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2018.08.22
昔の記憶は当てにならない!?
またまた更新が滞りました…(==;)
この1か月間の近況としては、夏風邪が3週間治らなかったり、車を追突されたり、仕事でやらかしたり(←これは通常運行な気も…)と、まあ、あんなに神頼みをしたのになあ…という感じでした。
もっとも、神社に行った後に知ったのですが、あんまり心身が弱っている時に強いご利益の所に行くと却って自分自身がご利益を受け止めきれないので良くないとのことです。いや、でも…お参りをしたからこの程度だったのかもしれません。追突も軽いものなので体は何ともなかったですし。
************************
そんな訳で、すっかり夏の旅に出遅れたので、先週長野に泊まってきました。思いつきでの行程だったため、長野のホテルはこの時期当然の様に満室…。空き部屋を探すと上越妙高には宿があったため、そちらにお世話になることにしました。
夏の夜の北しなの線&はねうまラインは、とても静かで一人旅にはおすすめです。
↑妙高高原駅と115系しなの鉄道色です。
翌朝、ホテルの窓から外を眺めると、すっかり区画化されてしまった駅前が見えました。
空が綺麗だったので部屋から写真を撮っていると、ふと左端の方に見覚えのある工場が。
たしか以前、脇野田駅から建設中だった上越妙高駅まで歩いていったことがありましたが、その時にこの横を通ったはず…!
と、いう事は、全く面影がないけれどこの辺が駅で…この辺が線路で…と記憶をたどっていくうちに
脇野田駅があった(と思われる)場所まで行ってみたい!という衝動に駆られ、朝食もそこそこに駅前に出かけました。
むしろここに泊まっておいてその思い付きがなかった昨夜の自分自身に喝を入れたいです。
↑写真左真ん中あたりに踏切があったような…。
そして、いざ行ってみると想像以上に何も残っていないため、戸惑いつつも建物をたよりに周辺をうろうろし、
この辺だろうなというところで写真を撮ってみました。
ただ、家に帰って写真と比べてみると私の記憶よりも若干近い場所だったようです。
当時は建設中の新駅に圧倒されていたので、もっと遠くにあるように感じたのでしょうか。
↑記録写真を持ってきていればもっと正確に分かったのですが、全てが思いつきなので仕方がありません(><)
こちらがかつて脇野田駅のホームから撮った写真です。寸法的には同じくらいにも見えますが、角度が違うため微妙です。
駅の位置も分からなければ、線路の跡も分かりません。…でも、線路だった場所に家を建てるのはまだ抵抗があるはず。
ならば、新しい道になっている可能性が大と予想し、①新しく舗装された道、②まあまあ広い道、③踏切があった場所を予想しそのあたりの道を探す、で探すことにしました。
↑これはかつての脇野田駅から延びる線路です。踏切あたりの写真も撮っておけばよかった…と思ったところで後の祭りです。
そして、距離的に疑惑が残るものの、3つの条件をクリアする道を見つけました。
朝の空気と青空の効果もあり、自転車で駆け抜けたくなる爽やかな道でした。
家に帰ってグーグ◎マップやら過去の自分の写真等を見比べて検証した結果、やはりこの道がかつての信越本線の線路だったようです。
やはり自分の記憶だと距離感が曖昧なので、写真や資料は大事だと感じた上越妙高散策でした。
そして、ちょっと付け替えた線路の跡でこんなにときめくものだとは。…ちょっと廃線鉄の気持ちがわかりました(^^;)
残りは、冒頭で書いた追突事故の話です。
この1か月間の近況としては、夏風邪が3週間治らなかったり、車を追突されたり、仕事でやらかしたり(←これは通常運行な気も…)と、まあ、あんなに神頼みをしたのになあ…という感じでした。
もっとも、神社に行った後に知ったのですが、あんまり心身が弱っている時に強いご利益の所に行くと却って自分自身がご利益を受け止めきれないので良くないとのことです。いや、でも…お参りをしたからこの程度だったのかもしれません。追突も軽いものなので体は何ともなかったですし。
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そんな訳で、すっかり夏の旅に出遅れたので、先週長野に泊まってきました。思いつきでの行程だったため、長野のホテルはこの時期当然の様に満室…。空き部屋を探すと上越妙高には宿があったため、そちらにお世話になることにしました。
夏の夜の北しなの線&はねうまラインは、とても静かで一人旅にはおすすめです。
↑妙高高原駅と115系しなの鉄道色です。
翌朝、ホテルの窓から外を眺めると、すっかり区画化されてしまった駅前が見えました。
空が綺麗だったので部屋から写真を撮っていると、ふと左端の方に見覚えのある工場が。
たしか以前、脇野田駅から建設中だった上越妙高駅まで歩いていったことがありましたが、その時にこの横を通ったはず…!
と、いう事は、全く面影がないけれどこの辺が駅で…この辺が線路で…と記憶をたどっていくうちに
脇野田駅があった(と思われる)場所まで行ってみたい!という衝動に駆られ、朝食もそこそこに駅前に出かけました。
むしろここに泊まっておいてその思い付きがなかった昨夜の自分自身に喝を入れたいです。
↑写真左真ん中あたりに踏切があったような…。
そして、いざ行ってみると想像以上に何も残っていないため、戸惑いつつも建物をたよりに周辺をうろうろし、
この辺だろうなというところで写真を撮ってみました。
ただ、家に帰って写真と比べてみると私の記憶よりも若干近い場所だったようです。
当時は建設中の新駅に圧倒されていたので、もっと遠くにあるように感じたのでしょうか。
↑記録写真を持ってきていればもっと正確に分かったのですが、全てが思いつきなので仕方がありません(><)
こちらがかつて脇野田駅のホームから撮った写真です。寸法的には同じくらいにも見えますが、角度が違うため微妙です。
駅の位置も分からなければ、線路の跡も分かりません。…でも、線路だった場所に家を建てるのはまだ抵抗があるはず。
ならば、新しい道になっている可能性が大と予想し、①新しく舗装された道、②まあまあ広い道、③踏切があった場所を予想しそのあたりの道を探す、で探すことにしました。
↑これはかつての脇野田駅から延びる線路です。踏切あたりの写真も撮っておけばよかった…と思ったところで後の祭りです。
そして、距離的に疑惑が残るものの、3つの条件をクリアする道を見つけました。
朝の空気と青空の効果もあり、自転車で駆け抜けたくなる爽やかな道でした。
家に帰ってグーグ◎マップやら過去の自分の写真等を見比べて検証した結果、やはりこの道がかつての信越本線の線路だったようです。
やはり自分の記憶だと距離感が曖昧なので、写真や資料は大事だと感じた上越妙高散策でした。
そして、ちょっと付け替えた線路の跡でこんなにときめくものだとは。…ちょっと廃線鉄の気持ちがわかりました(^^;)
残りは、冒頭で書いた追突事故の話です。
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