“ だ ん ご む し  新 聞 ” Newspaper Pill-bug 登城記念証
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 “ だ ん ご む し  新 聞 ” Newspaper Pill-bug

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表紙

蟹江城址 〈 愛知県海部郡蟹江町城1丁目111 〉   2021.06.30


大嫌いな

夏がやってきました

コロナ渦ではなく

暑さで

外出自粛です




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蟹江城は滝川一益の居城として知られています。
織田信長の北伊勢進攻、長島一向一揆鎮圧の拠点となりました。
「賤ヶ岳の戦い」では一益は羽柴秀吉に敗れたため、この城を追われます。
翌年の「小牧・長久手の戦い」における蟹江城合戦(蟹江合戦)では、
秀吉方となった一益が蟹江城の奪還に成功しましたが、
徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、篭城戦の末、半月後に落城しました。
さらに翌年の1585年(天正13年)に起きた天正地震により城は壊滅しています。
このように滝川一益との縁が深い城ですが、現在は住宅地に城址の石碑と本丸井戸跡が残るのみです。





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名古屋城 金のしゃちほこが一般公開 2021.03.27



あちこちで

桜満開

気持ちいい





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名古屋城 金のしゃちほこが一般公開

16年ぶりに地上に降ろされた名古屋城のシンボル、金のしゃちほこの一般公開が20日から始まりました。
2体のしゃちほこは名古屋城の二之丸広場の特設会場で展示されています。
雄の金シャチは「山シャチ」と名付けられ360度から鑑賞できます。
雌の金シャチは「海シャチ」と名付けられ、2000円を支払うと特別なエリアで専属のカメラマンが記念撮影を行います。
金のしゃちほこの展示は、新型コロナの中、街を元気づけようと企画され、16年ぶりに地上に降ろされました。
名古屋城での展示は来月2日までで、来月10日から7月11日まで栄で展示されます。




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   小倉城    〈 福岡県北九州市小倉北区城内2-1 〉   2020.11.26



いきなり酷寒

初雪

積雪?

頼むから積雪だけは

ご勘弁を






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小倉城

小倉城は細川忠興の居城として知られ、唐造り(南蛮造り)の天守が建てられたことでも有名です。
幕末期には長州藩を攻める第一線基地となりました。
現在は勝山公園として整備されており、一部の石垣や堀が残り、唐造りの天守も再建されています。
隣接する小倉城庭園には奈良や京都から職人を呼んで建てられた書院造りの大名屋敷が再現されています。
また、北九州市役所の展望フロアからは小倉城を一望することができます。




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  丸岡城(霞ヶ城)  〈 坂井市丸岡町霞町1-59 〉 2020.10.18


いい気候が続きますが

明日は一転雨

雨があがると

また寒いのかな?






どもども だんごむしです  
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丸岡城(霞ヶ城)

丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。
丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。
外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、
すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。





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   掛川城     〈 静岡県掛川市掛川1138-24 〉  2020.01.26



連日の研修が一区切り

ホット一息

ですが

来週にラスト3日間








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室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。
働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。
掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。





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金ヶ崎城跡    〈 敦賀市金ヶ崎町 〉   2020.01.05



暖かい日

今年は雪が降るのかな?

タイヤを替えたけれど

夏タイヤで十分だったかな?







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金ヶ崎城跡

金ヶ崎城は、福井県敦賀市にあった城郭です。

南北朝時代の延元元年(1336)十月、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて、気比氏治の居城であった金ヶ崎城に入城しました。
約半年間足利勢と戦いましたが、翌年三月についに落城し、尊良親王、新田義顕以下将士300名が亡くなったと伝えられます。
戦国時代の元亀元年(1570)四月、織田信長が朝倉義景討伐の軍を起して、徳川家康、木下藤吉郎が敦賀に進軍し、金ヶ崎城、天筒城を落としました。
続いて越前に向けて進軍しようとしたとき、近江の浅井氏が信長を裏切り朝倉氏に味方しました。
前後を挟まれ窮地に陥いった信長は、木下藤吉郎を殿(しんがり)に「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる撤退戦を強いられました。
無事撤退に成功した信長は、同年六月に姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍を撃破します。





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   津山城    〈 津山市山下135 〉   2019.11.08



昨日は

今年最後の

床屋へ行ってきました

1850円也

全行程で30分弱

早くてOK







どもども  だんごむしです 
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津山城

津山城は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が、鶴山(つるやま)に築いた平山城です。

明治の廃城令で、建造物は取り壊されましたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残しています。

天守の南東側の備中櫓(びっちゅうやぐら)が、築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されています。






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   鳥取城跡    〈 鳥取県鳥取市東町 〉   2019.11.08




12月

日差しがないと

やっぱり寒い

12月






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鳥取城跡

世にいう「鳥取城の飢え殺し」の頃の天守は1573年(天正元年)に山名豊国が守護所のあった天神山城から移した独立式望楼型3重だったが、
関ケ原の戦いの後に池田長吉が入封した際に大改修された。
このときの天守は1601年(慶長6年)に着工し、1602年(慶長7年)に完成したとされるが、1692年(元禄5年)に落雷で焼失した。
その後は再建されず、二の丸の御三階櫓(独立式望楼型3重3階)を天守の代用にした。
この御三階櫓も1720年(享保5年)に焼失し、1728年(享保13年)に層塔型で再建されたが、1879年(明治12年)に取り壊された。







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国史跡 米子城跡   〈 鳥取県米子市久米町 〉    2019.11.07






周りでは

咳をしている人が

多くなってきました

明日にでも

インフルエンザの予防注射を






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国史跡 米子城跡

別名
久米城、湊山金城

江戸時代の天正19(1591)年頃に戦国武将・吉川広家が米子城の建設を始めました。
その後、慶長6(1601)年駿河の国から中村一忠がこの地・米子を治める伯耆の国城主となり、
米子城を完成させ、名実共に山陰一の名城となりました。
ところが、1609年に中村家は断絶。
その後、米子城は鳥取藩の家老・荒尾成利の預かりとなりました。
明治の始めには、わずかな値段で売り払われ、その後解体されます。
名城を築いていた木材は風呂屋の薪にされてしまったと伝えられています。
現在の米子城跡は、かつての石垣をとどめるだけとなっています。





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  国宝 「松江城」  〈 島根県松江市殿町1-5 〉    2019.11.07




夕方から

一気に寒くなりました

風邪が

あと一歩

治りません





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国宝 「松江城」

小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。
山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。
標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。






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