ホスピスナースは今日も行く 2020年11月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
扉を開けて
 パンデミックのおかげで、この半年間、風邪をひいていません。正確には、まともに風邪をひくこともできない、と言ったところでしょうか。
 ナーシングホームやクリニックなどではすっかり定着した、入出時チェック。体温を測り、COVID感染の可能性の有無を確認する質問事項に答え、携帯電話番号などの連絡先を渡します。そして、この質問事項には、「2週間以内に海外に渡航したか? (したくてもできない)」「2週間以内にクルーズシップに乗船したか? (したくてもあり得ない)」「2週間以内にCOVID19感染者にPPE(防護具)なしで接触したか? (したのかもしれないけど分からない)」など以外に、咳、のどの痛み、呼吸苦、倦怠感、頭痛、鼻水など、ごく普通の風邪でも起こりうる症状が含まれています。ですから、ちょっとのどが痛いな、だるいな、というだけでも、「もしや...」という疑念が頭をよぎり、「いやいや、違うでしょ」という思いと「えー、でももしそうだったらマズいぞ...」という焦りが交錯し、とにかくCOVIDではないことを祈りつつ、自分自身に証明するためにも、24時間以内に症状をたたいてしまわねば、という闘志が湧いてくるわけです。もちろん、具合が悪ければ仕事には行きませんが、それでも、「ただの風邪でした」と言えるように、早期撲滅作戦を始動しなければなりません。
 多分、どんな人でも自分なりの、風邪をひいたときの対処法を持っていると思いますが、私の場合は、「睡眠」、これに限ります。もともと6時間睡眠がベストで、しかも、いつでもどこでも眠れるという特技を持つ私は、病棟勤務で3交代をしていた頃も、「眠れない」という悩みを持ったことはありませんでした。満員電車だろうが、飛行機のエンジン脇のエコノミー席だろうが、山のテントだろうが、お茶を飲もうがコーヒー飲もうが、おかまいなし。しかも、寝すぎるとかえって体がだるく、調子が狂ってしまうほど。ですから、私が8時間以上眠っているときは、よっぽど深酒したか、どこか具合が悪いという意味なのです。(そして最近は、深酒する機会も、めっきりなくなってしまいました。)
 とにかく、かかったかな、と思ったら、○○タック600、ではなく、まず寝る。ひたすら寝る。そして、ぬるめの塩水でうがいをしてから、ドクダミ茶もしくはハトムギ茶をガンガン飲む。情けないことに、6時間以上寝ていると腰が痛くなってくるのですが、そんな時は患者さんたちの辛さを思い、トイレ休憩がてらベッドからはい出し、ついでにお茶を飲んでから、再び布団に潜り込むのです。すると、たいていの場合、睡眠療法によって活性化された自然免疫が、まるで一の谷を駆け降りる義経のごとく、風邪ウイルスを蹴散らしてくれるのです。
 日本では特に、コロナそのものよりも、風評被害の方が怖い、と聞きます。アメリカではマスク論争はありますが、COVID19に感染した人を差別したり、感染者が出た施設を批判したりということは、ほとんどありません。それでも、医療者は特に、「自分が感染源になってはならぬ」という強い意識と、自分が感染していた場合の影響、つまり、接触した患者さんや家族、同僚、もちろん、自分自身の家族も含め、どこまでさかのぼり、どこまでを範疇とするのか、といったことを考えなければならない、という事実の方が、感染そのものよりも、苦痛になっているような気がします。少なくとも、私が「もしCOVIDだったら、マズいな...」と思うのは、圧倒的にそちらの理由であって、特に真っ先に頭をよぎるのは、小児ホスピスのケースです。もちろん、感染対策は万全を期してはいますが、それでも、「万が一」は起こりうるのです。もしかしたら、自分が重症化して死ぬかもしれない、という恐怖ではなく、現実に、死に面している人たちに対して、自分がその引き金になってしまうかもしれない、という不安のほうが、ずっと強く、それはきっと、患者さんの家族や、高齢者と同居している人たちにも共通したものなのだと思います。
 そうした、ハイリスクの人たちと接している限り、コロナに限らず、普段から、常に感染症に関しては細心の注意をはらっています。それでもやはり、世界中で人々の生活をひっくり返し、社会をひっくり返し、人間関係をひっくり返し、多くの人が人生そのものをひっくり返されてしまった今回の新型コロナ禍が及ぼした心理的ストレスは、平時の感染症対策とは比べものになりません。つい最近、COVIDに感染した同僚は、咳、発熱、倦怠感などの症状があるものの、軽症で、彼女の感染が発覚して2日後に検査をしたご主人は、陽性ながら無症状でした。二人の子どもたちは陰性でしたが、なにより家族にとって辛いのは、隔離生活だと言っていました。そして、それ以上に、ナースとして、「これだけしっかり感染対策していたのに...」「いったいいつどこで...」という思いをぬぐうことができず、仕方ないことだと頭でわかってはいても、やはり心のどこかに罪悪感に近い忸怩たる思いが、彼女を苦しめているようでした。
 コロナ以前だったら、風邪やインフルエンザに罹っても、社会的な罪悪感を感じる必要はありませんでした。人間、生きている限り、風邪をひくのは当たり前だし、時々風邪をひくことで風邪を引き起こすウィルスへの免疫をつけていっています。そして、風邪の原因になるウィルスのほとんどが、今回の新型コロナウィルスの親戚というか、仲間というか、同じ種類であるコロナウィルスなのだそうです。人生の半分以上をナースとして生きているのに、そんなことも知らなかったのですが(というか、多分、むかーし昔に勉強したきり、忘れていたというか、むしろ覚えていなかったのでしょう)、人々がCOVIDを恐れるのも、メディアから流される玉石混交の情報が、その不安をあおっていることは否めないと思います。そして、その社会不安が、風評被害のような2次災害を引き起こしているのです。
 そうした、不必要な社会不安を少しでも減らして、一日も早く元の生活に戻れるよう、正しく恐れながら自分や家族を守り、ドアを開けてどんどん外に出ていこう、という活動が、日本でもすでに始まっています。そんな、コロナと共存、いわゆるウィズコロナのための教育、啓蒙活動に、知り合いの医師で免疫学者の方が賛同し、協力されているのですが、その一環として、最近面白いものを作ったと教えてくれました。若者向けのコロナ対策ビデオコロナ対策ラップで、おばさんには、日本語でありながら字幕を見ないとわからなったのですが、とてもよくできているのでご紹介したいと思います。(「コロナ対策ラップ」をクリックしてみてください。)
 最近、ヨーロッパをはじめとして、新たな感染の波がせりあがってきていますが、この半年間で学んだことを生かし、ロックダウンの生活に戻さず、何とか乗り切ることもできるのではないでしょうか。すでに第二次ロックダウンに戻ってしまった国や地域はありますが、そうせずに凌いでいる国もあるのです。生活習慣、文化、国民性、人種としての生理学的違い、そして政治的理由などなど、原因はいろいろあるのでしょうが、ロックダウンによって失ったものの影響を無視することはできません。
 アメリカはこれからホリデーシーズンに入ります。本来なら、家族が集まり、食事をし、会話をし、ハグをして、つながりを確かめ合う大切な時間です。もちろん、どうやって過ごすかは、それぞれの家族ごと、また、家族の中でも様々な意見があることでしょう。COVID19、全国各地での暴動、大統領選挙と、対立と混迷を続けるアメリカは、心身ともに疲れています。第一次世界大戦中のクリスマス休戦のように、ウィルスも、一日くらい休んでくれないものでしょうか。
 とりあえず、一日も早く、気兼ねなく風邪をひくことができる、平和な日々が戻ることを、心の底から祈る今日この頃なのです。
 
[2020/11/14 20:19] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
マイリルナ―ス (4)
 その日の夕方、その後の様子が気になり、ナタリーさんに電話をしました。すぐに電話を取ったナタリーさんは、「ああ、Nobuko、今日は本当にどうもありがとう。あの後救急車が来て、何もかもスムーズにいったわ。ホスピス病棟は素晴らしいわね。スタッフはみんな親切で、あそこなら私も安心よ。ちょうどさっき家に戻ったところだったの。私の姉も来て、久しぶりに母に会えて、母もとても喜んでたわ。とにかく、今日はちょうどいいタイミングであなたが来てくれて、本当に助かった。とりあえず、今夜は何の心配もいらないもの」と、安堵を隠しませんでした。私は、「本当に、不幸中の幸いでした。こんなパンデミックがなければ、私も病棟に会いに行けたんですが、残念です。でも、病棟のナースにはアンナさんのこと、しっかり申し送りしておいたので、心配いらないですよ。みんな、アンナさんのことを大好きになるのは間違いないですし。あとは、アンナさんの様子を見て、この先どうするかを病棟のスタッフとよく話してくださいね。5日間、ナタリーさんもゆっくり休んでください」と言うと、ナタリーさんは、「そうね。でもきっと、ここに戻ってくるのは無理だと思うわ」と、はっきりと言い切りました。
 私は一瞬、「え?!」と思いましたが、口には出さず、ナタリーさんの次の言葉を待ちました。「母が最期まで家にいたがっていたのはわかってる。私だって、できればそうしてあげたいわ。でも、私はとにかく、母には一番いいケアを受けさせてあげたいの。私にはその自信がないし、だからと言って、こんな時に、四六時中この家に他人を入れるなんてできないわ」
 おそらく、平時であれば、電動ベッドを入れ、エイドさんを雇い、ホスピスのエイドサービスやボランティアも入れれば、家で看ることは決して不可能ではなかったでしょう。しかし、Covid19のパンデミックは、特に、ナタリーさんのような超高齢の親を介護する高齢者にとって、万が一の感染の可能性を少しでも抑えるために、他人との接触をできる限り避けることを余儀なくしていました。たとえ、感染対策を万全にしたとしても、「もしも、万が一、この人がウィルスを持っていたら」という不安に怯えて暮らすのでは、本末転倒、在宅ケアの意義が失われてしまいます。軽々しく、「心配しなくても大丈夫ですよ」などとは、口が裂けても言えませんでした。
 週が明けた月曜日、私は、メディカルディレクターのカールのパートナーで、ナースプラクティショナーのシンシアに、他の患者さんの件で電話をした際、「アンナさんはどうしてる?」と訊いてみました。カールやシンシアは基本的にはホスピス病棟にいて、病棟の患者さんを診たり、ホスピスのスタッフからの電話を受けたり、他の医師と連絡を取ったり、新規の患者さんの相談を受けたり、数限りないオーダーを書いたり、その合間を縫ってサービス期間の再認定の患者さんの訪問をしたり(今はCovidのためビデオ通話ですが)と、休む間もないのですが、それでも訪問をしているナースからの電話は必ず取ってくれる、我々ホスピスナースの心強い味方です。シンシアは、「アンナさん? ああ、彼女、めちゃめちゃかわいいわよね。私、彼女大好き。かわいそうに、早くおうちに帰りたがっているけど、快適にしてるわよ。今のところ、大きな変化はないみたいね。娘さんが毎日来てるわ」と言いました。それを聞いてほっとしていたのですが、2日後の水曜日には、様子は全く違っていたのです。
 5日間のレスピットを終え、結局アンナさんはナタリーさんの家からほど近い、ナーシングホームに移ることになりました。そこは、同僚のケイトが担当しているナーシングホームだったのですが、私はアンナさんの受け持ちを継続させてもらえるよう、チームリーダーのジョンに頼みました。幸いそのナーシングホームはコロナ禍でも「一つのホスピスから一人のナース」との規制はしていなかったので、自宅ではないけれど、せめて知った顔が会いにくれば安心するのではないかという思いと、単純にアンナさんに会いたい気持ちが伝わったのか、ジョンは「もちろん」と即答してくれました。しかし、翌日の木曜日は私がオフだったため、ケイトが病棟からの帰宅後フォローアップ訪問をしてくれました。そして、そのケイトの記録を読んだ私は、思わず「ええっ?」と声を上げてしまったのです。
 ケイトの記録には"The patient is actively dying"、つまり、「患者は危篤状態である」と書いてありました。月曜日には変わりないと言っていたのが、一転、声掛けに反応はなく、呼吸も不規則で、多分あと数日だろうというのです。もちろん、あり得ることではあったけれど、私はやはりショックで、また、そんな状態で、どうしてホスピス病棟に残さなかったのか、首をかしげました。たとえレスピットの5日間を過ぎたとしても、その時点で患者さんの状態が悪ければ、病棟使用理由を急性期症状緩和レベルに変更して、そのまま病棟で看取ることは、実は、そう珍しいことではありません。すぐに金曜日のスケジュールを確認し、幸い一人分が空いていたので、アンナさんを入れてから、オフィスのジョンに連絡しました。それから、ナタリーさんに電話すると、ナタリーさんは意外だったのか、驚きながらも「電話してくれてどうもありがとう」と言ってから、「母の状態はよくないの」と言いました。「私もそう聞きました。だから、明日訪問する予定です」と言うと、ナタリーさんはますます驚いて、「あら、そうなの? てっきりあなたはもう来ないのかと思ってたわ。ああ、それならよかったわ。母の一番のお気に入りのナースが来てくれたら、きっと喜ぶわ」と言いました。それから、「病棟は素晴らしかったし、先生はあのままあそこにいてもいいって言ってくれたけど、やっぱり遠すぎてね。ここのホームなら5分で来れるし、母の状態だったらって、私も母の部屋に入って面会させてくれたわ。それでね、もし母が亡くなったら、あそこから葬儀屋さんに行くから、お棺に入れる時の服や靴を大きな袋に入れて、窓際の台の上に置いておいたんだけど、それがちゃんとあるかどうか、確認してくれるかしら? わかりやすいように大きく名前を書いておいたけど、葬儀屋さんが引き取りに来た時に一緒に持っていってもらえなかったら、困るのよ。サウスフィリーの葬儀屋さんだから、私は持っていけないし。ホームの人には何度も言っておいたんだけど、やっぱり気になってね」と、一気に言いました。
 私は、「わかりました。明日チェックしますね。多分、お昼過ぎになると思いますけど、アンナさんに会った後、また電話します」と言って電話を切りました。ナタリーさんは現実をしっかりとみており、心の準備もできているようでしたが、それでもきっと、気持ちは複雑だろうと思いました。というのも、実は、私自身が現実を受け入れるのに苦心していたのです。20年以上ホスピスナースをしていて、こんな状況は数えきれないほど経験してきましたが、それでも、「最期までおうちにいたい」という人を、病棟やナーシングホームで看取らなければならない時の、なんとも言えないせつなさや無力感は否めませんでした。それは、ホスピスナースとしての私自身の問題であり、家族の決断や病棟やホームのケアがどうこうということではないのですが、どうしても心のどこかで、患者さんに申し訳ない、という気持ちが残ってしまうのです。ほとんどの場合、結果的にはよかったし、家族のためにもポジティブに受け取るようにはできるのですが、それでも、心の奥の方の隅っこの、小さな小さなシミのような心残りは、どうしても消えないのです。
 翌日の午後、本来だったらナタリーさんのアパートを訪ねていたはずの時間に、私は、ナーシングホームの静かな個室にいるアンナさんを訪れました。さらに小さくなったアンナさんは、ベッドの真ん中で、少し口を開け、すやすやと眠っていました。私は軽く彼女の肩をつついて、声をかけました。それから、どうしようかな、と思いつつ、耳元で、「アンナさん、Nobukoです。あなたのジャパニーズナースです。また会いに来ましたよ。いつもみたいに、チェックさせて下さいね」と、大きな声で言いました。すると、ほんの少しだけ、アンナさんの瞼が震えるように動いたのです。ああ、聞こえたかな、と思いながら、いつも通り、そっとバイタルサインを測りました。胸やお腹の音を聞いてから、腕をもとの位置に戻し、毛布を整えようとした時、アンナさんの口元が、わずかに、あの、チュッチュの形になったように見えました。私は思わずアンナさんの手を取り、「そうそう、私ですよ。苦しいところはないですか? もうすぐ、お母さんに会えますね。お姉さんたちにも会えますね。みんなきっと、アンナさんに会えるのを楽しみにしてますよ。心配しなくて大丈夫ですからね」と言いました。アンナさんの小さな手は、いつものように握り返してはくれませんでしたが、同じように温かでした。
 私はナタリーさんの言っていた、アンナさんの服が入った袋を確認してから、ベッドサイドに座って、ラップトップに記録を入力しました。時々アンナさんの寝顔を見ながら、その日の訪問記録をすべて終わらせ、それでもしばらくそこに座っていました。アンナさんの呼吸は浅く、これが最後かもしれない思うと、なかなか立ち上がれませんでした。アンナさんはとても穏やかで、彼女が怖がっていた、死の苦しみのような影は、全く見あたりませんでした。そんな安らかなアンナさんに、私はもう一度お別れの挨拶をし、後ろ髪をひかれながら、部屋を出ました。
 ナタリーさんに電話をし、アンナさんがとても快適そうであること、おそらく、数時間から数日であること、それから、ナタリーさんの用意した袋はとても分かりやすいところに置いてあり、ホームのスタッフが紙に大きく「葬儀屋さん用」というサインを書いてくれていたので、気づかないことはないでしょう、と報告しました。ナタリーさんは、「そうそう、私も今朝面会に行ったとき、そのサインは見たわ。あなたがいった時、母は起きた? 今朝会った時は、ちょっと目を開けたのよ。だから、あとであなたが来るからって言っておいたの。お母さんのお気に入りの、little Japanese nurseがね、って」と言ってから、「ホームの人たちもみんなよくやってくれるわ。やっぱりあそこにしてよかったわ」と付け足しました。私は、「私もそう思います。英断でしたね。一つだけ、ナタリーさんに知っておいてほしいのは、どういうわけか、ひとりになった時に亡くなる人が、とても多いということです。ご家族が面会して帰ったすぐあととか、おうちにいても、ちょっとトイレに立ったときとか、そんなときに逝かれることは、本当によくあるんです。だから、もしもアンナさんがそうなったとしても、それがアンナさんの時であって、ナタリーさんには後悔してほしくないんです」と言うと、ナタリーさんはさっぱりとした調子で、「わかってるわ。私の父がそうだったもの。大丈夫よ。母にはね、ちゃんとお別れも言ったし、もうあっちに行ってもいいわよって、むこうにいる家族のところに戻っていいのよって、話したから。私はね、悔いはないわ。私にできることはすべてやったもの。でも、教えてくれて、ありがとう」と言いました。ああ、すごいな、そう思いながら、「そうですか。素晴らしいです。アンナさんも満足していらっしゃるでしょうね。私はちょうど今週末勤務なので、明日もアンナさんを訪問する予定ですから。その時、また電話しますね」と言って、電話を切りました。しかし、アンナさんはその深夜1時半ころ、107年の人生に、静かに幕を下ろしたのです。
 土曜日の仕事が一段落してから、私はナタリーさんに電話をしました。お悔やみを言うと、ナタリーさんは落ち着いた声で、こう言いました。「昨日あなたと話した後、もう一度、夜に会いに行ったの。その時はもう、何の反応もしなかったけど、全然苦しそうじゃなかったわ。あのまま、眠ったままで向うにいったのね。本当に、いろいろありがとう。母はあなたが本当に好きだったわ。あなたが来るのを、いつも楽しみにしてたもの。毎日、今日は何曜日だ、私のナースはいつ来るんだってね。私も楽しかったわ。これからも、近くに来たら、いつでも寄ってね。時々電話してちょうだいね」
 ナタリーさんの声は落ち着いていましたが、そこには、どうしようもない寂しさがにじんでいました。その時、アンナさんがホスピス病棟に行き、最後は近くのナーシングホームで息を引き取ったのは、もしかしたら、ナタリーさんのためだったのかな、という気がしました。一週間の一人暮らしは、ナタリーさんに心の準備をする時間を与え、そして、喪失の痛みをほんの少し、緩やかにできたのではないかと思えたのです。「サリ―!ケリー!ナタリー!」と呼ぶアンナさんの声を、耳の奥の方でいとおしみながら、猫と話をする暮らしに少しずつ慣れていくのだろうか、と思いつつ、「そうですね、そうします。私もアンナさんの訪問は、いつも楽しみでした。ナタリーさんもお体に気を付けて、アンナさんみたいに長生きしてくださいね」と言うと、ナタリーさんは、「そうねえ、でも、107歳は私にはちょっと長すぎるわね」と言って笑いました。電話を切ってから、私はナタリーさんの電話番号を保存すると、名前のところに「サリーケリーナタリー」、名字のところに「アンナ」とタイプしました。それから、もう一度、心の中で、「さようなら、アンナさん。I miss you!」と言いました。
 
[2020/11/06 06:24] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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