アリソンは無事引っ越しを終え、新しいアパートは雑然とはしていましたが、すでに住み慣れた感じさえあり、マーサもアリソンの行動の速さに驚いていました。コリンはてんかん発作は頻回にあるものの、ロラゼパムが良く効き、目覚めているときも機嫌よく、愛情のこもったケアをしてくれるマーサのおかげで、アリソンも安心して仕事ができ、以前のピリピリとした感じがなくなっていました。マーサはいつもコリンのことを「本当に美しい赤ちゃん」と呼び、アリソンに対しても「素晴らしい母親」だと、言葉にしてほめていました。体も話し方もゆったりとしているマーサは、コーヒーに足したクリームのように、アリソンの周りの空間をほんの少しまろやかにしてくれました。アリソンは仕事が一息つくと、コリンと散歩をするようになりました。「散歩しながらね、いろいろ話すの。そうするとね、ちゃんと反応するのよ。ずっとそんなことなかったんだけど、ケトジェニックダイエットにして一時すごく症状が改善された時みたいに、時々笑ったりもするの」と話すアリソンは、その様子を思い出すだけでも幸せ、という顔をしていました。しかし、それもやはり一時的であり、コリンの発作の回数は確実に増え、ロラゼパムやモルヒネを使う頻度も増えていきました。 いっときは父親としてアリソンに協力していたかのようだったノアも、姿を見せなくなり、さすがのマーサもノアに関しては肯定的なことは言わなくなりました。アリソンは親しい友人がいる様子もなく、両親とは時々電話で話しているようでしたが、基本的にはたった一人でこの状況と闘っていました。マーサが来るのは週四日、朝6時から夕方6時までの12時間で、それ以外は彼女一人でした。アリソンは私たちホスピスのメンバーに対しいつも正直で、良いことも悪いこともハスキーな早口でまくし立てるように話すのですが、私たちの助言にはいつも耳を貸し、言われたことはきっちりとやる几帳面なところもありました。チャプレンのジュディがキンバリーと一緒に訪問した時も、最初に10のことを一度に言おうとしてジュディを混乱させたそうですが、穏やかなジュディと話すうちに落ち着き、自分の子供時代や、ティーンの頃のことを語り、褒められないこともしたけれど、今の自分の状況がその罰だとは思わない、ただ、自分の息子にしてあげられるだけのことはしたいし、とにかく苦しませたくないのだ、と繰り返したのです。 コリンの発作は短いものと長いものを合わせると、一時間に10回を超えるようになり、定時の抗てんかん薬に加え、ロラゼパムとモルヒネを屯用だけでなく定時でも使うようになりました。また、体温が上下するようになり、発作が起こるたびに中断していた経管栄養も、止めている時間の方が長くなっていきました。コリンは口で呼吸するようになり、喉の奥でグルグルという軽い喘鳴が聞こえるようになりました。私はアリソンにそれがどういう意味であるかを説明しました。そして、彼女はとうとう経管栄養を完全に中止することを決意したのです。私はCHOPに電話をし、状況を伝えると、担当医も同意し、「私たちにできることがあったら何でも電話して」と、いつものように全面的にサポートしてくれました。マーサにも経管栄養の中止を伝え、彼女の上司にも連絡しました。マーサの上司には、ホスピスのケースを受け持ったことがないというマーサにも、ホスピスチームとしてできるだけサポートする旨を伝えると、感謝の言葉とともに「私たちとしてもできる限りの考慮をするつもり」と言ってくれました。 翌日訪問すると、アリソンは片腕にコリンを抱いて胡坐をかき、床の上に置いたラップトップに向かって仕事をしていました。その横には大きなコップに入ったエナジードリンクがあり、いつものスウェットパンツとTシャツがオーバーサイズかと思うほど、もともと細いアリソンはさらに骨ばって見えました。コリンは経管栄養を中止してから喘鳴も聞かれなくなり、アリソンの腕の中で静かに眠っていました。「昨夜はどうだった?」と訊くと、アリソンは顔をあげず、「うん、まあまあ」と言ってから、「ごめん、ちょっとこれだけやっちゃうから」と言いました。私は「全然かまわないから、切りがいいとこまでどうぞ」と言い、キッチンの椅子に荷物を置くと、マーサに「どう?」と訊きました。マーサはいつもと変わらぬゆったりとした口調で、「ロラゼパムは何回か屯用も使ったみたいだけど、おしっこもしてるし、今のところは落ち着いてるわ」と言い、それから声を潜めて「彼女の方が心配」とささやきました。私は頷き、「ノアは?」と訊きました。マーサは首を横に振り、「しばらく見てないわ」と言いました。私は薬の残りをチェックし、足りなくなりそうなものをオーダーしました。それからリビングに戻ると、アリソンがエナジードリンクを飲みながら、「ごめんごめん。もう大丈夫」と言って、顔をあげました。私は「ちょっとコリン看ていい?」と訊くと、「もちろんもちろん」と言って、彼をソファーの上に寝かせました。コリンは顔色も悪くはなく、呼吸も落ち着いていました。腹部も柔らかく、心拍数は少し早くなっていましたが、穏やかな表情をしていました。私が「抱っこしてもいい?」と訊くと、アリソンは笑顔になって「どうぞどうぞ」と言いました。私がコリンを抱くと、アリソンは「彼はね、本当に強い子なの。それにとても賢いの。ちゃんとわかってるのよ。しかも、音楽の趣味が私とぴったりでね。生まれてすぐの時からロックをかけると泣き止んだのよ。しかも結構な音量でね。きっと、おなかの中にいた時のことを懐かしがってたんだと思うわ。私と一緒に踊るととてもご機嫌だったもの」と言って笑いました。それから一瞬黙ると、こう言いました。「あとどれくらい?」 私はコリンを抱いたまま、「そうね、多分2、3日だと思う。だんだんおしっこが減って、うんちもしなくなるけど、おなかが張っていなければ心配しなくていいから。口が乾いてくるから、水に浸した口腔ケア用のスポンジで湿らせてあげて。呼吸がハアハアするようだったらモルヒネをあげて、喉の奥がグルグルするようだったらアトロピンを一滴頬っぺたの内側に垂らしてあげて。あとはね、今まで通り、抱っこして、話しかけてあげて」と言いました。アリソンは落ち着いたまま、「わかった」と言いました。「お父さんやお母さんとは話してる?」と訊くと、「まあね。葬儀やさんとも父が話をつけてくれたし。母はまあ、あれだけど」と言い、「ノアは?」と訊くと、淡々としたまま「ああ、コリンの状況は伝えてあるけど、寄り付かないわ。別にどうでもいいの、彼は」と言いました。私は、「そう。連絡とっているなら、それでいいの。彼も父親だからね。で、一番大事なこと、あなた自身はどう?いつ寝てるの?」と訊くと、アリソンはふっと笑って「私は大丈夫よ。マーサがいる間に寝れるし」と言うと、脇に置いてあるエナジードリンクを飲みました。それから、「バカなこと訊くようだけど、死ぬときはどんな風になるの?このまま眠ってるの?それともやっぱりてんかん発作が起こるの?どうしたら死んだってわかるの?」と言いました。私は、「ちっともバカな質問じゃないわ。知らないのは当たり前だもの」と言ってから、だんだん呼吸が浅くなっていくこと、胸とおなかが上下するようになること、無呼吸(呼吸が止まっている状態)の時間が長くなっていくこと、肌の色が灰色っぽくなっていくことなどを説明し、てんかん発作に関しては「ロラゼパムをあげていれば大丈夫だとは思うけど、そればかりはわからない」と言い、その時はてんかん発作時のプロトコールに従って薬をあげるしかない、と言いました。それから、「呼吸が止まって、3分以上次の呼吸がなかったら、それが最後だって思っていいから。とにかく、ホスピスに電話して。呼吸が止まっても、止まってなくても、わからない事や不安なことがあったらいつでも電話してくれればいいの。私のケータイでもいいし。ね?」と言うと、アリソンは「うん。わかった。そうする」と言い、それから両腕を差し出しました。私はアリソンにコリンを渡すと、アリソンはその小さな顔にキスをし、頬ずりしました。陽だまり(4)に続く。
 |