ホスピスナースは今日も行く 2019年04月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
幸せのピナコラーダ (1)
 リンダさん(仮)は、60代半ばで、ご主人と二人、かわいらしい平屋建てのお家に住んでいました。4年近く前に卵管にがんが見つかり、広汎子宮全摘出(子宮、卵巣、卵管、リンパ節などを切除)したあと、化学療法を半年ほど受けました。その後約半年は癌細胞はおとなしくしていたのですが、再び腹腔と骨盤内に転移が見つかり、化学療法の後、経口での化学療法を続けました。しかし、化学療法の副作用で小腸や大腸に閉塞が起こり、ストーマ(人工肛門)をつけることになりました。同時に腹腔からお臍にフィスチュラ(瘻孔)と言われる穴が開いてしまい、そこから漏れてくる腹腔液を受け取るためのオストミーバッグ(ストーマパウチ)を装着しなければならなくなりました。さらに、口から何を食べても吐いてしまうようになってしまい、右上腕に入れたPICCライン(末梢挿入中心静脈カテーテル)から、TPNという中心静脈栄養を入れることになりました。それだけでなく、消化液やガスの貯留による消化管の痛みを除くため、PEGチューブ(腹部から胃に直接入れるチューブ、胃ろう)を入れて、そこから余分な貯留液をチューブにつなげたバッグに流しださなければなりませんでした。こうして、何か起こるたびに体に穴が開いたりチューブが入ったりしながらも、リンダさんは自宅で訪問看護を受けつつ、家族に支えられて過ごしてきました。
 ところが、3週間ほど前に、今度は呼吸困難で入院し、胸腔に癌性の胸水が溜まっていることがわかりました。その時点で、腫瘍医はそれ以上の治療を勧めず、本人もそれを望みませんでした。パリアティブケアチームとも話をしたのですが、TPNは続けたいと言う事で、胸水を抜き、新たに酸素カニューレ(鼻腔から酸素を流すチューブ)が加わりながら、再びホームケアを受けると言う事で自宅に戻ったのです。しかし、自宅に戻ってすぐにPEGチューブ挿入部から漏れが見られ始め、WOCN(皮膚、排泄ケア認定看護師)が訪問していろいろと工夫したのですがなかなかうまくいきませんでした。その上、2週間の間に二度もチューブが自然に抜けてしまい、その都度救急外来(ER)に行って入れ直さなければなりませんでした。そして、2度目に入れ直したERの医師に「次に同じことが起きたら、IR(Interventional Radiology インターベンショナルラディオロジー:画像下治療放射線科)に行って入れてもらった方がいい。もしかしたら中から押し出されているのかもしれない」と言われ、リンダさんは「もういい、もう十分だ」と思い、TPNを中止、ホスピスケアを受けることにしたのです。
 初回訪問の日、酸素カニューレをつけながらリビングルームのリクライニングチェアに座ったリンダさんは、疲れ果てていました。近所に住む娘さんがお手伝いに来ており、ナースの訪問に慣れている明るいご主人と一緒に、ホスピスケアについての説明を聞いていました。その間にも、リンダさんは時々、「ああ、痛い、痛い」と声をあげ、波のようにやってくる痛みに苛まれていました。私は、「痛み止めは飲みましたか?」と訊くと、ご主人が「昨日フェンタニールのパッチの用量を増やしたばっかりでね。今朝、屯用のモルヒネも飲んだんだけどね。あまり効かないみたいなんだよ」と困った顔で言いました。私は「モルヒネは何時に飲みましたか?」と訊くと、3時間半くらい前とのことでした。オーダーは4時間毎でしたが、私は「それじゃ、今あげてください。パッチはフルの効果がみられるのに12時間から24時間かかるので、それまではモルヒネも4時間ごとに必要かもしれないです。30分くらい早くたって、問題ないです。痛いのなら、今飲んで大丈夫です」と言うと、娘さんが我が意を得たり、という表情で「そうよ、お父さん、痛いんだから、薬あげましょう」と言いました。ご主人はリンダさんを見ると、「薬、飲むか?」と訊き、リンダさんが頷くと「わかった」と言って薬を取りにキッチンに行きました。私はもう一度リンダさんに「痛いと言う事は、薬の量が不十分なせいなのだから、少し早めに飲んでも、心配することないですよ。とにかく、痛みが無くなるように、必要で十分な用量を見つけましょう。とにかくそれが第一の目標ですね」と言うと、リンダさんは私の目を見て、「そうね。痛みが無くなったら、どんなにいいかしら」と言いました。すると、娘さんが、「問題は、モルヒネを飲んだ後、しばらくPEGチューブをクランプして流れ出ないようにしなきゃならない事なの。そうすると、やっぱりおなかが張って苦しいらしく、そう思うとモルヒネの錠剤を飲むのに躊躇しちゃうみたいなの」と言いました。私は、「だったら液体に変えましょう。できるだけ濃度を濃くすれば、少量を舌下するだけでいいので、PEGチューブをクランプする必要もないですから」と言うと、娘さんは「それが良いわ。なんでもっと早くそのことに気づかなかったのかしら」と言いました。私は、リンダさん達に「ホスピスケアだと、こんな時にすぐに医師にオーダーをもらえるし、モルヒネなどの麻薬だってすぐに手に入れることができます。夜中に急変しても、救急車の代わりにホスピスに電話して、ERに行く代わりに冷蔵庫に常備しておく緊急時の薬(コンフォートキット)の中の薬を使って症状をコントロールすることができるんです。もしもナースが実際にアセスメントしたり処置しなくてはならなければ、もちろん何時だって訪問します」と言ってから、リンダさん自身のゴールは何なのか、尋ねました。リンダさんは、はっきりと、「もう病院には行きたくないの。とにかく、この痛みが無くなってほしい。楽になって、少しでも家族と楽しい時間を過ごせたらいいの」と言いました。私は、「わかりました。それがまさにホスピスのゴールです。もちろん、途中で気が変わって病院に行きたいと思ったら、その時にホスピスは中止できますし、そのあとにやっぱりホスピスがいいと思いなおしたら、いつだってホスピスケアを受けなおすことができます。とにかく、リンダさんが楽になるようにしましょう」と言いました。リンダさんはご主人と娘さんの方を見て、「今の聞いた?私はこのヤングレディーを信じてみようと思うけど、どうかしら?」と言いました。娘さんは、「もちろんよ、お母さん。ホスピスは素晴らしいって、良く聞くし、私は賛成よ」と言い、ご主人も「君がそうしたいなら、それが一番だ」と言いました。リンダさんは私を見ると、「そういう事だわ。よろしくお願いします」と言い、自ら同意書にサインをしました。私は、「そんなにヤングでもありませんが、うちのチームは素晴らしいスタッフが揃っているので、とにかく、何かあったらいつでもホスピスに電話してくださいね」と言ってから、早速アセスメントを始めました。
 リンダさんの痛みは、右肩から背中にかけてと、腹部全体の癌性疼痛、そして、PEGチューブの漏れによる刺激痛でした。私はとりあえずホスピスメディカルディレクターのカールに電話をして、液体モルヒネのオーダーをもらいました。リンダさんの状態を説明すると、カールはすぐに液体モルヒネの頻度を1時間毎の屯用にし、抗不安剤のロラゼパムも4時間毎の屯用という口頭指示をくれました。それから、うちのホスピスが使っている全国ネットのホスピス専門薬局は、即日配送はできないため、今日中に液体モルヒネを地元の薬局で受け取れるよう手配をしました。通常、麻薬などの規制薬物は実際に処方箋を持っていないと、薬局では処方することができないのですが、ホスピス患者の場合はFAXや電子処方箋でもオーダーを受けることができるのです。ですから、普通なら患者さんや家族が医師のオフィスまで処方箋を取りに行って、それを薬局に持っていき、処方されるのを待つ、という手順を、ホスピスの場合はすっ飛ばすことができるのです。ただ、どの薬局でも液体モルヒネなどの麻薬を常備しているとは限らないため、家族が地元の薬局を何件も廻らないで済むように、あらかじめストックがある事を確認した薬局にオーダーするようにするのも、ホスピスナースの役割なのです。幸い近くの薬局が高濃度の液体モルヒネをストックしてあり、ご主人が取りに行くことにしました。私はリンダさんとご主人、娘さんに、「痛みがあるようでしたら、1時間ごとに飲んでも構いません。ただ、いつ飲んだかは記録しておいてくださいね。私は明日また来ますから、その時にどれだけ薬を使って、どれだけ楽になったのかを確認します。それまでにフェンタニールのパッチもフルの効果になっているはずですし」と説明しました。それから、PEGチューブを確認し、リンダさんに少し水を飲んでもらいました。すると、チューブ内だけでなく、その周囲からもみるみる水が流れ出てきました。消化液を含むそれが皮膚を刺激するため、ストーマケアに使う保護クリームを塗り、ガーゼで漏れを吸い取ってはいましたが、それでもピリピリとした痛みは避けられませんでした。私はリンダさんに、できるだけゆっくりと、少量ずつ飲むことで漏れを最小限に抑えるよう説明し、こまめにガーゼを取り換えるよう娘さんに指導しました。とにかく、その日にできることは全て行い、問題があればいつでも電話をするようにと言って、ホスピスの電話番号がプリントされた紙を冷蔵庫に貼りました。リンダさんは、薬が効いてきたのと、ホスピスというセイフティーネットができたという安心からか、少しだけ笑顔を見せる余裕が出てきました。そして、「今夜はよく眠れるといいんだけどね」と言ってから、「ちょっと楽になったわ。本当にどうもありがとう」と言いました。幸せのピナコラーダ(2)に続く。
 
[2019/04/30 05:35] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
縁の下の力持ち~ホスピスボランティア
 約一年前、不思議なご縁で、日本の在宅ホスピスのパイオニアのお一人であるお医者さんのクリニックを訪れる機会に恵まれました。私は結婚する前に、イイカゲンな移民局のおかげで4日の予定が半年近く日本に足止めを食い、結婚式の予定を1年ほど延期する羽目になったのですが、その時実家に居候しながら近所の訪問看護ステーションでアルバイトをしたことがありました。90年代後半のことで、訪問看護ステーションというシステムができてから5年目位の頃です。常勤の看護師さんが4人と所長さんという小さなステーションで、パートタイムの看護師さんが産休に入ったため、私がバイトに入ることになったのです。ステーション所有の軽自動車での訪問や、かなりユルい感じの記録、そして訪問する先々でお茶を出されることに逆カルチャーショックを受けながらも、とても楽しく働かせてもらいました。そして、それが私の唯一の日本の在宅ケアの経験だったので、昨年、そのお医者さんのクリニックにお邪魔した時は、またまた新たなカルチャーショックを受けたのです。
 そのクリニックは20年以上地域に根付いた医療とケアを提供してきており、在宅での看取り、つまり在宅ホスピスの先駆けとしても地域住民に信頼されてきました。そしてその活動領域の対象は、地域の高齢者にとどまらず、重度障碍児のサポートや、海外の発展途上国における医療、看護の向上のための支援活動までと幅広く、そのお医者さんを筆頭に、スタッフの皆さんは生き生きとエネルギッシュに仕事をされていました。勉強不足の私はそんな桁外れに素晴らしいクリニックに呼んでいただいていたとはつゆ知らず、アメリカのホスピスやエンドオブライフケアについて、要するに自分の日々の仕事の話をさせてもらい、ありがたいことに、沢山の人に興味を持って聞いてもらったのです。そして、話が終わり、それぞれが職場に戻られた後、数人の女性が自己紹介をしながら話しかけてきてくれました。
 その人たちはクリニックのボランティアの方々でした。主にホスピスの患者さんやご家族のためのボランティアをされていて、その活動内容をいろいろと教えてくれました。そして、アメリカのホスピスはその活動(直接、または間接的患者ケアおよび事務)全体の5%を、ボランティアによって補われなければならないという規定がある事を話すと、とても関心を示されていました。そして、何よりも大きな違いは、そのクリニック(おそらく日本ではそれが一般的)では、ボランティアのコーディネーターもボランティアの一人であるのに対し、アメリカのホスピスでは職員である、と言う事でした。ボランティアのスタッフは、もちろんアメリカでも完全無償です。しかし、特にホスピスのボランティアは直接患者さんや家族と接する機会もあるため、しっかりとしたトレーニングが必要です。そうしたトレーニングのプログラムを作り、実際にトレーニングを行い、様々なボランティアによる仕事をコーディネートし、外部の団体や施設とも交渉や交流し、ファンドレイジングを行い、もちろんナースやソーシャルワーカー、チャプレンやメディカルディレクターなどのチームメンバーともコミュニケーションをとり、チームミーティングにも出席します。さらに、ボランティアコーディネーターはボランティアの責任者として、スタッフの継続教育やフォローも行います。年に一度あるボランティア感謝週間では、コーディネーターが指揮を執って、ホスピスのチームメンバーやマネージャー、メディカルディレクターの協力のもと、ボランティアスタッフを招待してランチパーティーを行い、ラッフルなどでギフトを贈ります。また、ボランティアコーディネーターは、遺族に対するビリーブメントサービスにも大きくかかわっています。とにかく、ボランティアコーディネーターはフルタイムの仕事なのです。そして、そのクリニックのボランティアの方々も、実に様々な活動をされていました。
 中でも、特に印象深かったのは、ホスピスの患者さんと家族同士が集まるお茶会を定期的に催されていると言う事でした。こちらでは、在宅ホスピスの患者さん同士が集まったり、現在進行形の家族同士が交流することは、まずありません。物理的に難しいのもありますが、ほかの在宅ホスピスでもそうした交流をしているというのは聞いたことがありません。しかし、考えてみると、状況は違っても自分と同じようにホスピスケアを受けている人と会って、話をするというのは、人によっては励みになったり、不安が軽くなったりすることもあるのかもしれません。特に介護をしている家族にとって、お互いに工夫していることの情報交換したり、介護者にしかわからない気持ちをシェアできることは、医療者に対するのとはまた違った安心感を与えてくれるのかもしれません。ボランティアスタッフの中には(こちらでもそうですが)、家族を在宅ホスピスで看取られた方も多く、自らの経験をサポートの中で生かすことができたら、と思って参加されるようです。
 ボランティアの仕方は、それぞれ様々です。私が勤めるホスピスでは約150人ほどのボランティアのメンバーがいて、その中でも実際に患者さんを訪問する人、患者さんにプレゼントするひざ掛けを編む人、小児用のキルトやブランケットを作る人、レガシープログラム(患者さんの思い出を様々な形にする)の作品を作る人、ホスピス病棟でクッキーを焼く人、初回訪問時に患者さんに渡すアドミッションパッケージ(同意書その他の書類、パンフレットなどが入ったフォルダー)を作る人、また、中にはペットセラピーができる人などなど、その人ができることをできる時に行っていますが、その恩恵は多大で、まさにボランティアなしではホスピスは成り立たないのです。
 私が今のホスピスで働き始めた時の初代ボランティアコーディネーターだったジャッキーは、引退した学校の先生で、小学校の校長先生まで務めた人でした。彼女は当時70代とは思えぬバイタリティーの持ち主で、ボランティアコーディネーターをしながら、念願だった子供のためのビリーブメントプログラムを立ち上げました。主に一親等(親、兄弟姉妹)を亡くした4歳から18歳の子供たちを対象に、ソーシャルワーカー、カウンセラー、アートセラピスト、ミュージックセラピストなどの専門家と、トレーニングを受けたボランティアによる、年齢別のグループ毎に、様々なアプローチで子供たちの心を癒し、喪失による深い悲しみを健全な形で乗り越えられるようサポートするプログラムで、19年目を迎えた今も、数少ない子供専門ビリーブメントプログラムとして地域に貢献しています。参加費は無料で、私たちのホスピスの母体である病院のプログラムの一つではありますが、基本的に50人を超えるボランティアと寄付金によって、その活動を続けることができているのです。
 しかし、いくらできる事をできる時にできるだけ、と言っても、やはり、自分の貴重な時間を誰か(何か)のために無償でささげるというのは、覚悟のいることです。それでも、キリスト教というバックグラウンドが大きいせいか、アメリカでは、チャリティーやボランティア活動というものが自然に受け入れられています。アメリカの病院の受付や案内デスク、売店などでは、たいていピンク色の上っ張りを着た老婦人や老紳士が働いているのですが、皆さん、ボランティアです。私の義母も地元の病院で10年以上ボランティアをやっていました。NHPCO(National Hospice and Palliative Care Organization)が、トレーニングを受けたアメリカのホスピスボランティアが1年間でホスピスに貢献する価値を値段に換算した最近の報告では、なんと、約4億7千万ドル(約470億円)にもなるそうです。時給にすると、約$25(2500円くらい?)だそうです。
 ボランティアをされる方々は、それぞれいろいろな理由があると思いますが、時々患者さんの訪問時に偶然会ったり、たまにホスピス病棟に寄った時に会う人は、みんなとても生き生きとしてしています。自分の時間を、お金ではない別の価値のあるものに使っている喜びというか、満足感のようなものが、オーラのように漂っているのです。こうした縁の下の力持ちに支えられているからこそ、私たちスタッフの仕事がスムーズにいき、患者さんや家族が恩恵を受け、ホスピスとしてのサービスを充実させることができるのです。
  先週は全国ボランティア週間でした。私たちのホスピスでも、2代目ボランティアコーディネーターのナンシーが中心になり、ボランティアスタッフをランチに招き、ほかのチームメンバーたちの寄付で作ったギフトバスケットをプレゼントしました。皆さんとても喜ばれたとのことで、いつものようにナンシーからスタッフにお礼のメールが届きました。感謝に感謝されて、お互いのこういう気持ちが良いチームを作っていくのだろうな、と改めて実感し、そして、そんなチームの一員として働けることの幸せを思うと、日々の仕事のイライラやストレスも、ま、いっか、と思えたのでした。ボランティア、万歳!
[2019/04/16 05:23] | ホスピスナース | トラックバック(0) | コメント(2)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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