氷菓 第22話 「遠まわりする雛」
「見てください。ここがわたしの場所です」
「どうか,傘を持ってくれませんか?」
生き雛祭りの代役として呼ばれる奉太郎。
省エネ主義でも千反田が困っているとなると快諾します。
水梨神社に行く途中には狂い咲きの桜と工事中で通れなくなる長久橋。
まだ雪が残る中でこの桜だけが満開です。
奉太郎は完全によそ者扱い。
長久橋は雛が通るルートということでトラブルに。
工事を止めてもらうようにお願いしていましたが,匿名の電話で工事が行われることに。
代替案で別の橋を通ることにしようという意見が出ますが,みんなは浮かない顔です。
奉太郎を通してトラブル解決に動く千反田。
いつもの声とは違う余所行きの話し方です。近くに着付けの人がいることもあって千反田家代表モードです。
先方の宮司と氏子代表に話をつけるという千反田。
ちょっと下の橋を渡ることになるだけの変更なのですが,話をつけなければいけないというのは田舎ならではですね。
入須先輩が凛々しい。
原作では登場しませんが嬉しいサプライズです。雛よりもこっちの方が似合います。
千反田登場!
雛姿を惚けたように見つめる奉太郎。
エフェクトの効果が効いています。夢心地で千反田の隣を歩いています。
「しまった……よくない……これはよくない」
「俺の省エネ主義が致命的に脅かされている」
遠路橋を通ったことで桜の下を。
奉太郎は千反田の後ろを歩いているので,奉太郎からは千反田の顔が見えないのですが,そのことを意識したカメラワークになっています。千反田の顔を映さないようにしています。千反田の顔を見たいという奉太郎の気持ちが伝わって来ます。
合流した摩耶花からバレンタインのお礼が。
これも良い改変です。
「どうだ,その後?」
「まあ,それなりに」
「そうか」
短いやりとりですが,摩耶花と里志が仲直りしたことが示されています。
バレンタインの行動で里志が非難されることを見込んで和解のエピソードを入れてきています。
里志からすべて話を聞いていました。
それを知った上で受け入れて許したことが摩耶花の表情に表れていました。
入須先輩から今回の橋の件を聞かれるシーンが追加されています。
「愚者」でのことを思いだして身構える奉太郎。
「折木くん,あの時は私には役目があった。でも今日はただの男雛だ。こんな気楽な身から虚言は出ないよ」
ノーマルモードの入り須先輩が可愛い。
入須先輩については腹黒とか策士とかその言動が話題になっていましたが,愚者の時は自分の役割を果たすために動いていたようです。
千反田と同じく,名家の一員としてその立場から期待されるものがあります。
女帝のクラスの出し物である以上,期待されるであろうクオリティに達する作品を作るために暗躍したようですね。入須家とか病院とか女帝といった肩書きを外した巣の姿の先輩は普通(?)の女子高生です。こういう普通の顔を見せるということは奉太郎は女帝からは認められているようですね。
戻ってきた千反田はさっそく長久橋のことを。
この件のことで奉太郎も千反田も一人心あたりがあると。
「心あたりのある者は」で一緒に推理をしただけに謎を解くという点で対等な関係になっています。
答えを手に書いてお互いに見せ合います。
きっと後でこの文字を見ながら同じことを考えていた……とニヤニヤするんだろうな。
生き雛が桜の下を通るのは滅多に見ることができません。
ルート変更と季節外れの満開の桜の両方が必要です。
会話の端から違和感を感じ,茶髪の目的を見抜いた奉太郎に対し,茶髪の人柄からやるなら彼しかいないと見抜いた千反田。手に入れたヒントから答えを推理してゆく奉太郎に対していつも人を見ている千反田。思考パターンは違いますが同じ答えに辿り着くことが出来ました。
生き雛の時とは逆に千反田が奉太郎の後ろを歩いています。
奉太郎が千反田の世界に入るとなると,奉太郎が千反田の後ろから傘を差すようなポジションになります。
昔は北と南で土地争いや水争いがあったので,神事の際に無断で相手の側に入るのは揉め事の種に。
普段は気にしないことでも祭りとなると古いしきたりが関係してきます。それで千反田が間を取り持つことに。名家として調整役の役割を果たします。
その立場ゆえに大学に進学したとしてもこの場所に戻って来なければならない千反田。
「どんなルートを辿ったとしても,私の終着点はここ,ここなんです」
理系を選んだという千反田。商品価値の高い作物を作るためです。
経営的戦略眼で清算を効率するという手もありましたが,自分は会社経営には向いていないということで理系を選びました。
「でも,折木さんに紹介したかったんです」
自分の終着点となる場所を見せる千反田。
自分でもこの場所が最高に美しいわけでも可能性に満ちているわけではないことを認めている千反田。
それでも,自分の世界を奉太郎に見せます。
千反田は立場ゆえに外の世界に出て行くことはできません。よそ者である奉太郎が千反田の世界に入っていかなければ同じ世界で過ごすことはやがてできなくなります。
(お前が諦めたという経営的戦略眼だが……俺が修めるというのはどうだろう)
この台詞を言えれば千反田ルートが確定なのですが,まだ心の中でしか言えない奉太郎。
舞い散る桜の花びらが薔薇色を演出しています。
(あの時の里志もこんな気持ちだったんだろうか)
保留を選んだ里志の気持ちがわかる奉太郎。
その台詞を言ってしまえば,これまでの灰色を好んできた自分のスタイルを捨てることになります。
千反田を選ぶということは背負わなければいけない責任が増えます。省エネ主義として関わらないままでいることは出来なくなります
「寒くなってきたな」
「いいえ。もう春です」
この最後の二人の会話。原作を読んだときにも色々と考えたのですが,アニメでは明るい結末を示すものになっていました。
舞い落ちる桜の花びらを見て笑顔の千反田。薔薇色の未来を信じているようです。
そんな千反田の姿を見て奉太郎も笑顔になっていました。
千反田には満開の桜の背景。奉太郎の背後には夕闇が迫っていて,まだ寒い冬の部分を見ていますが,千反田の側に入りかけています。
二人の世界を繋ぐ橋はまだ工事中で通行止めですが,やがて工事は終わり,二人の世界は繋がるはずです。
「さよなら妖精」では橋が重要な意味を持っているのですが,橋のシーンを使ってくれたのはGJです。
ふたりで薔薇色の中を歩いています。目指す先には光が。二人の物語がHappy Endになることを示しています。
足下にも春の訪れを告げるつくしが。
灰色方向ではなく薔薇色方向に向かうことを示唆しています。
奉太郎は灰色の冬を抜けて桜が咲く春が示す薔薇色へとシフトしてゆくことになるのではないでしょうか。
素晴らしい最終回でした。
千反田が住んでいる世界が示され,奉太郎は祭りを通してその世界によそ者として仮の住人になり,千反田の場所を自分の目で見ます。
それを見た上で奉太郎がどうするのか……という今後の二人の方向性が示されていました。
千反田が登場してからはピンク色のエフェクトがかかったような状態でずっと進行し,そのままラストを迎えたので,古典部シリーズの結末はきっと明るいものになるであろうと信じたいと思います。
省エネ主義者の奉太郎がどのように変化してゆき,外の世界と関わってゆくのか今後のシリーズが楽しみです。
それにしても京アニの仕事は最高でした。
原作の理解力,登場人物の感情を映し出す仕草や表情の描き方や演出といい原作既読者として脱帽です。
原作を読み込んでいないとできない描写が数多く見られていました。
アニメを通して古典部シリーズの魅力を再発見することができました。
千反田の書いた道順と地図。
長久橋を渡らなくても神社の前に橋があるのでそこを渡ってもいいのですが,渡るように指示しています。川のこちら側が千反田側の土地ではないかと思うのでその場所を見てもらいたかったのではないでしょうか。
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このブログへは少し前に存在を知りまして、「けいおん!」と「氷菓」の記事だけは、とりあえず全て読まさせて戴きました。
密度の濃い素晴らしい記事で楽しまさせて戴きました。
私は「氷菓」という作品は、北村薫さんのファンでもあるので、北村作品に影響を受けて書かれた「氷菓」の事は以前から知っており、全て読まさせて戴き、この原作が京アニでどのようにアニメ化されるのか大変興味がありました。
京アニならではの出来は素晴らしく、アニメを見ては原作を読み返す。という半年でした。
さらにこのところは、ジュンクさんの記事を読んで、アニメと原作を読み返すという楽しい作業に没頭していました。
放映が終わって、寂しさはありますが、原作は卒業までは続くそうなので、楽しみは未だ続きます。
同時に原作のレビューもなさってるジュンクさんの記事を読むのも楽しみです。
えると奉太郎がやがて二人で同じ道を、いたわりながら歩く事を思いながらこの駄文を終わらせたいと思います。
これからも素晴らしい記事を楽しみにしています。(^^)
そう思わせる素晴らしい最終回でした。
内容と関係ありませんがTVの前で正座して見てしまいました。
原作でどちらにでも読み手次第で解釈可能な箇所
今回も希望の有る方向へ描いてくれてましたね。
摩耶花のホータローへの評価は
「自分の身勝手で誰かを傷つける奴はきちんと追求する男」
に修正された様ですし
(短編で更に修正されてますね)
入須先輩からしても
「悪気は無いが自分の都合で振り回してしまったので
機会を見て軽く謝罪しておきたい洞察力の有る後輩」
として描かれていた様です。
雛の通過ルートですが、若干歴史要素も絡むのでしょうね。
合戦が盛んな時代は武士よりも最前線で戦闘したのは主に農民ですので
豪農=際だつ武勲を上げた一族、またはその一族の当主、に該当します。
領地の境界を巡る小競り合いが有った時代はその傑物同士が争う訳で
現代よりも境界線は厳密な意味を持つでしょうし
水路の価値も生活用水の機能と稲作を考えると重要性が全く違いますね。
神社が穢れ論と関連するのも戦没者と関連するからこその不可侵な場であり
千反田家と十文字家の繋がりも娘同士は普通の友人ですが
地理的、歴史的に見れば譲れない一線というのは各地に存在するのが当然で
を、踏まえての放送前からホータローにかけられると思われた言葉
村の古老からの「しっかりしてらっしゃる」は凄く重要ですね
概して口下手な人が多い筈ですから最大級の賛辞と言って過言では無いでしょう
ここをカットしていたら画竜点睛を欠く、と思いましたが杞憂でした。
閉鎖的な寒村で、ずっとよそ者扱いされるのか
大変見込みが有る青年なので入って来てくれた場合には凄く歓迎されるのか
一度自分達の仲間と見なされた場合は
それこそ命がけで守る様な土地柄とも言えますので。
比喩では無く、母方の実家、現代でも似た様な状況です。
気軽なお使いでも、まあ手ぶらでは返してくれません(苦笑)
何件か寄ると仕入れに行ったのか?級の農作物の山です。
ホータローの脳内発言ですが
俺が代わりに補う、ときっぱり発言してくれたのも◎です。
あとは上記の因習をネガな面にばかり捉えず
どこへ行ってもその場で守るべきルールは有る、程度に考え
覚悟の上、えるに直接話してあげて欲しいです。
その前に千反田父が最大の難関かな?
上記の通り、豪農、それもえる曰く
祖父は身内褒めになるけどたいした人物だったそうで
という人物が育てた男な訳ですから
正対して「お嬢さんを下さい、きりっ!」と宣言するのは
かなり怖そうな気がします。
勇敢なる折木殿の命知らずな嫁取り宣言に感服、でしょうか。
余談、かつ興を削がない程度のネタバレですが
原作ではこの翌日にホータローは風邪で寝込み
お礼かたがた電話したえるは心配になり手みやげ片手に一人で訪問
それも数分の滞在のためにあの距離を自転車で移動するんですよね。
ホータローも風邪でしんどいのに断りもせず
短時間とはいえ病気の時期に気楽に自宅へ迎え入れていると想像すると
伏線というにはバレバレな気もしますね。
やはり「いいえ、もうすぐ春です」が正解でしょうか。
いろいろな意見があるでしょうが、私的にはいい最終回、全話よかった^^
アニメを見るのは「精霊の守り人」以来でしたが、よいアニメでした。
最初から最終回までをきちっと考えてから、
すべてを構築して作った結果なんでしょうね(11.5話の入れ方もよかったですし)。
個人的にもラストシーンは縁側ではなくて桜の下で大正解だと思っています。
そこまで歩く間に風景(えるの帰るべき場所)を見せる方法も。
ホータローが告白した様にみえるのも、映像のマジック(桜の花びら)みたいで
「おおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!」
っと、思ってしまったw
桜の木の下で、生き雛の「えるを見たい」とホータローは願いましたが叶いませんでした。が、ラストシーンの場所を変えることによって、桜の花びらが舞う中でホータローに
「えるの微笑み」を見せてあげた京アニはすごい!
やはりホータローにとって、独り占めできた「えるの微笑み」は天使そのものでした。
ちょっと残念だったのが、今回のえるの私服かなぁ~。
あそこは「可愛さ」よりも「年長者の前に出る」ということを原作通りに意識して欲しかったです。
全話通して作画も演出もホントに綺麗でした。
特に愚者の時の「光と影」「舞台を絡めての攻守の立場による上手下手(かみてしもて)の使い分け」が印象に残っています。
派手さはないですが、よいアニメでした。
原作がたまり、2年生になった古典部部員にまた会いたいですね。
ジュンクさん
長々とありがとうございました。これからもちょくちょく覗かせてもらいます。
☆彡 たまたま目にして笑ったコメント ☆ミ
京アニ「米澤先生の続編に私期待しています。」
「でも京都アニメーションの利益は小さいのです。」
「どうですか!?続き描こうって気になりませんか?」
よねぽ「いや、意味わかんないんだけど…」
最近小説を読み始めたのでアニメは観ていませんが、記事を読みながら想像して楽しんでおります。
で、ちょっと気になったのですが折木家・千反田家ともに母親の存在が描かれていないのですよね。
特に千反田家については母親というのは本来ならえるの味方になり得る存在だと思うのですよ。
またもし母親が不在であるなら、えるはあの若さで奥の差配を振るっているのかもしれません。それがああいった考え方に繋がることもあるのかなと思いまして。
あと入須先輩が原作では登場しないとありますが、原作でも男雛役は入須先輩だったはずですが。
過去記事も読んでくださりありがとうございます。
実は北村薫さんは名前は知っているのですが,まだ読んだことがありません。
最近プレイしたリトルバスターズに「空飛ぶ馬」が日常の謎の先駆的な作品として登場していたので,読んでみようと思っていたところであります。
古典部シリーズは面白いのですが,少し地味なところもあるのでどうアニメで見せるのか楽しみにしていたのですが,予想していたよりもずっと魅力的な作品に仕上げてくれた京アニには感謝しています。
二人の距離の概算の後の古典部の話も読みたいので原作が出るのを待ち遠しく思っているところです。
古典部シリーズ以外の米澤さんの作品も大変面白いです。
感想記事も書いていますので,読まれた後に目を通していただけると幸いです。
素晴らしい最終回でしたね。
歴史的な要素は苦手分野なので説明が参考になりました。
地元の権力者らしい人に奉太郎が認められたというのは大きいですね。
きっと千反田家の娘が読んだ謎の男として注目されていたのではないでしょうか。
あの様子だと奉太郎なら田舎の閉鎖的な世界の中でもうまくやって行けそうな気がします。
今回のことで千反田に惚れていることに気がついてしまった奉太郎ですが,千反田を選ぶためにこれからどうしてゆくのかに注目ですね。
やはり経営的な戦略を修めて,千反田家の役に立つことを見せるのでしょうか。原作ではまだ千反田家の人間が登場していないことが気になりますね。
奉太郎と千反田に春が来て,薔薇色のハッピーエンドを迎えることになって欲しいです。
京アニということもあって,構成もよく考えられていましたね。非常に内容の濃い2クールでした。
最後の桜のシーンで見せた京アニの映像美には感嘆しました。過去最高の作画ではないでしょうか。
原作を確認したら,奉太郎と再会したときの千反田の服は「襟のあるシャツに落ち着いた色のスカート姿で,単なる部屋着というにはものがいい」と描写されていました。まあ可愛かったのでよしとしましょう。
ぜひ2期をやってもらいたいのですが原作のストックが……。
早く完結させてもらいところですが,終わってしまうのが残念という気持ちも。
小市民シリーズも完結間近ですし,犬どこもシリーズ化するみたいなので,交渉術が求められそうですね。
アニメも非常に出来がよいので見ていただければと思います。
原作では「清楚」と強調されているので,最初は千反田に違和感を感じていましたが馴れました。余所行きモードの時の演技は良かったのですが。
千反田家も折木も母親が登場していないので不在が気になりますね。
千反田は既に次期家長的な振る舞いを見せているので,両親には何かありそうですね。
原作を見直したら入須先輩登場していました。
それを受けての会話シーン追加だったんですね。
事前に声優の配役をご存知だった方々には、さほど驚く事もなかったのでしょうが。
放送を見るまでその事を知らぬ者には衝撃回でした。
花井の声を、石塚運昇さんが。
吉田竹蔵を、あの波平(永井一郎)さんが。
それだけで凄すぎる!
最終話の声優さんが『匠』すぎて、氷菓そのものの内容を語る皆さんとは別方向でブッとんでました。
欲を言えばもう少しだけ、束の間だけ。
お二人の声を堪能していたかったのが正直なトコロですが、それは欲張りというものでしょうね。
ま、それはさておき(笑)
あの舞い散る桜のシーンは、ほんとうに見事でした…いっそ。
京アニさん(あの最終話は) ソレをやりたかったの?と思わせるようなリキ(もとい)、細かやで丁寧な映像美でした。
流石にそこまででは無くても、
あの回では"桜が重要な描き方"をされているのだろうと思ったのは私だけではないはず。
だって、
京アニ発信『氷菓』は。
物語上の人物達が繰り広げる“人と人が繋がる未来へ”の秘話でトリを飾りたかったはず。
逆に自分達が制作する作品にそれだけの自負と情熱がなければ、あの表現法や創造性に富んだ『氷菓』は生れなかっただろう…と。
アニメでは"映像力"で、小説では"想像力"で視聴者に、原作ファンに。
あくまで平等に深い興味を惹かせる手法は鮮やかで、私は此方のブログ主さんからソレを解説頂いたおかげで、さして興味もなかったアニメ氷菓をとうとう最後まで見続けてしまいました。(笑)
それと、話は変わりますが。
やはりと言うか、ここのブログ閲覧者の皆さん、最終回というだけあり、どなたも真面目にコメントしていらっしゃるのに自分ときたら、なんて不真面目さに正直に感想を述べているのだろうと今更ながらヒシヒシ感じてしまったり…。
不意にそのアンバランスさに笑ってしまったり、、、これも京アニと氷菓の“ナセルワザ”⁈なのかも、とつぶやいてみたり。
だから、ブログ更新が今までより少なくなるのは本当に残念な事ですが、全く更新が無くなるという訳ではない様子なので、遠くから生温かい目で見守ることにしますね。
ふとしたきっかけで氷菓アニメ、原作を再度読み、またこの考察にたどり着きました。
この記事を再び読めることに感謝です。