「品川銀座」からゼームス坂へ、貫禄の「あやかり銀座」!
昭和、人が多かった時代から熱気を取り去ったような「あやかり銀座」だった。京急新番場駅近く、第一京浜「南品川4」交差点に「品川銀座」の門がある。提灯を模した街灯に「品川銀座」と刻まれていた。並んだレトロ建築(品川区南品川四丁目4-18)。交差点の角にある「イマムラ」「オオノ美容室」。「弁当ひらやま」珈琲屋「カルディ」(南品川五丁目1-20)。インターネットでググってみたら、街歩きをした日は休みだった...
続きを読む浮間銀座(北区)…23区内最北の「銀座」へ!
荒川と新河岸川との間にある北赤羽駅。あなたは下車したことがあるでしょうか?銀座というと、豪華絢爛、オシャレ、華やかといった胸がときめくような印象がありますが、浮間銀座はそんなヤワな考えを打ち砕いてくれますよ銀座はイロイロあると教えてもらいました。その北赤羽駅は新河岸川に跨っていました。出口は赤羽口と浮間口。大宮方面の浮間口にでました。浮間銀座は出口すぐにあるはず。看板を探したが見つからない。浮間銀...
続きを読む下町の奥、憂愁の昭和が漂う【小台本銀座商店会】(荒川区)!
都電、小台停留所から旧小台通りに向かいます。停留所から「小台本銀座商店会」に向かって歩いてゆくと、大正時代に建設されたレンガ塀が残っています。関連記事≫≫「あらかわ遊園」の周囲に残っている大正時代に建設されたレンガ塀を訪問した記事です。人々の生活に溶け込んでいるレンガ塀です。上の文字をクリックすると、「隅田川沿いに残る大正時代の煉瓦塀」の訪問記事に飛びます。ぜひ、訪問してやってください。入口には「小...
続きを読む尾久銀座、昭和の雰囲気アリアリだが、シャッターを下ろした店も!
舎人ライナーの「赤土小学校前」駅からすぐです。JR田端駅から歩いて10分。昭和34年(1959年)にできた銀座です。65年の歴史のある商店街です。連休中に歩きましたが、シャッターを下ろした店もちらほらありました。「尾久銀座」の手前、「川の手もとまち商店街」をチョイ見しました。「野辺楽器店」(東尾久四丁目13-11)です。「かふぇ たうん」(東尾久四丁目13-8)です。入りやすそうなカフェです。東尾...
続きを読む「滝野川銀座」(北区)…ガチな〈三丁目の夕日〉に浸る!
「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台は愛宕山辺り。東京タワー周辺はすっかり昭和の雰囲気はなくなってしまったが……今回、「滝野川銀座」を歩き、冷蔵庫や扇風機が珍しかった時代の通りの雰囲気を存分に味わいました。明治通の「掘割交差点」から埼京線、板橋駅、までの間が「滝野川銀座」。通りを行くのは圧倒的に若い人が多い。彼らに集団就職で上野駅にやってきた雰囲気を感じてしまう。初々しさを残した若者たちだからだ。見...
続きを読む「下町人情キラキラ橘商店街」(墨田区京島)…お疲れのあやかり銀座
「向島橘銀座商店街」というのが本来の名称。「下町人情キラキラ橘商店街」と呼ばれることのほうが多い。昭和2年(1927年)に誕生。都内の商店街でも砂町銀座と同様にトップクラスの集客力を誇る、と雑誌やウェブサイトが教えてくれた。周辺地図です。最寄りの駅からは微妙な距離がある。京成電鉄{京成曳舟駅}から歩いたので、15分くらい。バスだと停留所が2つだ。2016年4月に「向島橘銀座商店街」を訪問した日記は...
続きを読む「向島橘銀座」…1世紀近くの歴史ある商店街!
東武線の東向島から約15分で到着しました。商店街自体は昭和2年(1927年)に誕生したというから一世紀近くの歴史がある。2016年4月14日に訪問しました。京島三丁目の交差点近くに、向島橘銀座(下町人情キラキラ橋商店街)の入口がある。この銀座は疲れている。打ち捨てられた寂寥感がある。火曜日の昼下がり、歩いている人は数すくなかった。それでも何とか、客を呼び込みたい執念を感じさせる「向島橘銀座」だ。...
続きを読む「志村銀座」(志村坂上駅すぐ)…銀座を示す看板がなく、ウロウロ!
都営地下鉄、志村坂上駅を出たところに「志村銀座」はあるはず。「志村銀座」という看板も飾りもない。変哲もない通りがあるだけなので、間違ったのかと心配した。実は、自慢するようで気がひけるのだが、ワタシは、ウェブサイトを調べてきたほど……慎重(身長)派なのだ。背は低いが。不安な気持ちのまま、銀座の痕跡を探して歩いた。他とは違う通りだ、という意気込みもない。失望感がにじみ出た姿で、とぼとぼと歩く。支持率に一...
続きを読む「東十条銀座」はエスニックの匂いが強烈な【あやかり銀座】だった!
「東十条銀座」への公共交通でのアクセスは:① JR京浜東北線、東十条駅を北口で下車し、東十条商店街を10分くらい歩く、② 東京メトロ、南北線、王子神谷駅から歩いて数分です。JR京浜東北線、東十条駅から歩いてみました。北口を出ると、すぐに「東十条商店街」。駅の近くはチェーン店がめにつく。そこをすぎると地元の商店が並ぶ。賑やかな通りだ。ちょっと寂れてくると、その先が「東十条銀座」。「銀座」は北本通りまでの短い...
続きを読む高層ビルに負けまいと、「目黒銀座」は背伸びする!
「どこに行こうとしているのかが分かっていなければ、どの道を通ってもどこにも行けない」キッシンジャーの名言らしいが、どこに行こうと思わないで歩く醍醐味を、世界の巨人はしらないのか。どの道を通ってもいい。人間だもの。日本の名言家、相田みつをは理由を述べないで、結論だけ言うタイプだ。キッシンジャーでもない、相田でもないワタシが、何も考え(られ)ないで歩く効能をいくつか列挙してみた。まず、些事に拘る必要が...
続きを読む馬込銀座(大田区)、名前負け、どうして銀座をつけたのだ!
大森駅から「ジャーマン通り」を歩くのが正道なのだろう。根が歪んでいるワタシは大森駅前から「闇坂」を上り、西に向かった。かなり狭い路地をタクシーがそこのけと走る。豪邸の塀に体を摺り寄せて逃げる。10分ほど住宅街を歩き「環七」の騒音が聞こえてきた手前で右折。しばらく行くと「ジャーマン通り」の終点。環七にでた。「馬込銀座」はその「ジャーマン通り」の一角にあった。ここが銀座なのか? 変哲もない商店があるだ...
続きを読む旧大山銀座(現、ハッピーロード大山商店街)、目につく老人、異邦人!
大山東銀座と名乗っていたが、昭和58年(1983年)に、ハッピーロード大山商店街と正式に名称を変更した。銀座を捨てた勇気はたいしたものだ。たぶん、銀座という名前を使うには華やかさ、格調の高さ、歴史の長さ、ハレの日に行きたい度では優位に立てないと理解したのだろう。そして、北浦和にあるハッピーロード、尾山台にあるハッピーロード、上尾にあるハッピーロードと競合しようという潔さ。なかなな謙虚だ!ハッピーロ...
続きを読む「銀座商盛会上落合」(新宿区)、最盛期は昭和15年?
中井駅周辺を歩いていたら、突然現れた銀座。この銀座のウェブサイトにアクセスしたら、最盛期は昭和15年までだったと書いてある。時のたつのは早いもの。昭和の時代はすでに過ぎ、平成も終り、今や令和だ。見捨てられた期間が長い銀座だ。日曜日の午後、時々歩く人が現れる。中国、毛沢東主席の妻だった江青は静かなところでしか眠れなかったと聞く。彼女が旅にでると、宿泊先のホテルには内装屋が先回りして、防音のための壁の...
続きを読む平成元年に「銀座」を名乗った「上板南口銀座」
東武東上線上板橋駅南口をでると、すぐに「上板南口銀座商店街」の門があります。この名称は平成元年2月に「上板南口商店街」から変更されたと、商店街のHPにありました。比較的、新しい銀座なのだ。池袋駅から東武東上線の各駅で、たったの10分。通勤に便利そうな地域です。歩いたのは2019年12月31日。「上板南口銀座」の両側は、昔ながらの和菓子店、八百屋が頑張っていますが、やはりスーパーマーケットの店頭に人...
続きを読む寂れ感がワタシに似合う? 「上中銀座」(北区)!
三遊亭圓馬さんから「梶原いろは亭」での独演会状が郵送されてきた。そこに書かれた地図に「梶原いろは亭」は「上中銀座」にあるとのこと。上中銀座? 未訪問だった。銀座。ワタシは銀座の街歩きが似合う男だと思うようにしている。歯科医に「夏は水を持参して、飲んでくださいね」「干からびちゃいますよ」なんて言われると、貧相と銀座は合わないと思ってしまう。この日もそうだった。地下鉄で向こうの窓ガラスに映る自分を見て...
続きを読むオシャレとローカル感が交錯する「目白銀座」
山手通りと目白通りが交差する南長崎一丁目の交差点からJRの目白駅に向って歩いていると、「目白銀座商店会」という標識が現れた。銀座通り。本家の銀座は別にして、○○銀座には道の両側に小売商店が並んでいて、ローカル感があり、寂れ傾向があるのだが……目白通りには並木がある。そのうえ、東京でイチバンおいしいスイーツ店まである。駅に近づくにつれて、アーケードが表れた。歴史のありそうな小売店も残っている。チェーン店...
続きを読む住吉銀座、絶景をひけらかさないところが、偉大!
東京にも多くの銀座があるが、本家の銀座を除いて人気取りに苦労している。ハデハデの銀座になりたくとも、グルメ店が勢ぞろいする銀座になりたくとも、ヒトを集めたくても、尾羽打ち枯らして喘いでいる。○○銀座と名乗っただけでは本家に及ばない。どうすれば本家を凌いで、元祖銀座になる方法があるか? それが分からないからかも。本家の銀座になりかわってしまうという方法もあるが、成り代わる方法もよく分からないかも。例え...
続きを読む山手線駅から最も近い銀座、「駒込銀座」(駒込)は道に迷えない!
駒込駅東口から数百メートルが駒込銀座。駅を降りたところに「銀座」と文字が入った堂々たる看板がある。その先には「さつき通り」という大きな門があるので、銀座はどこにいったのかと心配になる。通勤者が通る駅前の商店街が駒込銀座か。規模が小さすぎて迷子にさえなれないと肩を落として散策したと思うかもしれないが、通行人が多く、そこにはアジア系のオネエチャンも交じっているので、飽きない。駒込銀座の終り。ワタシはよ...
続きを読む「大島銀座」(江東区)、挨拶したのに睨まれた
地下鉄、新宿線「西大島」駅をひとりで下車しました。かなり寂れた商店街。うらぶれた感じ。明治通りから貨物専用線の越中島支線までの細い路地が大島銀座です。人影もまばら。でも、ついに人に出会いました。腰の曲がった女性です。「こんにちは!」と魅力的な人間を演じて小声で挨拶したら、睨みつけられました。何で機嫌を損ねたのだろう。それとも不審者扱いされたのか。イケメンだからでしょうか。とげとげしさなんかないはず...
続きを読む残り物感溢れる「中央銀座」(江東区)を歩く
地下鉄、新宿線「大島」駅で下車しました。近くにある「サンロード 中の橋」という商店街は活気があります。若いカップルが買い物をしています。新大橋通りを「西大島」駅の方に歩きます。「中央銀座」があるはず。巨大な集合住宅が並んでいます。歩く人は高度成長期にがんばったような年齢の方が多い。新大橋通りに「中央銀座」という門がありました。30年くらい前は人通りが多かったのでしょう。子供も中央銀座で遊んでいたの...
続きを読む西荻に溢れる銀座に言いたい。それ以上銀座を増やすな!
駅の北口に下りると、西荻北銀座、そばには西荻シルクロード。お洒落な名前がついた街です。でも、どんないわれがあるのだろうか。シルクロード。南口へ。西荻銀座があった。西荻南銀座も。そもそも両銀座の境界がよく分からない。FC東京の旗が並んでいるのでFC東京通りとも言えそうだが。そして西荻東銀座。銀座というネームヴァリューを追いかけるのか。若干の華やかさが欲しい銀座だ。...
続きを読む「荒川銀座」の看板をやっと発見、ほっと一息!
町屋には京成、地下鉄、都電が乗り入れていて交通の便がよい地域です。ここに「銀座」があるとの情報を仕入れたので、出かけてみました。地下鉄から地上に出ると、都電が走っています。ところが「銀座」という看板が見当たらないのです。尾竹橋通りで自転車の整理をしているおじさんなら地元の人に違いない。「さてねえ、銀座通りなんて聞いたことがないよ。尾竹橋通りが一番賑やかな通りだけど。ここは銀座とは言わないよ」銀座通...
続きを読む恵比寿銀座、アクの強さは魔物級
地下鉄、恵比寿駅から路上に出て、辺りを見渡したら「恵比寿銀座」が目に入りました。銀座と、大きくかいた看板が好感を持ちます。自己をしっかりと主張しているのが健気でもあります。商店が並んでいます。なかなかお洒落な店構えです。歩いていると、街になじんでくる感じがしてきました。それに昭和風の建築物も要所に置いてあるのが真面目です。しばらく歩くと、なにやら異郷風のたたずまいになってきました。ラブホが並んでい...
続きを読む緩やかに蛇行する「東中野ギンザ通り」は清楚感十分!
思いがけないところで、「銀座」と名のつく通りを発見しました。嬉しいものです。細い路地にオッシャーレなレストランが目につく。総菜屋もある。品がよく盛り付けされているのは東中野駅を利用する人たちがオッシャーレだからだろう。かっては川があったような緩やかに蛇行する路地。今風で雰囲気のよい東中野銀座通りでした。...
続きを読む「江古田銀座」は中国語が飛び交う街!
2017年10月16日放送のNHKBS「東京ディープ」で「江古田特集 どこか懐かしい街 江古田の魅力」を見ました。「懐かしい」「○○銀座」と聞けば、歩いてみたくなります。昼間、歩行にも自信のない足取りでよたよたと江古田銀座を歩いていると聞こえるのは中国語。その人たちは大きなトランクを引きずって追い抜いてゆく。まっすぐ前を向いてずんずん行くので、観光客ではなさそうです。彼らがコンビニで私たちの生活を支...
続きを読む「滝野川銀座」は巣鴨庚申塚からすぐ!
板橋駅から巣鴨の庚申塚に向かう道路「滝野川銀座」は最果ての銀座と思いきや、なかなかだ。外人の観光客もいるし、人出もある。ちょいちょいだが。脇の路地も健闘しているようだ。旗が頑張っていた。...
続きを読む大塚銀座、「銀座」を名乗るはおこがましい?
大塚駅前の中華料理店で食事をしようと歩いていたら、「大塚銀座」との看板が道路を挟んで見えたのです。行かなきゃ。食事を後回しにして歩いてみました。 商店街にしては売ろうとする気配もなければ、客もいない。パチンコ店もなければコンビニも。携帯電話の店もない。簡素なたたずまいは商店街というよりは寂しい住宅街だ。歩いているのはせかせかと歩く中国系。あるいは、よたよたと進む老人。恥ずかしげもなく銀座と名乗るか...
続きを読む銀座の看板を掲げない謙虚な「根津銀座」
不忍通りと言問通りの交差点から、言問通りを善光寺坂に向かった通りです。地元で発行している観光地図には「根津銀座」との名称がありますが、現地にはそれらしき標識はありませんでした。恥ずかしくって銀座を名乗るのはオコガマシイと思ったのでしょうね。銀座のような華やかさはないが、外国人観光客は多いのだからもっと主張してもいいのに。別にこなくてもいいよ。来たければ来いよ。そんな根津銀座に好感を持ちました。根津...
続きを読む最果て感満載、志茂銀座を歩く!
地下鉄の志茂駅を出て荒川に向かって歩いてゆくと、すぐに「志茂銀座」の赤い看板が空中に浮かんでいました。ちょっと見たところは住宅街のよう。銀座と名乗るのもオコガマシそう。 志茂3丁目の子育地蔵尊をすぎてもあるのはアパートと飲み屋、食堂です。魚屋、八百屋は見当たりません。志茂4丁目に来ると、銀座の看板がなくなりました。そこに一軒、ハデハデなお店。俺はがんばっているぞという感じがいいですね。まだまだ歩...
続きを読む梶原銀座…育った街に似た通りの懐かしさよ!
都電の「梶原」で下車しました。踏み切りをわたると、大きな門があります。活気あふれていそうな期待感大です。でも、門に貼り付けた看板が「梶原銀座」とは読み取れないので、焦りました。違うのではないかと。でも電柱に取り付けられた旗を見て安堵。「梶原銀座」とある。線路脇には「都電もなか」を販売している菓子屋があります。通りは広いですね。のどかです。人通りは少ない。通りから入る路地にはアパートが並んでいます。...
続きを読む「尾久銀座」、昭和だな! 人情とコロッケの味!
JR田端駅、北口から歩き始めました。しばらく歩きます。鉄道のガードをくぐり、踏切を渡ると田端新町二丁目の交差点。ここでうろうろしました。「尾久 三業地」の看板があるのではないかと。「阿部定」事件(昭和11年 1936年)の現場は近くですから。結局、発見できず、「尾久銀座」に向かいます。門の下にくくりつけられている「夕市」という幕。魅力を強める積もりなのか、若々しさを表現する積もりか、横断幕が「夕市」...
続きを読む戸越銀座、賑わい薄れる平日の午後!
JR五反田駅から東京急行電鉄池上線で戸越銀座駅へ出ました。マスコミの報道ではいつも人で賑わっているようですが、ほどほどの人出でした。コロッケ屋にも揚げたての惣菜も少しだけしかありません。路地に入ってみました。木造の2階建てアパートは年季が入っています。表札が何枚もかかっている部屋が多いですね。ここも人の動きはありませんが、電灯がついていて、耳を澄ますとTVの放送が聞こえる。人間の匂いが立ち込めてい...
続きを読む「上原銀座」はかなりおっシャーレだった!
代々木上原駅から出て、井の頭通りの方に歩いていったら、なんと、「上原銀座」という旗が風にはためいていた。ここも銀座なのだと、改めて写真機を構えたのです。坂のある商店街です。電動自転車が有用かもしれません。並んでいる人に尋ねたら、日本だか東京だかに2軒しかないブータン料理の店だそうです。モモやカレーを食べられるのでしょうか。列を作るほどの店。経営者は嬉しいでしょうね。八百屋は開店していますが、客がい...
続きを読む「谷中銀座」と大人の楽園「初音小路」を歩く!
谷中銀座。平日の午後の風景です。他の東京の銀座に比べれば、賑わいがあります。観光化された銀座です。東アジアから来たらしい若者が目につきました。写真撮影禁止なんて総菜屋もありました。この店はそんな野暮な張り紙はありませんが。初音小路にも寄ってみました。アーケードを数十メートル歩けば突き当たり。夜になると賑わいをみせる小路なのでしょう。昼間は1軒だけ「都せんべい」だけがお店を開いていました。念のため突...
続きを読む「染井銀座」のくたびれた空間を歩く
霜降銀座を奥のほうへ行くと、染井銀座が始まります。人通りも、店も少なくなってきます。何のヘンテツもない通りに変化してゆきます。やがて、老人が悠々と歩いてゆく光景を見る。路地をみると使い込まれたアパート。住んでいない部屋もあるようだ。...
続きを読む「霜降銀座」は狭い通りにローカル感満載!
JR駒込駅から旧古河庭園への行き返りに気になっていた「霜降銀座」です。霜降橋交差点の手前で右折。霜降橋という名称ですから橋があったのでしょう。すると? 霜降銀座はくねっているから元は川だったのか?道路は狭いですね。スターフルーツなんて店名がにくい!○○銀座には豆腐屋が似合います。コロッケも美味しそう。...
続きを読む「田端銀座」はド場末マイナー通りだった!
駒込駅近でもなく、田端駅近でもない「田端銀座」を歩いてみた。駒込駅からアザレア通りを突進。大きな通りに出ると左折。ここ辺りで人通りが少なくなる。「銀座」があるのか? 心細くなったところで、右手に「田端銀座」が現れた。電柱に看板が架かっているだけの素朴な通りだ。入口に鎮座するのは八百屋。午後1時。客はいない。店頭に揚げ物が並んでいる。夕方になると活況を呈するのだろうか。健康をイメージした豆腐屋もある...
続きを読む激寂れの「十条銀座」と「富士見銀座」
JR埼京線の十条駅で下車し、十条銀座から富士見銀座散策、そして十条中央商店街にある篠原演芸場をチラ見して、JR京浜東北線の東十条駅まで歩きました。レトロ感を通り越し、寂れ状態が激しい。さて、十条駅を下りると、服装からして地味目なんです。「十条銀座」とあるアーケードに突入しました。衣料品屋、惣菜屋。コロッケが1個30円とは? 中味は? 通る人は俯きかげんです。ワタシと同じように厭世観が強く、自信がな...
続きを読む「砂町銀座」はレトロ具合がスゴかった!
砂町銀座って地下鉄の東陽町駅からも西大島駅からも中途半端な立位置なんですね。簡単にたどりつけない。都電38系統跡を歩いた時に寄ってみました。この界隈は東京大空襲で死者10万人。焼野原になってしまったとのこと。戦争の犠牲者はいつも兵隊と市民です。銀座は明治通りから丸八通りまで約670メートルの狭い通りです。魚屋、八百屋、惣菜店、酒屋などが並んでいました。「銀座ホール」です。ネーミングもバッチシです。...
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