EMTか SPUか それが問題だ! 白黒本番編
では、本編です
左)EMTのシェルにOrtofon SPUをセットしました
右はEMT TSD-15
この2つはコネクターの形状が異なるので同じアームでは使えません(SMEのプロトタイプだけは可能)
レコードマニアとしては簡単には比較出来ないだけに「どっちが良い音なの?」と興味をお持ちの方も多かろうと考えました
その一つの答えとしてプレーヤー以下イコライザー 、パワーアンプ、スピーカーまで固定して
ここは一丁私なりの白黒をつけてやろうじゃないか!と体当たり系ユーチューバーみたいな使命感を持って企画を考えました
フォノEQはNeumann WV-II かEMT139A モノ2台
パワーアンプはKlangfilm AD-1pp
スピーカーはKlangfilm Europa jr. klarton
レコードは
DGG フリッチャイのベートーヴェン
ETERNA コンビチニーのベートヴェン
Telefunken カイルベルトのベートーヴェン
このズッポリとドイツ臭いシンフォニーのオリジナル盤で聴き比べをしようじゃないか
え〜い、せっかくだからマニアの2、3人も呼んで感想を述べ合いその動画を取ってYou Tubeにも上げるぞー回るぞおーと夜中の2時過ぎに一人で盛り上がっていました
まずは恙無く音が出るのかを確認する為に深夜にゴソゴソと下準備を始めました
上記のEQはNeumann DSTと EMT TSD-15の出力インピーダンス24Ωのカートリッジに最適化して設計されています
そこにインピーダンス2ΩのSPUを付けたらどうなったか・・・蚊の鳴く様な小さな音しか出ません(涙)
勿論、EQアンプのゲインを上げれば音量は大きくなりますが、初段の球に入る電圧がそもそも不足しているので後から増幅してもS/N比は取れないし、音に力が乗らなくて到底まともに鳴りません
対策としては昇圧比の高いトランスでアンプに入る電圧を上げるしかありませんが、我が家のフォノEQは元々トランスが付いているので交換できません
仕様の縛りが厳しい業務用機器の世界では間違って不具合を起こさない様に用途違いの部品の混入を許さないのです
解決策はそれぞれのカートリッジにあったトランスを2種類用意し、トランス内臓でないEQアンプを使用して・・・
アホらしくなって来ました
カートリッジの音の違いを「評論」する主旨なのに、アンプの音なのかトランスの音の違いを聞いているのか分からない
また今のシステムでプリアンプを入れ替えたらその是非から判断をし直さなければいけません、全くカートリッジの聞き分けの為に自分のシステムを組み直すなんて本末転倒も・・・アホちゃうかって思ったんです
そして、もし「TSDの方が良い音だったよ」と書いたら、SPUを使っている人の方が圧倒的に多いので皆さんへそを曲げてしまうのも困るし
ォ━━(#゚Д゚#)━━!!
今回は目的は果たせなかったけれど、いろいろな事が明らかになった良い経験でした
平素から雑誌の試聴記やレビューまた購入前の店頭や持ち込試聴も「それは比較になってないだろ」と思う事多々ありまして
結局、いつもの通り機械の世界観とかストーリーが合わないとオーディオにならない!と言う曖昧な微妙な結論に落ち着きそうです
まあ、良いじゃないですか
我が家では、ブランドの好き好きには目もくれないで部品同士の相性だけで組み合わせているんです。ってのが証明できたわけだし
これもそれも、もも先生のおかげですよ、白黒付けられる文章になる様にこれからも挑戦していきます
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左)EMTのシェルにOrtofon SPUをセットしました
右はEMT TSD-15
この2つはコネクターの形状が異なるので同じアームでは使えません(SMEのプロトタイプだけは可能)
レコードマニアとしては簡単には比較出来ないだけに「どっちが良い音なの?」と興味をお持ちの方も多かろうと考えました
その一つの答えとしてプレーヤー以下イコライザー 、パワーアンプ、スピーカーまで固定して
ここは一丁私なりの白黒をつけてやろうじゃないか!と体当たり系ユーチューバーみたいな使命感を持って企画を考えました
フォノEQはNeumann WV-II かEMT139A モノ2台
パワーアンプはKlangfilm AD-1pp
スピーカーはKlangfilm Europa jr. klarton
レコードは
DGG フリッチャイのベートーヴェン
ETERNA コンビチニーのベートヴェン
Telefunken カイルベルトのベートーヴェン
このズッポリとドイツ臭いシンフォニーのオリジナル盤で聴き比べをしようじゃないか
え〜い、せっかくだからマニアの2、3人も呼んで感想を述べ合いその動画を取ってYou Tubeにも上げるぞー回るぞおーと夜中の2時過ぎに一人で盛り上がっていました
まずは恙無く音が出るのかを確認する為に深夜にゴソゴソと下準備を始めました
上記のEQはNeumann DSTと EMT TSD-15の出力インピーダンス24Ωのカートリッジに最適化して設計されています
そこにインピーダンス2ΩのSPUを付けたらどうなったか・・・蚊の鳴く様な小さな音しか出ません(涙)
勿論、EQアンプのゲインを上げれば音量は大きくなりますが、初段の球に入る電圧がそもそも不足しているので後から増幅してもS/N比は取れないし、音に力が乗らなくて到底まともに鳴りません
対策としては昇圧比の高いトランスでアンプに入る電圧を上げるしかありませんが、我が家のフォノEQは元々トランスが付いているので交換できません
仕様の縛りが厳しい業務用機器の世界では間違って不具合を起こさない様に用途違いの部品の混入を許さないのです
解決策はそれぞれのカートリッジにあったトランスを2種類用意し、トランス内臓でないEQアンプを使用して・・・
アホらしくなって来ました
カートリッジの音の違いを「評論」する主旨なのに、アンプの音なのかトランスの音の違いを聞いているのか分からない
また今のシステムでプリアンプを入れ替えたらその是非から判断をし直さなければいけません、全くカートリッジの聞き分けの為に自分のシステムを組み直すなんて本末転倒も・・・アホちゃうかって思ったんです
そして、もし「TSDの方が良い音だったよ」と書いたら、SPUを使っている人の方が圧倒的に多いので皆さんへそを曲げてしまうのも困るし
ォ━━(#゚Д゚#)━━!!
今回は目的は果たせなかったけれど、いろいろな事が明らかになった良い経験でした
平素から雑誌の試聴記やレビューまた購入前の店頭や持ち込試聴も「それは比較になってないだろ」と思う事多々ありまして
結局、いつもの通り機械の世界観とかストーリーが合わないとオーディオにならない!と言う曖昧な微妙な結論に落ち着きそうです
まあ、良いじゃないですか
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「狂気」を伝え切るオーディオ装置
長野市民40万人のうち自分以外、誰一人その違いに気付かないであろう「音の違い」の為に100万円を超える金額を消費する事こそ「キチガイ」の所業でしょうから
オーディオに使った金額を明示するだけで家族や職場の同僚から「狂気の沙汰」と名誉あるスタンプを押してもらえる事でしょう
今日はそんな正常な方々との確執のお話ではなく「狂人(失礼)=マニア」同士で意気投合できるお話です
私もご多分に漏れず随分と無駄に長い事オーディオをしてきましたが「微々たる音の違い」に何故これほどまでに巨額を払えるのか?
自分も含めてマニアの思考には大いに疑問を持っていました
で、ある時に気付いた!と言うより身勝手に自己納得をするに至ったきっかけがあります
ムラヴィンスキー レニグラード 1965年 モスクワ音楽大学 大講堂 ライブ録音
このレコードは今は無き、市内にあった知人のクラシック専門レコード店である日数枚購入した中に紛れ込んでいた1枚です
これを買った時点でオイロダインは手放していてステレオ再生はALTECの最初期のA-5システム(515 288 N500全て後ろに何も書いてないセット)でした
そのA-5で聞いてもあまり印象に残らずしばらく放置していました
その後2代目のオイロダイン(励磁電源タイプ)を購入して聞いてみましたが、やはり強い印象はなくまた何年もこのレコードは日の目を見る事なくレコード棚の中で再び長い眠りに付いたのです
1965年とありますので恐らく同じ音源らしき動画がネット上にあったので貼っておきます
この動画を見て、頬を引っ叩かれたような衝撃を感じた人はあまりいないと思います
ALTECのA-5で聞いた時の私の感想もそうでした
ところが、オイローパが少しずつその威力を発揮し出した十年ほど前に改めて聞き直してみると
これはとてつもない事が行われているぞ!
と大きな衝撃を受けました
当時のA-5が悪い音だったのではありません「これぞ町内一の音」と自負していましたし若い頃からWESTERN-Lansingラインは自分で最も好きなスピーカーの一つで、別のレコードでは背筋の凍る音も出していました
結局、レコードと再生装置のマッチングの問題だったのです
しかしオイローパによって目の前に展開されたモスクワ大学の講堂の大きさと深み、離れた位置から収録されたマイクの感じながら演者一人一人がノリに乗って動きながら演奏するさざなみの様な気配まで
演奏当日の風景がまざまざと見えた時ムラヴィンスキー とレニングラードの精鋭達が成した・・成し得た芸術の偉大さに畏怖の念を感じるに至ったのです
ああ、なるほど。
狂気に近付いたホンモノの芸術を「確かに本物じゃ」と分かるための手助けになる様な、より簡単に感覚的に狂気を感じる為にオーディオに(一見)無駄金を使って来たのだな。とひとりごち納得したのです
問題は、そこまでの演奏が入ったレコードが如何程あるのだろうか?
そして死ぬまでに自分はどれ程の狂気の入ったレコードに巡り合えるのだろうか?
自分の興味は概ねそちらに移っていきました
ケーブルや真空管や足を変えて音が変わった、良い音になった、音質向上した。という概念から距離を置いたのもその頃だったと思います
理由は簡単です
1、狂気を出せるスピーカーを持っていなければ、いくらアクセサリーやパーツを変えても出っこない
2、そのスピーカーにふさわしい環境・音源でなければ出っこない
3、4が無くて
5、最も重要な事は「狂気」の入っていないレコード(音源)でなければ出っこない
とってもシンプルになった私のシン・オーディオの始まりだったのです
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今日はそんな正常な方々との確執のお話ではなく「狂人(失礼)=マニア」同士で意気投合できるお話です
私もご多分に漏れず随分と無駄に長い事オーディオをしてきましたが「微々たる音の違い」に何故これほどまでに巨額を払えるのか?
自分も含めてマニアの思考には大いに疑問を持っていました
で、ある時に気付いた!と言うより身勝手に自己納得をするに至ったきっかけがあります
ムラヴィンスキー レニグラード 1965年 モスクワ音楽大学 大講堂 ライブ録音
このレコードは今は無き、市内にあった知人のクラシック専門レコード店である日数枚購入した中に紛れ込んでいた1枚です
これを買った時点でオイロダインは手放していてステレオ再生はALTECの最初期のA-5システム(515 288 N500全て後ろに何も書いてないセット)でした
そのA-5で聞いてもあまり印象に残らずしばらく放置していました
その後2代目のオイロダイン(励磁電源タイプ)を購入して聞いてみましたが、やはり強い印象はなくまた何年もこのレコードは日の目を見る事なくレコード棚の中で再び長い眠りに付いたのです
1965年とありますので恐らく同じ音源らしき動画がネット上にあったので貼っておきます
この動画を見て、頬を引っ叩かれたような衝撃を感じた人はあまりいないと思います
ALTECのA-5で聞いた時の私の感想もそうでした
ところが、オイローパが少しずつその威力を発揮し出した十年ほど前に改めて聞き直してみると
これはとてつもない事が行われているぞ!
と大きな衝撃を受けました
当時のA-5が悪い音だったのではありません「これぞ町内一の音」と自負していましたし若い頃からWESTERN-Lansingラインは自分で最も好きなスピーカーの一つで、別のレコードでは背筋の凍る音も出していました
結局、レコードと再生装置のマッチングの問題だったのです
しかしオイローパによって目の前に展開されたモスクワ大学の講堂の大きさと深み、離れた位置から収録されたマイクの感じながら演者一人一人がノリに乗って動きながら演奏するさざなみの様な気配まで
演奏当日の風景がまざまざと見えた時ムラヴィンスキー とレニングラードの精鋭達が成した・・成し得た芸術の偉大さに畏怖の念を感じるに至ったのです
ああ、なるほど。
狂気に近付いたホンモノの芸術を「確かに本物じゃ」と分かるための手助けになる様な、より簡単に感覚的に狂気を感じる為にオーディオに(一見)無駄金を使って来たのだな。とひとりごち納得したのです
問題は、そこまでの演奏が入ったレコードが如何程あるのだろうか?
そして死ぬまでに自分はどれ程の狂気の入ったレコードに巡り合えるのだろうか?
自分の興味は概ねそちらに移っていきました
ケーブルや真空管や足を変えて音が変わった、良い音になった、音質向上した。という概念から距離を置いたのもその頃だったと思います
理由は簡単です
1、狂気を出せるスピーカーを持っていなければ、いくらアクセサリーやパーツを変えても出っこない
2、そのスピーカーにふさわしい環境・音源でなければ出っこない
3、4が無くて
5、最も重要な事は「狂気」の入っていないレコード(音源)でなければ出っこない
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ビッグりしたな〜モー ターいへん
昨年、長野市を騒がせたニュースがありました
個人のカーディーラーで、支払いを済ませたのに十数台の車が未納のまま代表者が夜逃げした。というのです
このニュースを見た時、中古車のことだと思っていました、だって新車ならメーカー直営店で買うでしょって
実際は直営店より(300万円の車で)10万円ほど安く買えるので評判を呼び業績を伸ばして来ましたが、コロナなどの影響で注文が減り経営に行き詰まったようです
普段ならあまり気にも留めないニュースですが、その少し前に以下の様な事があったので良く記憶に残っています
高齢の父親が身体を壊し免許も返納したし、父名義の車も古いので今後どうしましょう。と家族会議になった
将来車椅子になった時に病院とか施設への送迎で乗り降りの楽そうな車を購入しましょうと結論が出て、そうと決まれば前の車の車検切れまで約1ヶ月で新しい車を探さなければいけません
家からすぐの国道に出て、南に車を走らすと何件もカーディーラーや買取店、販売店が並んでいます
最初に入ったのは買取系の販売店でしたが今をときめくビッグモーターだったのか、競業他社だったかは覚えていません
上記した事情を話し「こちらが1軒目だから、色々様子を教えて欲しい」と伝えました
目的の車はあるか?と聞かれたので、PC画面から良さげなのを3つほどピックアップして見積もりをお願いしたのです
すると、事務所の奥へ入って見積書を1枚作ってきました
渡されて、内容も見る間も無く
「これに決めましょう、これは良い車です、今日決めて貰えば値引きを頑張ります・・・」
「いや、初日の1軒目で実車も一台も見ていないし車種も決まっていないので今日は何も決めれません」(人の話聞いてへんのかい)
「見積書ありがとうございました。また検討してきます」
早々に店を出ましたが
この一店ですっかり中古車屋に見切りをつけた私は、その直後トヨタ直営中古車から購入したのですが、ハッキリ言って諸経費は買取系の販売店の半額以下でした
メーカー系中古は高いという先入観がありました
けれど、実際は全く異なっていました
こうした経験があったので今回のビッグモーターの騒動も特段驚くこともありませんでしたが
「車大好き」「車のことなら少々は」と思う人の心の隙を突くような事件だったので憤りを感じますね
R8 Gordini
この世で唯一 欲しい車です
でも、レストアの費用・その後の維持費を考えると到底手に負える代物では無い
車でもオーディオでも「欲しい!欲しい!!」で物を買った時はロクでも無い結果になる確率が非常に高いようです
逆に
今はこれ全く必要ないんだけれど、これほど状態の良い個体は死ぬまでにお目に掛かれないだろうからとりあえず買っておこうかしら
こんな気持ちで買った物ほど、長く楽しませてもらっているようです
サラリーマン時代には「財形貯金」をオーディオ貯金として
目の前に突然と必要なものが現れた時、躊躇なく買う事が出来る様に準備していました
その代わり、グレードアップとか新製品が出たから入れ替えとかの欲求は皆無だったのと
状態の良く無いものは平気で見送るのでトータルするとそれほどお金を使わずにこれたと思います
最近は終活で手放す方が見えた時に、一も二もなくお譲り頂いた物がいくつかありました
Lowther TP-1 Decca Decola 301シルバー 莫大な枚数のオリジナルLP盤など
どれも、買わなくたって我が家の体制に影響の無いものですからどうしても欲しい物ではありません
しかし、状態の良い希少品は個体保護のために私の所できちんとメンテナンスして管理しておくべきとの使命感に近いかも知れません
たまたま良い縁があったから我が家に来てもらったのです
もし、ルノーR8 ゴルディー二が安く出たらどうしましょう・・・買わないでしょうね、車貯金していないからね
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個人のカーディーラーで、支払いを済ませたのに十数台の車が未納のまま代表者が夜逃げした。というのです
このニュースを見た時、中古車のことだと思っていました、だって新車ならメーカー直営店で買うでしょって
実際は直営店より(300万円の車で)10万円ほど安く買えるので評判を呼び業績を伸ばして来ましたが、コロナなどの影響で注文が減り経営に行き詰まったようです
普段ならあまり気にも留めないニュースですが、その少し前に以下の様な事があったので良く記憶に残っています
高齢の父親が身体を壊し免許も返納したし、父名義の車も古いので今後どうしましょう。と家族会議になった
将来車椅子になった時に病院とか施設への送迎で乗り降りの楽そうな車を購入しましょうと結論が出て、そうと決まれば前の車の車検切れまで約1ヶ月で新しい車を探さなければいけません
家からすぐの国道に出て、南に車を走らすと何件もカーディーラーや買取店、販売店が並んでいます
最初に入ったのは買取系の販売店でしたが今をときめくビッグモーターだったのか、競業他社だったかは覚えていません
上記した事情を話し「こちらが1軒目だから、色々様子を教えて欲しい」と伝えました
目的の車はあるか?と聞かれたので、PC画面から良さげなのを3つほどピックアップして見積もりをお願いしたのです
すると、事務所の奥へ入って見積書を1枚作ってきました
渡されて、内容も見る間も無く
「これに決めましょう、これは良い車です、今日決めて貰えば値引きを頑張ります・・・」
「いや、初日の1軒目で実車も一台も見ていないし車種も決まっていないので今日は何も決めれません」(人の話聞いてへんのかい)
「見積書ありがとうございました。また検討してきます」
早々に店を出ましたが
この一店ですっかり中古車屋に見切りをつけた私は、その直後トヨタ直営中古車から購入したのですが、ハッキリ言って諸経費は買取系の販売店の半額以下でした
メーカー系中古は高いという先入観がありました
けれど、実際は全く異なっていました
こうした経験があったので今回のビッグモーターの騒動も特段驚くこともありませんでしたが
「車大好き」「車のことなら少々は」と思う人の心の隙を突くような事件だったので憤りを感じますね
R8 Gordini
この世で唯一 欲しい車です
でも、レストアの費用・その後の維持費を考えると到底手に負える代物では無い
車でもオーディオでも「欲しい!欲しい!!」で物を買った時はロクでも無い結果になる確率が非常に高いようです
逆に
今はこれ全く必要ないんだけれど、これほど状態の良い個体は死ぬまでにお目に掛かれないだろうからとりあえず買っておこうかしら
こんな気持ちで買った物ほど、長く楽しませてもらっているようです
サラリーマン時代には「財形貯金」をオーディオ貯金として
目の前に突然と必要なものが現れた時、躊躇なく買う事が出来る様に準備していました
その代わり、グレードアップとか新製品が出たから入れ替えとかの欲求は皆無だったのと
状態の良く無いものは平気で見送るのでトータルするとそれほどお金を使わずにこれたと思います
最近は終活で手放す方が見えた時に、一も二もなくお譲り頂いた物がいくつかありました
Lowther TP-1 Decca Decola 301シルバー 莫大な枚数のオリジナルLP盤など
どれも、買わなくたって我が家の体制に影響の無いものですからどうしても欲しい物ではありません
しかし、状態の良い希少品は個体保護のために私の所できちんとメンテナンスして管理しておくべきとの使命感に近いかも知れません
たまたま良い縁があったから我が家に来てもらったのです
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オーディオに測定は必要なの?
本当は、この話題は10の連載でも足りないくらいなのですが、そんなんじゃ幾ら何でもブログ向きでは無いので直線的にポイントだけ書いておこうと思います
まず、自分の立場を表明
所有測定器
・ミリバル&発信器 測定というよりは不具合の発見に使う方が頻度は高いです
・オシロ あまり出番は無いが、最後に頼りになる 守護神
・LCRメーター 命の次の次の次くらいに大事
・ハンディのFFT(周波数解析器)部屋の伝搬特性・残響特性・ユニットの位相他を測ります
・欧州の球が多いので、チューブテスターはFUNKEのW-19一択です
他
やる事
・周波数特性
フォノ・EQ始めアンプをメンテしたり製作するのに測らなければ出来ません
・古いアンプをいじる時にはノイズとの戦いがありますのでミリバルは神です
ノイズ退治は mVオーダーなので耳で聴いても何の役にも立ちません
・自分の家ではもうしませんが、他所へ行くとスピーカーの位置決めにFFTを使います
20年来の苦悩も15分で解決できる場合もあります・・・滅多にそんなに上手くいかないけど
他
どんな思いで?
私が測定器を使い始めたのは25年くらい前からです
家を建てて引っ越してきてから借り家の時に聞こえた神の如き音が霧散しました、使っている機械は何も違わないのに
それから数年は人生で一番無駄な時間と無駄なお金を使いました
・・・不要な物を買った事は何をしても勉強なので後悔はしていませんが、間違った眼で見切って大切な物を売ってしまった事に百万の後悔と懺悔の気持ちです
一念発起して「再現性」=いつでもオーディオの状態を把握し、思い通りの状態に持って行く=マネジメントする取っ掛かりとして測定を導入しました
自分ルール
そんな事を20年以上続けていたら、幾つか考えがまとまってきました
・オーディオで何かを変えた時、耳で聴いて良い音と思っても、理屈が違うと思った時は不採用
周りの環境や自分の耳(嗜好)なんて5年もすれば変わるでしょ? でも宇宙の法則は125億年変わらないから
ここで言う「理屈」は「測定の結果」ではありません
今現在、人類が手にしている測定方法なんてのは音の現象の何%すら正しく表現できませんから、測定結果=音評価とはなりません
では、何を信じるているのかというと
・オーディオで揺るがなく信じている事
オームの法則
フレミングの法則
ニュートンのエネルギー保存の法則
この3つがあればオーディオで起きている事の90%は説明できる
残りの10%は感性の世界なので、各々でお好きな様にどうぞ・・・と
しかし、現実には大幹の90%の部分を感性にだけ頼っているのでは無いか?・・・測定を始めた理由にまた戻ります
有名な長野県高山村の「水中のしだれさくら」
この桜は寛保2年の記録がありますので250年くらい経っています
幹がしっかりしているのでここまで長生きできるのですね
枝葉末節に囚われてはいけないと教えてくれます
・まとめ
オーディオ機器の測定とは人間ドックとか健康診断だと思いますよ
内臓脂肪とか血糖値とかレントゲンとか胃カメラとか
これらは人の体の基本的な健康状態を数字や映像に置き換えた物です・・・測定結果ね
この値がどうであろうと
その人が、顔が綺麗とか、優しくていい人とか「声が魅力的」とかまでは分かりません。
キレイとか優しいと思うのは、受け手の感性の問題でございましょう?
ガッキーと北川景子と白石麻衣と、人によって「好き」が違うのは感性で評価するからです。音の好みも同じです
以下は、以前も記事にしていますが
マランツ #7プリを使っていた方が、低音が薄い気がするのでアンプを測定をしてくれと持ち込まれました
当然、オリジナルのカップリングコンデンサーは全数DC漏れを起こしていて、次段のグリッドにしこたま漏れている状態でした
コンデンサーを変えると音が変わるからそのままで良い。と言って持ち帰りました
アンプとしては、ゲインは取れない、低音はでない、ノイズは乗るんでもう廃棄寸前の瀕死の状態なんです
実はその後、パワーアンプを1度、スピーカーを2度変えたところまでは聞きましたがそれ以降の事は存じません
何度も同じ事書きますが
パーツを変えて音の変化を楽しむのが悪いって言ってるんじゃないんです。ただその変化は環境や状態によっては限定的であったりするので
先ずは根っ子と幹の部分を太く健康にしてから楽しめば、より大きな喜びになる・大輪の花が咲くと思うのです
二十年前の自分と同じ事をしているのでなんとかしてあげたかったのですが、人は心で動く生き物なので仕方のないことなのかも知れません。
大病をして体が悪いのも顧みず(検査受けないから知らず、あるいは無視して)に
明日はネイルへ行って爪をキレイにして来ようかしら!
なんて人が居たら 「ネイルより、病院行きな」って言うでしょう
体はともかくオーディオなら修理できるのだから
オーディオをいくら測定しても、その結果で「音の良し悪し」なんて到底分からないし、音が良くなるわけでもないんですよ。
しかし、測定結果に不具合があるならば「現在、悪い音が出ている」事だけは間違いなく分かります。
健全な精神は健康な肉体にのみ宿る
良い音は正しい機械のみが発する
私が測定を続けるのは、簡単な理由です
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まず、自分の立場を表明
所有測定器
・ミリバル&発信器 測定というよりは不具合の発見に使う方が頻度は高いです
・オシロ あまり出番は無いが、最後に頼りになる 守護神
・LCRメーター 命の次の次の次くらいに大事
・ハンディのFFT(周波数解析器)部屋の伝搬特性・残響特性・ユニットの位相他を測ります
・欧州の球が多いので、チューブテスターはFUNKEのW-19一択です
他
やる事
・周波数特性
フォノ・EQ始めアンプをメンテしたり製作するのに測らなければ出来ません
・古いアンプをいじる時にはノイズとの戦いがありますのでミリバルは神です
ノイズ退治は mVオーダーなので耳で聴いても何の役にも立ちません
・自分の家ではもうしませんが、他所へ行くとスピーカーの位置決めにFFTを使います
20年来の苦悩も15分で解決できる場合もあります・・・滅多にそんなに上手くいかないけど
他
どんな思いで?
私が測定器を使い始めたのは25年くらい前からです
家を建てて引っ越してきてから借り家の時に聞こえた神の如き音が霧散しました、使っている機械は何も違わないのに
それから数年は人生で一番無駄な時間と無駄なお金を使いました
・・・不要な物を買った事は何をしても勉強なので後悔はしていませんが、間違った眼で見切って大切な物を売ってしまった事に百万の後悔と懺悔の気持ちです
一念発起して「再現性」=いつでもオーディオの状態を把握し、思い通りの状態に持って行く=マネジメントする取っ掛かりとして測定を導入しました
自分ルール
そんな事を20年以上続けていたら、幾つか考えがまとまってきました
・オーディオで何かを変えた時、耳で聴いて良い音と思っても、理屈が違うと思った時は不採用
周りの環境や自分の耳(嗜好)なんて5年もすれば変わるでしょ? でも宇宙の法則は125億年変わらないから
ここで言う「理屈」は「測定の結果」ではありません
今現在、人類が手にしている測定方法なんてのは音の現象の何%すら正しく表現できませんから、測定結果=音評価とはなりません
では、何を信じるているのかというと
・オーディオで揺るがなく信じている事
オームの法則
フレミングの法則
ニュートンのエネルギー保存の法則
この3つがあればオーディオで起きている事の90%は説明できる
残りの10%は感性の世界なので、各々でお好きな様にどうぞ・・・と
しかし、現実には大幹の90%の部分を感性にだけ頼っているのでは無いか?・・・測定を始めた理由にまた戻ります
有名な長野県高山村の「水中のしだれさくら」
この桜は寛保2年の記録がありますので250年くらい経っています
幹がしっかりしているのでここまで長生きできるのですね
枝葉末節に囚われてはいけないと教えてくれます
・まとめ
オーディオ機器の測定とは人間ドックとか健康診断だと思いますよ
内臓脂肪とか血糖値とかレントゲンとか胃カメラとか
これらは人の体の基本的な健康状態を数字や映像に置き換えた物です・・・測定結果ね
この値がどうであろうと
その人が、顔が綺麗とか、優しくていい人とか「声が魅力的」とかまでは分かりません。
キレイとか優しいと思うのは、受け手の感性の問題でございましょう?
ガッキーと北川景子と白石麻衣と、人によって「好き」が違うのは感性で評価するからです。音の好みも同じです
以下は、以前も記事にしていますが
マランツ #7プリを使っていた方が、低音が薄い気がするのでアンプを測定をしてくれと持ち込まれました
当然、オリジナルのカップリングコンデンサーは全数DC漏れを起こしていて、次段のグリッドにしこたま漏れている状態でした
コンデンサーを変えると音が変わるからそのままで良い。と言って持ち帰りました
アンプとしては、ゲインは取れない、低音はでない、ノイズは乗るんでもう廃棄寸前の瀕死の状態なんです
実はその後、パワーアンプを1度、スピーカーを2度変えたところまでは聞きましたがそれ以降の事は存じません
何度も同じ事書きますが
パーツを変えて音の変化を楽しむのが悪いって言ってるんじゃないんです。ただその変化は環境や状態によっては限定的であったりするので
先ずは根っ子と幹の部分を太く健康にしてから楽しめば、より大きな喜びになる・大輪の花が咲くと思うのです
二十年前の自分と同じ事をしているのでなんとかしてあげたかったのですが、人は心で動く生き物なので仕方のないことなのかも知れません。
大病をして体が悪いのも顧みず(検査受けないから知らず、あるいは無視して)に
明日はネイルへ行って爪をキレイにして来ようかしら!
なんて人が居たら 「ネイルより、病院行きな」って言うでしょう
体はともかくオーディオなら修理できるのだから
オーディオをいくら測定しても、その結果で「音の良し悪し」なんて到底分からないし、音が良くなるわけでもないんですよ。
しかし、測定結果に不具合があるならば「現在、悪い音が出ている」事だけは間違いなく分かります。
健全な精神は健康な肉体にのみ宿る
良い音は正しい機械のみが発する
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お国なまりを大切に
過去2回分の記事を間を開けずに挙げたのは、実は今日の話題を昔から書きたかったのだけれど難しい問題を含むので
記事を書く前に「前提」を共通認識にしたかったからです
その話題とは
violinist.comの記事によると、
ピンカス・ズーカーマンの行為は、クラシック音楽における人種的・文化的ステレオタイプについて、ネット上で激しい論争を引き起こしました。
問題となったイベントは、「Starling-DeLay Symposium」が開催したバーチャル・マスタークラスです。
ズーカーマンは、入学前のニューヨーク生まれの一部アジア系の姉妹にコメントをしました。
シュポーアの「デュオ・コンチェルタンテ」を演奏した後、生徒たちに「もっと楽しんでください」と呼びかけました。
ズーカーマンは
「完璧すぎるくらい完璧な演奏だ。どれだけ完璧に弾くか、どれだけ一緒に弾くかを考えるのではなく、
もっとフレージングを考えるのです。もう少しビネガー......いや、ソイソースをかけてください」
"もっと歌うように、イタリアの序曲のように "と付け加えました。
"バイオリンは弦楽器ではなく、歌う楽器です。
弾き方に疑問があれば、歌うこともある。韓国では歌わないんだけどね」。
彼が詳しく説明した後、姉妹の一人が "でも私は韓国人じゃないわ "と言った。
ズーカーマンが彼女たちの出身地を尋ねると、彼女たちは「日本とのハーフです」と説明した。
続いて、「日本では歌も歌わないんですよ」と切り出した。
続けて、アジア人としてステレオタイプ化されている歌謡曲のボーカルスタイルを真似した。
その後、マスタークラスのQ&Aコーナーで、ズーカーマンは再び
「韓国では、彼らは歌わない。それは彼らのDNAにはない。"
ピンカス・ズーカーマン(ヘブライ語: פנחס צוקרמן, ラテン文字転写例: Pinchas Zukerman、1948年7月16日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリン奏者
このWikiの紹介の通りスーカーマンはユダヤ系ポーランド人であり、ロマ「東欧州などで遊牧民として暮らしている人々、ジ○シーは差別用語なのでロマの人々の呼び方が適切」の人たちの伝統を継ぐ人なのかも知れません
(祖先や親戚に遊牧民が居られたと言う意味だけでなく、民族学上の系統が近しいと言う意味であっても)
さて、この話題が音楽界を揺らした当時、日本国内ではあまり騒がれなかったと記憶しています、私の耳に届かなかっただけかも知れませんが
その時期を過ぎて、改めて記事にするのです
私の考えでは
ズーカーマンと言うユダヤ系の1人のヴァイオリン教授としては、
自分の生徒さんに
「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」と教えたのはごく当たり前の行為ですよ
一つだけ彼が犯した問題は「アジア人は・・・」と要らぬセリフを足して発言した事です
もし、日本人の先生が日本人の生徒に、あるいはドイツ人の先生がドイツ人の生徒に
「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」
と、言ったのならば全く問題にもなっていないのです、演奏上や解釈のヒントを教えただけだからです
背の高い人に「背が高いねえ」
痩せている人に「スリムねえ」
これは差別と受け取られますか?
背の低い人に、ふくよかな人に・・・
受け取る人によっては悪口になるので気をつけるべきですね
背が高い低いは単なる身体的特徴なだけであって、言葉自体にトゲはありません
ふくよかな方を好む人も沢山いるのだから、特徴だけでは悪口にはならないはずですが
受け取る側が嫌だと思えば悪口になるので、避けるが賢明。と言うのが世の習いです
この手の人種問題で注意すべきは
「アジアのヴァイオリン奏者=機械的で正確だけど歌わない」
と、認識しているのは、他ならぬアジア人だから、痛い処を突かれたので怒りを感じるんです
また、少し前にフランス人サッカー選手が日本でホテルマンに差別発言をしたとして騒動になりましたが
植民地政策の後始末も終わっていないフランスでは同じアパートに何カ国もの家族が暮らすのは当然で
そこの子供達はいつも一緒にサッカー遊びをして「人種いじり」は日常なのです
我が家に来たフランス人のお嬢さんが
「サッカーの後アラブ人がシャワーに入ったらちっとも出てこない
おかしいと思って見に行くと、排水口の網の隙間から流されて行ってた、彼らは痩せっぽっちだから」
と言うのが定番の「いじり」だと教えてくれた
しかし、これは「お前のカーチャンでベソ」と同じでお互いにジャレ合っているだけで差別とは別次元だと言うが
長年単一人種に近い島国育ちの日本人からすると、ヒヤヒヤする関係性に見えます
国境が複雑に絡み合い、人種の坩堝にいる欧州人は差別や悪意の意図なく「民族小咄」をする人達なのでしょう
音楽界でもズーカーマンの様な発言はいくらでもあります
ホロヴィッツが
「女性とアジア人にピアノは弾けない」って言ってたらしいし、ともかく外に出るでないは別として彼らの思想的には
コモンなセンスと思っておいた方がこちらが一々傷つかなくて賢明です
問題なのはズーカーマンやR・マドリーに所属する世界的に立場のある人間が発言するのは、路地裏の子供の会話じゃないんだから大きな責任があるのに、その自覚のなさです
僕はねえ、思うんですよ
子供の頃からお寺に行けば日本古来の笙、笛で雅楽を聞いて、夏休みには盆踊りを聞いて育った我々が
この人達と同じ歌心を持っていると考える方が余程無理があるでしょう
ならば
日本人にしか出来ないクラシック演奏を目指せば良いんじゃないかと思います
それなら、ズーカーマンは逆立ちしたって出来ないのだから
もちろん目指すからにはそれでズーカーマン以上の世界的評価を得るしかないんですけれどね
だって、僕らは中島みゆきや八代亜紀で涙出来るじゃないですか、それこそ立派な民族的、音楽的特質ですよ
昨年のW杯でサッカー日本代表はその道に一筋の光を灯してくれました
もう何年も前になりますが
Wienのシュターツオーパーで小沢さんが「E・オネーギン」振ったのを聞きましたが、それはそれは素晴らしい演奏でした
大地に根を張った様ないわゆる「ロシア的」な演奏ではなかったかも知れませんが、繊細でリリカルな悲しみを湛えた見事な「E・オネーギン」でした
最後に
ロマの音楽で最も有名な曲の一つである「チャルダッシュ」を貼っておきます
こちらはハンガリーの有名なベラさんの演奏です
今日の3つの動画はわざと地域や年代の異なるものを集めました
人種や国といった単位を超えて受け継がれる血の伝統の様なものを感じて見るのも悪くないかなと
なお、「チャルダッシュ」は日本のヴァイオリン教室でも異常なほどの人気曲で多くの方が習っていますし
本当に多数の日本人ヴァイオリニストの演奏をyou tube上で見ることができます
ぜひ皆さんも下の動画を見た後に、「チャルダッシュ」で検索して邦人演奏家のものと聴き比べてみてください
私の意図と反して「悪い例」の様に思われると心外なのであえてリンクはしません
両方を聞いてから、もう一度ズーカーマン騒動の本質を考え直してみることもあながち無意味だとは思えませんが
如何でしょうか?
***繰り返しますが、あらゆる差別発言に対しては強く非難いたします***
同様に血の伝統が薄まりゆく事にも少し勿体なさを感じる今日この頃です
記事を書く前に「前提」を共通認識にしたかったからです
その話題とは
violinist.comの記事によると、
ピンカス・ズーカーマンの行為は、クラシック音楽における人種的・文化的ステレオタイプについて、ネット上で激しい論争を引き起こしました。
問題となったイベントは、「Starling-DeLay Symposium」が開催したバーチャル・マスタークラスです。
ズーカーマンは、入学前のニューヨーク生まれの一部アジア系の姉妹にコメントをしました。
シュポーアの「デュオ・コンチェルタンテ」を演奏した後、生徒たちに「もっと楽しんでください」と呼びかけました。
ズーカーマンは
「完璧すぎるくらい完璧な演奏だ。どれだけ完璧に弾くか、どれだけ一緒に弾くかを考えるのではなく、
もっとフレージングを考えるのです。もう少しビネガー......いや、ソイソースをかけてください」
"もっと歌うように、イタリアの序曲のように "と付け加えました。
"バイオリンは弦楽器ではなく、歌う楽器です。
弾き方に疑問があれば、歌うこともある。韓国では歌わないんだけどね」。
彼が詳しく説明した後、姉妹の一人が "でも私は韓国人じゃないわ "と言った。
ズーカーマンが彼女たちの出身地を尋ねると、彼女たちは「日本とのハーフです」と説明した。
続いて、「日本では歌も歌わないんですよ」と切り出した。
続けて、アジア人としてステレオタイプ化されている歌謡曲のボーカルスタイルを真似した。
その後、マスタークラスのQ&Aコーナーで、ズーカーマンは再び
「韓国では、彼らは歌わない。それは彼らのDNAにはない。"
ピンカス・ズーカーマン(ヘブライ語: פנחס צוקרמן, ラテン文字転写例: Pinchas Zukerman、1948年7月16日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリン奏者
このWikiの紹介の通りスーカーマンはユダヤ系ポーランド人であり、ロマ「東欧州などで遊牧民として暮らしている人々、ジ○シーは差別用語なのでロマの人々の呼び方が適切」の人たちの伝統を継ぐ人なのかも知れません
(祖先や親戚に遊牧民が居られたと言う意味だけでなく、民族学上の系統が近しいと言う意味であっても)
さて、この話題が音楽界を揺らした当時、日本国内ではあまり騒がれなかったと記憶しています、私の耳に届かなかっただけかも知れませんが
その時期を過ぎて、改めて記事にするのです
私の考えでは
ズーカーマンと言うユダヤ系の1人のヴァイオリン教授としては、
自分の生徒さんに
「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」と教えたのはごく当たり前の行為ですよ
一つだけ彼が犯した問題は「アジア人は・・・」と要らぬセリフを足して発言した事です
もし、日本人の先生が日本人の生徒に、あるいはドイツ人の先生がドイツ人の生徒に
「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」
と、言ったのならば全く問題にもなっていないのです、演奏上や解釈のヒントを教えただけだからです
背の高い人に「背が高いねえ」
痩せている人に「スリムねえ」
これは差別と受け取られますか?
背の低い人に、ふくよかな人に・・・
受け取る人によっては悪口になるので気をつけるべきですね
背が高い低いは単なる身体的特徴なだけであって、言葉自体にトゲはありません
ふくよかな方を好む人も沢山いるのだから、特徴だけでは悪口にはならないはずですが
受け取る側が嫌だと思えば悪口になるので、避けるが賢明。と言うのが世の習いです
この手の人種問題で注意すべきは
「アジアのヴァイオリン奏者=機械的で正確だけど歌わない」
と、認識しているのは、他ならぬアジア人だから、痛い処を突かれたので怒りを感じるんです
また、少し前にフランス人サッカー選手が日本でホテルマンに差別発言をしたとして騒動になりましたが
植民地政策の後始末も終わっていないフランスでは同じアパートに何カ国もの家族が暮らすのは当然で
そこの子供達はいつも一緒にサッカー遊びをして「人種いじり」は日常なのです
我が家に来たフランス人のお嬢さんが
「サッカーの後アラブ人がシャワーに入ったらちっとも出てこない
おかしいと思って見に行くと、排水口の網の隙間から流されて行ってた、彼らは痩せっぽっちだから」
と言うのが定番の「いじり」だと教えてくれた
しかし、これは「お前のカーチャンでベソ」と同じでお互いにジャレ合っているだけで差別とは別次元だと言うが
長年単一人種に近い島国育ちの日本人からすると、ヒヤヒヤする関係性に見えます
国境が複雑に絡み合い、人種の坩堝にいる欧州人は差別や悪意の意図なく「民族小咄」をする人達なのでしょう
音楽界でもズーカーマンの様な発言はいくらでもあります
ホロヴィッツが
「女性とアジア人にピアノは弾けない」って言ってたらしいし、ともかく外に出るでないは別として彼らの思想的には
コモンなセンスと思っておいた方がこちらが一々傷つかなくて賢明です
問題なのはズーカーマンやR・マドリーに所属する世界的に立場のある人間が発言するのは、路地裏の子供の会話じゃないんだから大きな責任があるのに、その自覚のなさです
僕はねえ、思うんですよ
子供の頃からお寺に行けば日本古来の笙、笛で雅楽を聞いて、夏休みには盆踊りを聞いて育った我々が
この人達と同じ歌心を持っていると考える方が余程無理があるでしょう
ならば
日本人にしか出来ないクラシック演奏を目指せば良いんじゃないかと思います
それなら、ズーカーマンは逆立ちしたって出来ないのだから
もちろん目指すからにはそれでズーカーマン以上の世界的評価を得るしかないんですけれどね
だって、僕らは中島みゆきや八代亜紀で涙出来るじゃないですか、それこそ立派な民族的、音楽的特質ですよ
昨年のW杯でサッカー日本代表はその道に一筋の光を灯してくれました
もう何年も前になりますが
Wienのシュターツオーパーで小沢さんが「E・オネーギン」振ったのを聞きましたが、それはそれは素晴らしい演奏でした
大地に根を張った様ないわゆる「ロシア的」な演奏ではなかったかも知れませんが、繊細でリリカルな悲しみを湛えた見事な「E・オネーギン」でした
最後に
ロマの音楽で最も有名な曲の一つである「チャルダッシュ」を貼っておきます
こちらはハンガリーの有名なベラさんの演奏です
今日の3つの動画はわざと地域や年代の異なるものを集めました
人種や国といった単位を超えて受け継がれる血の伝統の様なものを感じて見るのも悪くないかなと
なお、「チャルダッシュ」は日本のヴァイオリン教室でも異常なほどの人気曲で多くの方が習っていますし
本当に多数の日本人ヴァイオリニストの演奏をyou tube上で見ることができます
ぜひ皆さんも下の動画を見た後に、「チャルダッシュ」で検索して邦人演奏家のものと聴き比べてみてください
私の意図と反して「悪い例」の様に思われると心外なのであえてリンクはしません
両方を聞いてから、もう一度ズーカーマン騒動の本質を考え直してみることもあながち無意味だとは思えませんが
如何でしょうか?
***繰り返しますが、あらゆる差別発言に対しては強く非難いたします***
同様に血の伝統が薄まりゆく事にも少し勿体なさを感じる今日この頃です