東京都美術館で開催中の「ゴッホ・ゴーギャン展」を見てきました。
ゴッホ作。 「ゴーギャンの椅子」
若いころからこの二人の絵は好きでした。
違うようであり・・・・・の印象です。
私が知るところのゴッホは「ひまわり」であり、耳切り事件であり、ゴーギャンと共同生活をした
短い期間でありという辺りです。
ゴーギャンといえば、タヒチの絵であり、一種独特の個性的な絵でありというところでした。
今回はこの二人の友情(どういう風に尊敬し合っていたかとか、影響しあっただろうこととか)に
焦点をあてた展覧会でした。
南仏アルルの黄色い家にて2カ月共同生活し絵描きとしての創作をしたのですが
互いの主張が合わずにゴッホの(多分ストレスが溜まって?)耳切り事件で、共同生活の
終息を迎えることになり、その後はそれぞれの自分の道を画家としうて生涯を送ったわけですが。
この友情に象徴されるのが、それぞれの絵に描かれた「椅子」です。
椅子というものはいつもこの椅子に座る人を象徴的に表していて、
明るい色の黄色い2冊の本は記憶や想像を広げて描くゴーギャンの制作アプローチを
2本のろうそくやランプは彼を詩人と称した表現をした絵になっています。
はたまた、下はゴーギャン作の「肘掛椅子のひまわり」です。
ゴーギャンがタヒチに移住し、生涯をそこで閉じたわけですが、晩年はタヒチには無かったヒマワリの種を
フランスから送ってもらい育てたヒマワリを描いたと言われています。
ゴッホのひまわりの絵を、異国で思い出していたのでしょうか。
ゴッホは37歳の若さで亡くなり、生前に売れた絵はたった1枚と言われています。(真意は定かではない)
短い間にも(画家として製作したのはほぼ10年間)沢山のひまわりの絵を描いたことは有名ですが
そのゴッホのひまわりの絵を、ゴーギャンは自分の絵と交換して自分の手元にゴッホの絵を置くことを
望んだというゴッホへの尊敬があったと推測されます。
出来事が喧嘩別れをしたようなエピソード的に伝わってきていて
共同生活を言いだしたのはゴッホの方からでしたが、個性が違い過ぎていたし
ふたりの絵画に対する考え方が、真っ向から異なっていたことは明らかでしょう。
描いた絵から画家の心情を思い図るということは、ただその絵を見ているだけでは難しいことです。
見る側にも知識と想像力をフルに生かしても、絵から読み取ることは難しいことだと思いました。
展示物はそんなに多くは無かったです。
日本の浮世絵を愛しコレクションしたといわれるゴッホの、浮世絵に影響を受けて描いたと言われる絵も
展示されていました。
今回はふたりの椅子の絵からのエピソードから、互いを影響しあい尊敬し合っていたと
結んでいましたね。
また真夏に戻ったような暑い日でしたが、混み具合は中程度でした。
お昼ご飯を済ませてから連れと分れて、私だけ日比谷公園へ寄ってみることにしました。
「2016年 日比谷公園ガーデニングショウ」が開催中でしたから、出てきたついでに
寄ってみたかったのです。