歴史に思いを馳せませう: 地酒星人

歴史に思いを馳せませう

2014/10/17

荒木町の高須四兄弟!

狭い路地に様々な飲食店がひしめき、最近では“日本酒の聖地”などという呼ばれ方をするようになった四谷・荒木町
日頃お世話になっているこの界隈ですが、かつては一帯が大名屋敷だったのです。
その大名とは美濃高須藩(現在の岐阜県海津市)の松平家。
御三家の尾張徳川家の分家です。
幕末、この高須松平家に生まれた四兄弟が様々な立場で歴史に登場するのでした。

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そんな高須四兄弟の事跡を紹介する「新宿歴史博物館」の催し。
(2014年9月13日〜11月24日)

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高須藩十代藩主・松平義建の子が各大名家に養子に入ったことからその後複雑な関係が生まれました。
長兄の徳川慶勝(よしかつ)は御三家の尾張藩主に。
長州征伐の総督を努めながら、鳥羽伏見の戦いの折りには一転して藩論を勤王に統一させた。
戊辰戦争では東北諸藩と戦う。
一橋茂栄(もちはる)は将軍・徳川慶喜の後に一橋家の当主に。慶喜の助命嘆願に奔走した。
戊辰戦争では中立派。
松平容保(かたもり)は会津藩主に。
京都守護職となり新選組などを率い京都の治安にあたる。
後に官軍に抵抗して会津戦争を戦い敗北。
末弟の松平定敬(さだあき)は桑名藩主に。
京都所司代として兄の松平容保を助け、戊辰戦争では各地を転戦し函館五稜郭で降伏。
同じ家に生まれながら、幕末には異なる立場で激動の歴史を生きた四兄弟。
かつては“一会桑政権”と呼ばれるほどの勢力を持ちながら、波乱の幕末に試練を味わった男たち。
書や写真、身のまわりの品など、様々な展示があります。

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四兄弟の事跡に感慨深く接したあとは自然と足が荒木町に向かいます。
策(むち)の池。かつて家康が鷹狩りの際に鞭を洗ったのが由来だとか。
高須松平家の上屋敷内にありました。
上屋敷のなごりを残しているのは、この場所くらいでしょうか。
ちなみに地酒星人の子供の頃には通称“かっぱ池”と呼ばれていました。
(足をすべらせて見事はまった事があります:苦笑)

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津の守辨財天にお詣りをして・・・。
「どうか荒木町で、これからもおいしいお酒が呑めますように・・・。」

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あ、そうそう。
荒木町の車力門通りの名も高須松平家の上屋敷から来ている名前らしいですね。

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2006/09/18

【会津センチメンタルジャーニー:壱】近藤勇墓参篇

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会津へのひとり旅に行って来ました。
特にこれといった予定を持たない気ままな二泊三日の旅でしたが、どうしても訪れてみたい場所がひとつだけ有りました。
鶴ヶ城を見下ろす山の中に有るという、新選組局長・近藤勇の墓です。

近藤は慶応4年4月、東京・板橋において刑死します。
その後、各地を転戦し会津へやって来ていた新選組副長・土方歳三が盟友・近藤の墓をこの地に建てます。
墓碑に刻まれた戒名は会津藩主・松平容保から贈られたものと言われており、墓の場所は土方の指示によって決められたと伝えられています。
但し、斬首された近藤の首は京の三条河原にさらされ、胴は近親者によって東京に埋葬されました(この辺り、様々な説があります)ので、いわゆる墓というよりは、“碑”の意味合いの強いものと言えます。

では、何故そのような場所へ行きたいと思ったのか・・・。
一昨年放送された大河ドラマの「新選組!」
この中で土方歳三役を演じた山本耕史氏が、かつてインタビューにこう語っていました。以下、要約。

「土方を演じるにあたって、日本各地の縁の場所へ行きました。どこも歴史のある土地だという事以外、特に思う事はなかったのですが、会津の近藤の墓だけは違いました。あそこには何かが有る。絶対に土方さんの何かが墓に埋まっている、と強く感じました。」

土方を演じた一俳優の持った印象であり、何の根拠も無い発言ではあるのです。
しかし、迫真の演技で土方そのものになりきった山本氏の発言です。自分の思い入れがかなり加味されているとは思いつつ、それでも会津の近藤の墓はこの発言以降、是非訪ねてみたい場所になりました。

それから約2年。ようやく会津を訪ねる機会を持てました。

近藤の墓は鶴ヶ城の東側、山中に有ります。
基本的に観光地ではなく、天寧寺という墓地の一角で、かなり険しい山道の中途に有る為、道に迷わないかがとても心配でした。
しかし会津若松ライオンズクラブによる案内標識が多数あり、ほとんど迷わずに山道を登って行く事が出来ました。
Kondoroad

かなり険しい山道です。昨日まで降っていた雨によるぬかるみが心配でしたが、これはさほどでもなく。
それでも急勾配が続き、だんだん息が切れてきます。
額に汗が滴り落ちる。

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途中、こんな看板も有り嫌な感じに。
雨の日だったら引き返したくなったかも。

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会津若松ライオンズクラブによる案内標識が各所に。
これがなかったら、おそらく一人ではたどり着けませんでした。
感謝、感謝。

つづら折りの山道を足をふらつかせながら登っていると、少し道が下りに。
そのまま歩いて行くと、ありました。
重なる枝の中から見えて来ました、あれが墓所なのでしょう。
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この写真、少し変わったハレーションの入った撮れ方をしました。
来訪を喜んでいただいたと理解いたしましょう。

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左が近藤勇の墓です。
右が昭和63年に建立された土方歳三の慰霊碑。

貫天院殿純忠誠義士大居士

あらためて字面を追いますと、松平容保の近藤に対する好意、信頼が十二分に感じられる戒名ですね。
特に“貫天”という文字が印象的で、大河ドラマ「新選組!」のオープニングタイトルの青い空と白い雲の映像は、ここからイメージされたものではないのか、と感じました。

そして、この険しい山の上に墓を置いたのは土方の意志。
もちろん、やがて会津に押し寄せる官軍による詮索を恐れての事もあるでしょうが、この場所に決めた理由が土方の心の内にあったような思いがします。

Aidusigai

墓所から木々越しに見えるのは会津若松の市街です。
この墓が特別の意味を持つ・・・。
それは、この墓をこの場所にあつらえた土方の意志、そして近藤にこの素晴らしい戒名を贈った松平容保の意志。
その二つの意志が、今なお明確に感じられるからではないのでしょうか。




どうしても訪れたかった場所。
ようやく念願かなって、身も軽く山を下って行きました。
麓近く、ふと空を見上げると。

そこにはまさにあの青い空と白い雲が広がっていたのです。
思わず、声を上げて笑ってしまいました。

Kondosky


貫天院殿純忠誠義士大居士

本当に良い名だなあ・・・。

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