ホスピスナースは今日も行く 2019年01月
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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
陽だまり (3)
 アリソンは無事引っ越しを終え、新しいアパートは雑然とはしていましたが、すでに住み慣れた感じさえあり、マーサもアリソンの行動の速さに驚いていました。コリンはてんかん発作は頻回にあるものの、ロラゼパムが良く効き、目覚めているときも機嫌よく、愛情のこもったケアをしてくれるマーサのおかげで、アリソンも安心して仕事ができ、以前のピリピリとした感じがなくなっていました。マーサはいつもコリンのことを「本当に美しい赤ちゃん」と呼び、アリソンに対しても「素晴らしい母親」だと、言葉にしてほめていました。体も話し方もゆったりとしているマーサは、コーヒーに足したクリームのように、アリソンの周りの空間をほんの少しまろやかにしてくれました。アリソンは仕事が一息つくと、コリンと散歩をするようになりました。「散歩しながらね、いろいろ話すの。そうするとね、ちゃんと反応するのよ。ずっとそんなことなかったんだけど、ケトジェニックダイエットにして一時すごく症状が改善された時みたいに、時々笑ったりもするの」と話すアリソンは、その様子を思い出すだけでも幸せ、という顔をしていました。しかし、それもやはり一時的であり、コリンの発作の回数は確実に増え、ロラゼパムやモルヒネを使う頻度も増えていきました。
 いっときは父親としてアリソンに協力していたかのようだったノアも、姿を見せなくなり、さすがのマーサもノアに関しては肯定的なことは言わなくなりました。アリソンは親しい友人がいる様子もなく、両親とは時々電話で話しているようでしたが、基本的にはたった一人でこの状況と闘っていました。マーサが来るのは週四日、朝6時から夕方6時までの12時間で、それ以外は彼女一人でした。アリソンは私たちホスピスのメンバーに対しいつも正直で、良いことも悪いこともハスキーな早口でまくし立てるように話すのですが、私たちの助言にはいつも耳を貸し、言われたことはきっちりとやる几帳面なところもありました。チャプレンのジュディがキンバリーと一緒に訪問した時も、最初に10のことを一度に言おうとしてジュディを混乱させたそうですが、穏やかなジュディと話すうちに落ち着き、自分の子供時代や、ティーンの頃のことを語り、褒められないこともしたけれど、今の自分の状況がその罰だとは思わない、ただ、自分の息子にしてあげられるだけのことはしたいし、とにかく苦しませたくないのだ、と繰り返したのです。
 コリンの発作は短いものと長いものを合わせると、一時間に10回を超えるようになり、定時の抗てんかん薬に加え、ロラゼパムとモルヒネを屯用だけでなく定時でも使うようになりました。また、体温が上下するようになり、発作が起こるたびに中断していた経管栄養も、止めている時間の方が長くなっていきました。コリンは口で呼吸するようになり、喉の奥でグルグルという軽い喘鳴が聞こえるようになりました。私はアリソンにそれがどういう意味であるかを説明しました。そして、彼女はとうとう経管栄養を完全に中止することを決意したのです。私はCHOPに電話をし、状況を伝えると、担当医も同意し、「私たちにできることがあったら何でも電話して」と、いつものように全面的にサポートしてくれました。マーサにも経管栄養の中止を伝え、彼女の上司にも連絡しました。マーサの上司には、ホスピスのケースを受け持ったことがないというマーサにも、ホスピスチームとしてできるだけサポートする旨を伝えると、感謝の言葉とともに「私たちとしてもできる限りの考慮をするつもり」と言ってくれました。
 翌日訪問すると、アリソンは片腕にコリンを抱いて胡坐をかき、床の上に置いたラップトップに向かって仕事をしていました。その横には大きなコップに入ったエナジードリンクがあり、いつものスウェットパンツとTシャツがオーバーサイズかと思うほど、もともと細いアリソンはさらに骨ばって見えました。コリンは経管栄養を中止してから喘鳴も聞かれなくなり、アリソンの腕の中で静かに眠っていました。「昨夜はどうだった?」と訊くと、アリソンは顔をあげず、「うん、まあまあ」と言ってから、「ごめん、ちょっとこれだけやっちゃうから」と言いました。私は「全然かまわないから、切りがいいとこまでどうぞ」と言い、キッチンの椅子に荷物を置くと、マーサに「どう?」と訊きました。マーサはいつもと変わらぬゆったりとした口調で、「ロラゼパムは何回か屯用も使ったみたいだけど、おしっこもしてるし、今のところは落ち着いてるわ」と言い、それから声を潜めて「彼女の方が心配」とささやきました。私は頷き、「ノアは?」と訊きました。マーサは首を横に振り、「しばらく見てないわ」と言いました。私は薬の残りをチェックし、足りなくなりそうなものをオーダーしました。それからリビングに戻ると、アリソンがエナジードリンクを飲みながら、「ごめんごめん。もう大丈夫」と言って、顔をあげました。私は「ちょっとコリン看ていい?」と訊くと、「もちろんもちろん」と言って、彼をソファーの上に寝かせました。コリンは顔色も悪くはなく、呼吸も落ち着いていました。腹部も柔らかく、心拍数は少し早くなっていましたが、穏やかな表情をしていました。私が「抱っこしてもいい?」と訊くと、アリソンは笑顔になって「どうぞどうぞ」と言いました。私がコリンを抱くと、アリソンは「彼はね、本当に強い子なの。それにとても賢いの。ちゃんとわかってるのよ。しかも、音楽の趣味が私とぴったりでね。生まれてすぐの時からロックをかけると泣き止んだのよ。しかも結構な音量でね。きっと、おなかの中にいた時のことを懐かしがってたんだと思うわ。私と一緒に踊るととてもご機嫌だったもの」と言って笑いました。それから一瞬黙ると、こう言いました。「あとどれくらい?」
 私はコリンを抱いたまま、「そうね、多分2、3日だと思う。だんだんおしっこが減って、うんちもしなくなるけど、おなかが張っていなければ心配しなくていいから。口が乾いてくるから、水に浸した口腔ケア用のスポンジで湿らせてあげて。呼吸がハアハアするようだったらモルヒネをあげて、喉の奥がグルグルするようだったらアトロピンを一滴頬っぺたの内側に垂らしてあげて。あとはね、今まで通り、抱っこして、話しかけてあげて」と言いました。アリソンは落ち着いたまま、「わかった」と言いました。「お父さんやお母さんとは話してる?」と訊くと、「まあね。葬儀やさんとも父が話をつけてくれたし。母はまあ、あれだけど」と言い、「ノアは?」と訊くと、淡々としたまま「ああ、コリンの状況は伝えてあるけど、寄り付かないわ。別にどうでもいいの、彼は」と言いました。私は、「そう。連絡とっているなら、それでいいの。彼も父親だからね。で、一番大事なこと、あなた自身はどう?いつ寝てるの?」と訊くと、アリソンはふっと笑って「私は大丈夫よ。マーサがいる間に寝れるし」と言うと、脇に置いてあるエナジードリンクを飲みました。それから、「バカなこと訊くようだけど、死ぬときはどんな風になるの?このまま眠ってるの?それともやっぱりてんかん発作が起こるの?どうしたら死んだってわかるの?」と言いました。私は、「ちっともバカな質問じゃないわ。知らないのは当たり前だもの」と言ってから、だんだん呼吸が浅くなっていくこと、胸とおなかが上下するようになること、無呼吸(呼吸が止まっている状態)の時間が長くなっていくこと、肌の色が灰色っぽくなっていくことなどを説明し、てんかん発作に関しては「ロラゼパムをあげていれば大丈夫だとは思うけど、そればかりはわからない」と言い、その時はてんかん発作時のプロトコールに従って薬をあげるしかない、と言いました。それから、「呼吸が止まって、3分以上次の呼吸がなかったら、それが最後だって思っていいから。とにかく、ホスピスに電話して。呼吸が止まっても、止まってなくても、わからない事や不安なことがあったらいつでも電話してくれればいいの。私のケータイでもいいし。ね?」と言うと、アリソンは「うん。わかった。そうする」と言い、それから両腕を差し出しました。私はアリソンにコリンを渡すと、アリソンはその小さな顔にキスをし、頬ずりしました。陽だまり(4)に続く。
 
[2019/01/28 06:01] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
陽だまり (2)
 翌日のブラックフライデーに、今度はMSWのキンバリーと一緒に再びコリンを訪問しました。訪問時間は電話でアリソンに確認していたのですが、ドアベルを鳴らしてだいぶたってからドアを開けてくれたのは、アリソンのお母さんでした。お母さんはまるで仔馬のようなグレートデンのジュピターを必死で引っ張りながら、「どうぞ入って」と私たち二人を迎えてくれました。アリソンはメイン州から来た彼女のお父さんと買い物に行っており、もうすぐ戻ってくると言う事でした。私たちは自己紹介をしてから、ソファーに座る場所を作り、しばらくお母さんと話をしていました。お母さんはアリソンのことを心配しつつも、夫の急逝から立ち直っておらず、暗にアリソンをサポートすることは精神的に無理であることを繰り返しほのめかしていました。キンバリーは、アリソンも我々も十分お母さんの状況を理解し、承知していることを伝え、ホスピスチームがアリソンをサポートするので、お母さんは自分の喪失と悲嘆に向き合うことが最優先である事を強調しました。さらに、彼女にとっては孫の喪失と、我が娘がその息子を失うという、二重の痛みであることもわかっていると、敢えて言葉にしました。するとお母さんは、ポロポロと涙をこぼしながら「本当に情けないけど、どうしようもないの。あの子が一番大変な時にそばにいて支えてあげられないなんて、なんて母親だろうって思うけど、私には何もできないの」と言いました。
 ちょうどその時、外の冷たい空気と一緒に、コリンの入ったベビーシートを提げたアリソンが、髭面の背の高い男性と一緒に帰ってきました。お母さんはさっと涙を拭き、鼻をかむと、二人に向かって「ハーイ」と言いました。横にいた私は、そっと彼女の肩をたたくと、彼女は小さな声で「ありがとう」と言いました。アリソンはコリンを覆っていた毛布を取りながら、「ごめんね、待たせちゃった?」と言ってから、「これ、私の父」と、その男性を紹介しました。“あんまりいい父親じゃなかった”とアリソンが表現していたお父さんは、見た目はバイカーのような雰囲気の、どっしりと落ち着いた人でした。私たちが自己紹介をすると、「いろいろと世話になります。自分は今夜メインに戻るけど、また来るし、何かできることがあれば遠慮なく電話してくれていいから」と言って、携帯番号をくれました。アリソンは前日とはまるで別人のようにリラックスしており、相変わらず早口ではありましたが、両親の前ではどこか娘に戻ったような、安心したような、柔らかな表情をしていました。コリンはたびたびてんかん発作を起こしていましたが、昨日から使い始めたロラゼパムが良く効き、それまでのように発作後泣き叫ぶことはなくなっていました。もともと発作にはロラゼパムを使っていたらしいのですが、液体ロラゼパムは添加剤の中にコリンの症状を悪化させる砂糖が含まれているため、やはり抗てんかん薬のダイアゼパムの座薬を使うようになったのでした。しかし、ダイアゼパムの効果は薄れてきており、だったらロラゼパムの錠剤を粉砕して水に混ぜてGチューブから投与すればよいのでは、と、試してみたのが功を奏したのでした。
 その日、キンバリーがコリンのお葬式のことを尋ねると、アリソンはすでに考え始めており、キンバリーに、できればポーランド系のカトリック教会の近くの葬儀社を使いたいと言いました。ニュージャージーに住んでいたアリソンはこの辺りの教会をよく知らず、キンバリーは葬儀も埋葬もペンシルベニアで行うというアリソンの意向を確認してから、「葬儀社によっては子供、特に赤ちゃんの場合特別な計らいをしてくれるところもあるから、それも含めてうちのチャプレンにポーランド系の教会に問い合わせてもらうわ」と言い、「それにもし良ければ、チャプレンに来てもらって、話をしてみたらどう?」と尋ねると、アリソンは躊躇することなく「そうね、それがいいわ」と言いました。コリンは私たちが話している間すやすや眠り続け、Gチューブから入れるミルクも問題なく消化し、全身の筋緊張が緩く自発的に体を動かさないことを除けば、まるで健康な赤ちゃんのように見えました。そこで、母親と祖父母と一緒にこの子のお葬式の話をしているという現実が、かえって非現実に思えるほどでした。
 翌週、約束の時間に訪問すると、60代くらいの女性がソファーに座り、アリソンと話していました。アリソンは、「ああ、前に話したほら、エージェンシーナースの人。今日は面接っていうか、顔合わせね」と言い、その女性に「コリンのホスピスナースのNobuko」と紹介してくれました。私たちがお互いに挨拶をしていると、隣の部屋からノアが出てきました。そして、何かひとこと言ったかと思うと、たちまちアリソンと言い合いになり、初日をほうふつとさせる怒鳴り合いが始まってしまいました。二人がやり合っている間、マーサというその女性はこっそりと、「コリンはターミナル(終末期)なの?」と訊いてきました。私は驚いて、「え?エージェンシーから聞いてないんですか?」と訊き返すと、マーサは「いいえ。今初めて」と言いました。すると、ノアとの怒鳴り合いの傍ら私たちの会話を小耳にはさんだアリソンが、「そうなの、いつもそれが問題だったの。みんなコリンがターミナルだって聞いてないから、びっくりして怖がっちゃうのよ」と言ったのです。私はあきれながら、「それはひどいわ」と言うと、マーサは「まあ、そんなものよ」と言いました。私はあらためてマーサに「今までホスピスの子供をケアしたことありますか?」と訊くと「ケア度の高い子はたくさん看て来たけど、ホスピスの子はいなかったわ」との答えでした。私は「大丈夫ですか?」と訊くと、マーサは落ち着いた口調で「そうね、大丈夫だけど、何か特別にしなきゃいけない事があるのかしら?」と言いました。私は少しほっとしながら、「いえ、特別なことは何もないです。何かあればホスピスに電話してください。何か指示が変わるときは、ホスピスのオフィスかCHOPから直接そちらのオフィスにファックスかメールで指示を送りますから。基本的に救急車は呼ばないで、ホスピスに電話してください。とにかく、ゴールはコリンが苦しまないようにすることですから」と言うと、マーサは「だったら問題ないわ」と言いました。私は、ゆっくりとした口調で話しちょっとしたことでは動じないマーサが、まさにこのケースにぴったりだと思い、彼女に決まってくれることを内心願っていました。アリソンとノアに対しても、ゆったりと構え、二人に向かってはっきりと、しかし決して高圧的な感じではなく「私はテンションが低い人間だから、私のペースでコリンのお世話をするけれど、30年以上ナースとしての経験があるから安心して任せてほしい」と言い、アリソンも「そう言ってくれる人が欲しかったのよ」と言って、詳しいスケジュールなどを説明し始めました。その間に私はコリンのアセスメントをし、薬の確認をしました。時々短いけいれんを起こしましたが、薬が必要なほどは続かず、あとはすやすやと眠っていました。アリソンは「ホスピスに来てもらってから、結構調子がいいの。前みたいに泣き叫ぶこともなくなって」と言い、それから「そうそう、今週末に引っ越すことにしたの。ここは狭いし、CHOPに行くのも遠いから。今住所は手元にないけど、行くところは決まってるから、わかったら教えるわ」と言いました。私は、今、こういう状況の中で引っ越しを考えていたアリソンに驚きましたが、私たちの訪問範囲内の地域である事だけを確認し、「引っ越しはだれが手伝ってくれるの?」と訊くと、アリソンは「あ、それは大丈夫。なんとかなるから」と言い、キッチンからノアが「俺もいるし」と言いました。私とマーサは顔を見合わせ、眼だけで”おばさんには理解できないけど、ま、大丈夫でしょう”と頷き合いました。陽だまり(3)に続く。
[2019/01/14 15:18] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

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