渋谷駅から代官山駅の東横線の廃線路…遊歩道ぶらり!
2013年3月に、東急東横線渋谷駅が地下化され、渋谷駅と代官山駅との間の地上線が地下に潜った。この日から10年以上すぎた。当時、駅のあった場所から廃線路を山手線と交差していた地点まで歩いてみた。旧渋谷駅には回想記念物として鉄路のレプリカが埋め込まれている。旧渋谷駅の鉄筋屋根も残されていた。関連記事≫≫国内の鉄道廃線路などはブログに36回、アップしています。写真は薄い峠にある廃線路跡。上の文字をクリッ...
続きを読む都内で一番低い山手線ガード「オバケトンネル」は風前の灯!
山手線、高輪ゲートウェイ駅が誕生して、都内で一番低いトンネル(1.5メートル)、通称「オバケトンネル(高輪橋架道橋)」が消滅したかと心配していたが、どっこい残っていました。前回、元気な「オバケトンネル」を紹介した記事(2017年7月19日)はここです。アクセスは、地下鉄、泉岳寺駅のA2出口に出ました。目の前は第一京浜、泉岳寺の交差点です。国道を横切って向こう側へ。田町駅にに向かって歩き「高輪大木戸...
続きを読む「白金桟道橋」(JR目黒駅近く)…築100年の白いアーチ橋!
恵比寿駅と目黒駅の間の埼京線。目黒駅寄りに、ひっそりと建っています。昭和元年(1926年)築ですから、100年近く前に建築された橋です。謙虚ですね。黙って100年も電車が通過するのを見ているのですから。それに強い。雨風に文句を言わず、白塗り化粧はなかなか施してもらえないでしょう。それなのに凛々しい。見習いたい。目黒駅を出てすぐ北側の陸橋から撮影してみました。恵比寿駅に向かって左側から撮影した写真で...
続きを読む孤独感漂う一両で走行する都電…JR大塚駅付近
東京のトラム。偉いと思いますよ。ヨーロッパのトラムは数両編成で走行しているのに、東京では一両。プラハに行って、向こうのトラムに加わって大勢で走りたい。そう思っているのに、無言。チンチンとしか言わないで走る。一般道を自動車と重なる併用軌道を走行する電車は絵になります。厳格な意味での併用軌道ではないですが、JR大塚駅付近でトラムの威容を楽しみました。南口ヴァリエからみる都電……坂を下って、JR大塚駅に向...
続きを読む都電廃線路、新宿・四季の路から抜弁天までを歩いてみた!
都電13系統は新宿駅から水天宮前まで走っていた路線だそうです。これまで何回か「四季の路」は廃線路として日記にアップしてきました。今回はその先まで、抜弁天まで歩いてみました。現在は区役所そばの廃線路は「四季の路」として整備されています。役目を終えても、活用される。「イイネ」ボタンを押したいものだ。急カーブするところがいかにも廃線路を偲ばせます。カーブ。ワタシの性格も好物も曲がっている。豆大福もせんべ...
続きを読むJR代々木駅の古いレールを使ったアーチの見事さ!
代々木駅の山手線と総武線を跨ぐ、古レールを使った二連の鉄製アーチは黙って、私たちの毎日をみてきたのだろう。浅草橋駅と水道橋駅の古いレールを使った上屋はここです。JR代々木駅の古いレールを使った上屋は実に調和がとれていて美しい。建築された時代をインターネットで調べてみた……大正時代のレールを使用しているらしい。...
続きを読む威風堂々! 「東急世田谷線」環七を渡る
環七……交通量の多い東京の道路だ。この道路を遮断機もなく、電車は信号待ちをして停止したり、走行したりする。柵もない。街の中を人、自転車、自動車と一緒に走行するダイナミックな光景が見られた。...
続きを読む東京駅…なくなってゆく明治の建築と今風キロポスト
東京駅は大正3年(1914年)に完成。工事は明治41年(1908年)から行われたそうです。2015年まで5番線と6番線のプラットホームには当時の柱や屋根が残っていましたが、とうとう記念物になってしまいました。使われていた明治時代の柱と屋根(2013年9月に撮影)。有楽町駅寄りに記念物として置かれているだけになってしまったプラットホームの柱です。明治四十一年という文字が読める。古い柱を見つけただけな...
続きを読む古レールを活用した駅上屋…秋葉原駅、鶯谷駅、日暮里駅、田端駅
プラットホームの上家に古いレールが使われたのは昭和40年代までらしい。浅草橋駅と水道橋駅の眉目秀麗な上家はこのブログで紹介ずみだ。今回、山手線の秋葉原駅、御徒町駅、上野駅、鶯谷駅、日暮里駅、西日暮里駅、田端駅。中央線のお茶の水駅、水道橋駅を回ってみた。このうち、秋葉原駅、鶯谷駅、日暮里駅、田端駅は素人目にみてもデザイン性があり、ひっそりと人目に触れながらも自らを主張しない謙虚さがある。そこのけ、そ...
続きを読むプラットホームを守る「浅草橋駅」と「水道橋駅」の百年前の古レール
一見、何でもないような古レールを使った鉄道駅のレール造りの上家が存在している。駅ごとに実に個性豊かだ。目立たないが、月見草のように静かにたたずんでいる。その圧倒的な鋼鉄の羅列美だ。まず、総武線の「浅草橋駅」。対面式プラットホームの間に古レールを使って建てた支柱から曲線を帯びて伸びたレールがプラットホームに続いている。規則的に並んだアーチに迫力がある。昭和7年(1932年)の建築らしい。「浅草橋駅」...
続きを読む【廃線跡】「日本煉瓦製造専用線」(深谷)跡が散歩道に整備!
緑の点線が廃線路明治28年(1895年)に敷設された。廃線路は高崎線の脇から田園地帯を抜け、日本煉瓦製造株式会社まで約4Kmだから、ラクチンで往復できる距離だ。廃線路はしばらく高崎線と並行する。唐沢川を渡る廃線路は、当時使われていたガーター橋に手すりをつけて転用してあった。その先も廃線路は遊歩道として整備されている。JR深谷駅から2Kmきたところに「福川橋梁」のプレート・ガーター橋が保存されている...
続きを読む線路、踏切が残る「日本製紙・王子工場線」【廃線跡】
「日本製紙・王子工場線」は王子駅北側にある田端操作場から日本製紙の王子工場間(4Km)を結んでいた。平成26年(2014年)7月1日に廃止されたばかりだ。廃線後まだ7年しかたっていない。線路、踏切、線路脇に植えられていた桜並木が残っているので、臨場感ある廃線歩きとなった。JR王子駅で降りて、線路に沿って赤羽方面へ向かう。北とぴあの脇をすり抜け、東横インの玄関の前を通る。左側には鉄道関係の子会社の建物が...
続きを読む町屋駅(京成電鉄)付近の鉄橋…消えゆく昭和の熱気!
京成電鉄、町屋駅から日暮里駅に向かって高架線沿いに数分歩くと、「花の木」という交差点がある。そこに架かっている鉄橋は昭和7年(1932年)の開通時のもの。以来、90年を超えて電車が行き来するのを支えている。この鉄橋は道路を斜めに走っているので、見上げると長く感じられる。電車が通過するたびに線路と橋がガラガラと雄叫びを上げる。バンカラ風の力強さが頭上から降ってくる。耳を塞ぎたくなるような音響だ。これ...
続きを読む軽井沢と草津をつないだ「草軽電気鉄道」廃線跡をみる!
草軽電鉄の新軽井沢~小瀬温泉間が開通したのは大正4年(1915年)。大正15年(1926年)に草津温泉までつながった。その後台風などの影響で昭和35年(1960年)に新軽井沢~上州三原駅間(37.9Km)が廃止され、昭和37年(1962年)に残りの区間も廃止となり、約50年の草軽電鉄の歴史は終わっている。草軽電鉄の魅力はカブトムシと呼ばれた電気機関車の独特な形、脱線しても乗客たちが力を合わせれば線路...
続きを読む【廃線跡】「篠ノ井線旧線 西条~明科」を歩いてみた!
篠ノ井線旧線の西条駅~明科駅間は昭和63年(1988年)に新しいトンネルを通る新線に切り替えられ、廃線となった。今回は漆久保トンネルから明科駅間の約4Kmを歩いてみた。紅葉には早いが、天気もよく、だれもいない廃線路をただ一人、自分の足音を聞きながら歩く。緑の木々の中に溶けてゆくような気分になった。明科駅で篠ノ井線を下車。駅前にタクシーが客待ちしているので、漆久保トンネルまで行ってもらった(2000円...
続きを読む東京の秘境、、都電、稲田18号踏切(東池袋四丁目近く)
都電の東池袋四丁目停留所から目と鼻の先だが、たどり着くのが簡単ではない。民家の敷地らしきところに入り込み、「通報するぞ!」なんて立て看板に脅され、狭隘な路地を歩く。やっと稲田18号踏切にたどりついた。到達するのに自転車さえ通れないほどの細い道を行かなければならない。体を横にしてカニ歩きで踏み切りにたどりつく。すると自転車は抜けられる幅の踏切がある。このアンバランスさは公共交通機関だからこそ味わえる...
続きを読む山下臨港線廃線路を歩く!
横浜臨港線は昭和40年(1965年)に横浜港駅から山下埠頭駅が開通しました。廃止されたのは昭和61年(1986年)だ。横浜港駅は現在プラットホームが残っています。脇には横浜税関新港埠頭倉庫があり……現在は赤レンガ倉庫と呼ばれている。……引込み線も。ここから山下埠頭までの間は約2キロメートル。蒸気機関車に牽引された貨物列車が往復していたのだ。赤レンガ倉庫を抜けると、新港橋梁を渡る。大正元年(1912年)...
続きを読む明治の終わりに建設された横浜税関新港埠頭倉庫(赤レンガ倉庫)!
横浜港駅から続いている引込み線跡がある。一帯はつい最近まで、一大物流拠点だった。赤レンガ2号倉庫は明治45年(1911年)竣工。赤レンガ1号倉庫は大正2年(1913年)竣工。蒸気機関車が貨物列車を牽引し、近くには大きな煙突のある工場が建築され、そこで何も言わずに働く労働者がいたのか。...
続きを読む東武伊勢崎線、北千住駅近くの首曲がりガードまでの辛い出来事!
「東武線にある古いガードを見に行かないか?」友達を誘っても、「ガード? わざわざ?」なんて言われて、それっきりだ。雨が止んだのを見計らって、ボッチで北千住駅をでた。東口をでるとまた、雨が降り出した。東京電機大学に行くのか、若い女性が傘を広げる。途端に傘の先っちょがワタシの顔に当たった。「気をつけろ、あほんだら!」と怒鳴った。心の中で。ワタシはジムで顔を鍛えているので、かすり傷ですんだ。傘でなく拳銃...
続きを読む横浜臨港線、廃線路に鉄道橋が残っていた!
横浜臨港線は大正9年(1920年)に全線開通した。区間は高島駅と横浜港駅の間。たったの4.3キロメートルだ。途中に、東横浜駅があった。廃止されたのは昭和62年(1987年)だから、30年前までは貨物列車が現在のみなとみらい地区と新港地区との間を行き来していたわけだ。廃線跡は汽車道として残されている。そこに三つの鉄道橋が残っているし、一部、レールも敷かれてた。さて、JR桜木町駅。駅舎をでるとロータリー...
続きを読む東横線廃線路(現、東横フラワー緑道)にはトンネルもあった!
東横線の横浜~東白楽間は、平成16年(2004年)に「みなとみらい線」と直通運転が開始され、地下に移りました。横浜駅から地上線の廃線跡を反町駅まで歩いてみました。実は横浜駅の起点(東横フラワー緑道)が分からず、多少うろつきました。興味のある方は反町駅の廃線路のほうが見つけやすいですよ。ワタシとは逆に歩くことをお勧めします。起点はJRの線路がある脇にありました。看板があり、レールが埋め込んであります。な...
続きを読むセピア色の上毛電鉄、西桐生駅
都会から上毛電鉄、西桐生駅を見物にやってきた若い鉄ちゃんが数名、写真を撮影していた。モルタル仕上げの駅舎は昭和3年(1928年)に建築されたとのこと。売店もなくなり、待合室が広く感じる。...
続きを読む京成電鉄、旧博物館動物園駅の公開に駆けつけてみたが!
2018年11月23日~2019年2月24日までの金、土、日曜日に公開されていました。訪問したのは最終日の午後。残念なことに、入場できませんでした。従業員によると、この日の入場希望者は午前10時に1000名が並んだそうです。瞬く間に整理券の配布が終了したとのこと。それを知らないまま、午後の時間に陽射しをあびながらゆっくり駅舎にやってきたのですから、いかにもノー天気です。この駅は昭和8年(1933年...
続きを読む下河原線跡を歩く(府中)… 山頭火を気取って「青い山」気分!
歩いた。中央本線の支線だった下河原線だ! 多摩川の砂利を運搬する貨物線だったが、昭和51年(1976年)に廃止された跡だ。現在、その廃線路の一部が下河原緑道として残っている。京王線府中駅から郷土の森公園へ。そこから武蔵野線の府中本町駅まで一気に歩いて、ぴんぴんして戻ってしまった。なかなかうまく行かない。その跡を写真に矢印で示してみた。府中駅から甲州街道へでてかなり歩く。出発点はまだかなと心配になっ...
続きを読む小林清親が描く「新橋ステンシヨン」の今!
小林清親“光線画”に描かれた郷愁の東京 吉田洋子 平凡社新橋ステンシヨン写真復元された新橋ステンシヨン清親がこの「新橋ステンシヨン」を描いたのは明治14年でした。駅舎から漏れる明かりが地面を輝かせ、人々を浮き上がらせる。清親の傑作です!ステンシヨン! いい響きです。...
続きを読む貨物専用線「越中島支線」
越中島線は小岩から続いているそうです。西大島界隈の線路土手あたりから歩いてみました。この線は今でこそレール輸送専用線という悲哀を味わっていますが、昭和4年(1929年)開業の老舗です。「アリオ北砂」には2000年まで小名木川駅があったらしいですね。貨物を鉄道で輸送する栄光の時代は終わったようです。さて、歩き始めた「大島銀座」通りの終りあたりは線路沿いに草木が生い茂り、路地感があります。学校帰りの子...
続きを読む高尾駅のプラットホームを見上げれば、銃撃痕の柱あり!
JR高尾駅の一番線プラットホームの上屋を支える柱に、銃撃痕が残っています。昭和20年(1945年)7月8日、浅川駅空襲の際、受けたものらしい。柱の塗装されていない部分が銃撃を受けた痕です。...
続きを読む「御陵線」廃線路を歩く
平成28年(2016年)9月17日、NHKTVの「ぶらタモリ」で、「高尾山はナンバーワンの山」というテーマで「御陵線廃線路」が放映されました。御陵線の橋脚が残されているとのこと。西八王子駅から歩いて現場に向いました。15分ほど並木道を歩きます。しっかりと管理されて美しい道路です。並木町交差点で右折して100メートルほど進みます。ここで遺構がわからなくなってしまいました。左折すべきところを右折したの...
続きを読む【廃駅】「長野電鉄 旧松代駅」、鉄道が通っていた姿が強烈に蘇る!
長野電鉄、旧屋代線は平成24年(2012年)4月1日に廃線となりました。廃線区間は屋代駅から松代駅を通り、須坂駅までです。須坂駅は長野駅から湯田中駅への往復で通りましたが、線路の端に、旧車両が保存されていました。いや、打ち捨てられていたというほうがいいかな。旧松代駅には駅舎とプラットホームが残されていました。現在、駅舎はバスの停留所として使われています。残念なことに鉄路も枕木も撤去されていて、現在...
続きを読む旧昌平橋駅…東京最古の煉瓦アーチ駅
レンガ橋アーチの高架橋が明治41年(1908年)に竣工した紅梅河岸高架橋。このうえに昌平橋のプラットホームがあったそうです。駅は廃止された(明治45年、1912年)が、中央線が走っている。高架下にも飲食店が入っています。レンガつくりの高架橋が110年たった今も使われているのですね。...
続きを読む碓氷峠の廃線跡を歩いてみた。歩きっぱなしで往復3時間半!
碓氷峠のアブト線、信越本線旧線の横川駅から熊ノ平駅まで往復しました。行きが2時間。帰りが1時間半。腰が痛くなりましたが、清涼な空気と紅葉で楽しかった廃線跡歩きとなりました。横川駅から旧丸山変電所までは穏やかな上り坂です。歩道は線路がそのまま残っています。ここあたりは、かってED42型機関車がアプト式の歯車を噛み合わせ、カチャカチャさせながら余裕を持って上ったところです。今は観光用のトロッコ列車。シ...
続きを読む微かに残る「東武鉄道千住線」廃線路!
東武沿線の不思議と謎(高嶋修一著)に、「千住の一角に残る数メートルの線路が物語る貨物線の記憶」という2ページの記載がありました。北千住駅と牛田駅の間に「中千住」駅があって、線路が隅田川まで延びていたそうです。この線は昭和62年(1987年)に廃止。痕跡が京成線のガード下にあるとのこと。それで、牛田駅下車。墨堤通りを千住大橋駅に向かって歩きます。暑いのなんのって。なんで廃線路に興味を持つのか? 自分...
続きを読む廃線跡、安比奈線―西武新宿線南大塚から歩く
2016年2月11日の朝日新聞に西武新宿線南大塚駅から伸びる貨物専用の安比奈線が廃止されるとの記事が掲載されました。1963年以来、休止扱いになっていたそうです。西武新宿線南大塚駅は都心から割合行きやすい。まだ線路や架線柱が残っていますから、廃線跡は見つけやすかった。国道16号線の南大塚交差点まではすんなり歩けました。その先は、線路が立ち入り禁止となっているので、迂回しながら歩かなくてはなりません...
続きを読むJR鶴見線、昔、活況。今、都会の中の秘境駅!
鶴見駅から乗車しました。電車が出発するとすぐに「本山駅」のプラットホーム跡(昭和17年、1942年廃止)が現れます。総持寺などへの参拝客用に設置されたそうです。一駅目が「国道駅」(昭和5年、1930年)です。ガード下のアーケード街が、かっての勢いを感じさせます。労働者の住宅があったのでしょうか。プラットホームに戻り、冬には強い日差しを浴びていると、「海芝浦」行きの電車がやってきました。10分くらい...
続きを読む廃線跡「JR中央本線 旧大日影トンネル」を歩いて、心地よい汗!
JR中央本線の勝沼ぶどう郷駅で下車。平成9年(1997年)に廃止された大日影トンネル跡を歩いてみた。このトンネルは明治36年(1903年)開通とガイドブックに記されていました。駅を出て左手に。スイッチバックのプラットホーム跡に展示されているのがEF64型。力強さが残っています。上の土手はスイッチバックの線路。現在は複線になっていて、「あずさ」が駆け抜けてゆきます。土手を上るとトンネルが三つ並んでい...
続きを読む都電跡がリアル! 都電38号線跡を東陽町から亀戸まで歩く!
東陽町駅から南砂町方向に歩くと「南砂町緑道公園」があります。かって都電が走っていた跡。40年も前に廃止されたそうだ。北に向かって歩きます。散歩している人がいます。耳をそばだてると多分、中国語。インド系の親子もやってきます。道は右にカーブします。その先に都電の車輪が保存されていました。上には、越中島貨物線の線路があります。そのまま歩くと明治通りに突き当たりました。ここで都電跡は消えます。明治通りを仙...
続きを読む東京都港湾局専用線、豊洲から枝川を通り、木場へ!
地下鉄、豊洲駅から歩き始めました。晴海通りを月島に向かって歩きます。IHI本社の前を左折して春海橋へ。その脇に晴海橋梁がいかにも廃線そのままに残されていました。平成元年(1989年)まで貨物が通過していたそうです。錆びた鉄路。これまでの活躍の跡がこの体たらく。多くの貨物を運送し、莫大なカネを稼いだのに、末路は哀れです。枯草がある道床を見ると、ワタシの頭を撫ぜてしまうのです。IHIまで戻り、陸橋を渡...
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