文フリで寄稿したものなど雑感
psychAのこと
その界隈では有名な『psychA』に2号連続投稿させていただきました。1号の方にはGINETTE RAIMBAULT, CAROLINE ELIACHEFF『天使の食べものを求めて : 拒食症へのラカン的アプローチ』の書評を寄せましたが、2号の方では「力動精神医学についての簡潔な報告」と題してフランス力動精神医学についてエランベルジェの『無意識の発見』をベースにいろいろ書きました。5月4日の文学フリマにて、オ-25「戸山フロイト研究会」ブースで頒布されるかと思います。
精神医学のこと
それにしてもエランベルジェの資料の渉猟には瞠目するばかりで、いやはやという感想。アメリカ国立精神衛生研究所(NIH)の研究秘書として3年間給与をもらい、4ヶ月間各国に赴いたそうだ。他にも優秀だったらしく多くの伝手を得て資料を渉猟し続けたらしい。結局どれくらいの期間で書いたかは詳しいことを調べないとわからないが、ニューヨークの出版社から英語で出版されたことや謝辞の最初にはNIHの名が挙がっていることから執筆期間のほとんどはアメリカにいたかもしれない。邦訳には日本語版のための序文が付与されていて、そこではmythopoetic functionの重要性が強調されている。なぜか。
エランベルジェは医師であったこともあり、無意識に関しては治癒が重要なものであるとして、その上で理論に慎重さをもって対処すべきとする。そして力動精神医学の知見を現代の科学的な精神療法にも援用できるようにと訴える。彼にとってはそこで最も重要なのがmythopoetic function。myth+poiesis+function。フロイトの創造の病をふまえると、どうやら無意識の創造性を強調したいようだ。
しかし、無意識が創造的であろうとなかろうと、その手の話題には「あなたのインスピレーションを高める7つの方法」とか、いかにもハフィポス記事な感じが匂い立ってきそうで少しうんざりする。
エランベルジェにしてみれば、そもそも力動精神医学のキナ臭い出自のせいもあるし、そこで得られた心因性の病の知見を科学的精神療法に取り込むだけで科学的でなくなるから難しいと言っているわけで、なんか別の観点が欲しいらしく、創造性なら科学においても力動精神医学においても互いに互いを毀損することなく考究できるのでは、というアイディアを持っているようだ。mythopoetic functionでいえば、人類はそれぞれ普遍的で原理的なモデルを持っていて、そこから創造される数々の神話の類似性はまさにそのモデルの存在を示唆するから、というところだろう。普遍性と実証性を保ち、いつでもどこでも起きるうる現象であり、かつ反証も可能であるから科学的、とエランベルジェがそう言いたいか否かは知らないがそうともとれる。
しかし、左脳が理屈で右脳がアートなんて半世紀前の脳科学の知見が江湖の知るところとなり、時を経て自己啓発化したことを踏まえると、創造性の源を科学的にアプローチしても全てなんらかの自己啓発に落としこまれる気しかしないのでやっぱりノレないが、気になった方は『無意識の発見』を読んでから、みすず書房の彼の著作集をどうぞ。その見識の広さに学ぶところはかなり大きい。
ところで、力動精神医学といえばシャルコーだが、シャルコーに会ったことのある日本人で森鴎外も小説(「魔睡」)でモデルにしたことのある三浦謹之助という人物が興味深い。
三浦謹之助は非常に優秀な人で、学生時代からベルリンの医学雑誌に論文を投稿していたそうで、結局は独仏語を合わせて20を超える論文を残したそうだ。留学中は当世屈指の医者や研究者のもとで学び(ゲハルトやオッペンハイムなど錚々たる顔ぶれ)、留学最後の半年間をシャルコーの下で過ごした。江口重幸の調査によると(江口重幸『シャルコー』に詳しい)、明治25年の三浦謹之助「シヤルコー氏の小傳」(『東京醫事新誌』)が初めて日本で正式にシャルコーが紹介された機会だったという。
三浦のサルペトリエール時代の研究はヒステリー性の麻痺だったそうで、どうやらシャルコーのヒステリー理論を継承しようとしたらしい。ちなみに、1893年に発表された三浦の研究成果となった論文は同年、あのピエール・ジャネが博論で言及もしていたそうだ。
三浦神経学と呼ばれた彼の療法や理論の影響の大きさは計り知れない。おそらく佐藤恒丸訳『火曜講義』、すなわち『沙禄可博士神經病臨床講義』が出版されたのも、政財界の大物の主治医を務めるまでに至った名医三浦の影響が大きいだろう。戦後の精神医学界に大きな影響のあった内村祐之もまた、三浦に学ぶにはフランス語が必要だったから断念したことを惜しんでいる。
最後に。ドイツ医学導入を推進する立場にあった森鴎外はフランス贔屓かつ神経学の導入を目指していた三浦と政治的に対立していて、例の小説でも三浦をモデルとする人物はひどい扱いをされているし、さらにその小説は民衆に催眠術に関する警戒心を高めたそうだ。シャルコーのヒステリー論は催眠論と対になっていることからわかるように催眠術を受け入れられないというのはシャルコーを受容する上では障害になる。しかし、皮肉なことに、『沙禄可博士神經病臨床講義』は東大総合図書館の「鴎外文庫」に登録されていることで現在においても手に取りやすいものとなっている。訳者の佐藤が明治44年に陸軍軍医総監だった森に訳書を謹呈していたからだ。
それにしても、現在のこの国ではいわゆる精神医学と精神分析の受容史や発展史が書かれていないのが不思議でならない。三浦謹之助を知るきっかけになったのもシャルコーを学ぶ過程であるという状態である。ルディネスコの『100年の戦争』のような本、あるいはエランベルジェの『無意識の発見』のような本が書かれる必要性が割と高いと思われるのだが、どうだろうか。確かに、松下正明のような人によって『臨床精神医学講座』シリーズ通算38巻本など多くの書物が編纂され、歴史的経緯を知ることができる本は着実に刊行されているわけだが、網羅的かつ体系的な一冊というのはない。立岩真也『造反有理』世代の次を担う人々の仕事はそういったものかもしれない。いつか誰かが戦後の日本で神経科が次第に消えていった事象について明快な考察を与えることを期待したい。普通は、心理学が一般に広まっていたことなどが挙げられると思うのだけれど、本当にそうだろうか。気になる。
もいっちょ宣伝
話が大きく逸れてしまったけれど、他にも宣伝があったのでした。文フリではB-51「児童文学研究会」ブースで頒布されるJust Be Kidsシリーズ8冊目にあたる、『もしもし、宇宙ですか?』に詩文を2つ、米原将磨名義で投稿させていただきました。リンク先を見ていただけるとカバーも見られますが、かなり素敵な仕上がりになっています。それでは、2つの冊子の方、よろしくお願いします。