ホスピスナースは今日も行く 2021年06月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
Bad Boy (5)
 ボブさんがナーシングホームに入居することを承諾したもの、その手続きは、キンバリーや私が予想した以上に、時間がかかりました。特に、ボブさんがビルさんたちと同居する以前の銀行の記録が、過去何回かの合併や統合で複雑になっており、本人が出向けないことも、ビルさんの手をさらに煩わせることになっていたのです。こうして、ナーシングホームからの入居許可の返事を待っている間に、季節は移り変わっていきました。そして、ボブさんは目に見えて筋肉が落ち、長い手足はいつの間にかひょろひょろになっていました。
 ボブさんは、意見や要求ははっきり言う人でしたが、自分の感情を表すことは、あまりしない人でした。私がいつも座る、ソファーの横のサイドテーブルの上には、亡くなった奥さん(どちらかは尋ねたことがありませんでしたが)の大きな写真と、元気なボブさんが、お友達とビールを飲んでいるスナップ写真が立ててありました。ボブさんはビールグラスを高く掲げ、大きな口を開けて、嬉しそうに笑っていました。周りの人たちもとても楽しそうで、おじさんたちがガハガハ笑う声が聞こえてきそうな写真でした。しかし、私が「これ、楽しそうな写真ですね。いつ頃ですか?」と尋ねても、ボブさんは、「ああ? おぼえてねえな」と言うだけでした。ホスピスケアを始めたころは、時々訪ねて来ていたお友達も、いつの間にか来なくなり、気づいたらタバコも吸わなくなっていました。サンクスギビングのディナーも、ビルさんやベッキーさんが強く誘ったにもかかわらず、家族と食卓に着くことはなく、自分の部屋のいつものリクライナーで、ひとり、取り分けてもらったごちそうを食べたのでした。気にするビルさんたちには、「この方が楽だから」と言い、デザートだけ、ビルさんとベッキーさんが、彼の部屋で一緒に食べたということでした。ビルさんたちの「これが最後のサンクスギビングかもしれない」という思いに対し、本人がどう思っていたのかは分かりませんでしたが、それでも、それがボブさんらしい、一番気楽な過ごし方だったのでしょう。
 昼間に眠っている時間が増え、私の訪問時も、アセスメントを終えて、記録を入力しながらの話しかけが途切れると、いつの間にか眠っているようになりました。もの忘れや混乱することも増えていきましたが、それで本人がイライラするようなことはなく、次第に、どことなく穏やかな顔つきになっていきました。そして、私が訪問を終えて、「それじゃボブさん、また来週」と言うと、「おう、ありがとよ、ハニー」と言って、時々笑顔さえ見せるようになったのです。なんとなく、毒気が抜けて、ちいさなやんちゃ坊主に戻っていくような、そんな感じでした。
 サンクスギビングが過ぎ、師走に入って世間がうきうきし始めたころ、とうとうナーシングホームから連絡があり、ベッドが空いたので、すぐにでも入居できることになりました。私は、その年末年始を、20数年ぶりに日本で過ごすことにしていたので、2週間ほど留守にする前に新しい環境にいるボブさんを見ることができ、少し安堵していました。しかし、初めてナーシングホームに居るボブさんを訪問した時、当然のようにスウェットの上下を着て、車いすに座っている彼を見て、私はなぜか、複雑な気持ちになりました。裸の大将に無理やり服を着せたら、なんだか普通の人になってしまったような、そんな寂しさがありました。
 ボブさんは2人部屋でしたが、ルームメイトはリハビリや日々のアクティビティーで忙しいようでした。ボブさんは、ホームのレクリエーション的なアクティビティーには全く興味がなく、部屋で今までと同じように、テレビを観ていました。さすがにビールは飲めませんでしたが、それについても彼は何も言わず、すっかり、借りてきた猫のようになってしまったのです。ナーシングホームのスタッフに聞いても、ボブさんは特に文句を言うこともなく、注文を付けることもなく、おとなしく車いすに座っており、ビルさんたちが心配していた”問題行動”は、全くありませんでした。私が訪問すると、なんとなく嬉しそうにし、薬もきちんと飲むようになったおかげで、呼吸苦もコントロールされていました。食欲は減ってはいましたが、食事は「まあまあだな」とのことで、ホームでの生活は、「ま、こんなもんだろう」と、受け入れていました。
 私が、年末年始は日本に帰るので、2週間ほど別のホスピスナースが来ると伝えると、ボブさんは、「なんだ、俺を置いていくのか!」と、怒ったふりをして、一瞬私を固まらせてから、「いつ行くんだ?」「親は元気なのか?」「兄弟はいるのか?」「日本も寒いのか?」などと、質問してきました。そして、いよいよ私が休みに入る前の最後の訪問を終え、「それじゃ、ボブさん、次にお会いするのは来年です。その間、私の代わりに、別のナースが来てくれますから、心配しないでくださいね。ビルさんたちにも言ってありますから。良いクリスマスを過ごしてくださいね」と挨拶すると、ボブさんは何も言わずに、じっとテレビの方をを見ていました。私は笑いながら、「あれ、私に会えなくて、寂しいんですか?」ときくと、私の方を向き、珍しく神妙な顔をして、「まあな。でも、あんたの親は喜ぶだろうな」と、答えたのです。あら、かわいいこと言ってくれるじゃないですか、と思いながら、「そうですね。両親とお正月を過ごすのはとても久しぶりだし、子供たちにとっては初めての日本のお正月ですから」と言うと、ボブさんは少しだけ微笑んで、「そうか、そりゃよかったな」と言いました。それから、最後にもう一度、「それじゃ、また来年お会いしましょう」と言うと、ボブさんはいつものように、「おう、ありがとよ、ハニー」と言って、右手を上げました。私も右手を振ると、なんとなく後ろ髪を引かれるような、何かを忘れているような気配を心の隅に感じながら、部屋を出ました。
 ホスピスナースは、一週間以上休む時、自分のいない間に、受け持ちの患者さんの誰かは、亡くなってしまうかもしれないことを、覚悟しておかなければなりません。それでも、1年以上ホスピスケアを受けている患者さんには、少しずつ悪化してはいるものの、なんだかこのまま、いつまでも訪問し続けるような錯覚を抱いてしまったりすることもあります。ですから、この時も、戻ってきたら、ボブさんに日本の話をしてあげよう、などと、のんきなことを考えていたのです。
 日本での2週間はあっという間に過ぎ、楽しい思い出や美味しいお土産に浸っているヒマもなく、すぐに現実に引き戻されました。中1日で仕事に戻るため、強制的に時差ぼけを治しつつ、溜まった仕事のEメールや、受け持ち患者さんたちの記録をせっせとチェックしていると、ボブさんの昨日の記録に、『ナーシングホームより、転倒報告の電話あり』という一節が目に留まりました。特にけがはなかったようでしたが、念のため、その日、ホスピスのナースが訪問することになっていました。私は、もともと休み明け初日である翌日に、ボブさんも訪問する予定だったので、翌朝もう一度、今日の訪問記録を確認することにしました。
 翌朝、ラップトップをサーバーにつなげ、前日とその晩の記録をチェックしようとすると、夜勤ナースの報告の中に、ボブさんの名前を見つけました。私は、とりあえずそちらを先に読もうと、報告メールを開けました。すると、なんと、それはボブさんの死亡報告だったのです。私は一瞬、自分の目を疑い、もう一度報告を読みました。2度目もやはり、それは、『ナーシングホームから、深夜帯にボブさんが亡くなったとの連絡があった』と書いてありました。私は、もしかしたら、転倒に関係あったのかと思い、慌てて前日の訪問記録を開けました。しかし、その記録では、ボブさんはベッドに横になり、特にいつもと違った様子はありませんでした。その前の晩に、ベッドからひとりで起きようとして、脚が立たなかったらしく、ベッドの横に倒れているのを、ホームのスタッフが見つけた時は、きちんと意識もあり、頭を打った様子もなかったとのことでした。そして、そのあとは一応安静に、ということで、昨日は一日ベッドにいただけで、食欲もいつも通り、と書いてあり、痛みを訴えることもありませんでした。そして、いつも通り就寝し、眠っている間に息を引き取ったのです。
 長い間ホスピスナースをしていると、患者さんたちの残された時間があとどれくらいなのか、大体予測できるようになっていきます。それでも、こうして予想外の展開に驚かされることも、たびたびあるのです。ホスピスケアを受けているのだから、いつ何が起きても不思議ではないはずなのに、やはり、ボブさんの死はあまりに唐突で、だからどうなるわけでもないのに、何度も記録を読み返しました。それから、その日、ボブさんに会ったら話そうと思っていた日本でのあれこれが、ぽっかりと宙に浮いてしまい、行き場のない虚しさと、最期の日に確かに感じていた心の隅の気配を無視してしまった後悔が、じんわりと胸の中に広がっていきました。
 苦しまず、眠っている間に亡くなったのだから、言ってみれば、理想的な逝き方でした。たぶん、本人も、こんなにあっさりと死んでしまうとは、思ってもいなかったことでしょう。だからきっと、私が日本へ発つ前に、意味ありげな「お別れ」などを口走っても、きっと、「何言ってんだ、そんなに俺を死なせてえのか?」とでも言われて、オタオタするのがオチだったのかもしれません。それでも、心のどこかで、もう1日くらい、待ってくれてもよかったのに、と思っている自分がいました。
 どんなに難しい人でも、一年以上訪問していると、情もわくし、何かしら人間関係ができるものです。私にとって、ボブさんは、いつも予想の斜め上を行く患者さんで、遠慮などない、むき出しの自由人でした。捉えようによっては、がさつで、無遠慮で、自分勝手ともいえましたが、それでもどこか憎めない、会えなくなってしまうと寂しい、と思える人でした。
 私はビルさんに電話をし、メッセージにお悔やみを残しました。そして、ボブさんが亡くなってから一週間ほどたったころ、ビルさんとベッキーさんから、カードが届いたのです。そこには、想像以上の感謝の言葉が書かれていました。そして、”親父は「俺のナース」の訪問をいつも楽しみにしていた。あの親父があんなに穏やかに逝けたのは、ホスピスのおかげだ。親父にしてくれた全てに、心から感謝している。”という文章を読んだとき、ああ、きれいごとでごまかさず、ボブさんと向き合えて、本当に良かった、と思いました。ボブさんは口にはしませんでしたが、私の言葉は届いていたのだ、と思えました。私の本気は、ちゃんと伝わっていたのです。
 こうして、私の問題児は、無事、呼吸苦で苦しむことなく、人生を卒業していきました。最後まで、私の予想を上回ったまま、お別れも言わせずに、消えてしまいました。それでも、ボブさんの名前は、私の胸の中の卒業アルバムに、しっかりと刻み込まれています。そして、なぜかその卒業写真は、元気だった時の、大口を開けて笑っている、私が会ったことのないボブさんなのです。
 
 
[2021/06/26 19:40] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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