猫とバラ、演劇、旅ファン 2009年11月
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宝塚OGスペシャル レザネ・フォール





甘粕正彦と白井鐵造の話と聞いて劇場へ。

冒頭は長身でかっこいいダンスを披露する湖月わたると元四季の福井貴一が登場し期待しました。

レヴューシーンで大浦みずきを思い、切なくなりました。

でもやっぱり宝塚なの?

鳳蘭は華やかでお見事ですが客いじりをあんなにする時間あるのなら芝居をちゃんと仕上げて見せてくれたのならいいのに。
尻切れトンボ。私がバカでした。




甘粕正彦は関東大震災のどさくさに、大杉栄、伊藤野枝、甥の橘少年まで虐殺した人物。橘少年のお墓にお参りしたことがあります


政府は同時に組合運動家、社会主義者や数千人の朝鮮人を虐殺、一般人まで朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを信じ朝鮮人を殺してしまったのです。間違って殺された日本人や中国人もいたとか、千駄ヶ谷で朝鮮人と間違って殺されそうになったからと千田是也と名乗った名優・演出家がいます。




習俗を駆逐するための学校
千田是也(本名:伊藤圀夫)の体験
関東大震災(1923年)が起こったとき、当時19歳だった千田は、混乱の中自然発生的に結集した自警団が、興奮状態となって朝鮮人狩りに狂奔する姿を見る。ある自警団につかまった千田は、「教育勅語」と「歴代天皇の名」を言ってみろ
と言われる。
千田は一瞬口ごもったが、学校教育で染み込んだ教育の賜物で、
それをクリアした。千駄ヶ谷でコリアンに間違えられそうになったこの体験から、
芸面を千田是也(センダコレア)とした。







宝塚OGスペシャル レザネ・フォール

舞台は1928年のパリ。
スポットライトきらめくレヴュー小屋。物語は元憲兵大尉・甘粕正彦がパリの街角にあるレヴュー小屋に迷い込むところから始まる。
謎のベールに包まれた歴史的人物、甘粕は、無政府主義者・大杉栄暗殺事件の責任を一身に負い服役。
その後、パリへ渡り諜報員紛いの仕事をしながら悶々とした日々を送っていたが、諜報活動の失敗から追われる身となる。
レヴュー小屋に逃げ込んだ甘粕は、日本からレヴューを学びに来る手筈になっていた、ある日本人と間違われる。
その日本人こそ、宝塚にレヴューを持ち帰った白井鐵造であった。
白井と思い込まれた甘粕にとって、レヴュー小屋は絶好の潜伏場所となる。エリート軍人として歩んでいた道をはずれ、挫折感から半ば世捨て人のような心境になっていた彼の心を揺るがしたのが、一人の踊り子ドリイであった。
しかし彼女は甘粕が暗殺に加担した大杉栄のパリ時代の愛人だったと知り心を痛める。
ある日、どうしてそんな明るく振舞い、舞台で踊っていられるのか、と甘粕がたずねると、ドリイは「人々に勇気や救いを与えられるレヴューの舞台に立っていられることが私の誇り」と微笑んだ。
そんな彼女に、甘粕は希望の光りを見る。そしてレヴューは国境を越えていく…。

爆笑コロッケものまね大全集2009



思いがけずに友人にコロッケ特別公演のチケット頂きました。くださった友人は別の日にご家族と鑑賞、私はウン十年ぶりに夫と劇場へ。稀有な機会をありがとう!

コロッケ特別公演
一部 お袋ラーメン 親父チャーハン 俺ギョーザ
二部 しあわせ地蔵~一太郎の子守唄~
三部 コロッケものまね大全集2009


【出演者】
コロッケ、赤木春恵、大村崑、高田次郎、山田スミ子、成瀬正孝、鶴田さやか、曽我廼家寛太郎 他

お芝居二本立てとは、…コロッケも物マネの終わりころ一ヶ月近く公演していると錯乱状態になると言ってました。ここまでしないといけないのでしょうか、私は最後のものまね大全集2009だけで充分です。

「お袋ラーメン 親父チャーハン 俺ギョーザ」はお約束の大村昆の昔のホーロー看板みたいなのが貼ってあったり赤城春恵さんがラーメン屋の事実上の主人だったり…
「幸せ地蔵」はちょっと歌舞伎調入っていました。

コロッケさんは熊本出身。ウィキペディア(Wikipedia)によると
真珠腫性中耳炎による聴力障害で右耳の聴力をほぼ失っていることを告白。会見では「この障害で骨伝導で音を聴くことになったことが逆に音に対する感覚が敏感となり、現在の芸風確立につながっている。またこのことが芸人を目指すきっかけとなった」と語っている。

お姉さんの「ケロッケ」の秋川雅史 - 「千の風になって」の物マネ はテレビで観ましたがあまりに上手くて驚きました。コロッケも昔は
形態模写のみ(顔、表情、振り付け、態度のまね)で、声は本人のレコードなどを流しており、ステージ上では全く声を出さなかったのに。低音もよく出ていて歌唱力高いですね。

最初にあんまり真面目に見ないでくださいねと、気を使ってるんでしょうか。

谷村新司から始まり、大奮闘、美空ひばり では殺陣まで、ほんと、勉強熱心なのですね。テレビではできないという現代的な歌手からおなじみの物マネまで。バックダンサーもよく踊れています。

最後は耳と口が動く大きな獅子頭に乗って北島三郎に!、
獅子の鼻からブワーっと鼻息が♪

歌手のまねでありながら声を出さず、形態のみをまねするというコロッケの芸風(ビジュアルものまね)は、テレビ時代に即した革命的なもので、以後のものまね芸に大きな影響を与えることになった。その後に声帯模写の技術も身に付け、現在は形態模写と声帯模写の両方を行っている。
# 昔、形態模写の特訓のため、半分にした割り箸を口に入れて、顔面を矯正するという一見すると無謀とも思えることを行っていた。しかし、これが、形態模写に発揮され、現在では、「顔面ブレイクダンス」といった芸に生かされることとなっている。

山鹿の日輪寺





友人が精進料理を一緒にと、案内してくれたのがこの山鹿の日輪寺です。



残念ながらお寺さんの行事で精進料理はお休み。
前に友人と訪れた阿蘇の噴火口もその時は立ち入り禁止となっていました。
残念だけどなんでも完全と言うわけにもいきません。
阿蘇、高千穂を二人で車で回ったのはとても楽しく景色もとびきり雄大、真っ暗な混浴温泉も体験しました。

混浴は上高地の泡の湯も真白な巨大なプールのようで子供にかえった気分でした。




熊本ではお城はもちろん、漱石の旧宅やレトロな洋館、洋猫が出迎えてくれた水前寺公園など回りました。

日輪寺には赤穂義士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔もあります。




びっくりしたのが、池の脇から高い階段登ると、「おびんずる様」が!まるで山によりかかっているようでした。

内部は金色の撫で仏さま。入場料250円にお線香もプラスして二人で撫でてきました。






日輪寺(にちりんじ)は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹です。昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中、古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。菊池武時の息女了心素覚尼の五輪塔や在銘の梵鐘(1358年作)、石体観音三十三基、忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔があります。毎年2月4日の義士命日には「義士まつり」が開催されます。

八千代座「京鹿子娘道成寺」千穐楽その2



この「京鹿子娘道成寺」は八千代座公演ではありませんが。

桜満開の中,美女が現れ能から影響受けた格調高い踊りから 扇を持っての踊り、恋の切なさを娘姿で踊る手踊り、鞠つきの踊り、花笠踊り、手ぬぐいの踊り、鞨鼓の踊り、鈴太鼓の踊り、が次々に展開。
引き抜きなどの鮮やかな一瞬の衣装替えなど、見所いっぱいの舞台です。観ている方も全く目が離せません。

実はもともと私は娘道成寺がそんなに好きではありませんでした。外国で受けない道成寺、私もそれと同じでした。

でも玉様は、、、ふっと鐘を見上げる時や、最後に大蛇となって鐘に上りまきついての怖~い御顔がたまりません。

私は子供の時に親に連れられて歌舞伎を見ていたといいますが知識はないので間違いも多いともいますが御容赦を。
最近は解説のイヤホーンガイドも借りず全然勉強もしていません、役者の声が直に聞きたいから。
本当は色々わかりやすく教えてくれて楽しいのですが。

パンフレットも買わないことが多いです。歌舞伎座・南座の筋書き、(こちらでは番付と言っていました)で写真がたくさんのっている場合除いて。家に古い番付が沢山あったのを覚えています。





玉三郎丈も、もう歌舞伎座での一ヶ月公演では「京鹿子娘道成寺」を踊るのは難しいと言われています。
女形舞踊の最高曲大変な技量と体力、心が必要です。あの重い衣装、かつらで長時間の様々な踊りを披露しなくてはなりませんから。
京鹿子娘道成寺

以前、タケシの「誰でもピカソ」でおもりのようなベスト付けて練習される様子を披露されました。

幕が開くと「聞いたか、聞いたか」「聞いたぞ、聞いたぞ」のセリフを言いながら大勢の所化(坊主)笑わせてくれます。




二階席から外を見たら赤い鳥居が、玉三郎の名前があるので寄贈されたのでしょう。テレビでみましたが歌舞伎座の楽屋に入る時、皆さん、神棚に手を合わせています。

助六の花魁、揚巻の出の前にお清めの塩を口に入れてみえました。

歌舞伎美人よりの引用
坂東玉三郎
 八千代座百周年の記念公演で『京鹿子娘道成寺』を踊らせていただきます。初めはこれほど長く八千代座での公演が続くとは思っておりませんでしたが、初めて八千代座で公演させていただいたときに感じた木肌の劇場に響く邦楽の素晴らしさ、そして自分たちの演技、舞踊が受け入れていただけることに感激し、毎年毎年町の方々と一緒に何を上演したら皆様に喜んでいただけるかを考えながら公演を続けております。

 都心ではない場所でお仕事をさせていただくことによって、東京などの大きな劇場で仕事をするときに、自分の気持ちが新鮮になって帰っていける気がしています。美しい自然の中で、自分の舞台の生活というものをしみじみ考える事ができるというのは、八千代座にうかがって経験するようになった事です。
 『京鹿子娘道成寺』をこの記念公演で踊らせていただくことは、幸せな事だと思っています。八千代座という劇場の特色をどう生かすかは舞台稽古を通じて出していきたいと思っておりますが、以前花道で拍手が鳴りやまなくて長唄が聞こえなかったというようなこともある小さな空間、近親感のある空間で上演するということが、やはり大きな魅力になると思っていす。

 また、昨年に続き『口上』を付けさせていただきました。襲名や追善での『口上』は肩の張る事もありますが、ここでは、結構言い間違えても大丈夫な感じです(笑)。最初は5分、10分といっていながら17分ほど話してしまったり、大変皆さんと楽しくお話をさせていただいています。

 地方都市の素晴らしさ、私たちが若い頃の雰囲気というものが山鹿にはたくさん残っております。都会にない食べ物の新鮮さを味わい、心身を回復できる場所でもあります。将来、多くの舞台に上がる方々がこの八千代座に来ていただけるように、そして八千代座がますます皆さんに楽しんでいただけるような劇場になることを祈りながら、記念の公演を勤めさせていただきたいと思っています。


 12日が八千代座での200回目の公演となる坂東さんは「八千代座では芝居の精神を学んだ」と感慨深げ。来年が八千代座完成100周年と自身の八千代座公演20周年の節目に当たることに「不思議な縁を感じる」と笑顔を見せた。

 今回演じるのは、女形舞踊の最高峰とされる「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」で、口上で八千代座への思いを述べるという。坂東さんは「芝居と八千代座を愛してくれる人が増えるように一生懸命やりたいと思います」と語った。

翌日偶然お会いした品のいい女性が玉三郎を八千代座に招へいされた方でした。もっとお話し伺いたかったのですが古墳見学の時間が決まっていたので時間がなくて残念でした。
元カメラマンの古閑直子さん でした。





天井画は当時の宣伝です。修復されて綺麗です。上村松園 の有名な絵の模写もあります。
トイレ、床暖、冷房なども整備されてきたそうです。これも地元の皆さんのおかげですね。
予約する直前、ミュージカルや松平健さんのサンバで有名な真島茂樹さん がこの小屋を訪れて舞台で踊って見せてくれたのを観てしまったのです。

  

川本喜八郎アニメ道成寺も傑作です。
この道成寺、海外では不評と聞いていたのですが面白いサイトがありました。
変容する道成寺伝説
最近は海外でも歌舞伎は評価が高いようですが、海外で歌舞伎を公演して一番受けない演目は何と「京鹿子娘道成寺」だそうです。女形舞踊の最高曲と言われている舞踊なのに、踊り手はこれまた最高の踊り手歌右衛門あるいは梅幸なのに、幕が開いてしばらくするとプログラムをパラパラめくり始めて、おしゃべりや居眠りが多くなるのだそうです。これはいったいどういうことかと言うと、どうやら事前の解説に問題があるようです。芝居の筋書を見ると(日本人向けでも同じですが)「道成寺の鐘供養の日にひとりの美しい白拍子が現れ、鐘を拝みたいと言う。踊って見せるからと言うので僧たちは白拍子を寺のなかへ入れるが、踊っているうちに白拍子は次第にその本性を現わし・・・」というような話が載っていますが、これがどうもいけないようなのです。

「この踊りは見たところ恐ろしげにも見えないし、この白拍子は衣装を変える度にどのくらい蛇の本性に近づいていくのか」と聞かれるのだそうです。なるほどこの踊りから「ドラマ」というか「流れ」を見出そうとするとそういう見方になるのか、と気付かされます。私らはこんなものは理屈で見るもんじゃない、と初めから思って見てるせいか、こういうことに余り気が付かないのです。

『「娘道成寺」という踊りは特に筋はなくて実は「レビュー」なのです、「女心」をテーマにした変奏曲(バリエーション)で、それに能「道成寺」の枠にはめて発端と幕切れをつけて形をつけた踊りに過ぎないのです』、そう説明した方が外人さんはこの踊りを安心して楽しめると思います。実際、この踊りは「クドキ」として有名な「恋の手習い」や、遊郭つくし・山尽くしなど、江戸時代の日常生活や風俗があちこちに詠みこまれていて、それが彩りを変えて次々と繰り出されるのが面白いのでして、それ自体は「道成寺」には関係ないものです。

「あの『道成寺』の舞台をつくり出した江戸時代の劇場と観客の雰囲気は、桜の花のいっぱい咲いた中にやたらに美しい娘姿を踊らせて恍惚としていたので、日高川を泳ぎ渡って、鐘の中の男を焼き殺してしまう女の凄まじい執念などはどうでも良かったのである。そういう理屈のない世界の馬鹿々々しい美しさ、気味の悪い美しさを菊五郎の白拍子はふんだんに持っていた。菊五郎の『道成寺』を見ていてある老婦人が『こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい』という言葉のせっぱつまった実感は私にもうなづける。菊五郎の『道成寺』はそういうものであった。」(円地文子「京鹿子娘道成寺」)

この円地文子の文章での「菊五郎」とは六代目菊五郎のことです。おそらく昭和初期ごろの舞台のことと思われますが、この文章だけでも六代目の「道成寺」の面白さは彷彿としてくるようです。「こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい」と言わせた菊五郎の踊りは、恐らくリズミカルで躍動的で、そして満場をパッと明るくするような華やかさがあったのではないでしょうか。と同時に、このような馬鹿々々しさ、ただただ華やかな美しさこそが「娘道成寺」の本来の魅力であると思います。
菊五郎の道成寺を想像する

八千代座「京鹿子娘道成寺」千穐楽その1






山鹿の町やホテルには玉三郎公演のポスターがいっぱい、
過去の公演のポスターも旅館に貼ってありました。

清水の舞台から飛び下りるような気持ちでチケット取ってしまいました。しかもほとんど直前に。
飛行機に乗るのも4年ぶり、しかも久々のJAJ,空港のPはJAL使用なら5日無料。渡辺謙さんの映画沈まぬ太陽観たばかり、短い快適な旅でした。

今はネットで席も選べるし早割やらホテルセットやらで今浦島みたいです。




これも通りのお店に玉三郎の手ぬぐいがかけてありました。




2010年に百周年を迎える八千代座(熊本県山鹿市)のオープニング記念公演「 坂東玉三郎特別舞踊公演」です。



図書館で数年前、この八千代座と玉三郎の写真集を観ました。
まさかその時はここに来られることがあるとは露ほど思いませんでした、なにしろ明治村呉服座の玉三郎公演も高いからと見送った私です。

スイスの映画作家ダニエル・シュミットのドキュメンタリー映画「書かれた顔」にも八千代座で公演する玉三郎と子供と八千代座客席に入る玉三郎が登場します。

チケット代は一見高いのですがこれはオペラか、グランドレビュー、なのです。私は二階席の椅子席があいていてラッキーでした。
一番高い席より三千円安いのです。歌舞伎座や南座で取れない花道正面の関でした。

大勢の一流の生演奏つきで玉三郎の暖かい気持ちが伝わる楽しいお話の口上付きです。娘道成寺がこんなに素晴らしいとは,

近年の菊之助との二人道成寺もイリュージョンのように不思議な極上の美しさで傑作ですがこの小屋でのお一人での道成寺、こんなにも間近く迫力のめくるめくような舞台が見られるなんて、まったく幸せ者です。

長いアンコール、スタンディングも大劇場では見られないものです。

この娘道成寺の内容や玉三郎を八千代座に呼んだ古閑直子さんに偶然お会いしたことは次回に。




1990年に「八千代座八十周年・復興記念」の公演として始まった「坂東玉三郎特別舞踊公演」。平成の大修復・復原工事のため一時中断もありましたが、2001年に「八千代座平成こけら落とし公演」として再開して以来、ほぼ毎年公演が行われています。

猫かるたを頂きました!





昨日、宅配便が届きました。何も頼んでないのにと開けると、

子猫が産まれて2ヵ月たったころ、写真撮りに来てくれて、カレンダーやブックカバーにしてくれた板東寛治さんの新作の猫かるたでした。

一枚だけですが採用されています。
子猫にしては大きすぎ、あれ,リボン?

もう雑誌にも投稿していないのでとてもうれしいです。



子猫の時のブルーグレイの目を思い出します。

この写真家は子猫や肉球が専門のようです。
アシスタントが上手く猫を遊ばせて一時間ぐらいの間にいい写真を何枚も撮ってくれました







カレンダーの時は三種類もあったので買いこんで配るはめになり物入りでした。一組ずつはモデル猫にくださるのですが。

恐竜かるた、歴史人物カルタもあるのでお子さんと楽しく勉強できそうですね。

紅葉の鉈薬師と高架式道路工事




以前、御紹介した揚輝荘、南庭園、聴松閣の紅葉です。今回も白雲橋ではクラシックコンサート、南庭園では琴の演奏、ライブはいいですね。


元松坂屋の別荘で5棟の建物(聴松閣、揚輝荘座敷、伴華楼、三賞亭、白雲橋)が市指定有形文化財に指定されました
奈良、宇治、山鹿もすべて書きかけですが…


これでここが元、どこの別荘かお分かりでしょう。
左は昔あった伊藤銀行の壁のロゴです。

この橋、正面からの写真は以前載せました。




  


一枚目の南庭園の建物の玄関ポーチの天井とドアです。





この揚輝荘の西には仏陀のお骨を頂いた日泰寺、その又東に
21日の縁日だけ開帳される鉈薬師の円空仏があります。


鉈彫りの円空仏、昔から好きです。
上のサイトで円空仏をぜひご覧ください。日光、月光菩薩、十二支の守り菩薩が祀られています。
円空さんは生涯に12万体の仏像を彫ったといわれます。

鉈薬師に行く途中に高架式道路の工事が!本当に必要なんでしょうか。1951年に計画されたもの。












このレトロな給水塔は以前、公開された日に紙製のフィギュア?もらいましたその記事はどこかに(苦笑)

宇宙人?山鹿の装飾古墳






八千代座前から山鹿市立博物館へ。写真は博物館横の石橋。
全国第二位の用水橋(石橋)である大坪橋の移設復原です。

ここには全国に唯一の石包丁形鉄器や、30数例しかない巴形銅器など大変貴重な資料があります。




博物館周辺は歴史公園「肥後古代の森」として整備されていて、装飾古墳として有名な史跡チブサン・オブサン古墳まで徒歩15分の「古代への道」が続いています。

 そのほか江戸時代の民家や全国第二位の用水橋(石橋)である大坪橋が移設復原されて、文化財あふれる空間となっています。
博物館へ行く途中の庶民の墓、横穴群も車から降りてよく見たかった!



近郊の友人が車で山鹿市立博物館に駆け付けてくれました。

タクシーの運転手は市博物館に行ったことがないのか、通り過ぎてしまい、彼女を待たせてしまいました。
彼女とは2005年に車で阿蘇や高千穂を回りました。
真っ暗な田ごとの月のような混浴の温泉にも連れて行ってもらいました。
その時はウン十年ぶりにあったのに(彼女が熊本空港近くのホテルまで迎えに来てくれたのです)一瞬に学生時代に戻り感激しました。
同じ寮で生活した間柄です。

県立博物館は安藤忠雄設計の立派な建物だそうですが、こちらは本物の遺物ばかりの展示。しかも古墳玄室に入り装飾古墳がみられると知りました。

以前、中学時代の恩師に勧められて三重県まで装飾古墳展を観に行きました。その時も大胆な幾何学文様に惹かれました。
高松塚古墳とは全く違います。



チブサン古墳です。
鍵を開けてもらい玄室を見学、ピラミッドのように大きくはないけれど、観ることができて興奮しました。

チブサン古墳は、大正11年10月12日に国の史跡として指定を受けた全国的にも有名な装飾古墳です。

鮮やかな幾何学模様の壁画は1,500年前の古代人の文化や風土を伝える貴重な遺産となっています。

全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)の前方後円墳で、墳丘には武装した奴凧形の石人一体(現九州国立博物館所蔵!なぜ返してくれないの?)が立てられていました。

古墳時代後期(500年頃)に造られたもので、後円部に開いた横穴式石室の玄室に設けられた厨子形石棺の内壁に赤・黒・白の3色で描かれた三角やひし形文様が連続して描かれた中に、二重の円文が描かれ、それが人の目玉や口に見えます。また、その組合せは見方によっては女性の乳房に似ていることから「乳の神様」として現在も信仰されています。
また、石棺の右壁には王冠をつけ、両手を上げ両脚を踏ん張った人物像が描かれていますが、その服は腹の部分を締めつけ、膝の部分を中心に中膨れさせ、脛の部分で絞っており異国の風俗を連想させます。

下の右の人物像が宇宙人に見えて、この古墳前で関連行事があったそうです。





チブサン古墳(国指定史跡)
 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ているところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。
 羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。




オブサン古墳は、チブサン古墳の北西約200mに位置する直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳で、主体部は巨石で造られた横穴式石室があります。
特徴は、内部の後室の仕切り石に描かれた連続三角文などの装飾や石室の前面に突堤を持っていることです。
時代は6世紀後半の築造とみられ、6世紀前半に造られたとみられるチブサン古墳との関連を知るうえで重要です。
「安産の神様」として親しまれています。




晴れていたら阿蘇も見えたのですが…
ここが西南の役の激戦地とは知りませんでした。
西郷軍が古墳に立てこもったため政府軍からの攻撃の鉄砲の弾跡があります。







石棺



ここで韓国王妃閔妃暗殺を指揮したとされる三浦梧楼のレリーフに会うとは!三浦は西南戦争第三旅団司令長官として各地を転戦、城山(鹿児島県)を陥落させた。





温泉と古墳、山鹿の町並み




八千代座100周年記念キャラクターデザイン募集中!!

写真は100年前の八千代座、屋根の上には半纏着た職人さん、下には着物姿の旦那衆の姿が見えます。。
100周年記念キャラクターデザイン応募してみませんか。

熊本の北部に位置する山鹿市には清流・菊池川が流れています。大変歴史ある温泉と古代史跡(古墳)の街です。

山鹿温泉の由来
800年ほど昔。手負い鹿がその傷を癒しているのを見て、山鹿温泉の存在が知られたと伝えられていますが、それ以前の「和妙抄」(平安初期)には既に「温泉郷」と記されているようです。「山鹿千軒たらい無し・・・」と唄われるほど豊富な湯量で、泉質はラジウムを含んだ弱アルカリ性の無味無臭。まろやかで柔らかな肌触りは「乙女の柔肌」にたとえられています

旅館の窓から見た早朝の菊池川、この川の底に大きな遺跡が眠ってるかもしれません。山鹿市博物館学芸員さんのお話です。
温泉は本当に柔らかな肌さわりでした。

天皇家の二男さんが宿泊したという旅館でしたが…




朝、旅館から八千代座目指して歩きました。
噴水と足湯が見えてきました。左のレトロな建物は…




足湯の反対側にも温泉が出ています、顔や手をお湯につけて真っ赤な顔している人がいました。手がちょっと写っています。









山鹿灯籠民芸館です。
近くのマンションもちょっとお城のような雰囲気でした。

山鹿は古墳もたくさんある由緒ある温泉町ですね。
友人に連れて行ってもらった日輪寺も立派でした。
赤穂義士遺髪塔がありました。









ポストにも灯篭!

山鹿灯篭まつりの由来
「景行天皇御幸の折、山鹿にお着きになりここに行宮建てて滞在されました。後に行宮跡に天皇をお祀りしたのが大宮神社です。神社の例祭である『山鹿灯籠まつり』(8月15日・16日)は、里人がたいまつを掲げて景行天皇をお迎えしたという故事に由来するのもです。」





窯元が4つ、あります。




悲しい、大浦さんが亡くなってしまった…







あの誰も及ばないダンス、歌、演技を見せてくれた大浦みずきさんが亡くなってしまった。

宝塚のフレッド・アステア、NY公演ではデートリッヒのようだと…燕尾服が一番似合った方です。メイクもマジックのようでした。これは玉三郎と同じです。

小説家阪田寛夫の次女として出生されました。
童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」の作詞でも有名な方です。

「幼少よりバレエを習っていたが背が伸びすぎてしまった上、父が大の宝塚ファンだった」ことから中学卒業を機に宝塚音楽学校受験、合格。花組トップに。

関係者によれば、大浦さんは1974年の宝塚入団前から心臓疾患を抱え、体のケアには人一倍気を使っていた。退団後も無理はせずに活動を続けてきたが、昨年暮れに体調を崩し、検査のため入院。肺を覆う膜の間に水がたまり炎症が起きる胸膜炎と診断された。

 このため、出演を予定していたミュージカル「スーザンを探して」(1~3月、東京・日比谷シアタークリエ)、舞台「この森で、天使はバスを降りた」(5月、日比谷シアタークリエ)を降板。治療と療養に専念してきた。

 


「この森で、天使はバスを降りた」の舞台版降板したのを聞きそれからずっとネット検索していたが情報がなく、これは重大なことだと思ってはいた。

悲しい、俳優としてはまだこれからなのに。
下級生に対する思いやり、特に宝塚花組で二番手だった朝香じゅんさんに対するそれはうれしかったです。

偉大な人でした。私が一時宝塚にはまったのも彼女の存在ゆえです。

一瞬にして舞台の空気を変える人、玉三郎に似ているところがあります。



小澤征爾音楽塾 こうもりにご出演されたのが私の見納めになりました。

主演作としては

Lady x 7が最後になりました。


[http://www.youtube.com/watch?v=nUyTIbYYTlc ベルサイユのばら'90 花組「フィナーレ・フェルゼン&娘役

写真は第30回菊田一夫演劇賞受賞の時のもの


以下は引用です。
第30回菊田一夫演劇賞:「ナイン THE MUSICAL」(TPT)のリリアン・ラ・フルール役、「NEVER GONNA DANCE」(フジテレビ)のメイベル・プリット役の演技に対して

第13回読売演劇大賞優秀女優賞:「ナイン THE MUSICAL」(TPT)のリリアン・ラ・フルール役、「カルテット」(TPT)のメルトイユ役の演技に対して

[編集] 逸話

  • 大浦には宝塚音楽学校入試直前に受けた健康診断で過激な運動はさけるべきとの所見がくだったほどの心臓疾患があったという。「もし合格しても舞台の激務に耐えられないだろうから入団はあきらめろ」との多方面からの説得を振り切り大浦は合格・入団。宝塚在団中、ことに膝の大怪我以降は体のケアには人一倍気を使い、病気の件について初めて公にしたのは退団記念に上梓した単行本『夢・宝塚』紙上であった。
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