好きな人が苦しんでいるのを、ただ「見ているだけ」って、すごく辛いことだ。
何かしてあげたい、どうにかしてあげたい、って思っても、届かなくて。
自分以外の誰か、でもいいから、その人を救ってほしいなあ、と思う。
悔しいけれど、自分にその力がなければ。
<黒尾×月島>+山口
手も、声も、全部。
遠い。
作品一覧はこちらをクリック→二次創作目次(tns/krbs/HQ/YWPD/その他)
痛みと、その手と~end credits09~
月島の足音がする。
俺はリビングのソファでぴくりと顔を上げた。
ソファから飛び降りて、玄関へ向かった。
なぜか、胸騒ぎがした。
月島の足音が、どこか、重い。
1分待っても、ノブは動かない。2分後、ようやくそれが動き、扉が開く。
「──ただいま」
力なくそう言って、けれども、玄関先に迎えに来ていた俺を見て、月島は小さく笑った。
月島の後ろから、山口が顔を覗かせ、同じように俺に笑いかけた。
「クロ、いつもお迎えしてるの? 偉いね」
そう言いながら二人で靴を脱いだ。月島はいつもよりトーンの低い声で母親にただいま、と声をかけ、山口はおじゃまします、と挨拶をする。俺を抱き上げたまま月島が部屋に入り、山口が後ろに続き、ドアを閉めた。
「──やっぱり、忘れてた」
月島がつぶやき、ベッドの上に俺を下ろし、傍らのスマホを持ち上げた。そして、まるで凍り付いたようにその場で立ち尽くした。
「ツッキー?」
山口が心配そうに後ろから覗き込む。
「……研磨さん、から」
「電話?」
「うん……」
着信履歴を調べて、月島が言葉を失う。
あれから、何度か研磨からの電話があった。俺はベッドの上でそれを見つめて、まんじりともせず時間を過ごしていた。いつもなら昼前に眠り、午後から眠り、一日中眠って過ごすこともあるというのに、今日に限っては一睡もしていない。
月島は急いで折り返しの電話をかけた。研磨はすぐに出て、月島が切羽詰まったような声で何かあったんですか、と訊ねる。
「──いえ、スマホを家に忘れてしまって……はい、僕は、大丈夫、です」
ベッドの上の俺は、月島を見上げる。部屋の真ん中に立ったまま、眉をひそめるようにしてうなずいている。
クロ、と山口に呼ばれて、俺はそちらを見た。
「大丈夫? 何だか辛そうな顔してる」
しゃがみ込んで、俺と目線を合わせるようにして、山口が問う。
「ツッキーが心配?」
山口は電話する月島をちらりと見て、俺に手を伸ばす。ふわりと優しく撫でられて、俺はその手に身をゆだねる。
「そうだよね。クロは、優しいもんね」
山口の手も、優しい。何もかも包み込むような、温かい、そんな雰囲気を身にまとう。
「俺もね」
声を潜めるようにして、山口が俺の耳元で続けた。
「今日のツッキー、いつに増して元気なかったから、心配で」
だから傍にいようと思ったわけか。やはり、月島の足音に重さを感じたのは気のせいなんかじゃなかったらしい。
そして、山口はやっぱり、山口だ。月島のことをよく分かっている。
俺は少し悔しく思う。
幼馴染で親友というポジションは、とても大きい。俺にも研磨がいるからよく分かる。
「────」
月島が、言葉を失う。俺と山口はその姿を見て、そっと顔を見合わせた。
「悪い、報せ、かな」
小声でつぶやいた山口に、俺はうなだれる。頭を垂れた俺を山口は再び優しく撫でてくれた。
短い返事をして、月島が電話を切った。その瞬間、がくんと膝から崩れ落ちるようにしてその場にへたり込んだ。山口が慌てて、倒れ込まないように月島を支える。俺の方が先に反応していたのに、何もできなかった。ただ、にゃあ、と鳴いて、月島の足元に飛びつこうとしただけだった。
──ああ、どうして俺は猫なんだ。
「ツッキー?」
「……昨日から、自発的に呼吸してないんだって……」
「え?」
「人工呼吸器、つけてるって。まだ、器官切開なわけじゃないけど、このまま長期的に必要になるようなら、それも検討するって」
「容態が悪化したってこと?」
山口の問いに、月島が首を振る。
「少しずつ弱っているみたいだけど、けして急変したわけじゃないみたい。……研磨さんも、今朝、黒尾さんのご両親から聞いたって」
床の上、ぺたんと座り込んだまま、月島が言った。そして、ぐっと何かこらえるような表情になり、小さく震えだす。
「どうしよう。ねえ、どうしよう、山口。このまま黒尾さんが目を覚まさなかったらどうしよう。──もし、このまま一生──」
「ツッキー……」
ぽろぽろと涙がこぼれて、俺の足元にその雫が落ちた。絨毯に水玉模様のシミができていくのを、ただ見ていることしかできない自分がもどかしかった。床についた左手が、自らの身体を支えようとしているのが分かる。けれど、その手は震え、うまく支えられない。
月島。
にゃー、と鳴いて見上げたら、月島が眼鏡を外して、右手でごしごしと目をこすった。何度も、何度も。無理矢理涙を止めようとして、力を入れて、何度も。
「ツッキー、駄目だよ」
その手を、山口がつかんだ。
「目、傷ついちゃう」
「でも──山口」
「ごめん、ツッキー」
山口がうつむいて、辛そうに言った。
「ごめん、俺、何もしてあげられない。大丈夫だよ、って気休めも言えない。そんなの無責任だもんね。……ツッキー、ごめん。ごめんね」
山口の方が泣き出してしまうんじゃないかと思うくらい、辛そうな声だった。月島はぽろぽろ泣きながら、そんな山口を見つめる。
「──山口が謝る必要なんて、ない」
「ごめん、ツッキー」
「謝らないでよ」
「ごめん──」
「馬鹿。山口、馬鹿だ。馬鹿」
月島の右手が振り上げられ、山口の胸を殴る。けれどそれは弱々しく、こぶしは震えている。何度も、月島が山口を殴る。力のないそのこぶしを、山口が黙って受け止めている。
痛い。
物理的な痛みなど皆無なはずなのに、山口の顔は、苦痛に満ちている。
自分のふがいなさに、やりきれないのだ。
俺と同じように。もしかしたら、俺以上に。
だって、山口には月島を呼び、力づけることができる声がある。対等に向き合って、慰めることができる立場にある。それなのに、何もできない。
小さな猫で、ただにゃあにゃあ鳴くことしかできない俺なんかより、ずっと、そのふがいなさを感じているんじゃないか、と思った。
できるのに、できない。
初めから何もできない俺は、その苦しみを増し続けるけれど。
ぽか、ぽか、と殴っていた月島のこぶしが、止まった。山口の胸に押し当てたそれが、震えている。ずっと。
「──もし」
うつむいた月島が、小さな声でつぶやいた。
「もし、このまま一生──あの人が目を覚まさなかったら……」
月島の足元、見上げる俺。俺に気付かないのか、その目は宙を見つめている。視線をずらせば俺の姿が目に入るはずなのに、その余裕すらないように見えた。
「どうしたらいいか……分からない……」
「ツッキー……」
ゆるゆると顔を上げたツッキーが、しゃくりあげた。
──まるで、子供みたいだ。
泣き出す月島を見上げて、俺は思った。
わんわん泣いて、母親にすがりつく、小さな子供──
月島が山口に抱きついて、泣いている。山口がそっと両腕を回して、月島を抱きしめた。
もちろん、そこに、何ひとつやましさなんて存在しなかった。
けれど、俺は激しく嫉妬した。
俺の為に泣きじゃくる月島を、優しく包み込む山口が、とても恨めしく思えた。
俺には、できない。
こんな小さな猫の姿では、何ひとつ。
月島の両腕は山口にすがる。さっき胸を殴りつけていたときには全く入っていなかった力が、今はこめられていた。ぐっと、山口の背中に回った腕に、手に、こちらが不安になるくらいに力がこもっていた。
きっと、痛い。
今度は、物理的に。
けれど山口は黙っている。月島を抱き寄せ、泣きじゃくる月島を宥めるように、慰めるように優しく頭を撫でる。
月島の震える指先が、山口の背中に食い込んでいる。
それでも──
「ツッキー」
その声が、柔らかに響く。
「何もできなくてごめんね。──何も言ってあげられなくてごめんね」
月島は山口の肩に押し付けた頭をふるふると振った。泣きながら、何度も、
月島の柔らかい髪を撫でるその手の動きを、俺は知っている。さっき、俺のことも撫でてくれたその手の優しさを、俺も知っている。
嫉妬、した。
けれど、その手の優しさを月島に与えてくれる山口に、悔しく思う反面、感謝していた。
月島が一人で苦しまなくてよかった、と思う自分が、いた。
二人を見上げる俺に、山口が気付いた。目が合ったら、俺を安心させるかのように小さく笑ってくれた。月島を抱き寄せたまま、俺に向かって、そっと口元に人差し指を当てる仕草をした。
分かってる。
今は黙って待つ。
その優しい手が月島を少しでも救ってくれるのなら、俺のちっぽけな嫉妬心なんて、どこかへ投げ捨ててやる。
ただにゃーと鳴くことしかできない俺の存在なんて、かすませてやる。
だから頼む、山口。
月島を離さないでくれ。
──本当は、その役目を俺が担いたかったけれど。
月島は俺のせいで苦しんでいる。
俺のせいで泣いている。
なんて、苦しいんだろう。
俺はゆっくりと二人に近寄り、その足元に寄り添った。せめて、体温だけでも、月島に届けられればいい、と思った。
山口が口元に寄せていた手を伸ばし、俺をひと撫でした。
悔しい。
山口のその手は再び月島の身体を包み込む。
泣き続ける月島のむせぶような声を聞きながら、俺はただ、ひたすら、黙って月島に寄り添い続けていたのだった。
了
月島がぼろぼろになっていくのをただ見ているだけの黒尾。
傍にいるけど、何もできないと分かっている山口。
そんな感じ。
次でラスト。