ホスピスナースは今日も行く 2019年11月
FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
クマの知らせ (5)
 そんな慌ただしい夜を過ごしたクリスはぐっすりと眠っており、私は起こさないように熱と脈だけ測り、そうっと胸とおなかの音を聞いて、PCAポンプと尿量をチェックしてから部屋を出ました。キッチンに戻り、すべて安定していると告げると、サミー達は頷きながら、「よかった。もしも目が覚めて大学に行きたいって言ったら行こうと思うけど、どうなるか分からないわ」と言いました。それから、キンバリーが「今話していたんだけど、お葬式のことなんだけどね、クリスはそこまで考えてて、もう、どうしたいか話し合ったんですって」と言いました。私はサミーとダニエルの顔を交互に見ながら、心の底から感心して「うわあ...素晴らしいです。あなた方の息子さんは、本当に、ただものじゃないです」と言うと、二人とも嬉しそうに微笑みました。私は、翌日の水曜日の朝の様子で、必要であれば訪問することにし、サミーもそれに賛成しました。
 水曜の朝、サミーに『おはようございます。クリスの調子はどう?大学へは行ったの?今日の訪問はどうしますか?』とメールすると、『答えはイエスよ。ついに大学に行ってきたわ!いつあなたに来てほしいか、彼に確認するわね』と返信がありました。『よかったー!じゃあ、彼に訊いてみてください』と書くと、すぐに『エイドのニッキーが今ちょうど来たので、訊けなかったわ。昨夜は3回、呼吸のためにモルヒネをあげたわ。それからリラックスのための薬も一回使ったの。今から2時間くらいしてからまたメールしてくれるかしら?そしたらその時の様子で今日か明日にするか決めましょう』と返事があり、私は『わかりました。今から3時間くらいミーティングなので、その後にメールします』と言うと、サミーは『OK、じゃ、あとで』との返事でした。結局その日、クリスは意識がはっきりしないため車いすに乗ることができず、呼吸苦を感じる回数も増え、モルヒネとロラゼパムを何度か使ってから、薬が効いて楽そうに眠っているので、訪問は翌日に、ということになりました。
 キンバリーと私が木曜日の朝に訪問すると、いつものようにサミーとダニエルが迎えてくれました。クリスはよく眠っており、ボーラスもほとんど使っていないということでした。私たちはまずキッチンに行くと、早速、大学へ行った時のことを尋ねました。すると、サミーが嬉しそうに話しはじめました。「火曜日はあれからずっと眠っててね、私たちも、もう無理かなって思ってたの。そしたら、4時くらいに起きて、”大学に行こう”って、まるで当たり前のように言ったのよ。それで、急いで私たちの天使に電話したら、すぐに来てくれて、もうラッシュ時で道はメチャクチャ混んでたんだけど、とにかく行ったの。クリスが連絡してた友達が何人も集まってくれてて、ちゃんと部屋まで上がったのよ。シティーが一望できる素敵なアパートでね、ほんのちょっと見るだけのつもりだったのに、結局30分以上いたかしらね。その間、天使の彼女は車の中で待っていてくれたのよ。‟私はここでネットフリックス見てるから、ゆっくりしてきて”って。クリスは、帰りはかなり疲れてたけど、それでもとっても満足してたわ。本当に。」そして、彼女はこう付け足しました。「もちろんね、あそこで暮らしてみたかったでしょうけど。」それから無言になったサミーの肩に、ダニエルがそっと手を置くと、彼女はその手に自分の手を重ね、私たちはしばらくの間、何も言わずに、その場で、それぞれの想いと対峙していました。
 彼が一番の願いを叶えた今、安堵や喜びと同時に、そもそも19歳でバケツリストを作ること自体、理不尽以外の何ものでもないのだという思いが、あぶり出しの模様のように、私の中にじわじわと浮き上がってきていました。誰のせいでもない、何のせいでもない、でも、それが生まれ持った運命であると受け入れるしかないのかと思うと、あまりにも切なく、深い、行きつくところのない悲しみの中にいるサミーとダニエルに、自分はどんな眼差しを向けたらよいのか、戸惑うばかりでした。
 しばしの沈黙のあと、私は、「そうですね。それでもやっぱり、一瞬でもそこにいられたということが、クリスにとってはものすごく大きな意味を持つんじゃないでしょうか。自分の存在をもう一つ、刻印することができたんですから。きっと、彼のルームメイトはその日のことを一生忘れないでしょうね」と言うと、サミーとダニエルは微笑みながら頷きました。それから、サミーが、「それじゃ、そろそろクリスに会う?」と言い、私たちは二人に続いてクリスの部屋に入りました。
 クリスはサミーに声をかけられて目を覚まし、私たちを見てにっこりしました。私とキンバリーが、「きいたよ、大学に行ったんだってね。よかったねー!私たちも、とっても嬉しいよ」と言うと、クリスは何か言おうとしましたが、はっきりと言葉にはならず、微笑んで右手の親指を立てました。クリスは会話中もウトウトし、言葉も出にくくなっており、声も弱く、サミーが何度も、「え?何?なんて言ったの?」と聞き返さなければなりませんでした。その日、私はポートの針とラインを交換しなければならず、キンバリーとダニエルはキッチンに戻り、サミーは私と部屋に残りました。アセスメントのあと、針を刺し換え、ラインを交換している間、クリスはうつらうつらしており、私が、「クリス、終わったよ」と声をかけるとパッと目を開いて、ニコッとしました。私が「痛みはない?ボーラスいる?」と訊くと、首を横に振り、「そう、じゃ、今は楽?」と訊くとうなずき、サミーが「今日は何かしたいことある?」と訊くと、小さな声で何かを言いました。私は一瞬「ジャパン」という言葉を聞いた気がしましたが、「え?なに?もう一回言って」と繰り返すサミーに、一生懸命伝えようとするクリスの口元を見ていました。そして、何度かくりかえしたあと、サミーが、「え?ジャパン?日本に行きたいって言ったの?」と言うと、クリスはにっこりしてうなずきました。サミーは私と顔を見合わせると、笑いながら「あらー、じゃあNobukoに案内してもらわなくちゃね。ついでに韓国に寄るのもいいじゃない?」と言い、私は、「もちろん、私も行きたいから、喜んでお伴するわよ」と言うと、クリスは右手の親指を立てました。それからクリスは何かを言おうとしていましたが、結局途中で眠ってしまいました。
 サミーと私はキッチンに戻り、話をしていたダニエルとキンバリーにクリスの日本行きのことを話しました。クリスの悲しい冗談は、きっと、ほんの少しの本音と、大人たちへの優しさがこもっており、私たちは少しだけ笑いました。キンバリーが、「Nobukoのアセスメントがどうだったか気になるけど、大きな目標を遂げたあとに急変することは珍しくないです。とにかく、あなた方のしていることが、クリスにとって一番必要なことですから、ご自分たちの直感を信じて下さい。今しかない、と思ったら、実行してください。もちろん、そこに不安や迷いがあるときは、いつでもホスピスに電話して」と言うと、サミー達はうなずき、ダニエルが「そうだな。ただ、日本はちょっと無理だけどね」と言って笑いました。それから、私に向かって、「もちろん、はっきりと言えないことはわかってるよ。でも、あと、どれくらいだと思う?」と言いました。
 私は、「キンバリーが言ったように、大きな目標を果たすことができたし、ここ数日の変化から、いつ逝かれてもおかしくないと思います。週末を越せるかどうかはわかりません。バイタルサインは安定していても、彼は若いし、そのこと自体はそれほど指標にはなりません。これから、呼吸が速く、不規則になったり、無呼吸になる時間や頻度が増え、喉の奥の方でガラガラという音が聞こえるようになるかもしれません。それから、手足が冷たく、紫色になったりすることもよくある症状です。これらはみんな、自然な現象で、特に喉のガラガラ音やチアノーゼは本人に苦痛を与える事はありません。もちろん、ガラガラしている唾液がのどに詰まって窒息することもありません。ただ、苦しそうに聞こえるので、喉にたまった唾液を乾かす薬を舌下すれば、それは減少できます。一生懸命呼吸しているようだったら、今までのように、モルヒネを舌下か頬の内側に垂らしてあげたら楽になります。これらの薬はみんな、冷蔵庫のコンフォートキットに入っています」と言い、それからもう一度コンフォートキットの中身を一緒に見直しました。そして、「あと、これはいつもご家族に言う事なんですが、どういうわけか、一人きりになった時に亡くなる人が多いんです。付き添っていた人が、ほんの少しの間、トイレに立ったり、コーヒーを温め直しに行ったり、ちょっとウトウトと眠ってしまったりした間に、っていうことは、なぜだかよくあるんですね。どうしてなのかはわかりませんが、もしそうなったとしても、それは、それがその人の時間だということなんだと思います。もちろん、ご家族に見守られて亡くなる方もいます。ただ、もしもそういうタイミングだったとしても、その時そばを離れたことを後悔してほしくないんです。もしかしたら、その瞬間を待っていたのかもしれないし、それは誰にもわからないことですから。だから、お別れは、言える時に言っておいた方がいいと思います」と話しました。
 サミーとダニエルは、うなずきながら、あらためて突き付けられた現実に目を赤くしていました。そして、ダニエルが、「そうか、よくわかったよ」と言いました。それからサミーが、「じゃあ、彼が亡くなった時はどうしたらいいの?」と訊いてきました。私は、「ホスピスに電話してください。それだけです。時間外だったら当直のナースが、日中なら私が来ます。そして、ナースが死亡を確認してから、死亡証明書の確認欄にサインします。それから受け持ちの医師に連絡し、葬儀社に連絡します。もしもご家族が葬儀社に連絡したければ、それでも全く構いません。葬儀社に引き取りに来る時間をリクエストできますが、半日とか、あまり長い時間だと注意事項があるかもしれないです。それで、葬儀社の方が来て、クリスを連れて行くとき、死亡診断書も一緒に持っていき、それを受け持ちの医師のところに届けて、医師が最終的に診断書を完成させます。医療機器や薬局その他への連絡は私たちがしますので、心配しないでください。とにかく、ホスピスに電話すること、それだけです」と説明しました。サミーはできるだけ冷静を保とうとしながら聞いていましたが、それでもあふれてくる涙を抑えることができませんでした。数日前に父親の葬儀に参列し、今度は息子の死亡時の話をしなくてはならない彼女の胸の内は、はかりしれませんでした。それでも、涙では流しきれないかなしみや根拠のない罪悪感、虚無感、そして寂しさにつぶれそうなほどの苦しみが、私の想像など及びもしないことだけは、足元から伝わってくるようでした。クマの知らせ(6)に続く。
[2019/11/30 06:30] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
クマの知らせ (4)
 キンバリーと私がクリスの家に着くと、お父さんのダニエルが私たちを迎えてくれました。キンバリーが初めましての挨拶をすると、ダニエルは、「ああ、サミーが一度電話で話したって言ってた...」と言い、「妻は今日はいないんだよ」と言いました。サミーは隣のニュージャージー州の実家に行っていました。というのも、ホスピスケアを受けていた彼女のお父さんが亡くなったのです。何というタイミングか...と思いながら、私たちはお悔やみと、心からの哀憫の気持ちを伝えました。ダニエルは「どうもありがとう。亡くなったのは昨夜なんだけどね、昨日はクリスのことでサミーもいっぱいいっぱいだったし。でも、あっちもうちの事情はよくわかっているから、義兄や義妹たちがサポートしてくれてたんで、助かったよ」と言いました。キンバリーが「クリスは知っているんですか?」と訊くと、ダニエルは「ああ、もちろん。昨夜家に戻ってきてから話したよ。クリスは葬式にはできれば行きたいとは言っていたけど、それもちょっとわからないな」と言いました。クリスの下半身は完全にマヒし、膀胱留置カテーテルも入れられ、自分で立つことはできなくなっていました。
 お父さんが声をかけてから、私達はクリスの部屋に入りました。キンバリーが「ハーイ、クリス。ソーシャルワーカーのキンバリーよ。やっと会えて嬉しいわ」と言うと、クリスはいつもの笑顔で「ハーイ、キンバリー。こちらこそよろしく」と言いました。私が「おはよう、クリス。昨日は大変だったね。昨夜はよく眠れた?」と訊くと、クリスは、「うん、まあね」と言い、「痛みはどう?」と訊くと、「ボーラスは2回くらい押したかな。でも、そんなに必要じゃないよ。そういう意味では結構快適かな」と言いました。それから「(膀胱の)カテーテルは気にならない?」と言うと、「ぜんぜん。今回はすごくうまくやってくれたよ」と、右手の親指を立てました。キンバリーが「それは良かったわね。ところで、大学のアパートに行きたいってきいたけど、他にもやりたいこととか、行きたいところはあるの?」と訊くと、クリスは、「うん、本屋に行きたいんだ。ニューホープにいい本屋があるんだよ」と言いました。キンバリーが、「あら、今時珍しいわね。今の若者は何でもネットでオーダーするんじゃないの?本も、電子書籍で読んだりするんじゃないの?」と言うと、クリスは「うーん、まあね。でも、僕は本屋の雰囲気が好きなんだ。背表紙を見ながらいろいろイマジネーションをはたらかしてさ。特にね、その本屋はすごくいい感じなんだ」と言い、「それから、一年に一枚、その年の気に入った曲でCDを作ってたんだけど、2016年から溜まっちゃっててさ、それを完成させたいんだ。もう入れる曲は決まってるし、カバーの写真も撮ってあるんだ」と言いました。私は感心して、「わー、凄いね。それはぜひ完成させてほしいなあ。それじゃ、結構忙しいね」と言うと、お父さんがにこにこして「クリスは僕たちの使い方も心得ているからね。僕とサミーは彼に言われたとおりに手伝えばいいんだ」と言い、それから「できればね、車いすを乗せられるヴァンをレンタルしたいと思っているんだよ。まあ、いざとなれば僕がクリスを車いすから車に移動させることも出来ると思うけど、車いすのまま乗れたらその方がずっと楽だからね」と言いました。キンバリーが「そうですね、そういうヴァンは、普通のレンタカーでは難しいかもしれないですね」と言うと、お父さんは「うん、まあ、いろいろ探してみるよ」と言ってから、明るい顔で「なんとかなるさ」とクリスを見ました。私は、「だったら、PTにも来てもらって、安全な移動の仕方を教えてもらいましょう。あと、ホイヤーリフトも念のためにオーダーしましょうか?使わない時は閉じて部屋の隅っこか廊下に置いておけばいいし、いざと言う時にあれば便利ですから」と言うと、クリスが「リフトはあった方が助かるな」と言いました。それから、私がアセスメントをする間、キンバリーはお父さんとキッチンへ行き、話をしていました。
 クリスは驚くほど冷静に現実を受け入れていて、自分が向かっている所を明確に意識していました。青春の真っただ中で未来への扉を閉じられてしまった彼は、それでも、その扉が完全に閉じてしまうその瞬間まで、光に向かって生きようとしているような、そんな決意をにじませていました。自分にとって何が大切なのかをはっきりと見極めて、自分の生きていた証しを残すことに全身全霊を注ごうとしていたのです。私は、心の底からそれを叶えさせてあげたいと思い、運命に対しては無力ではあるけれど、せめて症状をコントロールし、苦痛をなくすことでその手助けをするのが使命だと、いつも以上に気持ちが引き締まりました。
 クリスの腫瘍はまるでビデオの早送りのような勢いで、彼の全身に広がっていきました。翌日訪問した時は、かなりの回数のボーラスを使っており、私はPACTと相談して、メサドンとボーラスの用量を増やしました。しかし、これは想定内で、このあとはボーラスを使う回数がぐっと減り、うとうとする時間は増えたものの、痛みは殆ど感じないで過ごせるようになりました。しかし、翌々日、サミーから携帯に『クリスの呼吸が変なんだけど、PACTに電話した方がいいかしら?』というメールが来ました。私はすぐに電話をすると、「なんかね、息がしにくいって、ちょっとパニックになってるの。痛みはそうでもないんだけど。一応酸素はつけたんだけど、どうしたらいいかしら?これって、肺炎とかなの?」と、言いました。私は、すぐにロラゼパムと液体のモルヒネを舌下するように言い、15分しても楽にならないようなら、もう一度電話するように言いました。それから「多分、貧血のせいだと思います。でも、熱や咳が出たら、すぐに連絡して。酸素はクリスが楽ならずっとつけていてもいいし、うっとうしかったり、必要なければ外しても構いません」と言うと、サミーは「わかった。どうもありがとう」と言って電話を切りました。翌朝訪問すると、サミーとダニエルが待っており、あのあとロラゼパムとモルヒネが効き、呼吸も楽になって、夜もよく眠っていたようだ、ということでした。そして、クリスの指示に従って、CD作成もだいぶ進んでいる、という話になり、「ただね、車いす用のヴァンがなかなか見つからないのよ。やっぱり普通のレンタカーでは扱っていないのよね。何とかして大学だけには連れて行ってあげたいんだけど...」と、サミーが言い、ダニエルも「僕もいろいろつてを探しているんだけどね。なかなかなくてね...」と悩んでいました。それからサミーが、「それにね、クリスも普通の車いすじゃ体を支えるのが辛くなってきたみたいなの。枕とかクッションとか挟んでみたんだけどね。もしヴァンがあったとしてもあの姿勢で30分以上車に乗っているのはきついかもしれないわ」と言いました。私は、「ヴァンの方は私もどうしたらいいのかわかりませんが、車いすならハイバックのリクライニング車いすをオーダーできます。あれなら頭を支えられるので楽ですから」と言い、早速提携している医療機器レンタル会社に電話しました。そして、その日の午後に配達される、と言うと、二人とも目を丸くして、「いったいどういう秘技を使ってるの?」と笑いました。
 クリスはアセスメントの間もうとうとするようになり、会話の途中で眠ってしまい、「あれ?今、僕寝てた?」と照れ笑いすることもありました。その週末は月曜日の祝日との連休で、クリスの状態からすると、外出するには最後のチャンスかもしれない、という感じでした。そして、月曜日にサミーにメールで彼の様子を確認すると、『調子はいいわ。クリスはとにかくやることリストを完遂させることに、もの凄く集中してるわ。私たちにどんどん指示をしてね、ダニエルは必至で曲を集めてるし、私はグラフィック担当なの。大学のアパートにもどうしても行きたいって言っているし』とのことで、私は、『すごいですね。だったら私は邪魔したくないので、明日訪問しますね。もし何かあったら電話かメールしてください』と言うと、『わかった、ありがとう』との返事でした。私は少し安心し、火曜日の朝サミーから『今日は何時に来るの?』とメールが来た時も、それまでの12時間の間に何があったのか、想像もしませんでした。私が、『キンバリーと一緒に10時ころに行く予定だけど、いいですか?』と訊くと、返ってきたのは『OK』という短い返事でした。そして、キンバリーと私が10時に玄関のベルを鳴らすと、ドアを開けてくれたのはダニエルでした。
 ダニエルは、いつものようににこにこしながら、「サミーは今シャワーしてるよ。君たちが来るのは知ってるから、すぐ下りてくると思うけど」と言いました。それから、「昨夜はちょっと大変でね、彼女もあんまり寝てないんだ」と言ったのです。私たちが、「何があったんですか?」と訊くと、ダニエルは「それがね、昨夜、クリスを地元の病院のERに連れて行って、帰ってきたのは午前3時過ぎだったんだよ」と話し始めたのです。「昨日は一日調子も良くて、CD作る作業も結構進んだんだ。2016年は完成してね。クリスは本当にいいディレクターだよ。部下をどう使ったらいいのか、よく心得てる。日曜日には小学校の時の先生も会いに来てくれてね。クリスが大好きだった先生でね、ギフテッドプログラム(特に優秀な子供たちが受けられる、特別クラス)でも、クリスのことをとてもかわいがってくれたんだよ。クリスはずっとコンタクトを取ってて、だから、ちゃんと挨拶をしたかったみたいでね、彼の方から会いたいって言ったみたいなんだ。」その時、サミーが「ごめんなさいねー」と言いながら、二階から降りてきました。キンバリーが、「始めまして。やっとお会いできましたね、ソーシャルワーカーのキンバリーです」と右手を差し出すと、サミーは「ほんと、最初に電話でお話ししてから、やっと会えたわ。こんな格好で失礼します」と言って握手しました。そして、「今、ミセスガードナーのことを話してたんだ」というダニエルを見上げてから、「ああ、日曜日のこと?」と言い、「そうなの、クリスの恩師でね。ほら、クリスが枕元に置いてるテディベアがあるでしょ?あれはミセスガードナーが最初の化学療法のときにくれたものでね、以来、ずっとお守りみたいに一緒にいるのよ」と言いました。それから、「クリスはね、ミセスガードナーにどうしてもお礼が言いたかったみたい。‟先生のおかげで学ぶことの楽しさを知って、大学まで行くことができた”って、言ってたわ。彼女はもう引退してるんだけど、クリスは本当に特別な生徒だったっておっしゃってたわ」と言うと、しばらく言葉に詰まってしまいました。私は思わず「うわあ...素晴らしいなあ」とつぶやくと、キンバリーも頷きながら、「卒業して何年も経っているのに、すてきですね」と言い、それから、「それで、昨夜は何があったんですか?」と話を戻しました。するとサミーが、「そうそう、昨夜のことね。まあ、こんな玄関先じゃなく、とりあえず中に入って」と言い、ダニエルも「そうだそうだ、こんな立ち話もなんだし」と言いながらキッチンへ移動しました。
 私たちはキッチンカウンターの周りに集まると、ダニエルが「コーヒーでも淹れようか?」と訊いてくれました。私たちは「どうもありがとうございます。でも、どうぞお気を遣わず」と言ってから、話の続きを聞くことにしました。サミーは「私は一杯もらいたいわ」とダニエルに言うと、ダニエルが「よしきた。君たちはほんとにいいの?遠慮しないで」と言い、私たちが丁寧に辞退すると、ニコニコしながら「OK」と言ってコーヒーの準備を始めました。そして、それを待ちながら、サミーが話し始めました。
 「それで、昨夜なんだけど、昼間のうちは調子よかったの。それで頑張りすぎちゃったのかしらね。夜辺りからぐったりしだして、呼吸も少し辛くてね、酸素も付けたんだけど、結局11時近くになってクリスが「輸血したい」って言ってね。PACTに電話したら、地元の病院のERでできるように手配してくれてね、でも、どうやってERに連れて行くかが問題でね。救急車は呼びたくなかったし。それでね、ああ、この話はしてなかったわね。実はね、車いす用のヴァンを持っている人が見つかったのよ。それで、遅い時間に申し訳ないと思ったんだけど、”いつでも電話して”って言ってくれてたから、思い切ってその人に連絡したら、すぐに来てくれて、ERに連れて行ってくれて、輸血が終わってクリスが落ち着くまで待ってくれてね、それからまた家まで送ってくれたの。夜中の3時よ。しかも祝日よ。そのうえ、”大学に行きたかったら、いつでも連れていけるわよ”って言ってくれてね。本当に、天使みたいな人なの」
 私が感心しながら、「どうやってその人を見つけたんですか?」と訊くと、サミーはにっこりして、「それがね、なんていうか、神様ってちゃんと見てくださっているんだなって、ちゃんと、助けて下さるんだなって、つくづく思ったんだけどね。土曜日にクリスが会いたいって言って、教会の牧師さんに来てもらったの。クリスは教会のユースグループの活動も積極的にやってたから、牧師さんも彼のことは小さい頃からよく知ってるし。クリスはしばらく話しててね。もちろん、詳しいことはわからないけど、いろいろ心に引っかかっていたこととかも話せたみたいなの。それでね、その日の夕方クリスの高校時代の友達が遊びに来てくれてね、その子のお母さんも一緒に着てくれて、彼らが話している間、私たちもお茶を飲みながらおしゃべりしてたの。で、そのお母さんが、”何かできることがあれば言ってほしい”って言ってくれて、私、半分冗談のつもりで”車いす用のヴァンを持っている人を知らない?”って聞いたのよ。そしたら、”持っている人は知らないけど、地元の新聞社に勤めている友人がいるから、その人に広告を出してもらうよう頼んでみるわ”って言ってくれて、すぐにその知り合いに連絡してくれたの。そうしたら、その人が早速日曜のローカル新聞に”車いす用ヴァンを探しています”っていう広告を載せてくれたのよ。で、それを見たのが私たちの天使だったってわけ。彼女はね、ご主人が四肢麻痺で、車いす用ヴァンが自家用車なのよ。だから、扱いにも慣れているし。彼女の天使たるところはね、そのご主人と結婚した時、彼はすでに四肢麻痺だったんですって。それで、広告を見てすぐに連絡してくれたの。少しでもお役に立てるなら、って」と言ったのです。奇跡のようなこの話に、キンバリーと私は、ひたすら目を丸くして、口を開けて、「ワーオ」と言い続けるしか能がありませんでした。クマの知らせ(5)に続く。
[2019/11/15 11:03] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
| ホーム |
プロフィール

ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

このブログが本になりました!

2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR