Akustisch vom Zimmer(室内) Der Klang vom Theater (ドイツ~劇場の音と音楽)
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日本式オーディオとの決別 〜 ルームアコースティック編

高校(高大の一貫校です)に入ってすぐの頃、同級生にオーディオの好きな人がいて
悪い人間じゃ無いんだけれど、ちょっと極端な・変な宗教にでも逝きそうな人っぽくて

「オーディオの究極はレコードに記録された音を何も変化させずそのまま出す事だ!!
ホールでの収録ならば残響は一緒に入っているから部屋の響きは邪魔なだけで無響室が理想だ」


と彼は言った

1970-80年代の「ストレートワイヤー with ゲイン」だとか「原音再生」なんてもっともらしいワードがオーディオ雑誌に踊りアメリカでは「Hi-END」の掛け声と共にブレナー(静電型衝立)スピーカーが流行り出した懐かしい時代だ

魚に限らず、卵や肉ですら生食を是とする日本人は音に対しても「鮮度」「無色」という概念が好きで「色つけの無い原音再生」は他民族よりも強く心に刺さったことは想像に難く無い



その後、彼は土木コースに行き私は電気コースに進み最終年はゼミに参加することになる
私のゼミは音響の実験設備があるのでそれを希望した訳だが、無響室を自由に使える環境を手に入れて自分のスピーカーを持ち込んでは測定などと卒論とは関係ないような遊びに没頭した

ある時、件のオーディオ好きの彼のことを思い出し「君、無響室が理想って言ったろう、うちの研究室にあるから体験させてあげるよ」と誘ってみた

無響室へ入ってから10秒もしないうちに叫び出して救出を懇願し、白い顔のまま転がる様に這い出してきた

一応書き添えておくが、人間は無響室に10分も入れられると半狂乱になってしまうほど神経を病む、いくら実験と言ってもこの私だって無響室に入るのは大嫌いだった




そんな経験もあって卒業から十余年ほど経って自分の家を建てる際に「防音室」は計画から除外した

深夜に周りの迷惑になるなら聞かなきゃ良いじゃん、けど昼間は大丈夫!これぞ田舎暮らしの特権でぃ
何より自分にとって居心地の良い部屋で過ごす以上のプライオリティをオーディオに与える事は想像もできなかった
(少々の隙間風が吹く方が音にも人間にも良さそうだと考えが及び、もしJazzやPOPsを中心に聴くなら和室一択とする)




VE(ビクター・エンターテイメント)のNマスタリングセンター長とは長く親しくさせて頂いたが、印象深い会話がある

「マスタリングやカッティングの技術者の腕の差はなんだと思う?」

「いい音のディスクを作れるなんておバカな答えじゃ無いですよね」

「もちろん! 購入者がどんな環境で聞くかを想像し、その環境で最大限、演奏会場(収録時)の雰囲気を再現できる。ってことじゃ無いかな」

「それだと、ユーザーの家の環境で変わるんじゃ無いですか?」

「当然だ、だが、どんな音作りをしてもそれは同じことでしょ」

「英国で育った人は無意識に英国の住宅事情を想定してマスタリングするって事ですね」

「全てがそうとは言い切れないけれど、生まれ育った環境は音の感性に影響を与えて然るべきだよね」

「そりゃあ、同じアルバムでもマスタリングやプレスの国が変われば音が異なるのは当たり前ですね」



今なら「無響室が理想だ」なんてイキった同級生がいても簡単に迎撃できる

レコード制作の現場にはそんな(無響室で上手く鳴る様なレコードを作る)バカ野郎はいないんだ


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デコラ発売当時のカタログより
日本人の感覚だと「カタログみたいな立派な家で使えるわけじゃない」と憤慨するが、1958年の英国でデコラを買えるクラスの人達からすれば「我家はこんな質素な部屋じゃねーぞ」と憤慨した事だろう


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キッチンや玄関ホールなどとフロア続きで広大な空間に置かれたO先生のお宅。見事な普請と形状とエアヴォリュームにより「ルームチューン」なしに空間にオーケストラが忽然と現れる
(GRFさんのブログからお借りしました)

比べてフリースタンディングに置かれた我が家の居心地の悪そうなデコラは、随分と縮こまった音だが仕方なし
強靭な床と背後の壁がこの古い英國謹製電蓄を上手に鳴らす必要条件だ、蓄音器もそんな環境ならビックリするほど朗々と鳴る


理由は明確
レコードもオーディオセットもその様な結果とすべく意図を持って作られているから





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一時反射の対策 結局どうなったのか?

まあ、先に結論だけ申し上げると、大した対策はしないことになりそうだ。

僕はやはり楽器にしても人の声にしても一点から発音して欲しい派だから拡散するよりも集中して欲しい。
だから、右側に設置した「スカイライン風拡散板」は撤去した。

左側のガラス面に反射するだろう音に関しては、スピーカーの角度を上手に調整することで多少の改善が認められるようになった。
そこで、現状は

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ガラスにfo.Qを少し貼って自由振動を抑えようと試みた。が、これしきでは変化は認められないので、気休め。

そこで先日購入したフェルトをガラス面を覆うように垂らしてみる。
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これは明らかに変化がある。(見た目はもう少しなんとかしたいが・・・)
ヴァイオリンやソプラノの定位は明らかに落ち着く。
ただし、前回記事にしたように音自体は少々「角が取れて」大人しくなる傾向にあった。
どちらの要素を高いプライオリティにするのか、あるいは別の対策を講じて中和させるのか・・・長い時間をかけて見極めて行こうと思っている。



はい、物理現象のお話はここまで。

ここまでの実験を踏まえて、みたび確信した。

アンプやスピーカーには、増してコードやインシュレーターにだって「音や音楽」は一音も存在しない。
布一枚の有る無しだって出てくる音は評価を逆転するほど変わるのだ。

結局、使う人間の脳がどのように認識して、どんな判断を下すのか?オーディオとは他にやり様のない遊びだ。
もう一点足すならば、QRD拡散板が大変に良い結果であったとしても、これを部屋中に張り巡らせたような機能的な内装はあまり好まない。
これも個人的な大脳の判断=趣味の範疇になる。(つまりそういったイメージの内装が好きという人もいるだろう)


どれ程良い音を聴いてもそれを良しとしなければその音を手にする事は出来ないし、悪い音を良しとしたのではいよいよ悲惨な結果を招く。
販売店が納品した時点の音がその家のレコード・ハイで、日が経つほどに悪化するなんて事例も少なからず見受ける由縁である。

だからこその「音は人也」であって、機械のチューニングなんかほって置いても、益々脳のチューニングに注力しなければ我が家の音(音楽)も立派にならないだろうなと、ふんどしを締めなおした次第。






一時反射音の処理実験 その2

左右のスピーカーからそれぞれの側壁までの距離が不均衡であり、特に高域にて定位が定まらない(様な気がする)という懸念に対して吸音・拡散の実験を始めたというのが前回の記事。で、今日はその続き。



僕がオーディオ(再生音)で気を配ることは幾つかあるが
スピーカーユニットから、直接音を聴いているような印象を受ける事は何としても避けたい。
音像は常にスピーカーとは無関係に数10メートル彼方にあって、悠々と音楽を奏でてもらいたいと願っている。




さて、仮の設置であるが対策をして一通りSymfonieやOperaを聴いて、なるほど音離れが増してソロ楽器も全体に溶け込むように感じられた。

その状態の音を聴きながら以前にお伺いしたお宅で、壁という壁にQRD拡散板のような(ただし桟のピッチが同一なので効果は異なるのかもしれないが)板が所狭しと張り巡らされた部屋で聞かせて頂いた時の音を思い出した。
もちろん、板は斜めに組まれて定在波も考慮してあった。

POPS系の音楽が中心だったが、さすがに響きの廻りが良く歌手がそこに立っていると言うよりも、歌声自体が室内中に放出される感じがしてこのような音の世界もあるのだと感心した経験が甦った。
前項でamberさんが音像の存在を感じにくくなった。と仰った感覚に近いのだろうか?

おそらく、唇がマイクに触れるような近接した録音方法に寄る処、大であったろう。
マイクから音源まで距離のあるクラシックの録音では、畢竟、音源は小さくなり、方向感や音像の定位をより強く感じるのは道理だろう。

仮設とはいえ、一時反射の対策をした音は、何となく上記のお宅の雰囲気に近い印象になる。
そんなことを考えながらもう一度ホロヴィッツをかけて見た。

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最近の自分トレンドで、80年代のデジタル時代のLPも買い始めた。その辺りの事情はまた別の機会に。



結論から申し上げると、
表現は難しいのだが「角を矯めた・・・」というのだろうか、僅かな変化だけれど優等生の音になったように感じるのだ。

では、「優等生の音」とはなんだろう、
少し古い話でしかも別のピアニストのエピソードで分かりづらく恐縮だが、名ピアニストのA・コルトーさんがショパンコンクールの審査員をしていたときのこと。
同年ブッチギリで優勝したのはテクニックで鳴るM・ポルリーニくんだった。

コルトーさん曰く、
「僕が一晩ピアノを弾けば、弾き逃した音を集めて1曲できるだろう。
その点ポルリーニ氏は1音たりともミスタッチをしなかった。だけどねえ、僕の音楽にはポエムがあるんだよ」
(薄い記憶で、意味だけをお伝えします)

コルトーさんやホロヴィッツは現代のコンクールに出たら驚かれ、尊敬されるかもしれないが優勝は出来ないのじゃないかな。
優等生の音はその反対で、ソツが無くて踏み外さないって感じ。


これを確認したくて、左右の対策を入れ替えたり、外したり。
この他のそれっぽい材料を見繕って貼り付けたりして、また音楽を聴いてみた。
おかげで、およその原因と結果の因果は把握できたように思う。その話はまた次回に譲ろう。






吸音か拡散か? 一時反射地点の処理の実験

まずはこの写真をご覧いただきたい。

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右側のスピーカーと側壁との関係。


そしてこちらが左側。

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このようにユニットから構造物までの距離が異なる。

普段音楽を聴いていて、例えばヴァイオリンコンチェルトのソロヴァイオリンがffで頑張った時に左側に引っ張られるきらいがあるように感じてしまう。(視覚情報による思い込みかもしれないが・・・)

この「気がする」の原因を左側の一時反射音が右より若干早く到達するからじゃないかと疑い始めたら居てもたっても居られなくなった。
丁度外出する機会があったので、すっかりお得意様になった「Tokai」(大手の手芸洋品店)に寄ってみた。
とりあえず反射音のレベルを下げる為に厚手の生地を手配しようという魂胆である。

ちょっと予定より高かったけれど、これぞ「ブリティッシュ・グリーン」「モス・グリーン」といった見事な風合いのフェルトがあったので勢いで買ってしまった。

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写真ではどうしようもないけれど、幾色も折り重なった見事な霜降り。

しかし、買っては見たけれど、充分な効果を得るには「何処」に貼ればよいのだ?
背中に冷たいものが走る頃、忽然と救世主は現れた。いつも読ませて頂いているamberさんのブログに反射位置の見つけ方がアップされていた。ああ、ありがたい。

そちらの記事に添って鏡+レーザービーム方式で調べた処、上の写真の丁度飾り棚のガラス面とピッタリだと判った。
ガラスで反射なんて、ついていない。そりゃ高音の音圧が上がりそうだ。と早速フェルトを掛けて見た。

おおお、何となく(元々何となくでスタートしたから結果も何となくで充分だ)ヴァイオリンやソプラノがオーケストラの中に溶け込んだような気がするぞ。

これに気を良くして、amberさんの御指示にさらに従い、右側は吸音せずに拡散を狙って以前に試作した「スカイライン風拡散板」を貼ってみた。

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左右の条件の違いを気にしたが、元より違う条件を是正する為なのだからと、半分期待で聴いてみた。

おおおおお!またまた、スピーカーから音離れが良くなってモノラル的に(僕は左右へ広がるのはダメで奥行き優先なのでモノラル的ステレオは大歓迎)中央への集中力が高まったように感じた。
amberさんは「スピーカーや音像の存在が消えるよう。」と書いておられるけれど、感じ方の表現が異なるにせよ同じような変化を感じ取ったのではないかと思っている。



と、ここまでの処は上々の滑り出しであった。
その後もう少し聴いていると少々変化が出てくるのだが、それはまた次回の記事で。




スカイライン風QDRパネルを聴いてみた・・・けど

さて、ナメテかかった天井付けタイプのQRDディフューザーの製作ですが、時間は食うわボンドは無くなるわで昨日は製作を中断して出来た分だけで音楽を聴いて見ました。


大体において「試聴」ってことをした事が無い人間なので、特に何を聴くか決まっているソフトなどはありません。
そんでもって、昨日まで聴いていたDECCAの「ジークフリート」ショルティ盤が出しっぱなしだったので、これを聴きます。
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DECCAのリングシリーズの録音としては2作品目で、確か1962年頃ですね。
この次の「神々の黄昏」からオーストリー製の新型録音機材を導入したので、これはDECCAとしてはモノラル時代からの継承で使われてきた旧世代に属する機材で収録した物。

最近のクラシック録音に見られるような風呂場エコーとは随分異なる印象です。
楽器自体の音はクリアーに捉え、ゾフェインザールの豊かなのに明るめの残響音が後方、上方に立ち昇るといったThat's DECCA録音でしょうか。
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まずは昨日の写真の通り頭の後ろへ・・・

なーーんとまあ!
随分と聴いた感じが変わるものです。

どこかのサイトなら「激変」っていうところですね。
しかし、変化=良い状況という訳では無いのがオーディオの辛いところです。

細かい話は置いといて、続いて「天井型QRD」といえば定番の天井へ付けてみました。
スピーカーと人間の中間の一時反射するであろう辺りの位置です。
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まだ1個しか作っていないので、センターに着けました。

全体のイメージを申し上げると、特定の周波数を反射して、更に高い周波数は吸収するように聴こえます。

反射の具合は結構広い周波数にわたる様で、見方を変えると「音源」と捉える事もできそうです。
つまり、自分の後ろに置くと、マルチのリアスピーカーのごとく発音体のような印象と言えます。天井付けでは天井に埋め込んだスピーカーのように、ってことですね。

このように、ディレイ成分の音が聴こえることで、残響の乗り方が変わったのでしょう。
しかしながら、今回はこの現象は問題点が目立ってしまいました。

簡単に纏めると
① 前方に定位する楽器や声に残響音がまとわり付いて聴こえる
② 方向の情報がグタグタになるらしく、音像が一斉に手前に押し寄せてくる。
③ 高音成分が減ずるので、丸みを帯びた音色に変化するようだ。
つまり、自分としては相当困った方向に激変してしまったのです。

ただし、これは私の装置と部屋において私の好みで聴いた固有の印象であることをお断りしておく。
また、既製品の「スカイライン」は同じ発砲スチロール製ながら、一体成型のようだが、この試作品は数多くの部品を張り合わせているので、隙間で吸音したり反射の状態も相当違うと考えられることも付け加えておきたい。
加えて、我が家の室内環境もご覧の通り本邦では特殊な「超デッドエンド・ライブエンド」であることも忘れずに頂きたい。

では上に挙げた3項目で、試作QRDの無い場合の特徴を(やや無理やり)表現すると。

① 楽器の音が立ち消えるとその上方に香るように残響音が立ち登り、消え入るように、楽器の音にエコーが被らないで欲しいですね。
最近の録音は、元々残響音が楽音に重なる感じのするものもあるが・・・

② オペラともなると120人からの演者の共同作業である。
その全員が前へ前へと押し寄せてもらっては、舞台上が混雑していけない。
120人はそれぞれの割り当てられた位置に居て欲しいし、楽器を持ったまま駆け寄って来ないのが普通だ。

繰り返しになるが、別のジャンルの音楽鑑賞では音を前に出す事を念じて聴いておられる方も見える、そんな場合にはQRDは有効と言えるかも知れない。

③ ドイツのアンプやスピーカーを使っていて、唯一「らしいな」と思わせるのがドイツ語の「ツェッ」とか「シュッ」という発音の鋭さだと思っている。
この特徴は場合によりヴァイオリンの高域でささくれ立つような鋭さと聴こえることもある。
一方、これまでに僕が使ったALTECやWEは比較するとやや丸く(太く)なるが、そこが長所でソプラノやヴァイオリンの最高音でトゲが刺さらずに心地よい。

試作QRDを使うとうちのスピーカーでの最高域が少々大人しくなる傾向がありそうだ。
これも、欠点とは言えない。
むしろ、ヴァイオリンの高音をまろやかにしたいと願う人は少なくないだろうから「美点」と言っても良かろう。


使ってみた感じは以上です。

このQRDは元来ホールでの使用を前提として設計されています。
よって、予め残響成分を含んで録音されているクラシックのレコード再生においては、残響音の扱いをより複雑にしているように思いました。

逆に考えると、マルチモノラルでオンマイク(又はライン入力)で収録される楽曲などでは適度な厚みと、豊かな響きが付加されて好ましい結果になる場面もあろうかと思います。


最期に、スピーカーの面より奥の床に置いて聴いてみました。
DSC03361.jpg 
仮想の音源が低い位置に出来ますので、音像が下がり、また後方に定位したまま前方に迫っては来ませんでした。
我が家では、少なくともスピーカーの面より前方(手前)に設置する事は無さそうですね。

早急に結論を急ぐ事もありませんので、もう少し聴いてみたいと思わせる変化でした。



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