キンバリーがエリカとサムに連絡を取って段取りをつけ、その日、深夜番のジェイソンが十分休息をとった午後3時、予定通り、私たちは家族会議を行いました。エリカとサムはキンバリーが声をかけるまで一階で待つことに同意し、ベビーモニターが切られていることを確認してから、キンバリーのリードで、まずはジェイソンが口火を切りました。ジェイソンは穏やかな口調ながらも、エリカとサムそれぞれとの葛藤や、2人の間のモデレーターとしてのフラストレーション、そして、なによりもジェイクへの精神的な影響や、両親の意見に翻弄されて自分自身がジェイクに正しくないケアをしてしまうのではないか、という不安が次々に溢れてきました。ジェイソンは怒っていました。彼は両親のことは恨んではいないけれど、この期に及んで、ジェイクのため、ジェイクの気持ちが何より大事、と言いながら、自分たちの感情を優先させている二人に呆れ、失望し、そんな二人を傷つけないように気を遣っている心優しい弟のために、彼は怒っていたのです。 「別に、僕は幸せな仲良し家族のふりをしてほしいわけじゃない。でも、こんな時くらい、僕らの前で言い争いをしなくたっていいじゃないか。どちらのやり方が正しいかをジェイクに言わせる必要なんてないんだ。ばかばかしいプライドだよ」そう言うジェイソンに、ジェイクが、「僕は別にどっちだっていいんだ」と言うと、ジェイソンは少しムキになって、「そういうことじゃないんだ。それをお前に言わせようとすること自体が、俺は我慢ならないんだよ」と言いました。 ジェイクとジェイソンにとって、私たちは最後の砦でした。二人の代弁者として、また、医療のプロフェッショナルとして、両親に真正面から話をし、軌道修正を促せる立場にいる私たちは、彼らにたった一つ残された頼みの綱だったのです。キンバリーと私は二人の話をじっくりと聞いたあと、彼らの希望を確認してから、エリカとサムに提案する方針を話し合いました。私はジェイクのホスピスナースとして、彼にとって最善の状況を作るためには、エリカとサムそれぞれと信頼関係を築くことが必須であり、そのためにどのように対応するべきかを考え続けていました。それぞれのプライドと相手への不満、ジェイクの症状とこれからのケアへの不安、そして、なによりも、近い将来、愛する息子を失うのだという恐怖と悲しみのはけ口となることで、ジェイクとジェイソンの負荷が少しでも減ることを期待したのです。私の目標は壊れた関係を修復することではなく、ジェイクの希望を叶えることで、それは同時に家族全員の希望でもありました。誰もがジェイクの笑顔をみたかったし、それこそがエリカの、サムの、そしてジェイソンの幸せになるのだろうと思ったのです。 キンバリーに呼ばれて、エリカとサムが部屋に入ってきました。二人とも明るい調子でジェイクとジェイソンに声をかけ、サムは腕組みをして立ったまま、エリカは折り畳みの椅子に腰を掛けました。それから、一呼吸置くと、キンバリーが全員の顔をぐるりと見まわしてから、口を開きました。彼女は4人の話し合いがとても有意義であったこと、これから提案することは、ジェイクとジェイソンの希望であるとともに、エリカとサムの意見も聞きながら譲歩していく余地があることを説明しました。キンバリーのリードは公正かつ明白で、何一つうやむやにせず、各自の解釈に齟齬が無いよう、話し合いを進めていきました。ちょうど大学がサンクスギビング前の休みに入るジェイソンは昼間の時間も自由になるため、エリカとサムの間を埋めるシフト、つまり、エリカが午前9時から午後4時、ジェイソンが午後4時から9時、サムが午後9時から翌朝7時まで、そしてジェイソンが朝7時から9時、というスケジュールで合意しました。私は、3人に、ケアの内容で質問や問題があるときは、直接私に電話かテキスト(チャット)で連絡し、私の指導に沿うよう強調しました。また、私たちの訪問時には、必ずモニターを切って、ジェイクと二人、あるいは三人で話す時間を作り、その内容についてはシェアしないことにも同意してもらいました。ただ、彼の病状については、私からエリカとサムそれぞれにアップデートを説明し、また、心配なことがあったらいつでも質問してもらって構わない、と話しました。また、私がそれぞれと話した内容は、ほかの家族のメンバーとはシェアしないことや、私がお互いの伝言板のような役割はしないことも理解してもらいました。 こうして、新たなルールを明確にし、エリカとサムが直接顔を合わせる機会を最小限にしたことで、少しでも摩擦が減ることを期待していたのですが、数日後、私が訪問時間を確認するためにエリカに電話すると、彼女はいきなり、「もう我慢できないわ」と言ってきたのです。 「家族会議の後、あの時決めた通り、私も協力してきたわ。結局一番ケアをしているのは私で、それは全く構わないし、いいんだけど、彼は相変わらず好き放題してるわよ。時間だって守らないし、自分の都合で好きな時に家に入ってくるし。ここは私の家で、私には私の生活だってある。勝手に自分の家族を連れてきたりして、ジェイクだってあんな状態で、小さい子供から風邪でもうつされたらたまらないわよ。だからね、鍵を変えたの。家じゅうの鍵をね。もう二度と、勝手に上がり込んだりさせないわ」 私の電話を待ち構えていたかのように、強い口調で話すエリカの声は、少し震えていました。 「彼はずっと離れていたくせに、今になってジェイクの気持ちを取り戻そうとしてるのよ。もちろん、父親だし、私だってその気持ちはわかるから、譲歩してたけど、あんな好き勝手は許せないの。ジェイクのケアにしても、私がやることにはきちんと理由があるんだってことが分からないから、勝手なことばかりして。私がプロのナースだってことに、何一つ敬意をはらおうなんてしないわ。ジェイソンはよくやってくれてるけど、さすがに下の世話なんてやらせられないし。ジェイクは文句なんて言わないけど、やっぱり、私と彼のやり方が違うと、戸惑うじゃない。カテーテルにしたってそう。なんか勝手にいじってるから、そんなことするとかえって危ないって言っても、聞く耳も持たないわ。バカにしてるのよ。いつだって、私の言うことなんて、って思ってるんだわ。」 実は、家族会議の後、ジェイクは膀胱留置カテーテルを入れていました。アセスメントをした私は、下腹部が膨張していることに気づき、排尿しているかを聞くと、してはいるが、尿量は少ない、という返事。ジェイクの腫瘍は腰椎の近くにも転移していたので、いずれは排泄機能を含め、下半身にマヒが出てくることは予測されたことでした。下腹部を軽く押してもあまり尿意を感じず、尿閉(腎臓で尿を生成しても膀胱から排泄できない状態)は確実でした。私は、ジェイクと家族にこの状態が不可逆的なものであり、排尿するには間歇的または持続的に膀胱にチューブを入れるしかないと説明しました。当然ながら、ジェイクは一瞬絶句し、それから、チューブを入れる時は痛いのか、間歇的なのと持続的なのはどう違うのか、それをしないとどうなるのか、トラブルがあった時はどうするのか、など質問してきました。私は、痛みというよりは違和感があるけれど、いったん入ってしまうと、そのあとはほとんど感じないし、ジェイクの場合はすでに感覚が弱くなっているので、多分痛みは感じないだろうということや、入れなかった場合、感染症の危険や腎臓への負担が大きくなることを説明しました。そして、間歇的な方法で行うとすると、誰かが一日に最低3回はチューブを入れなければならないので、両親とジェイソンにもやり方を覚えてもらわなければならないと話すと、意外にも、それは構わない、と言いました。しかし、私のトランクには間歇的導尿用のカテーテルがなかったため、とりあえず留置カテーテルを入れておいて、物品が届いた時点から間歇的方法に変更することにしたのです。「私は見なくてもいいわ」というエリカは、キンバリーと一緒に階下におり、私はサムとジェイソンに清潔操作の大切さを説明しながら、留置カテを入れたのです。私の手順を真剣に見ながら、「うへえ、ねえねえ、どんな感じなの? 痛いの? ヘンな感じ? うわあ、なんか信じられねえな」と興味津々のジェイソンに、ジェイクは「別に痛くないし、あんまり感じないよ」と素直に応じていました。そんな兄弟の会話はなんだかとても微笑ましく、私も冗談を言いながら、”なんだ、思ったほどたいしたことないじゃん”という雰囲気で、問題なく留置すると、排尿バッグはみるみる膨らんでいき、なんと、1リットル近くもの尿が排出されたのです。ずっしりした排尿バッグを見せ、ぺちゃんこになったお腹を指しながら、「よかったね、危機一髪だったよ」と言うと、ジェイクは「うん、これが破裂してたら体ん中ションベンだらけだったね」と言い、「怖えー」というジェイソンと一緒に笑いました。それから、ジェイソンとサムに閉鎖式排尿バッグの中身を破棄する方法や、カテーテルのケアの注意点などを説明し、2人とも「わかった、わかった」と言いながらうなずいたのです。 そんなカテーテルを、サムがどのようにいじっていたのか、あえて詳しいことはききませんでしたが、とにかくエリカとサムの亀裂は深まるばかりのようでした。そして、案の定、この「カギ総取り換え事件」は、サムの怒りに火をつけることになったのです。兄弟(6)に続く。
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