-
令和になって振り返る「昭和の」切符コレクションetc.⑤(番外編)
本日、これに乗って、ここ行ってきたので更新遅くなりましたさて私のテツコレ、最終回は駅弁の包装紙前も書いた気がするんだけど、昭和の時代の駅弁で「煮カツ」というのはレア中のレア。今だとコンビニでもフツーに売っているけど、「冷めているの前提」の駅弁でこれはチャレンジだった。このときは「18きっぷ」で大阪から函館行くというチャレンジ旅で、これ買うために復路をわざわざ東北本線経由にして福島駅で途中下車しました...
-
令和になって振り返る「昭和の」切符コレクションetc.④
第3セクターに転換した上でなくなった路線もある(高千穂線)硬券入場券コレクションの後編。札幌と四国の各駅は知り合いのお土産。路線としては後に全部乗車しているけど、駅として降りたのは札幌・松山・宇和島・琴平だけか。昭和57年8月1日の美濃太田は部活の合宿で越美南線(現在、長良川鉄道)乗ったとき。このちょっと後に特急「ひだ」との行き違いを写真に収めて、振り返ると乗るべき車両のドアが閉まっていて、あわてて乗...
-
令和になって振り返る「昭和の」切符コレクションetc.③
駅弁包装紙保管はテツにとって当たり前の行為です。初めて国鉄の硬券入場券を買ったのが多分中学2年生の時。10月に叔母と正倉院展に行ったときに買った奈良駅が最初。この昭和54年から一年間は出かけるたびに途中下車して入場券を購入しまくってました。昭和54年の11月24日、尼崎・立花・西ノ宮・芦屋と買ったときは、芦屋の親戚のところに一人で行くのに、途中下車を繰り返し、私がいつまでたっても来ないので心配されました。硬...
-
令和になって振り返る「昭和の」切符コレクションetc.②
「上野発の夜行列車」のその先国鉄がなくなりJRが発足したのが昭和62年4月1日その年にJR東日本が発足を記念し、土日限定2日間有効でJR東日本エリア乗り放題一万円という切符が期間限定で販売されました。それが、この「EEきっぷ」2日間有効でしたが、夜行列車については日付を跨いでもOKで、当時まだ運行していた夜行急行アルプスを使い、金曜の深夜から月曜日の明け方までとフル活用しました。この切符の凄かったのは新幹線...
-
令和になって振り返る「昭和の」切符コレクションetc.①
我ながら「物持ち」が良い小学校の低学年から多趣味で収集癖のあるガキだったワタクシ。もちろん、「その道の大家」である著名な方々には及ぶべくもありませんが、それでも当時集めたものは結構大事に保管してあるほうです。今回は、そんなコレクションの中から、「昭和の時代」に集めたものを一部公開。第一回は「記念切符あれこれ」トップ画像にも出した「さよなら京都市電」これは、自分で買ったのではなくて親父からのプレゼン...
-
「失われた鉄道風景」写真館⑦ 昭和末期の私鉄(西日本編)
阪急6000系はもちろん現役ですが、入線する駅は須磨浦公園、よって、この風景も今では見られないものです。さて、今回は私鉄の西日本編。私にとっては生活エリアでしたので、先に紹介した近鉄、京福(叡電)、別府鉄道を除いても写真はたくさんあります。桂駅を出発する嵐山行き1300系。2013年に登場した阪急の新型車両の系列番号は、5桁にせず、空き番になっている1000系への回帰となりました。東では東急も若い...
-
「失われた鉄道風景」写真館⑥ 昭和末期の私鉄(東日本編)
東急の旧型車は形式がややこしいさて、今回は昭和60年前後の私鉄の風景、東日本編です。といっても、関東以北の私鉄の乗車経験が少ないのと、あまり写真を撮っていないので、名鉄の写真が主となります。私が幼少期以降で初めて東京に行ったのが、昭和60年のことで、そのころは東急の東横線と田園都市線以外は、まだまだステンレス以前の旧型車が健在でした。まだ大井町線を走っていた、東急名物「青カエル」5000系。平成の...
-
「失われた鉄道風景」写真館⑤ 昭和末期の国鉄(西日本編)
先月「東日本編」をお届けしたので、今回は昭和55年から60年くらいまでの西日本の国鉄風景。まずは、電化される前の草津線に乗って、関西本線との接続駅、柘植駅での風景。昭和55年3月に全線電化されていますので、その直前(前年かな?)に乗車しています。この頃は、草津~柘植間で旧型客車で運行されていました。その草津線貴生川駅から分岐していた、信楽線。こちらも昭和62年から第3セクター信楽高原鉄道になってい...
-
「失われた鉄道風景」写真館④ 昭和末期の国鉄(東日本編)
このシリーズも細々と続けております。今回は昭和60年前後の国鉄時代の写真。まずは東日本(ほぼ北海道ですが)編昭和59~61年の間、大阪に住んでいて信州旅行に来ていたころに、鉄道の写真をあんまり撮っていないのが残念なんですが、信州大学に入学した昭和61年の夏に北海道一周旅行したときに、何枚か撮ってあったので、そちらを中心に載せていきます。まずは、地上駅時代の札幌駅の早朝の様子。 網走からの「大雪」 ...
-
「失われた鉄道風景」写真館③ 別府鉄道
今回は、昭和59年に廃止された別府鉄道を取り上げます。「別府」と聞くと九州の別府温泉のほうを連想する人が殆どだと思いますが、この別府は「べふ」と読みまして、兵庫県の加古川の近くで、山陽本線の土山と別府港を結ぶ4.1㌔の土山線と、高砂線(昭和59年廃止)野口と別府港を結ぶ3.7㌔の野口線で構成され、地域住民の足であると同時に、多木化学の工場から製品を輸送する役割を果たしていました。(篠ノ井駅の近くに「多木...
-
「失われた鉄道風景」写真館② 近畿日本鉄道
今回は「近鉄編」私は阪急京都線沿線に住んでいて、日常的に近鉄を利用することはなく、家族旅行なんかで遠出するのに使う程度でした。(近鉄沿線に親戚もいなかったので)当時、2階建て特急「ビスタカー」を始めとして多彩な特急の走る近鉄は、関西の鉄道好きな子供の憧れでもあったわけです。家族旅行で三重の湯の山温泉と伊勢に行ったときや、伏見の学習塾で模試を受けたときに、近鉄京都駅で、撮影したときのように、まだ一眼...
-
新連載「失われた鉄道風景」写真館① (旧)京福電鉄鞍馬線
「軽度」の鉄オタの私は、中学生くらいから、オヤジから譲り受けたペンタックスのSP-Fという一眼レフカメラを持って、関西周辺の鉄道風景(主に車両)を撮り続けていました。それは今から35年くらい前のことなので、廃止になってしまった路線や会社、廃車になった車両などがたくさんあります。今でもそれらの写真や、行ったときに買い求めた切符などが手元に保管されています。今回からしばらくの間、それらの写真や切符などをス...