月のきれいな夜は、それを見上げて何を思う?
一人で見ても、きっと、月はきれい。
明るく、美しく、輝く。
けれど、大好きな人と二人で見上げる月は、もっときれいかもしれない。
木兎×月島
あなたが、好きです。
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良夜~良夜~
「え、月島の誕生日ってちゅーしゅーのめーげつじゃねーの?」
一体どこからそんな情報を仕入れてきたのか、木兎さんがきょとんとしている。
確かに、僕が生まれた年の生まれた日は、中秋の名月だった。
調べれば分かることだけど、そんなことをわざわざ調べるようなもの好きはいないだろう。
大方、山口が何かの拍子にぽろっと口を滑らせ、黒尾さんか赤葦さん辺りに伝わり、それを木兎さんが聞いた、というところだろうなと予想した。
「木兎さん、知ってますか」
僕は隣のおばあさんにもらった月見団子を縁側に飾りながら言った。
「中秋の名月は、その年によって、日にちが違うんですよ」
「ええ!」
驚いた木兎さんだが、次の瞬間、僕は脱力した。
「ところで、ちゅーしゅーのめーげつって、何だ?」
そんなことだろうと思いました。
今、僕が必死で飾り付けしているのも、何をしているのか理解していないんですよね、きっと。
縁側には、スーパーで買ってきた果物と和菓子。お隣からもらったサトイモの衣被とお月見団子。おばあさんと一緒に切ってきたススキももちろん飾ってある。
「木兎さんは、ちゅうしゅうのめいげつ、を漢字で書けますか?」
「中、しゅう……集? めーげつは、明月」
四文字中二文字正解。勝率五割。微妙に惜しい。
「木兎さん、お月見しましょう」
「おう、これ、食っていいのか?」
「お供えしてからですよ」
僕らは縁側に座った。木兎さんはビールを飲んでいる。
空にはぽっかりときれいな月が出ていて、月齢でいけば完璧な満月とは言えないけれど、ちゃんと真ん丸に見えるそれを見上げる。
「俺、てっきり27日がちゅーしゅーのめーげつだと思ってた。──ところで、ちゅーしゅーの──」
「お月見です」
「ん?」
「だから、十五夜お月様」
「それが?」
「中秋の名月です」
空中に指で文字を書いたら、ぽん、と手を打った。合点がいったらしい。
「旧暦の8月15日のことをそう言うんですよ。──ちなみに、必ず仏滅です」
「へー。……あれ、じゃあ、月島仏滅生まれか?」
「そうなりますね」
木兎さんは月を見ながらビールを飲み干した。
「きれいな月ですね」
「おう、真ん丸だ」
「仙台の街中より、空がきれいに見えます」
空が汚れていたとは思わない。ただ、街の明かりは明るすぎた。おかげで見上げる空に月の存在は確認できても、周りできらめく星たちはあまり目に入らなかった。
けれど今は、こんなにも空がきれい。
ぽつぽつとしか家のない山間の集落。最低限の明かりで生活しているせいか、夜道は真っ暗。懐中電灯なしでは外を歩けない。
もちろん、数メートルおきに街灯はあるが、鈍い明かりがぼんやりと灯っているだけで、まぶしさに目を細める必要もないくらい。
「うまい」
そんな言葉に視線をやったら、木兎さんがきれいに積み重ねたお団子をつまんでいる。てっぺんに二つ、縦に並んでいたものが、一つになっていた。
お団子は15個。積み重ね方もおばあさんに教わった。お供えするときはてっぺんの二つのお団子を正面から縦に並ぶように飾ることも。
「一緒にさらしあんもいただいたので、あとで食べるつもりだったのに」
木兎さんをにらんでやったら、そのままでもうまいぞ、とてっぺんのお団子をもう一つつまんだ。やれやれ。
僕は立ち上がり、台所に置かれていた小さなふた付きの容器を持ってきた。お隣のおばあさんの手作りのさらしあんだ。手作りだと聞いて、その作り方を教えてもらったら、ただ煮るだけの粒あんと違ってものすごく手間がかかることを知った。
小鉢にお団子を取り、あんこをかける。フォークを添えて木兎さんに渡してあげる。
僕の分は、気持ちあんこを多めに。
「おいしいですね」
「ばーちゃん、料理うめーよな」
時々、料理を習いに行く。
木兎さんが好きなお煮しめは何度か作ってみたけれど、なかなか深みの効いた味が出ない。
僕が好きな白和えは、拾ってきたクルミを割ることから始まる。
金槌でこんこんクルミを割って中身を取り出し、小さな殻が入り込んでないか確認しながら取り分けていくのだが、殻の中から出てくるクルミはほんのちょっとで、材料分用意するにはなかなかに大変だった。
だから、暇なときに割っておいて冷凍しておくのよ、なんておばあさんは笑っていたけど、それも結構な重労働だなあと思う。
クルミはその辺に転がっているから、散歩のついでに拾って、実を腐らせたのち川できれいに洗う。それから天日で乾燥。割って料理に使うまでにも、面倒な手間を経る。
ここに住み始めてから、僕は今まで、日常のありとあらゆることを蔑ろにして生きてきたのだなあ、と気づいた。
食事はいつも外食。たまに自炊もしたが、材料はすべてスーパーで最低限まで処理されたものばかり。
お隣の田んぼに稲が実り、風で揺れるそれらがさらさらと音を立てるのを、なんだか感慨深く見つめてしまった。
パック詰めのご飯をレンジで温めるのは簡単だけど、その形状になるまでに、どれだけの手間と時間がかかっているのか、真面目に考えたことなどなかった。
木兎さんの畑も季節の移り変わりとともに変わっていく。
夏の間、あんなに毎日生っていたトマトやキュウリが少しずつ実をつけなくなった。そろそろ片付けだな、と農業の先生であるおじいさんに言われた通り、葉や枝を落として倒し、ある程度乾燥させてから引っこ抜く。地中に残った根を根気強く掘り返し、再び土壌酸度を整える。
これから冬に収穫する野菜の種まきだ。大根、ほうれん草、カブ。白菜は虫がつきやすいので面倒くさいぞ、と言われ、今年は見送った。
毎日畑を耕し、肥料を入れ、またふかふかの土にする。
つなぎ姿で原始的に鍬を振るっている木兎さんを縁側から眺めていると、生まれたときからここでこんな生活をしていたんじゃないのかな、なんて錯覚する。
──月が、遠くの街灯よりもずっと明るく、僕らを照らす。
「月島、誕生日何が欲しい?」
唐突にそんなことを聞かれて、ぼんやりと月を眺めていた僕は、手にしたままだったお団子の入った小鉢を置いた。
「別に何も」
「いいから何でも言ってみ。俺、こう見えて結構金持ちだぞ」
「それは知ってます」
先日、木兎さんの預金額を知った。
しばらくは僕の収入だけで、木兎さんは無職。畑で作っている野菜はまだ売り物にはならない。かといって、あちこちから呼び出され手伝いに行っても、無料奉仕。そんなにお金を使うこともないが、全く使わずに生きて行けるほど世の中甘くない。
木兎さんが渡してくれた通帳には、目が飛び出るような額が記載されていた。
僕は通帳を閉じ、表紙を見つめ、さらに目を疑った。
億を超えるお金が、普通預金に入っている。
投資信託とか、債券とか、少しは運用したらどうですか、と言ってみたけれど、何それ、と言われてしまった。
せめて普通預金はやめて分散してくださいと言ったら、また変な顔をされた。
溜め息が出る。
「だから、なんでも買ってやるぞ」
「欲しいもの、別にありませんから」
「おねだりしてくれねーの?」
「おねだるものがないんです」
木兎さんは口をとがらせている。
「一個も?」
元々物欲がある方じゃないし、欲しいものは自分で手に入れてきた。余計なものを持つつもりもないし、分不相応なものはいらない。
欲しいものがあるとすれば──
木兎さんがじっとこちらを見ている。僕の返事を待っているのだ。
「ない、です」
「女はさあ、ここで、あれがほしいこれがほしいって言うんだよ。──一番ねだられたのはアクセサリーとバッグ」
突然そんなことを言われて、少しカチンときた。今まで周りにいた女性たちと比べられているのか、と思ったら、腹が立った。
「金があるって、そういうことなんだなって思った。あいつも、指輪が欲しいって言ったしな。──あんな高いもんだとは思わなかったけど」
あいつ、が、あの女性のことを指しているのはすぐに分かった。
きれいなあの人の指には大きなアメジスト。紫色に輝く水晶は、とも良く似合っていた。
「怒らせてーわけじゃないぞ」
木兎さんが僕の手をつかんで言った。
「あんなもの一つで喜ぶ女は簡単だった。でもさ、嬉しそうに笑う顔見てたら、それでもいいやって感じるようになった。──だから、俺が馬鹿だったんだと思う。買ってって言われたら買ってやっちまう。金なんて腐るほどあったし、なくなったら稼げばいいと思ってた」
強くつかまれた手が痛い。木兎さんは目をそらさない。だから僕もそらせなかった。
「月島をあいつらと同じようには見ていない。──でも、笑った顔は見たい。どうしたらもっと笑う? どうしたらもっと喜ぶ?」
「今でも充分嬉しい」
僕の胸がきゅうと痛くなる。
「あなたが僕を好きだと言ってくれただけで。一生一緒にいてくれって言われただけで。それだけでもう」
きらきら光るアメジスト。大きな石は、細い彼女の指には少し、重たそうに見えた。
それでも、その重さが、あの人にとっては木兎さんからの愛だと思えたのだろう。
「これ以上、欲しいものなんて、ありません」
「月島──」
僕らの頭上には大きな月。澄み切った夜空に、明るい光を放つ真ん丸の。
輝く宝石よりもずっと、きれいな──
「でも、もし、許されるなら──」
急激に、こみ上げてくる。今までの気持ちが。必死で押しとどめていた気持ちが。
もう、堰を切ったように。
「あなた、が」
声がかすれた。もう戻れない。
「あなたが好きです木兎さん」
木兎さんはずっと、僕を見つめたままだ。目をそらさず、真剣な顔をして。
「だから、あなたが欲しい。あなたを、一生分」
「もう、とっくにお前にやったよ、月島」
つかんでいた手が引かれて、僕の身体は木兎さんの腕の中。背中に回った両腕が、強く僕を抱きしめる。
「俺は一生、お前のもんだ」
「……木兎さん」
「やっと言った」
はは、と木兎さんが笑う。
「やっと言ったな、月島。初めて言った。──俺のこと、好きだ、って」
ああ、この人は気付いていたんだ。
僕がまだ、一度も、好きだと口にしていなかったことに。
どんなにこの人からの好きをもらっても、頑なに口にできなかった。
プライドとか、そんなんじゃなくて。
とっくに陥落しているはずなのに。
出会ったときから、ずっと。
「あなたが好きです」
今の今まで。これからも、きっと。
「知ってる」
「好きです──」
「知ってるけど、めちゃくちゃ嬉しい」
不安だったから?
そんなものは、解約したアパートに置いてきた。木兎さんに指摘されたブルーな気持ちは全部。
言えなかったのは──
本当に、「これ以上」があるんだ。
あのアパートで、不安を抱えていた僕に、木兎さんが言った。
──お前は今、幸せのてっぺんにいると思ってるけどさ──
催眠術のように、身体にしみこむ。頭の中にその声が反響する。
──もっと上があんの、お前は知らないんだよ。
そんなの、知らなかった。当たり前だ。だって、こんなに幸せになったことなど一度もない。
──俺がもっと上に連れてってやるよ。ロープでも、はしごでも、何でも持ってきて、引っ張り上げてやる。もっと、ずっと上に。
あの時、僕の心の重荷を取り去ってくれたのも、この人だった。
あなたが好きです。
その言葉を、口にしてしまえばよかった。
あの瞬間まで、僕は自分の幸せを信じられなくて、この先に待つ不幸のことばかり考えて保身に走っていたのだろう。
けれど、あの瞬間、その憂いが消え、口にすることは難しいことじゃなかったはずだった。
それなのに、今度は──
僕の顔を見つめて、木兎さんが笑う。
「なあ、二人でもっと幸せになろう、って俺、言ったよな」
──なあ、月島。二人で行こう。
もっと上に。もっとずっと上に。
今度は、その幸せに浸り、急に好きという言葉が恥ずかしく思えてしまった。
好きな人に好きと伝えることが、こんなにドキドキして死にそうなくらい恥ずかしいなんて、知らなかった。
「木兎さん」
僕は泣き笑いみたいな顔になっていたと思う。
「あなたが好きです」
「知ってた」
木兎さんはにかっと笑って僕の額に自分の額を押し付ける。
「俺を一生分、お前にやるよ、月島。──誕生日プレゼントに」
数日後、僕は一つ年を重ねる。
必ずやるよ、と指切りして彼が約束してくれたのは、今までで一番嬉しいプレゼントだった。
了
みなさん、気付いてました?
月島は、ずっと木兎さんのことが好きだったんですが、作品中、一度も木兎さん本人に「好き」と言ってはいなかったんですよ。
書いてて、もう少し、あと少し。待っててね、ツッキー。今言わせるから。って思いながら進めてました。
10本で終わらせるはずだったのに、田舎暮らし書くの楽しくてちょっと本数増えてしまったけど、そろそろ物語は終わりです。
ようやく好きって言わせてあげられて、ほっとしてます。
ちなみにシリーズタイトルの「良夜」の意味は「月の明るい夜」とか「中秋の名月の夜」という意味です。