ミラクルプリンセスの履歴書
2014 / 04 / 06 ( Sun ) 01:07:00
えへ!ご無沙汰しています。
書き出しては、涙・涙になっちゃって、ダメだーっ!ってなっちゃって。 そんな毎日を過ごしていました。 ジュニアも想像していたよりもダメージが大きかったようで、ちょっと心配でした。 そりゃそうだよね、14年間 片時も離れずに一緒にいたんだもの 持てる時間は全部ジュニアのケアに使っていました。 今日はお休みの日だから、ジュニアとたっぷり一緒にいれるし メソメソしてても誰にも迷惑かけないもんね。 前に進もう!!と思って、区切りをつけるためにPCに向かいました。 ここにプリンの生きた証として、家族の記録として プリンとの出会いから別れの事を書こうと思います。 後半にプリンの亡骸の写真があります。 天使のように安らかに眠っています でも、無理な方はスルーしてくださいね。 今から14年前のある日 小さな偶然がプリンを運んで来てくれました。 せーちゃんが小学5年生、ケィティが2年生 ジュニアが我が家の一員になって7ヶ月。 手のかかる子供達と怪獣1匹。 まさか、もう1匹 犬を迎えるなんて、考えもしなかった。 当時、ジュニアが『分離不安症』になり、 お留守番時に自傷行為を繰り返す事が悩みの種だった我が家では、 獣医さんから「もう1匹飼うというのも一つの解決策かもしれませんね」 と言われていたのだけれど、どう考えても無理。 生活の余裕は微塵もない我が家だったから・・・。 でも、、、 その まさか!?が現実になってしまった。 たまたま近所にある 小さなペットサロンの店舗に併設している自宅の小火を発見した それが事の始まり・・・。 呼び出しを受けてた仕事帰り、スーパーで夕ご飯の買い物をしたついでに寄ったそのサロンで 大火事にならずに済んだお礼として、飼っているダックスの産んだ仔を頂けることになったのだ。 (そこのお宅は小規模ながらペットの販売もしているお店だったの) それが、プリンとの出会い。 どうぞ!どうぞ!と言うご主人に、断わる事も出来ず、そのままプリンを連れて帰った。 それでも、さすがにタダで!というのは気が引けたので 半分だけ、しかも3回払いで支払う事にした。 だって、本当に余裕なかったんだもん(>_<) 今もだけど・・・。 それから、何の用意もないまま スーパーの買い物袋と一緒にJunjunの小脇に抱えられたプリンは我が家の一員となった。 でも、実はJunjun 相当な憂鬱状態だった。 それでなくても手のかかるジュニアがようやく我が家に馴染んで来たばかり また振り出しに戻された気分だったから・・・。 だけど、Junjunの憂鬱をよそに、 まるでウチに来ることが最初から分決まっていたかのように 初日から、当たり前のようにトイレシートでおしっこをし、夜泣きもせず 我が家に馴染んでしまったプリン。 本当に、奇跡のような運命の出会いだったんだよね。 そして、プリンが来てから間もないうちに ジュニアの分離不安症はウソのように治ってしまったんだよ。 ジュニアの心を癒すために神様がくれた救世主のような子、それがプリンだった。 Junjunはプリンに『躾』は1つもしていない だけど、トイレを外したことは1度もないし、ハウス!と言えばケージに入るし 待て!も、ヨシ!もちゃんと出来る。 上の子を見て要領よく育つのは 下の子の特権? 自分の立ち位置を良く理解していて、とても空気が読める子で 恐ろしいほどに手がかからない子。 2匹になって大変になるどころか、プリンが来たおかげで毎日がものすごく平穏で楽しくなった。 病院と縁の切れないジュニアに比べて、プリンは病気知らず。 お利口さんで、健康で、陽気で、愛想のいい 誰からも好かれる子 申し分のない良い子だったんだよね。 プリンの異変に気付いたのは、5~6年前のことだろうか? 多飲多尿。 ものすごい勢いでお水を飲み、色の無いおしっこを大量にする。 これは何かあるのではないか? そう思い受診した。 いろんな検査をしてもらったけど、これと言って決め手になる数値が出ず 食欲もあるし、ご機嫌もいいので、 もしかしたらお利口さんにおしっこをした時にもらえるおやつ目当てかな? そんな風に考えたりもした。 でも、静かに病気は進行していたんだよね。 今から3年前、歯石取りの為、半日入院した時に小さな歯が1本抜けただけで 出血多量で生死をさまよう事になってしまった。 止血剤の注射を何本打ってもらったか? もうダメかも? 一度は覚悟したものの、4日目に出血が少しづつ止まって来たのと せーちゃんが作ってくれた特製おじやをきっかけに食欲が出始め、見事に復活。 体調が良くなったのを見計らって、もう一度検査をしてもらった。 結果は・・・慢性腎不全・腎性貧血・血小板減少症 さらに、2年前からは乳腺腫瘍まで患ってしまった。 その時プリン12歳。 もう立派なおばぁちゃん。 いつ何が起きてもおかしくない年齢になっていた。 それをきっかけに、ジュニ・プリの生涯を真剣に考えるようになった。 自分だったらどうだろう? 最期の時はどうしたいだろう?どこにいたいだろう? ペットに対する考え方は、それぞれのお家で違うと思うけど Junjunの決めた答えは赤ちゃんの時からお世話になっている獣医さんと同意見だった。 手術や入院などの積極的治療・延命治療はせず 自然に任せて、自宅で、普通の毎日を過ごすこと。 きっと、もっと若い頃だったらそうは考えなかったかもしれない 莫大にかかる医療費もネックの1つだった。 出来る事と出来ない事もそれぞれの家庭で違うと思うし 迎えた時から別れの日まで、環境が同じとも限らない。 現に、ウチの場合だって小学生だった子供達が、もう親元を離れて暮らしているんだから…。 私にできる事の最大限が周りから見れば無責任だと思われるのかもしれないしね。 モチロン定期的な検査は欠かさなかったし 出来るだけの努力はした。 プリンに苦痛を伴う時は、それを取り除く治療をしてもらった。 獣医さんの所へは、何にも無い時でも1人で出向いて、ジュニ・プリの近況を話したり 相談にのってもらったりもした。 腎不全は一度なってしまったら完治は不可能。 さらに、乳腺腫瘍はひどくなると「自壊」する事も教えてもらった。 そうなった時のケアの仕方も丁寧に教えてもらった。 何事もなく過ごす毎日 ずっとこんな平凡な毎日が続けばいいな・・・。 後は病気の進行と老化による寿命のどちらが先になるか、祈るような日々。 1年ほど前から 腎性貧血によるふらつきで時々後ろ足がもつれるようになった。 14歳を迎えた秋ごろから、お散歩に行っても歩きたがらないようになった。 今年になってからは、まったく歩かなくなってしまった。 家の中でも寝ている事が多くなった。 多分、とても疲労しやすくなっていたのだと思う。 2月になって、食事のスピードがものすごく遅くなった。 3月に入っては、残す事が多くなった。 いろんな工夫をしたけど、今日食べたモノが翌日はもう無理になっていたり 大好物だったお芋やチーズにも顔を背けるようになってしまって もう、なすすべがなくなってしまった。 そして、3月16日の夕ご飯 完食してくれて大喜びしたのに、翌朝に全部リバース その日から、まったくご飯を食べなくなってしまった。 日に日に弱って行くプリンを見て、なんにも出来ない自分が情けなかったし こんな時でも仕事に行かなきゃならない自分が悔しくて仕方なかった 仕事に行っても頭の中は家にいるプリンとジュニアのことばかり考えて ちゃんと出来てたか?って聞かれたら、 正直なところ、出来てませんでした!と答えるしかない弱い自分。 もう頭の中がぐじゃぐじゃだった。 プリンが食べなくなってから4日目 終業時間まで、あと1時間というところでJunjunが倒れてしまった。 まったく情けないダメ飼い主。 しっかりしなきゃ! ジュニアとプリンを守れるのは私だけなんだから!! 我が家では夜寝る時、私の右腕枕にジュニア プリンは両足の間に挟まって寝るのが常だったけど さすがに動く事が難しくなってきたプリンを股の間に挟んで寝て 万が一蹴っ飛ばしちゃったら困るから、Junjunの左側にプリン専用のベットを作った。 会社で倒れたその日の夜、ついウトウトと寝てしまって ふと目覚めると プリンが起き上ってジィーッとJunjunの顔を覗き込んでいた。 「おいで!」と言って左側で腕枕をしてあげた。 安心したようにスースーと寝息を立てて眠ってるプリンを見た時 「甘えたかったんだ!」そう思った。 何かにつけて手のかかるジュニアや甘え上手なくぅたんの間でプリンの事はいつも後回しだった。 プリンはいい子だから…。 プリンはおとなしいから…。 プリンごめんね、プリンごめんね、気付いてあげられなくてごめんね。 痩せ細ったプリンの身体を、そぉーっと抱きしめた。 守っているつもりが、本当は守られていた事に今更ながら気づいた。 せーちゃんも時間が許す限り来てくれた。 あの日、くぅたんが来てくれたのも、その為。 実際、くぅたんが来てくれて、プリンは少し元気になった。 ケィティは仕事の合間をぬって 夜中にとんで来てくれた。 1人の夜は心細くて、元気な時の姿を思い出してはプリンの側でビービー泣いた。 私の不安がプリンやジュニアに伝わるから笑わなきゃ!って思ったけど無理だった。 1日のほとんどを留守にするJunjunは、プリンの最期も看取ってやれないかもしれない むしろ、その確率の方が高いから 病院に預けた方がいいのだろうか?と弱っている姿を見ると 決心したはずの思いが揺らいだりしたけれど 最期はお家で、ジュニアの側で、家族の匂いのするところで過ごさせてあげたかったし 何年も前からそう決めていたんだ。 自分の決めた事を信じようって思った。 Junjunが帰宅した時に、もし息絶えていたとしても仕方ない そういう家庭に来てしまったプリンが不憫でならなかった。 覚悟だけはしておかなければ… そう自分に言い聞かせて仕事に向かった。 毎日、毎日、ドアを開けるのが怖かった。 食べれなくなって5日。 歩く事も不自由になってしまったけど トイレとお水を飲みに行く事だけはヨロヨロと立ち上がって行こうとする トイレシートまで1mちょっと 普通なら何でもない距離に何分もかかって辿り着くような状態。 もう限界なのに行こうとするからオムツをつけた。 それでもプリンは、何度も何度も転びながら向かって行っておしっこをした。 もういいよプリン、洩らしちゃってもいいんだよ! 心の中ではそう言っていたけど、これはプリンのプライドなんだ…と思って トイレに行こうと立ち上がった時は、お腹にタオルを巻いてハーネス代わりにして補助をした。 プリンは偉いねぇ~、本当にいい子だよねぇ~って 頭を撫でてあげると 疲れ切って、また深い眠りにつく もうカウントダウンは始まってしまったんだな~と実感していた。 腎不全で怖いのは、おしっこが出なくなること 尿毒症になり血中のアンモニアが脳を侵して神経障害を引き起こし、激しい痙攣を起こすこと そして、苦しんだ末に死に至る。 だから、プリンのおしっこが出ている間はなんとなく安心だった。 食べれなくなって1週間 獣医さんからも「生きている事が奇跡」と言われたけど、プリンは頑張って生きている。 もう、ほとんど起き上がれなくなっていた。 頭を上げることすら出来ない。 それでも1日に1回か2回は力を振り絞って 自分でおしっこに行った。 貧血で舌が真っ白になっていたけど、スポイトでお水を飲ませてあげると ペロペロと美味しそうに飲んでくれた。 そうすると、真っ白な舌がピンクに高揚していくのが嬉しかった。 3月26日 食べなくなって10日目 この日はアルバイトが無く、会社が終わってからプリンを病院に連れて行く日。 お昼に帰った時は静かに寝ていて、ちょっと目が覚めた時にベランダに出してあげた。 外の空気をたくさん吸って、気持ちが良かったのか お水をスポイトでたくさん飲んでくれた。 「あと4時間経ったら帰って来るからね、一緒に病院に行こうね」そう言って午後の仕事に戻った。 夕方5時 家に戻るとプリンがトイレシートで倒れていた。 心臓が止まる思いだった。 荷物を投げ出してプリンに駆け寄ると、息をしている よかった! 私を見上げて「おしっこしたら倒れちゃったのよ~」って…そんな顔をしていた。 胸がギューッと苦しくなった。 「おしっこ出たの?偉かったねぇ~」そう言いながら、プリンを抱き上げ声を上げてまた泣いた。 軽くなってしまったプリンの身体 5㎏近くあった体重が、この時もう2.8㎏まで落ちていた。 もう、なんと言われようと仕事は休ませてもらおう! プリンは私の大切な家族なんだ。 病院に行って、いつもの注射と皮下注射をしてもらった時、 先生はなんにも言わなかったけど、お別れの時が近いんだ…って 先生の顔を見た時にわかった。 「プリンちゃんの様子がおかしくなったら、夜中でも朝方でも遠慮しないで電話をください すぐにお宅に伺いますから」 そう言って携帯電話の番号を教えてくれた。 その夜は、時折小さく震えることはあってもスヤスヤと寝てくれて白々と夜が明けた。 次の朝、会社に電話して お別れが近い事、最期まで側にいてあげたいからそれまでは休ませてもらいたい事を告げた。 夜のアルバイトはシフト制なので休めない。 でも、せーちゃんが仕事が終わったら来てくれる事になったから一安心だ。 もうスポイトからのお水も飲むこともできなくなっていたけれど 時々目が覚めたり、また寝たりの繰り返し。 夕方4時頃にせーちゃんとくぅたんが来てくれて、 5時過ぎには仕事に出なければいけないのでJunjunは仕度を始めた。 プリンがこうなってから いつも仕事に出かける時には 「ジュニっ!プリンを頼むね!頼んだよ!」 「プリンっ!帰って来るまで頑張ってよ!待っててね!」 そう言って出かけるのがくせになっていた。 プリンは約束通りに待っててくれた。 5時…5時10分…5時20分… もう行かなければ! その日も出かける前にいつものように、プリンを抱っこした。 「プリン、今日はせーちゃんがいるからね、よかったね。 大丈夫だよ!心配しなくていいよ、もう頑張らなくてもいいよ!」 Junjunはプリンにそう話しかけた。 もう「頑張れ!」なんて言えなかった。 頭を撫でて、目を閉じてあげた。 せーちゃんが写真を撮ってくれた。 次の瞬間、Junjunの太ももに温かいモノが流れた、、、おしっこだった。 「プリン、よかったねぇ~、おしっこ出たねぇ~」 おしっこに気をとられていると一瞬プリンが息をしていないような気がして 「あれ?プリン息してないっ!」とせーちゃんに言った。 せーちゃんが慌てて近くに来た時 今まで鼻で呼吸していたプリンが、初めて口で大きくプハァーッと呼吸した。 2回、3回、、、口呼吸して、そして息をしなくなった。 それから、ゆっくりゆっくり心臓が止まった。 3月27日17時27分。 14年と4ヶ月の生涯に幕がおりた。 「プリン、頑張ったねー、苦しまないでよかったねー、ママが側にいる時でよかったねー」 そんな言葉をただ繰り返し、せーちゃんと一緒に泣いた。 本当にゆっくりと安らかに永遠の眠りについたプリン。 生涯で初めてのお漏らしが最期の時だなんて・・・。 息を引き取る瞬間が、Junjunの腕の中だなんて・・・。 誰の手を煩わせる事もなく「いい子」のまんま、健気でプリンらしい最期だった。 奇跡のような別れだった。 プリンを綺麗にしてあげて、後をせーちゃんに任せてJunjunは涙を拭いてアルバイトに出かけた。 プリンに恥ずかしく無いように笑顔で働いた。 そして、2日後 家族みんなでプリンを見送った。 プリン、しあわせそうに眠ってる。 親バカかもしれないけど、Junjunね、 プリンは病気に勝ったと思ってるんです。 最期まで乳腺腫瘍は自壊せずに済んだし、おしっこだってちゃーんと出た。 天寿を全うして老衰で逝ったと思ってるんです。 後悔が無いと言ったら嘘で、むしろ後悔の塊人間みたいになってるよ。 もっともっと出来る事があったんじゃないか?って自分を責めたりもするよ。 でも、それはまたプリンに会った時にちゃんとリベンジさせてもらうつもりだよ。 また会う時までにもっと精進しなければいけないから、課題を残してもらったって思ってる。 14年間いつも変わらない愛でジュニアを包んでくれていたプリン。 最期の2ショット Love of two dogs is forever away no matter how. Thanks for love. Send the last kiss with love. 「動物は死ぬ時が嫌だからね・・・」 親にそう言われて育ってきた 「こんなに悲しい思いをするなら二度と飼わない」 そういう意見も聞いたことがあったけど 悲しいのは、辛いのは、流れる涙は尽きないけれど プリンと過ごした14年間はかけがえのない14年間だったし プリンに教えてもらった事があまりに大きくて・・・。 そんな風に思えないんだよ。 ねぇ、プリン 聞こえてるかなぁ? プリンがいなくなってしまって淋しいよ。 でも、前を向いて頑張ってるよ。 プリンのおかげでたくさんのお友達が出来たよ。 お友達に今日も救われてるよ。 ねぇ、プリン あと少し、ジュニアを返すの待っててもらっていいかなぁ? いつかまた会えるよね? そんな事を今日も話しかけています。 偶然の出会いだったけど、それは必然だったんだね。 プリン、家族になってくれて本当にありがとう。 またね! 支離滅裂な文章になってしまってスミマセン。(しかも、長い・・・) 最期まで読んでくれてありがとうございました。 いっぱい心配かけました<(_ _)> 私たち家族は大丈夫! 離れて暮らしていても、会えばベラベラしゃべりまくり、ガハハハと笑っています\(^o^)/ テーマ:ダックスフント大好き♪ - ジャンル:ペット |
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