真夜中にこの竜が15才で逝きました
アメショーの寿命は12,3才、お湯が大好きでよく飲んだせいか病気もせず、親孝行、
突然食欲亡くなり大人しくなり、
長患いもせず、親孝行でした。
私もこのように延命せず逝きたい。
先日死と隣り合わせの荒行された塩沼さん、葬式も墓も入らないと、共感します。
1300年2人しか出来なかった日本一過酷な修行をされました。
竜は最初噛むのが癖でしたがリボンが来てからはピタリと収まりました。
二匹の間に赤ちゃんが出来たら母子の箱に入り込んで一緒に寝ていました。
イクメン
イクメン竜にべったりだった亡きダブルとリンゴ
仔猫の時から小さな造花のかけらをサッカーのように転がして遊んだり
ネズミのおもちゃを投げると飛んで取りに行き、又持ってきて「投げて」とせがむ子でした。
アメショーは犬のような猫とききましたが、娘4匹はそんな事は出来ませんでした。
15年前母はネズミ捕りのために猫がほしいと、
以下は過去記事
抱かれるのは大嫌いなのにその時だけ母の胸に1時間以上抱かれていました
カーディガンのボタンがお気に入り
ショップから連れ出してほしかったのかも、
母から離れたと思ったらトイレ、またすぐ戻ったのです。
フードを制限されていたのでしょう、うちに来て一週間ぐらいで見違えるように大きくなった感じでした。
台詞入りの写真は雑誌に掲載されたものです。写真は私が撮りましたが台詞は編集部作です。リボンは何回も載りましたがリュウは板東寛司さん撮影カレンダーにも載らず、雑誌も後ろ姿が多いのです。
http://www.furoneko.com/ 板東寛司風呂猫スタジオ
母がペットショップで竜を抱いたら一時間以上、おとなしくしていました
ブラウスのボタンもお母さんのおっぱいに思えたのかも。
一度降りようとしました、おしっこのためで又そのあとで抱かれたので母も気に入ってしまいました。
その後は抱っこは大嫌いなので信じられない事で、ショップから脱出したかったとしか思えません
結局私にプレゼントしてくれることになったのでラッキーでした。
猫を迎えて5年旅行もしませんでした。
パリで「連れて行って」としか思えないほど伸びあがって鳴いていた子猫がいて忘れられません。
五嶋龍さんが脚光浴び始めた頃で勝手にお名前頂戴してしまいました。\(*´▽`)o
竜が来て頼んでもいないのに、しかも猫と暮らしたことがなかった夫がすぐ猫タワー作ってくれたり
二男は愚痴が二カ月ぐらい消えました
恐るべき猫パワーですね。
その後50日ほどしてメスのリボンに私が一目ぼれして連れてきました。
この目と、激しくぬいぐるみで遊ぶ姿にやられました!
まだ私が猫の知識もなくすぐ逢せてしまったらたらこのように取っ組み合いしたのです。
でもすぐ竜はリボンにお気に入りの椅子を譲っていました
そして冬の間は二枚目の写真のようにラブラブ、今はこの姿はありません。
もし先にリボンが来ていたらペアにはならなかったかも。ある記事でそういう話を聞きました。メスはしっかりしてるから弟扱いかも。
ここからはプロの写真、カレンダーやブックカバー、かるたになり市販されました。
出演料は三種類のカレンダー、ブックカバー、かるた一つずつなので配るためにいくつか買って赤字です(苦笑)
ここからはプロの写真、カレンダーやブックカバー、かるたになり市販されました。
出演料は三種類のカレンダー、ブックカバー、かるた一つずつなので配るためにいくつか買って赤字です(苦笑)沢山買えば少しは値引きもあります。
アシスタントの方上手に子猫をあやして撮影に協力。いい体験でした。
本当はアップしてはいけないのかも。
追記 子猫四匹(全員メス、リボン自身も姉妹で生まれているので女系かな)が我が家で生まれたあと、板東さんがネットで「お宅のネコちゃん写します」の募集があることを知り、応募しました。ラッキーでした。私が毎日のように写していたので子猫も慣れていたのでよかったです。
それでも人見知りが一匹いて母娘の写真にはおりません、隠れていました。
その子は貰い手が来た時だけ出てきたのです。
パパにべったりのダブル、まだおっぱい飲んでいたブラン、黄色の首輪の子は友人の家に行くことが決まってそれぞれの行き先が自然とうまく行ったのが不思議なぐらいでした。
拙写真載せてしてくれた雑誌は猫グッズをくれました。その景品は前にもアップしたことがあります。
年間の写真家賞もらった時も賞金は二位までで猫グッズでした。
すでにご存じの方、すいません。
元々猫は大好きで出会う猫には話かけずにはおられません。
子供の時は親戚の猫を従兄弟と取り合いしました。五右衛門風呂で温まっていた猫を思い出します。
三毛猫を飼っていたことがあります。
私の胸の上で寝たり本を読むとそこに乗り邪魔してくれました。
お産の時、母は一人で産ませようとしたのですが、高い欄間乗り越えて、母に手伝えと迫りました。
引っ越しの時、このチロはパニックになり永遠の別れとなりました。
私が認識不足で引き起こし痛恨の出来ごとです。