国見は絶対に出そう、と思ってました。
だって、無気力組大好きなのに、まだ書いてないの、国見だけだったので!(ツッキーは絶対だけど、赤葦と研磨まで書いておいきながら、どうしても国見を絡ませられなくて!)
ようやく書けて嬉しい。
キャラメルラテ、飲んでるよね、きっと。塩キャラメルじゃないけど。
……ラテに塩振ったらいいかな……。
東峰+月島∔国見
ツッキーのウェイター姿は、そりゃもうかっこいいのだろうな!
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水底でキャラメルラテを~rise02~
嘱託契約だったときの給料は、普通のサラリーマンと変わらないか、それより少し高いくらい。プロ契約の年俸は、それより多少上がったが、大した額ではなかった。スポンサー契約している企業のCMやイベント出演などの副収入は魅力的だった。
契約は、一年だったから、あまり迷惑をかけなくて済んだ。
選手時代は、バレー中心の生活で、周りを見る余裕はなく、ほとんどお金を使うこともなかった。
宮城に戻ってきて、引きこもっていた僕ら二人が頻繁に会うようになってから、東峰さんが話してくれたこと。
地元を抜け出し、仙台に出てきては、散歩がてら色々な場所を歩いた。地下鉄駅を東西南北、意味もなく一か所ずつ下車して、その日を過ごす。
さびれた商店街しかない寂しい町を歩き、工場の立ち並ぶ地区を歩き、国道をうるさく走る沢山の車に追い越されながら歩き、見るものもないただの住宅地を歩く。
ぽつり、ぽつりと、東峰さんが話す。
僕はただ、聞いている。
残ったものは、お金だけ。
もう跳ぶことができないポンコツの膝を抱えて、俺はこの先生きていく。
そんな言葉に、何を言えばよかったのだろう、と今も考える。
そのときは、ただ、黙って聞いていた。時々、小さくうなずきながら。
仙台市内を縦断するように伸びた地下鉄の、終点の駅。そこで、東峰さんと僕の新しい人生が始まった。
「rise」という名前の、小さなカフェは、僕らの始まりの場所だった。
オープンしてしばらくは、客が一日に4~5人、一人も来なかった、などという日も珍しくなかった。住宅地の真ん中、という立地は、ろくな宣伝もせずに開店したことを後悔するくらいに客足がつかない。立ち寄るのは近所に住んでいるらしい、退職後の男性で、数あるメニューの中で「ただのコーヒー」しか注文しないような人たちばかり。
週末は少し客層が変わって、近所の主婦たちや、若い夫婦。オープンしてひと月以上が経って、ようやくぱらぱらと客数も増えてきた。
ネット社会の今、簡単にSNSなどで拡散される情報は、こんな小さくて地味な店ですら、多少の話題を提供できるらしい。「マスターが渋い」とか、「コーヒーが結構おいしかった」とか、「なんだかのんびりできる」とか。
「──ウェイターがかっこいい、もね」
東峰さんがそう言って笑った。僕は眉を寄せ、怪訝な顔をした。
「愛想はないけど」
付け加えられて、さらにその表情を渋いものにしてやった。東峰さんはなんだか妙に楽しそうに笑っている。
長く続いていたらしい純喫茶だったこの店を閉めようとしていた老夫婦に話をつけて、即金で店の権利を買い取った東峰さんの行動は、驚くほど速かった。
普段はどこかおっとりとしていて、決断力のないことは高校時代から暗黙の了解で、見た目に反して気が弱い東峰さんの、一体どこにこんなパワーがあったのだろう、と思うくらいに。
貯金空っぽだよ、と細かな契約を終えた帰り道、東峰さんが言って、僕はそうですか、とだけ答えた。
──月島、助けてよ。
夏の夕方、さわやかな日差しと風が、夕闇に溶けていく。
──お願いだから。
少しだけ先を行く東峰さんの数歩後ろ、僕は言う。
──仕方ないですね。
怪我でわずかに引きずる右足、広くて大きな背中、長く伸びた髪の毛。名声を失い、唯一残っていた貯金さえ空になった東峰さん。
──ちゃんと、給料でますよね?
僕の言葉に、柔らかに笑った。
──シナバモロトモ。
──僕、東峰さんと一緒には死ねませんけど。
──そっか、じゃあ、頑張ろう。
もうすぐ盛夏。そんな、帰り道。
「愛想がなくても、ちゃんと仕事はしています」
「うん、分かってる。頼りない俺をしっかり支えてくれる有能ウェイターだよね」
「そうですね」
「月島、そこはちょっとくらい、謙遜しようか」
僕はいたずらっぽく笑い返してやった。
グラスが差し出された。ソイラテ。シナモンがスチームソイミルクの上に散っていた。僕はトレイにそれを乗せ、窓際の女性客に運んだ。
「ごゆっくり」
一礼して戻ろうとしたら、ちりんとドアベルが鳴って、重たい扉が開いた。
いらっしゃいませ、と声を掛けたら、入ってきた客の、小さく会釈した頭。さらさらの黒髪が、揺れた。カウンターの一番奥に席を取り、スツールに腰かけたその背中に、僕は声をかけた。
「ご注文は」
何を頼むかなんて分かっているのに、きちんと。
「キャラメルラテ」
低いけれど、涼やかな声で、国見は言った。
カウンターの向こう側、東峰さんがエスプレッソマシンにコーヒーをセットした。エスプレッソにたっぷりのスチームミルク、フォームミルクを乗せて、キャラメルシロップをかける。シロップは2倍の国見仕様。シンプルな分厚いマグカップを目の前に置かれて、国見は黙ってそれを引き寄せ、一口飲んだ。フォームミルクが上唇について、ひげみたいになっていたのは一瞬で、舌の先でするりと舐めとって、カップをカウンターに戻す。
「少し、仕事する」
短く言って、ノートパソコンを広げ、それからは一切口をきかなかった。
国見が初めてこの店にやってきたのは、半月ほど前のことだった。
日本全国散り散りになってしまい、呼んですぐに足を運べるような友人たちは少なかったし、気を使われるのも面倒だということで、店のオープンには誰も呼ばなかった。
それでも、高校時代の仲間たちは情報を共有していて、顔見知りや知り合いに何気なく店の宣伝をしてくれたらしい。時々、彼らの紹介だという人たちが店を訪れてくれて、それは大いに売り上げに貢献してくれた。
国見が初めてこの店にきたとき、客は誰もいなかった。オープンしたときと同じように雨の日で、きれいなブルーの傘が店の、大きなガラスの前を通り越していったのを、退屈していた僕は見た。その傘が視界から消えた次の瞬間、ドアベルが鳴り、扉が開いた。畳まれた傘を入り口の傘立てに差し、その客は顔を上げた。さらりとした黒髪を揺らし、無表情にこちらを見たその顔に、見覚えがあった。
カウンターの中にいた東峰さんも、一瞬驚いたような顔をした。
──この店は。
落ち着いた、低い声、きれいに通る涼しげなその声が、店に響く。
──客にいらっしゃいませって言わないの?
たいして気にしないけど、という顔をして、そんなことを言われた。
国見。
僕はぱくぱくと口を動かしたけれど、声は出せなかった。
──金魚みたい、月島。
ふっと、笑ったその顔は、初めて見る表情だ、と思った。
そして、国見は、僕の名前を知っていたんだな、とそこで初めて気付いた。
──キャラメルラテ。キャラメルダブルで。
カウンターの一番奥の席に座り、国見は言った。
ネタばらしをしてしまえば、影山からの連絡が、及川さんを始めとする元青城メンバーに、というよりも元北一メンバーに回ったらしい。そこで、仙台市内で働いている国見が、それを受け取って、足を運んでくれた、というわけだ。
いくら昔の同級生の頼みだとしても、ほとんど接点のない僕と東峰さんの店にやってくるとは思わなかった。あまりよくは知らないが、国見はどこか人間関係が希薄で、あまり人と関わることをしなくて、いつも眠そうに無気力なイメージしかなかった。現に、影山も、「何を考えてるかよく分からない」などと言っていたのを聞いたことがあった。
ゆっくりと、静かにキャラメルラテを飲み干して、国見は帰っていった。ブルーの傘をさして。
空っぽになったマグカップを見つめ、東峰さんが言った。
──月島みたいだね。
その無気力さや、人への無関心さが。
──僕、あんなにそっけないくないですよ。
──似たようなものだと思うけど。
東峰さんはマグカップを持ち上げ、笑った。流しでそれを洗いながら、どこか楽しそうに。
それから、国見はこの店の常連になった。
小一時間ほどパソコンに向かっていた国見が、ぱん、と大きく音を立ててキーを叩いて、両手を上げ、伸びをした。傍らのマグカップを持ち上げ、もう冷めてしまったキャラメルラテを飲み干す。
「この店」
窓際の女性客は去り、中年男性が一人、その席に座ってコーヒーを飲んでいた。カウンターには、相変わらず国見一人だ。
「何か食べるものないの?」
そう言われて、時計を見たら、昼過ぎだった。
「ランチとか」
「今のところは、ないね」
東峰さんが答えると、国見はごそごそと自分のカバンから何かを取り出した。コンビニで購入してきたらしい野菜サンドと日高昆布のおにぎりだった。僕は呆れて、
「ちょっと、持ち込み禁止なんですけど」
「だったら何か食べられるものをメニューに入れれば」
国見は何のためらいもなくおにぎりの包装を解いた。両手で持ってかじりつく。
「──まあ、追々、考えてはいくけどね」
国見のそんな行動にも注意ひとつせず、東峰さんは言った。
「でも、俺も月島も、料理はあまり得意じゃないから」
「そうですか」
黙々とおにぎりをかじっていた国見が、今度はサンドイッチの包装を開ける。マグカップを持ち上げようとして、それが空だったことに気づき、東峰さんの方に押しやった。
「おかわりください」
空になった、真っ赤などっしりとしたマグカップを下げて、東峰さんが新しいキャラメルラテを入れた。今度はきれいな青のカップだった。もちろん、上にかかったキャラメルは通常の2倍。
国見はそのカップを持ち上げて一口飲み、それから眠そうな目でカップを見つめた。
「──青いカップは、初めてです」
半月の間に、6回目の来店。週に3度は訪れる国見が注文するものはいつも同じ、シロップダブルのキャラメルラテ。
マグカップは、全部で4色。
赤、黄、緑、そして青。
多分、国見に青いカップを出さなかったのは、ただの偶然だ。洗って、順番に棚に戻していくカップは、手前からどんどん使っていく。
新しい客が入ってきて、国見とは反対側の一番端のカウンター席に座った。時々訪れるサラリーマン。注文した飲み物を、5分ほどでささっと飲んで店を出ていく。お冷のグラスを置いたら、コーヒー、と言われた。僕にというよりは、東峰さんに。東峰さんがうなずいて、ネルドリップをセットする。
国見は、コーヒーを入れる東峰さんの手元をぼんやりと見ていた。サンドイッチも食べ終え、カウンターの上にはパソコンと、おにぎりとサンドイッチの包装フィルムと、青いマグカップが乗っていた。
カウンターの客は、忙しなくカップを傾けて、やっぱり、5分で店を出ていった。
「そういえば、初めてこの店に来たとき、国見は青い傘をさしてたね」
東峰さんが、汚れたカップを洗いながら話しかけた。
「雨の日で、ガラスの向こうはぼやけてて、その前を歩く国見の青い傘が滲んできれいだったんだ」
国見は黙ってラテを飲む。
「店に入ってきたとき、顔を見て、とても驚いたよ」
「そう、ですか」
「まさか来てくれるなんて思わなかった。──だって、まともに話したこともなかったのに」
「影山がうるさいくらい宣伝してきたので」
なるほど、と東峰さんは苦笑した。
「それに──」
ぽつりと、国見が続ける。
「それに?」
国見は、やや迷うような表情になり、結局、開きかけた口を閉じた。
僕は、国見の前に散らかった包装フィルムを片づけた。一瞬、伸びてきた僕の腕にぴくりと反応して、それから、また、何事もなかったかのような無表情に戻って、カップを傾ける。
「国見」
「──はい」
「青は、好き?」
東峰さんの問いに、国見だけでなく僕も一瞬、ぽかんとした。
「──好き、です」
素直に答えた国見が、また、カップを見つめる。
「水底の色です。──雨の日にあの傘をさすと、水中に沈んでいくような気がします」
甘いキャラメルシロップは、フォームミルクの上、まだ沈まずに浮いている。
「誰もいない水底で、一人になれるような、気がします」
国見は抑揚のない、静かな言葉を続ける。
「誰もいない、静かなその場所に沈み込んで……」
ぎゅ、っと国見がこぶしを握り締めた。
「溶けてしまいたい──」
ほんの少しだけ、国見の眉間にしわが寄っていた。何事にも関心のなさそうな、いつも無表情の国見らしくない、と思った。
「確かに、水の底は冷たくて気持ちよさそうだね」
東峰さんの言葉に、国見が顔を上げる。
「でも、冷たいと、心まで冷え切っちゃうから──」
カウンターの向こう側、東峰さんが笑った。
「温かいキャラメルラテで、ちゃんと暖を取ろうね」
その笑顔に、気を取られた。国見は、数秒後、はっと、視線を落とす。青いカップに入ったキャラメルラテを見つめた。そして、それを、飲み干す。
「──今度から」
パソコンをしまい、ラテ2杯分の料金をカウンターに置いて、国見は席を立った。
「いつも、青いカップがいいです」
「うん、分かった」
東峰さんがうなずいて、国見は入ってきたときと同じようにかすかな会釈をし、店を出ていった。
カウンターに手を伸ばし、東峰さんが青いマグカップを持ち上げ、流しに置いた。
「──苦しんでいるのは、俺たちだけじゃないってことだね」
多分、国見も。
どんな過去や、傷を抱えているのかは分からないけれど。
東峰さんには、少なくとも国見の苦しみが分かったのだ。
いつか話してくれるだろうか。その胸の内の苦しみの理由を。
どうして国見がこの店にやってきたのか、僕には分かったような気がした。
怪我をして、バレーを続けられなくなった東峰さんと、社会に溶け込めずにドロップアウトしてしまった僕。きっと、影山から、僕ら二人のことは聞いているだろう。
雨の日、あのブルーの傘は、ガラスの向こう、ぼんやりと滲んでいた。
水底で、国見は一人、膝を抱えて、その苦しみに耐えていたのだろうか。
温かいキャラメルラテを。シロップたっぷりで、甘い、それを。
静かに沈んだ水の底、国見の身体を温めてくれればいい、と僕は思った。
了
冷え切った身体は、温められるんですよ。
じんわりとしみるラテの温かさと、甘さに、救われるといい。
次は、なんと伊達工からあの人(笑)