連休でも書く。なぜなら休みとは関係のない生活をしているから。
どこに行くわけでもないしー。
何かするわけでもないしー。
つまり、ごく普通の生活なので。
赤也と海堂のお話「手のひら」の後日バージョンです。
柳さんが出ていらっしゃいます。海堂目線になります。
柳+赤也×海堂
という感じですかねー。
良かったら。
手のひら<after>
日課である夜のランニングのコースに、小さな公園がある。折り返し地点でもあるそこは、休憩と給水を取るポイントでもある。
俺は乱れた息を整えながら公園に入り、いつものベンチに向かった。背中のメッセンジャーバッグからタオルを取り出す。額から頬、首へと流れる汗を拭いながら、ベンチに目をやる。
そこで、意外な人を見た。
「──立海の」
「やあ、海堂」
その人は座っていたベンチから腰を上げ、俺を見た。──見えているのかどうかよく分からない細い目で。
「柳、さん」
「ああ、覚えていてくれたか」
そりゃ、覚えているに決まっている。この人は、俺のダブルスのパートナーである乾先輩の幼馴染みで、小学生の頃のダブルスパートナーだ。
そして、この夏、全国大会の決勝で俺たちとダブルスを戦った相手でもある。
「──何っスか」
用事もなくこんなところにいるはずはない。たまたま、とか偶然、などというものが言い訳として使えるような距離ではない。隣の県からわざわざここまで、散歩に来たとでもいうのだろうか?
「座らないか。飲み物を買ってある。──その背負った鞄の中にもドリンクは用意されているだろうが、こちらはよく冷えている」
お得意のデータで、俺がこの公園にやってくる時間をきちんと計っていたに違いない。俺は、っスとうなずいて、柳さんが差し出したスポーツドリンクを受け取った。そしてタオルを首にかけたままベンチに座った。
そういえば最近、同じようなことがあったな、と思う。
相手は違うけれど。同じ決勝で試合をした、つまり柳さんのパートナー。
「お前が赤也のことを思い出している確率、98%」
データってやつですか、柳さん。
俺は肩をすくめてみせた。どうせ答えなくても正解だと分かっているだろう。
「先日は、赤也が世話になった。ありがとう」
突然頭を下げられて、俺は慌てる。
「世話なんてしてないっス」
「いや、お前と話したことで、赤也は変わった」
「変わった?」
「ああ。つき物が落ちたとでも言うのか、ずいぶんと頭がすっきりとしたようだ。──実のところ、決勝戦以来、俺たちは少しぎくしゃくしていてな」
「切原と柳さんが──っスか?」
「ああ。あの試合のことを蒸し返すのは気が進まないのだが──」
柳さんの説明によると、あの試合のあと、俺たちがコートを去ってから、二人は少しもめたのだという。柳さんは自分に責任があった、と言った。自分が切原を追い詰めてしまったのかもしれない、と。
自分の失言に切原はキレてしまい、しばらく手がつけられなかったそうだ。それから柳さんたち3年生が引退して切原が部長になり、いつの間にかそれはなかったことのようになっていた。切原は柳さんを責めたりはしなかったし、柳さんもそれに触れようとはしなかった。
けれど、その曖昧さがどこか不自然な空気を作り、柳さんはずっと悩んでいたのだそうだ。
そして、俺の練習メニューを切原に託した。
切原が俺に会いにくるかどうかは半信半疑だったそうで、柳さんは黙ってそのときを待っていたのだという。
「そして先日、ようやく赤也が重い腰を上げてな」
「俺に、会いに来たんスね」
「ああ。──海堂にはすまないと思っている。なんの説明もなしに、突然あいつが訪ねてきて、驚いただろう?」
「ああ、まあ、そっスね」
公園の入り口に立つ切原を見たとき、一瞬俺の身体がカッと熱を持った。あの試合のことを思い出した。そして、傷だらけになった乾先輩の姿も。
けれど切原の顔はどこか頼りなく、何か寂しそうにも見えた。
切原とまともに話すのは初めてだった。コートの中の姿しか知らなかった俺は、切原の態度に戸惑った。
テニスをしているときと、普段の切原は別人のようだった。
会いにきた理由も分からないまま、会話のきっかけを探してか、間の抜けたことを言われた。
今さら優勝おめでとう、なんて、どうかしている。
会話の糸口、なんていっていたが、切原は物事を考えないで言葉を口にする人間なのだと、話をしていて気付いた。ある意味分かりやすい。嘘をついたり、裏があったりするわけではないから。
だから俺もしばらく切原の話に付き合うことにした。
俺はあまり話すのが得意ではない。だから、ゆっくりと考えながら喋る。途中、切原が待ちきれないように顔をしかめたり、口を開きかけたりしたが、基本的にはちゃんと会話になっていた。悪いやつではないのかもしれない、と思った。
「お前と会ってから、赤也に頭を下げられたよ」
俺は驚いた。切原が誰かに頭を下げる姿など、想像もできなかった。
──俺は俺のテニスをする。あんたが信じてくれる限り。俺も俺を信じてテニスをする。
そう、切原は言ったらしい。
──だから柳さん、俺を信じてください。あんたが間違ってなかったことを、ちゃんと俺が証明するから。
と。
柳さんはどこか嬉しそうだった。
「赤也をお前の元にやって、正解だった」
そんな風に言われて、俺はどうしていいかわからなくなる。別に俺は何かをしたわけじゃない。切原が自分で答えを出したのだ。俺たちはただ、このベンチに腰掛けて、話をしていただけだ。互いの信念を。
俺が首を振るのを、柳さんは謙遜と取ったらしい。
「いや、お前のおかげだ、海堂」
そのストレートさが、切原と似ていると思った。
「そのことで礼を言いに来たのだ。さっきも言ったが──ありがとう、海堂」
柳さんが再び頭を下げた。俺はまた慌ててしまい、柳さんは頭を上げてふっと笑った。
「お前はずいぶんと謙虚なのだな」
「んなことないっス」
「いや、充分謙虚だ。──貞治もいい後輩を持ったものだ」
「柳さんも──」
「ん?」
「切原は、いい後輩、なんスよね?」
柳さんが微笑んだ。細い目がますます細くなる。
「ああ、そうだな。そして、大事なダブルスパートナーでもある」
「っス」
俺の何が役に立ったのかは分からないが、二人がまたお互いを信頼できるようになったというなら、それはいいことなんだろう。だから俺はうなずいた。
「ところで海堂」
柳さんの口調が、少し緩やかになった。
「お前とは一度、手合わせをしてみたいと思っているのだが」
俺は驚いた。そして、同時に胸が高鳴った。
柳さんと打ち合えるチャンスなど、そうはない。乾先輩と同じデータテニスをする柳さんが、一体俺を相手にどんなテニスをしてくれるのか、興味があった。
だって、乾先輩とのあのシングルス対決を見てしまったから。
あんな壮絶な試合をするこの人が、俺を相手に手合わせだって?
もちろん喜んで、と返事をしようとしたとき、俺たちの間に割り込むように声を上げた人物がいた。
「あー、やっぱり、ここに、いたっ」
その声の方を見ると、さっきまで話題になっていた切原本人が、息を切らせて立っていた。
ずんずんと俺たちの前まで来ると、両膝に両手をつき、息を整える。全力疾走でもしてきたのか、絶え絶えの息で、言った。
「柳、さん、東京、行くって、言うから、絶対、ここって」
「──おい、大丈夫か?」
まともに話せない切原に、声をかける。切原は俺を見て、ぶんぶんとうなずいた。滝のように流れる汗が、そこら中に飛び散った。思わず俺は首にかけていたタオルを引き抜いていた。
「これ、俺が使っちまったやつでよければ──」
言い終わらないうちに、奪われた。タオルを頭からかぶって、その汗を拭う。
「赤也、少し落ち着け」
「落ち着いてらんないっすよ! 何してんですか、柳さん。海堂に一体何の用なんすか ?!」
「それはお前に言う必要はないだろう?」
柳さんが細く目を開けて、笑った。
「そんなんないっす。俺だって来たかったのに」
「そうか。でもお前はあいにく部活があっただろう?」
「だから、終わって速攻来ました。ずるいっす、柳さん。部活ないからって」
「別にお前を出し抜いたつもりはないが?」
二人の会話に俺はついていけない。けれど分かったのは、切原はむっとして唇を尖らせているが、柳さんはどこかからかうようにその相手をしているということだ。
その微笑ましいとすら思えるやり取りに、俺は思わず笑みがこぼれた。
その瞬間、切原と柳さんが、会話をやめて、同時にこちらを見た。
「海堂、笑った?」
「笑ったな」
「わ、笑ってないっス」
「いや、今お前は笑った」
「笑った笑った。うわ、すげーもん見た」
切原ははしゃぐように言って、俺なんかよりも満面の笑みを見せた。
「何だよ海堂、笑えんじゃん」
どうして切原が嬉しそうなのか分からない。俺はあまりに笑った笑ったと連呼されて、少しむっとする。
「あー、何だよ、もう終わりかよー」
「ふむ、残念だな。お前のそんな表情はデータになかったから、採集させてもらうつもりだったのに」
冗談じゃない。俺は眉間にしわを刻み込む。
「──つーか、柳さん、まだ話、途中っす」
「別に俺の方はお前に言うことはないが」
「俺はあるんですー。だいたい、こいつの手は俺のなんっすからね」
切原が突然、俺の手を取った。持ち上げられたその手を、にやりとした切原が自分に引き寄せた。
俺は驚いて、その手を振り払おうとした。けれど切原の手はそれを予期していたらしく、やけに力がこもっていた。
俺はこの前のことを思い出す。切原とこのベンチで二人、並んで話をした日のことを。
泣き出した切原を、俺はどうしていいか分からなかった。けれどまるで子供みたいに泣きじゃくる姿を見ていたら、昔、同じように泣いていた弟を思い出した。どうすることもできず、ずっと頭を撫でてやったのを覚えていた。だから思わず手が伸びた。
切原の頭を撫でる。特徴的な髪は奔放にクセがあるけれど、それはふわふわと柔らかくて、手触りは悪くなかった。
俺が撫で続けていたら、切原が突然俺の手をつかんだ。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、俺を見た。そしてその手を離すまいと必死な顔をした。
もっと撫でていてくれ、と言われた気がした。
だから、俺は撫でてやった。切原がもういいと言うまで。
そんなことを思い出した。
確かそのときも、同じようなことを言われた。
──これは俺のものだ。
これ、が何を指すのかよく分からなかった。だからあまり気にしてはいなかった。
けれど、今の切原の台詞で、これ、が何を指すのか分かった。
俺の手、だ。
「いつから海堂の手はお前のものになったんだ?」
「いつからでもいいじゃないっすか」
切原は俺の手を離さない。そのまま柳さんとまた話し出した。
「ふむ、でも、それはお前が勝手に決めたことだろう?」
「そうだけど、でも、俺のなんです」
いや、俺の手は、俺のもんだろ?
思わず心の中でつっ込んでしまう。
やっぱり切原は、あまり物事を考えないで言葉を口にするやつらしい。
俺はまだ何か言い合っている二人に呆れて、溜め息をつく。
切原がぴたりと話をやめ、俺を見た。溜め息に気付かれたらしい。
「とりあえず離せ。俺はそろそろ帰る」
あまり遅くなっても家族が心配する。そうでなくても切原と会った日、帰宅予定時間が何時間も遅れてしまい、散々注意された。
切原はにやりと笑う。その笑顔にいやな予感しかしない。
予想通り、切原は俺の腕を持ち上げ、自分の顔に近づけ──俺の手首にキスをした。
「!!」
とっさのことに、言葉が出ない。
俺はパニックになった。
「逃がさないぜ、海堂」
そう言って切原はまた、にやりと笑った。
一瞬、切原の姿がテニスコートのそれと重なった。
「手首へのキスは──」
柳さんがつぶやいたけど、俺はくらくらとめまいがして、理解することができなかった。
切原がそんな俺に向かってはいた台詞は──
手首へのキス、それは欲望。
もう、理解するのは、やめた。
了
柳海でもありません、念のため。
柳さんは赤也をからかっているだけです、多分。
やっぱり赤也は、好きです。
頑張れ、海堂。