ホスピスナースは今日も行く 2020年03月
FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
兄弟 (1)
 19歳のジェイク(仮)は、ベトナム人のお父さんとフィリピン人のお母さん、2歳違いのお兄さん、そして、父親の違う年の離れたお姉さんと、母親の違う年の離れた妹を持つ大学生でした。音楽が好きで、ピアノとギター、ウクレレなどを弾き、そして、なによりも好きだったのは、歌うことでした。中学、高校ではミュージカルの主役も張り、フィラデルフィア小児病院(CHOP)からホスピスに依頼を受けた時も、「退院したら、まずNYのブロードウェイに、『ハミルトン』を観に行くので、初回訪問はNYから帰ってきてから」というほど、ミュージカルが好きでした。そんなジェイクが横紋筋肉腫という悪性腫瘍と診断されたのは、18歳の誕生日の翌日のことでした。
 MSWのキンバリーと一緒に初回訪問したのは、ジェイクとお兄さんのジェイソンが一緒に住んでいる、母親のアパートでした。両親は彼らが小学生の時に離婚しており、父親は再婚してカリフォルニア州に住んでいました。母親は外来手術専門クリニックのナースでしたが、ジェイクの状態が悪化してから、介護休暇を取っていました。私たちが依頼元のCHOP(フィラデルフィア小児病院)のパリアティブケアチームから最初に聞いていたのは、ジェイクの父親がもうすぐこちらに来る予定で、母親は父親が来る前にホスピスケアを始めたがっている、ということでした。というのも、母親は、父親がホスピスケアを受けることに反対するかもしれない、と危惧しているらしく、CHOPのパリアティブケアチームによると、父親と母親の関係はかなり複雑なようでした。ジェイクとジェイソンは母親と住む前に、しばらく父方の伯父の家に預けられていたこともありました。しかし、ジェイクの退院が当初の予定より遅くなり、父親はカリフォルニアからすでにこちらに到着していたため、結局父親も交えて初回訪問を行うことになったのです。
 キンバリーと私がアパートに着くと、母親のエリカがにこにこしながら迎えてくれました。エリカは中肉中背で、髪の毛を頭の天辺できりりとお団子にまとめ、エネルギッシュな印象でしたが、緊張しているのか、少し落ち着かない様子でした。そして、もうすぐジェイクの父親も来るはずだ、と言いながら、私たちにソファーに座るよう勧めてくれました。父親のサムは、とりあえずエリカのアパートに泊まっており、どれくらいこちらにいるのかは未定でした。サムの母親や大勢いる兄弟姉妹の何人かは、エリカの家からそれほど遠くないところに住んでおり、ジェイクたちが一時預けられていた伯父も、その一人でした。
 私たちが自己紹介をすると、エリカは少し早口気味に、ジェイクは2階の自分の部屋にいること、兄のジェイソンが彼のケアを手伝ってくれていること、彼女が二人を育ててきたこと、また、ジェイクの父親とは、ここにいる限り、彼女の方針に従ってもらうということで話がついている、などを、どこか、一生懸命訴えるような感じを漂わせながら話し始めました。それから、キンバリーが、ホスピスケアによって「ネガティブに思える状況でも、ポジティブな時間にすることができる」と言うと、エリカは、実は自分は高校生の時に長女を産んでおり、生まれてすぐに養子に出した娘とある事がきっかけで数年前に再会し、それ以来連絡を取り合っており、ジェイクたちとも交流を続けていると話してくれたのです。長女の養父母ともよい関係で、彼女の結婚式にも出席したなど、エリカ自身、ネガティブをポジティブにできる可能性を信じていると、私たちに向かって少し興奮気味に主張しました。そして、ジェイクはまさにそのpositive thinkerで、病気になってからも常に前向きで、希望を失わずに治療を続けてきたということでした。もともと明るく積極的な性格で、友達も多く、癌だとわかってからはYou Tubeで闘病生活レポートを発信したり、小児病院の医師やナース、そのほかのスタッフともすぐに仲良くなって、通院や入院でさえ楽しんでしまうような青年で、エリカは、心から自慢できる息子だと、誇らしそうに話しました。それから、自分は看護師としての知識も経験もあるが、子供たちを育てるため、夜勤のない外来で働いてきたこと、長男のジェイソンは昼間は大学の授業があるが、夜はジェイクの世話を手伝ってくれているので、なんとか二人でケアすることができているが、この先ジェイクの病状が進んでいったらどうなるか分からない、という不安を語り始めました。そして、なによりも、父親であるサムが、ジェイクのケアに関する主導権を握ろうとするのではないか、と心配していました。
 キンバリーと私は、言葉を選びながら、19歳のジェイクは法的に成人であり、彼のケアに関しての決定権は全て彼自身にあること、ホスピスはエリカとサムの両方の主張を平等に受け止めるが、最終的な決断はジェイク本人によって行われ、私たちはそれを尊重する、ということを明確にしました。そして、それは、サムにも同じように説明する、と話しました。エリカは「もちろんよ。ただ、私が心配なのは、サムがジェイクをコントロールしてしまうんじゃないかってことなの。彼はとにかく、そういうことに長けているの。それに、ジェイクにとっては、やっぱり父親だし。私は、ジェイクが彼の本心を言えなくなってしまうんじゃないかって、それが心配なのよ」と、できるだけ平静を保とうとしているのか、少し声のトーンを抑えるようにしながらうったえました。
 ちょうどそこへ、買い物に行っていたサムが戻ってきました。私たちが自己紹介をし、ほんの少し前に着いて雑談をしながら待っていたのだと言うと、サムは「そうですか、お待たせしてすみません」と言って荷物を置き、キッチンの方から椅子を一つ持ってきて座りました。サムは身長は165㎝くらいでしたが、がっちりとした筋肉質の体にぴったりとしたTシャツを着て、スキンヘッドと鋭い目つきをした、一見、香港のカンフー映画に出てきそうな雰囲気を持っていました。エリカとサムは特に言葉を交わさず、キンバリーが「どうしますか?ジェイクに会う前に、ホスピスケアについて、ご説明しますか?それとも、ジェイクとお兄さんも一緒に話したほうがいいですか?」と尋ねると、2人とも、まずはホスピスの理念やサービス内容を確認したい、ジェイクと話すのはそれから、ということで意見が一致しました。
 そこで、私たちはまず一般的な説明をしてから、小児ホスピス特有である、"concurrent care"(併用治療)について話しました。積極的な根治治療を継続しない成人のホスピスケアと違い、小児の場合、それが症状の緩和につながり、かつ治療を行うことによる弊害が少ないことを前提に、ホスピスケアを受けながらも、同時に治療を受けることができる、というもので、2010年の医療保険制度改革(いわゆるオバマケア)から施行されている、と説明すると、サムは「知っています。当然、ジェイクにとって有益であるなら、治療は続けますからね」と言いました。するとエリカが、「でも、本人がそれを望まなかったらどうなの?」と言い、私たちが答える前に、サムが「もちろんジェイクの気持ちが一番だ。俺は何も押し付けたりしないさ。俺は、あいつが望むことだったら、なんだって叶えてやる、と言ってるだけだ」と言ったのです。エリカは私たちの方を見て、「それが本当にジェイク本人が望んでいるかどうかは、誰が判断するの?」と言い、それに対して何か言おうとしたサムをさりげなく遮るように、キンバリーが答えました。「そうですね、それは大事なことです。先ほども言いましたが、ジェイクは19歳の成人であり、彼の判断、決断能力がある限り、彼が自分のケアに関する決定権を持っています。しかし、それが外部からの圧力によって左右される危険がある場合、そうならないような環境を作らなくてはなりません。例えば、第三者を交えた話し合いを行うなどです。この場合、私たちホスピスのメンバーがその役割を担うことができます。ただ、難しいのは本人の意識がはっきりとしない状態の場合です。そうした状況になった場合のために大切なのが、アドヴァンスディレクティブです。これには、リビングウィルと、POA-HCといういわゆる意思決定代理人があるのですが、CHOPから聞いたところでは、ジェイクはPOA-HCをお兄さんのジェイソンにしているそうですね。それから、ジェイクはリビングウィルの代わりに、CHOPでPOLST(Physician Orders for Life Sustaining Treatment)にサインしたということで、そのコピーを私たちの方でも受け取っていますが、間違いありませんか?」
 キンバリーの問いかけに、エリカは神妙な顔でうなずき、サムは腕組みをしたまま表情を変えませんでした。しばしの沈黙のあと、私は、「もちろん、21歳のジェイソンにとっては、とても重い責任だし、ご両親としては納得できない場合もあるかもしれません。それでも、それがジェイクの希望であり、2人がそれだけの信頼関係でつながっているのでしょうから、それはやはり、尊重しなくてはなりません。ただ、そういう状況になるまでに、ご両親を含めて家族内でのコミュニケーションをしっかりとることで、みんなが納得できる結末を迎えることができるよう、ホスピスチームはできる限りのお手伝いをしていきますので、何でも相談してください」と補足しました。エリカは「そうね、そうね」とつぶやきながらうなずき、サムは腕をほどくと両手を膝の上に載せました。それから、キンバリーと私の方を見ると、「僕はジェイクが望むことは何でもしてやりますよ。そのためにここにいるんだ。ジェイクともジェイソンとも、僕は非常にいい関係を築いてきた。とにかく、なによりも大事なのは、ジェイクの気持ちだ。それが最優先です」と宣言しました。エリカは何も言わず、張り切るサムを冷ややかな目で見ていました。
 キンバリーと私は目配せすると、ぎこちない空気を破るように、「それじゃ、そろそろジェイクたちに会いに行きましょうか?」と、キンバリーが明るく尋ねました。エリカが「そうね。ただ、ジェイクは両目が腫れちゃって、瞼が閉じなくて、どんな光でも眩しいの。だから、できるだけ部屋は暗くしているの」と言うと、サムが「俺が先に行って確認してくる」と立ち上がり、二階へ駆けあがっていきました。白けた表情でそれを見ていたエリカは、ため息をつき、必要な荷物を持って立ち上がった私たちに向かって、「ほらね」と、ひとことつぶやきました。私たちは何も言わずに待っていると、階段の上から、「彼は準備できているので、上がってきてください」というサムの声がしました。「OK」と答えたキンバリーを先頭に、私、エリカと続き、私たちは階段を上って行きました。 兄弟(2)に続く。
[2020/03/31 17:13] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
コロナより怖いFU-ANウィルス
 新型コロナウィルス感染症こと、COVID-19で世界中がパニックに陥っています。ここアメリカでも、今までは対岸の火事的な楽観ムードだったのが、ここへきて一気に感染者が増え、一般市民の緊張感も急上昇してきました。パニック買いも始まり、マスクや手指消毒ジェル、トイレットペーパーだけでなく、食料品までがお店から消えていっています。ただ、その割にマスクをしている人をまったく見かけないのはなぜか...?
 あちこちの州で非常事態宣言が出され、「非常事態宣言」と聞いただけで、その意味も知らずに恐れおののいている人も多いようです。要するにこれは、非常事態担当部局が、州や地方、および、民間機関の資源や資産を活用し、迅速に対応、支援できるようにするための措置なのだそうです。休校や一時的閉鎖で全校消毒をしたり、オンライン授業に切り替える準備をしている学校も増えてきました。私の住む郡も、ついに学校を含む公共施設の2週間のシャットダウン勧告が出ました。
 私たちが訪問するホスピスの患者さんや家族も、この状況に強い不安を感じていますが、訪問する私たちの方も、かなり気を遣っています。当然、一番避けたいのは、自分が感染源になることですから。基本的な感染予防である手洗いや、使用する道具や器具の消毒も、普段以上に徹底し、手袋やアルコールジェルの減り方がすごい勢いで加速しています。同時に手荒れ予防のハンドクリームもどんどん減っているのをみると、風が吹いて儲かっている桶屋もいるのだろうな、と下世話な考えが脳裏をよぎったりもします。
 日本領事館からは毎日のように、在米日本人に向けて「コロナ状況」のメールが送ってこられ、どこの州で感染者何名、死亡者何名、その他、大切なリソースや対策などの最新情報を見ていると、ありがたいけれど、これを毎日見ている人は不安が増すばかりだろうな、と思わずにはいられません。亡くなられた方々には本当に気の毒で、もちろん、いつ自分に降りかかってくるかもわかりませんが、それでも、致死率はそんなに高いわけではなく、つまり、感染しても治っている人たちも大勢いるということなのです。つまり、「こうして予防しましょう」というだけでなく、「感染しても適切な治療でなおります」ということも知らせるべきなのではないでしょうか。毎年世界中で流行るインフルエンザも、肺炎に移行して亡くなる方は大勢います。そして、インフルエンザにも決定的な治療薬はなく、基本的には対症療法で身体を楽にし、自分の身体がウィルスに勝つまで戦うしかないのです。
 イタリアの校長先生や、先人たちが言うように、こうしたパンデミックや自然災害などの非常事態で、なによりも怖いのはデマなどによって人々がパニックに陥り、自己防衛本能が異様に高まり、常軌を逸した行動に走ってしまうことです。トイレットペーパーや水の買い占め、ドラッグストアで商品を巡ってのケンカ、店員さんが責められる、電車の中で咳をしたら罵倒される、など、人間の悲しい性が制御不可能になってしまうのを、仕方ない、で片づけてしまうのは、あまりにも情けない気がします。そして、普段だったらしない行動をしてしまうのはなぜなのか?人としての誇りさえ失ったような言動をさせるのは、何なのか?それは、不安、です。
 約10年ほど前、豚インフルエンザが流行った時、小学生だった次男が、クラスメイトを恐怖のどん底に陥れたことがありました。アレルギー性鼻炎を持つ彼は、喉をすっきりさせるために、その頃、かなり派手な咳をする癖があったのです。小柄でおとなしかった次男が、「ゲゲッ、ゲゲッ」と大きな音を立てて咳をするたびに、教室の子どもたちは「豚インフルエンザだ!」と、彼の周りから離れ始め、大騒ぎになってしまいました。先生もアレルギーだとは知ってはいたものの、念のために彼を保健室に行かせたため、スクールナースから私に電話がかかってきたのです。スクールナースももちろん、念のために電話をしてきたのですが、私にアレルギーだと確認し、他に症状もないことから、次男は隔離されることなく教室に戻ることができました。その時は先生が子供たちに説明してくれ、みんな素直に納得してくれましたが、場合によっては、こんなことからいじめが始まったりするのかもしれない、と思った出来事でした。おっとりした次男は、この騒動を笑って話してくれたのですが、親として、”できるだけ地味で、エチケットにのっとった咳の仕方”を練習させたことは、言うまでもありません。子供たちが通った小学校は、学区でも一番小さく、アメリカでは珍しい、9割近くの子どもが徒歩で通い、各学年2クラス、ひとクラス20人弱という、児童も保護者もみんな顔見知りのような学校で、学校側と保護者のコミュニケーションがよくとれていたことも、変な噂にならずにすんだ理由だったのかもしれません。
 先が見えない、いつまで続くのかわからない、自分や家族がどうなるのかわからない、どう対処したらよいのかわからない、対処したらどうなるのかもわからない、そうした不安は人を疑心暗鬼にさせます。そんな不安がデマを産むのか、それともどこかの誰かが、さらに不安をあおるため、作為的にデマを流すのか、とにかく不安というウィルスで、正しい判断をするための抵抗力が低下している心には、明らかに信ぴょう性のないデマが、なぜかするりと入り込んでしまうのです。そして、善意であれ、悪意であれ、それは人の口から口へと渡り、あるいはSNSなどで拡散されていきます。そうしたうわさやデマが餌となり、不安ウィルスはどんどんパワーをアップさせていき、ついには人をパニックに導きます。そうなるともう、人々は不安熱によって判断力を失ったゾンビ状態になり、ゾンビ的言動に走ってしまうのです。
 しかし、誰もが不安ウィルスからゾンビ状態になるとはかぎりません。なぜなら、人間は、「平常心」という抗体を持っているからです。この平常心という抗体は、不安ウィルスに対抗して、ゾンビ化を防ぎ、正常な判断力を守ります。9年前、日本人は世紀の大震災の中、想像を絶する悲しみの中で、この平常心を必死に保とうとしていたと思います。そしてそれは、お互いへの「思いやり」というブースター効果によって免疫力を増し、多くの人に、窮地に立ち向かい、乗り越えていく強さを与えたのだと思います。
 平常心は、身を守ります。世界的に不安熱にうなされているこんな時こそ、「思いやり」のブースター効果で心の免疫力をアップし、平常心を保ちたいものです。もちろん、石鹸での手洗いは忘れずに。
[2020/03/11 15:08] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
| ホーム |
プロフィール

ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

このブログが本になりました!

2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR