米国サンクチュアリ教会より正式案内がありました。
康賢實 真のお母様が3月6日午後5時41分(日本時間午前7時41分)に聖和されました。
真のお父様が「私の側に来なさい」と言われたそうです。
日本時間3月6日10:00AM、二代王家、國進長総監ご家庭が天一国国家を歌いながら康賢実真のお母様を送り出しておられるそうです。
真のお父様が154の聖和、真のお母様が541の聖和、完成成婚の真の父母様であると感じます。
”康賢実真のお母様天宙聖和式”
・時:3月18日午前10時(日本時間23時)
・場所:PAニューファンドランド本部教会
真のお父様と同じく、今日から13日目が聖和式です。
今日から3日間は準備期間、4日目以降17日までが私達とのお別れ期間です。
精誠条件を捧げて下さった皆様、引き続きともに精誠を捧げて行きたいと思います。
康お母様、心より愛してます。
本当にありがとうございました。
どうぞ永遠に永遠に真お父様とご一緒にされてください。
永遠の真の母として私達を導いて下さい。
心より心より泣いて感謝し、
心より心より泣いて愛しています。
ヨハネの黙示録第12章
12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。 12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
康お母様の日本語み言
2017年9月23日
天宙完成聖婚式祝勝会の御言
二代王亨進様と康賢實お母様
康賢實チャムオモニムの御言
翻訳:ファンクラブ
今日、遠い各地からこのように多くの方々が集まって下さり、大変感謝申し上げます。
王様がいつも仰ることには、9月23日は重要な日だということを沢山語られました。
王様がいつも仰ることには、9月23日は重要な日だということを沢山語られました。
それで國進様がいつだったか私が(國進様から)聞いたのですが「その日は何かあるのでしょうか、そうでなければその日はただ通り過ごしてもいいのでしょうか」と、このように仰ることを聞いたことがありますが「今日は黙示録、ヨハネの黙示録12章、1節から17節にある御言がそのまま成就され成される日だ」ということを、(そのように)仰ることを、沢山聞きました。
今日この日を通じて天地が開闢され、本当にお父様が御一人で孤独でおられたのですが、今からはお父様が、その寂しさを癒やすことができ、さらには今日を通じてすべての事々が解かれて行き、解放されて、うまくいくことを信じて疑いません。(アジュ)
私がこれについてひとつお話し申し上げたいことは、お父様が、聖書にはたくさんのみ言葉が書いてあるのですが、このみ言を削る者、このみ言をまた加える者は、このような者達は、皆何を受けるかといえば、悪魔を信じる者だということなので、黙示録に書かれたこの内容を成就するための歴史が、ここで成されるので、黙示録を書いた使徒ヨハネも喜んでいるはずですし、このみ言が成就されたのだな、できるということを知っていますし、神様も真のお父様も全ての霊界もこの日、すべてのことが御旨の中で成し遂げられ行われ、また実を結ぶようになったということを考えるときに、心から天の前に、真のお父様の前に、全ての霊界の前に感謝をするものであります。
これからは皆さんは、このみ言をお父様が行なって下さり、使徒ヨハネも予言されたみ言であるので、今日、皆さんは、お父様が語られた内容、何かと言いますと、本当に「私が終わりの日に後継者、相続者、代身者を私が選んで立て、また三度も私が本当にこのみ言を成し遂げるために、韓国で一回、アメリカで2回、このように役事をした」というみ言を皆さんは聞き慣れて知っておられることと思います。言うならばこのみ言を聞いても、私たちが心の中でまだ疑い、まだ心の中でこれは違うのではという、この考えだけは今日この時間、皆さんが、捨てて下さいますようにお願いします。(アジュ)
そうした時に、ここに大きな恩賜が臨むようになり、ここを中心として本当に終わりの日に、すべての役事がそのまま成し遂げられて実を結ぶということを、信じていかれる時には、信じて行かれるその通りに役事が現れることでしょう。
これから願うことは、時があまり残っておりません。その黙示録にはこのようなみ言が書かれています。「私が盗人の如く来るであろう」ということです。いつ盗人が警告して来るのではありません。盗人のように分からないうちに来るので、今日皆さんも、それを感じて、ああ、ここに本当に驚くべき天の6千年の秘密の歴史が、解くことができる鍵がここにあるということを今日この時間、記憶して下さるよう願います。(アージュ)
現況的にただ何かこのように行事を行うのではないでしょうし、ここには本当に神様が一緒に成してくださり、私達のお父様も一緒に成してくださり、霊界が共に成してくださることによって、これからは大きく道が開かれるようになり、本当にこれを中心として、誰もが予想できなかった奇跡の役事がここに現れることを、みなさんが知って、信じて、実践される立場に入って下されば良いですし、
まだ心の中で何で有るのか分からず、これでもない、あれでもない、あれこれ言いながら戦って(葛藤して)いたとしても、今日のこの時間を通して、完全に皆さんは神様の救済摂理となり、お父様が望まれる立場、勝利する立場に、今日皆さんが立たれ、皆さんを通してこそ、天が大きく役事されることができるでしょうし、
今後は、この亨進様と國進様を中心として、二代王様と、三代王権と、カインとアベルの勝利、この全てのことは勝利的に成され、これからは、多くの人々が、自分でも分からずに証をするようになり、その側において、喜ぶことのできるそのような驚くべき役事が起きると信じる者には信じたとおりに実りが必ず訪ねてきて成し遂げられますので、ここにおられる方は、ひとりも落伍者とならず、本当にひとつのみ旨を胸に抱いて、天が今までこのみ旨のために役事して来られたのですから、私たちがここに証人となって、ここに本当にみ旨を成すことが出来る側に立つことが出来る、今日、皆さんとなられるようにお願い申し上げます。
遠くからこのように皆様が訪ねてくださったことに心から感謝申し上げ、本当に韓国から、またアメリカはもちろん、日本から、遠い各地から来られて、何があるのだろうかとこのように考えられたことでしょうが、本当に今日は王様を通して、貴重なみ言を皆さんは受けられて、心の中で本当に皆さんが、日本語で「嚙みしめる」というのですが、皆さんが本当に心の中で皆さんが感じて考えて、成されたというその自信を持って、今日皆さんが故郷に戻られたら良いと思います。とても感謝致します。(拍手)
真心のために、されるままに生きてきました。
康賢實(カンヒョンシル)真のお母様、
90歳 誕生会 2017年10月9日
翻訳:ファンクラブ
本当に、真心を蹂躙したり、真心を私が受け入れないとするならば、お父様の御言によりますと、他人の真心を蹂躙することも大きな罪になると語られました。
今まで生きてきながら、私は92歳です、92歳。
非常に長く生きてきたということでしょう。
ところで、その間、生きてきながら罪を沢山犯しましたが、それなのに、この真心を蹂躙する罪を、また一つ犯すことになるならば、罪の量がとても重くなりそうです。
そうですから、私は頭を下げて、ひたすら、されるままにしなければならないと、そして今、ここに座っているのです。(会場:爆笑、拍手)
今日、皆さんに言うことが出来るのか、どのような考えが浮かぶかと言いますと、本当に、人の運命は分からないし、最後まで行ってみなければ分からないねと、また一度、感じました。
それで、今、私は本当に重い心を持って、真心を違える私にならず、
真心を真心で受けとらなければならない
その心を持って座っていながらも
なぜだか知らないうちに、私は器ではない、私は役割を果たせない、私ではないはずだ、という思いをしながらも、これもまた、真心を蹂躙するようなので、神様、思いのままにして下さい。
ここに居れば私の私の思いのままにできないでしょうし(会場:笑)
しなさいとされるままに生きていかなければなりません。
そういう思いを持って生きているのです。
ー 天一國国歌4番を歌われる ー
榮光에 안긴 것도 그의 恩賜요 사랑에 醉케함도 그의 恩賜니
栄えに入るのも主の恵み愛に満つるも主の恵み
높이고 또 높여서 갚으려하나
崇め崇めて奉れども
不足함의 이 마음 어이 禁하리
足らぬこの身を如何にせん
不足함의 이 마음 어이 禁하리
足らぬこの身を如何にせん
ありがとうございます。
ー 二代王:チャンプモニム オンマンセ ー
康お母様のみ言「素晴らしき日本の食口たち」11月15日礼拝より
翻訳:minion1:20:20
今日皆様に、最後に私が一言申し上げたいのですが、いつであっても命をかけて、深刻な立場で信仰の道を勝ちながら行かなければなりません。サタンと戦って勝って、サタンを屈服をさせてサタンが頭を下げながら、「あー、もういいです。」ということができる立場に入らなければなりません。
昔、お父様は、私がある冊子を通して見た話ですが、どんな内容かと言いますと、8.15解放になった時に、お父様はどのように仰ったかと言いますと、日本の人々をたくさん…日本の警察もたくさん助けてくださったと私は聞いた話もあります。
日本人にはどのような話しをされたかと言いますと、「韓国人は恐ろしいところが多い。だからあなたたちはここにいたらいつ死ぬかも分からないから早く早く日本に帰りなさい。」と。それで早く日本へ帰った人は生きることができましたが、早く帰ることができず、韓国人から殴られて死んだ人たちもたくさんいたのです。そのくらいお父様は日本の食口をとても重要に考えて下さいました。
そしてお父様は最後に、今から日本が敗戦してあんなに可哀想な立場に直面しているが、お父様が何と仰ったかといいますと、いつの日か復帰摂理歴史がこの地に成される時は、日本の国が日本の国民が本当にどうするかと言ったら、み旨の一線で命を出して戦う時が必ず来るだろう。このような心を持って祈祷されたのです。
その話を私が聴いて日本に行って話すと、日本食口が泣きながら、ここでもあそこでも皆が、泣いてる人がたくさんいました。
それで日本巡回が終わった後にお父様に行って聞いてみました。
お父様、本当に解放されたときに日本人・・・当時は日本人がたくさん韓国に来て住んでいたじゃないですか。日本人たちのために祈り、日本の人々にそれこそ勧告してくださって、御言葉を話してくださり、愛してくれた例がありますか?と、私が聞いてみました。聞いてみたらお父様が何と仰ったかというと、「事実そうした」と言われたのです。
今日世界…私は巡回をたくさんして見て分かるのですが、世界のどこに行っても、日本食口が本当に先頭に立って、手本となって仕事をしているのを見て私も感動をたくさんしました。それで私がお父様に聞きました。「お父様、日本の食口のために祈れば、熱い涙が流れるのですが、韓国の人たちよりも日本の人々のためにする時、はるかに熱い涙があふれます。」このように申し上げたらお父様は何と仰ったかというと、日本人は自分がないということです。自分がない。ただひたすらみ旨、み旨のために、全体を捧げて投入するのだと言われたのです。
そのためにお金が一銭もなくても借金をしてでも献金するような国の民はいません。韓国人にそのような話をすれば笑います。「何でお金がないのに借金をして献金をするのか」と、しかし、日本人は本当にそうします。そのためにお父様は「日本人には自分がない。本当にみ旨のために差し上げ捧げてももっとしたい。そのような心を持っているため、神様が愛して、あなたが日本人のために祈れば熱い涙が出るのだ。」このようなことを仰いました。
今日それで世界のどこに行っても、ここも日本食口たちが来ていますが、どこに行って見ても彼らが一番手本となる生活を して本当に言い表わ苦労をしながらも苦労と考えずにこれがみ旨をために天の為にお父様のために捧げることであると知って彼らは生活するのです。
本当に見たら、借金が山ほど多いのですが、献金しなさいと言ったらそれでも彼らは楽しい気持ちで率先しているこの民族・・・韓国の人はそのようなことはできません。
ですからお父様は日本の食口を本当にありがたく、感謝に思っています。私が韓国にいるときもそうでした。日本の幹部の女性達が来られたら、パッと行って服も買って韓服も、韓服、私もそれで韓服を借りて着たのですが、全てして下さいます。そのために今日皆様も、日本の食口が韓国に来て苦労するのをありがたく、感謝しながら、一つの志を地上に立たせるために犠牲の財物と共にあの人たちが全ての物を差し上げて捧げて注ぎながらしているというこれを、私たちはありがたく思わなければならないことです。
今日は日本の食口たちは数人しか来ていないようですね。(笑)
うん、そのように生きていかれることを願います。
それで私が今日、最後に一言だけ差し上げます。
今から私たちが知らなければならないことが何かといえば、昔 お父様は、本当にお父様の立場で見たら、日本民族は恩讐でした。恩讐でしたが、しかし日本が敗戦した後には、本当に追われただけでなく、かわいそうに暮らしている(日本)民族のために激励をたくさんしてくださり、祈祷を沢山してくださったので、今日、日本食口が前線に立って自分たちの全てを犠牲にしています。今は韓国食口よりも日本食口の数がはるかにとても多いです。私が巡回をしてみたので分かるのですが。
それで日本民族をお父様が愛してくださった、それだけでなくさらには、その時お父様はこう仰いました。「日本人たちは韓国に来て苦労を沢山しているが、今、本当に真に天の戦いが始まった時は、つまり復帰歴史が始まるその時には、日本の国と日本の国民達が、先頭に立って先頭に立って戦うようにして下さい」と精誠を尽くして祈祷をたくさんされたその歴史を私達は記憶しなければなりません。
日本の多くの若者たちが今どうしていますか。今お父様に永遠の命をかけて忠誠を尽くすのか、私たちはこれを知らなければなりません。因果法則によって恩を返さないとしたらいけません。それだけ日本のためにお父様が誠意を込めて祈祷して下さった故に、今、日本の食口が日本の国が、日本食口が本当に先頭に立って仕事をしています。お父様が国家を超えて神様の心情的な御旨に従って、世界に向かってサタンを本当にどのようにしたのかと言いますと、サタンに勝ったため、国家的な恩讐を愛していく道にお父様は導いてこられたのです。
今日ここにいらっしゃる皆さん。韓国の人は本当にこれに比べたら、日本食口が全て献金し、(日本食口の)信仰に比べたら、私達がしたことは本当に少ないのです。
お父様がそれで仰ったみ言がどの様なことかと言えば、私が「お父様、本当に日本食口のために祈祷されたことがありますか?」と聞いてみたところ、「実際祈祷された」ということです。このような歴史が、これは誰も知らない秘密のような話ですが、そう仰いました。祈祷したという話を聞いて私は日本の食口を仰ぎみて祈る度に、本当に日本の食口のために祈る度に、熱い涙があふれる時が多かったのです。それでお父様に聞いてみたところ何と仰ったかと言えば、
「日本人は本当にただひたすら天の御旨だけのために、韓国人たちを見ては、本当に(韓国人)より先頭に立ってやっていく、そのことを見るたびに、ここにお父様も頭を下げざるを得ない」
という話をされました。
今日ここにいらっしゃる皆さんもそんなことを思って、日本食口が韓国に来てこんなに苦労しながら信仰することを、韓国に来たのが、・・・今は米国ですね。ここで、皆さんが本当に先頭に立って天の前に精誠を尽くしていることを私達が見る度に、貴重に見ながら私たちが祈祷をたくさんしてもっと仕事ができるようにしなければなりません。お父様が日本のために祈祷をたくさんしたということを、皆さんはお父様に本当に感謝しながらありがたくしなければならないことです。
祈祷してくださったから今彼らが熱心にして...私は江利川さんがここに来て熱心に働くのを見て本当に感動を受けて頭を下げました。お父様の御言葉、下さった原理の言葉を中心して、そのごとくに生きると同時にさらにはこの地上に神様の天一国、天一国を成すために気を使われる江利川さんのその姿を見ながら、頭を下げ、誰を見ても私がこの話をしました。どれだけ苦労をたくさんしておられるか分かりません。今も聖殿教会に入って本当に自分の命を差し出したのと同じような苦労の多い生活を今されています。今日私達の胸の底から湧き上がる心情を持って私たちも負けないで本当に戦って勝利できる私たちにならなければなりません。
それで今日私が申し上げたいことは、サタンに勝つことができる、サタンと戦って勝利できる、(ということ)だけでなく、さらに今日私たちが勝利の凱歌を歌うその日まで、歩んで最後に、今日、この統一教会に入ってきた来て辞めた人、10年、20年、30年、30年したらたくさんやめて、入ってきて落ちる食口があまりにも多いのです。
しかし、今日ここ座った皆さんは、ここで出会った縁、ここで切らないで、永遠の世界に行って生きるその日まで。共に残りましょう。共に私たちは残らなければなりません。そうでなければどれほど苦労をたくさんして精誠を尽くしたとしても、途中で落ちてしまったら無駄になってしまいます。ですから終わりまで、本当に神様の不変の心情、それを持って最後まで最後まで、私達は倒れる人にならないで、残って最後まで勝利する私たちにならなかったら、苦労した甲斐がある朝一瞬間にして倒れてなくなってしまいます。
ですから私たちが、・・・この聖殿教会は今ソウルでも大騒ぎです。みな反対しろと、今そうしていますが、私たちは恐れずに、怖がらないで、昔、先知先烈たちが歩いた道は、これよりも更に、刑務所で死んだ人が多く、殉教した人々がどんなに多いですか。それでもみ旨を成し遂げて守ろうと苦労してきたために、今日の私たちもそのような殉教の精神を持って、本当に最後まで耐えて忍んで私たちがこれを勝利していく時にすべてが私に大きなものとなって帰って来るのです。途中で下車したら、どんなに苦労した先知先烈であっても何の意味もありません。
それで、ここに座った皆さんは、私たちが霊界に行っても、本当に共に顔と顔を合わせながら苦労をしながら戦ってきた私たちではないですか?ここに来て私たちがこのように会うようになってどれほど感謝ですか?
できるというこの心を、この心情を、お父様のこの精神を、私達も持つようにしましょう。そして少数の群れがしていますが、今からは本当に伝道して、多くの人にこれを教えてあげないといけません。
私たちは、そうではないですか?
二代王様をお父様が立てられました。悪口をたくさん言われて、二代王様もたくさん言われて、従う人たちも悪口を言われるのです。悪口を言われて、今私したちがついていってますが、本当にお父様は遺言と共にお話しされました。二代王であり、カインとアベルが一つになれなかったことを、カインとアベルが勝利して立つことができるようにしてくれました。
また、更にはこれをどのようにされたかと言いますと、3度もお父様は王様を立てて祈祷されて精誠を尽くして、勝つことができるように全てされましたが、お父様のみ言葉も聞かないこのような時になって、このようなことが起きていることを見る時に、本当に終わりの日が来たのだ、最後の時がきたので、お父様の御言葉もお父様のみ言葉として受け入れず、彼らが別の道を歩いている事を思う時に、今日私たちは本当にこれを、まさにして立てなければなりません。正しく立てて、お父様が話された御言葉でありますので、これを私たちも命をかけて守って戦って本当に勝利して、勝利の栄光を神様にお返しして、真のお父様にお返しして、また、勝利の栄光を私達の二代王様をして地上で王の席で行使して、王の席で役事することができるその基盤を私達が生きてこれを作らなければなりません。
それでこれを作る為に私の情熱を捧げて、内的に外的に捧げても不足を感じるその心を持つ時に、神様は私たちを訪れて役事してくださり協助してくださり、また、私たちを導いて戦って勝利できるその場に私たちを立ててくださいます。その役事を、私達ができるようにたくさん祈祷して精誠を尽くして、誰かの悪口を言うことよりも、本当に成し遂げならない、私たちが大きくならなければならない、私たちがしなければ駄目だというこのような心を持って、このような精誠を尽くす時に神様は私達の味方になって役事して下さり、お父様も味方になって役事を今して下さっています。
それだけでなく、更に二代王様を中心して、ここに三代王権が成し遂げられるようになり、さらに私達が本当に予想できなかった驚くべき勝利の歴史がこの地で今日ここから成し遂げられるように、私達が精誠を一度尽くしてお祈りをささげて私たちができるようにしてみましょう。
祈祷いたしましょう。
1:40:18
ー 祈祷 ー
愛なる天のお父様
今日貴重な時間を私たちに下さり、私たちをして真のみ旨を知るようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。真を本当に理解できず真を踏みにじるこのような時になって、天にましますお父様が心を痛めて、どれほどどれほど苦痛を受けておられるかを考えて、私たちをして、真に神様が私に何を望んで願っておられるかを正しく知ることができるようにしてくださり真のお父様が霊界でどれほど心を絞りながら2代王様に話された内容がそのまま行われるようにして下さいと、どれほど真のお父様が精誠を捧げておられるかということを私たちをして知って悟れるようにしてください。
そして真に私たちをもって、この地で成そうとされた真の二代王としての責任をすべてで成すことができるように導いてくださることを懇切に願います。私たちには何の力もなく、能力もなく、様々なことがありませんが、神様が、生きておられる神様が私達を訪ねて下さり、同行同事同力してくださる時にはできないものがないことを私たちが知っておりますので、天のお父様、本当に不足な私たちですが、私たちを通してこの地上にお父様が成し遂げ望んでいらしたその世界をそのみ旨を成就してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。霊界に行っているすべての霊人の聖徒たちも、今日ここに歩みを合わせてこの御旨に同じ同士となって御旨がなせるよう共にしてくれますことを懇切にお願い申し上げます。
二代王様、お父様が、本当に健康で心と体が一つになった位置でお父様が願われた事を後継者としての責任を全て成されるようにして下さり相続者としての責任を全て成されるようにして下さりお父様の代身者としての責任を全て成されるように、お父様、ともになして下さることを懇切に願います。人が責任として何かをしようとしてなるのではありません。神様が共にしてくださりお父様が共にしてくださりイエス様が共にしてくださり、全霊界が共にしてくださり、更には本当に天のお父様がが望まれて来られた所願でありますから、その通りに成されなければなりません。 全天宙がここに来て共になすことによって、み旨が天で行われるごとく地でも成されるというみ言葉のごとく、み旨が成されるようにしてくださることを懇切にお願いします。
今や、自分たちも知らず、知らなかった人たちが知っていたかのように共にここに向かって訪ねて来ることができる驚くべき勝利の歴史がここに現れるができるようにしてください。私がするのではなく、お父様がなされるので、霊界がなして天宙が一つになってなすことでありますので、神が共になしてくださることを懇切に願います。
今日このように共に私たちが喜ばしい顔をあげて対しながら言葉を交わすようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。
これから私たちをもって、心を尽くし志を尽くし精誠を尽くしてすべての全体を差し上げ捧げ注ぎながら、この道を成就させて勝利できる私たちになるようにしてくださることを信じながら、このすべての言葉を祝福中心家庭康賢實の名前で切にご報告しおささげ申しあげます。アジュ。
さあ今日のお話をこれで終わることにします。ありがとうございます。
ヤコブのような勝利者になりましょう。
康賢實 真のお母様
エルダー部長:はい、それでは、今日は特別に真のお母様が出てこられて、お話してくださります。一度、拍手で歓迎して差し上げましょうか?拍手しましょう。
康お母様:
これをちょっと前に行って、置けばどうでしょうか?(省略)
これをちょっと前に行って、置けばどうでしょうか?(省略)
今から始めますか?はい、わかりました。
ああ、おはようございます。
今日は、韓国語でする礼拝なのですが、私はこのように体があまりすぐれなくて、そうでなければ、立たなければならないのですが、座って、起きてみると痛い所が多くて、うまく歩くこともできなくて、今日はちょっとおかしいので、私が来ながら、
ヨナニムが歌を、賛美歌を歌って、それで私が、今日はヨナニムが(説教を)されたならば、恵みがたくさん満たされると。だから、そのようにしなさいと言ったところ、ああ、私(ヨナニム)も準備もできないので、(説教を)できないと言うではないですか。
だから、そのまま私が出てきたのですが、あ~、年齢というものは、すべてどうすることができず、90を超えたから、このように、本当に心に決めた通りにするということが、これは簡単なことではないのです。それはすべて難しいのです。だから、私はあれこれ考えて、これも持ってきてみて、持ってきたのですが、そのまま、あのみ言を捧げようとして、聖書のみ言を一ヶ所読みます。皆さん、そのまま、ただ聞いてください。
歴代志下16章
16:9主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう
歴代志下9章、歴代志下16章9節にあるみ言です。そこにどのようなみ言が書かれているかと言えば、主の目は、全地をあまねく監察され、心から神様に願う者には能力を施してくださるという、このようなみ言があります。
ところで、また、聖書には、能力を下さる人の中では、出来ないことがないという、このみ言(ピリピ人への手紙4章13節)もあるが、皆さんが聖書の新旧約聖書を見るようになれば、本当にその中には、私たちが考えることができなかった私たちに本当になることができますか?そのような疑心を、疑心を抱いてしまうような内容もありますが、聖書には、そのすべてのことが全て、本当に万事亨通(万事が都合よく運ぶこと)するようになっています。
今日、それで、歴代志下16章9節は、主の目は、全地をあまねく監察され、心から神様に、心を神様に向ける者に能力を施される。このみ言を見ると、本当に私たちが信仰生活を、一生の間してきましたが、本当に私を中心として、私の思い通りに、自分勝手に生きる時がたくさんありました。しかし、その神に私達が本当に心の中から、深い骨の中から、肉の中から、胸の中から、湧き出る心情を神様に向けて、私たちが求めて向かって、私たちが栄光をお返して向かって、私たちが、神様の息子、娘というような心を持つようになる時に、神様は、私たちを息子や娘として受け入れてくださって一緒にしてくださる、このようなことを感じることが多いのです。
そのため、本当にこのような能力を持っておられる神様、私たちが力くださる方の中では、物事はすべて成就されて、万事がすべてここで実を結ぶことができるというこのみ言、一つの聖句と、その次に歴代志下。その次にエレミヤ書23章9節を見れば、エレミア書29章13節のみ言を見ると、あなたが心から私を求めれるならば、私を見つけるであろう。私に会わせてくださる。
今日、私たちは、この時間に神様に会う時間になることを願います。私たちが心から求める時に、片切れの心そのままで何の考えもなく、するのではなく、心を尽くし、思いを尽くして、精誠を尽くして、全ての心を持って、神様に私たちが叫んで、神様に向かうようになる時、どのようになるのかと言えば、あなたがたはありったけの思いで私を探して、探すならば、私を見つけることができ、私に会うことができるでしょう。このような内容もあります。それで、この朝、神様に会う時間!さらには、神様の息子であり。娘であると神様が認めてくださる貴重な時間を持てたならば、というそんな考えです。
今日、皆さんがすべて望むことは、どのようにすれば、神様に会うことができますか?どのようにすれば、私が神様の息子になり、神様の娘になることができるだろうか?これを皆さんは成そうと一生の間に信仰の道を行きながら、これをたくさん望んできた私たちです。ところで、どうすればいいのかと言えば、ありったけの思いをこめてしなければならなりません。全ての心を尽くし捧げて、私たちが信じてきた心を捧げて、私たちが行って、心をこめを神様に向かうようになる時は、神様に会うことができるでしょう。ここには、そう書かれています。心をこめて私を探すならば、私に会うことができる。こうしながら、これは誰の言葉かと言えば、主のみ言であると、このように書かれています。
だから、私たちが今まで信仰の道を歩きながら、神様の声、声も聞いてみる事ができず、神様に会えなかったのですが、今朝、少ない数がここに集いましたが、本当に胸の中の深いところから、湧き出る心情を持って、私たちが神様を探して、また、神様の、神様に私たちの心が向かうようになる時、神様は訪ねて来られて、私たちに会って下さって、会うことだけではなく、さらには、私たちに神様は男性は息子になり、女性は娘として、神様の息子、娘として認めていただく事ができる貴重な時間になることを信じるのですが、今日、皆さんが本当にどれぐらい、全ての心、ありったけの思いというのは、全ての全体の心を、全て捧げるのです。そうでなければなりません。
これは、約50%や、約60%、これを持ってはダメなのです。アジュ。私の全ての心、100%、1000%を絶対的に私たちが信じていくとき、神様はここにやってきて、私たちにあなたは、神様の、私の息子であり。私の娘であると、このように認めて下さる事ができるのですが、私たちが本当に、大統領が私を認めてくれることも、誰かが私を認めてくれることよりも、神様がお前は、私の娘であり、私の息子である、このようにおっしゃって、認めてくださって、是認してくださったならば、これ以上の幸せなことはありません。
だから、私たちがどれくらい神様からあなたは私の息子である、私の娘である、このようなみ言を聞いてみて生きてきたのか、聞けずに生きてきたのか、今日、皆さんが考えて、ああ、本当に私はどの王の息子、娘よりも、私はどの大統領の息子、娘よりも、私はどの(米)千石の大金持ち、万石の大金持ちの息子!娘よりもっと何を願うのか?神様が、生きておられる神様が!さらには、本当に天地万物を創造された、その神様が私の父です。私はその父の息子、娘であるというような信念を、このような信仰を私たちが持って進んで行くときは、ここには、神様が訪ねて来られて、本当に認めてくださるのです。
神様が知っていてくださる、神様を信じてくださる、神様が私たちに、本当に私の息子、娘であるとしながら、満足することができる、この朝になったならば、今まで、神様の息子、娘であり、私自身が本当に信念を持って、確信を持って信じられなかったが、これを私たちが獲得することができれば、とても幸せな日になることができ、ここで本当に神様の、ただ一時的に私たちは神様の息子であり、娘とであるとはされないのです。永遠を中心として創造された基準があったので、私達に一度、神様の息子であり、娘であると印をつけて、印鑑をいっぱい押してくださったなら、永遠にあの国に行く時まで、行く時までではなく、行っても、神様の子女として生きることができる、神様の息子と娘として、認められて生きることができる、そのような貴重な立場に入って行くことができます。
だから、本当に皆さんがどれくらい神様から私は、私(神様)が本当に愛している息子である、本当に愛している娘である。という、この印鑑をもらって、印を受けて、私は生きてきたのか そうでなければ、ただ生きるのに、むやみに生きてきたのか?だから、私たちが生きるとおりに、むやみに生きるのではなく、神様が本当に私たちに訪れて来て、私の息子、娘、私の息子である、娘であるという印を一度、しっかりと押しておけば、あの霊界に行っても。死んだ後で霊界に行っても、その神様もこれは私の娘であり、これはわたしのものである。これは私の側にいる。そうしながら、認めてくださるのですが、今日、私たちがそのように認められても、忘れてしまう時が多いのです。忘れてしまう時が多いので、ああ、私は教会に数十年を出かけて行き、私が信仰の道をたくさん歩いてきたが、本当に神様の息子としての、神様の娘としての道を歩んできたのか?これを一度考えをしなくてはならないと考えています。
なぜならば、今は、私たちが年齢も高く、私はここで私が年齢が一番高いのですが、90を超えて、90が過ぎたのですが、いつも思うのは本当に神様は私の中に来ておられて、私は神様の中で生きるようにしてください。真のお父様は私の中に来られて、私が真のお父様の中で私は自信を持って、神の息子、娘と自分を持って生きるようにしてほしいという気立てを持たなければならないのですが、私たちがそれを忘れてしまって、生きている時が多いのです。神様の息子、娘として生きられず、サタンが好きなことをして、サタンの息子、娘として、私はむやみに行きる時、軽く生きる時がたくさんあるので、この朝、私たちは本当に神様に悔い改める心を持って、私が神様の中で、神様が私の中で一緒に生きる生活をしなければならないと、また、それだけでなく、神様だけでなく、真のお父様が私の中に来ておられて、私が真のお父様の中で一体以上を成し遂げて、どこに持って行って、置いておいても、私は真のお父様の真の息子であり。真の娘である。話をしても、自信を持つことができる私にならなくては、私たちは天国に入ることができません。
ところが、天国入るには要件が多いのですよ。ただ、誰でも天国に送るのではありません。神様が本当に、ここに要件というものが何か言えば、認定を受けなければならない!最初はに誰から、その認定を受けるのかと言えば、サタンが私たちを認定してくれなければなりません。ああ、この人はどこに持って行って置いても、神様の息子であり、神様の娘であって、私のサタンの息子や娘ではありません。そして、認定を与えることができると私とならなければならないのです。ところで、私たちがその認定を今、受けて生きているのか?受けないで生きているのか?これが問題になるしかないようです。
だから、今日、私が聖書の聖句を示したのですが、歴代志下16章9節にも、主の目は、全地をあまねく監察されるので、真心で、真心を神様に向ける者には、ここには、能力を施してくださると書いています。能力を施してくださったなら、出来ないことがありません。できない事がないのです。本当に今日、私たちは能力を与えてくださる方の中で、できない事がないので、私は何でもすることができる能力を今日、皆さんが受けながら、生きたならば、本当に100年にもならない世界が、短い世界、私たちは意味があり、値打ちがあり、やりがいがあるように人生として行かなければならない道を歩いて行くことができるのです。
ところが、人生として歩いて行くことができる道を歩けない時がたくさんあるのです。私たちは、私中心として生きる時が多いです。自分の思い通りに、軽く生きる時が多いのですが、そのような時、神様が私たちの所に訪ねて来られないのです。私たちは本当に私は何もないという謙遜な心を持って、私は不足しているところがあまりにも多いです。ちょっと補って下さなければなりません、という、そのような信仰を持つ時、神様は不足な立場を補ってくださるのです。ところが、そのような考えは一つもせずに、私を中心として、私の思い通りに生きる時が多いので、今日、我々はすべてのことを本当に肯定的に受け入れると同時に、私の思い通りに生きず、神様のみ旨を中心として、神様が願われる通りに生きる、これを今は、皆さんもここで80 80も超えて、70も超えて、60も超えた年齢になっているから、この生きている間に、この不足しているすべての面を補われた立場で、信仰の道を行かなければならないのか?
だから、神の息子、娘になる秘訣はどこにあるのかと言えば、別の所にあるのではありません。サタンに勝つところにあるのです。いつでも、サタンと戦っています。ところで、これを知らずにいるのです。戦うのにも、これはサタンと戦うのか、だれと戦うか、これすら見分けも付けられずに生きている人が多いのですが、今日、我々は本当にこれは何なのか?サタンと、私たちはサタンに勝つ、そのような生活をしなければなりません。
ヤコブですか。イスラエルというその名前を受けた理由はどこにあるのかと言えば、サタンを屈伏させたので、その名を受け取ったのです。ヤコブが本当に長子の嗣業を重要に考えて、神様の血統を重要に、彼は考えました。それで、どのようかとしたかと言えば、まさに長子の嗣業を兄からアズキ粥一杯で、嗣業を買って、兄が殺そうとするから、あのハランの地、母方のおじの家に行って、21年の間に僕の生活をして、もっと外に出て、道を究めた。本当に難しいことが多くありましたが、道を究めたということは、その中で従順に振る舞い、その中で、神様のみ旨が何なのかを見分けながら、彼は生きてきたのですよ。だから、21年の間に、その生きてきた、その跡をこのように調べてみると、誰もできないことを誰が行っていたかと言えば、このヤコブがしたのです。
イスラエルという名前を受けた理由!このヤコブは1代復帰完成者です。1代を、サタン世界で、天の側に移すことをしました。また、さらに、モーセは民族復帰完成者、民族をサタン世界から天の世界に置き換える役割をして、イエス様は世界を、世界復帰完成者の使命を持って、この3人は本当にどのような暮らしたのか?全ての心を神様に向ける生活をしました。今日、私たちは少ないことから大きなことに至るまで、全ての心を神様に向ける生活を皆さんがされたならば、ここに神様が訪ねて来られます。祈りを多くして、たくさんして、そしてなるのではなく、私たちの心構えが全ての心を神様に向ける生活!少ないことから大きなこと、すべてを完全に、このような中心で生活するようになる時、神様訪ねて来られ、一緒にして下さります。
それだけでなく、神様の子女となる秘訣は一言で、み言をしっかりと捧げようとするならば、サタンに勝つ生活をしなければなりません。サタンに負ける生活をするのではなく、サタンに勝つ生活をしなければならないのですが、ところで、サタンに勝つことは、サタンを屈伏させなければならないということです。サタンが私の中に来て、私の前に来て、私は本当に間違っていました。そして、頭を下げながら、サタンが屈服して入ってくることができる、この位置でサタンに勝って、勝とうとすれば、サタンを屈伏をしなければならないのです。今日、サタン屈伏の資格者(?)に、私たちがなって生活するならば、この残った余生を本当に他人が考えることができない、他の人が理解できない立場でも、すべてを勝利に導く生活を必ず、することができるのです。
ヤコブが21年の間に本当に道を究めて、21年以降に懐かしい父母、懐かしい故郷の山河に帰りました。そのように帰った時にどのようにしたのかと言えば、神様が天使を送って、ヤコブと格闘をさせました。相撲をするようにさせたのですが、本当に天使との格闘でとてもヤコブは深刻だったのです。命をかけてしたのです。ただ、したのではありません。昔です。私が日本にいる時に、日本には経済復帰をしなければならないので、難しい日々がたくさんあります。
それで、いつでも、お父様が本当に何を、責任量を全てやったのか?出来なかったのか?このようにみ言を語られる時に、その時にファンファンチェ先生がこのようなことを話しました。お父様、日本は今難しいため、責任量をするのが本当に大変です。このように話をしました。するとお父様は落雷のように叫んで、声を出して叱られたのです。
誰がその事情を知ることができないと言うのか?私が知っていながら、このような話をする時は、ここは、意味があるのだ!
そうしながら、それでも、いろいろと、様々な方法で努力をして、様々な方法で勝とうとしますが、責任量を全て果たそうとしますが、難しいのです。そのように言うと、お父様がどれくらい、どれほど叱られたのか、ファンファンチェ先生が顔を見ると、顔が死んだ人の顔だったのです、死相になっていて、なぜそうなのかと言っても、お父様に叱られて、どうする道理がないのだと。そんな顔をしていたのですが、最後に彼は、ああ、もやってもダメです。どのようにやっても、できません。
そう言ったのですが、その時にそれ何の話をしたかと言えば、命を差し出しておいて、命をかけてやります。このように、このように言ったのですよ。だから、お父様がその時にお笑いになって、オッケー、本当に信仰の道を行くには命をかけて、命を差し出して行ってこそ、その良い天国に行くこともできて、占めることができるが、それをできないようになると、行くことができないのだ!そのように語られながら、命を差し出して置く、それなので、お父様が満足されたのです。
今日、私たちが天国を目標にして行く道は簡単な道ではありません。ここには、どのように行くかと言えば、本当に私の命を差し出しておいて、捧げて、このようにして戦って行ってこそ、勝つことができるのです。そうしなければダメなのです。
そのため、信仰人が行く道は、簡単な道ではありません。聖書にもあります。死ぬほどに忠誠を尽くしなさい、死ぬまで忠誠を尽くしなさい。死ぬまで忠誠を尽くしなさい。死にながらも、忠誠をつくししなさい、それで、私たちは死にながらも、行く道がまさにこの道でした。死んだ後にはもちろん、私たちに天国という貴重な国が私たちを訪ねてくれますが、私たちは死ぬほどに、死にながらも、行って死んでも、行って死ぬように、私たちが忠誠を尽くして、行かなければならない道がまさに信仰の道なのに、今日、皆さんが本当にそのように行こうとするならば、サタンに勝たなければなりません。サタンを屈伏させなければならないのです。サタンが来て、頭を下げながら、間違っていました。あなたは神様の息子、娘であり、私は、この本当にエデンの園でアダムとエバを堕落させたサタンです。そして、自己正体を明らかにして置いて、間違っていたと告白する時に、私たちは、天の側になるのです。
サタンが認めながら、私は間違っている、この人は本当に神の娘であり。神の子です、という、この声を聞かなければならないのですが、ところが、不思議なことに、信仰の道はどうかと言えば、神の息子と娘になろうとすれば、サタンからこの人は正しい人!この人は義人です!この人は天の側に立った人です!この人は、神様のものです!
そして、サタンが領収書を書いて与えなければならないというのです。領収書を受け取ることができないならば、天の国には行けません。そのため、この領収書を受け取るということが、そのように本当に簡単なことではないのです。ヤコブはどのようにしたのかと言えば、ヤボク川で、その神様が、ヤコブが21年の間に道を究めて戻ってきたのですが、どのようにしたのかと言えば、ヤボク川の浅瀬に天使を連れて来て一緒に相撲をさせました。相撲をするのですが、この相撲にヤコブは血統が重要であることを知っていたのです。神様の側に重要であることを知っていたのです。本当に私は正しい道を行かなければならないということを感じたのです。それで、天使と共に相撲をするのに、どのようにしたのかと言えば、天使が非常に力を出して、この手を置きなさい、この手を置きさえすれば、私は勝つことができるから置けと言った時、このヤコブは手を置かなかったのです。最後まで戦うのに、腰骨を天使の腰骨を折ったのです。腰骨を折りながらまでやって、その戦いに勝ったのです。その時の、そのヤコブの深刻な心は、言葉では言い尽くせません。天使は深刻ではなかったのです。ただ、形式的に、儀式的に、きちんとただしたのですが、このヤコブは... 本当に死ぬ境地に入って相撲をしてきたのです。
そのため、今日、私たちもどのような道を行かなければならないのでしょうか? このヤコブ、ヤコブのような深刻な心を持って、私の生活の中で、サタンが、一日も何度も侵犯して入って来て、その時に一緒に戦って勝つことができる、一緒に戦ってサタンを屈伏させることができる私たちにならなければならないのです。サタン屈伏資格者にならなければ、神様の側にも立つことができず、私たちは、天の国に入ることができない、その時は、サタンが私たちに、勝ったという領収書を与えることができないのです。天国に入ろうとすれば、サタンから天国に入るチケットを受け取らなければならないのですが、このチケットをどのように受け取るのかと言えば、サタンを屈伏させる時だけ、受け取ることができます。今日、皆さんがサタン屈伏を屈服資格者になって、サタンが本当に私たちの前に来て、神様の娘です。神様の息子です。私は... エデンの園で誤ってそうしたのです。他の事ではありません。そして、自己弁明よりも本当に、自分の誤りを出しておいて、ここで天使と共に戦ってヤコブは勝ったのです。
今日私たちも天使と一緒に、サタンと一緒に戦って勝たなければなりません。負けてはダメなのです。それで、最も重要なことは何かと言えば、どのくらい私たちがサタンを屈伏させて勝利した勝利者の姿を持って、私たちが信仰の道を行っているのか?このようなことが問題です。これができなくなると、神様は私たちを無視するのです。神様は私たちを、私はあなたを知らない。そして、否定するしかないのです。そうではないですか。聖書にマタイによる福音書7章22節にも私が主の名によって、サタンがを追い出し、主の名によって死んだ者まで生かすような奇跡を...行いましたが、そこにイエスは何と答えるかと言えば、この不法を、不法を行った者たちよ、わたしから遠く離れなさい、わたしはあなたを全く知らない。そのように言われながら、否定したのです。それほど、死んだ者まで生かす、そのような役割をしましたが、神様は知らないと否定をしたのです。
今日、皆さんも同じで、サタンと一緒に戦って勝つ生活をしなければなりません。天使との相撲でヤコブは勝ったのです。それは、ヤコブが神様に代わって、サタンを打つのです。なぜならは、サタンが先に打ったので、ヤコブも打つのです。私たちも同じです。サタンが先に打ったので、今日、私たちの生活の中にもみ言です。サタンがあれこれと侵犯して入って来ます。真の道を作る事ができないようにするのです。今日、この聖殿教会に出て来られる皆さんも、やはり同じようにもここに来るのに、ただ来ることができない!できないのです。本当にサタンと一緒に戦って勝った実績を持って、現れる時に来ることができるのであって、それがなければ、ここでむやみに入って来ることができません。
それで皆さんがこれからはどうすればいいのか。 あ、本当に私がサタンを屈服させた資格者になって万事私の行くところは神に代わってサタンと戦って勝つ私にならなければならないという心を持たなければならないのです。 それだけでなく、本当に神様がこのヤコブを21年間遠回りして帰って来たらああご苦労だった。 よくやったとこのように頭をなでてくれないといけないのに、そのまま天使と相撲をするようにして、それこそ、腰骨を折ってサタンを屈服させたのです。
今日私達の前にもそんなことがたくさんあります。このヤコブはですね。 21年間苦労をしたのですが、もしこの相撲で負けた場合は21年苦労してきたすべてが21年間も築いたすべてのものが一瞬で崩れるのです。 今日私たちの生活のうちの一瞬です。 一瞬で崩れることが多いのです。 瞬間! 1秒間に1分間に全部崩れるようになるのです。とても数十年間に苦労をしてきたのに、この一瞬ですべてを失ってしまって、すべてを崩して、全部が全部折れ曲がってしまったようなことが多いため、その時の瞬間、瞬間が私に近づいた時、あ!これは天の側のことなのか、サタンの側のことかをよく皆さんはこれをよく分別しなければならないことです。 よく分別をして本当に瞬間に崩壊させる私たちにならず、一生の間信仰の道を歩んできたことを保存し、守り、戦って勝利するようなこのような位置に私たちが入らなければならないのです。
ヤコブはどうしたのか。ヤコブは“私は死んでも、私が死ぬことがあっても私はこの手を離すことができません。サタンに対してこの手を放せないのですと言って、離さなかったのです。 だから私たちにもそういう、特に、統一食口はそのように私たちはお父様から育てられてきました。どれほど我々は本当に苦労をたくさんしましたか。 死ぬ境地に入っても、飢えの境地に入っても私たちは何をしたのかというと、本当にそのような場所でも私たちが勝って出たため、やっぱり私たちはお父様が育てて下さったその内容そのまま、お父様が戦ってきながら私たちに教えてくれたその内容通り私たちが受け取り、勝っていく時に我々は、天の側になることができます。天国に入ることができるチケットを受けとることができます。 (拍手)
どれほど貴重なことでしょうか。そうではないですか? これを受けとらなければ、私たちは本当にかわいそうな位置に立ってしまいます。世の中で悪口をいっぱい言われて、本当に統一教の食口だと悪口をたくさん言われてきたのに、今はまた、聖殿食口だと悪口をまたとてもたくさん言われて、人間扱いをされずに来ていますが、今日、我々はどのような立場に入って行かなければならないのか。 戦って負けたら、私は本当に地獄の子になってしまう。負けたら、私が一生の間に歩んできたことが一瞬にして崩れてしまうということを考え、みなさんがそれをよく分別しなければなりません。
もし、私の命を差し出さなければならなかったのです。 昔の言葉で、皆さんがよくご存じの内容ですが、ゴリアテ大将です。 ゴリアテ大将は本当に幼い少年そのダビデが、その大将と戦って勝たなければならないと言って、浜に行って石を拾って、そしてどのようにしたのかというと、その石一つを持ってゴリアテと戦う上で、その石にそのまま糸をつけてぐるぐる回しながら来るから。あ、あれふざけてあの子がふざけているのだ。あの子が今、私をからかおうとしているのではないかと考えて、一つも重要に考えていませんでした。 しかし、彼はその石をペリシテ人大将ゴリアテの額に的中させました。彼はそこでやられてしまったのです。 今日これをめぐって我々が何を考えなければならないのというと本当に、ゴリアテは何ということもない、二十歳にも満たない子供に負けてしまったということです。
私たちも同様にそうすることができる立場に立たなければならないのです。 ゴリアテはダビデが石を回しながら現れたときに、彼は何でもないことのように思いましたが、そこに負けてしまったのです。 私たちも同様に油断しているときに何でもないことだと、そのまま信仰の道を行くのだといいますが、これには本当に命を差し出して、命をかけて私たちが歩まなければ、天の側に神様の息子と娘の立場に立つことができないのです。それだけでなく、さらに私たちが知らなければならないことは、サタンと私は戦っているということをいつも意識しながら生きなければなりません。 それでその戦いには私は決して負けてはいけないという決心をまたしなければならないのです。それだけでなく、サタンが怖くて私ともうこれ以上闘ったらさんざんな目に合いそうだとサタン自身が両手をあげて降伏して、頭を下げて私たちに現れるようになる時に私たちは天国に入ることができる貴重なチケットをサタンから受け取るのです。 サタンから受け取った上で、その次にイエス様からチケットを受け取らないといけないし、お父様から受け取らなければならないし、最後には神様から天国のチケットを我々は本当に受けなければならないのです。
そのためには、私たちはサタンに両手をあげるようにさせなければなりません。 ただやるのではなく、サタンが“私が間違っていました。私はいくら見てもサタンです。あなたは神様の息子です。 娘です。”とこのように証明してくれるその場に私たちが入っていく時に、私たちは本当に勝利した人となることができるのです。本当にその時に神様は私たちを天の側へ立てて下さるのです。それで皆さんも、決して負けないその心を持ってサタンが私たちに降伏することができ、両手をあげて私たちに実に間違ったと言え、サタンに勝つことができる境地に私たちが入らなければならないのです。そのような境地に入るには今日私たちが本当に決意をしなければならないのです。どのような決意をしなければならないかというと、命をかけて戦って勝たなければ、私は生きられないというこのような決意をしなければなりません。 そのような決意をしていくときに、神様はさらに味方になって私たちを守ってくれるのです。
ヤコブは非常に深刻だったのです。
今日私たちも信仰の道を深刻に歩いていかなければならないし、ただ優柔不断に無造作に軽く生きていてはいけないのです。 それで今日朝私が申し上げるのは、このように昔ヤコブ、モーセ、イエス様、天国を得るために探すために彼らはエデンの園から失われたすべての間違ったものをどのようにしたのかというと、そこで勝って出てきました。腰骨を折ったというのは蕩減したということです。 エデンの園で腰骨を間違えて使って堕落したことをここで蕩減していたわけです。 そのため、我々は、信仰の道を行くのに命をかけて、どうすればいいのかというと、闘わなければなりません。
私たち統一教会の食口が、本当にお父様が教えて下さったようにしたなら、我々は勝利しても余りあるのだけれども我々は、そんなふうには生きられませんでした。 お父様のみ言葉をただ聞いて、ただ行ってというようにして生きてきたため、結果はよくなかったのです。 今日私たち本当に統一食口が本当にヤコブと共に、モーセと共に、イエス様と共に一代を民族を世界を全部天の側に立てても余りあるそんな私たちにならなければならないのです。
それで私が今日考えていることは、ほかでもなく、まず皆さんが“私は神様の子供だ、私たちはどこにどのように行ったとしても変わらず、その心を守っていくことができている我々になければならないのです。 それだけでなく、私たちが知らなければならないことは、他でもなく、神様がおっしゃった、お父様がおっしゃったそのみ言葉を私が神様の子供になるためにはサタンに勝利したというそのような立場に立ってこそなるということです。神様に私たちはどのようにしなければならないのかというと、この天国に行くことができるチケットを私たちは受け取って勝利したという立場に私たちが立ってこそなるのです。 地上で私たちは天国に行くことができるという信念と確信を100%100%持って、絶対的な何を持たなければいけないかというと、絶対的な準備をしなければならないということです。 準備なくなされてはいけないのです。 それでマタイ福音5章にも書かれています。
「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう」(5章7節)神様の息子として娘として現れうるあわれみがまさにここにあるのです。天使は深刻ではなかったのです。 サタンらは、天の側に立っていない人たちは深刻ではないのです。本当天の側に立っている人たちは、最後まで戦って天使の腰骨をわざと折ったように、私たちもそういう境地に行かないといけないということを今日この朝、皆さんがちょっと感じてくれると嬉しいです。
私はこれをちょっと考えてみました。 お父様に私は叩かれながらも、どのように耐えて来たのかわかりませんが。(笑い)叩かれました。そうして、一度お父様がおっしゃいました。「 私にぶたれた人、手を上げてみろ」私は一番前に座っていたから手をさっと挙げました。 「そうなぜぶたれたのか。」 そうおっしゃったので、お父様が何かをしろとおっしゃったたのに、私がしなかったら、あーお父様はどれほど腹が立ったのか台所にまで降りてきて、ここ(腕をたたきながら)を叩きました。それで私が殴られました。 殴られて私は心の中で思いました。
再臨主だという方が何をためにこんなに人を殴ってまでこんなに皆に悪いことを見せるかな。(笑い)その時はそのように思ったのですが。お父様が何とおっしゃったかというと、なぜ叩かれたのかというと、(神様を)信じていないその人たちと一緒に仕事するところに行って、一緒に働きなさいということをいわれました。私はそんなことしてみたこともなかったし、(神様を)信じない人たち、たばこを吸って、お酒を飲む人が来て労働しているところで、私もそこに交じってしろというのです。 それで私が私はしませんというと、お父様は本当にできないのか?と言われるので、できませんと言いました。 そうすると私も怖くて台所にさーっと逃げたら、台所にまで追いかけてきて、ここ(腕の所)を2,3回殴られました。どれ程痛いのかわからないよ。(笑い)
殴られてまで信仰の道を行かなければいけないのか。 私はこのようにたくさん考えました。 その時お父様が言った言葉が何かというと、憎くて叩くことはない。本当に実践してそのままなされるときに天の民になって、天の眷属になるためだ。 愛しているから私が叩いたのだ。このようなお話をされたこともあったのです。
そのために万事を私たちは命をかけて、本当に戦って獲得して、戦って勝利して、戦って私たちはサタンを屈服させるこのような信仰を私たちが持っていなければならないと思います。本当に行く道は、人からの試験も多く、神様からの試験も多く、指導者からの試験もいろいろたくさんありますが、そのたびに我々は、あ!これはもちろん、私が誤ってなされているものも多いが、神様がさせてくれたものと思ったら、勝つことができます。 神様がこのようにさせた。そう考えるといいのです。私がそれに勝とうとするとどれほど大変ですか? 大変ですが、神様が私をこのようにしてでも勝利できるようにし、この場に立てたいのだと思ったら、あまり難しくはないのです。
それで私はそんなこと、その勉強をちょっとたくさんしました。 誰かが何かの話をすれば、それはあの人がしている話ではない。神様がさせているのだ! そう考えると私が勝っていくことができたのです。 今日皆様も誰かが皆さんを迫害したり、誰かが皆さんたちにいろいろ問題を起こしたりして、皆さんが心痛いようにするときにその時どのように考えるのか。 神様が私を愛しているから、あのようにさせて、私がこの道を勝利するように、この道を本当にまっすぐ行くことができるようにしてくださる。 こう考えればそれが一つも間違ったものとはならないのです。
だからお父様が困難な道を歩きながらも、イエス様もそうだったですが、恩讐の前に立って、イエス様は何とおっしゃったかというと、私を殺そうとする恩讐の前に立っても彼のために愛する心を持って祈ってくれたのです。 それがどれほど偉大なことでしょうか? 今日私たちも同じように、そういう心を持って、何事にも勝利していくなら、今日、天国はですね。 自然的に訪れるのです。 自動的に訪れるのです。 誰かが天国を送ってくれるのではないのです。 本当に誰かが送ってくれるのではなく、サタンの試験を勝ち抜いて、また、あらゆる困難な過程を私たちが勝ってサタンを屈服させていく時に天国は自動的に私を訪れことができるのです。 それで皆さんは自動的に天国が訪れるそんな生活をしなければなりません。
ゴリアテは本当にサタン側を象徴するいわば共産党と同じです。
しかし今日私たちはどうしなければいけないのかというと、誰が何を言っても、どうしたとしても、戦って私たちが出来るものではなく、本当にイエスや一緒に神様と一緒に彼のためにお祈りしてあげながら祈って。かわいそうに思って祈って、私達が本当にそこで神様に彼らの罪を彼らに返さず許してほしいというそのような心を持って出るときに我々が勝利しているのです。 私たちが勝つのです。
だから今日の私たちは、勝たなければなりません。 サタンを屈服させて勝つことができる我々自身になるべきであり、そのままではいけないのです。 それで私たちがサタン屈服資格者になれるように神様が、イエス様が、ひいてはお父様が私たちのために本当にいいところに送ってやる為にいつも言っていた言葉は、死なずに最後まで生きろ! このようなお話をたくさんされました。 なぜなら死んだらいけません。 生きている時に生きている間に私たちは勝って戦って勝利して、私たちは生きている間に人生として本当に行かなければならない目的達成をみんな行くことができなければいけません。これができなくなるときはサタンに負ける敗北者になるしかないです。
それで私たち聖殿食口も敗北者にならず勝つ勝利者として、堂々としても余りある準備を私たちは今、しなければなりません。
それで本当にお父様が私たちに教えて下さったみ言葉そのままを我々が実践するならば、ここには驚くようなことが現れるでしょう。 それで私たちは、祈る度に神様、私にあるすべてを奪って行ってもいいです。 しかし、私は神様の息子で、 娘だというこの縁だけは切らずに、この縁を結び、我々にとって、その国の主人になり、その国の師匠になることができるように神様守ってくださいという気持ちを持ってくださって信仰の道を勝利しなければいけません。
本当に信仰するということは本当に簡単なことではありません。憎む人がいるが、この憎む人を愛さなければならないといことはどんなに大変ですか? しかし、イエス様も神様もお父様も昔はみんなそうでした。本当に反対する人たちたくさんいましたが、反対する人の子供たちの教育までもお父様は気を使って、私がこれをしなければならないとお父様はおっしゃいながらお金をどっさりくださり、役事をしてくれたのです。 同じく、私たちもお父様のこのようなことができるという気構えを学んで勝ち抜いていく皆さんになるときにここには驚くべき勝利が私たちにやってくるでしょう。
今日皆様に、最後に私が一言申し上げたいのですが、いつであっても命をかけて、深刻な立場で信仰の道を勝ちながら行かなければなりません。サタンと戦って勝って、サタンを屈服をさせてサタンが頭を下げながら、「あー、もういいです。」ということができる立場に入らなければなりません。
昔、お父様は、私がある冊子を通して見た話ですが、どんな内容かと言いますと、8.15解放になった時に、お父様はどのように仰ったかと言いますと、日本の人々をたくさん…日本の警察もたくさん助けてくださったと私は聞いた話もあります。
日本人にはどのような話しをされたかと言いますと、「韓国人は恐ろしいところが多い。だからあなたたちはここにいたらいつ死ぬかも分からないから早く早く日本に帰りなさい。」と。それで早く日本へ帰った人は生きることができましたが、早く帰ることができず、韓国人から殴られて死んだ人たちもたくさんいたのです。そのくらいお父様は日本の食口をとても重要に考えて下さいました。
そしてお父様は最後に、今から日本が敗戦してあんなに可哀想な立場に直面しているが、お父様が何と仰ったかといいますと、いつの日か復帰摂理歴史がこの地に成される時は、日本の国が日本の国民が本当にどうするかと言ったら、み旨の一線で命を出して戦う時が必ず来るだろう。このような心を持って祈祷されたのです。
その話を私が聴いて日本に行って話すと、日本食口が泣きながら、ここでもあそこでも皆が、泣いてる人がたくさんいました。
それで日本巡回が終わった後にお父様に行って聞いてみました。
お父様、本当に解放されたときに日本人・・・当時は日本人がたくさん韓国に来て住んでいたじゃないですか。日本人たちのために祈り、日本の人々にそれこそ勧告してくださって、御言葉を話してくださり、愛してくれた例がありますか?と、私が聞いてみました。聞いてみたらお父様が何と仰ったかというと、「事実そうした」と言われたのです。
今日世界…私は巡回をたくさんして見て分かるのですが、世界のどこに行っても、日本食口が本当に先頭に立って、手本となって仕事をしているのを見て私も感動をたくさんしました。それで私がお父様に聞きました。「お父様、日本の食口のために祈れば、熱い涙が流れるのですが、韓国の人たちよりも日本の人々のためにする時、はるかに熱い涙があふれます。」このように申し上げたらお父様は何と仰ったかというと、日本人は自分がないということです。自分がない。ただひたすらみ旨、み旨のために、全体を捧げて投入するのだと言われたのです。
そのためにお金が一銭もなくても借金をしてでも献金するような国の民はいません。韓国人にそのような話をすれば笑います。「何でお金がないのに借金をして献金をするのか」と、しかし、日本人は本当にそうします。そのためにお父様は「日本人には自分がない。本当にみ旨のために差し上げ捧げてももっとしたい。そのような心を持っているため、神様が愛して、あなたが日本人のために祈れば熱い涙が出るのだ。」このようなことを仰いました。
今日それで世界のどこに行っても、ここも日本食口たちが来ていますが、どこに行って見ても彼らが一番手本となる生活を して本当に言い表わ苦労をしながらも苦労と考えずにこれがみ旨をために天の為にお父様のために捧げることであると知って彼らは生活するのです。
本当に見たら、借金が山ほど多いのですが、献金しなさいと言ったらそれでも彼らは楽しい気持ちで率先しているこの民族・・・韓国の人はそのようなことはできません。
ですからお父様は日本の食口を本当にありがたく、感謝に思っています。私が韓国にいるときもそうでした。日本の幹部の女性達が来られたら、パッと行って服も買って韓服も、韓服、私もそれで韓服を借りて着たのですが、全てして下さいます。そのために今日皆様も、日本の食口が韓国に来て苦労するのをありがたく、感謝しながら、一つの志を地上に立たせるために犠牲の財物と共にあの人たちが全ての物を差し上げて捧げて注ぎながらしているというこれを、私たちはありがたく思わなければならないことです。
今日は日本の食口たちは数人しか来ていないようですね。(笑)
うん、そのように生きていかれることを願います。
それで私が今日、最後に一言だけ差し上げます。
今から私たちが知らなければならないことが何かといえば、昔 お父様は、本当にお父様の立場で見たら、日本民族は恩讐でした。恩讐でしたが、しかし日本が敗戦した後には、本当に追われただけでなく、かわいそうに暮らしている(日本)民族のために激励をたくさんしてくださり、祈祷を沢山してくださったので、今日、日本食口が前線に立って自分たちの全てを犠牲にしています。今は韓国食口よりも日本食口の数がはるかにとても多いです。私が巡回をしてみたので分かるのですが。
それで日本民族をお父様が愛してくださった、それだけでなくさらには、その時お父様はこう仰いました。「日本人たちは韓国に来て苦労を沢山しているが、今、本当に真に天の戦いが始まった時は、つまり復帰歴史が始まるその時には、日本の国と日本の国民達が、先頭に立って先頭に立って戦うようにして下さい」と精誠を尽くして祈祷をたくさんされたその歴史を私達は記憶しなければなりません。
日本の多くの若者たちが今どうしていますか。今お父様に永遠の命をかけて忠誠を尽くすのか、私たちはこれを知らなければなりません。因果法則によって恩を返さないとしたらいけません。それだけ日本のためにお父様が誠意を込めて祈祷して下さった故に、今、日本の食口が日本の国が、日本食口が本当に先頭に立って仕事をしています。お父様が国家を超えて神様の心情的な御旨に従って、世界に向かってサタンを本当にどのようにしたのかと言いますと、サタンに勝ったため、国家的な恩讐を愛していく道にお父様は導いてこられたのです。
今日ここにいらっしゃる皆さん。韓国の人は本当にこれに比べたら、日本食口が全て献金し、(日本食口の)信仰に比べたら、私達がしたことは本当に少ないのです。
お父様がそれで仰ったみ言がどの様なことかと言えば、私が「お父様、本当に日本食口のために祈祷されたことがありますか?」と聞いてみたところ、「実際祈祷された」ということです。このような歴史が、これは誰も知らない秘密のような話ですが、そう仰いました。祈祷したという話を聞いて私は日本の食口を仰ぎみて祈る度に、本当に日本の食口のために祈る度に、熱い涙があふれる時が多かったのです。それでお父様に聞いてみたところ何と仰ったかと言えば、
「日本人は本当にただひたすら天の御旨だけのために、韓国人たちを見ては、本当に(韓国人)より先頭に立ってやっていく、そのことを見るたびに、ここにお父様も頭を下げざるを得ない」
という話をされました。
今日ここにいらっしゃる皆さんもそんなことを思って、日本食口が韓国に来てこんなに苦労しながら信仰することを、韓国に来たのが、・・・今は米国ですね。ここで、皆さんが本当に先頭に立って天の前に精誠を尽くしていることを私達が見る度に、貴重に見ながら私たちが祈祷をたくさんしてもっと仕事ができるようにしなければなりません。お父様が日本のために祈祷をたくさんしたということを、皆さんはお父様に本当に感謝しながらありがたくしなければならないことです。
祈祷してくださったから今彼らが熱心にして...私は江利川さんがここに来て熱心に働くのを見て本当に感動を受けて頭を下げました。お父様の御言葉、下さった原理の言葉を中心して、そのごとくに生きると同時にさらにはこの地上に神様の天一国、天一国を成すために気を使われる江利川さんのその姿を見ながら、頭を下げ、誰を見ても私がこの話をしました。どれだけ苦労をたくさんしておられるか分かりません。今も聖殿教会に入って本当に自分の命を差し出したのと同じような苦労の多い生活を今されています。今日私達の胸の底から湧き上がる心情を持って私たちも負けないで本当に戦って勝利できる私たちにならなければなりません。
それで今日私が申し上げたいことは、サタンに勝つことができる、サタンと戦って勝利できる、(ということ)だけでなく、さらに今日私たちが勝利の凱歌を歌うその日まで、歩んで最後に、今日、この統一教会に入ってきた来て辞めた人、10年、20年、30年、30年したらたくさんやめて、入ってきて落ちる食口があまりにも多いのです。
しかし、今日ここ座った皆さんは、ここで出会った縁、ここで切らないで、永遠の世界に行って生きるその日まで。共に残りましょう。共に私たちは残らなければなりません。そうでなければどれほど苦労をたくさんして精誠を尽くしたとしても、途中で落ちてしまったら無駄になってしまいます。ですから終わりまで、本当に神様の不変の心情、それを持って最後まで最後まで、私達は倒れる人にならないで、残って最後まで勝利する私たちにならなかったら、苦労した甲斐がある朝一瞬間にして倒れてなくなってしまいます。
ですから私たちが、・・・この聖殿教会は今ソウルでも大騒ぎです。みな反対しろと、今そうしていますが、私たちは恐れずに、怖がらないで、昔、先知先烈たちが歩いた道は、これよりも更に、刑務所で死んだ人が多く、殉教した人々がどんなに多いですか。それでもみ旨を成し遂げて守ろうと苦労してきたために、今日の私たちもそのような殉教の精神を持って、本当に最後まで耐えて忍んで私たちがこれを勝利していく時にすべてが私に大きなものとなって帰って来るのです。途中で下車したら、どんなに苦労した先知先烈であっても何の意味もありません。
それで、ここに座った皆さんは、私たちが霊界に行っても、本当に共に顔と顔を合わせながら苦労をしながら戦ってきた私たちではないですか?ここに来て私たちがこのように会うようになってどれほど感謝ですか?
できるというこの心を、この心情を、お父様のこの精神を、私達も持つようにしましょう。そして少数の群れがしていますが、今からは本当に伝道して、多くの人にこれを教えてあげないといけません。
私たちは、そうではないですか?
私たちは、そうではないですか?
二代王様をお父様が立てられました。悪口をたくさん言われて、二代王様もたくさん言われて、従う人たちも悪口を言われるのです。悪口を言われて、今私したちがついていってますが、本当にお父様は遺言と共にお話しされました。二代王であり、カインとアベルが一つになれなかったことを、カインとアベルが勝利して立つことができるようにしてくれました。
また、更にはこれをどのようにされたかと言いますと、3度もお父様は王様を立てて祈祷されて精誠を尽くして、勝つことができるように全てされましたが、お父様のみ言葉も聞かないこのような時になって、このようなことが起きていることを見る時に、本当に終わりの日が来たのだ、最後の時がきたので、お父様の御言葉もお父様のみ言葉として受け入れず、彼らが別の道を歩いている事を思う時に、今日私たちは本当にこれを、まさにして立てなければなりません。正しく立てて、お父様が話された御言葉でありますので、これを私たちも命をかけて守って戦って本当に勝利して、勝利の栄光を神様にお返しして、真のお父様にお返しして、また、勝利の栄光を私達の二代王様をして地上で王の席で行使して、王の席で役事することができるその基盤を私達が生きてこれを作らなければなりません。
それでこれを作る為に私の情熱を捧げて、内的に外的に捧げても不足を感じるその心を持つ時に、神様は私たちを訪れて役事してくださり協助してくださり、また、私たちを導いて戦って勝利できるその場に私たちを立ててくださいます。その役事を、私達ができるようにたくさん祈祷して精誠を尽くして、誰かの悪口を言うことよりも、本当に成し遂げならない、私たちが大きくならなければならない、私たちがしなければ駄目だというこのような心を持って、このような精誠を尽くす時に神様は私達の味方になって役事して下さり、お父様も味方になって役事を今して下さっています。
それだけでなく、更に二代王様を中心して、ここに三代王権が成し遂げられるようになり、さらに私達が本当に予想できなかった驚くべき勝利の歴史がこの地で今日ここから成し遂げられるように、私達が精誠を一度尽くしてお祈りをささげて私たちができるようにしてみましょう。
祈祷いたしましょう。
1:40:18
ー 祈祷 ー
愛なる天のお父様
今日貴重な時間を私たちに下さり、私たちをして真のみ旨を知るようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。真を本当に理解できず真を踏みにじるこのような時になって、天にましますお父様が心を痛めて、どれほどどれほど苦痛を受けておられるかを考えて、私たちをして、真に神様が私に何を望んで願っておられるかを正しく知ることができるようにしてくださり真のお父様が霊界でどれほど心を絞りながら2代王様に話された内容がそのまま行われるようにして下さいと、どれほど真のお父様が精誠を捧げておられるかということを私たちをして知って悟れるようにしてください。
そして真に私たちをもって、この地で成そうとされた真の二代王としての責任をすべてで成すことができるように導いてくださることを懇切に願います。私たちには何の力もなく、能力もなく、様々なことがありませんが、神様が、生きておられる神様が私達を訪ねて下さり、同行同事同力してくださる時にはできないものがないことを私たちが知っておりますので、天のお父様、本当に不足な私たちですが、私たちを通してこの地上にお父様が成し遂げ望んでいらしたその世界をそのみ旨を成就してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。霊界に行っているすべての霊人の聖徒たちも、今日ここに歩みを合わせてこの御旨に同じ同士となって御旨がなせるよう共にしてくれますことを懇切にお願い申し上げます。
二代王様、お父様が、本当に健康で心と体が一つになった位置でお父様が願われた事を後継者としての責任を全て成されるようにして下さり相続者としての責任を全て成されるようにして下さりお父様の代身者としての責任を全て成されるように、お父様、ともになして下さることを懇切に願います。人が責任として何かをしようとしてなるのではありません。神様が共にしてくださりお父様が共にしてくださりイエス様が共にしてくださり、全霊界が共にしてくださり、更には本当に天のお父様がが望まれて来られた所願でありますから、その通りに成されなければなりません。 全天宙がここに来て共になすことによって、み旨が天で行われるごとく地でも成されるというみ言葉のごとく、み旨が成されるようにしてくださることを懇切にお願いします。
今や、自分たちも知らず、知らなかった人たちが知っていたかのように共にここに向かって訪ねて来ることができる驚くべき勝利の歴史がここに現れるができるようにしてください。私がするのではなく、お父様がなされるので、霊界がなして天宙が一つになってなすことでありますので、神が共になしてくださることを懇切に願います。
今日このように共に私たちが喜ばしい顔をあげて対しながら言葉を交わすようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。
これから私たちをもって、心を尽くし志を尽くし精誠を尽くしてすべての全体を差し上げ捧げ注ぎながら、この道を成就させて勝利できる私たちになるようにしてくださることを信じながら、このすべての言葉を祝福中心家庭康賢實の名前で切にご報告しおささげ申しあげます。アジュ。
さあ今日のお話をこれで終わることにします。ありがとうございます。皆さんこんなに来て下さって。
エルダー部長:真のお母様、ありがとうございます。貴重なみ言葉をありがとうございます。そしてもう一度拍手をお願いします。
あ、拍手しなくても大丈夫です。
エルダー部長:本当にありがとうございます。それでは讃美チームが出て今日の讃美をしましょう
家庭盟誓とメシア
康賢實 真のお母様
家庭盟誓に神様と真のお父様の思いの全てが入っているそれをもって苦難においても凡事においても喜び感謝し信念をもって成せば成る、という珠玉の康お母様の御言です。
お元気ですか。食口のみなさん、こんにちは。では皆さん一緒に立って栄光の賜物を天一国国歌を賛美いたしましょう。
お父様に感謝の拍手を捧げながら、席についてください。今日、真のお母様をお迎えします。大きな拍手で私達のお母様をお迎えしましょう。
(姜賢實お母様:照明が眩しくて文字が見えません。もう少し横に行けば大丈夫です。始めますか?)
今日、皆様に申し上げる題目は「家庭盟誓とメシア」という内容をもってお話し致します。まず聖書の一節を読みます。ピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。
神様を畏敬することが人生の根本であり、また、神様に栄華を捧げることが人生の目的であり、次に私たちが神様に帰ることが人生の帰着点ですが、これはルカ福音書15章11節から24節にあるみ言で、今日私が主に考えているのはピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。
1:20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。
これは使徒パウロ先生がピリピ教会の食口達に、教会員たちに語られた言葉です。ところで、昔、お父様が家庭盟誓についてお話をたくさんされました。とても重要な内容として話をたくさんされましたが、今日私がそれに関する内容を少しと申し上げたいと思います。
家庭盟誓は天一国を成す絶対的な基準です。また、憲法と同じものなのです。皆さん世の中で家庭盟誓という言葉を聞いたことがありますか?歴史上初めて出てきた言葉です。太初に神様がご自身の息子であり、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が堕落によって真の家庭を失ってしまいました。したがって、神様はご自身の創造理想を絶対的な基準で成し遂げなければならない摂理的使命のために家庭盟誓を設定して宣言されたのです。
人間がこの地上に本来の理想の家庭である真の家庭の母体を完成して、神様に永遠の喜びをお返しすることができ、また更には、神様を皆様の家庭で直接侍り住むことができる地上天上天国を創造した必然的な道具として祝福をされたのです。
この境地に私たちが入るには、皆様の心と体が完全一体を成して一心一体一念、また、一和の境地まで行かなければならなかったということです。皆さんの主人であり、親であり、師匠として下さった良心の命令に従って、体が100%従順屈服し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して、今日、私たちの人格完成基準が望まれ願われる御旨に合致した位置に私たちが立たなければならないのです。更に、皆さんの家族全てが天の意思を中心として一つになる心身、心と体の統一、父母統一、夫婦統一、父子統一、兄弟統一の基本枠、つまり真の愛の一体圏を完成してこそ家庭盟誓を言う事が出来るとお父様は仰っていました。
それで、家庭盟誓は成約時代を超えて天宙平和統一王国を成す絶対基準であり、憲法と同じことなのです。これからは、世に出るときは一人でするのではなく、家庭が一緒にしなければならないと仰いました。ですから、天の最大、最高の祝福であり、また、そのごとくに私たちが生きることができなければ私達自身の家庭がとても恐ろしい境地に入るしかありません。
それで、本当に今日、私たちは天一国を創建する礎にならなければなりませんが、その為に私たちが真の家庭を成して、更には、天一国の市民権を獲得する道が何かといえば、真の家庭を成すこと、ここにあるということを、私達は考えなければならないのです。それで、お父様は祝福をして真の家庭を成して正しく生きる道を開くために祈祷をたくさんされて精誠をたくさん捧げられたのです。
愛する祝福家庭の皆様、祈祷の中で最高の祈祷が何かと言えば、家庭盟誓です。家庭盟誓は真のお父様の伝承全勝記録です。それで、私たちはこれを常に考えなければなりません。今日この時代は侍義の時代です。それで本当に成約時代の教えを与える法道が何かといえば、家庭盟誓です。家庭盟誓は真の愛を骨にして、真の家庭を心臓として立て、皆さんの人生を神様と連結させてくれるこの脚が家庭盟誓なので、今日、私達はこの法度を守り、このみ言をそのごとく実践する位置に私達自身を置かれなければなりません。
家庭盟誓は縦と横、南と北、更には、前と後を連結する中心に真の愛を置き侍り永遠の球形運動を出発させる、何かといえばエネルギーであり、知恵になるということを私たちが知らなければなりません。
家庭盟誓は天国の門を開く鍵です。天国の門は金や銀で作った鍵を持って開くことができのではなく、何によって開くかというと、真の愛によって完成した真の家庭の鍵であけてこそ、この門は開くとおっしゃいました。ですから家庭盟誓は1節から8節まで、最初に「천일국 주인 우리 가정은(天一国主人、私たちの家庭は)」で始まります。
皆さん、侍義の時代という神様に侍り生きる時代です。聖書のみ言を見てもまず先に、私の神以外に他の神を置いてはならないと言われ、何よりも神様をまず愛して神様の上に何も置いてはならないと仰いました。ですから天地開闢時代である今日は、神様が真の父母の姿として万人の前に顕現する時代です。したがって、真の父母に侍る統一教会の位相は、世の中のいかなる力や勢力と比較できない位相を持っているのです。これと比較することのできない力を持っているのです。
それで今日私たちは、本当にお父様がおっしゃった通りに家庭としての道理を守って家庭としての責任を果たすことができる位置に私たちが立たないとすれば、本当に神様は人類始祖が堕落して以来、初めて真のお父様によって歴史が・・・今、統治されるようになったのです。今日、私達はこの意味を知り、私達が生きなければなりません。ですからお父様は天の血統を持って来られ、世界を天の血統に変える摂理をしておられるのです。真のお父様によって新しい世界に戻ることができる基本が生じ、真のお父様によってサタンを屈服できる内的な因縁が決定されたのです。それだけでなく、真のお父様によって神様を解怨、成し遂げて差し上げることができる中心が決まったのです。
それ故に、真の父母から、本当に私たちは真の父母とともに私達が生き、更には、真に真のお父様から直接命令を受けながら生きなければならない課題が、私達の目の前に置かれています。それで私たちは真に驚くべき時に生まれて、驚くべき恩賜の中で私達は生きていることを、まず神様の前に私たちは感謝しなければなりません。
皆さんが真の父母と完全に一つになる時、皆さんの国家があるのであり、民族もあるのであり、宗族もあるのであり、また更には、ここにどのような役事が現れるかというと、天地に全ての栄光の価値を総合した実体的な基準が真のお父様を通じてこの地上に現れるようになっているのです。
真のお父様は、旧約時代の多くの人たちが行き来しました。ですが、この行き来したすべての人類を合わせた価値よりも、もっと大きくもっと貴重でもっと高い方です。新約2000年の間にも、ここには十二弟子をはじめとして多くの人たちが行き来しました。しかし、行き来した、このすべての人類を合わせた価値よりも、もっと大きい価値を持って現れた方です。なぜかと言いますと、本当に天の血統で世界人類を変えて、天の血統で世界を変えるということは、これは誰もできないことです。
それで今日私たちがこの価値を知らなければなりません。それ故に、真のお父様とともに、私たちが生きなければならず、真のお父様から直接命令を受けて、私たちが生きていくことができる驚くべき恩賜の時代に生まれて、時代的な恩恵を受けて、これをありがたく感謝する心で、私のものと分かって私がそのまま実践していく時に、神様が私達に来られて同行同事同役してくださり一緒にしてくださるということを私達が本当に信じて出ていく時には、信じて出たごとくの実を結ぶことが出来るでしょう。
皆さんが真の父母と完全に一つになって生きるようになる時、ここには本当に言い表す事が出来ない天地の全ての栄光の価値を総合した実体的な基準が真の父母になるのです。真のお父様は、旧約4000年間行き来したすべての人類を合わせたそれ以上、それ以前に行き来した、これらの人々を合わせた価値よりも、もっと驚くべき価値を持って来られました。それだけでなく、更には現在70億・・・私が幼い時は24億人類と言いました。常に24億と言いましたが、今は70億人類とこれから生まれてくる、人類を合わせた価値よりも高い、もっと高くもっと貴重な価値を持っていらっしゃった方です。
40:55
このように私達が信じる時に、事実信じたそのごとくの役事が私達から実を結ぶようになるということも、私たちが考えなければなりません。皆さんがこのような価値を確実に分かったなら、真のお父様を世の中のどんなものとも替えることはできません。皆さんの生命を与えても得ることができない価値の真のお父様でいらっしゃるということを、私達がこの時間また感じなければなりません。
それで私たちが特に知らなければならないことが何かといえば、サタンもですね、サタンが間違いました。暗い世界、地獄の世界を成し遂げましたが、この本当の意味を分かる時どうなるかというと、本当にサタンがこの意味をまさに分かったならば、サタンも両手を上げて自然屈服して来なければならないのです。ですから、ここに神様の祖国、天一国を創建することができる足がかりをなすことができます。
それで本当にメシアになられる方は、自分が良い所に行くために自分が良い席に座ろうと、この復帰の歴史を始めたのでは絶対にありません。メシアは一人、二人を助けようと来られた方ではなく、一つの国二つの国だけを立てるためにいらっしゃった方でもありません。本当に個人から家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙まで、本当に天国の礎をなして、もう一度メシアは「あ~まだ地獄で苦労している人がいる」こんな悲しい責任を責任を負っていらっしゃった方がメシアであります。
それでメシアは、メシアの主人であられる神様を解放しますとするこの責任を持っておられ、天上に天国を成して地上に天国を立てる、この責任を負っていらっしゃった方です。それで2001年1月13日、王権即位式がソウルで行われました。その時神様がその光景をご覧になって、そして本当に今や救援摂理がない程、どこへ行こうと万国の万民すべての民が心の天国を成し遂げて生活の天国を成し遂げて、本当にもう成しました。メシアは天国…それを全て成した後に、メシアは天国の最も高い天の宝座に座られるのがメシア思想なのです。
天地万物を創造された父なる神、私たちのお父様の神様(であるということ)だけでなく、今日この時間私たちは、本当に神様は私の神であるという私の父なる神だとというこの信念と確信を持って私たちが出て行く時、神様は私の神様として私達に現れて来られて、私の神様になって小さな事から大きな事に至るまで役事してくださり一緒にしてくださるということを信じる人たちには、信じたそのごとくの実が必ず実ると信じています。(拍手)
今日皆様、私たちは他の人々と違う道を歩んでいます。統一教会は皆反対していますし、更には今日皆様が聖殿教会(サンクチュアリー)だといえば、皆が歓迎しないで反対しています。この反対を押し切って皆さんは、真の道を行き真の道を探し真の御旨の中で生きなければならないというこの意味を重要視し、皆さんは今日この道に歩み出ています。そうであるならば、本当に私がどれほど厚い信念と確信を持って、世の中の何を払っても変えることのできないこの道と世の中の何よりも貴重な道が、この道だというのが今日私の心の中から、血の中から肉の中から骨の中から染み出るようになる時、初めて神様はここへ来てあなたは私のものであり、本当に私達の父なる神様、私の父なる神様としてお前は私を信じているのだなと、私たちを訪ねてこられると信じています。
それで今日私たちが本当にこのように反対を押し切って来ながら、皆さんの胸の中に本当に言葉では言い表せない喜びを持って、ありがたい心も持って、感謝する心も持って、このように出て行かなければならないのに、まだ私たちは、私がたくさん中心になっています。
私が以前、日本の食口が本当に献金もたくさんして先頭に立って働くのを見てお父様に尋ねたことがあります。「お父様、韓国の人たちのために祈れば、ただ心が痛くて涙が出ますが、日本の人のために日本の食口のために祈れば、熱い涙が溢れます。」そう言った時、お父様は日本の食口は自分がないというのです。
まだ私たちに自分がたくさんあるので、私たちが仕事をしてもうまくいかず、また、信仰の道を行きながらも、疑って私達は真の道を行くとしながらも、なぜか暗い暗雲が私達の前に横たわり行く道を防ぐ場合が多いのです。今お父様がおっしゃったとおり、日本の食口のために祈れば、なぜ涙があふれますか?と言った時に、お父様は日本の食口は自分がない。ただひたすら御旨、ひたすら神様、ひたすら真のお父様、真の父母様、このように考えるので、神はそこに来て役事しないではいられないということなのです。
今日私たちもやはり同様に、そのような信念、信仰、そうすることができる位置に私達が直面するようになったら、神様は私たちを本当に愛しながら訪ねて来て一緒にしてくださり、望まれる御旨を私たちに本当に成し遂げて下さり、実を結ぶことができるように神様が一緒になしてくださることを考えなければなりません。
それで今日、聖書テサロニケ人への第一の手紙にこのような聖句があります。聖書テサロニケ人への第一の手紙5章16節に何と言ったかというと、やはり使徒パウロ先生がテサロニケ教会に送った手紙を見たら、あなた達の信仰を維持して進むには、常に喜びなさいということです。私たちが本当に私は神様の子供で、真の父母が私たちの父母だったということを私達が知って本当に全面的に信じる時、16節に常にあなた達は喜びなさい。喜ぶそこに神様が訪ねてこられると言うのです。そして次に、休まずに祈祷しなさいと言うのです。私たちの生活がいつも喜んで、休まずに祈祷しなさい。これは17節にあります。5章17節にあり、18節には奉仕に感謝する生活をしなさいと仰いました。
今日皆様がどれだけ自分が本当に感謝しながら生きているのか、常に楽しく喜んでとても明るい表情で、本当に神様を呼ぶ時・・・皆さんそうですね。神様というと、なぜだか分かりませんが粛々とします。罪を負ったすべての罪をその前で私達が赦しを受けざるを得ず悔悟をせざるを得ない、このように粛々となるのです。神様と呼ぶだけでも。そうではありませんか?その時私達が本当にどうするかと言えば、神様に感謝しながら生きなければなりません。
どのように感謝して生きるかと言えば、昔の事になりましたが、チョン・ソグォン権士様がいらっしゃったのですが、お父様を本当に好きでした。なぜなら、器量が良くありませんでした。ですからお父様が直接遠慮無く、あのような器量なのに気にもせず追いかけると、そのようにいつもお話をされたのですが、しかし、その方がとても器量が悪いと言われるから、何日か断食しながらお祈りしたそうです。
お父様が私をあのように不細工だと仰るのですが、私はどうすればよいのかと。そうしたところ神様が返事をどのようにされたかというと、器量が良くてもあなたは私の形状であり、器量が悪くても私の形状である。器量が良くても悪くても私の形状からあなたを作ったため、あなたは私の形状に似た私の娘だ。このようにおっしゃったそうです。
それでお父様を見て、その方が話した言葉が何かと言えば、「こんなに不細工だとお父様がおっしゃったので泣きながら断食祈祷をしたら、器量が良くても私の娘であり、器量が悪くても私の娘、器量が良くても私の形状、器量が悪くても私の形状と言いながら、そのチョン・ソクウォンおばあさんに心配するなと仰ったと回答を受けた」と言ったところ、お父様がその人を前に立てました。
立てて一度話をしてみなさいと(仰って)、それで話をしたのですが、私は神様の形状に似た神様の娘です。神様の形状に似た器量が悪くても器量が良くても神様の娘です。神様の形状に似た神様の娘であると証しをしました。
そうしたところ、お父様がどのようなみ言葉を語られたかというと、本当にご名答を神様が下さったとおっしゃいながら言われたみ言葉は本当に今日、我々は神様の形状として作られた神様の息子、娘、ですから神様の息子、娘としたら、世の中では高い地位を持った人の息子、娘だと誇って大騒ぎするのに、私たちは生きている神様の息子、娘であり、その資格を我々にくださり、私たちに、神様の息子、娘と認めてくださり決定してくださって判定してくださりながら探してくださった神様が私たちの私の父神様だということを皆さんが信じて、私がそのことを言ったのは私が悪かったのだ。私は今日中に取り消さなければならない。 そうした時があったのです。
今日皆様本当に父である神様が私の父です。 私の神様というこの固い信念と確信この信仰を持っている時、そこには神が本当に来てくださり私の娘私の息子と神様が撫でてくださってそこに多くの恩賜を施してくださるということであるため、今日この時間皆さんは本当に神様は私たちの父であるということだけでなく、私の父である神様としていて生きて行くことを願います。 本当に今日皆様は、私が神様の息子です。 私が神様の娘です。 こう考える時は、ここには宿縁があるだけでなく、本当に今日この時代に驚くべき恩賜を私が受けて暮らしているというのが、夢かうつつか分からないほどの驚くべきことであるため、皆さんそのみ言葉を聞いて、あー私も私の父である神様というこの信念を今日皆様の胸の中で、心の中で、胸の中で、血の中で、肉の中で、骨の中で! 深く皆さん本当に深いところから生まれる心情を持って神様の方に立つことができる皆様になってくれたらと思います。
それで、あ、そのチョン・ソグォン権士様、1968年度に私たちが2人ずつ組んで伝道をしました。 伝道に送られたのですが、このおばあさんがパゴダ公園で私と一緒に、7年間一緒に仕事をしていた方なのですが、お父様がこの方に特別に何をおっしゃったかというと、伝道に出かけ、かわいそうな人を見た時、病人を見た時、かわいそうだと思ったらお祈りをしてあげなさいというみ言葉をくださいました。
それでこの方は全羅北道井邑に伝道に出ました。 出ましたが、そこにどんな人がいたかというと、中学校の生徒ですが、ハンセン病の患者です。 財産はちょっとあるので、たくさんお金を使い、お金をかけて薬を飲んでも治らないのです。それではどのようにするのか。ハンセン病患者たちが大勢で訪れたそうです。それで、米を一俵、二俵もあげてそうしてなだめて送りました。
そうすると可哀想な気持ちになったそうです。ところで、祈る時に神様この学生、ハンセン病患者の学生の病気を治してほしいという祈祷は一つもしないで、お父様が私を伝道に送るときに何とおっしゃたかというと、かわいそうな気がするならそこで祈ってあげなさいと言いました。 それで私はお父様のみ言葉に従うため私が祈っているだけで、病気を治してほしいとお祈りするわけではありません。と言いつつ、ハンセン病は治ってもいいし、治らなくてもいいです。それには関係ありません。お父様の命令にしたがって私が祈りますから、神様の思い通りになされるままにしてください。そのようにお祈りしました。
そうしましたら、3日が過ぎてから曲がっていた手がまっすぐになりました。 それだけでなく、顔色が真っ青だったのに、赤みがさしてきました。そうして、赤ちゃんまで産みました。今もソウルにいますが、それでその方がこういうのです。お祈りもそれほど大きくもしていないし、別に特別なこともしなかったのに、時間がたつほどに、手もまっすぐになり、ハンセン病で歩くことも大変辛かったのが、まさに歩けるようになり、全部できるようになったという証をする話を私が聞いたことがあります。 お父様が行って、病気を治してほしいとそのようにお祈りしなくて、かわいそうな気がしたらお祈りしてくださいと言われたので、かわいそうな気がして祈祷したら完全に良くなって祝福を受けて一人の息子を生んだのを私が覚えています。
今日そのためにお父様のみ言通りにするようになったら、お父様がしなさいと言ったその役事をするようになったら、必ずそれは実を結んで行われるということをみなさんが信じてくださることを願います。
皆さんを見るとかなり疲れているように見えます。 悪口を言われるので疲れたのかよく分かりませんが、疲れた顔です。 だから今日皆様はここでみ言葉のとおりいつも喜んで、休まずに祈祷して、凡事にも感謝しなさいと言ったのですから感謝する生活をしましょう。
それでいつも楽しく、嬉しくまた、とても明るい皆さんの表情で神様を呼んで本当にお父様を呼んでまた、周りの人のために祈祷してみてください。 友達のために祈って教会のために祈ってまた、教会の指導者、牧師様のために今日皆さんらが祈祷してみてください。
そうすればどうなるかと言いますと、本当に祈祷を受けた人たちが皆様の味方になって、祈祷していた人の味方になって、病気も良くなって、生活も変わってすべてが復活されことができる道が開かれているのです。 私もそのようなことをたくさん見ました。 私は何か病気を治す人でもないですけれど、そのように、心がけ、本当に信念も確信も持って神様が生きていらっしゃるということを信じて祈祷した時には、神様はじっとしてはおられないのです。必ず来て、役事し、協力してくださり、一緒にいてくださりながら、今日皆様もそのような心情を持ってするようになったら、必ずそこには皆さんが考えられなかった奇跡の役事が起こりうるものなのです。
今日、私たちが歩いていく道はそのように簡単な道ではありません。生活が苦しくて心配している人もいて苦境の中で病苦の中でまた、本当にとても自分だけが知っているような厳しい環境の中で、心配の中に積まれている人々がたくさんいますが、私たちが本当に神様ありがとうございますと叫びながら一度生きてみてください。
ただ声を出して叫ぶのではなく、心の中で本当にありがとうございますと。骨の髄までしみるそのような心情でみなさんが、ありがとうございますと叫んだら、感謝することが度々生じるようになります。
私はそのようなことを体験しました。 本当に神様ありがとうございます。
神様、私の中にやって来られて、一緒にいてくださって、私が神様の中で暮らせるようにしてほしいと切実にお祈りしたら、神様の中で暮すことができる道が開かれるのです。お父様が私のところに来て一緒にいながら、私が真のお父様の中で生きるようにさせてくださり、イエス様が私の中に来て、私がイエス様の中で生きるようにしてほしいという切実な心情で皆さんが祈祷する時、心情の変化が来ます。 心に変化が来て変わります。昨日の私と今日の私が完全に変わることができる道が開かれます。
今日皆様が人生路程を歩いて見ると壁にぶつかる時が多々あります。 その時、皆さんは来ることも行くこともできずに、イスラエル民族が紅海を渡る時、前には紅海が立ちはだかっている、後にはペリシテ人軍隊が追ってきて、本当に生きる道が無い時、その時にお祈りする際にモーセが祈る時にどうなりましたか? 紅海が壁のようにちょうど分かれ、イスラエル民族は渡るようになり、その次にエジプト人は水の中に全部沈んでいくようになりました。
私がそんなこと考えたら、神様はあるのもなくすことができ、ないものもあるようにして、死んだ者も生かし、生きた者も殺すこの能力を持った方が神様であるということ。
これを私たちが考えるときに今日皆さんもそうすることができるという信念、そうすることができるという信仰、そうすることができるという気持ちになる時にはここには皆さんが予想できなかった、考えられなかった驚くべきことが起こるのです。
使徒パウロ先生は本当に信仰が厚かったのです。だからその手紙を書くのにもそのまま書くのではなくて、あなたたちはいつも喜びながら生きなさい、休まずに祈祷せよ、凡事に感謝せよと言いながら、説教をし、手紙を書いていたのです。
今日私たちの胸の中にも本当に沸き上がる思い、何かが来て止めようとしても止められない、邪魔をしようとしても邪魔できない湧き出る本当に天に向かう切実な思いを持ち私が生きるようになる時は、ここは万事思いどおりになる、すべてのことが行われて、成されるということを皆さんが信じる心を持つように願います。
本当に逆境の中で、危機の中で、また、病苦の中で、生活苦の中で、脱け出すことができない窮地に追い込まれて生きても本当にその胸の中には神様、お父様ありがとうございますという気持ちで。 それで信仰の道を行きながらも、これはだめだ、これは本当に大変なのだ、これは本当にどんなに祈っても、いくらやってもできないという人は一生をできないという立場で苦しむしかないのです。
しかし、心構えを本当に真っ直ぐにすることでなるようになります。お父様は、それゆえに獄中に六回も無実な立場で獄中に六回も閉じ込められましたが、一度も私を早くここから出てほしいとお祈りしなかったということです。
1秒もお父様は御旨を知って意志を実現する過程で1秒でも、1秒も不信をしたことがないということです。 神様に祈りながら私を出して送ってほしいと言わず、何とおっしゃったかというと、神様心配しないでください。 私は私の行く道を行く人であり、これは私がしなければならない、私が行かなければならない、行かなければならない道だから、私がします。
だから何一つ心配しないでください。とこのようにお父様は六度獄中生活をしながらも、一度もお父様は心が弱くなることはなかったし、できないという不信の中で生きませんし、なるという確信の中で生きてきたのです。
そう、今日私たちもこの王様を本当に立てて、後継者に立てて、相続者に立てて、すべてのことを代身者に立てながら、何かしてほしいとおっしゃった時に、どれだけ神様の胸が痛くて、苦しくて、息が詰まるようなお気持ちだったでしょうか?
本当に私はできるという確信を持ちましたというこのような信念を持っていく際に神様はここに訪ねて来て本当に一緒にいてくださるのです。
今日私たちがその心情を持たなければなりません。 それで、ここにいらっしゃった方たち、韓国人礼拝であるため、もちろん韓国人だけが来ましたが、実にそういう...
その1968年度に2人ずつペアになって伝道に送られた私は全羅南道光州(クァンジュ)に行って光州(クァンジュ)教会を建てました。
そういう時によく伝道できました。人の家で働くその家政婦さんが大学教授を伝道してみ旨の前に立てたのです。
それでお父様は何とおっしゃったかというと君たちがやればできるという信念と確信をちょっと持ってみなさい。あのように人の家で働く人が、大学教授が頭を下げて入ってきながら、あ、私もこの道を今や行かなければならない。 もうこの道で私が死ななければならないというこのような話をしたと言いながらお父様が喜ぶのを私は見たことがあります。
そのため、今日の朝、私たちが考えなければならないことが、この家庭盟誓を私たちはよく守って、実践して、伝えながら、お父様が家庭盟誓を重要に思っておられたように、今日の私たちも重要に考えて、また更にはお父様はメシアの立場におられながらも、どのように考えておられたのかと言えば、地獄にいる一つの生命でも、全て救わなければならないという心情で地獄撤廃書をお父様はお話されたということです。
そのため、今日、私たちの心構えによって、神様が来られる事も、幸せになっていくこともあり、不幸になっていくことも... 幸福と不幸は、自分がすべて作るのです。誰かが作るのではありません。ですから、いつでも幸せな、本当に福の中に生きている人もいるかと言えば、いつでも死んだ立場のような地獄で生きている人もいるのですが、今日、私たちはここから飛び出して、本当に神様が私の生きておられる父だという、この心情一つを持つだけでも、私たちに信じられない役事が起こり得るのです。それで、いつも私たちは喜んで、常にお父様のように本当に100%信じて、絶対的な信仰を持って進み、すでに全て成されたと、すでに全て成されたという、そのような心情を持つ時に、成された結果が、私たちの前に必ず現れることを信じて下さるように願います。「アジュ」
何「はい」という声が一つもないのをみると、一人も感動できなかったようですね。ハハ。(はい、拍手)事実なのですよ。
ああ、本当に今日、今日、私は本当に起きながらも、うまく起きられない、あ、今日は私がみ言も語れないと躊躇して、座っていなければならない、このような考えを持ったのですが、その後に私の心を変えたのです。神様が私と一緒になされ、真のお父様が私と共になされ、霊界が私と一緒になされ、天宙が私と共に成されるはずなのに、私ができないということは駄目だ、話にもならない。神様、一緒にしてくれますように、という心情を持って出てきたのです。私と一緒にいる人が見て、私はこれ、歩くこともできないから、今日は立つ事もできないから、駄目だと言ったのですが、それでも、(出てきたのは)何かと言えば、このように出て来て、皆さんにみ言を語るようになったことを、とてもありがたく感謝してしております。(拍手)
今、望むことは、他のことでもなく、私たちが感謝するという、このみ言、ありがとうございます。5文字にしかなりません。文字は5文字しかなりませんが、本当に私の頭からつま先までの感謝の生活をもって巻き込んで、私が生きるようになれば、どのようになるかとは言いますと、本当に今日、私たちは、神様が生きておられるということを、神様が私と一緒にしてくださることを、私たちは信じることができて、(神様が)一緒になされることができるのです。どの、何よりも生きておられる神様の側に私が立っていて、生きておられる神様が私と一緒に小さなことから、大きなことに至るまで同行同事同役してくださるという、この心情を、私たちが持つようになる時は、力がグングンと出て来ざるを得ないのです。
それで、今日、私たちは本当にみ言がとても多いです。聖書のみ言もあって、原理のみ言もあり、天聖経もあって、たくさんの言葉を持っているのですが、このみ言をもって命を私たちは生かさなければならないのです。この一言で人を傷つけることもでき、傷つけられることもできるのです。言葉、み言で勇気が湧き出ることもありますし、また、私たちの気分もここで左右されるのです。心が揺れる時もあり、心が本当に意欲に燃えて、希望に燃えながら、ああと、本当に私が勝利する生活をすることができるのです。それで、私と一緒に戦って、勝って、世の中と戦って、勝ち、サタンと戦って勝つことができる位置で、神様から認定を受けて、決定を受けて、判定を受ける、その位置で私は本当に神様の側に立った神様の息子であり。神様の娘であるという、この心情を、この信仰を私たちが持って、貫いて進んでいく時にできないことが無いというのです。
それで、皆さん、感謝するという、この言葉を聞くならば、気分が良くなっていくでしょう。聞く者は、さらに、ここに応えようと尽くすのです。それで、上におられる方には、私たちが本当にありがとうございます。下にいる人には本当に多くの賞賛をしてあげれば、ここでどんな役事が起こるのかと言えば、考えられなかった奇跡の役事も起こるのですが、堕落の後孫であった私たちであったので、どんなに本当にそうしようとしても、思い通りにならなかった時がたくさんあります。それでも、そうしなければ良かったのにと思う時もたくさんあるのです。そのため、今からは、私たちはもう少し生活に私たちは、変化を持って来なければならないのです。
どのような変化を持つのかと言えば、本当に今日、私が読んだこのみ言、ピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。
この内容を一言で申しますと、神様に栄華を捧げることが人生の目的であるということです。本当に神様をどれくらい崇められるようにするのか、それでピリピ人への手紙1章20節に、使徒パウロがどのようなみ言を語ったかと言えば、このみ言を語ったのです。
1:20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。
このように、使徒パウロがこの言葉を語ったのです。いつもこのように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。ただイエス様を、主を、本当に尊い立場に立て、主の立場に立てる、この役事に彼は、昔も今も変わらずと行うという、このみ言だったのです。
一言で申し上げるならば、神様が崇められるようにすることが、主が崇められるようにすることが人生の目的であるということ、これを私たちは、私が生きている目的は何なのか?神様に栄華をお返しすることであって、神様を畏敬することは、人生の根本になる知恵なのです。箴言1章7節にそのようなみ言が出てきています。また、今日、私たちは、年齢が皆、高くなっているのです。おそらく、ここで私は年齢が一番高いでしょう。神様に帰るのが人生の帰着点となるのです。今日、私たちは戻って行く時も、神様に本当に戻らなければならないという、この心情を持って、私たちにある、すべての信仰と信念を固め、固め、また固めて、本当にどこ行っていても、ここのみ言、その通り恥じない自分として現れなければならないことを心の中に記憶されることを願います。
それで、今日私がお話したことは、この家庭盟誓をさらに私たちが尊く、お父様のように、いつも家庭盟誓を書いた原稿を持って出て来られて、たくさん読んで下さり、教えて下さり、また、このまま実践しなさいと愛で激励してくださった、その時を考える時は、心がどれくらい痛いか分かりません。
それで、私たちをして家庭盟誓を守る、実践する、家庭盟誓通りに生きる今日の私たちにならなければならず、また、私たちのお父様が、メシアであられるお父様、お父様が本当にご自身が良い天国の上座に座るために、人類を救われる救援摂理の役事を始めたのではなかったのであり、なぜ、されたかとと言えば、一生涯、万国の万民の万の民をして、本当にすべてがよく生きることができる、その世界、皆が本当に、この世の中に生きながら、私は神様を通して、イエス様を通して、真のお父様を通して、世の中に勝ったと言えるような勝利者の姿、勝利者の生活をもって実を結ぶ、今日の私たちにならなければならないと思います。
ですから、今日、皆さんにお話しながら、私自身が感じたことは、私はここに来て、今の片隅で光、光もない暗い場所でも良いのです。どこでも、片隅でわたしをして、本当に今日の万国の万民、そして世界人類が皆入り、世界人類が皆よく生きていくことができる、その世界を作るためにお父様がこの世に来られたのであり、イエス様もそれで来られたのです。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さったので、御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためであるという永生の道理を教えて下さるために、イエスも来られたのです。
それで、世界に、本当に万国の万民、すべてが本当に天国です。
これを、この世界を神様は探そうとされ、この世界を成し遂げようと、また、イエス様も十字架を背負って行かれながらも、本当にご自身の苦しみを考えずに、本当にこの地上に万民をして、意味があり、価値があり、やりがいのある人生として行かなければならない真なる道を行って、痛みのない世界に行くことができるようにしてくれという、このような切実な祈りをすることだけが、私がしなければならないことであることを知っております。
また、本当に生きながら、非常に本当に堕落の子孫であるために、いろいろなことが思いのままにならない時は、苛立ち、胸中も傷つくということもありますが、今からは、これを跳び越えて、本当に父が訪ねて来て、一緒にされているということを、本当にお父様が訪ねて来られて、本当に同行同事同役してくださっているという、この信念の中で、私は祈祷する心情を持って、今日、この世界のすべての万国の万民がすべてよく生きることができる、その世界を、今日、私たちが作ってみましょう。
私たちの王様が王として来られて、本当に役事をすることができ... ある食口が私を見て、言ったのです。
「康会長、今から、王様のために祈りをたくさんしてください。他の人の祈りよりは、私たちの康賢実巡回師様の祈りがはるかに効力を多く現れるようです。祈りをたくさんしてください。」としくしく泣く、その食口がいたのです。
それで私は言いました。「王様は頭から足の先までみ旨で満たされておられるので、本当に神様が願われておられる、またさらに、お父様が願っておられるその世界を、そのみ旨を必ず成し遂げていかれることができます。」と私はその話をしたところ、「アジュ」と言って、そのように喜ばれたことがあったのです。
今日、王様のために、私たちが本当に渾身を尽くして、精誠をたくさん捧げて本当にそのように成されていくことができる役事を作らなければなりません。
私たちの國進様が何と語られたかと言えば、私がですよ、そのキングスレポートに出てくる、そのたびにみ言を聞いたところ「家庭連合のズドン、ズソンと崩れる音が私の耳に聞こえます。」と言われますから私はああ、信仰が本当に良いな、どうすればあのように信仰が良いのか...それで私は「本当ですか?」と尋ねてみましたら「本当だ」と言われるのです。今日、そのため、私たちが全員そのような心を持って、本当に一つになった時に、道行く人も、この場所を訪ねて来なければ我慢できない.. お父様がそのようなみ言を.. 語られました。「天国がどこかと言えば、道を歩いていた乞食もそこに留まろうとするところが、その場所が、言ってみれば天国だ。」このように言われました。ですから、今日、私たちはここに天国を成しておいて、またさらには、全世界の万国に、万民、全国民が皆、天国を成し遂げて置いて生きることができる...私の家庭が、良く暮らさなければならない。私は何、子女が良くなければならない。もちろん、それもしなければなりません。しかし、それよりももっと重要なことが何かと言えば、今日、本当に王様を中心とする、この新しい摂理、これが必ずし成し遂げられてこそ、神様が喜ばれるのであり、イエス様も喜ばれ、お父様も喜ばれ、全霊界が喜びながら、全天宙が喜びながら、一緒にされることであると、私は信じるのですが、皆さんもそのような信仰を持ちましょう。「アジュ!」
本当です。そのような信仰を持たなければならなりません。それで、本当にたくさんの国民たちが自分たちも知らずにこの場所でなければ、生きる道がないという、この道でなければ、生きる道がないという、このような心情を持って訪ねて来ることができる、多くの民が今、蜂の群れのように立ち上がることができるように、私たちは祈りを多く捧げ、精誠をたくさん捧げるようにしなければならなりません。「アジュ」
それで、今日はこれだけお話し申し上げるのですが、私がいつもそうです。この、何、説教をしたりみ言は、心が本当につらいのです。なぜならば、本当に恵みをたくさん与えなければならないのですが、私がそれをできない時はどうすればいいのか?ですから、いつも昔もそうでした。いつもみ言を語ろうとする時は、とても地獄を多く経験しながら、話していたのです。今日も今、恵みにもならない重言復言のみ言を捧げて大変申し訳ありません。
二代王様:ありがとうございます。(拍手)
康お母様:お疲れ様でした。
二代王様:さあ、真のお母様のために大きな拍手を一度送りましょう。ありがとうございます。オモニ、ありがとうございます。さあ、片付けて。祈祷されたいのですね?ああ、「父の祈り」 はい。
お父様の祈り:
不足な私達を受け入れてくださりますように。お父様、多くの群れが、命が性急に、この聖団に集まりましたので、集まった私たちが、父の栄光を代身することができるように許諾してください。喜びの祭壇を代身し、父の心配と苦喪を私たちをして、知ることができるして下さり、父の心情を体恤することができるように許諾にしてくださりますように。お父様は取るに足りないものに対して、信じて下さって、私たちに訪ねて来て下さり、一緒にして下さることをを感謝せざるを得ません。
今、今日まで天が本当に私たちを信じて下さって、また信じなければはならない、その立場に私達を立てて下さったことを、私たちをして、胸痛く思いながら、ここに神様が訪ねて来られていらっしゃいますように。できる私たちになるようにしてくださることを懇切願うものであります。今日、この世の中には本当に不信の群れが多く、逼迫する群れも多くありますが、お父様が彼らの過去の過ちを容認にしてくださりますように。そして本当にこの地上に神様が成し遂げ、願われた世界、そのみ旨を必ず私たちが生きて、このみ旨を成して差し上げることができる勝利の群れにして下さることを懇切に願ってやみません。今日も一緒にしてくださったことを感謝申し上げながら、すべての言葉を真の父母様の名前でお祈りしお捧げ申し上げます。
1956年5月22日にお父様が祈られた内容です。ありがとうございます。
「私たちの真のお母様に大きな感謝の拍手を送ります。アジュ!
皆一緒に賛美の時間がなったでしょう?賛美賞賛される方は出て来られて、今日、我々はいくつか... 少し早く入って行って、キングスレポートの非常に特別なゲストもインタビューしなければならないので、賛美に入って行きます。」
2018年1月24日康賢實・真のお母様のみ言葉
15:00~31:32翻訳:ここからJHON
皆さん、お会いできて嬉しいです。今日は…(マイク設定)できましたか?はい。
今日は数名しか来られませんでしたね?それでも、王様が水曜日礼拝を導きなさいと言われたので、私がみ言に従順であるという意味から、今日はここに出てきました。
聖書のみ言は、ピリピ人への手紙3章20節にあるみ言です。どんな内容かと言えば、わたしたちの市民権は天にある。
今日、皆さんは、アメリカの、とても取得が難しいアメリカの市民権をもらって、ここに来る事ができたと理解しております。ところで、そこにはどのような内容が記録されているのかと言えば、「わたしたちの市民権は天にあるのである。」
今日、皆さんは「天の国の市民権を、私がもらって生きている。」これを考える時、本当に皆さんは重要な位置にいるだけではなく、今日、皆さんが本当に望んで、願ってきた天の国にある天国の市民権を持って、今日、皆さんがここに参加されたと考える時に、私たちは皆、嬉しいのです。
地上で何も知らずに生きる人々が多いです。霊界があるのかないのか? この霊界に対して、この世の中の80%以上(の人)が霊界を知らないで、生きています。また、それだけでなく、霊界を知ってると言っても、それでも、彼らは本当に神様がいらっしゃるのか、本当に霊界があるのか、この確信を持てずに生きる人々が多いのですが、今日、皆さんは霊界があることを、私は知って生きていることだけでも、どれほど幸せな皆さんであるかということを、皆さんは幸福なのかわからないのですが、実際は非常に恵まれた位置に、今日、皆さんは置かれているのです。
私が神様を知って、天地万物を創造された神様を知って、また、それだけでなく、私は死んだ後に行く霊界があるということ、天国があるという、これを私が信じて生きることができる位置に置かれているという、それ自体が非常に福なる立場なのです。ですから、今日、皆さんは本当に自負心を持って、私は本当にあきらかに霊界があることを信じています。
それだけでなく、今後、その霊界に生きておられる神様がおられるところ、私たちの真のお父様がいらっしゃるところだけでなく、イエス様がおられる、その場所に私は必ず入って行くことができますという、この自信を持つだけでも、この信仰を持つようになれば、持つほど、皆さんがその位置に立つことができるということを、皆さんが信じなければなりません。霊界があることを本当に信じている人はどれくらい信じているのか?
私が80%ぐらい何を信じているのか?50%ぐらい信じているのか?30%くらい信じているのか?信じている、このパーセントによって、今日皆さんが信じているその位置に行くことができるのですが、私が願うことは、本当に私たちは、神様は生きておられて、遠い将来、生きておられるその神様と一緒に霊界に行って生きること、これを皆さんが感じるだけでなく、知っているだけでなく、本当に皆さんが実感しながら、これに対する確信を持ってくださったらいいです。
どんな確信?絶対的な確信を持たなければなりません。100%、200%ではなくて、非常に、絶対的に、本当に私はこれを信じています。信じることができる、その信仰を持った方々は、皆さんが望んで、願っていたその位置に必ず、必ず、行くことができることを信じられることを願います。
私が最近はですね、天聖経を読んでいるのですが、その内容を見ながら私が、・・・ここに動画もありますが、一人で話をたくさんします。ああ、このように良い所だったのだなあ!このような所を神様が、本当に子女になる私たちのために準備しておかれた神様であられたのだなあと考える時、その父がどれくらい会いたくて、本当に何かと言えば、その父と一緒に私が、その中で生きて、父は私の中に来て、一緒に住んでいるという自信をもっています。
今日、皆さんも全て、皆さんが... ある人々は皆、このような話をします。「私は信仰がありません」という人々が多いです。「私は天国があるのかどうか、霊界があるかのかどうか、私はわからない」という人々が、私たちの食口の中にもたくさんいますが、ここに対する確信を持っている人々は、これを絶対的に信じている人は、いくら押し出して、手で叩いても、今日ここを離れることができません。なぜ、離れらないのかと言えば、本当に私が知って、本当に私が信じて、本当に私がその中で生きているので、誰が来て何と言っても、私たちは不信できず、離れることができず、行かなければならないのです。
だから、今日、私たちは一緒に行きましょう!天国は皆で一緒に行かなければなりません。一緒に行かなければならないので、みんなで、私たちは一緒に行くようにしましょう。
今ここに来られた... 今日、数名しか来られませんでしたが、皆さんが本当に行く道がそのように平坦な道ではありません。特に聖殿食口は、さらに悪口もたくさん言われて、多くの人々に後ろ指をさされて、また家庭連合の方々から、人としての扱いも受けられず、また、私たちに対して非常にそれこそ、何の信仰もないようなこととして考えられていますが、今日、私たちは、今日、この時間、ここではああ、私たちはそのようではないと、本当に生きておられる神様が、私たちの側になって一緒に同行、同事、同役しているという信念を持たなければなりません。この信仰を持たなければなりません。そうしてこそ、今日、皆さんが信じていた、その位置に行くことができます。今日、皆さんが本当に今まで信じながら、悪口を言われ、皆さんが信仰の道を来ながら、迫害を受けてきたすべてのものがみ旨の中で解かれて解決されるのです。
だから、実際に天国という所は悪口を言われる人が入って行く所なのです。聖書にそのように書かれています。何と書かれているかと言えば、あなたたちが多くの人々から、苦痛を受け、悪口を言われ、違うと言われる、そのような立場に置かれている。手で打たれても心配するなというのです。
「喜んで楽しくせよ」なぜそうなのかと言えば「天の報いは大きい。」このみ言がマタイ5章を見れば、山上の垂訓に書かれています。
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。本当に世の中を生きながら、罪がないという人はいません。皆、罪をたくさん犯して、生きてきました。ところが、その罪をこれが間違いだったなあと考えて、皆さんが深く悔い改めて、深く皆さんが真の涙を流しながら、自白して、深く皆さんが謝罪するようになる時に、その父は全て、皆さんの罪を、私たちの罪を記憶なさらずに、本当に許してくださるということ!
ですから、イエスを信じる人々の大多数がそうです。イエスを信じて、なぜイエスを信じるかと言えば、天国に行こうと信じています。天堂(天国)に行くと信じています。良い所へ行こうと信じています。皆、そのような話をするのですが、クリスチャンだけがそのような話をするのではありません。クリスチャンはクリスチャンなりに、私は天国に行くために信じています。
仏教徒に聞いても同じです。そのお金、多くの仏教徒が何を話しているかと言えば、なぜ釈迦を信じるのか、と言えば、それこそその良い極楽世界に行くと、私は信じています。また、それだけではなくて、さらに儒教人たちの信仰は、どのように話をしているのかと言えば、私は真の人、真人に真人が行っているその道、磨いてきたその位置、道の実を結んできたその位置に行くために信じています。
すべてが信じるのに、目的があります。どこか?天国に行く。その次には極楽に行く。その次には、楽園に行く。また、世の中の人々は、何だと話しているのですか?私は本当にこのように信じて、パラダイス!パラダイスが天国です。そこを皆、目標としながら、信じているのです。
今日、私たちの胸の中にも...私たちは悪口をたくさん言われました。私も実際に既成教会にいる時は、あまり悪口を言われなかったのですが、統一教会に入って来て、悪口をものすごくたくさん言われました。人としての扱いをされずに、まさに蹂躙して、ずっと押さえつけ、罵って、このようにして来ましたが、私は、それでも統一教会を私は心の中で一度も捨てることなく、心の中で一度も悪いと考えなかったので、お父様が私を見て、言われたのです。あなたも統一教会を反対しなかったのか?それで、ああ。私は反対しませんでした。いつでも統一教会、それならば、私の心なのか、神様の心なのか分かりませんが、どのように考えているかと言えば、本当に、本物の、真の道、真理の道、神様が認定する道、神様が共鳴してくださる道であることを私は知って、信じて、一度も私は反対しませんでした。そのように言ったのです。
そうだったのですが、今日ここにいらっしゃる皆さんもその心を持ちましょう、私たちが。
世の中で悪口を言われ、蹂躙され、迫害を多く受けてきて、手で打たれても、私たちの心の中で、本当にこの道は、真の道であって、神様が一緒にされた道であって、この道を通して神様が役事しておられるということを、これは100%、絶対的に、1000%、皆さんが信じて進んでいく時に、この信じてきたすべての信仰が、皆さんが天国に行くことができる材料になります。
天国には誰が入って行くのか?いつも私たちがたくさん聞いたでしょう?為に生きる人々である。犠牲になって奉仕して、受け入れて仕える人々が、仕えることを受けようとするのではなく、仕える人々が入っていく。このように今なっているのです。だから、天国は誰が入って行くのか?自分のために生きた人は一人も入って行けなかったというのです。見たところ。お父様のみ言を見ると、そうなのです。
自分のために生きて、自分のために動いて、自分のために一生を、お金を稼いで、何、たくさん犠牲になって、奉仕をしてきたとしても、自分が入っているので、ダメです。だから、自分を全て捨てて、踏みつけられて、すべてのことを皆、犠牲にして奉仕しながら、生きた人々はどこに行くのかと言えば、天国に入って行くことができるのです。
ですから、今日、私たちは天国に行くのに、このチケットを神様が、何かと言えば、行きなさいとしてチケットを下さるのではありません。このチケットは、どこで私たちが受けることができるかと言えば、天国に行くことができるチケットは一番初めにサタンから受け取らなければなりません。サタンからこのチケットを受け取らなければならないのですが、どのように皆さんが、受け取らなければならないかと言えば、2000年前、イエス様も話しました。サタンが全て嘲弄して、サタンが本当に殺そうとする、その恩讐の前でも、祈りながら平安な心で、彼らのために、彼らのために愛して、彼らのために奉仕して、彼らのために祈って、恩讐まで愛する、その境地にイエス様自身が入って行ったのですよ。それを、万一できなくて、なさらず、イエス様自身が恩讐を憎み、私を殺す者に対して悪口を言って迫害したなら、歴史は変わったことでしょう。そうだったのですが、イエス様自身が敵のために祈ることができる心を持っていたのです。
31:32~45:13翻訳:ここまでJHONここからcham
今日、ですから私たちは生きながら本当に神が認めてくださって、ああ、あなたは本当に天国の民である、そのように生きれば天国を所有することができる、というその場に入って行こうとするならば、犠牲になり、奉仕して、ために生きなければなりません。そうです、お父様がいつも言っておられました。数年にわたって説教されたのですが、私が覚えています。その説教の内容が何かというと、すべてために生きろ、ために生きなければいけないということ、ですから今日小さいことから大きなことになるまで、為に生きる生活をする時に、私たちに来るのは、天国が尋ねて来るようなって、神が尋ねて来られ、お父様が尋ねて来られ、イエス様が尋ねて来られ、全天宙が私たちに尋ねて来ることがありますが、それをできないようにされた時は、いくら自分のために犠牲になり、奉仕し、自分のためにお金を使っていたとしても、これは合格ができないのですよ。
それで私が天聖経を読んでみると、書いてあるのです。お父様も、霊界に行ったとき、神様があなたは地上で何をしてきたのか、そういうことなのですよ。私は地上で多くのお金を使ってきました。もしそうならば、それは合格にならないのです。お父様でもできないのです。そのため、使うには、ために使うようになって他人のためにするようになったらば、これは合格になりますが、自分のために私の名前のために、私の統一教会だけのために使った場合は、これはすべて何にもならないと言われたのですよ。
そのため、今日、私たちは、今朝ひとつだけ学んでいきましょう。何を学んで行くのかと言うと、本当にために生きる生活、奉仕する生活、他人に仕える生活、高める生活!するにおいては、自分のために使えば本当に一つもできないのですよ。だから何かと言えば、本当に国のために、民族のために、世界のために、世の中のために、私たちはすべて心の中から血の中から骨の中から胸の中から染み出るその心情を持って、私たちはお金も使って、私たちが犠牲になり奉仕するようになるときは、そこには非常に素敵な天国が、来るなと言っても来るのだそうです。押し出しても押し出されるのではなく尋ねて来るとおっしゃいました。そのため、どれだけ私たちがために生きる生活をして行くのか?
本当に霊界というのは恐ろしい場所だそうです。
私はそのみ言葉を読んでみて、本当に感動をたくさん受けながら、お父様は人ではないんだなあ、本当に神様のような心を持って生きて来られ、神様の心と同じ生活をされ、神様の心と同じ心で、私達に教育し教えてくださった。ああ、こんなことを考えるときに本当に私は読みながら、たくさん泣きました。世の中にこんな方がおられたのだなあ。
でも私たちはただそれをどのように知っていたかというと、自分なりに考えて分析し、自分なりに何かというと、決定してみたが、分かってみれば、それは違ったのですよ。
今日、私たちは本当にお父様が来られた方だということ、地上でイエス様が責任をすべて果たせなかったことにより、再び来ると言われましたが、もう一度来るとされたその再び来られた方であると、これを私たちは心の中深く考えなければならなりません。
ですから私は、そのみ言葉を読みながら、わあ、再び来られた方に私が会うようになったのだなあ、再び来られた方と一緒に、私たちは、この地上に神様が願われ、ご希望される天国に私が入っていくということを見て実現するために骨を折られ、努力しているか、これを考える時にどんなにありがたく感謝であるかわかりません。
それで、私は地獄というところに行ってきました。地獄、地獄がどんなところであったかと言うともちろん、既成教会員達が知り、仏教家の知る地獄というところは恐ろしいところであり、まさに硫黄の火がごうごう燃える火の淵だと思っておりますが、もちろんそんなことも地獄でありましょうが、地獄はどこが地獄かと言えば、神様が私から離れて(神様が)いらっしゃらないところが地獄です。私が神様の主管を受けることができず、私が神様と一緒に住むことができない、神様からの干渉を受けることができず、神様がさせるとおりにしない、その場所が地獄であることを私はたくさん感じたのですが、それ本当に辛いことなのです。神様が私から離れていらっしゃらないで私の勝手に、私の意のままに、私を中心として、自己中心で生きるならば、いくら世の中で良いことをたくさんして何をしたとしても、天国には行けないようになっているのです。私がそのみ言葉をすべては読めませんでしたけれども半分以上を私が読みながら多く感じたことなのです。
今日、皆さんも天聖経をちょっと買っ、ちょっと読んでいただきたいと思います。その中に全く本当に無尽蔵に深い真理が、み言葉が、宝が隠れているのです。私はそれを読みながら長い間信仰生活をしましたが、感じられませんでしたが、ああ、このようなところが天国だなあ、このようにしないならば、神様に会うこともできず、また、イエス様もお父様も会うことができないということを感じたのです。
それで遠い昔、お父様がいつだったかそのようなみ言葉を語られました。何とおっしゃったかというと、もう、復帰歴史がすべて終わり、人々を皆天国に送って、地獄に行った人々が一人もいなくなったときに、神様も本当にああ私が責任をすべて果たしてこのように皆天国に来たなあ、お父様もそのような心を持って、いざ神様とお父様が再会したときに...お父様がこう言われました。
ああどのくらい世の中で苦労をたくさんしてきたのか?苦労をたくさんしたのか?本当に息子としての責任を果たそうとして他の人が感じることができなかったことを感じて、他の人が知らないことを実践されながら生きてきて、神様がお疲れ様とおっしゃるときに、真のお父様が答えを何と言われたかというと「天の御父様のご苦労と天の御父様が成し遂げておいたすべての役事は、私がしたものの数千数万倍になります。」そうしながらお二人が抱き合われながら本当に握手をしながら「成し遂げようとされたその世界をこの地上に成し遂げられました。探し求められたその世界を見つけました。全地に人類一人も残りなく全員が真の天国で生きることができる全員が地獄のすべてのくびきを脱いで、天国で生きることができるような世界を作り、そのような人々を作り上げました。」としたときにお二人が非常にそこから非常に深刻な、その場面のことをお話しされるのを私が聞きましたが、わあ、本当に天国というのはどんなところなのか?自分がいいところに行き、自分がよく食べ、よく着て、よく生きようとしたということより、本当に世の中に生きているすべての人々が共に万国の万民が皆胸の中に天国を成し遂げ生きることができる、その世界を作り上げたときに、そのみ旨が成されたときに、神様が探し求められた世界が見つかったので、この本然の世界が成されたときにどんなに嬉しく思われることでしょうか?
今日、皆さんも胸の奥深く私は天国の良いところに行かなければない、そのような人は絶対に行けないのです。私は良い天国に私入らなければならない、まあ扶助(援助)をするとか、これぐらいなら私は他人のために生きただろう、このように考えても、自分がそれに入ればだめですよ。自分が混ざればだめなのです。
そのため、非常に絶対的に自分を捨てて、その、そのイエス様もそうじゃないですか。自分を捨てて、さらに十字架を背負って、私の背中に従わなければならないと言われたのと同じように、今日、皆さんもそのような言葉、そんな生活をして、そのような私になったときに、今日、私たちは、この地上に来たその目的は全て成し遂げた位置に立つことができるのです。
この天国というものを説明したのですが、見たら、その世界はどれほど・・・この世界が問題ではありません。ですから皆さんは、死ぬという恐れを一つも出さないでください。なぜそうなのかというと、今後、私たちに近づいてくる世界、これから私が行くべき世界は、この説明では、することができないような素晴らしい世界です。ないものはなく、考えたらすべてが結果としてすぐに現れるというのです。1分、2分に全体がすべて成される世界、私は本当なのか知りませんが、本当にそのような世界が天国であるというそのみ言葉を私は見て、わあ、本当に何、そのように病気になったといって私が死ねば大変なことになるとか、私は薬を飲んだりする必要がないな、今や行くところはこの世界よりは千倍万倍、数千億万倍、もっと良いところが私達のために用意されている。今日その世界に一度行ってみることにしましょう。(はい)本当にですよ。
今日、皆さんがこの聖殿教会に出てきたからと言って、そのように悪口を言われ、皆さんが、私も人の扱い一つ受けられずにいます。
康賢実といえば、誰もが、あぁ、何かというと、お母様を捨て家庭連合を捨て、すべて異端側に行ったと、騒動を今騒がれながら人扱いされないでいるのですが、、それは問題ではありません。私たちは、迫害を受けて、本当に悪口をたくさん言われたときは、真の道を行くときは、その悪口がその迫害がすべて今日、皆さんに天国に行くことができる材料となるものであり、天国に行くことができる内容になるのですよ。
45:13~1:00:45翻訳:ここまでchamここからclean
だから一つも皆さんが心の中で、あぁ、みんな悪口言う道を私が行っているんだなぁ迫害する道を私が行っているんだなぁと考えないでください、もう。本当に良い世の中が来るようになり、霊界はとてもいい所ですが、入る資格を私達が本当に磨かなければなりません。だからどんなに忙しいか分かりません、皆さん。皆さん忙しくなければなりません。なぜかというと、その資格を地上でこれは磨かなければならず、霊界に行ってからは出来ません。地上に住んでいる時に住んでいるところで私がしなければならないため、このようなことをおいて考えるならば、皆さんが欲張らず、意地を張って生きず、本当に為に生きる皆さんになったときに、神様が訪れ、お父様が訪れ、イエス様が訪れて、総霊界が全て訪ねて来て、天宙が皆さんに訪ねて来て抱いて下さり天宙が皆さんに訪ねて来て愛して下さるその世界。
私は、、、時には本当に懐かしい時があります。神様が創って下さった最初の本然の世界が懐かしいです。その世界を私に見せて下さりその世界を私が私の中に築いていけるようにして下さり、その世界が私の世、私の世界になるようにしてください、と祈る時が度々あり、老いたものが時々そんな考えをする度にその私があの御言葉を見ると夜明けの3時まで4時まで5時まで夜を徹してみるときもたくさんあります。嘘じゃないです。これを友美さんが全部見ていますが、この友美さんがいくら私と競争をして自分も寝ずにしなければならないと思ってるようでも、私がそれで聞いてみた。そうではないのかと、そしたらそうなんですって。でも本当にお父様の御言葉は本当にどこかで考えることの出来ない御言葉、どこかで聞くことの出来ない真の御言葉を私たちが知って、また、その次に信じて私たちが実践できる段階に入ったということを胸の中深く皆さん達はありがたい心、感謝の心を持たなければならないのです。そうなったら、感謝したその場その場がまさに私の場所になってそれが私のものになりうるということなのです。
私ももう一生を、み旨のために生きようと苦心しました。苦労もまた多く、そう、お父様が私を見て、康賢実にすまない事が多いと言われました。何をどうしてそうなのか分かりませんが、すまない事が多いが、本当に伝道に行って帰って来ると、その場で何と言われるかと言うと、一晩寝てからそうしない。一時間後におっしゃることもありません。その場で"またいつ行くか?また、出て行かねばならないだろ?"いつもそうでした。それで私が'わあ、あの方はどうしてあんなに私たちが思う、私が世の中の人について考えろと言われれば、本当に別世界で生きているんだな'ということを感じたものです。今日私たちが本当に聖殿の食口達を思う時に私もここに来ながら思う時に、本当に悪口もたくさん言われ迫害を受けましたが、その非難され、迫害を受けた事は、そこに自分がそこにプラスになって自分を中心にやったと言えば、いくら非難され、どんなに迫害されても、何一つ無駄です。本当に真のお父様の御言葉のとおり、為に、天の為に、神様の為に、み旨の為に、民族の為にしたその様な事が価値あるものとして現れ、そこで本当に何かと言えば願いをかなえることができ、私たちが考えてきたすべての全体のみ旨が成就されますが、それがないときは自己中心でするようになる時は一つも効力がないということを私はたくさん...事実そうなんです。
だから私たちは本当にどう生きなければいけないかと言うと、お父様が望みそのみ志のまま生きなければならないのに、本当に一生というのは瞬間なのに、どうしてこの世で私たちがあまり資格があるわけでもないし、何でもない私たちが神様を知り、真のお父様を私たちが訪ねるようになりイエス様と因縁を結び霊界と因縁を結ぶことになり、天宙と因縁を持って暮すことができるこの幸福で貴い位置に私たちを立てて下さったことを考えると本当にありがたく、感謝の気持ちを私たちが持ってこそ...感謝してますか。皆さん。どうですか。ありがたいでしょう?その多くの人たちの中で私たちは本当に天国を私たちが実質的にあることを知り、信じて天国内に入ることができる、そんな資格を私たちが作って暮らすという事はこれはとてもありがたく、感謝することです。
今日、一生私のために暮らすそのような価値のない生活をしないで本当に為に生きて逝く今日、皆様になって、私もそんな風に本当にならねばいけないのに、それが上手く出来ません。出来ない故に'あ、神様そんなに大変ですか。そんなに大変な道ですか。なぜこんなにうまくいかないのか。心からそう生きんとするそのままになされていません'とする時が多々あります。それで本当にそれで今日はお父様がされたその祈祷の内容をちょっと読んでみようと思っています。あれ私が持って来なかったか。お父様がされたその祈祷の内容が、一言一言本当に血と汗とその何かと言うと骨の髄からにじみ出る心情を持って祈祷された時に私もたくさん泣きました。本部教会でお父様が祈祷されながら本当に慟哭をしながらお祈りしましたが、それを本当にお父様のように感じながら生きなければならないのに感じない時が多々あります。
今日皆様もお父様がされたその祈祷の内容これを今、うーん今日何かというと一つも見えません。見えないため出来ません。大丈夫、大丈夫です。大丈夫ですよ。そう、いやいや大丈夫です。今どこにあるのかも分からないね。全部探して来たのにもかかわらず、目がこんなに物体がよく見えません。それで、あ、そうかあまり残ってないなあ、と思いながらそれで、今日出てきました。私が願う事は、お父様が本当に皆さんが暮らしながら、もちろん自分のために生きるなとたくさんおっしゃっりましたが、何を私たちが感じなければならないかと言うと、本当にお父様の祈祷の内容を私が聞く度に何を感じたかと言うと、本当に昔は慟哭をしながら祈祷をされました。
ただ泣きながらお祈りしたんじゃないよ。とても慟哭をしながらこの骨の髄から、肉の中から、血の中から、胸の中からにじみ出るその爆発した心情で祈祷された時が多々あります。その時に共に一緒に泣きながら過ごしたのです。
今日皆様もお父様と同じそのような心情をたくさん皆さんが感じ実践して御言葉通り実践してその様に過ごす時に今日皆様が行けるところは本当に神様が予め準備しておかれた所があります。皆さんのために本当に準備しておいた所が必ずあると知っています。だから私たちは本当にこのように導かれた場所にこの様に今日私たちがたくさん探して願ったその場所、これを探して我々はそこで暮らしている事をありがたく思い、感謝しなければなりません。昔イヨンド牧師という方がいました。金永雲先生もよく知っている方ですが、メソジスト教会で監理師としていた方です。ところで悪口をたくさん言われ、メソジスト教会から追い出されました。追い出されてこのようにしましたが、その方が言った言葉をみるとどうかというと、本当に食べることもイエス、着るのもイエス、お祈りもイエス、望みもイエス、希望もイエス、あまりにもイエスと言って狂って暮らした方がいます。
だからその方のお話を聞くと、メソジスト教会の監理師なのに何かと言うと、その方のお話を聞くとイエスを全く信じなかった人でもその場に来て後で監理師になった人がたくさんいます。その場に来て信じて、まるで新しい人になって帰って行くような人たちがたくさんいます。今日皆様も真の人になり、まっすぐに生きて私たちが行かなければならないでしょう。そのまま何かというとサタンが讒訴できる、サタンがあの人は駄目ですと言える、そういう位置に入ってはいけないんです。全てが皆、神様から私たちは本当に決定を受けて、どんな決定、天国に入ることができるという決定を認定を受けて決定を受けて判定を受けて、本当に天国に入ることができるチケットを我々が受けても残ることの出来るその様な位置に今日我々が入ることが希望であり、また更にはそれを私たちに要求して願われているので、今日私たちは私を全て踏みにじって私は何もありません。本当に私を通じて神様のために生き、また、すべての人たちの為に与えることができる自分になるために努力をたくさん一度やってみましょう。
出来なくても私たちが出来ないと考えずに、私たちがやっていく時にここに驚くべき奇跡の役事が必ずあると私が知っています。なぜかというと、ここに今、今日来られなかったんですが、協会長だった方の奥さんいるじゃないですか。美穂さん!美穂さんが、彼女は私たちを一度招待しました。自分の家に。招待をしましたが、ビビンバをとてもおいしく作ってくれて韓国人十五人ぐらい頂きました。誰でもができないんです。十五人ぐらい招待をしてとてもおいしく昼ご飯を、夕食だったか、それをそこで食べたんですが私が言いました。今日こんなに牛肉にキムチにおいしい物をとてもたくさんしました。それで"まあ今日こんなにお金をたくさん使って月給を全部使ったんじゃない?"私がそう言ったら、彼女が何と話したかと言うと,"いいえ。今日、私が本当にそんな風に望んだわけではありませんが、使ったお金の何十倍を神様が全部下さいました。"それで惜しい思いでするのではなく、本当に為にする心をもってもてなして、為に思う心を持って愛する心を持ってしているのを見て、日本人なのにすごい方だという事を感じました。
1:00:45翻訳:ここまでcleanここからjongjong
今日、我々は陰にある隅で光もなく、名前もないそこに本当に為に生きる生活をして私たちに、神様が為に生きることができる、神様が私たちの為にしてくださって、お父さまが本当に有難く、そして立派で、貴重で、訪れてくださるイエス様が本当に一緒にできるそんな生活を私たちがするときに、全てのことに、小さな事から大きな事に至るまで神様と真のお父様とイエス様と全霊界が私たちとともに、同行、同事、同役してくださるのです。やることごとに役事してくださり、やることごとに干渉してくださり、やることごとに主管して下さるというこれを知って、神様に記憶していただける今日の私たちになりましょう。(拍手)
神様が記憶してくださらなければなりません。今日皆様、他でもなく、神様が私たちによくやったと言われ、資格があったと言われながら、本当に苦労したと言われながら、その遠い未来、神様とお父様にお会いしてお互いが本当に苦労したと、父は息子を前に苦労したと言い、息子は父に本当に、本当に苦労しましたと言うときに、その場がどのような場になるかというと、本当に慟哭の場になって、その場が本当にこの地上に本来の世界をなし、本来の人間を作っておいたときに、そのようなことが起こるだろうということです。
今日私たちがまた、本当に為に生きるその心を持って暮らせるようになったら、地上に良いことが起こるのです。そういうことが起こるのです。ところがこれを感じずに生きていくことが多いのです。これを一度感じてみて思った通りに実行しながら、実践するだけでなく、本当に私たちのその働いてきた全体本体になって私たちが光を放つことができる発光体にならないといけません。
多くのところを明るく照らすことができる発光体になって、神様を喜ばせて、私たちは真のお父様を喜ばせて、イエス様を喜ばせて、ひいては、私たちが嬉しく思わなければならないことは何かというと、本当に今や王様を立てて、王妃様も立てましたが、これから私たちが考えるときは、不可能なことだというのが不可能なものではなく、すべてのことが可能であり、実を結んでいるということです。実際にすべてがよいこととして現れていることを見る時に、天が本当に役事しており、神様が一緒になさるということを感じました。
今日皆さんまた、何を感じなければならないのかというと、私の中に神様がいらして、神様を本当に皆さんが感じながら生きるのではなく、知って生きなければならないし、またそれだけでなく、私たちが為に生きる実を結ぶことのできる、為に生きる実践の実を結ぶことができる今日の私たちになるときに、ここに良い歴史が必ず現れて成し遂げられるということを皆さんが記憶されることを望みます。
それで今日私が本当に、・・・人々は行ったり来たりするのです。礼拝もなく、行ったりきたり、していて、私はお父様のそのみ言を見ながら何を感じたかというと、まあ、お父様が本当に、本当にイエス様のように復活して出ていらしたらたらいいなあ、復活してくださったらいいのになあというようなことを考えました。一句一句すべてみ言葉を話して…本当にそのようにみ言葉を語られたことにとても感謝しました。
同様に今日皆様もみ言葉の実体になりましょう。(はい)。み言葉の実体になってこそ、本当にエルダーさんが話したようにこれをはやく、はやくにこの戦いが終わり、母と息子との戦いが終わって、この地に万国に万民の心の中に本当に神様がつけてくれたその本来の人間を自分の中で探さなければいけません。私が実践しなければならないし、私が行くところにはそこを満たすことができるそのような境地に入った場合は、この天国が早く来ると思います。
それで私たちは天国に行きたいと努力しないで、何をするのかというと、天国を本当に伝えることのできる私たちにならなければいけないと思います。天国を作っておくことができる我々になって、私たち聖殿食口たちが行くところにくまなく、ここには人間たちが想像できなかった天国の世界を想像して、暮らせる世界人類を私たちはみな作らなければいけません。それで万国の万民全部が、神様が初めに建てたかったその本来の人間に帰って、神様にお父様にイエス様に本当に喜びをお返しできる今日の私たちにしてくださいと申し上げました。
それで祈祷を一度を差し上げましょう。これはお父様がなさったお祈りです。これいつしたものかというと、1950年度に祈祷されたみ言葉です。
愛するお父様、私たちに残された...これではないみたいですね。
翻訳ここまでjongjong、ここから最後までMinion
報告祈祷
お父様、天倫の全体摂理を導いてこられたお父様の前に主管を受けることができる私たちになるようにしてくださり、全ての地上の人類が、全ての地上に万国の万民のすべての人類が、創造してくださった最初の姿を心に成して暮らすことができる力を私たちに許諾してください。私たちは虫よりも劣る何もできない私たちでしたが、私たちの中に神様が来て一緒にしてくださり、私が神様の中で生きるようになる時、ここに驚くべき奇跡の役事を起こすことができるためお父様は本当に私たちにきてくださり一緒にして下さい。
昔お父様が御言葉を語られる時、どれほど有りったけの力を尽くし、精誠を尽くして御意を尽くして語られるので、背広の上着が水をこぼしたようにびっしょり濡れて干さないと着られないほど、お父様は血と汗と涙をまた、そのすべての精誠を尽くして、今日私たちに注いで下さいましたので、私たちは本当にありがたい心、感謝の心を持って、残してくださったこの御言を実践してもあまりある、残してくださったこの内容をこの歴史を万人にすべて伝えてもあまりある驚くべき恩寵をここに与えてくださり注いでくださり満たしてくださるよう、お父様切にお願いいたします。
今日この席は韓国の方たちが中心となった席でした。お父様はどの国の人よりも韓国人を重要に考えられて韓国人を中心として、お父様の役事を多くしてこられましたが、私たちはお父様が望み願われるように生きることができない時があまりにも多かったです。
許してくださり、この時間もお父様がどれ程気を揉みながら望まれる内容があります。このお父様が望まれるみ旨とお父様が成そうと願われた内容の役事が一日も早くこの地で成し遂げられるようにして下さることを切に切にお願いいたします。
そうしようとするなら、今日私たちはお父様の前に真の孝子になり、孝娘となり、忠臣になり、烈女にならなければなりません。それで私を全て捨ててひたすらお父様が願われた望まれた我々自身をこの地で成し遂げて作って行くことができる私たちにして下さることを切に切にお願いいたします。
今日このように少数の群れが集まりましたが、本当に一分でも心の中の隅で神様の相対になれるし、お父様と一つになることができる心の座を持つ方がいるとするならば、その方を中心にしてこの地の上には新たな復興の役事が新しい火の役事が新たな奇跡の役事が起こることができるようにお父様が助けて下さることを切に切に願います。
御旨と愛が私達と共に一緒になって、私たちの二代王様また、カインとアベル三代王権を中心として、成し遂げようと願われたすべてのみ旨が成されるようにしてくださり、今お父様、(二代王が)外出中ですので無事にお父様、ここに帰ってくることができるよう共にしてくださり、今、聖殿食口たちをもって、本当にこの時に私の責任が何かを知って責任をはたすことができる私たちになり、私たちに本当に来て下さり共にしてくださることを信じておりますので、共にしてく下さることを懇切にお願い申し上げます。
み旨と愛がとこしえに今日私たち全世界にいる食口たち全世界にいるすべての人たちに祝福して下さり本当にこの地が、一日も早く天国になるように役事して下さることを切望して望みながらこのすべての言葉を祝福中心家庭康賢實の名前で切に報告し祈祷申し上げます。アジュ。
(エルダー本部長:お母様ありがとうございます。)
お母様:はい、ありがとうございます。
(エルダー本部長:拍手を、拍手でお礼申し上げます。)
康お母様:拍手することもありません。ただそうなのです。
とにかく私たちがよくして、神様が助けざるを得ない、真のお父様が助けざるを得ず、霊界が助けて、天宙が一緒に出来る、今日私たちになるために努力をたくさん・・・、ところでこれは為に生きる事は私が努力しなければならないのです。私が全てしてこそ、ただ座ってその世界が来てみ旨が成されるわけではないので、私たちがじっと座っていないで本当にしなければならないことをしてもあまりある私たちとなっていきましょう。
(エルダー本部長:わかりました。ありがとうございました。もう一度拍手を送りましょう。)
康お母様:拍手はすることはありません。
(エルダー本部長:お母様がおっしゃるように、私たちは天国に行く天国に行く、このような考えはしないで、私達が天国をこの地に作っておく、このような確信に生きなければなりません。お父様が昨日…)
1:16:12
(この後、康お母様のお話しが続いたようです。)
み旨に狂ってこのように通過する時に、神様が役事してくださいます。真のお父様が役事してくれました。
どういうことかといえば道端で人相を見ているおじさんが私に何と言ったと思われますか。私がただ道を歩いている時にした話ですが、「あなたは大真理を所有していた人です。」ですからびっくりしました。まあ,あの人と私は何の縁もないし何の関係的な知り合いでもないのにどうしてあんな話をするのだろうか。「あなたは何を持っているかといえば、あなたは大真理を所有している人です。」そう言ったから私がびっくりしたことがあります。
また、一度は道を歩いていたのですが、道端でサツマイモを売って座っていたおばさんが、私を見てまたいう話が、どんな話をしたかと言えば、「あなたは今歩いていますが歩いているのではありません。私がじっと見たら飛行機のように飛び回っています。鳥のように飛び回っているようです。もしかしたら、その足の動きが本当に人が歩くのではないように見えます。」このようにおっしゃっいました。
その昔、どんなことがあったかと言うと、お父様が私を見ていつもそうでした。ちょうど伝道に出ようと、どれほど大騒ぎして悪口を言って、まさにこのようにしたのです。そうしたのですが、お父様がおっしゃるお話が、どうしてまた出なければならないのかと言いながら、お話しを何故されたかというと、そうしてこそあなたにも道が開かれるが、さらには世の中が変わるというのです。世の中がどのように変わるのかと言えば、昔にそうでした。
どういうことかと言うと、世の中がどのように変わるかといえば、本当にそんなに叱られることによって、ある時は殴りながら大騒ぎしました。それで内心はこう思いました。アア、再臨主と言いながら、人を殴るのか。私がそんな言葉、そのような心まで抱いたのですが、今大騒ぎしたことは他でもなく、本当に忙しいのです。今一日にも、多くの生命が死んで行くのに黙ってただ座っていていいのか?今日私たちもこの切迫した心をちょっと持たなければなりません。そうしながら、伝道に私を送っておいて、どれほど祈祷ををたくさんして下さり精誠を尽くしてくださった事を覚えています。
今日皆様が本当に他の人がすべて証ししてくれる、その、さつまいもを売っていたおばさんも証しして、ある時は食堂の隅でとてもお腹がすいてラーメン一杯を買って食べたのですが、後で見たらラーメンのお金を出したそうです。誰が出したのかと言ったら、知らないと、あの隅に座っていた人だと。食事代も払わないそういう役事が起こりました。
ですから、神様の記憶に残る私達にならなければいけません。神様が手伝わざるを得ない、共にせざるを得ない、私たちになった時は、ここには本当に考えられなかった奇跡が起きます。一度そんな奇跡を起こしてみましょう。(はい!)
エルダーさんしか「はい」と言う人がいません。他の人は「はい」と言う人が一人もいませんでしたね。(はい!)そうしましょう。(大勢で:はい)
本当にそうすることができる時がもう近くに来ました。時がもう近くに来たので、近い時と私達が本当にぴったりと一致しなければならないから、そのように一度生きることができるように努力いたしましょう。(はい)ありがとうございます。はい。
1:21:28
_________________________________________________
0 件のコメント:
コメントを投稿