猫とバラ、演劇、旅ファン 2014年11月
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東山紀之が“反ヘイト本”を出版していた!自らのルーツと在日韓国人への思いを告白


 
 
「朝鮮人を殺せ!」「在日は半島へ帰れ!」
 排外デモ、嫌韓本、ネット……あらゆる場所にあふれかえるヘイトスピーチ。差別的言動をいさめるどころか、野放しにし、ヘイト主義者たちと一体となり助長させている安倍ヘイト政権。いまの日本の差別国家ぶりには目を覆いたくなる現状だが、そんななかある1冊の本が“反ヘイト本”として注目を集めている。
 
 東山紀之の自伝エッセイ『カワサキ・キッド』(朝日新聞出版、2010年刊)だ。東山といえば、ジャニーズ事務所所属のベテランアイドル。最近では私生活でも妻である女優の木村佳乃との間に二女をもうけ、ジャニーズアイドルとしては御法度の父親としての私生活もあえて積極的に語るなど、“物を言うアイドル”としての一面も見せている。
『カワサキ・キッド』は09年1月から1年4カ月の間「週刊朝日」に連載されたものだが、神奈川県川崎市で育った東山の極貧だった少年時代や、祖父がロシア人という出自など、それまで明かされなかった数々の秘話が告白されたことで当時は話題になっていた。しかし、刊行から5年のときを経た今あらためて同書を読み返すと、東山の“反ヘイト精神”が全編を通して貫かれていることに驚かされる。
「僕の一家は、川崎駅近く、ソープランドが密集する界隈の、父方の祖父母の家で暮らしていた。
 同書を読み始めると、いきなりこんな記述が目にとびこんでくる。祖父も父親も大酒飲みで、ギャンブルにのめり込み、借金もあったという。そして、幼い東山は左足が変形するほどのやけどをおってしまう。
「祖父はロシア人の血を引いていた。大酒飲みで、昼間、理容師の母が仕事に出ている間に、酔っぱらって暴れ、ポットをひっくり返して、熱湯が僕の足にかかったのだ」
 東山が3歳のときに、妹が生まれてまもなく、両親は離婚。東山は「僕のヤケドが引き金になったとも聞く」とも書いているが、母子3人が移り住んだのが、やはり川崎・桜本の小さなアパートだった。この地で最初に出てくるエピソードが在日コリアンとの思い出だ。
 
「僕たちの住む地域には在日韓国・朝鮮人の人々が多く暮らしていた。うちのアパートもそんなコリアン・タウンの一角にあった。
 近所には、日本名を名乗り、焼き肉屋を営む朝鮮人母子が暮らしており、僕より二つ上のおにいちゃんがいた。」
「僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。僕たちはそれにかぶりついた。貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」
 
 幼い東山と在日コリアン一家の交流。そして、自らもロシア人の血を引いていることへの複雑な思い。それは東山のその後に大きな影響を与えたことは想像に難くない。東山は小学校時代から差別への違和感をもち、虐げられている人たちに思いをはせるようになっていた。東山はこうふりかえっている。
「あのころ、桜本の在日の人々のほとんどが、本名を名乗れない状況にあった。地元の小中学校の近くに朝鮮学校があったが、日本人の子どもの間では、『朝校の生徒に会ったら鼻に割り箸を突っ込まれるから気をつけろ』などというデマが流れていたりした。僕は『そんなことないのに!』ともどかしくてならなかった」
 そんな思いは最大の憧れである王貞治にも向けられた。
「日本のスポーツ界にも多くの外国人の血が流れている。芸能界でもさまざまなルーツの人々が活躍している。それでこそ豊かな文化が花開くのだと思う」
「国籍の問題で国体に出られなかったことに黙って耐えたと知ったときはジーンときた」
 当時、東山の生活はあいかわらず過酷で、母の再婚後は再婚相手のDVにもさらされていたという。貧しくつらいだけの少年時代。しかし、そんな東少年に転機が訪れる。小学校6年ももう終わろうという時、渋谷でジャニー喜多川に声をかけられ、芸能界デビューに向けレッスンを始めるのだ。
 しかし、ここでも東山のまなざしは変わっていなかった。13歳になった東山はジャニーズ合宿所でマイケル・ジャクソンとブラックカルチャーに出逢うのだが、そのときのことを、こう書いている。
「奴隷として鎖に繋がれてアフリカから連れて来られた人々は、運動不足にならないよう足踏みをさせられた。そこでリズムを刻むのが彼らの唯一の自己表現だった。生き残った人々は道端に落ちていた王冠(栓)を足につけ、リズムを刻んで遊び、ささやかな楽しみにしたという。それがタップ(英語で“栓”の意味)の始まりと言われている。タップダンスとは、虐げられた人々の発散であり、魂の叫びだったのだ」
 本書はその後、少年隊のデビュー、ジャニー喜多川や多くのジャニーズの先輩後輩との思い出、有名芸能人たちとの交遊、そして母親に背負わされることになる借金などの“秘話”が描かれる。しかし、そうした中、常に挿入されるのが変わらぬ“弱者”“マイノリティー”への思いだ。
 
 例えば92年に主演した大河ドラマ『琉球の風』で初めて沖縄を訪れたときは、その歴史に思いを馳せる。
「十七世紀から今日までの沖縄の歴史をふり返ると、沖縄の悲劇は極端なものだと思う。国内で沖縄ほど虐げられた歴史をもつ場所もない。今日に至るまで人々の思いは見事なほどつぶされてきた。なのに、どうしてこんなに明るく、親切でいられるのか。その優しさの裏には底知れぬ悲しみがあると思った。それを経験している人々の強さと優しさなのだ」
 また、広島のコンサート後に原爆資料館を訪れた東山はこんな決意さえしている。
「僕は韓国人の被爆者の人生に関心がある。差別のなかで、さらにまた差別を受けた人々はどんな人生をどんな人生観で生きたのだろう。演じることが許されるなら、その人生を演じてみたい。伝える必要があると思うからだ」
 そして本書の最後、35年振りに桜本のコリアンタウンを訪れた東山に去来するのもまた在日の人々への想いだった。
「この街に戦前、朝鮮半島から来た人々が多く働いていたのも日本の重工業を基底で担っていたからだ。僕が幼いころは『ヨイトマケの唄』のように『エンヤコーラ』の掛け声に合わせて、泥の中でランニング姿で滑車の網を引いたり、ツルハシをかざしている人たちの光景をあちこちで目にした」
「幼いころ、僕は在日の『シュウちゃん』の家に、毎日遊びに行っていた。焼き肉店をやっていたおばちゃんは、豚足とトック(おもち)をいっぱい出してくれた。いつもすきっ腹だった僕は、蒸した豚足に赤いコチジャン(唐辛子味噌)をつけてむしゃむしゃ食べた。温かいトックのうまかったこと!」
「自分たちも貧しかったけれど、さらに貧しい人々を支えなければいけないという気持ちを大人も子どもも持っていたと思う」
 
 
なんと、真っ当なまなざし。ひるがえって、安倍首相はどうだろう。こうした虐げられた者、被差別者を一顧だにせず、一国の首相が「保守速報」というヘイトサイトをシェアし、拡散させている。「韓国はダニ」「中国はゴキブリ」といったヘイトスピーチをがなりたてるオトモダチの宮司の本を「日本人の誇り」「世界一の日本人、世界一の国家をめざして進むための道標」と大絶賛している
 
 安倍よ。一度、東山の本を読んでみるといい。頭の悪いオマエでも、どちらがまともで誇りある日本人なのかがよくわかるはずだ。
(伊勢崎馨)
 
 
 


転載元: 幸せの青い鳥

鶴舞公園115年


 
100年ちょっと前の鶴舞公園
 

 

 
以前写真集で見て驚いた金閣風の建物。
 

 
やはり空襲で焼かれてます!
現在の鶴舞公園の敷地内で、明治43(1910)年に「第十回関西府県連合共進会」が開催され、その際以下の2つの建築物が“金閣寺を模し”て造られました。

(1)「聞天閣」(もんてんかく)という迎賓用の建築物(別名・貴賓館)・・・会場東方丘陵上の一角に建ち、“青銅製鳳凰が屋根の中央に翔立する、金閣寺をそっくり模した”建物で、“広さ501.2平方メートルのこけら葺純日本建築”でした。昭和20年3月19日に焼失しました。

(2)キリンビールのビヤホール・・・麒麟麦酒株式会社によって会場内の胡蝶池に造られた建物で、『日本のビール』によると“金閣寺を模した池亭をつくって、その中にぼんぼりを灯して、即席ビアボールを設けた。先ごろの万国博のパビリオンを思わせるような着想である”とあります。
 


 

 
左上の美術館は現存しません。アールデコの雰囲気ですね。
右下は今も現役の名古屋市公会堂
 


 

 
1924(大正13)年名古屋市に公会堂建設をと市民の寄付を仰いだが、おりしもの金融恐慌で寄付事業が頓挫し、工事は中断した。その後、昭和天皇の御成婚記念として昭和5年に完成しました。当時としては日本有数のホールを持つ堂々たる建物でした。戦時中は陸軍の司令部として使用され、戦後は1956年まで進駐軍の施設として、建物、公園とも大半が接収され、日本人はオフリミットでした。昭和31年の接収解除後の建物の各所には英語の落書きや、ナイフの切り傷が有りました。返還後は改装を重ね、現在、式典、公演、集会などに利用されています。
こげ茶色のタイル張りの重厚なレトロ調建築は、若い人にも受け、また中高年層には懐かしい若き日の思い出いっぱいの建物です。周りが広い駐車場に成っているので便利が良く、現在もほぼ毎日イベントが行われています。
 
噴水塔は、ヨーロッパ様式の重厚な造りで共進会会場の正面につくられた、(設計者は奏樂堂と同じ鈴木禎次工学士)、その後、公園のシンボルとして永く市民に親しまれてきたものです。地下鉄鶴舞線の建設工事に伴い昭和48年に解体されましたが、同52年に築造当初の姿に忠実に復元されまた。この噴水塔は、大理石の円柱に岩組を配した和洋折衷の明治調を良く表現し、全体としてはローマ様式の変化のある豊かな水景を形ずくっています。
この下は名古屋市内を縦横無尽に走る地下鉄が毎日運行しているのですが、静かにたたずめば、音や振動が感じられるでしょうか?
 
 
噴水塔は、ヨーロッパ様式の重厚な造りで共進会会場の正面につくられた、(設計者は奏樂堂と同じ鈴木禎次工学士)、その後、公園のシンボルとして永く市民に親しまれてきたものです。地下鉄鶴舞線の建設工事に伴い昭和48年に解体されましたが、同52年に築造当初の姿に忠実に復元されまた。この噴水塔は、大理石の円柱に岩組を配した和洋折衷の明治調を良く表現し、全体としてはローマ様式の変化のある豊かな水景を形ずくっています。
この下は名古屋市内を縦横無尽に走る地下鉄が毎日運行しているのですが、静かにたたずめば、音や振動が感じられるでしょうか?
 
 
 奏楽堂・噴水塔を設計した鈴木禎次氏とは・・・・・・
鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月2日) - 昭和16年(1941年)8月12日)71歳没は、静岡県静岡市出身の日本の建築家である。東京帝国大学工科大学造家学科(東大の前身)を明治29年卒業。明治36年、文部省の命で欧州へ留学。明治39年帰国後、名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)の教授を16年間勤める。妻の姉は夏目漱石に嫁ぎ、禎次氏は漱石の義弟に当たり、漱石の墓碑の設計も行う。
奏楽堂、噴水塔を設計したのは鈴木氏が30代後半の、建築家として独り立ちし始めた時期。鶴舞公園を洋風庭園として外国の手法を取り入れ、中部地方の近代西洋建築家の位置づけを確立した。

我が家で伊勢海老料理


 
前に富士山の見える温泉で伊勢海老頼んだら小さいのはいいですが
たいしておいしくなかったのでまたネットで申し込みました。
 
知多半島の豊浜へ行っても安い料理ばかり
伊勢海老は1匹1500円で送料が700円近くかかりました。
 

2012年は5匹5000円でした。送料と税金で6620円です。
 
生きてるので料理は夫の担当、その他の料理でも興味ありそうなときはシメシメと思い丸投げです
 
今度の伊勢海老はギィギィーとないてました。気の毒ですが。
 
刺身、みそ汁と焼いて食べました。
刺身もプリプリしておいしいのですが
焼いただけの海老が好きです。
 
ボタンエビの握りは好きですがあんまり他の海老や海老フライは好きではありません。名古屋といえば海老フライ、まるはも海老フライが売り。
長男のため海老フライはよく作りましたが二男は好きでないからもう作りません。
 
伊勢海老、せめてもう一匹買ってバクバク食べればよかったです。トホホ
 
今日は吹上ホールで技能五輪、アイヌの展示がありました。
 
ホールの玄関で「郵便不正事件」の
 村木 厚子さんが車で出て行かれるのを見ました。
黒塗りの公用車ではなく普通の乗用車で何人かで。
 
立派に闘われました。
 
東京大学出身者の男性キャリアが多い霞が関中央省庁幹部の中では、珍しい地方国立大学出身の女性で、さらに厚生労働省では少数派の旧労働省出身であった。
 
 
 最近玉三郎の振り付けもされた養母
藤間勘紫恵 さんがお亡くなりになりました。
守田勘弥さんの妻、老衰で89歳。 実のご両親は御健在でしょうか。
 
玉三郎丈は芸のため実母と別れるときはまだ10代で悲しかったそうです。当たり前ですね。
お父様、お母様のほうも息子のためとは言えおつらかったでしょう。
 
宮本亜門さんのミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で初めて知った中島啓江さんも亡くなられました。
 
ダイエットされていたのに間に合わなかったのでしょうか。
まだ60歳にもならないのに。残念です。
 

 
吹上ホール9階からの眺めです。噴水の周りに今日はテントのお店が出ていました。

 
吹上ホール9階から見た野球場、テニスコートです。

鶴舞公園の紅葉・バラ・茶室・図書館など


 鶴舞公園鶴々亭. 区分名, 和室(茶室). 郵便番号, 466-0064. 所在区, 昭和. 所在地, 昭和区鶴舞一丁目. 電話番号, 052-731-8590((財)名古屋市 みどりの協会分室).
 
また家から自転車で鶴舞公園に行けるようになりました。
中央図書館に行くためです。
 
車で行くのとは大違いです。
晩秋の紅葉観ながら、しみじみした気分になります。
 
以前は家から繁華街の栄までも自転車で行くことができました。
 
マンションから一度自転車で行ったら腰が抜けそうに疲れました。
 

 
この茶室にはまだ入ったことがありません。
 

 
「人権をみんなで守り明るい社会」のタテカンがある 図書館です。
 
1984年(昭和59年)には建物を新築しており、第17回中部建築賞を受賞している[2]
名古屋市立図書館の中でもっとも歴史が古く、古資料などの収集を行っている。蔵書数は約126.5万冊(2013年現在)であり、大学図書館を除けば全国でもトップクラスである。
点字文庫があり、約6,900件タイトルの点字図書、約8,500タイトルの録音図書を所蔵している。点字文庫の開館時間は午前9時30分から午後5時。
 
今年亡くなった中学の社会科教師は私が最も影響受けた先生でした。
 
その授業は自分で図書館などで本を選びレポートを作るというものでした。当時はまた違うところ(城山神社近くから、作家城山三郎のペンネームはここから)に住んでいたのでこの図書館は遠かったのに、来た覚えがあります。
 
作家の城山三郎はこの図書館で妻になった女性と出会ったのです。
 

 図書館入口反対側にある伊藤 圭介像(いとう けいすけ、享和3年1月27日1803年2月18日) - 明治34年(1901年1月20日)は、幕末から明治期に活躍した理学博士男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。
 

 
圭介像の隣にある青年像はだれなのか?
 
昔の帝大生はここを通って大学に行ったそうです。
この奥はベビーゴルフ場、今もあるのかな?
 
昔の図書館の建物は断片的にしか覚えていません。
 

 
隣には桜の名所円墳や名古屋工業大学・名古屋大学があります。
もちろん公園内の桜林もにぎわいます。
 

 
公園東側の入り口、竜ヶ池。奥は名古屋大学病院
 
鶴舞公園は明治38年から始められた精進川(現新堀川)開さく工事の土砂で造成され たものである。それ以前このあたり ... や大根畑であった、 もともと潅がい用のため池で あった竜ヶ池は日本庭園の修景地として、またボート乗りの池として残されたものである
 
酒匂の滝もありますが行けも何だか汚れていると思ったらビール工場が移転して
ホタルもいたのです。
 
竜ヶ池は水の豊富な池であったが、まわりの下水道整備が進むにつれて補給水が減り汚れが目立ってきた。そこで昭和30年、近くのビール工場(サッポロビール)とパイプで結び冷却水の余り水を引く事になった。池への落ち口は落差4Mの「酒匂の滝」と命名され、名は当時の工場長酒匂常伸氏にちなんだものである。ビール工場は平成12年に閉鎖され、暫くは池の水をポンプで汲み上げ滝口から落としていましたが、現在は殆ど水は流れ出ていません。 
写真では大変綺麗な水の色に見えますが、数年前まで近くに有ったビール工場から給水してもらっていたのですが、工場移転で給水がストップした為、水の循環が出来なくなり、汚れてしまいました。鶴舞公園には幾つかの池が有りますが、各池とも水質汚染が進行しつつあります。市民の間からもこの事に関して改善を求める声が有りますが、具体案は提示されでいません。早急に綺麗な水の入れ替えを望むのですが、大量の水をどのようにして、安価に交換できるのか今後の課題だと思います。
 

 
胡蝶が池
共進会の折りにつくられた池で、蝶が羽根を広げた形をしています。共進会終了後進められた公園建設でも、回遊式日本庭園の中心に位置付けられいます。南半分は戦後進駐軍により埋め立てられ、ベビーゴルフ場になっていましたが、昭和30年に復元されました。その中央には中ノ島があり、青銅製の鶴の噴水と亀が有ります。 
この病院の13,14階のレストランからご覧になると西洋庭園や日本庭園が綺麗に見えます。ガラス越しなので写真は撮りにくいです。

 
春は満開ですけど。
 

 
ちょっただけ見えてるドームが吹奏楽堂
 

春の様子
 

鶴舞公園公式サイト 菖蒲園、アジサイの道、加藤高明像、普選壇、野球場、テニスコートなどもあります。
昔は美術館、動物園もありました。見たことはありませんが。
 
隣にあった劇場も解体されてしまいました。
 

 
春にはバラ展などかいさいされる緑化センター
 
今は手作りリース展と鶴舞公園100年の古い写真が展示されています。

 

 

 
噴水と公会堂
公会堂で映画の試写会や憲法集会、卒業式、講演会など行われます。
夜はライトアップされて幻想的になります。
 

 

 

 
 

 
昨日吹上公園通ったら今日明日技能五輪とかのパン作りなどのテントが張られていました。雨止んでほしいですね。
 
鶴舞公園100年の古い写真は次回にします。

野党共闘をさらに促すため、ぜひ、署名をお願いします。

イメージ
 
 

新しいネット署名を立ち上げました!ご賛同&署名拡散にご協力お願いいたします!


「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会 Executive Committee for “The Nobel Peace Prize for Article 9 of the Japanese Constitution”
2014年11月26日 — たくさんの皆様のご賛同・ご支援・ご協力心から感謝申し上げます。
この度、実行委員会では新しくネット署名を立ち上げました。


衆議院選挙に向けて  
解散前の衆議院国政政党宛:
「集団的自衛権の行使容認に反対」で一致して選挙協力をしてください。

URL ⇒ 
http://goo.gl/vVOtqU 
 
 
公示の12/2まで、あと僅かです。
拡散をお願いします!
 
 


転載元: 歌舞伎 、創造の翼にのる

痛快米倉涼子のドクターX!!

 

 
白衣の下のパープル系の花柄のワンピが可愛い~
 
群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと、叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。外科医・ 大門未知子。またの名を、ドクターX!!
 
かっこいい!
毎回観た後は爽快になれます。視聴率良いはず、
まっさんは酷い脚本になっていて俳優が気の毒です。
 
いつ家賃払うの?
姑からもらったお金は料亭だけに使ったの?
ご近所の方からの旅費は返さないの?
 
ドクターX公式サイト
全然勉強する姿は見せないで、「私失敗しないので」とのたまう。
 
頼もしい、かっこいい!私には絶対言えないセリフです。
 
やっと今のシーズンから見ています。
 
昨日このセリフは未知子の覚悟だと、医師は失敗しても次があるけど
 
患者は一度失敗されたらお終いと岸部さんの所長が言いました。
 
その通りです。私も大手術受けたので身にしみます。
 
昨日の重病の少女の両親役は二人とも好きなミュージカルスター
 
堀内さんはコメディも上手い!サラリーマンNEO にもご出演
四季出身。お二人とも歌唱力、演技力素晴らしい。
高畑・北大路(貫禄、若き日の時代劇から見ています)・古田新太・遠藤、みなさん芸達者で面白い!
 
米倉さんも堀内さんもバレエやっていたので美しい!
 
「ドクターX~外科医・大門未知子~」第3シリーズに登場する人物の多くが海老名、双葉、阿智、足柄、談合坂、富士川
など高速道路のSAやPAと同じ名前という遊び心いっぱいのネーミングになっている
 
いつもはフルスピードで手術してしまうのに昨日は待った未知子
 
待つ間に大きな肺が収まる!びっくりです。
 
先週は患者役に銀粉蝶さんが出ていて渋い!
 
追記
2008年には『CHICAGO』の日本版でミュージカルに初挑戦した。米倉はブロードウェイで鑑賞したこの作品に魅了され、日本版の構想を聞きつけると自ら売り込んで主役を得た[8]。それまで本格的な歌を披露した経験はなかったが[9]、主役をこなし、月刊誌『ミュージカル』が選んだ「2008年ミュージカルベストテン」の女優部門で7位に入った[10]。2010年にも同作品を再演、この頃からブロードウェイ進出を考え始め、2011年には渡米して三ヶ月間ジャズダンスやバレエのレッスンを受けた[11]。2012年7月には『CHICAGO』でブロードウェイで主演デビュー[12]。日本人女優がアジア系でないアメリカ人の役柄を演じるのはブロードウェー史上初で、アジア出身の俳優としても初めて[13]。同年10月から主演を演じる『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズは、最高視聴率26.9%を記録する
 
「クールな役を演じることが多いからかっこいいイメージがありますが、実は暗い性格で自信がなく、よく周りのスタッフから「お前は自信がなさ過ぎる」と言われる」という[19][20]。「黒革の手帖」「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」などのゼネラルプロデューサーを務める内山聖子は「実はもの凄く小心者」「人見知り」「姉御肌というより、甘えっ子です」と言っている[21]

久しぶりの海です~


 
引っ越し疲れをいやしたくて知多半島の海へ出かけました。
すでに沢山家具や荷物がある実家に越したのでなかなかすっきり
しなくてうんざりしてきました。
また明日から天気が悪くなります。
 

 
内海食堂で生シラス定食、1900円
 

女性限定海鮮丼1100円
味噌汁はすごい海の香り、
刺身は美味しい。女性客の少ない店です。
 

 
 
気功教室で海も気をもらうには良い所と教えてもらいました。
 
冬は腎臓を大事に。早く寝て遅く起きること。
午後5時から7時に腎臓をケアするとよいらしいです。
 
腎臓のあたりに手を添えて上下にさすったり。
腎臓を立体的に思い浮かべて。
 

 
この内海海岸にはサーファーが一人、常滑の中部国際空港に向かう飛行機も2機観ました。
 
 
夏は大勢の人が海水浴に押し掛けます。
今はマイカーで日帰りですが大昔は別荘地でした。
 
江戸時代は千石船が運行、黒塀の尾州廻船内田佐七家が残っています。
日・祝日は公開されていると思います。私も見学しました。
なかなか立派名お宅です。
子供の時から気になっていた黒塀のお屋敷で初めて見学したときは感激しました。
 

 

 
内海生まれのお吉
 
安政4年(1857年5月日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリス玉泉寺領事館で精力的に日米外交を行っている最中、慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥せってしまう。困ったハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンはハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼する。しかし、当時の日本人には看護婦の概念がよく解らず、の斡旋依頼だと誤解してしまう。そこで候補に挙がったのがお吉だった。
当時の大多数の日本人は外国人に偏見を持ち、外国人に身を任せることを恥とする風潮があったため、幼馴染の婚約者がいたお吉は固辞したが、幕府役人の執拗な説得に折れハリスのもとへ赴くことになった。当初、人々はお吉に対して同情的だったが、お吉の羽振りが良くなっていくにつれて、次第に嫉妬と侮蔑の目を向けるようになる。ハリスの容態が回復した3か月後の8月、お吉は解雇され再び芸者となるが、人々の冷たい視線は変わらぬままであった。この頃から彼女は色に耽るようになる。
 

 
右側の白砂の湯はやっぱりありません。お吉像の隣にありました。
屋上には温水プールもありました。
他にも建物だけで空っぽのお店も多いのです。
寂しい!
 

 
豊浜へ移動、梅の湯へ。600円
 
海老フライで人気のまるはで食事すると満員で落ち着かないのですがお風呂はすいてました。まるはの食事はこちら
 
まるはで友人と一泊したとき朝、旅館の人が魚をやる様子を見ました。今日もトンビが旋回していました。

 
ここで釣りをしていたご夫婦
 

 
ふぐを100も釣りはんぺんにするそうです。
 

ふぐのはんぺんなんて贅沢な~
 
後は河和近くの魚太郎であんこう1500円で買って帰宅、アンコウ鍋にしました。
 
源氏香などもっと高級旅館で泊まってみたいです。
 
香りと言えば今朝BSで名古屋に香道の家画ある事を知りました。
 
HV特集「平成の名香合香道 五百年の父子相伝〜」 - 感性を研ぎ澄まし、それに身を ゆだねるのが香道。2009年、究極の催しとされる「名香合」が、80年ぶりに開かれた。「 六十一種名香」と呼ばれる最高級の香木を味わう。
 
徳川さんや近衛さん、冷泉さんがお客様でした。

原発再稼働と総選挙

みなさま    西英子です。
 
28日の夜は金曜行動です。 ぜひご参加を!
 
中電本店前  18:00~19:00
 
雨にならないよう、寒くならないよう祈っています。
 
今日は12月の総選挙について書きます。読んでください。
 
〇 私には、なぜ解散なのかよくわかりません。
「週刊金曜日」11/21号で 佐高信氏の記事を読みました。
11月4日の参議院で、安倍首相の脱税の疑惑を野党議員に質問されて安倍首相
激昂してまともな答弁をしませんでした。(いつものことです)
 
「疑惑隠しの自己都合解散」
 と佐高氏は名づけています。
 
菅原文太さんの「いったい日本という国は誰の国なのだろう」に対し、佐高氏は
「多分、安倍は『自分ひとりの国』と思っている」と書いています。
 
ともあれ、この選挙で安倍政権の政策に反対する議員をひとりでも多く国会へ送る
チヤンスととらえ、私のできることをしたいと考えました。
 
〇選挙ハガキを出そう!
今私がしていることは、公職選挙法にもとづき衆議院選挙の期間中に、私の住む
愛知3区(昭和、天白、緑)の有権者宛てに55000枚までのハガキを切手を
貼らずに出すことができることを知りました。
 
さっそく近くの近藤昭一事務所から、ハガキ1000枚をもらいました。
近藤さんは民主党ですが、2年前の選挙では、選挙区で自民党(一年生議員に
なった人)に敗れ、比例区で復活当選しました。今回もかなりの苦戦が予想され
ます。ですから私は一生懸命にハガキを書くことにしました。
 
「原発ゼロ」をめざして国会議員として頑張っているこの人を落選させてはなら
ないと思っています。この選挙ハガキは当選に向けたきわめて大きな力になります。
 
〇みなさまへお願い!
 
昭和、天白、緑区の有権者の住所とお名前を教えてください。あなたのお知り合い、
友人、親戚とあなたご自身の宛名を教えてください。
名簿は一人でも多く、私宛てにメールでお送りください。使用後には消去いたします。
私が推薦者になって書いたハガキを近藤事務所に届けます。
推薦者としての私のメッセージは、
「『原発ゼロ』と『平和』をめざす市民派です」の一言だけしか書けないスペースです。
 
また、自民党が圧勝して、原発再稼働、集団的自衛権行使を強行されてしまったら、
私たちは有権者として後悔しなければならないです。
なんとしても、今度の選挙ではみんなの力を出し合って、安倍政権の「暴走」をくい止
めないとならないと思います。
 
〇 近藤さんの主張(選挙ハガキより)
 
・ 消費税は上げるべきではない
・ 再生可能エネルギーで原発ゼロへ
・ 集団的自衛権行使はノー
 
超党派の国会議員が参加する「原発ゼロの会」の共同代表として、原発再稼働に反対。
立憲フォーラム代表として平和運動の先頭に立っています。
 
〇 市民運動にも積極的に参加
以前の「自衛隊イラク派兵反対」デモで一緒に歩きました。 今は反原発デモや秘密保護法
や集団的自衛権反対などの集会・デモに来て、スピーチをされています。愛知県弁護士会
主催の講演会にも参加されています。
私ども主催の講演会、映画上映会にも来てくださっています。名古屋で開催された「COP10」
の頃は、環境副大臣をされていたので、「辺野古の海を埋め立てないで!」「上関原発のために
海を埋め立てないで!」などの要請書を持っていったこともありました。
” こんちゃん ”の愛称で親しまれている とても気さくな市民派です。近藤さんが国会からいなく
なってしまうと、私たちの声を国会へ託すことができなくなってしまいます。
 
西さんは高齢の華奢な女性ですが芯が通り立派です。
いつも帽子もお洒落な方です。お連れ合い様も一緒に行動され新聞投書もよく載ります。
 
 
 

今頃ですが40回目、2013年日本賞受賞作品

ずっと録画したままのドキュメンタリーでようやく観ました。
世界の教育に大きな影響を与える作品です。
 
2014年版は大みそかの午後二時からEテレで放送予定です。
↑に紹介されています。
こういう作品が家にいながら見られるのはありがたいことです。
第40回「日本賞」には、57の国と地域の、208機関から
331
件の作品と企画がエントリーされました。
 
今日からはお兄ちゃん
 
誰もが経験する幼少期の成長の瞬間を、コミカルに温かく描いたアニメーション作品。主人公の少年エルマーにとって姉のカーラは、やさしく面倒を見てくれ、何でも教えてくれるかけがえのない存在。そんな姉が、大学進学のために家を出ることを知ったエルマーは、妹のミラとともに姉を家にとどめようと試みるがうまくいかず、別れの日を迎える。姉のいない生活が続いたある日、エルマーは苦手だった自転車に乗れるようになる。エルマーの中で何かが変わった。姉がそうしてくれたように、今度は自分が妹を助けよう。きょうからは、ボクがお兄ちゃんだ!
 
チャレンジ 少女の髪の物語
自慢の長い髪を切り、ガン患者のためにかつらを作る団体に寄付することを決心した11歳の少女ケリーの心の成長を情感豊かに描いたドキュメンタリー。父の心臓移植手術を通して、自らの臓器を提供する人がいることを知ったケリーは、自分の髪の寄付を思いつき行動にうつす。髪を切る瞬間のケリーの複雑な表情を捉えるカメラ。自分の髪で作ったかつらをガンを患う少女リザに直接手渡すケリー。見返りを求めず、進んで手を差しのべることの大切さを伝える作品。
 
カルチャ-ショック グランプリ受賞作
 
選ばれた若者の旅
二酸化炭素・ホテル・ファストフード・お土産・タクシーは禁止
 
今年銃弾のあともまだ生々しいセルビアにも登場し興味深い。
国際交流と異文化理解について、クロスメディアを駆使した物語展開で、デジタル世代の若者たちにアピールすることをねらった教育的エンターテインメント(エデュテインメント)番組。毎回、視聴者の若者が選んだカップルが、ある使命を帯びて自分たちの祖国を旅する設定。今回は、ロマをルーツに持つ大道芸人ラシードとイタリアの女子大生アニェーゼのカップルが、自らのアイデンティティと異文化体験を求めてバルカン半島に10日間の旅をする。
 
大道芸人ラシードの両親はイスラム教徒とキリスト教徒
 
結婚を祝福されなかった二人は紛争もあり、ボスニアを去った。
ロマに偏見を持っていたイタリア人女性も歴史を知れば状況は変わると。
 
ミッションUS 自由への飛翔
 
中学生向けのオンライン歴史ゲーム。舞台は19世紀半ばのアメリカ・ケンタッキー州の農園。14歳の奴隷の少女ルーシー・キングが秘密結社の助けで農園から逃げ出し、北部のオハイオ州に自由を求める。しかし自由なはずの北部が危険と困難に満ちた場所だということを知る。
子どもたちはロールプレイングゲームを進める中で、奴隷たちの日常のささやかな抵抗から始まり、奴隷制度廃止運動に至るまでの行動が、個人のありかたを変え、さらには国家にまで影響を与えていったことを、同世代の奴隷という視点から学ぶ。生徒たちが仲間と一緒に調べ、議論し、楽しみながら、知らぬ間に歴史の知識や考え方を身につけられる優れた教材になっている。
 
星の子アルフェ
映画監督ユゴー・ラチュリップが、娘アルフェとの日常を愛情豊かに描き、教育とは何かを問うドキュメンタリー。アルフェは遺伝子障害のために発達が遅れている。父ユゴーは、アルフェを特別学級には入れず、スイスのアルプスに一年間移り住み、大自然の中で娘の成長を見守ることにした。父親である監督の、娘に対する優しく辛抱強い視線は、日常生活の中で忘れがちな世界を想い出させ、あらゆる子どもの可能性を信じ、受け入れることの大切さを訴えかける。
 
アルプスの美しい自然の中でお父さんである監督が少女を育てます!
この少女は両親の遺伝子のために発達が遅れているといいますがご両親の懸命な子育てで自分で歩けるし、おしゃべりもできます。
 
でも女性3人組に笑われお父さんも傷付きます。
 
私はユニークな方たちをじろじろ見たり笑うことやごみを道に捨てるなどを親からは禁じられていました。
ごみは自分のポケットへ入れるのが習慣でした。
 
習慣になれば余り悪いことは出来ません。
 
日本人も「マッサン」でも出てきましたが異国の人を見たり差別すること、世界的にあるのでしょう。
障害やハーフ、ダブルの方を差別するのは卑しい心でしょう。
 
病気や障害・出自のため差別や漂泊の人生など、なんと悲しいものでしょう。

安倍晋三総理の自分の為の、衆議院解散劇



11月21日、衆議院が解散された。私がその瞬間を記憶している最初の解散は、戦後9回目の佐藤(第二次)内閣による解散である(1969年12月2日)。以来、15回の解散風景を目撃してきた。中曽根(第二次)内閣の「死んだふり解散」(1986年6月2日)が議長応接室で行われた以外は、衆議院本会議場での、万歳を伴うお決まりのシーンである。だが、今回の解散シーンは違和感の固まりだった。解散それ自体というよりも、伊吹文明議長の立ち居振る舞いに、である。
衆議院議長というのは国権の最高機関の長として、きわめて重い存在である。だが、伊吹議長は4つの点でこれまでの議長とは違った。冒頭の写真をご覧いただきたい。「紫の袱紗」に包まれた解散詔書を内閣官房長官が衆議院事務総長のもとに届ける。事務総長はそれを確認し、議長が読み上げる際に用いるメモとともに議長に手渡す。この間、10数秒ほどあるのだが、伊吹議長は事務総長の方に手をのばし、急かすように何度も手を動かしたのである(写真)。また、議長は何やら声をかけ、事務総長が「お待ちください」というようなことをいうが、顔は引きつっている。これには驚いた。全議員が注目するなか、議長は威厳を保つのが通常である。2年前の解散の際、横路孝弘議長は、事務総長が詔書を手渡す動きをするまでは基本的に前を向いていた(写真)。これがこの場面での議長の所作だと思っていたから、伊吹議長が事務総長を急かすように手をのばす、おとなげない場面に違和感を覚えたのである。法的な問題ではないが、ここで指摘しておきたい。
2番目は、解散詔書を読み上げる前段階の言葉である。2012年解散までは、「ただいま、内閣総理大臣より詔書が発せられた旨伝えられましたので、これを朗読致します」といって立ち上がる(横路議長の朗読シーン参照)。ところが、伊吹議長は「ただいま、憲法第7条により詔書が発せられた旨、内閣総理大臣より伝達されましたので、これを朗読致します」といった(伊吹議長の朗読シーン参照)。議長自らの言葉のなかに憲法7条が出てきたのは、解散の場面ではこれが初めてではないか。
3番目は、詔書朗読の仕方である。議長が立ち上がると議場の全議員、雛壇後方に控える国会職員が全員起立する。これまでの国会議事録では、ここでは、「〔総員起立〕 日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。 〔万歳、拍手〕 午後一時一五分」という形になる。ところが、伊吹議長は「衆議院を解散する」と朗読したあとに万歳が始まると、声を大きくして、「御名御璽 平成26年11月21日 内閣総理大臣安倍晋三」と続けたのである。そして、「万歳はここでやってください」と叫んだ。万歳が始まった。これも今までの解散風景とは大きく異なる。

そして4番目は、解散後の場面である。この写真をご覧いただきたい。議員も国会職員も全員起立しているが、伊吹議長だけが着席している。これはあり得ないシーンなのである。衆議院の解散とは、任期満了前に衆議院議員の資格を失わせる行為である。解散と同時に議員は「前議員」となり、ただの人になる。議長も同様である。前回の解散場面を見れば明らかなように(衆議院ビデオライブラリ)、議長は「解散する」と朗読した直後に始まる喧騒(万歳と歓声)のなか、着席せず、黙って頭を下げて後ろの扉から去るのである。これまでの解散で議長はみなこうやっていた。しかし、伊吹議長は万歳の声のなか、議長席に座ってしまった。彼はそこに座る資格を失ったにもかかわらず、である。事務総長は茫然と立ち尽くし、議長に何かをいう。議長が驚いたようにすぐ立ち上がり、「以上をもって散会します」といってしまったのである。通常の会議ならば、「この際、暫時休憩致します」とか「本日はこれにて散会致します」という。だが、解散によって議長は散会を宣言する権限(衆議院規則107条)を失うので、議長を含め、議員たちはただの人として国会を去っていく。同じ国会議員でも、参議院議員とは決定的に異なる点である。伊吹議長は最後の最後に大きなミスをした。
伊吹議長は当選10回のベテランである。10回の解散を体験しているはずなのに、なぜこのようなことが起きたのだろうか。4番目の「解散後の散会宣言」は、万歳が2回に分かれたことの影響で、あわてたのかもしれない。事務方のメモに「散会します」の言葉は絶対にないから、議長の間違いだろう。
実は私の講義の受講生2人が、解散の日、衆議院の傍聴席にいた。21日5限の憲法講義のあと、彼らは傍聴券をもって教壇のところにあらわれ、数時間前の解散風景について、興奮気味に語ってくれた。その一人は、「事務総長がブルブル震えていました」という。伊吹議長の一連の立ち居振る舞いは、国会事務方としてはとんでもないことだったのだろう。解散後、着席した議長に向かって何かいいながら立ち尽くす事務総長の姿は、ネットの中継でも確認できるが、やはり現場の目撃談に優るものはない。
ところで、上記3番目との関連で、議員が万歳をやるタイミングがずれたことについて、ネット上では「フライング解散」という言葉が広まった。翌日の各紙は「万歳 フライング?」(『朝日新聞』11月22日付)、「万歳三唱やり直し」(『読売新聞』同)という記事が政治面に出た。だが、本当にこれはフライングだったのだろうか。解散詔書を最後まで読み上げた例は過去にあるが、1955年1月24日の第4回解散(鳩山内閣の「天の声解散」)以来59年ぶりではないだろうか。伊吹議長は「御名御璽」まで読み上げた理由について、「解散は天皇陛下の国事行為だ」と説明した(『読売』)。天皇の国事行為性を強調するために、あえて御名御璽まで読むことで、衆院解散に関する「7条天皇説」を押し出したかったのかもしれない(通説・先例は「7条内閣説」)。与党の議員たちは、いかに1年生議員が多かったとはいえ、「衆議院を解散する」の直後に万歳に突入することくらい、長年の解散風景を見ていればわかることである。今回が異様だったのだ。伊吹議長は何のために最後まで読み上げたのか。私は、「衆議院を解散する」を、「内閣総理大臣安倍晋三」で結ぶようにという依頼が官邸からきていたのではないかと疑ってみた。ほとんどあり得ない想定である。あるいは、伊吹議長自身が、「内閣総理大臣安倍晋三」の解散であることを強調するために異例の読み方をしたのだろうか、とも疑ってみた。しかし、議長は与党の言いなりになることなく、独立して国会運営にあたるのが建前だから、これはあり得ないことである。もしそんなことがあれば、立法府の長として見識が問われる。いずれにしても、詔書の最後の「安倍晋三」をことさらに読み上げたことは、この時期、このタイミングでの不可思議な解散が、安倍首相による無理筋の解散であることを象徴しているといえよう。

さて、この解散の異例さは、解散を打ち出した直後に、安倍首相がNHKのみならず、民報各社の夜のニュース番組をはしごしたことにもあらわれている。短時間にすごい動き方である。チャンネルをまわすと、安倍首相が生番組で話しているのに、別の局にも登場しているという状況も起きた。一番驚いたのはTBS「ニュース23」である。写真をご覧いただきたい。オープニングで、何と安倍首相がキャスターと並んで立っていたのである。最初、他局がかつてやった等身大の人形だと思ったほどである。現職の首相がここまでやった例をみたことがない。「私の解散」であることを説いて回ったわけである。
番組でもっと驚いたことは、ハイテンションで自分の成果だけをまくし立て、「アベノミクス」を批判する街の声に対して、「これは皆さん選んでおられますよ」(YouTube)と、批判的な声だけを並べたのだろうといわんばかりの反論をしたことである。政治家は自分に厳しい意見が国民から出てくれば、「批判は重くうけとめます」というのが普通である。しかし、安倍首相は、メディアに向かって声を操作しているだろう、といってしまったわけである。しかも、「これはミクロの話です」といって、取るに足らない声だという扱いをした。そして、キャスターに向けて指を何度も突き出して威嚇し(写真)、「アベノミクス」をもっと評価しろといわんばかりの攻撃的な物言いを続けた。話の内容も、「6割の企業が賃上げしている。それが出ていないのはおかしいじゃないですか」といったような、自分に都合のよい数字だけを細々あげて、早口でまくしたてた。
岸井成格キャスターに「アベノミクス」以外にも重要な争点があるだろうとたしなめられるや(写真)、それぞれについて一方的かつ居丈高に、時折せせら笑いを浮かべながら(写真)反論した。特に、12月10日施行の特定秘密保護法については、「これはまさに工作員テロリスト、スパイを相手にしているから、国民は全く、これは基本的に関係ない。施行してみれば分かる」と説明した。確かに秘密保護ということについては、目に見えるような形での弾圧・抑圧があるわけではないだろう。そこが問題なのである。国民のデモでさえも「テロだ」という認識を示す政権である。まもなく施行されるこの危険な法律が誤用・濫用されない保証はまったくない。なおも特定秘密保護法の問題で食い下がる岸井キャスターに対して安倍首相は、「報道がそれで抑圧される、そんな例があったら私は辞める」とまで明言した(『朝日新聞』11月20日付)。選挙を前にして軽々しく「辞める」などという言葉を使ってはいけない。禁句である。焦りと余裕のなさというよりも、人間的器の小ささを視聴者に実にわかりやすく印象づけてくれたテレビ出演だった。
実は5年前、私は麻生太郎内閣による解散について、次のように批判した。「私の解散」という点で、いまメディアで「自己都合解散」「自己チュー解散」といわれている安倍首相にぴったりなので驚いたほどである。
「…首相が『私の解散』を語るようになってから、衆院解散という「国家統治の基本に関する行為」(苫米地事件最高裁判決)が、その存在の耐えがたい軽さをさらしている。だが、解散権を玩具のように扱った人々に対して、有権者がはっきりした意思表明をする時はもう間近に迫っている。そして、その結果はきわめて重いものとなるだろう」(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」)。
麻生首相はこの選挙に大敗して、政権交代が行われた。「傲慢無知」の世界をひた走る安倍首相は、自らのための解散をやってしまった結果、味方からも怨嗟のパワーを受けざるを得ない。そのため、結果次第では、自分を解散することになるのだろう。「安倍晋三、解散」である。
今度の総選挙は、安倍政権を終わりにする選挙でなければならない。野党は直接、間接、順接、逆接など、大胆な選挙協力の組み合わせをつくって、小選挙区で与党に勝つことが肝要だろう。野党が、「わが党はこれだけ得票をのばしました」というのは今度こそ許されない。立憲的な党の憲政が期待される。


転載元: 支離滅裂ですが、何か?

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