ホスピスナースは今日も行く 2023年11月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
宿命を生きる(2)
 ベッキーは散歩が好きで、天気が許す限り、1日1回、多い時は3回ほど、車いすで家の裏にある全長1.5㎞ほどの遊歩道をぐるりとまわっていました。たいていはペギーさんが押していましたが、ホスピスのエイドやボランティアが行くこともありました。寒い日は手袋と帽子、マスクにマフラーをぐるぐる巻きにして、ダウンコートの上から毛布を羽織り、ブーツを履いて完全防備でのぞみました。
 その頃、残念なことに何人かのエイドが辞めてしまい、しばらくナースがエイドの訪問をカバーせざるをえない状況が続きました。つまり、ナースがダブルデュ―ティーとして、1人の患者さんに、看護師とエイド両方の訪問を行なうわけで、そんな時は必ずベッキーの訪問をダブルにしてもらいました。なぜなら、私がダブルの時は、必要な情報だけ聞いた後、ペギーさんに少し長めのフリー時間を持ってもらうことができるからでした。最初は、ダブルデュ―ティーだと言うと、ペギーさんは、「あら、だったら、ヘルパーさんと私でやっておくから、あなたはササッと切り上げたらいいわよ」と、まるで本末転倒な気を遣ってくれました。「ペギーさん、それじゃあまったく意味ないじゃないですか。私に気を遣って下さる必要は、全くありません。私があさイチで来て、ベッドバス(清拭)して、それからナーシングのアセスメントしてもいいし、逆に、ラストの訪問にして、アセスメントの後ベッキーを散歩に連れて行ってもいいですし。どちらにしても、私がいる間、ペギーさんはご自分のことに時間を使ってください。私たちはベッキーのケアだけのために来てるんじゃないですよ。介護者のケアだって、私たちの役目なんですから。遠慮される必要は、本当にないんですよ」
 ペギーさんはちょっと驚いたような顔をしてから、納得したように、「そうか、そうだったわね。ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」と微笑みました。
 ペギーさんの家は、55歳以上のリタイアした人たちを対象にした、平屋作りの家が並んだちいさなコミュニティーにあり、ベッキーと散歩している時も、のんびりと歩く老夫婦や、犬の散歩をする中高年の住民とすれ違うことがよくありました。みんなすれ違う時はニコニコと挨拶し、ベッキーもご機嫌でした。特に向うの方から犬が見えてくると、ほらほら、と言うように指をさして、微かにはしゃいだり、リスや野鳥を見かけるたびに指をさし、言葉はなくても、可愛いね、面白いね、と言っているようでした。私は、車いすを押しながら、自宅の玄関前の歩道をキツネやスカンク、一度などコヨーテまでもがトコトコ通り過ぎて行った話をし、特にここ数年は、早朝や夜に犬の散歩をする時は気を付けないと、ある意味危険が増えてきたなんてことを言うと、ベッキーも笑ってうなづいていました。そんな風にして、日常の何気ないことを、何気なく話し、面白くても面白くなくても、目線を合わし、ベッキーが何を思っているのか、何を感じているのかが、少しでも、何でもいいから、伝わってきたらいいのに、と願っていました。
 その日、ベッキーはアセスメントの途中から、車いすの中でうつらうつらしていました。ペギーさんに、「昨夜はよく眠れなかったんでしょうかねえ」と尋ねると、ペギーさんは、「どうかしらね。ほら、夜は私がトイレで目覚めた時に確認するくらいで、あの子は起きてても何するわけでもないからね。でも、この頃は昼間にうたた寝していることが多いわね」と言ってから、少し間をおいて、こう言いました。
「今日はね、アミリアの命日なのよ。1年前の、今日だったわ」
 ああ、という顔をした私が言葉を発する前に、ペギーさんは続けました。
「ベッキーは、もう一度誕生日を迎えられるかしらね」
 約2か月後に、ベッキーの誕生日は来るはずで、1回でも多く子供の誕生日を祝いたいと願うのは、親として自然なことであり、ほとんどの親にとって、それは願うまでもない、当たり前のことでした。それが、ペギーさんにとっては、最後のチャンスになってしまったのです。子供に先立たれるというのは、つまり、悲しい記念日がふたつ増えるということなのです。命日と、祝う相手のいなくなってしまった誕生日が。
 2か月後、ベッキーは、無事に最後の誕生日を迎えました。ケーキの代わりに、ベッキーはチョコレートプディングを少し食べ、ペギーさんがお花を飾り、ヘルパーさんが買ってきてくれた風船を車いすに結んで、ペギーさんとヘルパーさんと私でハッピーバースデーの歌を歌いました。ベッキーは、少し笑って、少し泣きました。他のみんなは一生懸命涙をこらえて、笑いました。一足先に誕生日を迎えていた私は、ベッキーに、「また同い年になったね」と言うと、私を指差して少しだけ微笑みました。そして、それが彼女のひとつの目標だったかのように、ベッキーはそれから急激に弱っていきました。
 車椅子に座っていても、ほとんど眠っていて、起きていてもただ宙を見つめているようになりました。1日かけて500mlの水分を飲むのが精一杯になり、車いすに座っている姿勢が保てなくなっていきました。クッションやまくらを使って、何とか身体を支え、それでも、ペギーさんはベッキーを車いすに座らせる、という毎日のルーティンを、変えることができませんでした。ルーティンを変える、それはつまり、できていたことができなくなる、終わりにまた一歩近づくことで、無意識に、それを認めたくなかったのかもしれません。いつものように、車いすに座って、サンルームで眠っているベッキーの左半身は、完全にマヒしており、もう、痛がることもなくなっていました。痩せて、骨ばってきたお尻の皮膚が赤くなり始めた時、私はペギーさんに、車いすに座る時間を減らして、ベッドで身体の向きを変えた方が、褥瘡(床ずれ)予防ができる、と説明しました。すると、ペギーさんは、「っていうか、車いすに座らせる意味が、まだあるのかしら?」と、自ら核心をついてきたのです。「ベッキーはここに座って外をみたり、貨物列車が行ったり来たりするのを聞くのが好きだったから、リフトでベッドから移動させるのも気にならなかったけど、もう、あんまり意味がないような気がしてきたわ」
 彼女の口からその言葉が出て来るのを待っていた私は、大きくうなずきました。
「そうですね、私もそう思います。今は、ベッドで休んでいる方が、ベッキーにとってはずっと楽で、リラックスできると思います。ペギーさんもお気づきの通り、ベッキーは、別の段階にいるんです」
 多分そうだろう、と思いながらも口にするのが怖い、それでも誰かに指摘されるのはもっと怖い、そんな思いがふとつぶやきになり、そして、それを誰かに肯定された時の気持ちは、なんとも複雑なものです。自分の感覚が的を得ていた、といういわば安堵のような”やっぱり”と、心のどこかでしがみついていた、小さな希望のような奇跡は”やっぱり”起きないのだ、という失望。ペギーさんは、まさにそんな表情をしていました。そして、その翌日から、ベッキーはもう、車椅子には座りませんでした。
 ベッキーは、ベッドで過ごすようになっても、窓から外を眺めるのが好きでした。一日のほとんどは眠っていましたが、おきている間は、バードフィーダーをついばむ野鳥や、鳥たちを押しのけて餌をむさぼろうとするリスをみていました。もう、指をさして笑うこともなくなりましたが、それでも、ベッキーのやわらかな瞳は、自然の中の小さな生き物たちを愛でていました。心理学を学び、カウンセラーとして悩み苦しむ人たちを助け、遺伝という避けることのできない運命に向き合ってきたベッキーは、私の想像など及びもしない恐怖や怒り、そして悲しみと葛藤したことでしょう。そして、その旅路の末に、この穏やかな時間にたどり着いたベッキーの目に映る風景は、彼女にとって優しかったのでしょうか。
 その日のベッキーは、一段と穏やかな表情をしていました。カーテンを開けた窓からは、緩やかな春の光が射し込み、色白のベッキーの顔にほのかな色を差していました。バイタルサインは落ち着いており、苦しそうな様子は全くありませんでした。そうっとアセスメントをしているうちに目を覚まし、「あ、ごめんごめん」と謝る私に、ほんの少し泣き笑いのような表情を見せました。そして、アセスメントをすべて終え、「また明日来るね」と言うと、ハッキリと私の目を見て、ほんのりと微笑みました。
 翌朝、訪問時間の確認の電話をすると、ペギーさんがいつもとは違う、少し震えるような声で、ベッキーの様子が昨日とは全然違うことを伝えてきました。朝一番に訪問すると、彼女は昏睡状態になっており、口で浅い呼吸をしていました。脈は弱く、喉の奥でかすかに、ガラガラという喘鳴が聞こえました。不安そうに私を見るペギーさんに、私は、お迎えがもうすぐそこまで来ていると伝えました。ペギーさんはうなずくと、何かを言おうとして、そのまま両手で口をふさぎました。そして、それまで少しずつ水をためていた風船が、とうとう限界に達してはじけたように、涙が溢れてきたのです。それは、ペギーさんが、初めてみせた涙でした。私は無言で彼女の肩を抱くと、ペギーさんはうなずいたり、首を横に振ったりしながら、慟哭しました。
 いつか来るとはわかっていたのに、実際に、その時が目の前に迫ってきたことを目の当たりにして、それまで手に持っていたものがものすごく熱かったことに突然気づくような、もしくは悪夢が一瞬にして現実に入れ替わったような、そんな瞬間だったのかもしれません。とにかくベッキーが苦しまないで毎日を過ごせるように、彼女のケアに全身全霊を注ぐことで、ペギーさんは、その傷だらけの心の痛みを麻痺させてきたのでしょう。そうしなければ、あまりにも辛すぎる運命を、平静を保って過ごすことなどできなかったのだと思います。それが、一瞬にしてタガが外れ、押し殺していた悲しみが一気に流れ出たのでした。
 しばらくしてペギーさんは呼吸を整えると、「ありがとう」と言ってから、「それで?」と私を見ました。私は、これから起こりうる症状と、その対応、そして、とにかく心配なことがあったらすぐにホスピスに電話するよう説明しました。「それから、ベッキーの呼吸が止まって、3分以上再開しなかったら、ホスピスに電話して下さい。4時半以前だったら私が来ますが、それ以降だったら夜勤のナースが来ますから」
 ペギーさんはすっかりいつもの彼女に戻り、落ち着いた声で「わかったわ」と言うと、改めて私を見ました。そして、私たちは、何も言わずにハグをしました。それから私は、もう一度ベッキーのところへ戻り、チアノーゼの出始めた手を両手で包むと、「どうもありがとう、ベッキー。あなたのナースになれてよかった。本当に、頑張ったね。また来るからね。安心してね」とささやきました。もうすぐ終わる。それでも、彼女の魂は、まだそこにありました。私は、ただただ、ベッキーの魂が安らかであってほしい、悲しい運命を恨まず、いい人生だったと、生まれてきてよかったと、たとえ意識はなくても、魂は、あの優しい光に包まれていますように、と願っていました。
 オフィスから電話があったのは、その日の訪問を終え、帰りに買い物をしようと、スーパーマーケットの駐車場に車を停めて、エンジンを切った時でした。私はすぐにエンジンをかけ直すと、ペギーさんの家に向かいました。
 家に着くと、まるで、どうぞ入って、と言うように、玄関のドアは開いていました。それでも、ドアをノックしてから家に入り、ベッキーの部屋に行くと、ペギーさんが私を見て、椅子から立ち上がりました。私たちはハグをすると、ペギーさんは、「終わったわ」と言いました。
 ベッキーは、清々しいほど穏やかな顔をしていました。不安も、恐怖も、怒りも、悲しみも、彼女を苦しめたもの全てが霧散し、彼女の透きとおった魂は、まぎれもなく救われたのだ、と確信できる、美しい顔でした。私は死亡を確認すると、手を合わせ、心の中でさようならをしました。それから顔を上げると、ペギーさんが目を真っ赤にして、こう言いました。
「今日はね、ずっとここに座ってたの、ベッキーの横に。それで、絵本を読んだり、昔のこと、あの子たちが小さかった頃のことを話したりして過ごしたのよ。不思議なことに、ずっと忘れてたことを、どんどん思い出してね。せつないけど、楽しかったわ。だって、もう、思い出話ができる人は、誰もいないんだもの」
 それでも、ペギーさんは背筋を伸ばし、悔いはない、と言いました。できることはすべてやったし、あとは、自分の宿命を受け入れるしかないのだと。
「でもね、それは、ホスピスのおかげなの。本当に、あなたたちがいてくれなかったら、私だけじゃ絶対に無理だった。ベッキーにとっても、私にとっても、ホスピスは神様の贈り物だったのよ。心から、感謝してるわ。それにね、ベッキーはあなたが来ると嬉しそうだった。どうもありがとうね」
 ペギーさんの最後の言葉に、私の目の奥は熱くなりました。昔、れみちゃんのお母さんに、「れみちゃんと遊んでくれて、どうもありがとうね」と言われた時の、こそばゆいような、嬉しいような、少し誇りに思うような気持が、一瞬にして蘇ってきたのです。私は、ホスピスナースとしてだけでなく、同い年の女性として、ベッキーと知り合いたかったのです。あの頃、いい子ぶってると思われるのが怖くて友達には言えなかったけれど、心の中では、れみちゃんのことをもっと知りたい、と思っていたように。だから、ベッキーが私の訪問を喜んでくれていたのなら、それだけでも、”私”が彼女のナースであったことに、意味を見出すことができました。彼女の最後の日々に“何かいいこと”を、少しでもあげることができたのかもしれないのだと、嬉しかったのです。
 薬の処分をし、必要な連絡や手続きをした後、ペギーさんは、「またいつか、どこかでばったり会えたらいいわね」と言って、お別れのハグをしました。私は、彼女の背中に回した手に、いつもより、ほんの少し力を入れました。この数カ月の日々が、ペギーさんにとって辛いだけではなく、優しさと、愛情にあふれた時間であり、いつか、ああ、いい時を過ごせたなあ、と思えるようになりますように、と願いながら。
 
[2023/11/11 10:50] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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