりません
私も初期の301は好きですよ、
それは前回お話しした通り機械としてみれば材料や加工がより丁寧であるからですが、もしも縁あって買うのなら後期型であっても一向に構いません
その程度の「好き」です
ただし、これは断言しときますけど
ハンマートーンだから音がいい、グリス軸受けだから良い音楽が聞こえるなんて、金輪際一度だって思ったことはありません
ということで皆さんも騙されちゃいけません
そのお宅の音がいいかどうかは、アンプやスピーカーから部屋までのすべて含めたその末の話なんです
とどのつまりその家の音の良し悪しは、決してパーツの色なんかじゃなくて使う人間の能力次第なのです
もしあなたが、301でも401でもEMTでもようございますが、1台お求めになるのなら毛先ほどの仕様の違いで天地が変わるような言い方をする人からは決して買ってはいけません
キチンとした整備をしてあることは絶対条件ですが、それは外見がピカピカしているということでは決してありません
結局はですね
一番大切なのは、買う人ひとり一人が「良い整備状態とはどんな物なのか」を知っていること。これに尽きるんです
沢山見てね、たくさん触って、良いものも悪い状態のものも知らなきゃいかんのです
今現在の見た目が悪いからって、それ自体が悪いとは限らないんですよ
ある千葉のお店なんか、隅から隅までネジの頭1本までピカピカにしますけれど、それは「キレイ」なだけで「美しい」ではないんです
中身の美しさは必ず外に出ますから、買い手はそこをしっかりと見極める必要があるんです
ヴィンテージに限らず、新品で買えるオーディオ製品だって買い手が舐められたら、作り手や売り手はどんどん手を抜きます
それを止められるのは、買い手の厳しい目でしかないんです。変な言い方ですけれど、買い手には分別ってのが必要なんです
後期型ではこの羽根は付いていないんですよ、だからと言ってこんなもの音には何の関係もないですけれどね
さて、
2台目の301を組み立てて、試運転の段になって困ったことが起きた
モーター軸を指で回して回転の不具合がないか調べると実に滑らかに回るのだが、スイッチを入れて電源を与えトルクをかけると、かすかに擦れるようなノイズを発してどうも上手くない
散々考えたが理由がわからない
まるまる2日考えたがわからない、仕方ないのでもう一度全部バラして隅々まで目を凝らして見た
するとある部品が、ほんのわずか、それこそ目視しても気付かないくらい僅な角度の差があった
差し金を当てながら慎重に手直しして再び組み直した
惚れ惚れとするような滑らかな回転が戻ってきた
そうそう、こうでなきゃ
初めてのパターンだったけどまた一つ経験できて次につながる、ありがたいこと
これが301のマニュアルにあるモーターの組立図です、これでも下半分です
このブログでは何度も書いているが、EMT930 927は工具さえあれば猿が組み立てても同じものができる
それほどまでに部品設計が良くできていて、点数は少ないし順番や向きを間違えることはほぼない
930や927のモーターの部品点数は20個くらいじゃなかったかしら
それに比べて301はこの騒ぎだ、一つ一つの部品も軽量、肉薄で頼りない
それだけに組み方で性能が左右されやすく、扱う人間の特徴が表に出やすい機械だと思う
ピカピカにしてはいないが、整備後はなんとなく「パリッと」見える・・・この「見える」が重要だと思う
商売柄、ダイレクトドライブのモーターは随分と聞かされてきたが
音楽を聞く上でのS/N比(僕の造語で、音がなりやんだ時のホールの静けさ)の表現は明らかに良質なアイドラードライブがDDのそれを凌駕している、浅学の私には理由はわからない、またアイドラーなら全ての機種が良いというわけでもない
一方、整備されていないアイドラードライブはザワつきがあるだけでなく、微細音がマスクされてホール感を感じられない
繰り返し言うが
オーディオの音はターンテーブルの色やバージョンで決まらない
どんな立派なコンポーネント(部分品)を買ってきても、それが本来の性能を発揮できなければ成果は期待できない
機械を立派に整備し使い尽くして音楽を享受できるまで進むか?
性能には目を向けず、購入したブランドに喜びを感じてそこで歩みを止めるか?
何れにしても購入者が選択することだ
・・・・その人の家の音は、そこの主人の見識でのみ決まるのだ
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今回はたまたま301が2台同時期に我が家へ来ました、そして、偶々が重なって初期型の軸受けのものでした
・・・ただそれだけの事なんです
オカルト話が盛り沢山なオーディオ趣味の世界ですから、301の色が違うと音が良いだの軸受けが違うと音楽の聞こえ方が違う・・・・こんな霞のような話が多くてたまりません
私も初期の301は好きですよ、
それは前回お話しした通り機械としてみれば材料や加工がより丁寧であるからですが、もしも縁あって買うのなら後期型であっても一向に構いません
その程度の「好き」です
ただし、これは断言しときますけど
ハンマートーンだから音がいい、グリス軸受けだから良い音楽が聞こえるなんて、金輪際一度だって思ったことはありません
ということで皆さんも騙されちゃいけません
そのお宅の音がいいかどうかは、アンプやスピーカーから部屋までのすべて含めたその末の話なんです
とどのつまりその家の音の良し悪しは、決してパーツの色なんかじゃなくて使う人間の能力次第なのです
もしあなたが、301でも401でもEMTでもようございますが、1台お求めになるのなら毛先ほどの仕様の違いで天地が変わるような言い方をする人からは決して買ってはいけません
キチンとした整備をしてあることは絶対条件ですが、それは外見がピカピカしているということでは決してありません
結局はですね
一番大切なのは、買う人ひとり一人が「良い整備状態とはどんな物なのか」を知っていること。これに尽きるんです
沢山見てね、たくさん触って、良いものも悪い状態のものも知らなきゃいかんのです
今現在の見た目が悪いからって、それ自体が悪いとは限らないんですよ
ある千葉のお店なんか、隅から隅までネジの頭1本までピカピカにしますけれど、それは「キレイ」なだけで「美しい」ではないんです
中身の美しさは必ず外に出ますから、買い手はそこをしっかりと見極める必要があるんです
ヴィンテージに限らず、新品で買えるオーディオ製品だって買い手が舐められたら、作り手や売り手はどんどん手を抜きます
それを止められるのは、買い手の厳しい目でしかないんです。変な言い方ですけれど、買い手には分別ってのが必要なんです
後期型ではこの羽根は付いていないんですよ、だからと言ってこんなもの音には何の関係もないですけれどね
さて、
2台目の301を組み立てて、試運転の段になって困ったことが起きた
モーター軸を指で回して回転の不具合がないか調べると実に滑らかに回るのだが、スイッチを入れて電源を与えトルクをかけると、かすかに擦れるようなノイズを発してどうも上手くない
散々考えたが理由がわからない
まるまる2日考えたがわからない、仕方ないのでもう一度全部バラして隅々まで目を凝らして見た
するとある部品が、ほんのわずか、それこそ目視しても気付かないくらい僅な角度の差があった
差し金を当てながら慎重に手直しして再び組み直した
惚れ惚れとするような滑らかな回転が戻ってきた
そうそう、こうでなきゃ
初めてのパターンだったけどまた一つ経験できて次につながる、ありがたいこと
これが301のマニュアルにあるモーターの組立図です、これでも下半分です
このブログでは何度も書いているが、EMT930 927は工具さえあれば猿が組み立てても同じものができる
それほどまでに部品設計が良くできていて、点数は少ないし順番や向きを間違えることはほぼない
930や927のモーターの部品点数は20個くらいじゃなかったかしら
それに比べて301はこの騒ぎだ、一つ一つの部品も軽量、肉薄で頼りない
それだけに組み方で性能が左右されやすく、扱う人間の特徴が表に出やすい機械だと思う
ピカピカにしてはいないが、整備後はなんとなく「パリッと」見える・・・この「見える」が重要だと思う
商売柄、ダイレクトドライブのモーターは随分と聞かされてきたが
音楽を聞く上でのS/N比(僕の造語で、音がなりやんだ時のホールの静けさ)の表現は明らかに良質なアイドラードライブがDDのそれを凌駕している、浅学の私には理由はわからない、またアイドラーなら全ての機種が良いというわけでもない
一方、整備されていないアイドラードライブはザワつきがあるだけでなく、微細音がマスクされてホール感を感じられない
繰り返し言うが
オーディオの音はターンテーブルの色やバージョンで決まらない
どんな立派なコンポーネント(部分品)を買ってきても、それが本来の性能を発揮できなければ成果は期待できない
機械を立派に整備し使い尽くして音楽を享受できるまで進むか?
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Grrard 301 二題 (2台)
「言葉のいらない」というのは最上級の賛辞だろう
その気品あるデザイン、取り回しに絶妙な大きさ、回転の精度、静かに回ること...etc ...etc....
1950年代の発売だと記憶しているが、これほど長い期間にわたり名器と称えられている物は、その称えられる長さの分だけ時代を何年も先取りしているのです
価格を含めて考えると60年以上経た今でも伍するものはほんのわずかでしょう、もしかしたらまだ無いのかもしれません
そんな、大好きな301(特段401でも構わないのですが、過去に1台も使ったことがないので妄想発言を控えているだけ)ですが、仕事として取り組む対象としては中々骨の折れる頑固者の一面も持ち合わせています
営業の外出先で「なんだか今日は疲れたから一つお饅頭でも買って帰るか」などと決断をした日に限って、会社に帰ると本社から来客があってチョコレートの差し入れが机の上に置いてあったり。
家に帰ると「親戚が訪ねてきて手土産にケーキをいただきましたよ、今日中に食べてください」
おやおやと思っていたら、翌日には実家から彼岸だからとおはぎが送られてくる。なんて経験したことありませんか?
我が家では常にあるあるの上位に位置する「甘味は甘味を呼ぶ」の法則です
そうして、名器も名器を呼んでGarrard 301が二つ並んでいるの図です
この2台とも一見普通のGarrardのように見えますが目利きの方にはなかなかの珍しいものとわかるでしょう
左のは軸受けのフランジの形状からグリス・ベアリングの前期型とわかります
そして、右のは同じくグリス・ベアリングなのですが、最初期のハンマートーン仕上げとの端境期にごく少数作られた
ハイブリット型(シャーシがアイボリーでプラッターだけがハンマートーン)なのです
こちらは昨年Lockwoodモニターを採用された横浜のTさんに頼まれた分なのです、これを見つけた瞬間本人に確認する間もなく買い込んでいました
背中を押してくれたのは、こちらのマニュアル・ハンドブック(取説)です
何と言っても1960年頃のフォノモーターは高級品ですからね
出荷検査票は、当然サイン入りの手書きのものが添付されています
重要なのは、
・検査票
・マニュアルの1ページ目
・本体の銘板
この3箇所のシリアルナンバーが揃いであることです
そして、購入した際の納品書まで揃っていましたからこれは、履歴の個人を特定できるワンオーナーに近いものと言えます
何より、一も二もなく私が飛びついたのは
あまり長時間使われていないもので、過去に修理歴が無い様子であったから
以上の点を、英国のサルベージの業者が掲載する小さな写真から読み取るのですから、少々「掛け」でもあるのです
現物が着いて仔細に見渡して確信しました、これはいいぞ
まず、汚れを拭いた後が無い。次にマイナスネジの頭が舐めていない。まちがい無いです
汚れは、なんとか落とせます
(千葉県のトーレンスやガラードを100万円で売るような業者のように、ピッカピカに光らせる事を主な仕事にはしません、時代を全て落としてしまうのは日本的な趣味でイケてません。あれは趣味どころでなく悪趣味です)
しかし、削れた部品は元に戻らないですし、まずい方法で直しがある個体も再生するのにはいじっていない個体の倍も手間がかかります、完全には戻らない場合もあります
外見は汚れていても、機械的に元気な個体は実は、塗装の色なんかよりずっと貴重品なのです
それと、Garrardのアイボリー塗料は、ヴィンテージ自転車の塗装に近く粉っぽい塗料が使われており、不用意に汚れを拭き取ると、表面の塗料をごっそり剥ぎ取ることになりツヤを失うばかりかひどい時には下地が出てしまいます
特に日本人は綺麗好きで掃除好きですから、日本にある301はツヤのないものが非常に多く悩みの種です
実際に分解を行っても、素性の良さがわかります、ばっちい外見に反して表に出ていないパーツは極上のものばかりでした
モータの軸はお約束通り、冷却フィンの付いた初期型です
後期型になると、コストダウンのためにフィン無しになります、機械物を見る機会が増えると初期のものほど立派に作られているものばかりで人間不信になりそうです
軸受けに挿入される先端部分も引き抜く際に付着したオイルの筋が見えるだけで横縞がありません、見込み通り稼働時間の少ない良品でした
さてここから組立に移るのですが、見えない敵に苦労させられるのはもう少し後のことでした
続く
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その気品あるデザイン、取り回しに絶妙な大きさ、回転の精度、静かに回ること...etc ...etc....
1950年代の発売だと記憶しているが、これほど長い期間にわたり名器と称えられている物は、その称えられる長さの分だけ時代を何年も先取りしているのです
価格を含めて考えると60年以上経た今でも伍するものはほんのわずかでしょう、もしかしたらまだ無いのかもしれません
そんな、大好きな301(特段401でも構わないのですが、過去に1台も使ったことがないので妄想発言を控えているだけ)ですが、仕事として取り組む対象としては中々骨の折れる頑固者の一面も持ち合わせています
営業の外出先で「なんだか今日は疲れたから一つお饅頭でも買って帰るか」などと決断をした日に限って、会社に帰ると本社から来客があってチョコレートの差し入れが机の上に置いてあったり。
家に帰ると「親戚が訪ねてきて手土産にケーキをいただきましたよ、今日中に食べてください」
おやおやと思っていたら、翌日には実家から彼岸だからとおはぎが送られてくる。なんて経験したことありませんか?
我が家では常にあるあるの上位に位置する「甘味は甘味を呼ぶ」の法則です
そうして、名器も名器を呼んでGarrard 301が二つ並んでいるの図です
この2台とも一見普通のGarrardのように見えますが目利きの方にはなかなかの珍しいものとわかるでしょう
左のは軸受けのフランジの形状からグリス・ベアリングの前期型とわかります
そして、右のは同じくグリス・ベアリングなのですが、最初期のハンマートーン仕上げとの端境期にごく少数作られた
ハイブリット型(シャーシがアイボリーでプラッターだけがハンマートーン)なのです
こちらは昨年Lockwoodモニターを採用された横浜のTさんに頼まれた分なのです、これを見つけた瞬間本人に確認する間もなく買い込んでいました
背中を押してくれたのは、こちらのマニュアル・ハンドブック(取説)です
何と言っても1960年頃のフォノモーターは高級品ですからね
出荷検査票は、当然サイン入りの手書きのものが添付されています
重要なのは、
・検査票
・マニュアルの1ページ目
・本体の銘板
この3箇所のシリアルナンバーが揃いであることです
そして、購入した際の納品書まで揃っていましたからこれは、履歴の個人を特定できるワンオーナーに近いものと言えます
何より、一も二もなく私が飛びついたのは
あまり長時間使われていないもので、過去に修理歴が無い様子であったから
以上の点を、英国のサルベージの業者が掲載する小さな写真から読み取るのですから、少々「掛け」でもあるのです
現物が着いて仔細に見渡して確信しました、これはいいぞ
まず、汚れを拭いた後が無い。次にマイナスネジの頭が舐めていない。まちがい無いです
汚れは、なんとか落とせます
(千葉県のトーレンスやガラードを100万円で売るような業者のように、ピッカピカに光らせる事を主な仕事にはしません、時代を全て落としてしまうのは日本的な趣味でイケてません。あれは趣味どころでなく悪趣味です)
しかし、削れた部品は元に戻らないですし、まずい方法で直しがある個体も再生するのにはいじっていない個体の倍も手間がかかります、完全には戻らない場合もあります
外見は汚れていても、機械的に元気な個体は実は、塗装の色なんかよりずっと貴重品なのです
それと、Garrardのアイボリー塗料は、ヴィンテージ自転車の塗装に近く粉っぽい塗料が使われており、不用意に汚れを拭き取ると、表面の塗料をごっそり剥ぎ取ることになりツヤを失うばかりかひどい時には下地が出てしまいます
特に日本人は綺麗好きで掃除好きですから、日本にある301はツヤのないものが非常に多く悩みの種です
実際に分解を行っても、素性の良さがわかります、ばっちい外見に反して表に出ていないパーツは極上のものばかりでした
モータの軸はお約束通り、冷却フィンの付いた初期型です
後期型になると、コストダウンのためにフィン無しになります、機械物を見る機会が増えると初期のものほど立派に作られているものばかりで人間不信になりそうです
軸受けに挿入される先端部分も引き抜く際に付着したオイルの筋が見えるだけで横縞がありません、見込み通り稼働時間の少ない良品でした
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続く
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新手一生 (演奏に古い新しいはあるのか)
昭和に活躍した人気棋士に升田幸三 実力制第4代名人という方がみえた
ますだ こうぞう 1918-1991年 将棋棋士 広島出身
見ての通り「昭和の勝負師」を地で行く風貌とともに、勝負師としての生き様を「新手一生」の言葉に残したようにアバンギャルドな存在としても有名
また、豪放な人柄から武勇伝に溢れ、陣屋事件などは社会現象になった
では棋界で言われる「新手」とはどう意味だろう
将棋というゲームは現在のルールに整備されてから400年以上ほとんど変わりなしに続いている
プロの手順は棋譜(一手一手の差し手を記録したもの)となって保存され、膨大な棋譜は全てデータ化されてプロの棋士であればあらゆる局面を即座に検索できるようになっている
このように400年検討され尽くしたような将棋の世界にあっても過去の棋譜にない強力な手が定期的に生み出され、一定の期間はその手法が棋界を席巻することになる
「藤井システム」「ごきげん中飛車」などの新定石は名前をご存知の方もいるでしょう
そうした「新手」に特にこだわって生き抜いたのが升田先生ということだ、ご本人はこう語る
人に何か書いてくれと頼まれると、よく「新手一生」と書く。(中略)私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があったら、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ一秒の何分の一でもいい。専門家というものは日夜新しい手段を発見するために苦しまなければならぬ。
(「名人になって」57年7月、朝日新聞紙上の手記から)
刃を交わし戦う剣士みたいな表現ですね
前置きが長くなって恐縮だが大事なので現代棋界の第一人者 羽生善治三冠の言葉を合わせて載せておきたい
確か升田先生についてのインタビューで「羽生先生も新手を指しますか?」的な質問に答えて・・・自分はどちらかというとオーソドックスな棋風なのでと謙遜しながら
みなさんよく新手と言われますが、
ある一手があまり見たことのない「目新しい手」であった時
しかし、その手が間違いなく「新手」ということができるかどうかは、過去のすべての棋譜と見比べて
確実に今までに指された前例がないことがわからない限り、「新手」であるとは言えません
つまりたった一手であっても本物の「新手」が生み出されたかは、先人のすべての足跡をくまなく研究し知っている人にしか判断できないことなのです
この一言は音楽を語る上でもたいそう重い、
脈々と人類が音楽に向けた情熱の歴史を知らず、ただ「新しいから素晴らしい」と上滑りした考えで良いのだろうか?
そうした中で、いつもお世話になっている「GRFのある部屋」さんは毎週のように精力的に演奏会に通い時に暖かく、時に厳しい感想も書かれているけれど・・・
GRFさんの部屋には古今の名演奏のレコードやテープが網羅され聞き込まれていることを(ご本人は最近あまり言われないけれど)私は知っている、だからGRFさんだけには「あなたも新しいのも聞かなきゃ」と言われると僕も頑張ろうと思えるのです
人間の重みはどんな立派なことを語るかではなく、どんな実績を積んできたか、言葉はなくとも背中で伝わってしまうのですね
私は、ご存知の通り1920年代から1960年代頃の演奏を聴く機会が多い(とブログには書いている)
実際に家で一人で聞くときにはむかしのレコードを聴くことは少ないのだが、鑑賞の中心は?と聞かれれば躊躇なくその辺りです。と答えるだろう。
そんなだから時々、現代の演奏は聞かないんですか?とおっしゃってくださる方もお見えになる
結論から申し上げると
ブログ記事にしていないレコードや演奏会がたくさんあるだけで、まあ、中心的にとは言えないが聞いています。と答えている
あまり感心しなかったレコードや演奏会のことを否定的な記事にせず、書かないほうがいいと思っている
横浜にいた時に比べたら少ないですが、地方都市に住んでいるオーディオ趣味の人間としては頻繁に演奏会にも顔を出す方だと思います
例えば昨年から年初にかけて、世界的に有名な3人のピアニスト(メジャーからCDを多数出している二人の新進の女流と男性の大御所でいずれも外国の方です)を聞きました、でもとても記事にはできませんでした
3人とも演奏がどうこう言う以前の問題です。いったい先生は何を教えているんだろうと思いますが、答えは簡単です
現代でコンサートピアニストとして食べていくには、名のあるコンクールの入賞歴の二つ三つが必要なのでしょう
畢竟どんぐりの中で目立つためだけに、ただただ押し付けがましい大音量の・・・素人歌舞伎が大見得を切るようなドタンバタンの演奏の乱立とあいなるのです
600人も入ればいっぱいの会場もありました、ピアノの音が割れんばかりの大音量、前の音の反響に混じって次の音がfffで打鍵されるので会場はカオスの世界です
会場の大きさによって音量を変えるように、くらいの事も教えていないのでしょうか?
先生はコンクールに入賞する方法論よりも、音楽とは何か?作曲家は何を伝えたかったのか?リリカルやメランコリーについてを先んじて教えて欲しいものです
・・・が、現実ではそれも難しいのでしょうね、先生も生徒も食わなきゃなりませんから
痛々しいのは、3件の演奏会のうち2人はうら若きお嬢さんでした、曲の終わり毎には拍手喝采、ブラボーの掛け声
私は終演後急ぎ足で駐車場に向かいましたが、エントランスにはアンコールをパスしたのでしょうか?すでにサイン待ちのおじ様達の長蛇の列ができていました
レコード会社のある企業の元社員としては言い辛いのですが、音楽とは違った座標平面で今の音楽界の経済は回っているのですね
以上は、ちょっとひどいなあと思う事例でしたけど、
時代に即した新しい解釈、現代の感覚、演奏 ってなんでしょう?
羽生三冠の言葉を借りるまでもなく、過去の演奏をくまなく聞き込んだ上で現代の演奏を「現代感覚」と言った言葉が使われているのでしょうか?
若い人の演奏を今日聞いたから=最先端の演奏
という、単純な方程式では説明になっていません
何年も前に出尽くした手法の上書きかもしれないのに?
過去の演奏をすべて知っているわけでないのに、なぜそう言い切れるのだろうか?
純粋に演奏として、音楽としてどのように感じ取り見極めるかが大切だと思います
最新の演奏の中にも今後何年も語り継がれる名演が必ずあるはずです、唐九郎さんの言葉を借りると悲しいほど少ないにしても・・・
しかし過去の名演だって同じですよ、莫大な演奏の中からわずかに残っている物を今日の私たちが手にしているだけですから
前回の記事で私の最初のスピーカーについて書きました
それはこの通り、フルレンジ2発+ドライバー1発のモノラルシステムでした
この当時はSP盤の復刻LPやモノラル時代のLPを中心に聴いていたのです
後ろに控える英国Lowtherのホーンシステムは、WE購入から5年ほど後に初めて買ったステレオ(2台セット)のスピーカーでした
今でも蓄音器からCDとFMまでは我が家で聞けるようになっています、去年はネットプレーヤーもあった、あっただけだけど
あの時から30年あらゆる時代の音楽を聞いて、確信を持ったことなのですが
1920年であっても
1940年であっても
1960年であっても
2016年であっても
それぞれの時代に作られたレコード(奏でられた演奏と同じ)は、それぞれの時点での最先端なのです
その時代々々でできることの最善を尽くして、最高の才能が最高を求めた結果ですから、それぞれに意味があり、価値があるのです
芸術が誕生した瞬間から偉大な芸術家はその人なりの「新手」を打ち出してきた(からこそ偉大といわれる)わけで、1920年の新手が2016年のそれに古いから劣ると言うのなら、それは死人に鞭打つ後出しジャンケンのような現代人のおごりに過ぎない
もし、そのようなバカげた妄想がまかり通るならば、クラシックの演奏は時代を遡るほど劣悪になり
ブラームスのVn協奏曲を初演したヨーゼフ・ヨアヒムの演奏がこの曲の人類史上最悪の演奏ということになってしまう
ラフマニノフのように作曲者初演であれば、作曲者自身の演奏が一番しょーもない演奏になってしまうのか?
この簡単なロジックが理解できれば
単純に2016年に行われた演奏が最先端で最も良いと言うのは「今、生きている人間のとんでもない思い上がりに過ぎない」ということもわかります
今日の最先端は、明日には過去になり
1920年や 1940年と同じ過去のものとして、ただ音楽的な価値だけで判断されるのです。そこには若くて綺麗な肢体や肩の出た衣装も関係ありません
だから私の答えは、良き演奏ならいつの時代のでもありがたく楽しませてもらっています、です
約100年前に録られたSP時代から聴き始めて徐々に新しいレコードに移り、いまは60年ほど前の素晴らしい演奏を勉強している途中なんです
これからどんどん時代を下っていきますから、少々お待ちください。過去を知らずして現代はとても語れませんから
・・・が本心ですね
逆に言うと「モノラル以外は聞けねえ」なんて人の意見には全く賛同できない、ということも付け加えておきます
さて、明日は参議院選挙ですね、升田先生は一度出馬を打診されたことがあります
その時の答えを今日の最後に載せておきます、当たり前の答えですね、先生は将棋で「新手一生」なんですから
参院選に出馬を打診された際「本業に自信のあるものは政治家にはならない」と断った。
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ますだ こうぞう 1918-1991年 将棋棋士 広島出身
見ての通り「昭和の勝負師」を地で行く風貌とともに、勝負師としての生き様を「新手一生」の言葉に残したようにアバンギャルドな存在としても有名
また、豪放な人柄から武勇伝に溢れ、陣屋事件などは社会現象になった
では棋界で言われる「新手」とはどう意味だろう
将棋というゲームは現在のルールに整備されてから400年以上ほとんど変わりなしに続いている
プロの手順は棋譜(一手一手の差し手を記録したもの)となって保存され、膨大な棋譜は全てデータ化されてプロの棋士であればあらゆる局面を即座に検索できるようになっている
このように400年検討され尽くしたような将棋の世界にあっても過去の棋譜にない強力な手が定期的に生み出され、一定の期間はその手法が棋界を席巻することになる
「藤井システム」「ごきげん中飛車」などの新定石は名前をご存知の方もいるでしょう
そうした「新手」に特にこだわって生き抜いたのが升田先生ということだ、ご本人はこう語る
人に何か書いてくれと頼まれると、よく「新手一生」と書く。(中略)私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があったら、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ一秒の何分の一でもいい。専門家というものは日夜新しい手段を発見するために苦しまなければならぬ。
(「名人になって」57年7月、朝日新聞紙上の手記から)
刃を交わし戦う剣士みたいな表現ですね
前置きが長くなって恐縮だが大事なので現代棋界の第一人者 羽生善治三冠の言葉を合わせて載せておきたい
確か升田先生についてのインタビューで「羽生先生も新手を指しますか?」的な質問に答えて・・・自分はどちらかというとオーソドックスな棋風なのでと謙遜しながら
みなさんよく新手と言われますが、
ある一手があまり見たことのない「目新しい手」であった時
しかし、その手が間違いなく「新手」ということができるかどうかは、過去のすべての棋譜と見比べて
確実に今までに指された前例がないことがわからない限り、「新手」であるとは言えません
つまりたった一手であっても本物の「新手」が生み出されたかは、先人のすべての足跡をくまなく研究し知っている人にしか判断できないことなのです
この一言は音楽を語る上でもたいそう重い、
脈々と人類が音楽に向けた情熱の歴史を知らず、ただ「新しいから素晴らしい」と上滑りした考えで良いのだろうか?
そうした中で、いつもお世話になっている「GRFのある部屋」さんは毎週のように精力的に演奏会に通い時に暖かく、時に厳しい感想も書かれているけれど・・・
GRFさんの部屋には古今の名演奏のレコードやテープが網羅され聞き込まれていることを(ご本人は最近あまり言われないけれど)私は知っている、だからGRFさんだけには「あなたも新しいのも聞かなきゃ」と言われると僕も頑張ろうと思えるのです
人間の重みはどんな立派なことを語るかではなく、どんな実績を積んできたか、言葉はなくとも背中で伝わってしまうのですね
私は、ご存知の通り1920年代から1960年代頃の演奏を聴く機会が多い(とブログには書いている)
実際に家で一人で聞くときにはむかしのレコードを聴くことは少ないのだが、鑑賞の中心は?と聞かれれば躊躇なくその辺りです。と答えるだろう。
そんなだから時々、現代の演奏は聞かないんですか?とおっしゃってくださる方もお見えになる
結論から申し上げると
ブログ記事にしていないレコードや演奏会がたくさんあるだけで、まあ、中心的にとは言えないが聞いています。と答えている
あまり感心しなかったレコードや演奏会のことを否定的な記事にせず、書かないほうがいいと思っている
横浜にいた時に比べたら少ないですが、地方都市に住んでいるオーディオ趣味の人間としては頻繁に演奏会にも顔を出す方だと思います
例えば昨年から年初にかけて、世界的に有名な3人のピアニスト(メジャーからCDを多数出している二人の新進の女流と男性の大御所でいずれも外国の方です)を聞きました、でもとても記事にはできませんでした
3人とも演奏がどうこう言う以前の問題です。いったい先生は何を教えているんだろうと思いますが、答えは簡単です
現代でコンサートピアニストとして食べていくには、名のあるコンクールの入賞歴の二つ三つが必要なのでしょう
畢竟どんぐりの中で目立つためだけに、ただただ押し付けがましい大音量の・・・素人歌舞伎が大見得を切るようなドタンバタンの演奏の乱立とあいなるのです
600人も入ればいっぱいの会場もありました、ピアノの音が割れんばかりの大音量、前の音の反響に混じって次の音がfffで打鍵されるので会場はカオスの世界です
会場の大きさによって音量を変えるように、くらいの事も教えていないのでしょうか?
先生はコンクールに入賞する方法論よりも、音楽とは何か?作曲家は何を伝えたかったのか?リリカルやメランコリーについてを先んじて教えて欲しいものです
・・・が、現実ではそれも難しいのでしょうね、先生も生徒も食わなきゃなりませんから
痛々しいのは、3件の演奏会のうち2人はうら若きお嬢さんでした、曲の終わり毎には拍手喝采、ブラボーの掛け声
私は終演後急ぎ足で駐車場に向かいましたが、エントランスにはアンコールをパスしたのでしょうか?すでにサイン待ちのおじ様達の長蛇の列ができていました
レコード会社のある企業の元社員としては言い辛いのですが、音楽とは違った座標平面で今の音楽界の経済は回っているのですね
以上は、ちょっとひどいなあと思う事例でしたけど、
時代に即した新しい解釈、現代の感覚、演奏 ってなんでしょう?
羽生三冠の言葉を借りるまでもなく、過去の演奏をくまなく聞き込んだ上で現代の演奏を「現代感覚」と言った言葉が使われているのでしょうか?
若い人の演奏を今日聞いたから=最先端の演奏
という、単純な方程式では説明になっていません
何年も前に出尽くした手法の上書きかもしれないのに?
過去の演奏をすべて知っているわけでないのに、なぜそう言い切れるのだろうか?
純粋に演奏として、音楽としてどのように感じ取り見極めるかが大切だと思います
最新の演奏の中にも今後何年も語り継がれる名演が必ずあるはずです、唐九郎さんの言葉を借りると悲しいほど少ないにしても・・・
しかし過去の名演だって同じですよ、莫大な演奏の中からわずかに残っている物を今日の私たちが手にしているだけですから
前回の記事で私の最初のスピーカーについて書きました
それはこの通り、フルレンジ2発+ドライバー1発のモノラルシステムでした
この当時はSP盤の復刻LPやモノラル時代のLPを中心に聴いていたのです
後ろに控える英国Lowtherのホーンシステムは、WE購入から5年ほど後に初めて買ったステレオ(2台セット)のスピーカーでした
今でも蓄音器からCDとFMまでは我が家で聞けるようになっています、去年はネットプレーヤーもあった、あっただけだけど
あの時から30年あらゆる時代の音楽を聞いて、確信を持ったことなのですが
1920年であっても
1940年であっても
1960年であっても
2016年であっても
それぞれの時代に作られたレコード(奏でられた演奏と同じ)は、それぞれの時点での最先端なのです
その時代々々でできることの最善を尽くして、最高の才能が最高を求めた結果ですから、それぞれに意味があり、価値があるのです
芸術が誕生した瞬間から偉大な芸術家はその人なりの「新手」を打ち出してきた(からこそ偉大といわれる)わけで、1920年の新手が2016年のそれに古いから劣ると言うのなら、それは死人に鞭打つ後出しジャンケンのような現代人のおごりに過ぎない
もし、そのようなバカげた妄想がまかり通るならば、クラシックの演奏は時代を遡るほど劣悪になり
ブラームスのVn協奏曲を初演したヨーゼフ・ヨアヒムの演奏がこの曲の人類史上最悪の演奏ということになってしまう
ラフマニノフのように作曲者初演であれば、作曲者自身の演奏が一番しょーもない演奏になってしまうのか?
この簡単なロジックが理解できれば
単純に2016年に行われた演奏が最先端で最も良いと言うのは「今、生きている人間のとんでもない思い上がりに過ぎない」ということもわかります
今日の最先端は、明日には過去になり
1920年や 1940年と同じ過去のものとして、ただ音楽的な価値だけで判断されるのです。そこには若くて綺麗な肢体や肩の出た衣装も関係ありません
だから私の答えは、良き演奏ならいつの時代のでもありがたく楽しませてもらっています、です
約100年前に録られたSP時代から聴き始めて徐々に新しいレコードに移り、いまは60年ほど前の素晴らしい演奏を勉強している途中なんです
これからどんどん時代を下っていきますから、少々お待ちください。過去を知らずして現代はとても語れませんから
・・・が本心ですね
逆に言うと「モノラル以外は聞けねえ」なんて人の意見には全く賛同できない、ということも付け加えておきます
さて、明日は参議院選挙ですね、升田先生は一度出馬を打診されたことがあります
その時の答えを今日の最後に載せておきます、当たり前の答えですね、先生は将棋で「新手一生」なんですから
参院選に出馬を打診された際「本業に自信のあるものは政治家にはならない」と断った。
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