19歳のジェイク(仮)は、ベトナム人のお父さんとフィリピン人のお母さん、2歳違いのお兄さん、そして、父親の違う年の離れたお姉さんと、母親の違う年の離れた妹を持つ大学生でした。音楽が好きで、ピアノとギター、ウクレレなどを弾き、そして、なによりも好きだったのは、歌うことでした。中学、高校ではミュージカルの主役も張り、フィラデルフィア小児病院(CHOP)からホスピスに依頼を受けた時も、「退院したら、まずNYのブロードウェイに、『ハミルトン』を観に行くので、初回訪問はNYから帰ってきてから」というほど、ミュージカルが好きでした。そんなジェイクが横紋筋肉腫という悪性腫瘍と診断されたのは、18歳の誕生日の翌日のことでした。 MSWのキンバリーと一緒に初回訪問したのは、ジェイクとお兄さんのジェイソンが一緒に住んでいる、母親のアパートでした。両親は彼らが小学生の時に離婚しており、父親は再婚してカリフォルニア州に住んでいました。母親は外来手術専門クリニックのナースでしたが、ジェイクの状態が悪化してから、介護休暇を取っていました。私たちが依頼元のCHOP(フィラデルフィア小児病院)のパリアティブケアチームから最初に聞いていたのは、ジェイクの父親がもうすぐこちらに来る予定で、母親は父親が来る前にホスピスケアを始めたがっている、ということでした。というのも、母親は、父親がホスピスケアを受けることに反対するかもしれない、と危惧しているらしく、CHOPのパリアティブケアチームによると、父親と母親の関係はかなり複雑なようでした。ジェイクとジェイソンは母親と住む前に、しばらく父方の伯父の家に預けられていたこともありました。しかし、ジェイクの退院が当初の予定より遅くなり、父親はカリフォルニアからすでにこちらに到着していたため、結局父親も交えて初回訪問を行うことになったのです。 キンバリーと私がアパートに着くと、母親のエリカがにこにこしながら迎えてくれました。エリカは中肉中背で、髪の毛を頭の天辺できりりとお団子にまとめ、エネルギッシュな印象でしたが、緊張しているのか、少し落ち着かない様子でした。そして、もうすぐジェイクの父親も来るはずだ、と言いながら、私たちにソファーに座るよう勧めてくれました。父親のサムは、とりあえずエリカのアパートに泊まっており、どれくらいこちらにいるのかは未定でした。サムの母親や大勢いる兄弟姉妹の何人かは、エリカの家からそれほど遠くないところに住んでおり、ジェイクたちが一時預けられていた伯父も、その一人でした。 私たちが自己紹介をすると、エリカは少し早口気味に、ジェイクは2階の自分の部屋にいること、兄のジェイソンが彼のケアを手伝ってくれていること、彼女が二人を育ててきたこと、また、ジェイクの父親とは、ここにいる限り、彼女の方針に従ってもらうということで話がついている、などを、どこか、一生懸命訴えるような感じを漂わせながら話し始めました。それから、キンバリーが、ホスピスケアによって「ネガティブに思える状況でも、ポジティブな時間にすることができる」と言うと、エリカは、実は自分は高校生の時に長女を産んでおり、生まれてすぐに養子に出した娘とある事がきっかけで数年前に再会し、それ以来連絡を取り合っており、ジェイクたちとも交流を続けていると話してくれたのです。長女の養父母ともよい関係で、彼女の結婚式にも出席したなど、エリカ自身、ネガティブをポジティブにできる可能性を信じていると、私たちに向かって少し興奮気味に主張しました。そして、ジェイクはまさにそのpositive thinkerで、病気になってからも常に前向きで、希望を失わずに治療を続けてきたということでした。もともと明るく積極的な性格で、友達も多く、癌だとわかってからはYou Tubeで闘病生活レポートを発信したり、小児病院の医師やナース、そのほかのスタッフともすぐに仲良くなって、通院や入院でさえ楽しんでしまうような青年で、エリカは、心から自慢できる息子だと、誇らしそうに話しました。それから、自分は看護師としての知識も経験もあるが、子供たちを育てるため、夜勤のない外来で働いてきたこと、長男のジェイソンは昼間は大学の授業があるが、夜はジェイクの世話を手伝ってくれているので、なんとか二人でケアすることができているが、この先ジェイクの病状が進んでいったらどうなるか分からない、という不安を語り始めました。そして、なによりも、父親であるサムが、ジェイクのケアに関する主導権を握ろうとするのではないか、と心配していました。 キンバリーと私は、言葉を選びながら、19歳のジェイクは法的に成人であり、彼のケアに関しての決定権は全て彼自身にあること、ホスピスはエリカとサムの両方の主張を平等に受け止めるが、最終的な決断はジェイク本人によって行われ、私たちはそれを尊重する、ということを明確にしました。そして、それは、サムにも同じように説明する、と話しました。エリカは「もちろんよ。ただ、私が心配なのは、サムがジェイクをコントロールしてしまうんじゃないかってことなの。彼はとにかく、そういうことに長けているの。それに、ジェイクにとっては、やっぱり父親だし。私は、ジェイクが彼の本心を言えなくなってしまうんじゃないかって、それが心配なのよ」と、できるだけ平静を保とうとしているのか、少し声のトーンを抑えるようにしながらうったえました。 ちょうどそこへ、買い物に行っていたサムが戻ってきました。私たちが自己紹介をし、ほんの少し前に着いて雑談をしながら待っていたのだと言うと、サムは「そうですか、お待たせしてすみません」と言って荷物を置き、キッチンの方から椅子を一つ持ってきて座りました。サムは身長は165㎝くらいでしたが、がっちりとした筋肉質の体にぴったりとしたTシャツを着て、スキンヘッドと鋭い目つきをした、一見、香港のカンフー映画に出てきそうな雰囲気を持っていました。エリカとサムは特に言葉を交わさず、キンバリーが「どうしますか?ジェイクに会う前に、ホスピスケアについて、ご説明しますか?それとも、ジェイクとお兄さんも一緒に話したほうがいいですか?」と尋ねると、2人とも、まずはホスピスの理念やサービス内容を確認したい、ジェイクと話すのはそれから、ということで意見が一致しました。 そこで、私たちはまず一般的な説明をしてから、小児ホスピス特有である、"concurrent care"(併用治療)について話しました。積極的な根治治療を継続しない成人のホスピスケアと違い、小児の場合、それが症状の緩和につながり、かつ治療を行うことによる弊害が少ないことを前提に、ホスピスケアを受けながらも、同時に治療を受けることができる、というもので、2010年の医療保険制度改革(いわゆるオバマケア)から施行されている、と説明すると、サムは「知っています。当然、ジェイクにとって有益であるなら、治療は続けますからね」と言いました。するとエリカが、「でも、本人がそれを望まなかったらどうなの?」と言い、私たちが答える前に、サムが「もちろんジェイクの気持ちが一番だ。俺は何も押し付けたりしないさ。俺は、あいつが望むことだったら、なんだって叶えてやる、と言ってるだけだ」と言ったのです。エリカは私たちの方を見て、「それが本当にジェイク本人が望んでいるかどうかは、誰が判断するの?」と言い、それに対して何か言おうとしたサムをさりげなく遮るように、キンバリーが答えました。「そうですね、それは大事なことです。先ほども言いましたが、ジェイクは19歳の成人であり、彼の判断、決断能力がある限り、彼が自分のケアに関する決定権を持っています。しかし、それが外部からの圧力によって左右される危険がある場合、そうならないような環境を作らなくてはなりません。例えば、第三者を交えた話し合いを行うなどです。この場合、私たちホスピスのメンバーがその役割を担うことができます。ただ、難しいのは本人の意識がはっきりとしない状態の場合です。そうした状況になった場合のために大切なのが、アドヴァンスディレクティブです。これには、リビングウィルと、POA-HCといういわゆる意思決定代理人があるのですが、CHOPから聞いたところでは、ジェイクはPOA-HCをお兄さんのジェイソンにしているそうですね。それから、ジェイクはリビングウィルの代わりに、CHOPでPOLST(Physician Orders for Life Sustaining Treatment)にサインしたということで、そのコピーを私たちの方でも受け取っていますが、間違いありませんか?」 キンバリーの問いかけに、エリカは神妙な顔でうなずき、サムは腕組みをしたまま表情を変えませんでした。しばしの沈黙のあと、私は、「もちろん、21歳のジェイソンにとっては、とても重い責任だし、ご両親としては納得できない場合もあるかもしれません。それでも、それがジェイクの希望であり、2人がそれだけの信頼関係でつながっているのでしょうから、それはやはり、尊重しなくてはなりません。ただ、そういう状況になるまでに、ご両親を含めて家族内でのコミュニケーションをしっかりとることで、みんなが納得できる結末を迎えることができるよう、ホスピスチームはできる限りのお手伝いをしていきますので、何でも相談してください」と補足しました。エリカは「そうね、そうね」とつぶやきながらうなずき、サムは腕をほどくと両手を膝の上に載せました。それから、キンバリーと私の方を見ると、「僕はジェイクが望むことは何でもしてやりますよ。そのためにここにいるんだ。ジェイクともジェイソンとも、僕は非常にいい関係を築いてきた。とにかく、なによりも大事なのは、ジェイクの気持ちだ。それが最優先です」と宣言しました。エリカは何も言わず、張り切るサムを冷ややかな目で見ていました。 キンバリーと私は目配せすると、ぎこちない空気を破るように、「それじゃ、そろそろジェイクたちに会いに行きましょうか?」と、キンバリーが明るく尋ねました。エリカが「そうね。ただ、ジェイクは両目が腫れちゃって、瞼が閉じなくて、どんな光でも眩しいの。だから、できるだけ部屋は暗くしているの」と言うと、サムが「俺が先に行って確認してくる」と立ち上がり、二階へ駆けあがっていきました。白けた表情でそれを見ていたエリカは、ため息をつき、必要な荷物を持って立ち上がった私たちに向かって、「ほらね」と、ひとことつぶやきました。私たちは何も言わずに待っていると、階段の上から、「彼は準備できているので、上がってきてください」というサムの声がしました。「OK」と答えたキンバリーを先頭に、私、エリカと続き、私たちは階段を上って行きました。 兄弟(2)に続く。
|