猫とバラ、演劇、旅ファン 2011年06月
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続世界遺産エステ荘(ビィラ・デステ)



 

95年に初めてロンドンに行ったとき、公園の広大さや美しさに感激しました。まだガーデニングにもはまっていない頃です。

上はロンドンのハイドパーク(だと思います)のイタリアンガーデン、朽ちた彫刻に噴水、こういう感じに惹かれました。

其の後、トマス・ホッブズやアダム・スミスのような大学者が貴族のお坊ちゃんの家庭教師も勤め、グランドツアーにも同行したことを知りました。

岡田 温司 (著) グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 (岩波新書)これが又面白い本です。

グランドツアー
18世紀イギリスの裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に行った大規模な国外旅行である。当時文化的な先進国であったフランスとイタリアが主な目的地で、一種の修学旅行ともいえる。旅行というのが、おおよそ数か月から8年というのがヨーロッパの人たちにとって普通だった時代のものである。
旅行の間、若者は近隣の諸国の政治、文化、芸術、そして考古学などを同行の家庭教師から学んだ。彼らは見物したり、勉強したり、買い物に精を出したりする。グランドツアーは、若いイギリスの青年たちにとっては、様々な実情や状況に合った生きた知識を手に入れるための実用的な好機でもあったのである


 




上は前回、ご紹介したエステ荘 の百の噴水


イタリア庭園巡りの参考にしたのは巌谷 国士 著イタリア庭園の旅―100の悦楽と不思議と ヨーロッパ100の庭園 です。

イギリス庭園の本は何冊も出ているのですが、イタリア庭園の本はなかなかない、
それなのに私には読みずらかった本。

イタリアの名園が多数紹介されていますが、写真の配置などがちょっと。
私のようなイタリア庭園初心者には向いていないのでは。


地球の歩き方とロンリープラネットも参考にしました(今回初めて購入した、分厚い本。ヨーロッパの方が実際に持っているのを観ました。情報が少ないので両方、持って行ったので重い!
だからエステ荘で「エステ荘のバラ」という綺麗な写真集がありましたが高いし重くて買えませんでした・)
日本語のパンフレットがあったのに、買いそびれてしまいました、馬鹿です。

エステ荘は枢機卿イッポーリト2世・デステ(アルフォンソ1世・デステとルクレツィア・ボルジアの子)がつくらせた名園中の名園。

設計は、ピッロ・リゴーリオ(1500年 - 1583年)彼は考古学にも造詣のある人物でハドリアヌス帝の発掘に従事していた人物。

この人を中心に一流の建築家、治水家・画家たちが協力しだけあります。

アルバーノ丘陵を望む急斜面に邸宅のテラスに始まって最下段の「糸杉の円形広場」のある平面まで5層に渡って展開する驚くべきものですが、又それぞれに凝った仕掛けがあります。

参考にさせてもらったブログ





 


 


 

オルガンの音色は聞こえてきたけれど、ここに到達したときはすでに閉まっていました。トホホ
二時間おきに真ん中の扉が開いてパイプオルガンが見えます。


 


 

オルガンの噴水の下から見える滝と噴水。

この下に四角い養殖池があります。


 



 


 


 


 

奥に見えてきたのが


 
地母神像。古代のアルテミス像をまねたもの。


 

まだまだ続きます。

原発映画特集「六ヶ所村ラプソディ」

「塔の上のラプンツェル」「ツーリスト」「ラブ・アンド・アザー・ドラッグス」「ザ・ロンリー・メイドゥン」
 
ゲキシネ「薔薇とサムライ」   シネマ歌舞伎「女殺油地獄」
 
どれも良かったのですが取り上げる時間がありません。
この原発映画特集はお勧めします。
 
まだ「六ヶ所村ラプソディ」と「ヒバクシャ」しか観ていませんがどれも良作です。
 
六ヶ所村ラプソディ、は小出先生もご出演、闘った漁師の方や今も米やチューリップを作って抵抗されている女性には涙でした。あのときに全国的な運動にならなければいけませんでした。

 
以下はシネマスコーレhttp://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/home.htmからの引用です。
 
テレビでは教えてくれない原発の真実
「六ヶ所村ラプソディー」
2004年、青森県の六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。ここは核燃料のサイクル基地としての中核工場になるはずだが。2005年イギリスのセラフィールド再処理工場で事故が起きた。六ヶ所の隣村で農業を営む人、核燃に頼らない村づくりをする人など多数の関係者に取材。いま注目の原子力安全委員会、斑目(まだらめ)春樹委員長も登場する。
2006年/日本/119分/グループ現代配給/長編ドキュメンタリー/DLP上映
監督/鎌仲ひとみ プロデューサー/小泉修吉
撮影/大野夏郎 松井孝行 フランク・ベターツビィ
6/25~7/1 10:00~12:00
7/2~7/8 10:00~12:00
「祝の島」
山口県上関町祝島(いわいしま)。瀬戸内海に浮かぶ人口約500人が住む島。1980年、この島の対岸4キロメートルに原子力発電所の建設計画が浮上。天然記念物や絶滅危惧種の宝庫でもある海域の埋め立てをめぐり
漁民は約10億円という漁業補償金の受け取りを拒否。以来28年間反対を続ける島民の日常を、2年間に渡り映し撮る。
2010年/日本/105分/サスナフィルム配給/長編ドキュメンタリー/DLP上映
監督/纐纈(はなぶさ)あや
撮影/大久保千津奈 編集/四宮鉄男
6/25~7/1 16:15~18:05
 
「ヒバクシャ 世界の終わりに」
1998年、湾岸戦争後のイラクを訪れ、劣化ウラン弾により白血病を病んだ多くの子供達に出会う。劣化ウラン弾は、原子力産業から出る廃棄物から作られる。ヒバクした子供達の取材をきっかけに、広島で被爆した85才になる肥田医師の、微量の放射線がもたらす危険に耳を傾ける。そしてアメリカのハンフォードのプルトニウム工場周辺の農民を取材し、ヒバクの実体に迫る。
2003年/日本/116分/グループ現代配給/長編ドキュメンタリー/DLP上映
監督/鎌仲ひとみ 撮影/岩田まき子 家塚信
音楽/クリストフ・ヒーマン

6/25~6/27 6/29~7/1 18:15~20:15
7/2~7/8 12:10~14:10
 
アレクセイと泉
1997年、チェルノブイリ汚染地“ドゥヂチ村”を舞台にした映画『ナージャの村』を撮り上げた本橋成一監督が、今度は同じくチェルノブイリ汚染地の“ブジシチェ村”の自然とそこに暮らす人々の姿を追ったドキュメンタリー。村の中心部にある<百年の泉>と人々の関わりを中心に、ゆったりとした時間の中でつましく暮らす人々をフィルムに収めていく。

2002年/日本/104分/サスナフィルム配給/長編ドキュメンタリー/DLP上映
監督/本橋成一 音楽/坂本龍一


6/18~6/24  12:10~13:55
6/25~7/1 12:10~13:55


「ナージャの村」

かつては300世帯の農民が暮らしていたベラルーシ共和国ゴメリ州ドゥヂチ村は、チェルノブイリ原発の事故によって放射能汚染にさらされ、今ではわずか6世帯15人が暮らすだけの寒村になってしまった。政府からは村への立ち入りが禁止され、大地が汚染されていることも知りながら、残った彼らは村を離れようとはせず、家畜を育て農作物を栽培し、昔と変わらない営みを続けている。

1997年/日本/118分/サスナフィルム配給/長編ドキュメンタリー/DLP上映
監督/本橋成一 音楽/小室等


6/18~6/24 14:05~16:05
6/25~7/1 14:05~16:05
 
追記2006年にこの映画を見た方の感想の一部です
六ヶ所村のヒトたちは言う。
「再処理工場がなかったら仕事がなかった」と。
 しかし、日本中、世界中に放射能を撒き散らしてまでするほどの価値
ある事業ではないでしょ、と言いたい。

 ともかく今日も六ヶ所は稼動している。
 放射能も空と海へ吐き出している・・
 すごい現実が日常となっている・・

 チェルノブイリ原発事故の10年後が小児白血病のピークだったこと
を考えると、日本中で小児白血病・死産・流産・奇形児がいま以上に多
発し社会問題化するのは10年後だろう。

 六ヶ所の先輩にフランスのラアーグとイギリスのセラフィールドがあ
る。どちらも再処理工場周辺は放射能汚染されてしまった。現在は両国
とも再処理からの撤退を表明している。にもかかわらず、我らがニッポ
ン・六ヶ所はいまからセラフィールドの悲劇を繰り返したいのだろうか。

 広瀬隆さんの「ドイツの森番たち」に書いてある通り、核廃棄物の再
処理は、核先進国であったドイツでさえ、度重なる事故によりあきらめ
た核の技術なのに。



 おカネの問題もある。
 おカネは人間が編み出した便利なルールに過ぎないのに、
 いまや、大部分のヒトがおカネの奴隷になっている。
 金持ちも、原燃に投資すれば儲かるとなればよろこんで投資するのだ
ろう。
 
京大 小出教授によると、プルトニウム 10g で 1,000 万人の致死量
なのだそうです。ということは、日本人全員を殺すのにプルトニウムが
わずか角砂糖六個分あればこと足りることになります。

 六ヶ所ではそんな危険なプルトニウムを年間7トンもつくる予定です。
これは原子爆弾 1,200 発分に相当します。

 陸路で搬入されている「高エネルギー廃棄物」は、放射能が漏れない
ように頑丈なキャスクに入っていますが、もし、キャスクのない状態で
「高エネルギー廃棄物」のとなりにヒトが立つとわずか2秒でショック
死してしまうほどの代物です。

「放射能」とは放射する能力のことなんですね。あまりにもエネルギー
が高いので、原爆にも原発にも使用できるのですが、人間には扱いが難
しいわけです。



 とにかく現在、六ヶ所は稼動中です。2006.11.2(つい先日)からプ
ルトニウムの製造が始まっています。2007.8 から、フル・スピードの
本格稼動となります。

 年間にチェルノブイリ原発事故のときの10倍の放射能を空と海に放
出します!致死量に換算しますと、52,000 人分の放射能です。






世界遺産エステ荘(ビィラ・デステ)



 


 

リストのエステ荘の噴水でも有名なビィラ・デステの楕円の噴水です。


平泉と小笠原が世界遺産に 登録されましたね。

学生時代に友人と東北をまわった時に平泉にもいきました。

浄土を表した庭園と藤原三代のミイラ、金色堂で有名な中尊寺、懐かしいです。

京都の庭と違い技巧が感じられなかったのは残っていないから?



小笠原は行ったことがありません。

このエステ荘も世界遺産 、今回訪れた庭園のなかで一番の人出でした。

でも日本人は見かけませんでした。


半日でエステ荘とハドリアヌスの別荘をめぐるツアーもあるようですが、それではゆっくり出来ないと思い、

無謀にもローマから地下鉄とバスを乗り継いでティヴォリへ。

地下鉄の中でコロッセオへいくというカップルがいました。
その前に駅員さんになにやら尋ねていたのに。

私もよくやるのですがコロッセオは反対方向なのであわてて降りていきました。

ローマはまだ地下鉄がわかりやすいのですがロンドンでは日曜日には止まらない地下鉄の駅があり、それを忘れていて降りるべき駅がないとあせったことがあります。おかげで何回も往復(泣)

又その駅からホテルまで遠く似たような建物ばかりで迷ったこともあります。

しかも観劇帰りなので夜です。危ない目にあったことはありません。

それ以来ホテルは駅近くに限ると。

ティヴォリはローマの東約30kmにある丘陵にある町。

前にちょっとご紹介したハドリアヌス帝の別荘に先に行き、エステ荘へ。

バス停から道路を横断して左に行けばいいのにエステ荘は隠れていました。

庭園巡りでここだけ土産物屋さんを見ました。


 


 

入り口の教会、ようやくわかってほっとしました。たえなる音楽も♪


 


 


 

早く庭を観たいと思うのに邸宅内の豪華なフレスコ画、家具、リストの写真などの展示が続きます。

リストの亡くなった時の写真は‥銀?の花でしょうか、小さなフレームの中に繊細な花が写真を縁取るように飾られてれていました。晩年の写真は穏やかでした。

この邸宅は、16世紀にエステ家出身の枢機卿イッポリート・デステが、ローマ教皇位を巡る争いに倦み疲れ (当時はオーストリア・ハプスブルク家vsフランス・ヴァロワ家の対立が加熱してて、それに宗教改革も絡んで、パウルス3世没後のコンクラーベは大変なことに)、ティボリに隠遁しようと修道院を改装して建てたもの。彼は ルクレツィア・ボルジア の実の息子!噴水の数は500を超える

大浦みずきの退団公演は塩野 七生の作品でしたから、私もやっと何冊かそのとき読みました。
チェーザレ・ボルジア、ルクレツィア・ボルジア ‥

今回は須賀敦子の本を読むつもりです。


 

やっと庭園へ。


 

「百の噴水」が続く、小道は苔やシダに覆われた彫刻と噴水が作り出す風景はテレビで見たことがありませんか。

イタリアの庭は高低差が大きく、邸宅から庭に降りていくのですが、場所により眺めが違いますからゆっくりしたいところです。


 


 


 


 

ロメッタの噴水


 

続きます。

昨夜のBSプレミアムお前なしでは生きていけないご覧になられた方はいらしゃいますか。

藤田のアトリエも訪問されました。

竹中さん、私の好きなジュイ布と裸婦と猫の絵の前で感涙。
竹中さんも絵がうまいと思ったら

美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒で今は客員教授。

昨年ベルサイユからジュイ布美術館、フジタのアトリエへ行くつもりが乗り換えのバスがわからなくて仕方なくタクシーで。

まだタクシーがあればいいほうです。タクシーの姿はあれどお昼休みでドライバーがいない!という場合もありました。
日本のように流しのタクシーがないのです。
コッツウォルズでも途方にくれました。

ネットではベルサイユからの乗り換えればいいとありましたがこれが私には簡単ではありませんでした。

タクシーのドライバーにジュイ布美術館で待ってもらってフジタのアトリエへ。

懐かしいフジタのアトリエ,行くのも帰るのも私には大変な場所でした。
帰りはタクシーを頼もうとしても無理で困っていたら学芸員の方が駅まで送ってくれました。
とてもありがたかったです。

今回のイタリアでも地元の女性や男性にお世話になりました。
その話は又。

エステ荘の噴水

 
ローマの美術館の話は後回しにしてリストのエステ荘の噴水をよかったらお聞きください。

以前FM放送で小山さんと渡辺徹さんの楽しいクラシック番組を聴いていました。
ローマから地下鉄とバスを乗りついで行きましたのでその体験談と写真は次にご紹介します。
 
以下はWikiからの引用です。
ティヴォリは、ローマの東約30kmにある丘陵にある町。穏やかな気候と豊かな森に囲まれ古代ローマ時代から上流階級の保養地であった。
16世紀半ば、ランゴバルド人の血統のエステ家枢機卿イッポーリト2世・デステアルフォンソ1世・デステルクレツィア・ボルジアの子)はローマ教皇の座を巡る争いに敗れて、1550年9月にティヴォリの隠匿生活を決めた。
イッポーリト2世は、ベネディクト会修道院だった建物を住居として、その周囲に大規模な庭園を作らせた。設計は、ピーロ・リゴーリオ(1500年 - 1583年)で、彼は考古学にも造詣のある人物であった。まず1563年から1565年に斜面をならし、アニオ川から地下水道を別荘内に引き込む工事を行った。1565年ごろから、本格的な建築物の工事が始まりった。しかし1572年にイッポーリトが死去した時点でも、完成はまだ先のことであった。
その後、イッポーリトの甥にあたるルイージ・デステにより別荘は引き継がれるが、彼の財力では別荘の維持が精一杯であった。1605年に、アレッサンドロ・デステの所有となり、レイアウトの変更など大規模な改修が行われた。1641年以降はモデナの公爵家のもとので続けられた。
18世紀に入ると別荘邸宅は放棄され、荒れ放題となったが、1920年から1930年の間、修復運動が行われるようになった。しかし、1944年の爆撃でさらなる破損を被った。
ティヴォリのエステ家別荘(ティヴォリのエステけべっそう)は、イタリアティヴォリにあるユネスコ世界遺産登録物件名。4.5haにという広大な敷地の庭園内には、オルガンの噴水エフェソスのアルテミス(多産の女神)百噴水など使われているモチーフがギリシャ・ローマ時代の噴水500ほど、築かれている。後期ルネッサンス期の代表的な庭園であり、イタリア一美しい噴水庭園として称えられ、現在に伝わっている。
フランツ・リストのピアノ曲集「巡礼の年第3年」には、この庭園をモチーフに作曲された曲が3曲収められており、中でも《エステ荘の噴水》は壮麗に吹き上げる噴水を表題とした曲として知られている。
 

オルガンの噴水 [編集]

高い位置に溜めた水をパイプに通すことで、水が10m以上吹き上がることに成功し、完成当時は噴水史上の革命と云われた。

お前なしでは生きていけない(^0^)



 

昨日、子供の部屋を模様替えをして、このワゴンが出てきたら早速猫が集合(^0^)

左、父猫 右娘のダブル


 

次に母猫と娘ブランがやってきました。


 


 

一番下が娘のブラン、普段黒としか思えない目が、ちゃんと緑に見えます。


今晩8時から、BSプレミアムでお前なしでは生きていけない

猫を愛した芸術家の姿 をドラマとドキュメントで紹介するシリーズが始まります。

俳優さんもなりきりです。


 
 

作家の猫の本は前にご紹介しました。

今晩は竹中直人演じる藤田嗣治。予告見るとアメショーが登場

私は子供の時からなぜか藤田の絵にひかれていたので、昨年は念願のパリ郊外のアトリエやランス礼拝堂にいきました。


 








 



 


額縁をくぐって物語の中へ毎週(月)~(金)前7:15~7:30

絵の中に入る美術番組も紹介されてましたが、これが又興味深い、ちょうどミレイの華やかな絵が紹介されました。日本の調度品が~


追記 

竹中さん、フジタの絵の前で感涙。竹中さんも絵がうまいと思ったら

竹中 直人(たけなか なおと、1956年3月20日 - )は、神奈川県横浜市金沢区富岡出身の俳優、コメディアン、映画監督、歌手、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。

私の好きなジュイ布と裸婦と猫の絵,大作ですね。

ジュイ布美術館からフジタのアトリエにタクシーで行きました。

ベルサイユからの乗り換えがわからなくてタクシーのドライバーにジュイ布美術館で待ってもらってフジタのアトリエへ。

懐かしいフジタのアトリエ,行くのも帰るのも私には大変な場所でした。
帰りはタクシーを頼もうとしても無理で困っていたら学芸員の方が駅まで送ってくれました。
とてもありがたかったです。

ミラノからローマへ



 


 

ファシスト政体の権力を象徴させたかったというミラノ駅内部です
ホームの新しいデザインとアルベルト・ファーヴァによる全長341メートル、66,000平方メートルの場所を覆う鋼鉄で出来た大きなアーケード。



ミラノ駅とホテル外観は前の記事に。

ミラノ駅左側のミケランジェロホテル は数々の賞に輝く優良ホテルだそうです。

今まで一人旅のホテルは予約なしでしたがイタリアなのでさすがに心配になりネットで予約しました。

ネット予約できるホテルはちょっとお高いかも、ほかもあたってみなしたが似たような値段なのでしかたなく予約しました。駅からすぐというのはありがたい。

外観もロビーなどたいしたことはないのですが日本語の新聞が入ったのはここだけです。(朝4時のこと、浴室には体重計も置いてありました)

コモ湖のヴィラデステもジャグジー付で英語字新聞入れますといっていましたが

私が安い部屋に変えたら、入りませんでした。(o´_`o)



 


朝食には大きなケーキが!

朝食サービスの女性もフロントと同じく紺色?黒っぽい制服ですましていました。それだけの格式?

バスはジャグジー付、ガウンもついていました。

ガウンがついていたのはそれまでにはエジプト、ピラミットがすぐ近くに見える元王宮ホテル以来です。

シンガポール経由の長旅でやっとついたホテル、そこは部屋から庭に出られるのに、翌日早朝、飛行機でアブ・シンベル神殿まで行かねばならずほんの数時間しかいられませんでした(泣)

昨年のパリで後半シャワーだけのホテルが続きひざが痛くなってしまったのでなるべくバス付にしました。

共同でもいいからバス付がうれしい。

ドイツやロンドンの安宿、コッウオルズのB&Bにはそういう共同バスがありました。

ロンドンの結構なホテルでも凄く狭いシャワー室でこれで体格の良い方は入れるのかと?

日本人が泊まらないようなホテルです。

私でもしゃがめないぐらい、エレベーターは昔の洋画映に出てくるようなアンティークなのに。

もっと凄いのはシャワーが固定されていて動かない場合があるのです。どうやって掃除するのかと思うこともあります。

私は小さな桶持参です(笑)洗濯にも役にたちます。


 


 

ホテルの天井は高くどうやってカーテン閉めるのかと思ったらオートでした。
レースのカーテンは棒がついていて手動。


ミラノはツアーで来たときに 最後の晩餐はどうしても観たいと思いましたがツアーでは行かない。 だからツアーを離れて一人で行きました、修復後でしたがまだ予約なしで観られて感激でした、同じツアーの人が後で残念がっていました。

阪急旅行社の三月のツアーだったので格安でしたが、大事な時間に無料の観光地に案内。

海外は時間との闘い、特にイタリアは2時!で終わってしまう美術館 があり、こちらは二度と来られないと必死になります。仕方がないのですが旅行社は買い物させたいのですね。

イタリアでバックも買わない客なんて迷惑だったでしょう。(´`)

有名所は観光したので湖水地方に行こうかローマへ行こうかと迷ったのですがどうも天気が良くないのでローマの庭園巡りを先にすることにしました


朝ミラノを発ち三時間でローマへ。映画終着駅で有名ですね。
これもムッソリーニの構想により建られた駅。



テルミニ駅は

古代ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスのテルメ(Terme 公共浴場)の遺跡に近いことから、この名が付いた。 また、テルミニ(Termini)はイタリア語で終点を意味し、テルミニ駅=ターミナル駅(終着駅)であるが、テルミニ駅のサイトでは、名称はイタリア語の終点とは関係がなく、浴場近くのこの土地の名前が付けられたとある。

テルミニ駅構内の発券機駅舎のうち、正面コンコース部分は1947年-1951年に建設されたモダニズム建築であり、映画「終着駅」(米/伊(1953):Stazione Termini)の舞台としても有名。 その他の部分はファシズム期に建設されている。 地下鉄の駅は地下にある。
Wikiより


 
 
テルミニ駅からホテルを探し歩くとすぐ国立博物館マッシモ宮がありましたのではいりました。

前にご紹介したマッショム宮の至宝リヴィア家のフレスコ
やファルネジーナ荘の壁画が有名。

 

中庭

 



 

初めてイタリアに行ったときボルゲーゼ美術館の彫刻とは思えないダフネなどを見て、帰国するとガーデングッズの女性像を買ってしまったものです。


この日は昼からのローマ観光だったのですが


 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
古代ローマのディオクレティアヌス浴場跡
ボルゲーゼ公園(馬やリス、噴水に飛び込む犬もいました)
国立近代美術館
を見学して、自分でもやりすぎと思いました。後でいつまでも疲れが取れないはずです。

それにしても家事をしないとこんなに遊べます(苦笑)


 

ディオクレティアヌス帝浴場後の入り口の庭、猫もいましたので又ご紹介します。


以下はwikiより

ローマのテルミニ駅(終着駅)近くにある古代ローマの浴場(ディオクレティアヌス帝浴場)跡に1911年、イタリア統一50周年を記念して開館した博物館である。そのため「テルメ博物館」(「テルメ」は浴場の意)の別称で親しまれてきた。ディオクレティアヌス帝浴場は、著名なカラカラ浴場よりさらに規模が大きく、3,000人を収容することができたという。16世紀にはミケランジェロが、浴場の遺構を生かして、ここにサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂を建設した。ミケランジェロの死の直後、1565年には彼の構想に基づく回廊も建設されている。

ローマ国立博物館は、20世紀末まではこの浴場跡を主たる展示館としてきたが、建物の老朽化や博物館施設としての不備が指摘されていた。このため、彫刻、壁画などの主要な陳列品は、近接するマッシモ宮 (Palazzo Massimo) と市内ナヴォーナ広場近くのアルテンプス宮 (Palazzo Altemps) に移され、そちらで公開されている。

世界でも重要な作品をもつ博物館です。建物は1800年代の建物になります。
4階にわたる展示スペースでは、古代ローマの共和制の後期の作品やローマ帝国後期の作品を堪能することができます。

「もんじゅ」で今何が起きているのか?後藤政志氏/ニュースアンカー

 
「もんじゅ」で今何が起きているのか?
 
 
特集は、福井県にある高速増殖炉「もんじゅ」です。
去年8月に起きた装置の落下事故で、手がつけられない状態になっています。
ようやく今週にも装置を引き抜く工事が行われますが、なぜ、これほど時間がかかっているのでしょうか。
かつて、「夢の原子炉」と呼ばれたもんじゅの現状を取材しました

【原子力機構・鈴木篤之理事長(去年)】「申し訳ありませんでした」

福井県の敦賀市長に頭を下げる、原子力機構の理事長。
去年8月、研究を行うもんじゅの原子炉内で装置が落下した事故の謝罪に訪れたのです。
もんじゅは、使用済みの核燃料からプルトニウムを取り出して、再び燃料として使おうという「高速増殖炉」です。
資源の乏しい日本にとって「夢の原子炉」だと期待されていました。

 

1995年には本格運転を行う予定でしたが、ナトリウム漏れ事故を起こして運転を休止。
長い空白を経て、去年、14年半ぶりに試験を再開した矢先に装置落下事故を起こしたのです。

 

インターネット上では、「福島第一原発よりも危ない」などの書き込みが相次ぎ、もんじゅから出る水蒸気を見た人からは「爆発ではないか」とするデマまで流れました。

【記者リポート】「もんじゅの内部では、作業員が懸命に作業を行っています。今、もんじゅに何が起こっているのでしょうか」

【もんじゅ・中西征二特別広報監】「燃料交換装置を引き抜こうとしたんです。そのときに上の部分を十分つかみきれず、落下してしまった」

 

原子炉内の燃料棒を運ぶための装置をつりあげる際、つかむ部分のネジが「設計ミス」のため緩み、重さ3.3トンの装置が落ちたのが、今回の事故です。

引き抜こうとしても、衝撃で装置が変形したため途中でひっかかり、これまで2度、失敗しました。
原子炉は冷温停止状態ですが、引き抜き作業は10ヵ月もの間、中断したままです。

手が付けられない理由は、高速増殖炉では炉を冷やすのに、水ではなくナトリウムを使わねばならないからです。

 

【もんじゅ・中西特別広報監】「ナトリウムは空気中の酸素や水分と反応しやすい。ヘタをすると燃えてしまう。普通のナトリウムは放射能を持っていないが、炉心を通る間に放射能を帯びているので人間にあたるとまずい」

また、元原子炉格納容器設計者は、高速増殖炉はそもそも実用化が難しいと指摘します。

【元原子炉格納容器設計者・後藤政志氏】「極めて危険な原子炉のところで、極めて危険な流体(ナトリウム)を使う。そうすると絶対に漏れてはいけない。そんなことは不可能」

 

「(高速増殖炉は)ものすごくリスクが高い。核大国のフランスもアメリカも撤退した」「機械がちょっと壊れてひっかかっているだけの話なのに、何もできないなんて『設計』じゃない」

地元の人はどう考えているのでしょうか?

【地元の人】「怖いね、何かあったらどうなるのかと」「凡ミスがあったらダメ、ああいうところは。国の産業のためにやっているから、頭からダメとは言わないが、お金の使い方としては、どうにかならないのか」「心の中の不安はありますが、日本に資源が入らないとなると、(核燃料を)再利用していかないとダメじゃないかな」


落下した装置だけを引き抜くのは難しいため、もんじゅでは装置が入る筒ごと引き抜こうと、十数億円かけて工事の準備作業が進められています。



原子力機構は、装置についたナトリウムが反応して燃えないよう、包み込む筒に空気が入らないガスを入れていて、安全に引き抜けると説明しています。

 

【高速増殖炉研究開発センター・近藤悟所長】「みなさんにお約束していますが、安全最優先でやっていきます。『何かあったら立ち止まる』というのが基本的な考え方です」

これまで9000億円を超す事業費をつぎ込み、実用化は40年も先という「夢の原子炉」もんじゅ。
引き抜きが成功しても、今後のあり方についての議論が必要になりそうです。
ニュースアンカー

「核抑止力に相当するものをもんじゅによって日本は持っている」
TBS「News23」
 
(プルトニウムは軍事転用も可能なので)
「外交上の隠れたパワーになっている。
核抑止力に相当するものをもんじゅによって
日本は持っているという側面があることは確か」
(元原子力委員会委員九州大学大学院吉岡斉教授)
エネルギー資源のほとんどない日本にとって、資源が増殖するという
夢のような技術が喉から手が出るくらい欲しいのはよく理解できる。
しかしそれは原理的に可能というだけであって、
実用化できるかどうかは別の問題だ。
そして技術的に極めて困難であることは、
日本を除く先進諸国が増殖炉から早々と撤退したことからも分かる。
それでも尚、日本が高速増殖炉を推進したいいくつかの理由がある。
一つは、資源の乏しい日本にとって極めて魅力があるということ。
しかも“国産”のエネルギー源となる。
また、“クリーンエネルギー”などと称して、原発の増設を進める鳩山政権にとって、
核燃料サイクルの確立は急務の課題でもある。
原発の国内での増設だけでなく、海外への原発“売り込み”においても、
高速増殖炉や再処理技術の確立は急務を要する。
この間、海外への原発の“売り込み”において、韓国やロシアに
“敗北に次ぐ敗北”を喫している日本は、
使用済み核燃料の引き受けなどの、“売り込みサービスセット”などをも
“セット販売”しないとロシアやフランスとの販売競争に勝てない。
そういう観点からも、もんじゅ再開を急いだのだ。
更に、元原子力委員会委員九州大学大学院吉岡斉教授の述べているように、
プルトニウムを大量に保持しているということは、
潜在的核兵器保有国であるということでもある。
宇宙ロケットという名のロケットは、大陸間弾道ミサイルに転用可能であり、
プルトニウム処理技術は、いつでも核兵器への転用可能を意味する。
日本の技術力をもってすれば、いつでも好きな時に、長距離核ミサイル所有国となれるのだ。
もちろん、現在の日本は、内外の諸事情により、核兵器保有国にはなれないが、
国際情勢の緊迫化や、国民意識の変遷によっては、
“いつでも核兵器保有国”になりうるのであり、
そういう潜在的核兵器保有国ということは、
現在でも国際政治においては、「外交上の隠れたパワー」となっており、
鳩山政権もまた、自民党政権と同様、そういう“カード”を保持しておきたいのである。
潜在的核保有国であり続けるためには、
大量の兵器級プルトニウムを所有していることに対して、
国際社会に対する“口実”が必要なのであり、
もんじゅを廃炉にすると、その“口実”がなくなってしまう。
 
 

イタリア一日目



 

イタリアの庭園カルロッタ邸

デステ荘はちょっとご紹介しました。

以前はお正月休みや春休みにヨーロッパへ旅していたので、機内から見る風景は真っ白でした。

ソウル経由で行ったときは日本の山又山の風景、

安く上げようと台湾経由にしたら二回も乗りぎがあり真夜中に油っぽい料理でげんなりしたことがあります。帰国便も満員で苦しかったこと、

ところが今回のガラガラの帰国便には寂しくなりました。こんな日本には来てくれませんね。


以前はエールフランスが直行便飛ばしていてパリに行くには便利でした。
でもまだ完全禁煙ではなかったので‥

カーテンで仕切っただけの喫煙所があり帰国する時その次の席でもろに煙を浴び花粉症に!

花粉症になってからはタバコの煙が大の苦手となりフランスやイタリアの喫煙に悩まされました。

世界遺産のローマ近郊エステ荘のすみでも喫煙者がいました!

昨年は五年ぶりの海外でフランクフルト経由でパリへ。

なぜか、フランクフルト空港で靴の底まで執拗に調べられてびっくり。
こんなことは初めてで今回もありませんでした。

94年にウィーンに行った頃は入国にノーチェックでした。


 

子供のようですが機内から地図のように見える風景が好きです。

広瀬隆さんが言う優秀な火力発電所は知多市北浜にあります。


 

昨年、ルフトハンザの機内食がまずいといったら今年はエコノミーでも大丈夫でした(^0^)
(昨年の帰国時にはカードを落としたと思い込み、ルフトハンザの日本人現地係員にはお世話になりました、紛失届け出したら無事に届いていたのです。)

いつもエコノミーしか乗れませんが昨年は格安でビジネスいかがですかと中部国際空港で言われて最初で最後のビジネスクラス体験しました。

ビジネスクラスの和食はともかく、ステーキの美味しくなかったこと、

帰国便のエコノミーはすぐおにぎり貰う人もいるほどひどかったのに、今年はエコノミーでも結構美味しかったのです(^0^)


 


 


 


 

イタリア、マルペンサ空港は二度目なのに前回はツアーなので全然覚えがありません。 

空港から外に出ると「エーこんなに小さいの?」

ミラノ中央駅に行くバスも見当たらずあせりました。

もう午後7時ですが夏は9時頃まで明るいので助かります。

小さなバスの運転手に聞いたらそのバスで行くといわれました。

乗客は私一人。(・д・*)、こんなの初めてです。しかもガイドブックにあるより安くてあっという間に到着。4ユーロ

帰国する時は大型バスで料金もガイドブック通り、7.5ユーロ


遅いのでバス会社が違うのか。







バスは駅の横に着きました。


ベニート・ムッソリーニが首相の時代は特に駅にファシスト政体の権力を象徴させたがった。
主な変更はホームの新しいデザインとアルベルト・ファーヴァによる全長341メートル、66,000平方メートルの場所を覆う鋼鉄で出来た大きなアーケードの導入である。

立派な駅内部の写真は次回。




今回は最初のこのホテルだけはネット予約しました。
部屋の窓から観た風景。上のほうはガーデニングしているのが見えますね。




イタリアなのでご存知のビデがあります。

ローマの警察でトイレを借りたらそこにもビデがありびっくり。

だんだんビデに慣れてシャワーしかないときは足湯をしました。

このホテルにはバスにジャグジーがついていました。




面白い!新・水滸伝



 

今回機内で観た映画やシネマ歌舞伎も良かったのですが、帰国翌日に新・水滸伝を観ました。

美術監修 朝倉摂 衣装監修 毛利臣男 音楽加藤和彦!

うれしい事に歌もあります。

頂いたチケットで鑑賞、二十一世紀歌舞伎組初体験の友人も喜んでくれました。

今までのスーパー歌舞伎は豪華な衣装で目を楽しませてくれましたが長時間観劇だったのでちょっと心配しましたが私もとても楽しめました。

スーパー歌舞伎が劇団新感線(25日公開のゲキシネが楽しみです)に歩みよったのか、これなら皆さん、もっと見てあげて、初日には猿之助丈がご挨拶されたそうです。

横内謙介の脚本に感心、新聞評にも猿之助特有の説教くささがなくなったとありました。

励まし、癒し、サービスに徹していて客席に何回も降りてきてすぐそばで活劇展開してくれました。

とてもウルウルする今の時代にあったせりふが一杯、素直に感動できました。

梁山泊に根城を構えて悪党を束ねて暮らす好漢・ 晁蓋(ちょうがい)笠原章は役人たちの不正に憤り「こんな国はぶっつぶそう」と思い立つ。

水滸伝は、史実ではありませんが中国史は農民反乱で王朝が交替します。黄巾の乱や赤眉の乱など習いました。

そのエネルギーには日本にないものを感じます。

『水滸伝』とは「水のほとりの物語」という意味。

主人公・林冲(右近)がこころならずも教え子を盾にしてしまったと慟哭する場面、

纏足の問題、小さな女の子の足を縛って人工的にハイヒールのような小さな足を作りヨチヨチ歩きしかできないようにする。これがしていないと恥ずかしいなんて、パールバックの大地読んだときにびっくり。日本では花魁のポックリ、ベネチアではチョピンのような高下駄のような靴もあり、一人では歩けないのがステータス!

男性は小さい脚がお好み?その小さな靴にお酒を入れて飲んだ!?

昨年パリの装飾美術館でたびのような、動物のひずめのようなハイヒールを見て

図書館で靴の歴史の本を探しましたが、そんな靴は出てきませんでした。


足にここまで性的な意味があるとは…
西欧では靴を脱ぐと言うのは日本では裸になるぐらい恥ずかしいこと。
絵でも靴を脱ぐポーズってありますね

この水滸伝には纏足をしていない女性青華(笑也)が出てきます。

そのかたくなな心を解いていくのが猿弥演じる王英、その醜男が美女を射止める!

108人の中に3人だけ存在する女傑にもスポットを当て、「女性の英雄を思い切りフィーチャーした『女・水滸伝』」(横内)という新たな切り口で挑むようだ。また横内は、右近演じる主人公・林冲について「元エリートが心ならずも犯罪者となり、悪党の中にいるが、そこで情熱を取り戻していくストーリーにしたい」と話し、「(かつて病を得た)猿之助さんが蘇っていく姿と重なれば良いな」とビジョンを明らかにした。

長身の段治郎がいないと思ったら、膝の慢性的な炎症を理由に降板。大丈夫でしょうか。

猿之助一門は休みないぐらいの芝居隙はいいのですが、休養もとっていただきたい。

玉三郎の相手役にも抜擢された方です。

笑三郎、春猿も玉三郎丈の指導を受けています。

ここは不思議なことに女形の方が身長、タッパがあります。

右近さんがもう少し背があったらいいですね。メイクはとても立派でお似合いです。


以下は転載です。



歌舞伎の伝統をスタイリッシュにリニューアルしてきた市川猿之助率いる『二十一世紀歌舞伎組』。市川猿之助門下の若手俳優を中心として1988年9月「伊吹山のヤマトタケル」が上演され、翌年1月パルコ劇場にて再演の折、二十一世紀歌舞伎組と命名。師・猿之助が舞台を共にしない若手だけの一座で上演された、この「伊吹山のヤマトタケル」が好評を博し、第二作として劇団「扉座」主宰の横内謙介作「雪之丞変化2001年」を1990年9月に初演し更に人気を集めました。その後、前二作のスーパー歌舞伎的なものから古典歌舞伎にじっくり取り組む路線を取り、「恋飛脚大和往来」(梅川忠兵衛)、「義経千本桜・忠信篇」が続けて上演され、1995年には「雪之丞変化2001年」を“よりスピーディに醍醐味豊かに凝縮されたエンターテイメント”として再々演、

 市川猿之助門下の若手俳優を中心に88年より活動を続ける二十一世紀歌舞伎組。98年の『龍神伝』以来10年ぶりとなる新作『新・水滸伝』が今夏上演されることとなり、制作発表が行われた。脚本・演出は、これまでも二十一世紀歌舞伎組の作品や同じく猿之助一門が出演する『スーパー歌舞伎』シリーズ作品の脚本を手がけてきた、扉座の横内謙介。なお、当初出演を予定していた段治郎は、膝の慢性的な炎症を理由に降板することが明らかになった。

 題材は、中国の長編小説で、梁山泊に集まる豪傑108人の活躍を描いた「水滸伝」。女形の活躍も目立つ二十一世紀歌舞伎組だけに、108人の中に3人だけ存在する女傑にもスポットを当て、「女性の英雄を思い切りフィーチャーした『女・水滸伝』」(横内)という新たな切り口で挑むようだ。また横内は、右近演じる主人公・林冲について「元エリートが心ならずも犯罪者となり、悪党の中にいるが、そこで情熱を取り戻していくストーリーにしたい」と話し、「(かつて病を得た)猿之助さんが蘇っていく姿と重なれば良いな」とビジョンを明らかにした。

 さらに横内は、猿弥演じる王英についても触れ、「醜男(王英)が美女を射止めるというのも今回の需要なテーマ」とコメント。「いつも三枚目で振られているような男が(実は魅力ある)いい男、というのはチャレンジなので(笑)、(右近は)その自覚を持って臨んで……」とけしかければ、猿弥も「この役が良くなるのも悪くなるのも横内先生と僕にかかっていますので、二人でじっくり話し合いましょう」と返し、場内は笑いに包まれていた。
横内謙介(脚本・演出)
2年くらい前に猿之助さんから、今よりさらに若いメンバーで、再演ばかり続いているので新しいもので、二十一世紀歌舞伎組を継承していきたい、という話がありました。それから去年の夏前くらいに、諸葛孔明の絵はがきで、吹き出しの中に「新作を作るのじゃ」と書いてあるものが届きまして……(笑)。最初は、若手ならみんなが分かりやすいシェイクスピアでという話もあったのですが、新たに作る以上、若手だけでなく今まで二十一世紀歌舞伎組を担ってきたメンバーがやるべきだろうと。僕は今回演出となっていますが、(主演の)右近さんと一緒に猿之助さんの手足となり、猿之助の演出・プロデュースの、猿之助が観たい舞台にしなければいけないと思っています。

『 核のゴミと労働者の論議も 』と猫



 

帰国直後のうちの母猫、結構、甘えん坊です。



西光之輔さんの投書です。わかりやすいので皆様もお読みください。

みなさま       西英子です。

福島原発事故の収束のメドがたたず、被曝問題が深刻になっています。
今日、6月21日の朝日新聞に西光之輔の投書が載りましたので、
ご一読ください。
**************************************
『 核のゴミと労働者の論議も 』  西光之輔(名古屋市天白区 80)

 原子力発電は、これまでの産業になかった深刻な問題を二つ抱えて
いると思う。
 一つは、使用済み核燃料をどうするかという問題だ。世界で原発が始
まって半世紀になるのに、いまだに処分方法が確立されていない。高レ
ベル放射性廃棄物を10万年~数十万年地下に埋める計画があるが、
巨大な「負の遺産」を子孫に残すことを受け入れる自治体は当然ながら、
ない。
「原子力の平和利用」という言葉に乗せられて、日本は世界第3位の原
発大国になった。しかし、その一方で、自らの手に負えないやっかいな
ものを子孫に残すことになった。

二つ目は被曝の問題だ。原発運転のため、多くの人々が被曝の危険に
さらされている。日本の原発は13ヶ月運転すればば、2、3カ月間の点検
がある。
その時期、電力会社は、下請け、孫請け、ひ孫請け会社から多数の労
働者を集める。その人たちは、放射線に汚染された原発施設に入って
作業する。命を切り売りするような労働なしには、運転できないのが原発
の宿命だ。

単純に原子力発電は是か非かを論ずるのではなく、その非合理性、非
人間性を認めるかどうかの問題として議論すべきだ。
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猫と暮らしバラ栽培、ミュージカル、玉三郎観劇、動物園巡礼にはまっています。

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