第二次世界大戦で死者が一番多かったのはどこの国?
資料集や歴史の本に書いてあった
ソ連が2000万人、中国は1000万人。
中国の死者は日本に責任が有ります。
「中国の旅」等で焼きつくし、殺しつくし、うばいつくす…日本軍による三光作戦」や
731部隊の人体実験を知りましたが膨大なソ連の死者についてはレニングラードは包囲戦ぐらいしか知りませんでした。
子供の課題図書にこの悲劇の本が有りました。
チェルノブイリの祈りに続き
スベトラーナ・アレクシエービッチの二冊目です。
あまりにそれぞれがすべて悲惨で今の私たちが知らなければならないことです。
もう書きつくせません、是非読んでいただきたいです。
戦争がどれほど非人道的な物か。
内容紹介
ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――。500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。(解説=澤地久枝)
内容(「BOOK」データベースより)
ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった―。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞受賞作家のデビュー作で主著!
訳者の三浦みどり
ロシア語通訳で翻訳家の三浦みどりさんが12月13日に亡くなりました。
三浦さんはベラルーシのドキュメンタリー作家アレクシエーヴィチを日本に紹介し、 『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社)『ボタン穴から見た戦争』『戦争は女の顔をしていない』(群像社)を翻訳しました。アレクシエーヴィチ来日の際には通訳をつとめています。
チェチェン紛争にも早くから関心を寄せて少数民族への共感を示し、プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』(群像社)やポリトコフスカヤ『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版)の翻訳を出しました。
また、石井桃子著『ノンちゃん雲に乗る』をロシア語に翻訳、ロシアで出版したほか、新見南吉の「手袋を買いに」も露訳し、日本の優れた児童文学をロシア語圏に紹介しました。
投稿者 つくしん坊 トップ1000レビュアー 投稿日 2016/5/3 形式: 文庫著者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチは、1948年ウクライナ生まれのジャーナリスト・作家であり、2015年にノーベル文学賞を受賞した。著者の作風は、ジャーナリストとしての経験を活かした記録文学である。本書は、白ロシア(現ベラルーシ)の子供たち101人が第二次大戦中に経験した体験を、聞書きとしてまとめたものである。戦争当時(1941年)の子供たちの年齢は3歳から15歳、最も多いのは10歳前後である。本書が残した過酷な子供たちの体験は、現在読んでも辛くなる。たまたま、東京新聞が連載している「平和の俳句」で、「戦争は大人が子供を殺すもの」(2016年4月25日掲載、中村裕さん作)を読んだが、この句が本書の内容を簡潔に表現しているように思われた。
第二次世界大戦開始後の1941年6月22日、白ロシアにドイツ軍が侵入した。以後、白ロシアは独ソ両軍の主戦場となり、侵攻したドイツ軍は白ロシアの地を徹底的に破壊した。こうしてのどかな農村地帯だった白ロシアは一気に地獄のような混乱に陥ったのである。この地獄はソ連の反撃によりモスクワ郊外からドイツ軍が大混乱の中を撤退した12月まで続く。本書は、この地獄を体験した子供たちの証言である。子供たちは、恐怖や飢餓の中でも母親の存在に救いを求め、兄弟姉妹たちの安否に心を痛め、また戦地の父や兄の帰還を祈る。混乱の中でも、迷子になった子供...続きを読む ›
ドイツでは花を飾りまっ白いテーブルクロスがあった、
ソ連の普通の家にはそんな物はなかった、なのに
なぜドイツはソ連、を攻めたのか。という証言も有ります。
子供たちをドイツの戦車が轢いていき
何も残らなかった。
女性も子供も祖国を守るために前戦に行こうとした。
若過ぎて止められても。
戦争が終わっても悲劇は続いた。