COVIDが深刻になり始めた4月から、週に一度のチームミーティングもオンラインになりました。普通に会っていた時と同じようにはいきませんが、それでもチームメンバーの顔を見ながら話せるのは、何ともいいものです。そして、オンラインミーティングに慣れてくると、ラップトップのスクリーンにいくつもの画面を開けながら、マルチタスクもこなせるようになってきました。同時にスマホでテキスト(チャット)やメールをやり取りしたり、自分が報告していない間はこちらからの音声を切っているので、電話を受けたりかけたりもできます。もちろん、他のメンバーの報告にも耳は傾けながら、時には意見も交わし、要するに、やっていることは対面の時とほぼ変わりはありません。それでもやはり、ちょっとした声の掛け合いや、肩をそっとたたく、などのふれあいがないのは寂しいものです。 訪問看護というのは基本的に孤独な仕事です。たった一人で患者さんの家から家へと訪問し、その合間に医師や、薬局、医療機器のレンタル会社などに電話をかけ、オフィスからの、「○○さんの家族から電話があったので、フォローして」という連絡に対応し、家に帰ってからは、残りの記録その他もろもろをラップトップに入力、オンラインで物品などをオーダーし、メッセージを残した医師からの電話がなければ、嫌がられるのを知りつつ、そのオフィスが閉まる前にリマインダーの電話を掛け直し、腹の立つことや虚しいことがあっても仲間と愚痴をこぼし合うこともないまま、晩御飯のメニューを考えなければならない時間になっている、というのが日常で、夕飯の支度をする前に仕事が終わっていればラッキー、といったところなのです。 医療従事者といっても、職種によってそれぞれ特色があり、だからこそ同業者同士ならではの”あるある”話や、”そうそう”話は、ストレス解消になると同時に、お互いにわかり合い、支え合う仲間意識や友情につながります。まあ、これは、医療従事者に限らず、どんな職業にも当てはまるのでしょうが。特に、ホスピスナースには、家族や友人は言わずもがな、看護師同士でもなかなか話せない、わかってもらえない諸々があり、それを気兼ねなく吐露し、理解し合える人達と一緒に働けることは、たとえ普段顔を合わすことはなくても、大きな心の支えになっています。 先日、そんなオンラインのチームミーティングで、こんなことがありました。数年前にフィラデルフィアの大きな医大系病院のヘルスケアグループの傘下に入ってから、ホスピスの患者数も増え、ホスピスチームも大きくなってきたため、現在はチームを2つのグループに分けてミーティングを行なっています。主に郊外を担当している田舎グループがミーティングをしている午前中に、フィラデルフィアの治安の悪い地域を含む都会グループが訪問をしてしまい、午後は逆になります。私は田舎グループなので、ミーティングが終わってから訪問に出掛けます。9時から始めて、オフィスにいるボスやメディカルディレクターは、1時半からの都会グループのミーティングもあるので、なるべく長引かないよう12時までには終了するように心がけています。ところが、その日は新規の患者さんが多く、報告する内容や話し合うべき問題も多かったため、かなり時間が押していました。 報告するナースの順番はアルファベット順なのですが、まずは、前週のミーティング以降の一週間内にサービスを始めた新規患者さん、その後に既存の患者さんの状態をレポートします。その日、たまたま受け持ちの新規患者さんがいなかった私の順番は、一番最後になっていました。小児のケースを受け持っている私は、他のメンバーに比べて成人の受け持ちケース数は少なく、小児ホスピスのチームミーティングは別にあるため、その日私が報告する患者さんは5人ほどでした。(メディケアの規定で、一つのケースを多職種のチームで話し合うのは隔週になっているため、一回のミーティングで報告するのは、受け持っているケースの半分だけなのです。)私の番が来る頃には、すでに12時を回っていたし、他のメンバーも時計を気にしているのはわかっていたので、サクサクっと報告できるよう、完璧な準備をしていました。幸いどのケースも症状はうまくコントロールされ、変化はあっても問題にして話し合うほどのことはありませんでした。ところが、ある人物はそうは思っていなかったのです。 アイリーンは、私がホスピスナースになった22年前、私にオリエンテーションをしてくれた元同僚で、十数年前からホームヘルスエイドの監督をしていました。彼女は私たちのホスピスチームが設立された当初のメンバーの一人で、私を採用してくれた当時のホスピス師長で、現在の在宅看護部長と、やはり設立当初のメンバーで、つい最近定年退職したMSWのマネージャーと仲が良く、当時、ひそかに、ホスピス三人組、と呼ばれていた一人でした。 ホームヘルスエイドは、ホスピスチームにとって欠くことのできない、とても大切な人たちです。日本の介護師に相当する職業で、ナースの立てたケアプランに沿って、患者さんたちの日常生活の世話を中心としたケアを行います。MSW、メディカルディレクター、チャプレン、ボランティアとともに、ホスピスチームを支える重要な職種で、また、患者さんや家族にとって、人によっては、他の誰よりもありがたい存在でもあるのです。そんな、ホームヘルスエイドをトレーニングし、取りまとめ、サポートする役割を、アイリーンは堂々とこなしていました。ホームヘルスエイドは、日本と同様、体力的にも精神的にもハードな仕事に対して、お給料はあまり高くありません。しかし、短期間のトレーニングで認定証を取得でき、いつでもどこでも就職先に困ることはないため、特にアフリカ系や移民の女性が多い職業です。そうなると、どうしても差別的な扱いを受けたりすることもあり、そうしたことも含め、私達ナースは最低でも2週間に一度、ホームヘルスエイドの監督を行う義務があるのです。しかし、私たちはエイドの上司ではありません。患者さんを受け持つケースマネージャーとして、エイドがケアプラン通りにケアを行なえているか、ケアプランを変更する必要があるかどうか、患者さんと家族は満足しているか、また、エイドが安全にケアを行なえる環境が整っているか、などをチェックするのであって、エイドの評価をするわけではないのです。そして、ナースの師長同様、ホームヘルスエイドの監督も年に一度、評価のためにそれぞれのスタッフに同行訪問をするのですが、その週にアイリーンがエイドのシェリーと同行訪問したのが、私の受け持つ患者さんだったのです。 その患者さんは50代後半で、若年性アルツハイマー病の末期の女性でした。献身的なご主人と20代の息子さんが自宅でケアしていましたが、すでに発語はなく、すべてのADL(日常生活活動)において介護が必要でした。そして、彼女の場合、奇声をあげたり、泣いたり、叫んだり、かと思うと、すました顔で指を鳴らしてリズムをとったり、ぼうっとしたかと思うとまた叫んだり、という行動を30秒ごとにくりかえす、というのがここ数年の「普通」になっていました。ホスピスケアを受け始めてからは、3カ月ほどで、私はちょうど再認定をしたところでした。シェリーは大柄で、穏やかな性格の、私が最も信頼するエイドの一人で、この患者さんにも臆することなく対応していました。しかし、同行訪問したアイリーンにとって、この患者さんのくりかえされる叫び声と奇声は大きなショックであり、これはもう、チームミーティングで話し合わないわけにはいられない、大問題だ、ととらえたのです。 アイリーンは、表現豊かな語彙でこの女性の様子を説明し、家に入ったとたん、彼女の奇声で天井まで飛び上がるほど驚き、ひたすら繰り返される叫び声が、あまりにも病的であり、彼女が快適な状態にあるとは思えない、ということを滔々と語り始めました。私は、最初は「うん、まあ、ショックだったのはわかるわかる」と思いながら聞いていましたが、しだいに、「このことは3カ月前からミーティングで報告してるし、今、ここでいったい何を言いたいんだろうか?」と疑問に思い始めました。私は心の中で、「あなた、この3か月間、私の報告何一つ聞いてなかったでしょ」とつぶやきながら、アイリーンが一通り彼女の訴えを話し終えるのを待ちました。それから、確かに初めて会う人はショックなのはわかるけれど、それは彼女の病態であり、受け持ち医も知っていることで、それでも、ホスピスが関わってから抗不安剤や抗うつ剤を始めて、あれでもかなり落ち着いたことなどを説明しました。すると、MSWのキンバリーも、アイリーンが懸念を発言してくれたことに敬意を表しながらも、私の説明に援護射撃をしてくれました。それでも彼女は納得できないようで、シェリーが娘さんから聞いた話だと、以前患者さんがまだ話せていたころ、自分自身のことが分からなくなったら生きている意味はない、というようなことを言っていたらしいのに、あのご主人はいかに彼女に食べさせているかを自慢げに話していたし、よく分からないエクササイズの機械があったり、本当にホスピスケアの意味を理解しているのか、疑わしい、と言ったことを話し始めました。そして、さらには、「しかも、ただでさえ心臓がどきどきしているところへ、息子らしい大男が私の後ろに突然現れて、またまた飛び上がる羽目になったわ。彼はなに?私には挨拶もしなかったけど、長髪に髭面の、上から下まで真っ黒のだらしない恰好で、叫び続ける患者さんをひょいって持ち上げて車いすにのっけたのを見たら、怖くなったわ。シェリーには悪いけど、とにかくあの延々と続く叫び声には耐えられなくて、途中で外に出なくちゃならなかったわ」と言ったのです。 その時私は、自分がかなり感情的になっているのを自覚していました。この3か月間、この家族とかかわり、患者さんの安全と快適さや、人として、女性としての尊厳をいかに保つか、そして、若くして心身ともに変わり果てた妻、母を、24時間介護する家族をどう支えるかを必死で考え、支援してきたことを、まるっきり無視されていたのはまだしも、そんな家族を誹謗するような表現が、私の怒りのボタンを押したのでした。私は発言する前に、心を落ち着かせようと深呼吸をすると、一瞬早く、メディカルディレクターのカールが、口を開きました。いつも穏やかで、どんなことがあってもホスピスナースの味方になってくれるカールは、その優しさがにじみ出る声で、「アイリーン、君の気持ちはわかるよ。でも、たとえどんな状態の患者さんであっても、本人が食べ物に対して口を開けるのであれば、それは食べたいという意思表示であるとみなすべきであり、それを否定することは誰にもできないし、ましてや、それを拒否しない介護者を、”患者本人の本来の意思に反している”と責めることはできないんだよ」と言ったのです。「もちろん、そうよ」と言ってから、アイリーンは続けました。「でも、あんなふうに四六時中叫んでいる人が、快適であるとは到底考えられないわ。以前は歩いていたのに、転んで骨折してから寝たきりだっていうし、あんなにわめいているのに痛み止めもあげないなんて、症状緩和ができているとは思えないし、何とかするべきじゃないの? あの旦那さん、抗不安剤は落ち着かせるけど、ぼうっとしすぎて食べられなくなるから、どうしてもという時しかあげないって言ってたけど、どっちにしても彼女の意識がクリアなわけではないんだから。とにかく、あのままでいいとは思えないわ」 私は深呼吸するのも忘れ、音声をオンにすると、自分の声がわずかに震えているのを感じつつ、こう言いました。 「まず最初に、あの息子さんはまだティーンエイジだったときにお母さんがアルツハイマーになって、母親と大人同士として、語り合うチャンスもなかったんです。高校を卒業して、家を出て、アメリカ中を旅する仕事をしていたのに、そんな自由な生活を一切諦めて、母親の世話をする父親を手伝うために、家に戻ってきたんです。不愛想でも、たとえどんな格好をしていたとしても、彼は自分の人生を犠牲にして、母親の面倒をみている、素晴らしい息子さんだと思うわ。ご主人はあんなふうになった奥さんを、『彼女は自分に本当に良くしてくれたから』と言って、施設に入れず、病気になる前と同じように奥さんのことを大事に思い、愛情いっぱいにケアしている。彼は彼女が末期であることは良く分かっているし、無理やり食べさせたり、意味のない運動をさせたりもしない。2か月前に転んだときだって、もしかしたらヘアライン(骨に髪の毛のように細い亀裂が入る骨折)くらいはあったかもしれなかったけど、無理にレントゲンを撮らず、症状緩和だけにフォーカスして、だから、鎮痛剤だってちゃんとカールが処方したとおりにあげていました。彼女が痛がっていた時の叫び方は、それ以前や今の叫び方とは全く違っていたし、彼女の表情や動きで、痛みがあるのかどうかは大体わかるし、私は彼の判断は的確だと思います。彼は、鎮痛剤や鎮静剤を使うことに抵抗はないけど、必要以上に彼女を眠らせたくないだけです。あなたが見た時の彼女は多分、秒単位で叫んだり泣いたり奇声をあげたりしただけだったかもしれないけど、彼女にも時々、フッと何かがつながる瞬間があるんです。ほんの一瞬でも、どこかに残っている本来の彼女が垣間見える時があって、その一瞬はご主人にとって、かけがえのない喜びなんです。そして、それを、彼の身勝手だとは思わないし、私たちは患者さんだけでなく、介護者もサポートするわけで、私たちがどう思うかではなく、24時間世話をしている家族の気持ちを尊重するべきだと思います」 そう一気に言うと、私のボスである師長が、「あなたが報告していたのは覚えているけど、そこまでひどいとは思っていなかったわ。そんなに痛みがひどくてもご主人が薬をあげたがらないなら、屯用じゃなく定時にするとか、カールとよく相談してみるといいわね」と、まとめようとしました。私は、ちょっと的外れなまとめ方をしようとするボスに、時間が気になりながらも、痛みのコントロールはできていること、彼女が叫ぶのはそれとは関係ないことをもう一度説明すると、アイリーンが、「とにかく、あんなストレスフルな環境にエイドを毎日訪問させるのは、監督としてはばかられるわ。訪問の後、シェリーにどうやってあの状況に耐えているのか、辛くないのか聞いてみたら、辛いけど患者さんはケアが必要だから、そのために我慢してるって言ってたわ。私だったら、絶対に耐えられないけどね」と、矛先を変えてきました。すると、師長が「だったらNobuko、エイドのスーパーバイズとして、同時訪問してみたら?ナースが訪問している時と、エイドがケアする時とじゃ反応も違うだろうし」と言いました。私はできるだけ冷静を装いながら、エイドとの同時訪問はすでにしているし、自分もシェリーを手伝いながらパーソナルケア(保清など)の様子を観察していることを告げると、アイリーンは「そう。でも、彼女一人にいつも行かせるのはかわいそうだから、もう一人誰かとケースをシェアさせるわ。とにかく、誰が行くにしても、エイドがあの叫び声に耐えられないと言ったら、私としては強要することはできないから。家族にもそれは理解してもらって」と言いました。 私の気持ちはイライラの最高潮に達しており、とにかく一秒でも早く、このミーティングを終わらせることに集中することにしました。画面上の他のナースたちも、時計を気にして荷物をまとめ始め、私自身、遠距離の小児ケースの訪問予定時間を大幅に遅刻するのは明らかでした。「エイドの気持ちまで配慮がいきわたらなかったのは、申し訳なかったです。家族には説明します。ご主人は理解してくれると思います。では、残りのケースの報告に移ります」と、切り上げると、カールが、「Nobuko、抗うつ剤の用量はまだ増やせるから。もしも必要だったらいつでも言って」と声をかけてくれました。その声には、私に対する同情が混じっており、心の中で感謝しながら、「ありがとう、カール。ご主人と相談して、考えてみる」と返事をしました。 その後、残りのケースをチャッチャと報告すると、みんな「良いサンクスギビングを!」と言いながら、蜘蛛の子を散らすように画面から去っていきました。私は荷物をまとめ、ガレージにむかい、「いったい何が言いたいの、アイリーン、ほんとに、まったく、なんなのよー!」とブツブツ言いながら、同僚のナースたちにグループチャットで、『みんな、ごめんねー!! 良いサンクスギビングを!』とテキストを送りました。すると、すぐにケイトというナースから電話がかかってきました。ケイトは開口一番、「Nobukoのせいじゃないわよ! 彼女、最悪だわ!あなた、よく耐えたわよ。偉かったわ。ほんと、感心した。私だったらブチギレてたわよ!」と言うと、「ありがとう、ケイト」という私に、「まったく、あいつ、悪魔だわ」とつぶやいてから、「気にすることないわよ。あなたが素晴らしいナースだってこと、みんな知っているんだからね。良いサンクスギビングを!」と言って、電話を切りました。 それから、次々と返信が届き、みんなの気遣いと、あたたかい言葉に、忙しい日のスケジュールを狂わせてしまった罪悪感は、シュワッと溶け、優しく、そしてホスピスナースとしての誇りを持つ人たちと一緒に働けることのありがたさに、さっきまでイライラで充満していた胸が、少し楽になっていきました。 それでも、運転しながら、私の頭の中では、アイリーンの提示に対して、どう言ったらもっと的確で、効果的な説明ができたのだろうか、プロフェッショナルとして、どう言ったら彼女や師長を納得させられたのだろうか、そして、単刀直入に言えば、どう言ったら患者さんと家族の仇を打ち、アイリーンをギャフンと言わせることができたのだろうか、という思いがグルグルとめぐっていました。自分でも、アイリーンをギャフンと言わせてやりたい、と思った時点で、プロフェッショナルではないな、との自覚はありましたが、それでも、患者さんや、ご主人や、息子さんに対する彼女の表現はどうしても許せなかったし、たった30分程度の訪問で何もかも見通したような言い方や、セデーション(薬で鎮静させてしまうこと)を示唆するような発言は、いったん落ち着いた私の心を、再び波立たせてしまうのでした。 そんな葛藤を抱えこんだまま、高速道路を降り、アメリカ最大の都市公園、フェアモントパークを流れる川沿いの道をくねくねと走り、フィラデルフィアのボートハウスの景観で有名な川を渡ったあたりで、再び電話が鳴りました。ブルートゥースでつながっているカーステレオで受信すると、チームのメンバーでナースの、マイクの声が聞こえていきました。マイクはテキストよりも電話を好む人で、「よう、今話せる?」と聞いてきました。私は、「いいよ、運転中だけど、まだ着かないから」と返事をすると、マイクは、「今日は、本当にがっかりしたよ。僕はホスピスナースとして、君に申し訳なかった。ただ、あそこで発言しても事態を悪くするだけだから黙っていたけど、彼女にあれだけ言いたい放題言わせて、それに対して上が何も言えないっていう体質に、わかってたけど、やっぱり失望させられたね。僕たちは、エンドオブライフケアのプロの集団のはずだ。プロとして、お互いを信頼し、尊重して、そのうえでより良いケアを行なえるようにサポートし合うのが、チームミーティングの目的なんだ。もちろん、メンバーが自分の感情を吐露することは、悪いことじゃないし、そこからお互い学び合い、支え合い、成長することだってある。でも、今日のあれは全く別物だったよ」と言ったのです。マイクは以前、別のホスピスで管理者として働いていたのですが、管理職としてエージェンシー内の政治的なあれこれに嫌気がさし、現場のナースとしてここに来たのでした。 私は、ああ、さすがにマイクは気づいていたんだな、と思いながら、「どうもありがと。まあね、私もアイリーンとは長い付き合いだし、彼女が看護部長とお友達なのはね、もう、昔からわかってるわけで。だから、よそから来た師長が何も言えないのはしょうがないのよ。今に始まったことじゃないからね。ただ、私が我慢できなかったのは、患者さんと家族を侮辱したこと。あれは、完全に彼女の個人的な受け止め方に他ならない、彼女の感情的なリアクションであって、それにケースマネージャーやチームが右往左往させられるべきじゃないと思う。まったく、オンラインでよかったよ。そうじゃなかったら、彼女、ケガしてたかもね」と言って笑うと、マイクも、「ハハハ。カラテか?ジュード―か?」と言って笑いました。 マイクとの電話を切って、小児ケースの家に着くころには、私の心拍数も血圧も、いつも通りに戻っていました。マイクに話したように、あれは、アイリーンの個人的な感情の反応であって、彼女はホスピスナースとしてものを考えてはいなかったのだ。あまりにもショックで、それをただ、言いたかっただけなのだ。みんなに聞いてもらいたかっただけなのだ。そう思いなおすと、なんとなく、あの最大級のイライラが、ま、しょうがないね、という気持ちに変わっていったのです。そう思うと、この出来事のおかげで、かえってチームの同僚たちとのつながりが強くなった気がして、感謝祭を前に、また一つ、感謝することが増えたことに、感謝したのでした。
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