ホスピスナースは今日も行く タフガイの苦悩 (1)
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
タフガイの苦悩 (1)
 ビルさん(仮)は、70代後半の元ノースフィリー(フィラデルフィアの北部地区)の警察官でした。フィラデルフィアの警察官と言えば、“タフガイ”のイメージが強く、特に治安の悪いノースフィリーのコップ(警官)といったら、泣く子も黙る、と言うのが常識でした。ビルさんは高校卒業後海軍に入り、3年間の奉仕のあと警察官になり、20年以上勤めてから、保険会社に転職しました。昔は筋骨隆々だったと言うビルさんは、銀髪で穏やかな、どちらかと言うと大学教授のような雰囲気で、強面警官とは正反対の印象でした。そんなビルさんは、うっ血性心不全の末期で、呼吸困難で入院し、最後の手段と言われるミルリノンと言う強心剤の点滴で症状を安定させました。ミルリノンは急性心不全、或いは末期の心不全の人が心臓移植待ちなどで一時的に使う事があり、長期に渡って使う薬ではありません。しかし、数年前からミルリノンの点滴を入れたままホスピスケアを受ける患者さんが増えてきました。と言うのは、ミルリノンの点滴をするとかなり症状は回復し、一時的ですがとても楽になるのです。それが一時的であるとはわかっていても、症状が緩和されているのならそれも緩和ケアであり、ホスピスケアの一環にするべきだ、と言うわけなのです。ホスピスの経営側にすると、ミルリノンの点滴は非常にコストがかかり、あまり歓迎されないのですが、それでも患者さんが希望するなら、その効果がある限り、また、心の準備ができるまで、在宅で点滴を継続するようになってきたのです。ビルさんの場合、ミルリノンを中止して退院し、自宅でホスピスケアを受けるつもりでいたのですが、実際にミルリノンを中止した所、急激に心不全の症状が現れたため、本人の希望で中止するのを中止し、点滴を入れたまま在宅ホスピスを受ける事にしたのです。
 ビルさんは奥さんと二人、医療看護施設も併設した大型の総合リタイアメントコミュニティーに住んでいました。二人はお互い再婚で、奥さんには結婚している息子さんが一人いました。70代前半の奥さんはとても活動的で、ボランティアやコミュニティー内のクラブや委員会などに積極的に参加していました。また、ビルさんもとても社交的で、コミュニティー内外のいくつかのクラブに所属していました。ホスピスケアを受け始めた頃は、ミルリノンの効果で殆ど自覚症状はなく、車の運転もして、それまで通りの生活を続ける事に殆ど支障はありませんでした。最初の何回かの訪問では、奥さんに携帯型輸液ポンプにつなげているミルリノンの輸液バッグの交換を指導したのですが、彼女は2回目にはマスターしてしまいました。その後は、点滴を入れるPICC(末梢挿入中心静脈カテーテル)のメンテナンスと、薬の確認とオーダーをメインに、週に一度訪問していましたが、ビルさんのスケジュール帳はいつも予定がいっぱいで、毎週火曜日の12時と1時の間、と言うのが私の定時になっていました。
 ビルさんには19歳も年の離れた弟さんがおり、とても仲が良く、週に一度は必ず一緒に食事に行くのが習慣になっていました。今の奥さんと再婚した時、彼女の息子さんはすでに成人していたので、子供のいないビルさんにとって小さい頃から面倒を見ていた弟さんは、まさに自分の子供のような存在だったのです。
 ビルさんの目下の問題は不眠でした。一度、眠剤を処方されたらしいのですが、12時間以上眠った後、一日中朦朧としてしまったことがあり、「眠剤は二度とごめん」と言い切っていました。もともと睡眠時無呼吸があり、ホスピスケアを受ける前に、呼吸センターから夜間はBIPAPと言うマスク型の陽圧呼吸器を着けるように言われ、その呼吸器が来るのを待っていたのでした。しかし、なかなかBIPAPが届かないため、ビルさんは呼吸センターに電話をしたらしいのですがよくわからず、私にフォローしてくれないか、と頼まれました。そこで呼吸センターに連絡したところ、すでに医療機器の会社にオーダーしてあるとのことでした。そこでその会社に連絡すると、保険の承認待ちだというのです。今度は保険会社に電話をすると、保険会社は、患者さんはホスピスケアを受けているので、これはホスピスがカバーするはずだ、と言うわけで承認を拒否していたのでした。しかし、これはビルさんがホスピスにサインする前のオーダーであるし、ホスピス診断名であるうっ血性心不全に関連しているという医師の証明がなければ、メディケアのホスピスベネフィットはカバーしません。医療機器の会社によると、オーダーの診断名は「睡眠時無呼吸」でしたので、私は保険会社に「ホスピス診断名とは関係ないので、そちらでカバーするアイテムです。確認してください」と頼み、何人かの人と話した末、「確かにあなたの言う通りですので、承認します」と言う返事を獲得しました。ビルさんにもそう伝えると、やれやれ、一件落着、と喜んでいました。ところが、次の週にビルさんを訪問すると、BIPAPはまだ来ていないというのです。ビルさんは、「あの後エリクソン(ビルさんのすむ大型リタイアメントコミュニティーの経営会社)のケースワーカーから電話が来て、僕はホスピスだからBIPAPはカバーしないっていうんだ。なんだか堂々巡りで何が何だかわからんよ」と、怒っているような呆れているような調子で言いました。この件でかなりの時間を費やしていた私は、内心「なにい!?」と叫びたい衝動に駆られていました。65歳以上の人はメディケアを持っているので、ホスピスに関わるケアや薬、医療機器などはメディケアのホスピスベネフィットでカバーされます。人によっては、サプリメントとかセカンダリーとして別の保険も持っている人もおり、ホスピスでカバーされないものはそちらがカバーするのです。例えば、肺がんでホスピスケアを受けていても、糖尿病でインスリンの注射が必要な人は、痛み止めはメディケアホスピスベネフィットが、インスリンはセカンダリーがカバーする、と言うようにです。ところがビルさんの場合、このコミュニティーに入居した際の契約で、このセカンダリーの保険の管理をエリクソンが行う事になっていたのです。つまり、保険会社的にはOKでも、管理者のエリクソン(会社)が認めなければ承認されないという、二重構造になっていたのでした。いつまでたってもらちが明かない渦巻きの中に巻きこまれた私は、とりあえず夜間だけ酸素カニュレをつけてみましょう、と、ビルさんに提案しました。また、睡眠を促すサプリメントとして使われるメラトニンを最小量試してみたらどうかと話すと、効果があるかもしれないなら試してみよう、と言うので、受け持ち医師からオーダーをもらい、メラトニン1mgを就寝前に服用、夜間は酸素を鼻腔カニュラで装着する事にしました。
 メラトニンと酸素の効果はあったりなかったりで、ビルさんの不眠との戦いはこの先も続くのですが、BIPAP問題の方はエリクソンのケースワーカーと話をしてから、BIPAPをオーダーした医師とホスピスのメディカルディレクターに話し合ってもらい、うっ血性心不全との関連を確認、最終的に心不全に関係するという事で、ホスピスがカバーする事になったのです。こうして、すったもんだの末、やっとBIPAPを装着する事になったのですが、皮肉な事に圧のセッティングが高すぎ、ビルさんは許容する事ができず、何度か圧の調整をした挙句、結局「「こんなものをつけて眠れやしない」と、酸素カニュラを使う事にとどまり、2週間もしないでBIPAPは返却される事となったのでした。タフガイの苦悩(2)に続く。
[2017/08/18 22:52] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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