フランクさん(仮)は、1年前に大腸がんと肝臓転移の診断を受け、化学療法を受けていました。広い庭のある2階建ての家に夫婦二人で住み、治療を受けながらもほぼ普通の生活をしていました。ところが、その日、突然トイレで意識をなくして転倒、顔面を強打し、救急に運ばれると、癌の進行に加え、多臓器に渡る合併症と敗血症のため、そのまま入院しました。そして、ある程度状態が落ち着くと、フランクさんはそれ以上の治療を望まず、家に帰ってホスピスケアを受けることにしたのです。奇しくも退院したその日は、フランクさんの80回目の誕生日でした。 フランクさんは意識ははっきりしていましたが、顔面には転倒の際の内出血が色鮮やかに残っており、入院中ほとんど食事が取れなかったこともあって、著しい体力の低下と全身状態の衰弱が見られ、本人と家族は、医師から余命は2ヶ月ほどだろう、ときかされていました。それでも、フランクさんは自分の意見をはっきりと持っており、納得がいかないことには、とことん喰らいついてくるエネルギーを持っていました。そして、妻のエステラさんも、身長140㎝あるかないかの小柄な女性でしたが、初対面からかなり強烈なインパクトを放っていました。彼女はとてもチャーミングでしたが、感情を抑えることをせず、自分が正しいと思うことを信じて突き進み、それをとてもドラマチックに表現しながら話し始めると、もう誰も口をはさむことはできませんでした。そんな二人の会話は、ちょっとした一言からあっという間に燃え上がり、瞬時に炎上してしまうのでした。 退院時のフランクさんは、一人で歩くことはできず、ホスピスからのホームヘルスエイドの訪問に加え、24時間を2シフトでカバーするエイドを雇わなければなりませんでした。フランクさんとしては不本意でしたが、エステラさんは心臓の持病があり、一人で彼のケアをするのは無理だったのです。私たちはホームヘルスエイドの会社のナースマネージャーにも会い、ホスピスのケアプランや緊急時の対応、薬の使い方などを確認し、フランクさんたちに関わる医療ケアチームとして、こまめにコミュニケーションを取るようにしました。 ところが、3日もたたないうちに、プライベートエージェンシーのナースマネージャーから、「患者と妻が四六時中怒鳴り合っていて、精神衛生的にひどい環境なうえ、患者はケアを拒否するし、妻は薬を与えようとしないし、このままじゃうちのスタッフが安全にケアを行うことができない」と電話があったのです。 フランクさん達の寝室は2階にありましたが、彼が階段を上ることは、その時点では不可能だったため、ファミリールームのソファーを動かして、そこに電動ベッドを置いていたのですが、フランクさんは電動ベッドが大嫌いでした。のっけから一番の訴えは、こんなベッドじゃ眠れない、でした。私たちはエアマットレスの空気を調整してみたり、ジェルマットレスに変えてみたり、軽い眠剤を試したりしてみましたが、どれも”ちょっとはマシ”程度で、フランクさんの気に入ることはありませんでした。また、フランクさんはエージェンシーのエイドは必要ないと言い張り、そのたびにエステラさんはヒステリックに、自分一人じゃ彼の世話はしきれない、と言い返し、その間に入って私とソーシャルワーカーのキンバリーが安全性について説明し、すると私たちに向かって、フランクさんは、自分は一日中何もしないのに何が危険なのだと食い下がり、エステラさんは私たちにいかにフランクさんがわからず屋であるかを訴え、今度はそれに対してフランクさんが、エステラさんは何もわかっていないと言い捨て、エステラさんがますますヒステリックに、そうやっていつも私を無能扱いするのだ、と憤慨し...と言うように、とにかくもう、一枚倒れたら止まらないドミノのような、吹き消しても吹き消しても点火する、トリックキャンドルのような、果てしない夫婦の怒鳴り合いになってしまうのでした。 次男で末っ子のマークさんは、実家から20分ほどの近所に住んでおり、仕事は夕方からの勤務だったので、私たちが訪問する時は、できるだけ同席していました。というのも、両親からの話では、父親の状態について、一体どちらの言うことが正しいのか判断できないからで、同席できない時は、私が訪問後に彼に電話で報告をするようにしていました。そして、マークさんは毎回申し訳なさそうに、私たちに両親の態度について謝り、二人はマークさん達が子供のころから口げんかが絶えず、どうしていまだに一緒にいるのかわからない、と、嘆くのでした。私もキンバリーも、普通の会話が怒鳴り合いのような夫婦は、彼らが初めてではなく、とにかく私たちは中立であり、どちらの意見も尊重するし、どちらかの肩を持つことはしないが、フランクさんが人生の最終章にいるからといって、私たちの介入で長年の二人の関係が変わるわけではないことを説明しました。そして、私たちのために、二人のいがみ合い、怒鳴り合いをマークさんが気にすることは、一切ないから、気持ちはわかるけれど、心配しないでほしいと話しました。ただ、確かにこの二人と12時間を過ごすプライベートのエイドさんにしてみたら、戸惑うどころか、耳をふさいで逃げ出したくなっても仕方なかったことでしょう。 実を言うと、私はひそかに、この二人をMr. and Mrs. Costanza(コスタンザ夫妻)と呼んでいました。コスタンザ夫妻というのは、「となりのサインフェルド」(原題 Seinfeld)という、80年代終わりから90年代の終わりにアメリカで大人気だったシチュエーションコメディーに出てくる老夫婦で、とにかくいつも怒鳴り合っているのです。それが、多少大げさにしているとはいえ、リアリティーがあり、時々自分の親の夫婦喧嘩を思い出したりして、なんともいえず可笑しいのです。フランクさんとエステラさんも、当の本人たちは大真面目なのですが、どこかコミカルで、笑いをこらえるのに苦労することもしばしばでした。スケジュールの都合で私が訪問できないと、代わりに訪問して二人の応酬に驚いたナースが、患者さんはあの環境で安全なのか?と心配したり、MSWやチャプレンは介入しているのか?と確認してくるのでした。そのたびに、MSWもチャプレンも介入しているし、患者さんは安全で、あの二人は60年近くああして暮らしてきたのだ、と説明してから、「Mr.&Mrs.Costanzaなのよ」と付け足すと、みんな、「あー、わかったわかった」と納得してくれました。あるナースなど、訪問後「あの人たち、アイスクリームのことで怒鳴りあいになっちゃって、私なんて言っていいかわからなかったわよ。アイスクリームで喧嘩する夫婦なんて、初めてだわ」と電話してきたほどでした。 それでも、エステラさんは、フランクさんのために必死であり、だれが何と言おうと、最後まで彼をこの家で看取るのだ、そのためにはフランクさんに何と言われようとかまわない、という決意がありました。なぜなら、それがフランクさんの希望だったからです。ある日、いつものようにフランクさんが、プライベートエイドはお金の無駄だ、とつぶやいたことから火がつき、激しい怒鳴りあいの末、「なにをするわけじゃないのに、なんで一日中隣に座っている介護人なんか必要なんだ」と言ったフランクさんに、エステラさんはこう叫び返したのです。「あんたに死んでほしくないからよ!」とてもシンプルな、彼女の本音でした。 ところが、フランクさんは日を追うごとに回復していき、2週間もすると歩行器を使ってトイレまで歩くようになったのです。少しずつ食欲も出てきて、エステラさんやマークさんは、これは一体どういうことなのかと、首を傾げ始めました。私は、化学療法をやめた後、副作用がなくなり体が楽になるため、しばらく元気になることはよくあることで、だからといって癌が治ったわけではないので、様子を見ていくしかない、と答えました。その時点で、余命については何とも言えず、誤った期待を持たせてもいけないし、がんの進行の速度は個人個人で計り知れないので、私自身もどうなるのかはっきりした予測がつかなかったのです。 フランクさんは、自分の具合が悪くなったのは化学療法のせいだったのだ、という結論に達し、それを証明するように、少しずつ自分の身の回りのことができるようになり、ひと月後にはエステラさんやマークさんも納得の上、プライベートのエイドはキャンセルし、ホスピスのエイドのみ、週3日訪問することにしました。そして、しばらくすると、フランクさんはホスピスのエイドも、ナースとMSWの訪問と同じ日にして欲しいと希望してきました。要するに、他人が来る日を週2日にまとめてしまいたかったのです。こうして、火曜日と金曜日はホスピスチームの訪問日、というスケジュールに落ち着き、私とキンバリーはよほどの理由がない限り、朝9時に一緒に訪問することにしたのです。ナースとMSWが同行することで、私がフランクさんのアセスメントをしている間はキンバリーがエステラさんの話を聴き、そのあと私がエステラさんと薬のセットをしている間にキンバリーがフランクさんの話を聴き、できる限り二人のバトルを回避して、それぞれの本音を遮られることなく吐き出せる状況を作ろうとしたのです。そして、フランクさんは、ほれ見たことか、と言わんばかりに、悠々と2カ月目をクリアしたのでした。犬も食わない(2)に続く。
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