喪の話でもうひとつ。
70代になると、周りの人との永遠のお別れもちらほらと出てきて
80代にはより強く、人の命の別れと終いを感じる時ではなかろうか。
自分の身の周りでもぽつんぽつんとこういう別れを経験しはじめて、人生100歳時代とは
言われていますが
いよいよ人生は最後の期になったと思わずにはいられないのがこの時代と思います。
私の身の回りでもそういうことがあったこの頃です。
6月になって義姉が旅立ちました。
最後は自宅でという姉の願いを叶えて、これまた病がある兄が訪問看護や終末医療の手を借りながら
看取りました。
最後を自宅でという願いは、多くの人の願いであるようにも思いますが
中々そうできないことも多いだろうと思います。
自分の最後はどうなるのか、どうするのか、どうしたいのか・・・。
もうひとつは、友人の旅立ちでした。
年周りを思えば、6歳年上でしたが、女性の平均寿命から思えばまだまだ
先のことであってもおかしくない歳でした。
終わり方は夫に習ってと思っても、なかなかそうは決められないのが人世の常でありますし
そろそろ本気で、自分の終い方(いわゆる終活)を考えなければと
まだ元気な内にと思っているところです。
墓前の花を見ると、人の命は儚いな‥‥と、感じた瞬間でした。
まだまだ元気な60歳代のころ、現役というライフスタイルがまだ忙しかったころ
65歳から”高齢者”と呼ばれても、全くその気がなかったのに、年金の支給が始まり
ひとくくりにそう呼ばれ始めると、だんだん自分もそういう気になってきて
見えてくるものがゆっくりと変わってきたのを覚えています。
光陰矢の如し・・・
両親が亡くなり、兄弟の誰かがかけはじめ、家族が旅立ち・・・そんなところから命の本当の儚さを
今まで自分の世界にははっきりあるとは思ってみなかったことが
実はそんなものは、はじめから隣り合わせだったということなのです。
両親から私たちと繋がる命の回転機のようなものが、ゆっくりとクルクルと回って
巻き込まれていくのが見えるような気がしています。