米澤穂信 「ふたりの距離の概算」 感想(ネタバレあり)
ふたりの距離の概算 (2010/06/26) 米澤 穂信 商品詳細を見る |
古典部シリーズ第5弾。季節は5月、マラソン大会の話です。
奉太郎たちは二年生になり、古典部にも仮入部する一年生が現れるのですが、突然入部しないと言ってきます。
どうやら千反田との間に何かあったようです。
辞めることを言いだした翌日がマラソン大会にして、本入部の締め切り最終日。
それで、奉太郎はマラソン大会の最中に、何があったのかを推理し、問題を解決しようとします。
ミステリーでは安楽椅子探偵といって、自分からは動かずに座ったままで推理して事件を解決するというスタイルがあるのですが、今作ではそれとは真逆の探偵役がマラソンをしながら事件を解決するというわたしが知る限りでは初めての捜査方法が用いられています。
新入部員はなぜやめると言いだしたのか、千反田との間に何があったのかということに加えて、古典部メンバーの動きなども描かれていて非常に面白い内容になっています。
シリーズものなのでこれまでの作品を読んでいる方が楽しめます。
特に前作の「遠回りする雛」と「手作りチョコレート事件」は読んでおくことをお勧めします。
追記ではネタバレ注意の感想と解説を:
表紙はポニテ千反田ですね。そして裏表紙側にも一人の女生徒が。これが新入部員の大日向でしょう。二人は別の方向に向かって走っていますが、お互いに後ろを気にしています。マラソンで走っている時に後ろを振り向いて後続ランナーとの距離を測っているような感じです。すれ違う二人の心の距離を表しているようです。
ちなみに走るときの服装は「スパッツ」と表記されていました。
二年生になったことで変化が生じています。
奉太郎は二年A組、摩耶花はC組、千反田はH組に。
摩耶花は漫研を退部しています。
髪留めを使うように。何らかの変化があったことが示唆されています。
古典部には新入部員が。ひなちゃんこと、大日向友子。
仮入部しましたが当然入部しないと言ってきます。
その原因となる何かがあったのが一日前。
部室で千反田と大日向が話をしていて、その間奉太郎は本を読んでいました。
本入部の締め切りが今日までということで、奉太郎はマラソン大会で20キロを走っている最中に、この問題の解決に当たることになります。
マラソンの何キロ地点というのが章の代わりになっていて、その物理的な距離と二人の距離とが連鎖しています。
走りながら二年生になってからのことを思い起こしながら、すれ違う古典部部員から話を聞きながら推理してゆきます。
まずは里志から話を聞きますが、昨日千反田がひなちゃんを酷く怒らせるか落ち込ませることをしたみたいという摩耶花の言葉が。
でも千反田のことを「仏様みたいな人だ」と言っていたと。
マラソン大会は渋滞を避けるためにクラスごとの時間差スタート。後続の摩耶花と千反田から話を聞くことができます。
さらに大日向は一年B組。その後に接触できるわけです。
各クラスは3分おきにスタートするので、まずは6分後にスタートした摩耶花との距離を概算しながら、摩耶花に質問するためにこれまでのことを思いだします。
そのようなわけで色々な距離感が「ふたりの距離の概算」に登場します。
まずは千反田との距離感が。
大日向との出会いである新入生歓迎イベント、新歓での出来事が回想されるのですが、密着した状態で新歓イベントに参加している千反田と奉太郎。テーブルが狭いので二人で座ると密着してしまいます。
クドリャフカで登場したカボチャの製菓研の違和感のことを話しているうちに大日向が。
ペポカボチャはクリスティネタですね。エルキュール・ポワロが育てています。
この時の二人の会話は前作の「心当たりのある者は」を思い起こさせます。
色黒で短い髪。男子にも間違われそうと外見の描写が。岩手でのスキーで黒くなったと。
この件のことで古典部に入ることを決めた大日向。
古典部の仲良しオーラが気に入ったようです。
追いついた摩耶花からは大日向の正確な台詞を聞くことができます。
「千反田先輩は菩薩みたいに見えますよね」
これが最初の手がかりになります。
続いて回想として語られるのが、27日前のこと。
前作の「遠回りする雛」のことが関係してきます。
その時の出来事のせいで奉太郎がで風邪を引いたことが明らかに。
その日、奉太郎の誕生日を祝いに折木家に来る古典部メンバー。
摩耶花は夕方から映画を見に行くということなので、その相手は……と考えると、何かの進展があったことを読み取れます。そして、摩耶花はチーズが苦手だと。大日向も苦手なようです。
ここで、誰が奉太郎の家を知っていたのかという問題が。
古典部メンバーはだれも奉太郎の家に入ったことがないということです。
そこで千反田が知り合いである「惣田」(奉太郎の中学時代のクラスメイト)から卒業文集を借りて奉太郎の住所を知ったと。
千反田の人間関係の広さに驚く大日向。彼女も奉太郎と同じ中学出身です。
しかし、千反田は一月前にこの家に来たことがあるのにそのことを黙っていました。
例の「遠回りする雛」で風邪を引いたので千反田がお見舞いに来たのでした。
そのことを隠そうとする二人が実に微笑ましいです。
再びマラソンの描写に戻り、里志との会話が。
大日向の例の台詞、千反田が菩薩(ry が、「外面如菩薩、内心如夜叉」という昔の言葉のことを言っていたのではと。
女性の顔は美しく柔和に見えるが、その心根は険悪で恐るべきものであるという意味です。何気に大日向は難しい言葉を知っていました。
千反田は実は腹黒!?
大日向と一緒に学校から帰った時の話が。
まだ友達ができていないようで一緒に帰ることに。
毒舌の摩耶花が千反田にはきついことを言わないという話になって、大日向はそれは千反田が何か摩耶花の弱みを握っているからではと。千反田を腹黒だと思っているのか。
大日向にとって一番大事なのは友達のようですが、そのことを話す時に俯いていました。
大日向の真意を探るためにこれまで千反田との間に何かなかったかを思い出そうとします。
13日前の回想:
部室で大日向からさつまチップスを。大日向が追っかけをしていることが明らかに。
座る時に携帯が邪魔になるのか机の上に置く大日向。
最後のチップスを巡っての摩耶花と奉太郎の距離感も面白いです。
大日向の頼みで従兄弟がオープンさせる喫茶店の下見をすることに。
奉太郎の馴染みの店、「パイナップルサンド」は移転していることが明らかに。
「氷菓」で千反田が奉太郎に頼み事をした店です。
喫茶店では「水筒社事件」という地元の詐欺事件の話が。
遅れて喫茶店に来た千反田がカウンター席で奉太郎の隣に座る距離感。
かかってきた電話に出てしまったせいで遅れたと。
奉太郎と千反田が携帯を持っていないことが語られます。
喫茶店の名前で愛羅武勇の当て字で、愛染明王や悪鬼羅刹を挙げる大日向。この辺は菩薩繋がりか。
ブレンドコーヒーとスコーンを試食。
千反田の人間関係:
学校にも知り合いが多く、地元の名家ということもあって色々な人と繋がりが。
大日向から一年A組の阿川を知っているか聞かれます。
千反田の顔の広さを恐れているようです。
喫茶店の名前は「歩恋兎」(ブレンド)
歩(あゆむ)は喫茶店のマスターの奥さんの名前。ぽーちゃんと呼ばれています。これはミステリーネタか。
会話の中で登場した水筒社事件はホームズの赤毛連盟とよく似ています。
この日のことで気になることがあるということで、千反田ともマラソンの最中に話をしようと。
その鍵となるのが昨日の放課後。大日向が退部を言いだした時のことです。
その時に何があったかを思い出そうとする奉太郎。
19時間30分前の回想:
部室前の廊下にいる大日向。部室に入りにくそうにしています。
大日向と里志の妹が同じクラスであることが明らかに。
それで里志と摩耶花の関係を知っていました。
里志と摩耶花の距離感。
春休みに里志の逃げ隠れが終わり、以降は土日はスケジュールが埋まっていると。
どうやらようやく付き合うように。誕生日の時の夕方から映画というのもそれですね。
付き合い続けてからしばらくは里志は摩耶花に謝り続けていたと。
これについては前作の「手作りチョコレート事件」でのことが関係しています。
部室で大日向と千反田が一緒に座り、何か話をしていて、「はい」という千反田の声。席を立つ大日向。
そして、外ですれ違った摩耶花に退部のことを伝えていました。
この時に何かがあったのか、それともこれまでの間に蓄積していった何かがあるのか。
その理由に千反田は心当たりがあるようなので、奉太郎は千反田を待ちます。
奉太郎の前を走り去ってゆく千反田に自分の推理を伝えるべきか悩む奉太郎の距離感。
振り返ることによって千反田は奉太郎に気がつきます。
表紙の振り返る千反田はこの時のことですね。
表紙でお互いの距離感をはかる千反田と大日向ですが、その中間地点に奉太郎がいることになります。
コースアウトして二人で話すことに。
「はい」は千反田が電話に出た声。
その電話は大日向の携帯電話。
携帯を持たない千反田だけにいつもの習慣,家の電話の感覚で取り次ぐつもりで電話に出てしまいます。
喫茶店に来るのが遅れたのも同じ理由でした。
着信はメールのようですが、千反田が携帯を手にしているのを見てしまう大日向。
それで、携帯を奪い取って部室を去ります。
携帯を持たないだけに、携帯電話に関するプライバシーの距離感を知らなかった千反田。
その時の出来事が大日向の退部に繋がったと感じている千反田ですが、奉太郎はそれまでの間に千反田が大日向に圧力をかけていたと推測しています。でもそのことには気がついていない千反田。
ここで千反田視点で昨日のことが。
大日向が自分に壁を感じていることには気がついています。
話題になったのは摩耶花が漫研を辞めたことについて。
摩耶花の退部を擁護した千反田。
大日向と千反田の間で何かのすれ違いが起きていることに気がつく奉太郎。
それで、大日向と話すことに。真相が明らかになります。
マスカルポーネクリームがどんなものか知らなかったので、これが複線だったことには気がつきませんでした……
千反田の交友関係の広さから警戒していた大日向。
それが大日向の「友達」の存在と関係しています。
阿川のことも知っているということで、その「友達」のことも知っていると思っている大日向。
それゆえに、摩耶花の退部関連のことで千反田の言ったことが、自分の「友達」のことを暗喩していると邪推してしまう大日向。
それゆえに千反田が「夜叉」に見えてしまう。
漫研を退部した摩耶花を支持する千反田の話をあの「友達」を見捨てた方がいいという意味に捉えてしまう大日向。
マガジンラックの伏線にも気がつきませんでした……
その「友達」がお金持ちのお祖父さんを騙してお金を手に入れていた。
そうでもして大日向と遊び歩くためのお金を手に入れていた。
それで、その友達との距離感に悩む大日向。
向こうは友達であると思っているけど、高校で別れ別れになって安心している大日向。
漫研と決別した摩耶花の話を自分とその「友達」とに重ね合わせていた大日向。
その友達のことを千反田に知られてしまう、別れて安心していることを知られたくなくて千反田から距離を置こうとしていた大日向でした。
「惣田」の名前が出た時に大日向がとても驚いていたので、その「友達」は惣田という名前のようです。親が市会議員ということだったので、資産家である可能性が高いです。
友達のことを「その子」と「あの子」の呼び方とか
マラソンコースの道から外れて、過去の道を踏み外したことを語るというのも面白いです。
真相がわかったところで元のコースに戻る視界が開けていました。
友達との距離感に問題を抱えていた大日向。
仲がいい古典部なら友達関係の問題はないと思って仮入部しますが、次第に千反田がその「友達」のことを知っているのではと疑心暗鬼になる大日向。
その友達のことは既に黒歴史になっています。
でもその友達との関係を千反田に気づかれていたらそれは過去のものとはならなくなってしまう。
そのことを恐れている大日向。
昨日の放課後もそのことを確かめようとして千反田と対峙したはずです。
でも、何気ない摩耶花の話が、友達を見捨てたと非難していると感じてしまう大日向。
その誤解が二人の距離感に影響を与えます。
自分の過去の出来事のせいで、物事を悪く考えてしまいます。
その大日向が引きずっているものと、千反田が悩んでいたことの対比が面白いです。
携帯電話を見てしまったことで怒っていると思い込んでいる千反田の可愛さが良いです。
本人にとっては真剣な悩みなのですが微笑ましいです。
千反田は実は腹黒か!? と緊張が走りましたが、裏表がない素敵な人でした。
「去年の俺であれば、千反田がやったと考えていたかもしれない……しかし、この一年。すべてではないとはいえ、いやほんの一端に過ぎないとはいえ、俺は千反田のことを知った。千反田の叔父の話を聞いた。ビデオ映画の試写会に連れて行かれた。温泉宿に合宿に行った。文化祭で文集を売った。放課後に下らない話をした。納屋に閉じ込められた。雛に傘を差してやった。だから違うと思った」
この言葉に奉太郎と千反田との関係が変化していることが示されています。
一年間一緒に過ごすことによって千反田のことをよく理解するようになっています。
だから、千反田が何かしたせいで大日向が退部したわけがない。千反田が大日向を傷つけるようなことをするわけがない。
奉太郎はそう信じています。だから、千反田のために、千反田がそのことで傷ついてほしくないので、マラソン大会という最高度にエネルギーを消費するイベントの中でも、真相を知るために必死になります。
昨年の春の時のような面倒事を避けようとする奉太郎ではなくなっています。
一年前の省エネ主義の奉太郎とは大きく異なり、千反田のために自分から動いて解決しようとしています。
3作目の「クドリャフカの順番」以降、二人の距離が急接近している感じです。
これからの方向性ですが、今回のことは「外の問題、外の話」として話されます。
これまでの古典部シリーズの事件は学校の「中の問題」部外者にはどうでもいいような事件ばかりでした。
「僕たちには所詮、学校の外には手が伸びないんだ」
と語る里志ですが、そのままではいけないと感じている奉太郎。
そう感じているのは千反田のことを意識しているからです。
千反田には外の世界、地元の名家としての立場があり、既に外の世界にも触れています。
「外の問題は面倒だから関わりたくない」
というこれまでの自分のスタイルでいていいのか……
これまでの奉太郎の方針を変えるきっかけになりそうなのが、大日向に対する接し方に表れそうです。
奉太郎は里志に「入部はしない」と大日向のことを里志に結論として告げています。
大日向の問題は外の世界のもの、大日向自身の問題であって、それ以上何かするのは余計なお世話……
自分にはその問題に関わるべきではない。だから大日向は入部しないと考えています。
今までの省エネ主義なら、わざわざそうした外の問題に関わることを避けるはずです。
でも、それでいいのか。と奉太郎は考えるようになっています。
千反田が持っている外の世界を「遠まわりする雛」の時のように一緒に歩くためにはこのままでは駄目なことに奉太郎は気がついてきています。
それで、奉太郎はどうするのか。
大日向を本気で助けることによって、外の世界の問題にも関わるように奉太郎は動くのかが、次の巻で明らかになるのではと思います。
次の巻で大日向が古典部に入部することになるなら、奉太郎が外の世界にも関わろうとし始めたことを示すものとなります。そうなると、千反田との距離もいっそう縮まることになりそうです。
「遠まわりする雛」で自分の外の世界を見せた千反田ですが、それに奉太郎がどう応えてゆくのかに注目です。
「ふたりの距離の概算」ですが,単体としても良くできています。
派手な事件が起きないこと,フェアにヒントが提示され、そこから奉太郎が推理してゆくといういつもの古典部シリーズのスタイルが使われています。
そのスタイルが古典部シリーズ初見のミステリーマニアには合わないということがあるかもしれませんが、今作は伏線が巧妙に仕組まれているところが実に優れています。
読んでいてスルーしそうな点までもが意味を持っていてそれをヒントとして見事に回収してゆきます。
大日向サイドから事件を振り返っても納得することができる理由付けがなされていました。
唯一気になったのは、マラソン大会が毎年必ず行われてきていると記述されていたのに、昨年の奉太郎たちが一年の時のマラソン大会のことが一切触れられなかったことです。
この時の出来事は短編集第二弾で補完されることを期待しています。
恐らくアニメの終了当たりにあわせて文庫版が登場すると思うのですが,どんな英語タイトルがつくのでしょうか。これも楽しみです。
次の古典部シリーズ最新刊を心待ちにしています。
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あらゆる所にある伏線に僕も気づきませんでしたw
「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」「遠回りする雛」はアニメで見てからの文庫本だったので(今回は折木と一緒に謎を解いてやる!)と頑張ったのですが、到底米澤先生には敵いません・・・w
次回作も本当に楽しみですね!
折木家訪問を他のメンバーに黙っていたこと、二人だけの秘密事ができた奉太郎とえるが非常に微笑ましいというか、今後の期待値がぐんぐん上がっていますね。
もし大日向の「友達」というのが奉太郎の推測通り「惣田その子」だとして。
お祖父さんが大金持ちで父親が市議会議員。千反田家と付き合いがあるということはやはりそれなりの家なのでしょう。
そんな家の娘が中学3年という微妙な時期に転校するものでしょうか・・・?
お兄さん(奉太郎の同級生)の高校進学と同時期ということになるので、なにか事情があったとも考えられますが・・・そのあたりだけ気になりました。