キンバリーと私がクリスの家に着くと、お父さんのダニエルが私たちを迎えてくれました。キンバリーが初めましての挨拶をすると、ダニエルは、「ああ、サミーが一度電話で話したって言ってた...」と言い、「妻は今日はいないんだよ」と言いました。サミーは隣のニュージャージー州の実家に行っていました。というのも、ホスピスケアを受けていた彼女のお父さんが亡くなったのです。何というタイミングか...と思いながら、私たちはお悔やみと、心からの哀憫の気持ちを伝えました。ダニエルは「どうもありがとう。亡くなったのは昨夜なんだけどね、昨日はクリスのことでサミーもいっぱいいっぱいだったし。でも、あっちもうちの事情はよくわかっているから、義兄や義妹たちがサポートしてくれてたんで、助かったよ」と言いました。キンバリーが「クリスは知っているんですか?」と訊くと、ダニエルは「ああ、もちろん。昨夜家に戻ってきてから話したよ。クリスは葬式にはできれば行きたいとは言っていたけど、それもちょっとわからないな」と言いました。クリスの下半身は完全にマヒし、膀胱留置カテーテルも入れられ、自分で立つことはできなくなっていました。 お父さんが声をかけてから、私達はクリスの部屋に入りました。キンバリーが「ハーイ、クリス。ソーシャルワーカーのキンバリーよ。やっと会えて嬉しいわ」と言うと、クリスはいつもの笑顔で「ハーイ、キンバリー。こちらこそよろしく」と言いました。私が「おはよう、クリス。昨日は大変だったね。昨夜はよく眠れた?」と訊くと、クリスは、「うん、まあね」と言い、「痛みはどう?」と訊くと、「ボーラスは2回くらい押したかな。でも、そんなに必要じゃないよ。そういう意味では結構快適かな」と言いました。それから「(膀胱の)カテーテルは気にならない?」と言うと、「ぜんぜん。今回はすごくうまくやってくれたよ」と、右手の親指を立てました。キンバリーが「それは良かったわね。ところで、大学のアパートに行きたいってきいたけど、他にもやりたいこととか、行きたいところはあるの?」と訊くと、クリスは、「うん、本屋に行きたいんだ。ニューホープにいい本屋があるんだよ」と言いました。キンバリーが、「あら、今時珍しいわね。今の若者は何でもネットでオーダーするんじゃないの?本も、電子書籍で読んだりするんじゃないの?」と言うと、クリスは「うーん、まあね。でも、僕は本屋の雰囲気が好きなんだ。背表紙を見ながらいろいろイマジネーションをはたらかしてさ。特にね、その本屋はすごくいい感じなんだ」と言い、「それから、一年に一枚、その年の気に入った曲でCDを作ってたんだけど、2016年から溜まっちゃっててさ、それを完成させたいんだ。もう入れる曲は決まってるし、カバーの写真も撮ってあるんだ」と言いました。私は感心して、「わー、凄いね。それはぜひ完成させてほしいなあ。それじゃ、結構忙しいね」と言うと、お父さんがにこにこして「クリスは僕たちの使い方も心得ているからね。僕とサミーは彼に言われたとおりに手伝えばいいんだ」と言い、それから「できればね、車いすを乗せられるヴァンをレンタルしたいと思っているんだよ。まあ、いざとなれば僕がクリスを車いすから車に移動させることも出来ると思うけど、車いすのまま乗れたらその方がずっと楽だからね」と言いました。キンバリーが「そうですね、そういうヴァンは、普通のレンタカーでは難しいかもしれないですね」と言うと、お父さんは「うん、まあ、いろいろ探してみるよ」と言ってから、明るい顔で「なんとかなるさ」とクリスを見ました。私は、「だったら、PTにも来てもらって、安全な移動の仕方を教えてもらいましょう。あと、ホイヤーリフトも念のためにオーダーしましょうか?使わない時は閉じて部屋の隅っこか廊下に置いておけばいいし、いざと言う時にあれば便利ですから」と言うと、クリスが「リフトはあった方が助かるな」と言いました。それから、私がアセスメントをする間、キンバリーはお父さんとキッチンへ行き、話をしていました。 クリスは驚くほど冷静に現実を受け入れていて、自分が向かっている所を明確に意識していました。青春の真っただ中で未来への扉を閉じられてしまった彼は、それでも、その扉が完全に閉じてしまうその瞬間まで、光に向かって生きようとしているような、そんな決意をにじませていました。自分にとって何が大切なのかをはっきりと見極めて、自分の生きていた証しを残すことに全身全霊を注ごうとしていたのです。私は、心の底からそれを叶えさせてあげたいと思い、運命に対しては無力ではあるけれど、せめて症状をコントロールし、苦痛をなくすことでその手助けをするのが使命だと、いつも以上に気持ちが引き締まりました。 クリスの腫瘍はまるでビデオの早送りのような勢いで、彼の全身に広がっていきました。翌日訪問した時は、かなりの回数のボーラスを使っており、私はPACTと相談して、メサドンとボーラスの用量を増やしました。しかし、これは想定内で、このあとはボーラスを使う回数がぐっと減り、うとうとする時間は増えたものの、痛みは殆ど感じないで過ごせるようになりました。しかし、翌々日、サミーから携帯に『クリスの呼吸が変なんだけど、PACTに電話した方がいいかしら?』というメールが来ました。私はすぐに電話をすると、「なんかね、息がしにくいって、ちょっとパニックになってるの。痛みはそうでもないんだけど。一応酸素はつけたんだけど、どうしたらいいかしら?これって、肺炎とかなの?」と、言いました。私は、すぐにロラゼパムと液体のモルヒネを舌下するように言い、15分しても楽にならないようなら、もう一度電話するように言いました。それから「多分、貧血のせいだと思います。でも、熱や咳が出たら、すぐに連絡して。酸素はクリスが楽ならずっとつけていてもいいし、うっとうしかったり、必要なければ外しても構いません」と言うと、サミーは「わかった。どうもありがとう」と言って電話を切りました。翌朝訪問すると、サミーとダニエルが待っており、あのあとロラゼパムとモルヒネが効き、呼吸も楽になって、夜もよく眠っていたようだ、ということでした。そして、クリスの指示に従って、CD作成もだいぶ進んでいる、という話になり、「ただね、車いす用のヴァンがなかなか見つからないのよ。やっぱり普通のレンタカーでは扱っていないのよね。何とかして大学だけには連れて行ってあげたいんだけど...」と、サミーが言い、ダニエルも「僕もいろいろつてを探しているんだけどね。なかなかなくてね...」と悩んでいました。それからサミーが、「それにね、クリスも普通の車いすじゃ体を支えるのが辛くなってきたみたいなの。枕とかクッションとか挟んでみたんだけどね。もしヴァンがあったとしてもあの姿勢で30分以上車に乗っているのはきついかもしれないわ」と言いました。私は、「ヴァンの方は私もどうしたらいいのかわかりませんが、車いすならハイバックのリクライニング車いすをオーダーできます。あれなら頭を支えられるので楽ですから」と言い、早速提携している医療機器レンタル会社に電話しました。そして、その日の午後に配達される、と言うと、二人とも目を丸くして、「いったいどういう秘技を使ってるの?」と笑いました。 クリスはアセスメントの間もうとうとするようになり、会話の途中で眠ってしまい、「あれ?今、僕寝てた?」と照れ笑いすることもありました。その週末は月曜日の祝日との連休で、クリスの状態からすると、外出するには最後のチャンスかもしれない、という感じでした。そして、月曜日にサミーにメールで彼の様子を確認すると、『調子はいいわ。クリスはとにかくやることリストを完遂させることに、もの凄く集中してるわ。私たちにどんどん指示をしてね、ダニエルは必至で曲を集めてるし、私はグラフィック担当なの。大学のアパートにもどうしても行きたいって言っているし』とのことで、私は、『すごいですね。だったら私は邪魔したくないので、明日訪問しますね。もし何かあったら電話かメールしてください』と言うと、『わかった、ありがとう』との返事でした。私は少し安心し、火曜日の朝サミーから『今日は何時に来るの?』とメールが来た時も、それまでの12時間の間に何があったのか、想像もしませんでした。私が、『キンバリーと一緒に10時ころに行く予定だけど、いいですか?』と訊くと、返ってきたのは『OK』という短い返事でした。そして、キンバリーと私が10時に玄関のベルを鳴らすと、ドアを開けてくれたのはダニエルでした。 ダニエルは、いつものようににこにこしながら、「サミーは今シャワーしてるよ。君たちが来るのは知ってるから、すぐ下りてくると思うけど」と言いました。それから、「昨夜はちょっと大変でね、彼女もあんまり寝てないんだ」と言ったのです。私たちが、「何があったんですか?」と訊くと、ダニエルは「それがね、昨夜、クリスを地元の病院のERに連れて行って、帰ってきたのは午前3時過ぎだったんだよ」と話し始めたのです。「昨日は一日調子も良くて、CD作る作業も結構進んだんだ。2016年は完成してね。クリスは本当にいいディレクターだよ。部下をどう使ったらいいのか、よく心得てる。日曜日には小学校の時の先生も会いに来てくれてね。クリスが大好きだった先生でね、ギフテッドプログラム(特に優秀な子供たちが受けられる、特別クラス)でも、クリスのことをとてもかわいがってくれたんだよ。クリスはずっとコンタクトを取ってて、だから、ちゃんと挨拶をしたかったみたいでね、彼の方から会いたいって言ったみたいなんだ。」その時、サミーが「ごめんなさいねー」と言いながら、二階から降りてきました。キンバリーが、「始めまして。やっとお会いできましたね、ソーシャルワーカーのキンバリーです」と右手を差し出すと、サミーは「ほんと、最初に電話でお話ししてから、やっと会えたわ。こんな格好で失礼します」と言って握手しました。そして、「今、ミセスガードナーのことを話してたんだ」というダニエルを見上げてから、「ああ、日曜日のこと?」と言い、「そうなの、クリスの恩師でね。ほら、クリスが枕元に置いてるテディベアがあるでしょ?あれはミセスガードナーが最初の化学療法のときにくれたものでね、以来、ずっとお守りみたいに一緒にいるのよ」と言いました。それから、「クリスはね、ミセスガードナーにどうしてもお礼が言いたかったみたい。‟先生のおかげで学ぶことの楽しさを知って、大学まで行くことができた”って、言ってたわ。彼女はもう引退してるんだけど、クリスは本当に特別な生徒だったっておっしゃってたわ」と言うと、しばらく言葉に詰まってしまいました。私は思わず「うわあ...素晴らしいなあ」とつぶやくと、キンバリーも頷きながら、「卒業して何年も経っているのに、すてきですね」と言い、それから、「それで、昨夜は何があったんですか?」と話を戻しました。するとサミーが、「そうそう、昨夜のことね。まあ、こんな玄関先じゃなく、とりあえず中に入って」と言い、ダニエルも「そうだそうだ、こんな立ち話もなんだし」と言いながらキッチンへ移動しました。 私たちはキッチンカウンターの周りに集まると、ダニエルが「コーヒーでも淹れようか?」と訊いてくれました。私たちは「どうもありがとうございます。でも、どうぞお気を遣わず」と言ってから、話の続きを聞くことにしました。サミーは「私は一杯もらいたいわ」とダニエルに言うと、ダニエルが「よしきた。君たちはほんとにいいの?遠慮しないで」と言い、私たちが丁寧に辞退すると、ニコニコしながら「OK」と言ってコーヒーの準備を始めました。そして、それを待ちながら、サミーが話し始めました。 「それで、昨夜なんだけど、昼間のうちは調子よかったの。それで頑張りすぎちゃったのかしらね。夜辺りからぐったりしだして、呼吸も少し辛くてね、酸素も付けたんだけど、結局11時近くになってクリスが「輸血したい」って言ってね。PACTに電話したら、地元の病院のERでできるように手配してくれてね、でも、どうやってERに連れて行くかが問題でね。救急車は呼びたくなかったし。それでね、ああ、この話はしてなかったわね。実はね、車いす用のヴァンを持っている人が見つかったのよ。それで、遅い時間に申し訳ないと思ったんだけど、”いつでも電話して”って言ってくれてたから、思い切ってその人に連絡したら、すぐに来てくれて、ERに連れて行ってくれて、輸血が終わってクリスが落ち着くまで待ってくれてね、それからまた家まで送ってくれたの。夜中の3時よ。しかも祝日よ。そのうえ、”大学に行きたかったら、いつでも連れていけるわよ”って言ってくれてね。本当に、天使みたいな人なの」 私が感心しながら、「どうやってその人を見つけたんですか?」と訊くと、サミーはにっこりして、「それがね、なんていうか、神様ってちゃんと見てくださっているんだなって、ちゃんと、助けて下さるんだなって、つくづく思ったんだけどね。土曜日にクリスが会いたいって言って、教会の牧師さんに来てもらったの。クリスは教会のユースグループの活動も積極的にやってたから、牧師さんも彼のことは小さい頃からよく知ってるし。クリスはしばらく話しててね。もちろん、詳しいことはわからないけど、いろいろ心に引っかかっていたこととかも話せたみたいなの。それでね、その日の夕方クリスの高校時代の友達が遊びに来てくれてね、その子のお母さんも一緒に着てくれて、彼らが話している間、私たちもお茶を飲みながらおしゃべりしてたの。で、そのお母さんが、”何かできることがあれば言ってほしい”って言ってくれて、私、半分冗談のつもりで”車いす用のヴァンを持っている人を知らない?”って聞いたのよ。そしたら、”持っている人は知らないけど、地元の新聞社に勤めている友人がいるから、その人に広告を出してもらうよう頼んでみるわ”って言ってくれて、すぐにその知り合いに連絡してくれたの。そうしたら、その人が早速日曜のローカル新聞に”車いす用ヴァンを探しています”っていう広告を載せてくれたのよ。で、それを見たのが私たちの天使だったってわけ。彼女はね、ご主人が四肢麻痺で、車いす用ヴァンが自家用車なのよ。だから、扱いにも慣れているし。彼女の天使たるところはね、そのご主人と結婚した時、彼はすでに四肢麻痺だったんですって。それで、広告を見てすぐに連絡してくれたの。少しでもお役に立てるなら、って」と言ったのです。奇跡のようなこの話に、キンバリーと私は、ひたすら目を丸くして、口を開けて、「ワーオ」と言い続けるしか能がありませんでした。クマの知らせ(5)に続く。
 |