真福寺の筍料理
6世紀末に出来た古いお寺です。テレビでも紹介された筍料理を頂きました。
仁王さんに覆いがないのでよく見えます。
食器はずべて竹、湯飲みは400円で販売されています。筍や山野草も売っています。
料理はすべて筍、筍ご飯、おつゆが付きます。1470円。白ご飯でもOK。
茶碗蒸しや焼き魚も注文できます。
茶碗蒸しや焼き魚も注文できます。
宝物の仏像や山下清作品、見損ないました。
筍料理、さっぱりして美味しかったです。
今日も友人から筍、頂きました。ラッキーです。
猫とバラ、演劇・映画・美術鑑賞、動物園めぐりが趣味です。
七宝とは、一般的に金属の表面にガラス質の釉薬をのせて焼きつけたものの事をさします。また“七宝”という語は、仏教(法華経)の経典にある七つの宝物 「金・銀・瑠璃(るり)・蝦蛄(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・真珠・玖瑰(まいえ)」を表し、その“七宝”に匹敵するほど美しいことから、この名称がつけら れたと伝えられています。加藤七宝製作所より
その起源は古く、世界最古の七宝は、ツタンカーメン王の黄金のマスクに代表されるような時代のもので、紀元前十数世紀にまでさかのぼります。その後ヨー ロッパ各地に分散し、日本には、6・7世紀頃に中国・朝鮮を経て伝わりました。日本に現存する最も古い時代の七宝としては、裏面に七宝が施された鏡が奈良 の正倉院に保管されています。
江戸末期、尾張藩の梶常吉(かじつねきち)が発展させた有線七宝(ゆうせんしっぽう)は、明治に黄金期を迎えました。ヨーロッパの市場が日本文化に大きな興味を示したその波に乗り、日本の美術工芸品は、国威発揚の輸出産業として、多くの秀作が海を渡り、同時期のフランスの新しい芸術-アール・ヌーヴォー-に多大な影響を与えました。しかしながら、芸術として劇的な飛躍をとげ、高みを駆け抜けた明治の七宝は、輸出先となった欧米の嗜好変化にともない、生産量・質ともに、徐々に衰退の一途をたどることになりました。
本展は、19世紀~20世紀にかけて、海を越えて東西を行き来したエマイユ(七宝)の航跡を振り返りながら、芸術の煌きや創造の悦びを通し、伝統の技やものづくりの精神といった尾張に受け継がれる文化を広く発信すべく企画いたしました。
林小伝治(はやしこでんじ)、川出柴太郎(かわでしばたろう)、安藤重兵衛(あんどうじゅうべい)といった尾張七宝の先駆者から、京都の並河靖之(なみかわやすゆき)、東京の涛川惣助(なみかわそうすけ)など、世界を駆け抜けた日本の七宝作家達の明治の名品や、19世紀から20世紀にかけて欧米で制作された優美、華麗なジュエリーを紹介します。
当美術館は、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール、シャルダンといったフランスのオールドマスターをはじめとするロココの時代から、ロマン主義を代表するドラクロワ、新古典主義のアングル、写実主義、印象派、そしてエコール・ド・パリ等、18世紀から20世紀に至るフランス美術200年の流れが一望できる構成となっています。さらには19世紀末にフランスを中心に花開いたアール・ヌーヴォーの代表的な作家であるガレをはじめとする、様々な作家達のガラス工芸品、家具も展示しています。
かつて名古屋城の本丸には、天守閣とともに本丸御殿がありました。
本丸御殿は、日本建築史・絵画史・工芸史上、最も豪壮華麗といわれる安土桃山から江戸期にかけて造営された近世城郭御殿の最高傑作で、国宝になっている京都の二条城二の丸御殿と双璧をなす建物でした。
国宝にも指定されていた世界的な文化遺産でしたが、惜しくも、終戦直前の1945年5月に空襲で焼失しました。