今年はもう、行かれないかなぁと思いながら
母の見舞いに行った。
相変わらず、よく眠っていた。
いつもなら声をかければ、つかの間は目を開き
やり取りもするが、今日は眠り通し。
母は人一倍心配性で、寂しがりやだから
多分今も病院でも、寂しがっているに違いない。
最近の新聞記事で、心に残った記事があった。
「人生の最終段階では、家族でなくても誰かが側にいることが
大切。生きているときは、日常の暮らしより理想や主義主張や
金もうけが大事だが、最終段階にはいると、価値が逆転し
ありふれた日常の暮らしが命の根本とわかる.......」
お医者さんで、臨床をたくさん経験した徳永 進氏の言葉だ。
寂しがりやの母に、今はできるだけ一緒の静かな時間を
贈ろう。
もう、何もプレゼントする形ある物は無いような気がする。
ただただ、側にいて、「わたしがここにいるよ。」という空気が
わかるよう、手をさすり、手を握ってあげよう。
たとえどんな強い人でも、これから訪れるであろうことを
たったひとりで迎えるのはとても恐いはず。
たとえ家族でなくても、いつも誰かが側に.....と
願わずにはいられない。
今年も残りわずか。
義母の喪中とはいえ、ぼつぼつとささやか新年の仕度をする。
今日は夕食の洗い物をしながら、圧力鍋で焼き豚を作る。
今晩の晩御飯
鮭焼き ター菜の炒め物 マグロのやまかけ 味噌汁 ごはんなど
焼き豚を作る
上の2まいの写真が手違いで消えてしまいました。