宮沢賢治の『絶望名言』
昨日、ドラマ「宮沢賢治の食卓」を観ました。
そうしたら今朝4時のラジオ深夜便で宮沢賢治の音楽好きの話をしていました、途中で又寝てしまいましたので
ネット検索したら、これが出てきました。
2019/06/24 ラジオ深夜便「絶望名言 宮沢賢治」文学紹介者・頭木弘樹さん
引用はじめ
罪や悲しみでさえ輝くドリームランド
実は僕は少し前まで、宮沢賢治を読んだことがありませんでした。
以前に小説家のフランツ・カフカの名言集を出したんですけれども、それを読んだ方から、「カフカは宮沢賢治とすごく似てますね」という反響をかなりいただいたんです。実際に読んでみたら、似てるんですね、これが。
例えば、お父さんとの確執です。お父さんの仕事が成功してるんですが、息子であるカフカや宮沢賢治にしてみると、それにちょっと反発を感じていたり。妹をすごく好きってところも、似ています。あと、2人ともベジタリアンなんです。菜食主義。生涯独身で子供がいなかったのも同じ。それから、生前は無名に近くて、サラリーマンもしていた。若くして結核で亡くなったのも同じですし、自分の原稿をすべて処分してくれと遺言したところも同じです。でも、死後に頑張ってくれた人がいて、今ではとっても有名で……、まあ、それも同じなんですね。
宮沢賢治には、8つ下の清六さんという弟さんがいらっしゃったんですけども、その方がお兄さんのことを、「表面陽気に見えながらも、実は何とも言えないほど悲しいものを内に持っていたと思うのである」(『兄のトランク』より)と書いてらっしゃいますが、これは賢治の作品についても言えることじゃないかと思います。
例えば賢治は、「イーハトーブ」を舞台に童話をたくさん書いています。イーハトーブというのは地名で、実際にはないわけですけど、ドリームランドみたいな、賢治の理想の世界です。イーハトーブについて、こんなふうに説明しています。
そこではあらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従へて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語る事もできる。罪や悲しみでさえそこでは聖くきれいに輝いている。
『「注文の多い料理店」広告文』より
理想郷、ドリームランドなのに、罪や悲しみがないわけじゃなくて、あるんです。だけどそこでは、罪や悲しみでさえ聖くきれいに輝いていると。これが賢治の作品の特徴なんじゃないでしょうか。イーハトーブが舞台の童話から、一節ご紹介します。
私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。
『グスコーブドリの伝記』より
賢治自身にもいくらかこういう気持ちがあったんじゃないでしょうか。自分は人のようにうまく生きられず、立派でもなく、美しくもなく、仕事もうまくいかず、ちゃんと笑えてなかったんじゃないか。
誰の心にも、こういう気持ちは多少なりともあると思うんです。自分にとって“自分”は特別、かけがえのないものですよね。世の中も自分中心に見るしかないわけで、そういう意味ではもうどうしたって特別視する存在なわけです。落語に「有象無象」っていう言い方があって、僕自身もその1人だと思っています。まして病人になっちゃうと、どうしてもそっちになりますよね。大勢の中の、さらにあんまり陽の当たらないところに行っちゃった感はあります。
■「ぼくは半分同感です」
「お前たちは何をしてゐるか。(略)やめてしまへ。えい。解散を命ずる」
かうして、事務所は廃止になりました。
ぼくは半分獅子に同感です。
『猫の事務所』より
宮沢賢治の寓話(ぐうわ)、『猫の事務所』の最後のシーンです。簡単にあらすじを説明させて頂くと、本当に猫たちが事務所をやっている話です。黒猫の事務長さんがいて、その下に1番から4番まで書記が4人、全部猫ですけど、いるわけです。4番目の書記が「かま猫」。夜はかまどの中に入って寝る癖があるから「かま猫」です。かまどっていうのは、昔台所にあって煮炊きをしたものですけど、夜になってもちょっとあったかいわけです。昼間煮炊きをしているので、ポカポカ眠れるわけです。だけどかまどの中はすすだらけですから、いつも体は黒く汚れてしまう。かま猫は、すすで薄汚れた猫なんですね。
かま猫だって汚れたくはないんです。でも夏に生まれて皮膚が薄くて寒がりなんで、かまどの中で寝るしかなくて、だからいつも汚れてる。薄汚れた猫はふつう書記になれないんです。でも優秀だったのと、事務長さんが黒猫なので、黒く汚れた猫にちょっと寛大だったから第4書記になってるんですけど、これがほかの3匹の書記は気に入らない。ことあるごとにかま猫に冷たくあたって嫌がらせをするわけです。事務長だけはかばってくれて、それで何とか頑張ってやってたんですね。
ところがある日、かま猫はひどい風邪で事務所を休んでしまいます。3匹の書記たちは事務長に、あることないことかま猫の悪口を吹き込みます。事務長の黒猫もそれを信じてしまって、「目をかけてやってたのになんてやつだ」と怒ってしまいます。病み上がりのかま猫がやって来ると、事務長も含め全員がかま猫を無視しちゃうんですね。「おはよう」って言っても返してもらえないし、机の上には仕事に必要なものがない。何もできずぼう然と座ってシクシク泣き出しても、みんな知らん顔で楽しそうに仕事してるわけです。
そこでさっきのシーンです。その様子を、外から獅子が見ていて、「お前たちは何をしているのか」「もうやめてしまえ」と。「解散を命ずる」っていうんで、事務所が廃止になってしまいます。ただ最後に、語り手が急に顔を出すんです。宮沢賢治自身ですね。「ぼくは半分獅子に同感です」と、解散しろといった獅子に半分だけ同感だって言うわけです。“半分”なんですよね。これ、ちょっと不思議じゃないでしょうか。
まさに今の社会でもある、パワハラとか差別とかいじめとか、そのままですよね。そういうのがあった時に、獅子が現れて「解散!」と言ってくれたら、嬉しい気もするんですけど。それなのに、なんで半分しか賛成しないのか。いろんな説があるようです。1つには、解散っていうのは、根本的な解決にならないと。要するに、パワハラとか差別とかいじめが、解散によって“解決”したわけではない。そういうことができる“場”がなくなるだけで。かま猫も、それで職を失うわけじゃないですか。被害者だった人も、加害者と一緒に職を失うわけなんで、それで半分、という説です。でも、それだけかな、と思うんです。
■「みんなみんな哀れです」
『猫の事務所』には、草稿、いわゆる完成原稿の前の下書き的なものがあって、ラストに出てきた作者のコメントが違うんです。こんなふうに書いてあります。『みんなみんな哀れです。かわいそうです。かわいそうかわいそう』。
みんなっていうのは、かま猫だけじゃないわけです。ほかの3匹の猫もかわいそう。事務長の黒猫もかわいそう。さらには獅子もかわいそう。みんな、かわいそうだって言うんです。パワハラや差別やいじめの、被害者だけじゃなく、加害者も黙認した人もそれを叱りつけた人も、全員がかわいそうって言うんですね。
賢治らしい視点というか、要するに誰の心の中にも、加害者側の気持ちもあるし、傍観者になってしまう気持ちもあるし、もう全部やめちまえと言いたくなる気持ちもあるし、どこか全部弱さだし、良いことではないし、でも人間は、そういう弱さを持っている。だから、かわいそう。やってしまうほうもやられてしまうほうも、人間ってのはみんな哀れでかわいそうだと、そういうことかなと思うんです。
罪の無いものだけが石を投げろって言われても、やっぱり誰も投げられないわけです。それが哀しいってことじゃないでしょうか。「全面的に賛成です」と賢治は言い切れない。半分石を投げるというか、確かに人間はかわいそうですよね。
パワハラやいじめや差別はもちろんなくさなきゃいけないもので、人間にはその弱さがあるからと言って、それを許容するようなことはもちろんいけないわけです。『猫の事務所』のような物語を読むことが、一番なくすことにつながるんじゃないかなと、そういう気もします。
■『銀河鉄道の夜』「ほんとうのさいわいは一体何だろう」
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
『銀河鉄道の夜』より
少年ジョバンニが、友人のカムパネルラと一緒に銀河鉄道で旅をする物語です。ジョバンニが持っているのは、どこまででも行ける特別な切符なんですよね。何を探すかっていうと、ここにも出てくる「ほんとうのさいわい」。それは一体何なのか。宮沢賢治作品の全ての根底にあるテーマかもしれません。そのテーマが、銀河鉄道という美しいイメージと一体になって、実にすてきです。「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」のところ、これ、ちょっと意味の分からないところがあると思うんですけど、前にサソリの話があるのです。
サソリはいろんな虫を殺して食べて生きています。ところがある日、自分がイタチに食べられそうになり、必死に逃げて井戸の中に落ちて溺れて死にそうになりながら、最後にこう言うのです。「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。」
自分はいろんな虫を食べてきた。でも自分が食べられる側になった時に、必死になって逃げて、食べられた側の気持ちがすごく分かった。ここで溺れて死ぬのでは本当にただ死ぬだけだ。イタチに食べられていればイタチがそれで1日でも生き延びられたはずだった。空しく命を捨てるんじゃなく誰かのために生きたい、っていうふうに思っていると、そのあと、サソリの体は真っ赤な美しい火になって燃え始め、気が付くと、夜空にいて闇を照らしているわけです。空の星になれたんですね。
自己犠牲のすばらしさを物語っているわけですが、ジョバンニがカムパネルラに向かって、僕たちもあのサソリのようになろう、みんなの幸せのためなら体なんか百ぺん灼かれてもいいと決意を語る部分です。カムパネルラも、僕だって、と。2人でそう言い合って、本当の幸いはこれだ、みたいになったところで、ジョバンニはもう一回、問うわけです。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」。
するとカムパネルラは、「僕わからない」と、ぼんやり答える――。
この展開、すごいと思うんです。自己犠牲こそが本当の幸いだ、美しいものだって言ったのに、言った途端、でも本当にそうなのかなって、迷いが出てくる。で、カムパネルラも「僕わからない」。
『銀河鉄道の夜』読んでない方もいらっしゃるでしょうからあんまり言っちゃうとあれなんですけれども、カムパネルラ、実はもう自己犠牲をしてるんです。なのに「僕わからない」と言っている。とっても重い返事です。本当の幸いが何なのかは、いくら追い求めても、「やっぱり本当は何だろう」と、もう一回問わずにはいられないし、「僕わからない」って答えるしかない。ここが賢治のすごいところじゃないかなと思うんです。
宮沢賢治は手帳に、こう書いています。
『あらたなるよきみちを得しといふことは ただあらたなる なやみの道を得しといふのみ』
「王冠印手帳」より
新しく良い道を知った、これが真実の道だ、本当の幸いの道だと知る。それはだけど、新たなる悩みの道を知ったってことだという。良いと思っても、本当にそうなのかなって、常に考える。悟りに到達しちゃわないところが、すごいと思うんです。これが本当の幸いですって何かに到達してしまえば、ある種、楽なわけです。これだと決めたほうが楽ですから。でもそうはできない。どうしてもそこで迷う。どこまででも行ける切符を持って、迷い続けるわけです。苦しく求め続ける旅を、やめないわけです。なかなかできることじゃないと思う。
■上のそらでなしに、日常の奇跡を生きていこう
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。
『宮沢賢治作品館・資料篇』収録 「教え子に宛てた手紙」(1933年9月11日)より
これは、今残っている宮沢賢治の最後の手紙で、亡くなる10日前の手紙です。非常に痛切な内容ですよね。才能とか器量とか身分とか財産が自分に備わっているかのように思い、自分の今やっている仕事を自分でバカにし、同僚たちをあざけり、いつかは何か自分がパッと世の中に出ていけるんじゃないかと、そんなふうに空想してるうちに今に至って、自分の人生をちゃんと味わっていなかったと。これでもう目ざましいこともなさそうだと。蜃気楼が消えていくように感じて本当につらいっていう、そういう心情が語られています。こういう気持ちはだけど、みんなどこかにありますよね。
賢治はこの時、結核にかかってしまって、本当につらかったと思うんです。このころに文語詞を書き出していて、冒頭は『いたつきてゆめみなやみし』というもので、「病気になってしまい、夢はみんな終わった」という意味です。僕自身も、20代30代をずっと病気で過ごして、その後、なんとか社会に出られるようになった時には、もうある程度の年齢になってましたから、結構、きついんです、40代の新人、みたいなね。ふとトイレに行って、「自分の人生ってのは、もうこの一回で、こういう人生で、これだけなんだな」と思って、「この年でもう、何にも起きないな」と思うと、ちょっと泣けたりしましたね。賢治の場合は童話を書いたり詩を書いたり、それにかけてきたわけです。この時点ではまだ有名になっていなかったし、あまり認められていませんから、すっぽり何もなかったように感じて、むなしかったのかもしれないですね。手紙は、まだ続きがあります。
風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
この一節、好きなんですよね……。僕みたいな病人にとってはもう、共感しすぎて泣けてくるところです。病気すると、風が吹いている外を自由に歩くとか、はっきりした声で何時間も話すとか、健康な人なら何でもないことが、もう神の業にも等しいことになるわけです。それを人間の当然の権利だなんていう考えでは、実際に観察した世界の実際とは“遠い”と。賢治は弱くなってみて、「日常が実は奇跡だ」みたいなことをしみじみ感じるわけです。そんなの当然と思っているのは間違いで、実は大変貴重な人生、日々を送っていたことに、今ここでしみじみ思いが至るわけです。手紙は更に続きます。
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。
今の生活を当たり前で平凡でつまらないものと思わずに、奇跡的で貴重なものだと思ってしっかり味わえと。「しっかり生きろ」というところが、普通ならね、「健康なうちに頑張りなさい」とか、「楽しめるうちに楽しんでおきなさいよ」って言うんですけど、「楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょう」って、これがやっぱり、変わってるというか、さすがというか。自分が苦しんでいる最中ですから、本当は苦しみなんかない方がいいと思ってるはずなんです。最初の方でご紹介した、イーハトーブの説明を思い出してしまいます。賢治は「悲しみでさえそこでは聖くきれいに輝いている」と言ったわけですけど、まさにそういう人生を、最後に生きていかれたんじゃないかなと思います。
賢治が亡くなったのが1933年、黒柳徹子さんがお生まれになった年です。黒柳徹子さんは今もお元気に活動してらっしゃいますから、そのぐらいの年数をかけて、ほとんど無名だった賢治が誰でも知る人になった。賢治自身、本当の幸いを求め続けて、でも決して到達しない、果てしない旅だったわけです。私たちは手近な幸福で手を打って生きていくしかないわけですけれども、それさえなかなか手に入らない。でも賢治は本当の幸いを求め続けて、亡くなった今もあの銀河鉄道に乗って、本当の幸いを探し続けているような気がします。
引用終わり
「表面陽気に見えながらも、実は何とも言えないほど悲しいものを内に持っていたと思うのである」
井上ひさしも言ってました、人間は悲しいものだから演劇など楽しんでいいんだと。
弟さん、貴重な原稿を処分しないでくれて感謝です。これがあるから素晴らしい舞台、映画、ドラマもでき、人類を励ますことになりましたから。
サソリの自己犠牲、「捨身飼虎」を思い出しますね。
釈迦が前世に飢えた虎の親子と出会い、我が身を投げ出して食わせ、虎の母子(生後間もない子は7頭も)を救う話です。
『金光明経』などに記載されています。https://ameblo.jp/dior3701/entry-11894899887.html