Violin曲の悦楽 Westminster PETER RYBAR
オーディオの出す音に対して自分の好みの無い私ですが、レコード音楽にもやっぱりそれは当てはまるようです。
では、誰の好みでその日に聴くレコードを選んでいるかというと・・・
スピーカー様のおっしゃるとおり。だったのですね。
自分がレコードを選んでいるなどとは思い上がりでした、
聴く曲ひとつを採っても、スピーカーに試されていたのです。
どうも真理だなー「このやろう、次はどんなレコードかけやがるかな」って思われているんでしょうね。
まあ、半分本気の冗談はさて置き、使っているスピーカーによって選ぶレコードが変わってきたのは紛れも無い事実です。
むかーし、WEやALTECを聴いていた時には、SPの復刻やモノラル時代のヴァイオリン、歌曲が主体でした。
Eurodynになって、交響曲が俄然、表に出てきました。
そして現在、Europaでは圧倒的にオペラを聴く時間が長くなったのです。
ばっさり分けると、音像主体のオーディオから、音場+分解能を楽しむものになり、今では演奏された会場全体の再現に楽しみを覚えているということでしょう。
しかしながら、こうしたレコードの好みの変遷の中で、ずっと変わることなく心の中心に座り続けているレコードが何枚かあります。
世間の評価や、レコード価格の高下に関係なく、聞き込むことによって「自分にとっての名盤」としてきたレコード達です。
今日はその中でも、ある意味異色ともいえる2枚を紹介します。
米)Westminster WL 5118 WL 5141
Tartini Violin sonata & Concerto PERTER RYBAR
タルティーニのヴァイオリン・ソナタを言葉で表現する術が見つかりません。
郷愁とかメランコリックが近いようにも思いますが、それだけではない時代背景とか、タルティーニ自身の想いが表現されているかも知れません。
タルティーニの活躍した時代を考えると特別表題的ではなく、実際は生活の為に当時の様式に則って作曲しただけで、私の深読みかもしれませんが、それだけでは無い「何か」を感じさせるのです。
さらに、1952年のWestminster録音が、これでもかと輪をかけて泣かせてくれます。
第一曲の第一音から、もうビシャビシャです。
番号からすると、緑レーベルがあったのでしょうか?
でも、そんなことは無視できるくらい、大切なレコードです。
これらは、GEバリレラ+マッキンC-4+Westrexアンプ+A-5で聴いた時がレコードと一番合っていたように思い出されます。
木質の乾いた響きが、G線から充分に乗っていました。
Europaで聴くWestminster盤は、記憶の中の音よりも高い方で神経質な音を出します。
ただし、良いところもあって、スタジオの広さを感じさせる空間感の情報まで入っていたことは、今になって気が付きました。
このように、NABカーヴでカットされています。
マッキンのC-4は余裕で対応できましたが、手放してからは少々困った時期もありました。
だってね、これはRIAAで聴いてしまったら、切なさとか寂しさがバッサリ消えてなくなっちゃうんです。
何千万円かけた装置でも、無意味に感じられるほど落胆します。
でも、売る神あれば買う神ありで、EMT-139にはNABカーブが付いていて、また以前のようにバリバリ聴いています。
さて、半世紀以上前のレコードですから、盤面に特段のキズなどが無くともプチパチノイズは避けられません。
このくらい古いものだと、クリーニングだけでは、劇的な改善は期待できないようです。
でもですよ、何十回と聴き込むうちにレコード針がこびり付いたゴミをかき出してくれるのでしょうか?
気が付くと、ビックリするほどノイズが少なくなっている盤もあります。
これこそが、「聴き込む事によって、名盤とした」ってことで、神様から勲章を貰ったって事ですよね。
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです
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では、誰の好みでその日に聴くレコードを選んでいるかというと・・・
スピーカー様のおっしゃるとおり。だったのですね。
自分がレコードを選んでいるなどとは思い上がりでした、
聴く曲ひとつを採っても、スピーカーに試されていたのです。
どうも真理だなー「このやろう、次はどんなレコードかけやがるかな」って思われているんでしょうね。
まあ、半分本気の冗談はさて置き、使っているスピーカーによって選ぶレコードが変わってきたのは紛れも無い事実です。
むかーし、WEやALTECを聴いていた時には、SPの復刻やモノラル時代のヴァイオリン、歌曲が主体でした。
Eurodynになって、交響曲が俄然、表に出てきました。
そして現在、Europaでは圧倒的にオペラを聴く時間が長くなったのです。
ばっさり分けると、音像主体のオーディオから、音場+分解能を楽しむものになり、今では演奏された会場全体の再現に楽しみを覚えているということでしょう。
しかしながら、こうしたレコードの好みの変遷の中で、ずっと変わることなく心の中心に座り続けているレコードが何枚かあります。
世間の評価や、レコード価格の高下に関係なく、聞き込むことによって「自分にとっての名盤」としてきたレコード達です。
今日はその中でも、ある意味異色ともいえる2枚を紹介します。
米)Westminster WL 5118 WL 5141
Tartini Violin sonata & Concerto PERTER RYBAR
タルティーニのヴァイオリン・ソナタを言葉で表現する術が見つかりません。
郷愁とかメランコリックが近いようにも思いますが、それだけではない時代背景とか、タルティーニ自身の想いが表現されているかも知れません。
タルティーニの活躍した時代を考えると特別表題的ではなく、実際は生活の為に当時の様式に則って作曲しただけで、私の深読みかもしれませんが、それだけでは無い「何か」を感じさせるのです。
さらに、1952年のWestminster録音が、これでもかと輪をかけて泣かせてくれます。
第一曲の第一音から、もうビシャビシャです。
番号からすると、緑レーベルがあったのでしょうか?
でも、そんなことは無視できるくらい、大切なレコードです。
これらは、GEバリレラ+マッキンC-4+Westrexアンプ+A-5で聴いた時がレコードと一番合っていたように思い出されます。
木質の乾いた響きが、G線から充分に乗っていました。
Europaで聴くWestminster盤は、記憶の中の音よりも高い方で神経質な音を出します。
ただし、良いところもあって、スタジオの広さを感じさせる空間感の情報まで入っていたことは、今になって気が付きました。
このように、NABカーヴでカットされています。
マッキンのC-4は余裕で対応できましたが、手放してからは少々困った時期もありました。
だってね、これはRIAAで聴いてしまったら、切なさとか寂しさがバッサリ消えてなくなっちゃうんです。
何千万円かけた装置でも、無意味に感じられるほど落胆します。
でも、売る神あれば買う神ありで、EMT-139にはNABカーブが付いていて、また以前のようにバリバリ聴いています。
さて、半世紀以上前のレコードですから、盤面に特段のキズなどが無くともプチパチノイズは避けられません。
このくらい古いものだと、クリーニングだけでは、劇的な改善は期待できないようです。
でもですよ、何十回と聴き込むうちにレコード針がこびり付いたゴミをかき出してくれるのでしょうか?
気が付くと、ビックリするほどノイズが少なくなっている盤もあります。
これこそが、「聴き込む事によって、名盤とした」ってことで、神様から勲章を貰ったって事ですよね。
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システムの周波数特性を測ってみたら
昨日プリの球を面倒見て中々の結果だったので、深夜周波数特性を測っておきました。
どこか手を入れた後はいつも測っているのですが、一つの目的は再現性の根拠を残しておく為です。
他方、手を入れた部分と数量的な測定結果の因果関係を少しでも蓄積できればいいなと思っています。
測定に使用しているソフトは無料で入手できるWave Spectraという簡単なものです。
ソース CDプレーヤーから20-20kHzのスイープ信号を入力
マイク BEHRINGER ECM8000(通常の聴取位置に設置)
インターフェイス TASCAM US-122L
といった簡易的なもので、レコード時の特性は無視ですが、できるだけ聴取環境と近い状態で測っています。
<機材の裸特性は18kHzから-1dB程度下降しています>
これまで、アップできなかったのは、測定画面をハードコピーできなかった(今でも)為で、何方か方法をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい、m(_ _)m
もう、強引に写真撮影をして乗せます。
見え難く恐縮ですが、赤=Rch 青=Lchです。
周波数は縦軸のラインで20Hz、高域端のストーンと落ちているところが20kHzです。
縦軸の一目盛りは20dBです。
よって、このグラフのラインは随分と見栄えが良いですが、5dB/目盛り程度のグラフでは4倍の山谷があると見て下さい。
なお、この特性は、ツィーターを乗せて測ったときのもので、オリジナルのEuropaでは16Khz以上は急激に落ちています。
また、60Hz以下は暗ノイズ分をキャンセルしてありませんので、実際はだら下がりになっていると思います。
同様に120Hz以下も全体に3dB程度は低いはずです。
(ヒーターノイズの60Hzと、倍整流の120Hzです)
現在の悩み処は、前回のドライバーメンテの時に気合を入れすぎて、1kHz~2kHzの辺りで若干落ち込みが強く出ていることですね。
Europaの初期の特性も1kHzのちょっと上が凹んでいて、二つ山特性に成っている事であの独特のゲルマントーン(なのかな?)を醸し出しているのですが、もう少しなだらかに凹んでいたいものです。
それにしても、メンテの直後からは随分聴いていますので、特性上もかなり上がってきました。
<実はカーテンの吸音の中心が1.7kHz付近だったので輪をかけている>
250Hz付近の落ち込みは定在波の影響でしょうか?
ここは色々試して見たのですが、今のところ犯人を特定できていません。
私自身は、室内の見た目を優先するので、大層なことをせずに改善できないなら、このままでいいや!と諦めています。
このグラフも、相当長い期間に渡って計測を繰り返し眺め続けていると、何となく曲線の感じと聴いた感じが一致してくるのが不思議な思いです。
周波数などの測定結果だけでは音を語れない!とか、人の耳は計器以上の精度だ!という意見には全面的に賛同しますが、
その微妙な部分を測る計器が存在しない以上、手に出来る測定値だけでもなにかしらのヒントにできるかどうかは、大きな違いだと考えています。
繰り返しと、霊感みたいな世界ですが、見所が判ってきて結構バカにできないんですよね。これが・・・
機材を頻繁に変えてしまうと、この継続から学習することが出来ないですから、やっぱりもったいない事だと思いました。
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他方、手を入れた部分と数量的な測定結果の因果関係を少しでも蓄積できればいいなと思っています。
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ソース CDプレーヤーから20-20kHzのスイープ信号を入力
マイク BEHRINGER ECM8000(通常の聴取位置に設置)
インターフェイス TASCAM US-122L
といった簡易的なもので、レコード時の特性は無視ですが、できるだけ聴取環境と近い状態で測っています。
<機材の裸特性は18kHzから-1dB程度下降しています>
これまで、アップできなかったのは、測定画面をハードコピーできなかった(今でも)為で、何方か方法をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい、m(_ _)m
もう、強引に写真撮影をして乗せます。
見え難く恐縮ですが、赤=Rch 青=Lchです。
周波数は縦軸のラインで20Hz、高域端のストーンと落ちているところが20kHzです。
縦軸の一目盛りは20dBです。
よって、このグラフのラインは随分と見栄えが良いですが、5dB/目盛り程度のグラフでは4倍の山谷があると見て下さい。
なお、この特性は、ツィーターを乗せて測ったときのもので、オリジナルのEuropaでは16Khz以上は急激に落ちています。
また、60Hz以下は暗ノイズ分をキャンセルしてありませんので、実際はだら下がりになっていると思います。
同様に120Hz以下も全体に3dB程度は低いはずです。
(ヒーターノイズの60Hzと、倍整流の120Hzです)
現在の悩み処は、前回のドライバーメンテの時に気合を入れすぎて、1kHz~2kHzの辺りで若干落ち込みが強く出ていることですね。
Europaの初期の特性も1kHzのちょっと上が凹んでいて、二つ山特性に成っている事であの独特のゲルマントーン(なのかな?)を醸し出しているのですが、もう少しなだらかに凹んでいたいものです。
それにしても、メンテの直後からは随分聴いていますので、特性上もかなり上がってきました。
<実はカーテンの吸音の中心が1.7kHz付近だったので輪をかけている>
250Hz付近の落ち込みは定在波の影響でしょうか?
ここは色々試して見たのですが、今のところ犯人を特定できていません。
私自身は、室内の見た目を優先するので、大層なことをせずに改善できないなら、このままでいいや!と諦めています。
このグラフも、相当長い期間に渡って計測を繰り返し眺め続けていると、何となく曲線の感じと聴いた感じが一致してくるのが不思議な思いです。
周波数などの測定結果だけでは音を語れない!とか、人の耳は計器以上の精度だ!という意見には全面的に賛同しますが、
その微妙な部分を測る計器が存在しない以上、手に出来る測定値だけでもなにかしらのヒントにできるかどうかは、大きな違いだと考えています。
繰り返しと、霊感みたいな世界ですが、見所が判ってきて結構バカにできないんですよね。これが・・・
機材を頻繁に変えてしまうと、この継続から学習することが出来ないですから、やっぱりもったいない事だと思いました。
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平和な日々が長続きしないヴィンテージオーディオ バンザイ
1月の21日にEckmillerのFaderを交換してから、3ヶ月間は装置になんの手も加えておりません。
出力管のヒーターも随分と馴染んできたようで、取り立てて不満の無い日が続いておりました。
特にヴィンテージのシステムは、「良い音にしたい」という欲望には縁が無くて(始めから良いのは、長い年月で証明されているので)、何とか今の状態をこのままキープしてくれよ。と念じています。
逆に申すと、同じ状態を長く維持することは結構な根性がいるという意味でもあります。
1週間ほど前から、ステージ(音場)がほんの僅かですが、右側へ傾き、この微少なズレが奥行きや、果ては楽器の音色の描き分け、残響音まで悪影響を及ぼしています。
実は、我が家ではよくあること。で、日曜を利用して犯人探しを決行しました。
疑いの強い順から
① スピーカーにタックルをかましてホンの僅か動かしてしまう。
アンプがスピーカーの裏側なので、電源の入り切りの際に体が触れることがある。
② どこかの球のエミッションの変化
③ カートリッジが垂直に付いていない。(クリーニングの後、何気に付けるとよくある)
などなど・・・
今日はプリアンプ(RIAA-EQ)の2段目の球を入れ替えたところで犯人を検挙しました。
早速、真空管試験機で電流値をチェックします。
Funke W-19S これはAD-1を検査しているところ。
結局、RIAA-EQに使っている4本のEF-41を調べたのですが、前回に比べても対して変化はありません。
仕様がないので、7本ほどの電流値を測り直し、この中から耳で聞きながら左右のゲインが揃うように配備しました。
その後は、まるで見違えるように生気を取り戻した音で、午後一杯たっぷりと指輪を楽しみました。
そんな訳で、明確な原因までは判りませんでした。
今回の騒動は、測定器では判別できないことを、音と自分の耳は聞き分けるという事実を再確認させられました。
それでも、真空管アンプを使う身として、真空管試験機と予備の真空管は必須のツールだということもです。
以前は、インプットゲインのポテンショメーター付きのアンプでしたから、これほど気にせずいました。
しかし、今ほどの深い見通せるようなステージ(音場)を手にしていなかった、理解できていなかったことも確かです。
翻ってトランジスタのアンプ(素子を簡単に交換できない)を考えると、今日のような問題が発生したとき、又は購入した時点でも同様ですが、どのように対処すべきか想像もつきません。
その為に、ゲインセットのポテンショメーターがあるのですが、この部品のクオリティや、セットの微妙な具合がシステム全ての音を支配すると言っても、あながち言いすぎでも無いように思います。
固定ゲイン(もしくは抵抗分圧の選択性ゲイン)の業務用アンプに慣らされてしまった今となっては、30年以上も前にトランジスタ機を使っていた時の気持ちを思い出そうにも、上手く思い出せません。
アンプのゲインだけでは無しに、その他の要素もゆるゆるだったのでしょうね。
業務用の機械は、定期的に真空管を新品交換して然るべく設計されています。
当然、コストも煩わしさも大変な負担になります。
しかし、反対側から見れば、定期的に機械の状態を監視できますし、僅かな変化にも敏感になれます。
おかげで、多少は聴く力が鍛えられたのかな、と痛い出費の分は都合よく考えるようにしています。
随分昔の思い出話ですが、伊藤喜多男翁がこんなことを仰っていました。
冷蔵庫が普及し、防腐剤が発達したおかげで、バターが腐らなくなった。
腐った食品を目にした経験の無い人間ばかりになって、食中毒が増えたんですよ。
でもですねえ、腐らないバターは不味いんですよ。
(注、昔の人は鼻が利いて腐っているかを嗅ぎ分けられたが、冷蔵庫と防腐材に頼っている今の人は本当に腐っている場合でも違いが判らずに食してしまう。という意)
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出力管のヒーターも随分と馴染んできたようで、取り立てて不満の無い日が続いておりました。
特にヴィンテージのシステムは、「良い音にしたい」という欲望には縁が無くて(始めから良いのは、長い年月で証明されているので)、何とか今の状態をこのままキープしてくれよ。と念じています。
逆に申すと、同じ状態を長く維持することは結構な根性がいるという意味でもあります。
1週間ほど前から、ステージ(音場)がほんの僅かですが、右側へ傾き、この微少なズレが奥行きや、果ては楽器の音色の描き分け、残響音まで悪影響を及ぼしています。
実は、我が家ではよくあること。で、日曜を利用して犯人探しを決行しました。
疑いの強い順から
① スピーカーにタックルをかましてホンの僅か動かしてしまう。
アンプがスピーカーの裏側なので、電源の入り切りの際に体が触れることがある。
② どこかの球のエミッションの変化
③ カートリッジが垂直に付いていない。(クリーニングの後、何気に付けるとよくある)
などなど・・・
今日はプリアンプ(RIAA-EQ)の2段目の球を入れ替えたところで犯人を検挙しました。
早速、真空管試験機で電流値をチェックします。
Funke W-19S これはAD-1を検査しているところ。
結局、RIAA-EQに使っている4本のEF-41を調べたのですが、前回に比べても対して変化はありません。
仕様がないので、7本ほどの電流値を測り直し、この中から耳で聞きながら左右のゲインが揃うように配備しました。
その後は、まるで見違えるように生気を取り戻した音で、午後一杯たっぷりと指輪を楽しみました。
そんな訳で、明確な原因までは判りませんでした。
今回の騒動は、測定器では判別できないことを、音と自分の耳は聞き分けるという事実を再確認させられました。
それでも、真空管アンプを使う身として、真空管試験機と予備の真空管は必須のツールだということもです。
以前は、インプットゲインのポテンショメーター付きのアンプでしたから、これほど気にせずいました。
しかし、今ほどの深い見通せるようなステージ(音場)を手にしていなかった、理解できていなかったことも確かです。
翻ってトランジスタのアンプ(素子を簡単に交換できない)を考えると、今日のような問題が発生したとき、又は購入した時点でも同様ですが、どのように対処すべきか想像もつきません。
その為に、ゲインセットのポテンショメーターがあるのですが、この部品のクオリティや、セットの微妙な具合がシステム全ての音を支配すると言っても、あながち言いすぎでも無いように思います。
固定ゲイン(もしくは抵抗分圧の選択性ゲイン)の業務用アンプに慣らされてしまった今となっては、30年以上も前にトランジスタ機を使っていた時の気持ちを思い出そうにも、上手く思い出せません。
アンプのゲインだけでは無しに、その他の要素もゆるゆるだったのでしょうね。
業務用の機械は、定期的に真空管を新品交換して然るべく設計されています。
当然、コストも煩わしさも大変な負担になります。
しかし、反対側から見れば、定期的に機械の状態を監視できますし、僅かな変化にも敏感になれます。
おかげで、多少は聴く力が鍛えられたのかな、と痛い出費の分は都合よく考えるようにしています。
随分昔の思い出話ですが、伊藤喜多男翁がこんなことを仰っていました。
冷蔵庫が普及し、防腐剤が発達したおかげで、バターが腐らなくなった。
腐った食品を目にした経験の無い人間ばかりになって、食中毒が増えたんですよ。
でもですねえ、腐らないバターは不味いんですよ。
(注、昔の人は鼻が利いて腐っているかを嗅ぎ分けられたが、冷蔵庫と防腐材に頼っている今の人は本当に腐っている場合でも違いが判らずに食してしまう。という意)
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EMI ASD カイルベルト 「魔弾の射手」 オペラ普及委員会発足?
昔のレコード雑誌には、「無人島へ持って行く1枚」なんて○○な特集をよく見かけました。
今の自分なら指輪ですから、無人島へ持ってゆく19枚になっちゃいますね。
それでも足りないので、カイルベルトがベルリンを振った「魔弾」は是非とも携えたい物です。
英EMI ASD 319-21 J・Keirberth BPO
1950年代、ベルリンフィルはオペラの上演はしていなかったそうです。
そんな意味でも、この演奏は貴重な記録ですが、手堅い職人気質のイメージの強いカイルベルト師も、曲の幽玄さを引き出す為かロマンティックな解釈で、深い森の世界に誘います。
ステレオ最初期のEMIのオペラに対するステレオの解釈がぎっしり詰まった録音で、有名なカウントをとる場面では、やり過ぎか?というくらいの遠近感を出しています。
全体的にはフルトベングラー時代の響きの色濃い1950年代のBPOのソノリティで、この楽団の底力をまざまざと見せ付けられます。
また、台詞の場面では、空前にして絶後のほどのナマナマしさで捉えており、実演に対するレコード鑑賞の優位性を実感できる録音です。
一般に、EMIの録音は歌手がオケの前に立つ演奏会形式上演のような音場を持つものが多く、対するDeccaがオペラハウスを意識して、オケの後方に歌手を定位させた音場と好対照になっていますが、多少歌唱は聞き易い利点があります。
あの突き抜ける声量の持ち主だったニルソンが、Decca録音は自分の声が聴き難い!と、ぶちきれた実績あり。
結構なオーディオ好き、音楽好きを自認する方の中でも、「オペラはあんまり・・・」という方は多いようですね。
僕は本気で、オペラ普及委員にでもなろうかと思ってるくらいです。
「魔弾」「ボエーム」をファーストオペラとして推奨しますが、まだ候補があったら教えて下さい!!
オペラや歌物を敬遠する方達の意見を聞くと、「歌詞が分からないから・・・つまらない」
という理由が多数意見としてありました。
僕も、聞き始めの頃は、1組だけは国内盤(対訳が欲しくて)買ったり、対訳本(当時は少なかった)を探してきては、レコードを聞きながら訳詩を目で追いかけたりしていましたが、結局は長続きはしませんでした。
活字を読んでいると音楽を覚えていないし、一言一句を全て記憶するには、オペラは長すぎます。
いまでも、一言づつは全部覚えていません。
全体のあらすじだけ覚えて、音楽を楽しむ様にしていますし、何度も聴いていれば、次第に何をしている場面かは分かってくるものです。
そんなオペラ鑑賞で一つ大きな疑問がありました。
例えば、英国人は、イタリア語やドイツ語で上演されるオペラの台詞を分かって聴いているのでしょうか?
以前、兄の海外の友人何人かに聞いてみました。
こたえ
「んなわきゃ、ねーだろー! 音楽を楽しみに行ってるのに、なんで台詞なんかいちいち知らなきゃいけねーんだ」
(多分イタリア人にドイツオペラを聴くときはどーしてんの? と聞いたときの答え)
OH! MY GOD!!
もひとつ、フランス人に、アーンの歌曲を聴いてもらって、どんな歌詞か教えてもらおうと頼んだ。
こたえ
「なんて歌ってるか、よく聴き取れませーん!」
おー!ポカホンタス!!! 自国語でもあまり歌詞聞けて無いんだ。
そーいえば、大好きなフィル・コリンズやシンディ・ローパーを聴くときにだいたい何について歌っているか知っていれば歌詞を丸暗記なんてしてないし。
カラオケ行かないから日本の歌手の歌だって殆ど歌詞を覚えてはいないよなあ。
また、オペラ公演のときの「対訳字幕」も絶対反対です。
人間ですから、どーしても目が行ってしまい、気が散るのなんのって。
こんな処にも、「目で聴くオペラ」「活字の音楽」は存在した。目で見て、耳で聴くだけの情報だけで充分なのに。
なんだろうな、あの感覚は?
西洋人コンプレックスかしら? 因みにアメリカでも英訳字幕は多いらしい。やっぱりコンプレックスだな。
アメリカ人のオペラ歌手は立派に歌ってるのに、発音で悩んでいる人多いって言うし。これもまた、同じ原因だな。
今なら、字幕付きのDVDは本屋で安く買えるから、ストーリーを覚えるなんて苦労しない筈だが。
英米のPOPSは平気で聴いているのに、オペラだけ「歌詞が分からないから」という理由がなぜ出るのだろう?
多分、長い曲を聴くのに慣れていないせいでしょうね。
それなら、必殺技あります。
1面づつ、バラバラと聴いて気に入ったフレーズを繰り返し聴いていると、だんだん広がってゆきます。
そんな聴き方にもピッタリな「魔弾」でした。
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今の自分なら指輪ですから、無人島へ持ってゆく19枚になっちゃいますね。
それでも足りないので、カイルベルトがベルリンを振った「魔弾」は是非とも携えたい物です。
英EMI ASD 319-21 J・Keirberth BPO
1950年代、ベルリンフィルはオペラの上演はしていなかったそうです。
そんな意味でも、この演奏は貴重な記録ですが、手堅い職人気質のイメージの強いカイルベルト師も、曲の幽玄さを引き出す為かロマンティックな解釈で、深い森の世界に誘います。
ステレオ最初期のEMIのオペラに対するステレオの解釈がぎっしり詰まった録音で、有名なカウントをとる場面では、やり過ぎか?というくらいの遠近感を出しています。
全体的にはフルトベングラー時代の響きの色濃い1950年代のBPOのソノリティで、この楽団の底力をまざまざと見せ付けられます。
また、台詞の場面では、空前にして絶後のほどのナマナマしさで捉えており、実演に対するレコード鑑賞の優位性を実感できる録音です。
一般に、EMIの録音は歌手がオケの前に立つ演奏会形式上演のような音場を持つものが多く、対するDeccaがオペラハウスを意識して、オケの後方に歌手を定位させた音場と好対照になっていますが、多少歌唱は聞き易い利点があります。
あの突き抜ける声量の持ち主だったニルソンが、Decca録音は自分の声が聴き難い!と、ぶちきれた実績あり。
結構なオーディオ好き、音楽好きを自認する方の中でも、「オペラはあんまり・・・」という方は多いようですね。
僕は本気で、オペラ普及委員にでもなろうかと思ってるくらいです。
「魔弾」「ボエーム」をファーストオペラとして推奨しますが、まだ候補があったら教えて下さい!!
オペラや歌物を敬遠する方達の意見を聞くと、「歌詞が分からないから・・・つまらない」
という理由が多数意見としてありました。
僕も、聞き始めの頃は、1組だけは国内盤(対訳が欲しくて)買ったり、対訳本(当時は少なかった)を探してきては、レコードを聞きながら訳詩を目で追いかけたりしていましたが、結局は長続きはしませんでした。
活字を読んでいると音楽を覚えていないし、一言一句を全て記憶するには、オペラは長すぎます。
いまでも、一言づつは全部覚えていません。
全体のあらすじだけ覚えて、音楽を楽しむ様にしていますし、何度も聴いていれば、次第に何をしている場面かは分かってくるものです。
そんなオペラ鑑賞で一つ大きな疑問がありました。
例えば、英国人は、イタリア語やドイツ語で上演されるオペラの台詞を分かって聴いているのでしょうか?
以前、兄の海外の友人何人かに聞いてみました。
こたえ
「んなわきゃ、ねーだろー! 音楽を楽しみに行ってるのに、なんで台詞なんかいちいち知らなきゃいけねーんだ」
(多分イタリア人にドイツオペラを聴くときはどーしてんの? と聞いたときの答え)
OH! MY GOD!!
もひとつ、フランス人に、アーンの歌曲を聴いてもらって、どんな歌詞か教えてもらおうと頼んだ。
こたえ
「なんて歌ってるか、よく聴き取れませーん!」
おー!ポカホンタス!!! 自国語でもあまり歌詞聞けて無いんだ。
そーいえば、大好きなフィル・コリンズやシンディ・ローパーを聴くときにだいたい何について歌っているか知っていれば歌詞を丸暗記なんてしてないし。
カラオケ行かないから日本の歌手の歌だって殆ど歌詞を覚えてはいないよなあ。
また、オペラ公演のときの「対訳字幕」も絶対反対です。
人間ですから、どーしても目が行ってしまい、気が散るのなんのって。
こんな処にも、「目で聴くオペラ」「活字の音楽」は存在した。目で見て、耳で聴くだけの情報だけで充分なのに。
なんだろうな、あの感覚は?
西洋人コンプレックスかしら? 因みにアメリカでも英訳字幕は多いらしい。やっぱりコンプレックスだな。
アメリカ人のオペラ歌手は立派に歌ってるのに、発音で悩んでいる人多いって言うし。これもまた、同じ原因だな。
今なら、字幕付きのDVDは本屋で安く買えるから、ストーリーを覚えるなんて苦労しない筈だが。
英米のPOPSは平気で聴いているのに、オペラだけ「歌詞が分からないから」という理由がなぜ出るのだろう?
多分、長い曲を聴くのに慣れていないせいでしょうね。
それなら、必殺技あります。
1面づつ、バラバラと聴いて気に入ったフレーズを繰り返し聴いていると、だんだん広がってゆきます。
そんな聴き方にもピッタリな「魔弾」でした。
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是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです
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同じく、現在315件のクラシック音楽ブログが参加しているリンクです。歴史的名盤から、ニューリリースの感想まで、私もレコード探しの参考にさせて頂いています。
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最も印象深い言葉 大先達の教え
今日はこれまでオーディオと戯れてきた中で、最も印象に残っている言葉のお話をしようと思います。
それを最初に見かけたのは今から25年ほど前のことです。
その頃20歳そこそこの自分は、正直申し上げて意味を全く理解できずにおりました。
見かけたのは、ステレオサウンドNo.72 1984年秋号の広告のページです。
その広告を出していた会社は、「上弦」 そうです、伊藤喜多男翁がご活躍されていたお店です。
スピーカーを選ぶなどとは思い上がりでした。
実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。
当時使っていたスピーカーは、伊藤翁に影響されていた訳でなく、純粋にドイツ物への憧れから入手の容易なSIEMENSのコンビネーションでしたが、Eurodynスピーカーを輸入したり、ED管でアンプを組まれたりしていた伊藤翁その人に対しても充分な畏敬の念を抱いておりました。
その方が書かれた一文ですから、了解したいとは思ったのですが、如何せん経験が無いことには理解の外だったのです。
しかし、ある体験をキッカケにほんの少しだけ身にしみたような気がしました。
その事とは、自分が使い、そして手元を離れていった2台のEurodynスピーカーとの出会いと別れです。
自分の中では上弦の広告の一文を悟るきっかけがEurodynスピーカーであったことは、全く持って運命としか思えない、見えない糸を感じました。
1台目のEurodynスピーカーは、今に至る中でも出色のパフォーマンスを示しているまさに絶頂期に、大恩ある方に乞われて私の元を去りました。
現在の音が、その時の音にそれほど劣っているとも思いませんが記憶の中の美音にはまったく歯が立ちません。
最高に気に入って使っていたのに、それでも私の元を去って行ったのです。
2台目は全く逆で、遂に一度も満足することなく、結果的に私自身が白旗を揚げて手放したスピーカーでした。
言い訳の仕様の無い、完膚なき敗北だったのです。
同じメーカー、同じ銘柄でありながら2台のスピーカーは、真逆の理由で去って行きました。
優秀なる機械は使用者の想いを通り越して、スピーカー自らの「意思」(と言って良いか?)で、自らの居場所を渡り歩くものではないだろうか。・・・と。
その時、伊藤翁の先の言葉が身に染みたのです。
昔に読んだ本の中に、ガスパロ・ダ・サロが製作し、チェリーニが装飾した通称「悪魔のヴァイオリン」(現在はノルウェーのベルゲン博物館 に収蔵)の話の結びにこうありました。
現物の写真は「こちら」にリンクしておきます。長いページですが、かなり下の方にあります。
物語を読んでからこの写真を見ると、背筋が・・・決して一人では見ないで下さい。(ちょっと本気、HPを管理されている方から写真を借りて貼ってもよいのだけれど、怖くて出来ない)
あらすじ
血塗られた事情の中、そのヴァイオリンは誕生した。
最初の所有者を早々に死に至らしめると、そのヴァイオリンは自らの意思であるかのように、次から次へと生贄を求め人手を渡り歩き、尽くその人生を終わらせていった。
最期の所有者オーレ・ブルの死後、未亡人は今後誰にも弾かせないという条件付きで博物館に寄贈し、現在に至る。
その本を読んだ時は怖くて、ビビリまくりでしたが、その結末で本当に救われました。
「ヴァイオリンが呪われていたのではない。それを手にした多くの人が命を落としたのは事実だが、その人々の人生は山あり谷ありであったことは間違いない。
そうした人生の衰勢がこの特徴的な外見のヴァイオリンにまとわりつき、共に歴史を渡り後世に伝わったのだ。」
つまり、ヴァイオリン(物体)に物語があるのではなく、使った人々の人生そのものが語り継がれた、ということですね。
物には、その物の持つエネルギーがあります。
私は、幸いにして、WE、ALTEC、Klangfilmといった強大なエネルギーを持つ機械達を使うことができました。
私よりもずーと優秀な技術者たちが死ぬほど考え抜いて、国家予算の何%という巨費を投じて作られた品々です。
そんな品を、私が選んで買った、また自分の意志で手放したなんて思い上がりも甚だしい事だったのです。
結局、彼らは「変な音出させやがって!おまえんちなんかで、音楽やってられっかよ」と、自ら立ち去って行ったのです。
マニアの友人は「そんなに自分を卑下することないだろう。趣味だから好きな物を使って好きな音を出して何が悪い!」と言われました。
卑下するなんてとんでもない!
私は、この言葉のおかげで、良い音で音楽を聴くために何が必要かを悟ったのです、感謝しかありません。
手前のちっぽけな好みなんかでは決していい音にはならない。
これからは機械が気持ちよく動作できる環境作りに力を注ごう。
自分に能力が無い為に、完全に使いきれていないことを機械に責任転嫁して「この機械はダメだ」と言うのは止そう。
そんなこと言っていたら、機械も愛想をつかして出て行くよな。
そう考えようと、心に決めました。
今日の話題は、過去に一人しか賛同を得ていない話です。
その一人とは、絶好調の初代Eurodynスピーカーを持っていった私の師、その人です。
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その頃20歳そこそこの自分は、正直申し上げて意味を全く理解できずにおりました。
見かけたのは、ステレオサウンドNo.72 1984年秋号の広告のページです。
その広告を出していた会社は、「上弦」 そうです、伊藤喜多男翁がご活躍されていたお店です。
スピーカーを選ぶなどとは思い上がりでした。
実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。
当時使っていたスピーカーは、伊藤翁に影響されていた訳でなく、純粋にドイツ物への憧れから入手の容易なSIEMENSのコンビネーションでしたが、Eurodynスピーカーを輸入したり、ED管でアンプを組まれたりしていた伊藤翁その人に対しても充分な畏敬の念を抱いておりました。
その方が書かれた一文ですから、了解したいとは思ったのですが、如何せん経験が無いことには理解の外だったのです。
しかし、ある体験をキッカケにほんの少しだけ身にしみたような気がしました。
その事とは、自分が使い、そして手元を離れていった2台のEurodynスピーカーとの出会いと別れです。
自分の中では上弦の広告の一文を悟るきっかけがEurodynスピーカーであったことは、全く持って運命としか思えない、見えない糸を感じました。
1台目のEurodynスピーカーは、今に至る中でも出色のパフォーマンスを示しているまさに絶頂期に、大恩ある方に乞われて私の元を去りました。
現在の音が、その時の音にそれほど劣っているとも思いませんが記憶の中の美音にはまったく歯が立ちません。
最高に気に入って使っていたのに、それでも私の元を去って行ったのです。
2台目は全く逆で、遂に一度も満足することなく、結果的に私自身が白旗を揚げて手放したスピーカーでした。
言い訳の仕様の無い、完膚なき敗北だったのです。
同じメーカー、同じ銘柄でありながら2台のスピーカーは、真逆の理由で去って行きました。
優秀なる機械は使用者の想いを通り越して、スピーカー自らの「意思」(と言って良いか?)で、自らの居場所を渡り歩くものではないだろうか。・・・と。
その時、伊藤翁の先の言葉が身に染みたのです。
昔に読んだ本の中に、ガスパロ・ダ・サロが製作し、チェリーニが装飾した通称「悪魔のヴァイオリン」(現在はノルウェーのベルゲン博物館 に収蔵)の話の結びにこうありました。
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物語を読んでからこの写真を見ると、背筋が・・・決して一人では見ないで下さい。(ちょっと本気、HPを管理されている方から写真を借りて貼ってもよいのだけれど、怖くて出来ない)
あらすじ
血塗られた事情の中、そのヴァイオリンは誕生した。
最初の所有者を早々に死に至らしめると、そのヴァイオリンは自らの意思であるかのように、次から次へと生贄を求め人手を渡り歩き、尽くその人生を終わらせていった。
最期の所有者オーレ・ブルの死後、未亡人は今後誰にも弾かせないという条件付きで博物館に寄贈し、現在に至る。
その本を読んだ時は怖くて、ビビリまくりでしたが、その結末で本当に救われました。
「ヴァイオリンが呪われていたのではない。それを手にした多くの人が命を落としたのは事実だが、その人々の人生は山あり谷ありであったことは間違いない。
そうした人生の衰勢がこの特徴的な外見のヴァイオリンにまとわりつき、共に歴史を渡り後世に伝わったのだ。」
つまり、ヴァイオリン(物体)に物語があるのではなく、使った人々の人生そのものが語り継がれた、ということですね。
物には、その物の持つエネルギーがあります。
私は、幸いにして、WE、ALTEC、Klangfilmといった強大なエネルギーを持つ機械達を使うことができました。
私よりもずーと優秀な技術者たちが死ぬほど考え抜いて、国家予算の何%という巨費を投じて作られた品々です。
そんな品を、私が選んで買った、また自分の意志で手放したなんて思い上がりも甚だしい事だったのです。
結局、彼らは「変な音出させやがって!おまえんちなんかで、音楽やってられっかよ」と、自ら立ち去って行ったのです。
マニアの友人は「そんなに自分を卑下することないだろう。趣味だから好きな物を使って好きな音を出して何が悪い!」と言われました。
卑下するなんてとんでもない!
私は、この言葉のおかげで、良い音で音楽を聴くために何が必要かを悟ったのです、感謝しかありません。
手前のちっぽけな好みなんかでは決していい音にはならない。
これからは機械が気持ちよく動作できる環境作りに力を注ごう。
自分に能力が無い為に、完全に使いきれていないことを機械に責任転嫁して「この機械はダメだ」と言うのは止そう。
そんなこと言っていたら、機械も愛想をつかして出て行くよな。
そう考えようと、心に決めました。
今日の話題は、過去に一人しか賛同を得ていない話です。
その一人とは、絶好調の初代Eurodynスピーカーを持っていった私の師、その人です。
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サッカー界からオーディオを考える
前回は日本のサッカーを取り巻く環境から、オーディオを考えるという、所謂こじ付けの前段を書きました。
今回は、完結編ですが、殆どの方は先読みされているでしょうし、内容もこれまでの記事の繰り返しになりかねないので少々路線を変更します。
これは、会社員時代に上司に、繰り返し教わったことです。
① 目標とは、あるべき姿を明確にすること。それをいつまでに達成するか期限を定めること。この2点を持って目標とする。
② 計画とは、現在の姿とあるべき姿のギャップを知ること。そのギャップを埋める為に日々何をすべきかを決めること。
③ あとは、成果が出るまでは腹を決め、途中は苦しくても続けること。
サッカーで言うと、強国と日本の現状のギャップ(私はトラップの差だと思う)を知り、その差が埋まるまでは目先の試合の勝ち負けに左右されることなく、「今に見てろよ」と、歯を食いしばり決めた道を進むことです。
目標を今年のワールドカップではなく、8年後(期限)ワールドカップでベスト4(あるべき姿)になると決めたら、今日からジュニアの練習を全国で徹底しなければなりませんし。
日本A代表も18歳~22歳のチームを作って、5年間は連戦連敗を受け入れる覚悟が日本サッカー界全体にあるかどうか、そこまで腹をくくれるかが、本当の意味での試金石になると思います。
1984年の欧州選手権でグループリーグ敗退に終わり、地に落ちたドイツ代表を引き受けたのは、皇帝ベッケンバウアーその人です。
彼は、自身の信じた選手達で固定したチームを作り、試合に負け続けた時期に協会や世論からの逆風も腹に仕舞って、6年の歳月をかけてチームを成長させ1990年のイタリア大会で世界一の栄冠を手にしたのです。
(1986年大会でも準優勝したが、本人は想定外だったと告白しています)
熱しやすく冷め易いといわれる日本人に、本当にこんなことが出来るのでしょうか?
個人的には、現在の日本の環境を考えると、限りなく不可能と思われ、小手先だけの「自称強化」を繰り返す日本のサッカーには強い思い入れを持てそうにありません。
私達の好きなオーディオの世界では、どうでしょうか。
時々の音に一喜一憂をし過ぎてはいないだろうか?
小手先だけの「良い音になった」や「変化」だけに囚われ過ぎてはいないだろうか。
スピーカーが成長する過程で訪れた友人に 「どうだ!おれんち酷い音だろう」って、胸を張って言えますか?
続いて、心の中で「5年後に来たら腰を抜かすだろうけどね」と付け加えられるといいのですが・・・
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今回は、完結編ですが、殆どの方は先読みされているでしょうし、内容もこれまでの記事の繰り返しになりかねないので少々路線を変更します。
これは、会社員時代に上司に、繰り返し教わったことです。
① 目標とは、あるべき姿を明確にすること。それをいつまでに達成するか期限を定めること。この2点を持って目標とする。
② 計画とは、現在の姿とあるべき姿のギャップを知ること。そのギャップを埋める為に日々何をすべきかを決めること。
③ あとは、成果が出るまでは腹を決め、途中は苦しくても続けること。
サッカーで言うと、強国と日本の現状のギャップ(私はトラップの差だと思う)を知り、その差が埋まるまでは目先の試合の勝ち負けに左右されることなく、「今に見てろよ」と、歯を食いしばり決めた道を進むことです。
目標を今年のワールドカップではなく、8年後(期限)ワールドカップでベスト4(あるべき姿)になると決めたら、今日からジュニアの練習を全国で徹底しなければなりませんし。
日本A代表も18歳~22歳のチームを作って、5年間は連戦連敗を受け入れる覚悟が日本サッカー界全体にあるかどうか、そこまで腹をくくれるかが、本当の意味での試金石になると思います。
1984年の欧州選手権でグループリーグ敗退に終わり、地に落ちたドイツ代表を引き受けたのは、皇帝ベッケンバウアーその人です。
彼は、自身の信じた選手達で固定したチームを作り、試合に負け続けた時期に協会や世論からの逆風も腹に仕舞って、6年の歳月をかけてチームを成長させ1990年のイタリア大会で世界一の栄冠を手にしたのです。
(1986年大会でも準優勝したが、本人は想定外だったと告白しています)
熱しやすく冷め易いといわれる日本人に、本当にこんなことが出来るのでしょうか?
個人的には、現在の日本の環境を考えると、限りなく不可能と思われ、小手先だけの「自称強化」を繰り返す日本のサッカーには強い思い入れを持てそうにありません。
私達の好きなオーディオの世界では、どうでしょうか。
時々の音に一喜一憂をし過ぎてはいないだろうか?
小手先だけの「良い音になった」や「変化」だけに囚われ過ぎてはいないだろうか。
スピーカーが成長する過程で訪れた友人に 「どうだ!おれんち酷い音だろう」って、胸を張って言えますか?
続いて、心の中で「5年後に来たら腰を抜かすだろうけどね」と付け加えられるといいのですが・・・
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
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サッカー日本代表で 日本のオーディオを考える
今日のサッカーの代表戦は、厳しい試合だったようですね。
僕はレコードを聴いていたので試合は見ていないのですが、夜半に時間があって、オーディオ以外のブログも見ていたらその代表戦について辛口コメントが沢山あって、つい読んじゃいました。
僕自身のサッカー経験は、いにしえの「ダイアモンド・サッカー」以来、ウン十年も見てきたことだけで、全くの素人ですから、今日はカッテなことを書いてしまいますが、狂った奴だとお許し下さい。
ただし、あちらの世界もオーディオの世界と全くといって良いほど似た状況のようでしたから、「これは良い比較人類学」のテキストになるだろうと思いたったので書いて見ます。
さて、昨晩の試合を受けて、サッカーファンの方達のブログの論旨は概ね次の内容が多数を占めています。
① 協会の指導力がない。
② 岡田監督は限界、リスクを犯しても監督交代。
③ 戦術が間違ってる。あるいは、意図が見えないなど。
④ この選手はダメだ。もっと別の選手を使え。
⑤ 根性が足りない。戦う気持ちが感じられない。
ほぼ、こんな感じでしょうか。
これって、ほとんど「サッカー界における横の変化」のことばっかりだね。
「縦の変化」=実力の強化、には繋がってないような気がするですよ。
以下は、全くの私見だから、専門家の人から突っ込まれても言い返せないことを先に断わっておきますが・・・
強国の代表選手と日本の選手の一番の相違点は、「ボールを止める技術=トラップ技術」の差だと思うんです。
日本に限らず、欧州でもパスを受けたボールをきちんと収めることが出来ないチームは強くなれないようです。
その弊害は、
① 当然ボールが体から離れるので、詰められた相手にチェックされる。
② パスを出す選手も、自分の取れないボールを相手に送ると可哀想だからと、遅いパスを出す。
③ すると、ゆっくりパスの時間で相手に詰められて、苦し紛れのプレーでボールを取られる。
逆に 超一流の選手は止めるだけではなく、次のキックに最適な場所に置くことが出来るから、相手にチェックされる前にプレーしている。
強国の試合を見ると、シュートのような速さのパスをいとも簡単にピシッと止めている。
以前に、引退した中田選手のパスを「取れるものなら取ってみろ!」のようなパスだと解説されていたけど、中田選手は、日本のパススピードでは世界に通用しないことを判っていたんだね。
それを、あんな惚けた解説をする専門家がいるのだから、この問題は根が深い。
ですけど、最もベーシックなスキルが不足しているのに、
この一点を積み残して、戦術だの、選手選考だのといっても、どのように変えたところで大きな変化は無いってことですよ。
現場の監督や選手達が精一杯頑張っているのは当然なんですから、その人たちにムチを打っても仕方の無いことです。
これは、システムの問題ですから表面をどうこうするのではなく、根底を変えて苗木から育てなければ綺麗な花は咲きません。
では、縦の変化を加えるにはどのようにしたら良いかという、具体策です。
これは、(何でも同じですが)教育しかありません。
日本の代表を見るとき、いつも思い出すのは1994年アメリカW杯の欧州予選で、当時前評判の高かったフランス代表が欧州予選で敗退し、ワールドカップに出場できなかった後のことです。
また、1990年にイタリア大会で優勝した後、暗黒の時代を迎えたドイツも同様の手を打ちました。
彼らは、本当に心底失望し、しかし直ぐに強化の方向付けを行いました。
① ジュニアの組織的な育成
② 両国とも白人のチームであったが、有色人種を登用したこと。
その他、トータルのプロジェクトを推進し、両国とも世界の桧舞台で好成績を残しました。
日本には、殖民地が無いので②はあまり現実的ではありませんが、①は出来る可能性があります。
日本では、クラブチームより学校の部活でサッカーに親しむ子供が多いのでしょうから、ドイツなどより難しいでしょうが、
日本サッカー協会から、ジュニア(幼稚園、小中高校)に対して指導要綱を徹底させることですね。
◇ 練習の開始時には1時間、トラップの練習を強制する・・・みたいな。 もちろん具合的な方法論を付けて。
抜き打ち検査して、従わないところは、試合をさせないとか、強行手段に出てでもやらせる。
どうも日本人というのは、器用なものですから、なんとなく上手く出来ちゃう。
けれど、プレッシャーの弱い状態で上手く出来ちゃうものだから、「反復練習」や、「強制」を嫌うんでしょうね。
すると、パンも買えない様な暮らしでサッカーできなきゃ生きてゆけないなんて超ハングリーな選手から死に物狂いでプレッシャーを掛けられるとパニックになっちゃってますね。
また、高校なんかだと、スポーツの成績が経営に強く影響する為、ファンタスティックな試合をして、より大きく羽ばたくための基礎を教えきれていないように思えるのは私だけでしょうか?
「国立のスター」は多いが・・・人生は卒業してからの方が長いよ。
兎に角、ジュニアの世代から、国家的(サッカー協会全体の)プロジェクトとして徹底的に反復練習をさせる以外に、ワールドカップベスト4なんて夢物語は、寝言でも口にしてはいけないと・・・決めましょう。
実際、フランスはたった4年後の1998年の自国開催大会で見事に優勝しています。
実はね、そのフランス大会は日本が始めて参加した大会です。しかも、岡田監督。
結果は、当然ですがなす術も無く予選敗退でした。
あの時点で、何故フランスが4年間で復活を遂げたのか、そのところを勉強して来るべきでした。
そうしていれば、今年の南アメリカ大会は12年後ですから、本当にベスト4を狙えたことでしょう。
いやー、サッカーの話で過去最長の文になってしまった。
でも、感の鋭い人はどうオーディオと繋がるのかは、もうお気付きですよね。
次回その観点で続きます。
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僕はレコードを聴いていたので試合は見ていないのですが、夜半に時間があって、オーディオ以外のブログも見ていたらその代表戦について辛口コメントが沢山あって、つい読んじゃいました。
僕自身のサッカー経験は、いにしえの「ダイアモンド・サッカー」以来、ウン十年も見てきたことだけで、全くの素人ですから、今日はカッテなことを書いてしまいますが、狂った奴だとお許し下さい。
ただし、あちらの世界もオーディオの世界と全くといって良いほど似た状況のようでしたから、「これは良い比較人類学」のテキストになるだろうと思いたったので書いて見ます。
さて、昨晩の試合を受けて、サッカーファンの方達のブログの論旨は概ね次の内容が多数を占めています。
① 協会の指導力がない。
② 岡田監督は限界、リスクを犯しても監督交代。
③ 戦術が間違ってる。あるいは、意図が見えないなど。
④ この選手はダメだ。もっと別の選手を使え。
⑤ 根性が足りない。戦う気持ちが感じられない。
ほぼ、こんな感じでしょうか。
これって、ほとんど「サッカー界における横の変化」のことばっかりだね。
「縦の変化」=実力の強化、には繋がってないような気がするですよ。
以下は、全くの私見だから、専門家の人から突っ込まれても言い返せないことを先に断わっておきますが・・・
強国の代表選手と日本の選手の一番の相違点は、「ボールを止める技術=トラップ技術」の差だと思うんです。
日本に限らず、欧州でもパスを受けたボールをきちんと収めることが出来ないチームは強くなれないようです。
その弊害は、
① 当然ボールが体から離れるので、詰められた相手にチェックされる。
② パスを出す選手も、自分の取れないボールを相手に送ると可哀想だからと、遅いパスを出す。
③ すると、ゆっくりパスの時間で相手に詰められて、苦し紛れのプレーでボールを取られる。
逆に 超一流の選手は止めるだけではなく、次のキックに最適な場所に置くことが出来るから、相手にチェックされる前にプレーしている。
強国の試合を見ると、シュートのような速さのパスをいとも簡単にピシッと止めている。
以前に、引退した中田選手のパスを「取れるものなら取ってみろ!」のようなパスだと解説されていたけど、中田選手は、日本のパススピードでは世界に通用しないことを判っていたんだね。
それを、あんな惚けた解説をする専門家がいるのだから、この問題は根が深い。
ですけど、最もベーシックなスキルが不足しているのに、
この一点を積み残して、戦術だの、選手選考だのといっても、どのように変えたところで大きな変化は無いってことですよ。
現場の監督や選手達が精一杯頑張っているのは当然なんですから、その人たちにムチを打っても仕方の無いことです。
これは、システムの問題ですから表面をどうこうするのではなく、根底を変えて苗木から育てなければ綺麗な花は咲きません。
では、縦の変化を加えるにはどのようにしたら良いかという、具体策です。
これは、(何でも同じですが)教育しかありません。
日本の代表を見るとき、いつも思い出すのは1994年アメリカW杯の欧州予選で、当時前評判の高かったフランス代表が欧州予選で敗退し、ワールドカップに出場できなかった後のことです。
また、1990年にイタリア大会で優勝した後、暗黒の時代を迎えたドイツも同様の手を打ちました。
彼らは、本当に心底失望し、しかし直ぐに強化の方向付けを行いました。
① ジュニアの組織的な育成
② 両国とも白人のチームであったが、有色人種を登用したこと。
その他、トータルのプロジェクトを推進し、両国とも世界の桧舞台で好成績を残しました。
日本には、殖民地が無いので②はあまり現実的ではありませんが、①は出来る可能性があります。
日本では、クラブチームより学校の部活でサッカーに親しむ子供が多いのでしょうから、ドイツなどより難しいでしょうが、
日本サッカー協会から、ジュニア(幼稚園、小中高校)に対して指導要綱を徹底させることですね。
◇ 練習の開始時には1時間、トラップの練習を強制する・・・みたいな。 もちろん具合的な方法論を付けて。
抜き打ち検査して、従わないところは、試合をさせないとか、強行手段に出てでもやらせる。
どうも日本人というのは、器用なものですから、なんとなく上手く出来ちゃう。
けれど、プレッシャーの弱い状態で上手く出来ちゃうものだから、「反復練習」や、「強制」を嫌うんでしょうね。
すると、パンも買えない様な暮らしでサッカーできなきゃ生きてゆけないなんて超ハングリーな選手から死に物狂いでプレッシャーを掛けられるとパニックになっちゃってますね。
また、高校なんかだと、スポーツの成績が経営に強く影響する為、ファンタスティックな試合をして、より大きく羽ばたくための基礎を教えきれていないように思えるのは私だけでしょうか?
「国立のスター」は多いが・・・人生は卒業してからの方が長いよ。
兎に角、ジュニアの世代から、国家的(サッカー協会全体の)プロジェクトとして徹底的に反復練習をさせる以外に、ワールドカップベスト4なんて夢物語は、寝言でも口にしてはいけないと・・・決めましょう。
実際、フランスはたった4年後の1998年の自国開催大会で見事に優勝しています。
実はね、そのフランス大会は日本が始めて参加した大会です。しかも、岡田監督。
結果は、当然ですがなす術も無く予選敗退でした。
あの時点で、何故フランスが4年間で復活を遂げたのか、そのところを勉強して来るべきでした。
そうしていれば、今年の南アメリカ大会は12年後ですから、本当にベスト4を狙えたことでしょう。
いやー、サッカーの話で過去最長の文になってしまった。
でも、感の鋭い人はどうオーディオと繋がるのかは、もうお気付きですよね。
次回その観点で続きます。
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Deccaのレーベルについて Stereo初期 外伝
いつも楽しく読ませていただいている。メタボパパさんのブログ「メタボパパのオーディオ奮闘記」に、前回のRCA編に続いてDeccaレーベルの変遷が始まりました。
RCAは私にとっては広い海を地図無しで彷徨う状態でしたので大変に参考になりました。
そのRCAは私自身ほとんど手持ちがなかったので、勉強させて頂く一方でした。
今回はDeccaのステレオ初期とのことで、メタボパパさんの記事に乗っかるようで恐縮ではありますが、お節介なコラボを気取って、WBGの外溝盤を少しこちらで紹介させて頂きます。
古いDeccaのジャケットやリブレットには(恐らく)印刷の年号と思われる年月がありますが、1959年頃のリリースまでに外溝のプレスが存在していたように考えられます。
Decca SXL 2031-2 Wagner Die Walkure Act3 SOLTI VPO KIRSTEN FLAGSTAD (1957)
(タイトルの後の年号はリブレットに記載の物です。レーベルには1958とありますので、リブレットの印刷だけ早く上がっていたのでしょうか?)
その後に続くリング全曲録音のパイロット版として製作されました。
さて、オペラのような組み物では、外溝盤が2枚に中溝盤が1枚というように混在しているセットも少なくありません。
こうしたセットの場合には、実際的には少々困った現象がおきます。
メタボパパさんが書いておられる「若い番号の物ほど空気感が澄んでいる感じが際立つ」は仰る通りで、僕は楽器の乾いた薄い板の感じと聴いている特長が外溝はより強く聴こえるのです。
対して中溝(GG)盤は、もう少しツヤっぽいというか、滑らかな特徴を持つように感じますので、オペラを聴いている途中で少なからぬ音調の変化が生じます。
何気なくレコードを乗せ換えたときなどは「ちょっと、どっきり」します。
注意しなければならないことは、60年前の英国の製造物ですから、現代の日本の製造管理の常識をそのまま当てはめることは無理があるようです。
収録して、編集し、マスターを上げてカッティングにまわす。それと平行してレーベルの発注やジャケットのレイアウトを決めるのでしょうが、どこかの行程で遅れが発生した場合は、コレクターが指標とする「決まり事」にズレが出て所謂「例外盤」も出荷される場合があります。
マトリックス番号の後のマスター番号が同じでも、外溝と中溝が存在します。
恐らく、スタンパーの形状の違いだろうと想像できますね。
Decca SXL 2101-3 Wagner Das Rheingold SOLTI VPO (1958)
確かに、パンケーキ盤やナイフエッジ盤は盤面のスレに対しては脆弱ですので、スタンパーの交換時期に合わせて順次GG盤の中溝へと置き換えられていったようです。
何故中溝に変わったのでしょうか?
これは、私の超々カッテな想像ですが、3枚の写真に見られるように、外周の文字が溝で潰されて読みにくく、見苦しくなってしまっています。
中溝はSXLになって始めての採用です、デザイン的に文字情報の少ない場所を選んだのではないかと踏んでいますが、どうでしょうか?
さて、手持ちの中で一番遅い外溝盤は
Decca SXL 2129-30-1 Verdi Il Trovatore Erede Tebaldi Der Monaco (1959.4)
SXLの外溝盤は所有の全てが、所謂ナイフエッジ盤でした。
では、ステレオのパンケーキは存在しないのでしょうか?
そんなことは無く沢山プレスされていますが、その話題はまた回を改めてご紹介します。
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RCAは私にとっては広い海を地図無しで彷徨う状態でしたので大変に参考になりました。
そのRCAは私自身ほとんど手持ちがなかったので、勉強させて頂く一方でした。
今回はDeccaのステレオ初期とのことで、メタボパパさんの記事に乗っかるようで恐縮ではありますが、お節介なコラボを気取って、WBGの外溝盤を少しこちらで紹介させて頂きます。
古いDeccaのジャケットやリブレットには(恐らく)印刷の年号と思われる年月がありますが、1959年頃のリリースまでに外溝のプレスが存在していたように考えられます。
Decca SXL 2031-2 Wagner Die Walkure Act3 SOLTI VPO KIRSTEN FLAGSTAD (1957)
(タイトルの後の年号はリブレットに記載の物です。レーベルには1958とありますので、リブレットの印刷だけ早く上がっていたのでしょうか?)
その後に続くリング全曲録音のパイロット版として製作されました。
さて、オペラのような組み物では、外溝盤が2枚に中溝盤が1枚というように混在しているセットも少なくありません。
こうしたセットの場合には、実際的には少々困った現象がおきます。
メタボパパさんが書いておられる「若い番号の物ほど空気感が澄んでいる感じが際立つ」は仰る通りで、僕は楽器の乾いた薄い板の感じと聴いている特長が外溝はより強く聴こえるのです。
対して中溝(GG)盤は、もう少しツヤっぽいというか、滑らかな特徴を持つように感じますので、オペラを聴いている途中で少なからぬ音調の変化が生じます。
何気なくレコードを乗せ換えたときなどは「ちょっと、どっきり」します。
注意しなければならないことは、60年前の英国の製造物ですから、現代の日本の製造管理の常識をそのまま当てはめることは無理があるようです。
収録して、編集し、マスターを上げてカッティングにまわす。それと平行してレーベルの発注やジャケットのレイアウトを決めるのでしょうが、どこかの行程で遅れが発生した場合は、コレクターが指標とする「決まり事」にズレが出て所謂「例外盤」も出荷される場合があります。
マトリックス番号の後のマスター番号が同じでも、外溝と中溝が存在します。
恐らく、スタンパーの形状の違いだろうと想像できますね。
Decca SXL 2101-3 Wagner Das Rheingold SOLTI VPO (1958)
確かに、パンケーキ盤やナイフエッジ盤は盤面のスレに対しては脆弱ですので、スタンパーの交換時期に合わせて順次GG盤の中溝へと置き換えられていったようです。
何故中溝に変わったのでしょうか?
これは、私の超々カッテな想像ですが、3枚の写真に見られるように、外周の文字が溝で潰されて読みにくく、見苦しくなってしまっています。
中溝はSXLになって始めての採用です、デザイン的に文字情報の少ない場所を選んだのではないかと踏んでいますが、どうでしょうか?
さて、手持ちの中で一番遅い外溝盤は
Decca SXL 2129-30-1 Verdi Il Trovatore Erede Tebaldi Der Monaco (1959.4)
SXLの外溝盤は所有の全てが、所謂ナイフエッジ盤でした。
では、ステレオのパンケーキは存在しないのでしょうか?
そんなことは無く沢山プレスされていますが、その話題はまた回を改めてご紹介します。
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