五嶋みどり 30周年ツアー in善光寺
ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがデビュー30周年ツアーを行っており、長崎の青砂ヶ浦天主堂を皮切りに函館カトリック元町教会に至るまで全国各地の「祈りの場」を会場として日本列島を北上しています。
まだ無名だったデビュー直後のアメリカで教会から貴重な演奏の場を提供されたことへの感謝と共に、演目はBachの無伴奏に絞り演奏の原典に回帰する決意でもあるでしょうし。勿論、平和と安らぎの思いもおありでしょう。
今日と明日7月24日は長野の善光寺本堂が舞台と成りまして、ありがたいことにご招待を頂きましたので楽しみに出かけて来ました。
上質な小冊子のようなプログラム。
各地の会場の写真と紹介があり、立派な旅行ガイドのようだ。
本日は前半のプロで、
ソナタ Nr.2 BWV1003
パルティータNr.1 BWV1002
パルティータNr.3 BWV1006 の3曲。
さすがにパルティータの2番は2日目の大トリに鎮座しているが、闊達で明朗なパルティータの3番を聞きたかったので初日をお願いした。
善光寺の本堂でのコンサートはこれまでにも記事でご紹介してきたように本日は3回目なので「響き」と言うか「響かない音響」も学習している。
しかし、流石に「無伴奏」では音量がどうかな?と少々の心配を持って入場開始。
定刻が来て、改めての紹介やレセプション的なものは一切無く、あっさりと演奏開始。
ご存知の通り五嶋さんは没頭型のように言われているけれど、やはり一気に世界に入り込んだ。
1曲目のソナタ「Grave」は厳粛なスタート。まあソナタだからね。
しかしなんとまあ堂々たる音量。そして中音域から倍音がたっぷりと乗り、チェロのような重量感さえ感じる。
ふと、冊子で確認すると五嶋さんの楽器はデル・ジェスの「エクス・フーベルマン」(貸与元の財団が破綻したなんてニュースがあって心配したが現在は使っておられるようだ)深く、滋味のある音色(オーディオでは音色なんて科白をはいた事は無いが・・・)と腹に響くような音量はまるで北ドイツの古典的なオーケストラを聴いているかのよう。
僕の席は(と言っても畳みの上に座って)前から4列目の真ん中で、五嶋さんとの距離は6,7mも無いだろうか世界的ヴァイオリニストの演奏をこれ程の「オンマイク(笑)」で聴いたのは始めての経験だ。まるで私邸のサロンに来てもらって聴いているかのようだ。
これ程の至近距離で聴いているのに演奏ノイズが殆ど聞こえない!凄く正確で余裕を持って曲をホールドしているのだろうとただただ驚嘆。
観客からも、拍手よりさきにため息が上がるような演奏だった。
蒸し暑い夕方で、且つお寺さんなので空調エアコンが無い。
天井が高いから暑いのはあまり気にならなかったが、空気が湿っている為かヴァイオリンの音の発散が少し重い感じがする。これは今後の課題でキチンと響くホールで改めて聴いてみたいと思った。
続いてはお待ち兼ねのパルティータを2曲。
なんてったってこちらは舞曲ベースだから楽しいフレーズが盛り沢山。
そして、外からは涼しい風も入るようになって空気も入れ替わったのかもしれない。明るい響きも乗ってきた。
特に3番の「Preludio」の冒頭の早いパッセージの際に、開放弦?やら板やらが共鳴して付帯音が乗ってきたのがはっきり分かった。
オーディオ的に言ったら満点の再生だね。なんて不謹慎なことも考えてしまった。
とても楽しく勉強になった一夜でした。
まず、五嶋さんの演奏はハンパ無い素晴らしいもので、Bachの書いたこの面倒くさい曲を簡単なイメージで聞かせてくれた。多声的なそして重音もたっぷりな曲を一本の弓でやっちゃうんだから凄いよね。
結構な有名ヴァイオリニストでも演奏会では危うい所も多いのに本当に簡潔に聴こえたのには感動しました。
最後に
開演前のアナウンスで
「こちらは本堂内ですけれど、演奏者は靴を着用しますことをご了承下さい。」と流れたにもかかわらず。
なんと、ご本人は「ハダシ」でご登場!
「gigue」などで拍を取る度に、右足を踏み込んで「ドスン!(そんなに大きな音ではいけれどハッキリと聞き取れる)」
全身を使って迫力の演奏!! ヒールを履いて演奏されるであろう西洋式ホールでの演奏会よりもちょっとだけ得をした気分になった。
なんてったって舞曲ですから。
まだ無名だったデビュー直後のアメリカで教会から貴重な演奏の場を提供されたことへの感謝と共に、演目はBachの無伴奏に絞り演奏の原典に回帰する決意でもあるでしょうし。勿論、平和と安らぎの思いもおありでしょう。
今日と明日7月24日は長野の善光寺本堂が舞台と成りまして、ありがたいことにご招待を頂きましたので楽しみに出かけて来ました。
上質な小冊子のようなプログラム。
各地の会場の写真と紹介があり、立派な旅行ガイドのようだ。
本日は前半のプロで、
ソナタ Nr.2 BWV1003
パルティータNr.1 BWV1002
パルティータNr.3 BWV1006 の3曲。
さすがにパルティータの2番は2日目の大トリに鎮座しているが、闊達で明朗なパルティータの3番を聞きたかったので初日をお願いした。
善光寺の本堂でのコンサートはこれまでにも記事でご紹介してきたように本日は3回目なので「響き」と言うか「響かない音響」も学習している。
しかし、流石に「無伴奏」では音量がどうかな?と少々の心配を持って入場開始。
定刻が来て、改めての紹介やレセプション的なものは一切無く、あっさりと演奏開始。
ご存知の通り五嶋さんは没頭型のように言われているけれど、やはり一気に世界に入り込んだ。
1曲目のソナタ「Grave」は厳粛なスタート。まあソナタだからね。
しかしなんとまあ堂々たる音量。そして中音域から倍音がたっぷりと乗り、チェロのような重量感さえ感じる。
ふと、冊子で確認すると五嶋さんの楽器はデル・ジェスの「エクス・フーベルマン」(貸与元の財団が破綻したなんてニュースがあって心配したが現在は使っておられるようだ)深く、滋味のある音色(オーディオでは音色なんて科白をはいた事は無いが・・・)と腹に響くような音量はまるで北ドイツの古典的なオーケストラを聴いているかのよう。
僕の席は(と言っても畳みの上に座って)前から4列目の真ん中で、五嶋さんとの距離は6,7mも無いだろうか世界的ヴァイオリニストの演奏をこれ程の「オンマイク(笑)」で聴いたのは始めての経験だ。まるで私邸のサロンに来てもらって聴いているかのようだ。
これ程の至近距離で聴いているのに演奏ノイズが殆ど聞こえない!凄く正確で余裕を持って曲をホールドしているのだろうとただただ驚嘆。
観客からも、拍手よりさきにため息が上がるような演奏だった。
蒸し暑い夕方で、且つお寺さんなので空調エアコンが無い。
天井が高いから暑いのはあまり気にならなかったが、空気が湿っている為かヴァイオリンの音の発散が少し重い感じがする。これは今後の課題でキチンと響くホールで改めて聴いてみたいと思った。
続いてはお待ち兼ねのパルティータを2曲。
なんてったってこちらは舞曲ベースだから楽しいフレーズが盛り沢山。
そして、外からは涼しい風も入るようになって空気も入れ替わったのかもしれない。明るい響きも乗ってきた。
特に3番の「Preludio」の冒頭の早いパッセージの際に、開放弦?やら板やらが共鳴して付帯音が乗ってきたのがはっきり分かった。
オーディオ的に言ったら満点の再生だね。なんて不謹慎なことも考えてしまった。
とても楽しく勉強になった一夜でした。
まず、五嶋さんの演奏はハンパ無い素晴らしいもので、Bachの書いたこの面倒くさい曲を簡単なイメージで聞かせてくれた。多声的なそして重音もたっぷりな曲を一本の弓でやっちゃうんだから凄いよね。
結構な有名ヴァイオリニストでも演奏会では危うい所も多いのに本当に簡潔に聴こえたのには感動しました。
最後に
開演前のアナウンスで
「こちらは本堂内ですけれど、演奏者は靴を着用しますことをご了承下さい。」と流れたにもかかわらず。
なんと、ご本人は「ハダシ」でご登場!
「gigue」などで拍を取る度に、右足を踏み込んで「ドスン!(そんなに大きな音ではいけれどハッキリと聞き取れる)」
全身を使って迫力の演奏!! ヒールを履いて演奏されるであろう西洋式ホールでの演奏会よりもちょっとだけ得をした気分になった。
なんてったって舞曲ですから。
単純だが実に重要な誤算
古い雑誌を見返せばいいのだが、めんどくさいので意味だけで失礼。
昔の「ステレオサウンド誌」に故瀬川冬樹氏がご自身のリスニング・ルームを建てられた経緯を連載記事として寄稿されていた。
その当時の背景を考慮すると現代ほど解析の進んでいない時代で、試行錯誤されている様子が活き活きと書かれておりその顛末は私自身が現在の部屋を作る際に大いに参考にさせて頂いた。
さて、その連載の最終回に近い頃瀬川氏は予定に無い大変更をして予想以上の好結果を得たと書かれている。
内容は、本来短手方向にスピーカーを置く計画で設計したが、ひょんなことから長手方向にスピーカーを置いたらすごく良かった。手直しも無くコストも掛からない単純な変更だけれどとても重要な結果だった。と言うものだったと思う。
その記事の中で、表題のような言葉を書かれていたのを良く覚えている。
随分と前置きが長くなってしまったが此処からが本題。
我が家の現用のカートリッジはNeumann DST(と-62)という2機種。
ただ、針の磨耗を心配しながらなのでEMT TSD-15と併用は出来ないかと、これも随分と長い時間を掛けて取組んできてた。
そのラインナップは以下の通り。
EMT TSD-15
EMT927Ast
KL-V2145 (CR型RIAA)
AD-1s
KL-43006
メインアンプはこのブログでも登場回数一番のAD-1シングルアンプ。
もう20年近く前にTELEFUNKENのオリジナル回路を元に作ったもので、2台のオイロダインを通じてずっと我が家の主役アンプの座を守ってきた。
そんな中、つい一昨日の事。
大好きな「AIDA」を聴いていたのだけれど、白眉ともいえる「ああ、私の故郷」になっても何故か盛り上がらない。
このラインナップは、「広帯域化計画」でツィーターを足すなどして1980年頃のレコードにはピッタリのはずなのに・・・CDと比較してもなにかしっくり来ない。
なんだろう、内声部の立体感が足りない。というのか
多くの音が重なった時に個々のエネルギーが減じるというのだろうか?
その夜は結論も出さずに翌日アンプを替えてみようと心に決めて就寝。そして翌日は早くから
Kl-32611アンプ(Europa専用品でDST使用時のアンプ)に繋ぎ替えて聴いてみた。
その時の感想が「単純だが重要な誤算」だった。もちろん、うれしい誤算だけれど。
それから、ラインナップの見直しを余儀なくされた。
昔の「ステレオサウンド誌」に故瀬川冬樹氏がご自身のリスニング・ルームを建てられた経緯を連載記事として寄稿されていた。
その当時の背景を考慮すると現代ほど解析の進んでいない時代で、試行錯誤されている様子が活き活きと書かれておりその顛末は私自身が現在の部屋を作る際に大いに参考にさせて頂いた。
さて、その連載の最終回に近い頃瀬川氏は予定に無い大変更をして予想以上の好結果を得たと書かれている。
内容は、本来短手方向にスピーカーを置く計画で設計したが、ひょんなことから長手方向にスピーカーを置いたらすごく良かった。手直しも無くコストも掛からない単純な変更だけれどとても重要な結果だった。と言うものだったと思う。
その記事の中で、表題のような言葉を書かれていたのを良く覚えている。
随分と前置きが長くなってしまったが此処からが本題。
我が家の現用のカートリッジはNeumann DST(と-62)という2機種。
ただ、針の磨耗を心配しながらなのでEMT TSD-15と併用は出来ないかと、これも随分と長い時間を掛けて取組んできてた。
そのラインナップは以下の通り。
EMT TSD-15
EMT927Ast
KL-V2145 (CR型RIAA)
AD-1s
KL-43006
メインアンプはこのブログでも登場回数一番のAD-1シングルアンプ。
もう20年近く前にTELEFUNKENのオリジナル回路を元に作ったもので、2台のオイロダインを通じてずっと我が家の主役アンプの座を守ってきた。
そんな中、つい一昨日の事。
大好きな「AIDA」を聴いていたのだけれど、白眉ともいえる「ああ、私の故郷」になっても何故か盛り上がらない。
このラインナップは、「広帯域化計画」でツィーターを足すなどして1980年頃のレコードにはピッタリのはずなのに・・・CDと比較してもなにかしっくり来ない。
なんだろう、内声部の立体感が足りない。というのか
多くの音が重なった時に個々のエネルギーが減じるというのだろうか?
その夜は結論も出さずに翌日アンプを替えてみようと心に決めて就寝。そして翌日は早くから
Kl-32611アンプ(Europa専用品でDST使用時のアンプ)に繋ぎ替えて聴いてみた。
その時の感想が「単純だが重要な誤算」だった。もちろん、うれしい誤算だけれど。
それから、ラインナップの見直しを余儀なくされた。