リンダさん(仮)は、60代半ばで、ご主人と二人、かわいらしい平屋建てのお家に住んでいました。4年近く前に卵管にがんが見つかり、広汎子宮全摘出(子宮、卵巣、卵管、リンパ節などを切除)したあと、化学療法を半年ほど受けました。その後約半年は癌細胞はおとなしくしていたのですが、再び腹腔と骨盤内に転移が見つかり、化学療法の後、経口での化学療法を続けました。しかし、化学療法の副作用で小腸や大腸に閉塞が起こり、ストーマ(人工肛門)をつけることになりました。同時に腹腔からお臍にフィスチュラ(瘻孔)と言われる穴が開いてしまい、そこから漏れてくる腹腔液を受け取るためのオストミーバッグ(ストーマパウチ)を装着しなければならなくなりました。さらに、口から何を食べても吐いてしまうようになってしまい、右上腕に入れたPICCライン(末梢挿入中心静脈カテーテル)から、TPNという中心静脈栄養を入れることになりました。それだけでなく、消化液やガスの貯留による消化管の痛みを除くため、PEGチューブ(腹部から胃に直接入れるチューブ、胃ろう)を入れて、そこから余分な貯留液をチューブにつなげたバッグに流しださなければなりませんでした。こうして、何か起こるたびに体に穴が開いたりチューブが入ったりしながらも、リンダさんは自宅で訪問看護を受けつつ、家族に支えられて過ごしてきました。 ところが、3週間ほど前に、今度は呼吸困難で入院し、胸腔に癌性の胸水が溜まっていることがわかりました。その時点で、腫瘍医はそれ以上の治療を勧めず、本人もそれを望みませんでした。パリアティブケアチームとも話をしたのですが、TPNは続けたいと言う事で、胸水を抜き、新たに酸素カニューレ(鼻腔から酸素を流すチューブ)が加わりながら、再びホームケアを受けると言う事で自宅に戻ったのです。しかし、自宅に戻ってすぐにPEGチューブ挿入部から漏れが見られ始め、WOCN(皮膚、排泄ケア認定看護師)が訪問していろいろと工夫したのですがなかなかうまくいきませんでした。その上、2週間の間に二度もチューブが自然に抜けてしまい、その都度救急外来(ER)に行って入れ直さなければなりませんでした。そして、2度目に入れ直したERの医師に「次に同じことが起きたら、IR(Interventional Radiology インターベンショナルラディオロジー:画像下治療放射線科)に行って入れてもらった方がいい。もしかしたら中から押し出されているのかもしれない」と言われ、リンダさんは「もういい、もう十分だ」と思い、TPNを中止、ホスピスケアを受けることにしたのです。 初回訪問の日、酸素カニューレをつけながらリビングルームのリクライニングチェアに座ったリンダさんは、疲れ果てていました。近所に住む娘さんがお手伝いに来ており、ナースの訪問に慣れている明るいご主人と一緒に、ホスピスケアについての説明を聞いていました。その間にも、リンダさんは時々、「ああ、痛い、痛い」と声をあげ、波のようにやってくる痛みに苛まれていました。私は、「痛み止めは飲みましたか?」と訊くと、ご主人が「昨日フェンタニールのパッチの用量を増やしたばっかりでね。今朝、屯用のモルヒネも飲んだんだけどね。あまり効かないみたいなんだよ」と困った顔で言いました。私は「モルヒネは何時に飲みましたか?」と訊くと、3時間半くらい前とのことでした。オーダーは4時間毎でしたが、私は「それじゃ、今あげてください。パッチはフルの効果がみられるのに12時間から24時間かかるので、それまではモルヒネも4時間ごとに必要かもしれないです。30分くらい早くたって、問題ないです。痛いのなら、今飲んで大丈夫です」と言うと、娘さんが我が意を得たり、という表情で「そうよ、お父さん、痛いんだから、薬あげましょう」と言いました。ご主人はリンダさんを見ると、「薬、飲むか?」と訊き、リンダさんが頷くと「わかった」と言って薬を取りにキッチンに行きました。私はもう一度リンダさんに「痛いと言う事は、薬の量が不十分なせいなのだから、少し早めに飲んでも、心配することないですよ。とにかく、痛みが無くなるように、必要で十分な用量を見つけましょう。とにかくそれが第一の目標ですね」と言うと、リンダさんは私の目を見て、「そうね。痛みが無くなったら、どんなにいいかしら」と言いました。すると、娘さんが、「問題は、モルヒネを飲んだ後、しばらくPEGチューブをクランプして流れ出ないようにしなきゃならない事なの。そうすると、やっぱりおなかが張って苦しいらしく、そう思うとモルヒネの錠剤を飲むのに躊躇しちゃうみたいなの」と言いました。私は、「だったら液体に変えましょう。できるだけ濃度を濃くすれば、少量を舌下するだけでいいので、PEGチューブをクランプする必要もないですから」と言うと、娘さんは「それが良いわ。なんでもっと早くそのことに気づかなかったのかしら」と言いました。私は、リンダさん達に「ホスピスケアだと、こんな時にすぐに医師にオーダーをもらえるし、モルヒネなどの麻薬だってすぐに手に入れることができます。夜中に急変しても、救急車の代わりにホスピスに電話して、ERに行く代わりに冷蔵庫に常備しておく緊急時の薬(コンフォートキット)の中の薬を使って症状をコントロールすることができるんです。もしもナースが実際にアセスメントしたり処置しなくてはならなければ、もちろん何時だって訪問します」と言ってから、リンダさん自身のゴールは何なのか、尋ねました。リンダさんは、はっきりと、「もう病院には行きたくないの。とにかく、この痛みが無くなってほしい。楽になって、少しでも家族と楽しい時間を過ごせたらいいの」と言いました。私は、「わかりました。それがまさにホスピスのゴールです。もちろん、途中で気が変わって病院に行きたいと思ったら、その時にホスピスは中止できますし、そのあとにやっぱりホスピスがいいと思いなおしたら、いつだってホスピスケアを受けなおすことができます。とにかく、リンダさんが楽になるようにしましょう」と言いました。リンダさんはご主人と娘さんの方を見て、「今の聞いた?私はこのヤングレディーを信じてみようと思うけど、どうかしら?」と言いました。娘さんは、「もちろんよ、お母さん。ホスピスは素晴らしいって、良く聞くし、私は賛成よ」と言い、ご主人も「君がそうしたいなら、それが一番だ」と言いました。リンダさんは私を見ると、「そういう事だわ。よろしくお願いします」と言い、自ら同意書にサインをしました。私は、「そんなにヤングでもありませんが、うちのチームは素晴らしいスタッフが揃っているので、とにかく、何かあったらいつでもホスピスに電話してくださいね」と言ってから、早速アセスメントを始めました。 リンダさんの痛みは、右肩から背中にかけてと、腹部全体の癌性疼痛、そして、PEGチューブの漏れによる刺激痛でした。私はとりあえずホスピスメディカルディレクターのカールに電話をして、液体モルヒネのオーダーをもらいました。リンダさんの状態を説明すると、カールはすぐに液体モルヒネの頻度を1時間毎の屯用にし、抗不安剤のロラゼパムも4時間毎の屯用という口頭指示をくれました。それから、うちのホスピスが使っている全国ネットのホスピス専門薬局は、即日配送はできないため、今日中に液体モルヒネを地元の薬局で受け取れるよう手配をしました。通常、麻薬などの規制薬物は実際に処方箋を持っていないと、薬局では処方することができないのですが、ホスピス患者の場合はFAXや電子処方箋でもオーダーを受けることができるのです。ですから、普通なら患者さんや家族が医師のオフィスまで処方箋を取りに行って、それを薬局に持っていき、処方されるのを待つ、という手順を、ホスピスの場合はすっ飛ばすことができるのです。ただ、どの薬局でも液体モルヒネなどの麻薬を常備しているとは限らないため、家族が地元の薬局を何件も廻らないで済むように、あらかじめストックがある事を確認した薬局にオーダーするようにするのも、ホスピスナースの役割なのです。幸い近くの薬局が高濃度の液体モルヒネをストックしてあり、ご主人が取りに行くことにしました。私はリンダさんとご主人、娘さんに、「痛みがあるようでしたら、1時間ごとに飲んでも構いません。ただ、いつ飲んだかは記録しておいてくださいね。私は明日また来ますから、その時にどれだけ薬を使って、どれだけ楽になったのかを確認します。それまでにフェンタニールのパッチもフルの効果になっているはずですし」と説明しました。それから、PEGチューブを確認し、リンダさんに少し水を飲んでもらいました。すると、チューブ内だけでなく、その周囲からもみるみる水が流れ出てきました。消化液を含むそれが皮膚を刺激するため、ストーマケアに使う保護クリームを塗り、ガーゼで漏れを吸い取ってはいましたが、それでもピリピリとした痛みは避けられませんでした。私はリンダさんに、できるだけゆっくりと、少量ずつ飲むことで漏れを最小限に抑えるよう説明し、こまめにガーゼを取り換えるよう娘さんに指導しました。とにかく、その日にできることは全て行い、問題があればいつでも電話をするようにと言って、ホスピスの電話番号がプリントされた紙を冷蔵庫に貼りました。リンダさんは、薬が効いてきたのと、ホスピスというセイフティーネットができたという安心からか、少しだけ笑顔を見せる余裕が出てきました。そして、「今夜はよく眠れるといいんだけどね」と言ってから、「ちょっと楽になったわ。本当にどうもありがとう」と言いました。幸せのピナコラーダ(2)に続く。
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