私達のホスピスは、教育病院の一部なので、割と頻回に学生や研修医が実習に来ます。新しい顔、特に若い人と話すのが大好きなエルマーさんは、私がそうした実習生や研修医を連れてくるととても喜び、とっておきの話をするのでした。そして、フィラデルフィア小児病院の研修医が2週続けて同行した時も、エルマーさんらしい、こんなエピソードを話してくれました。それは、エルマーさんがいつも暖炉の近くに置いている、美しい木の箱にまつわる話でした。 「この素晴らしい木の箱はなあ、オーク材でできてるんだよ。これはね、長いことアンティークショップをやっていたアンティーク仲間から買ったんだ。もうだいぶ前のことだけど、彼は病気になってね、気の毒に、癌だよ。それで、もう店を続けられなくなったんだ。彼は閉店セールをする前に、アンティーク仲間を呼んで、先に僕らに欲しいものを売ってくれたんだ。僕はできるだけ買ってあげたいと思ってさ、いろいろと選んでたんだけどね、最後にこの箱を見て、これはどうしても自分が欲しいと思ったんだよ。それで、彼に“この美しい箱はいくらだい?”って聞いたのさ。彼はそれに$50を払ったから、$65-70くらいでいいよって言ったんだ。中にはガラクタが入っているけど、それも含めてねってさ。僕は財布の中を見てから、“これを僕に$250で売ってくれよ”って言ったんだ。それがその時持っていた現金で、帰りの高速道路の料金を差し引いた全財産だったんだよ。彼はとても喜んでね、ありがたがってくれたよ。僕だって嬉しかったさ。だって、それだけの価値があると思ったからね。ところが、うちに帰ってふたを開けてびっくりしたよ。そこにはアンティークの小物や道具がいっぱい入っていてね、ガラクタどころか、それはもう、価値のあるものばかりだったんだ。でも彼はその後すぐに亡くなってね。僕は彼に申し訳ない事をしたなって思ったけど、遅かったんだ。それから何年かした後に、その箱の中身をオークションに出したんだ。僕が欲しかったのは箱だけだったからね。そうしたら、なんとさ、$2900で売れたんだよ。ちょうどその頃、僕たちのキャンピングカーもトラックも古くなってたからね。それらを下取りしてもらって、この$2900を新しいやつの残りの支払いに充てたのさ。だけど、やっぱり罪悪感があってね、僕は彼の奥さんにいくらかのお金を返したいと思ったんだ。それで何とかして彼女を探し出したんだけど、残念なことに彼女はもう亡くなってたんだよ。あれは僕の人生の数少ない後悔のなかでも、かなり心苦しいものだったね。それがこの、美しい箱の話だよ。」 クリスマスはディックさんたちのおうちに呼ばれているというエルマーさんは、みんなに小さなプレゼントを用意していました。そして、クリスマス前の週の訪問の最後に、私にもプレゼントをくれたのです。それは黄色くて丸い小さなマグネットで、それぞれ少しずつ違うスマイルの顔が描かれているものでした。私が「わあ、どうもありがとうございます」と言うと、彼はニコニコして、「$1ストア(100均のようなお店)で見つけたんだけどね、今まで試した冷蔵庫のマグネットの中では、これが一番強力なんだよ」と言いました。私は、「そうなんですか。もうすぐ102歳のエルマーさんが言うなら、かなり確かでしょうね。どうもありがとうございます。すぐ試してみます」と言うと、エルマーさんは自信たっぷりの顔でうんうんと頷きました。(本当は患者さんや家族からギフトを頂いてはいけないのですが、こうした小さいものの場合、上司に報告するだけで見逃されています。)そして、そのマグネットは本当に強力で、翌週そのことを報告すると、エルマーさんはいつものようにニコ目になって、「僕の言うことは、全部本当だって言っただろう?」と言うのでした。 クリスマスが終わるといよいよエルマーさんの誕生日がやってきました。大みそかの前日に102歳になったエルマーさんは、「僕はね、今までこんな年寄りには会ったことがないよ。僕の周りで102歳まで生きてた人なんていなかったからね。僕が知っている人間で、自分が一番年寄りだなんて、おかしな気分だよ」と言って、ホッホと笑いました。それから、「いつになったら僕の番が来るんだろうね」と言うと、おもむろに「マージと僕はね、お互いに出会うために生まれてきたんだよ」と言ったのです。「僕たちはね、スケートリンクで会ったんだ。あの頃はどの町にもスケートリンクがあったし、ちょっと大きな町にはダンスホールがあってね。若者たちの社交場と言えば、そんなところだったんだよ。僕とマージはすぐに意気投合してね。彼女はちょっと離れた村のたった一つの学校で、英語を教えてたんだ。そのころ僕は工場で働いていたけど、本当は自給自足の生活が夢だったんだ。そして、彼女とならね、それができるってすぐにわかったよ。彼女と僕はね、大抵のことでは意見が一致したんだ。そして、僕がやろうということに反対するってことは、殆どなかったな。彼女はね、いつだって何とかなるって思ってくれたし、そして、一緒に何とかしてきたんだ。僕はね、金持ちにはならなかったけど、一つ自慢できることはね、人生で一度も借金をしなかったことだよ。やりたいと思ったことはすべてやったしね。ああ、本当に、素晴らしい人生だったよ。」 私は、「うらやましいです。私は仕事で沢山の人に会いますが、エルマーさんほどきっぱりと、素晴らしい人生だったと言い切る人は少ないですよ。エルマーさんのバケツリストは、空っぽみたいですね」と言ってから、「でも、あの写真を見つけるのを忘れないでくださいね」と念を押しました。エルマーさんは笑いながら「一生懸命探しているんだけどなあ。絶対にどこかにあるはずなんだ」と言いました。それから、ちょっと遠い目をしながらこう言いました。「マージはね、ぼくの意見に反対することは殆どなかったんだけどね、一度だけこんなことがあったんだ。その日は二人でランカスターに行ったんだけど、その帰りに飛行場の近くを通ったんだ。この辺りは小さな飛行場が結構あってね。小さいセスナで遊覧飛行もできたんだよ。それで、マージが“ちょっと乗ってみましょうよ”って言いだしたんだ。僕はね、どんな高い山も深い湖も平気だけど、空の上っていうのはあまり気が乗らなくてね。でも、そうはっきり言うのも男の沽券にかかわるからね、ついこう言ったんだ。“今日は手持ちの金が少ないんだ”ってね。そしたら彼女は、”あら、お金なら私が持ってるから大丈夫よ。ねえ、乗りましょうよ”って言うんだよ。僕は困ってね、今度は”実はさっきから腹具合がよくなくてね。今日はやめておこう”って言ったんだよ。マージはそれなら仕方ないと諦めたけど、後にも先にも、僕が彼女に不誠実だったのはあの時だけだよ。」 年が明け、エルマーさんは揺り椅子に座ったまま眠っていることが多くなってきました。食欲も減ってきているようで、少しずつやせていきました。私は訪問を週に2回に増やしました。エルマーさんは相変わらずホームヘルスエイドを入れることを拒み、「僕は102歳だからね。毎日シャワーをしなくても、そんなに汚れないんだ」と言って、それでも2-3日ごとには自分でシャワーをしていました。食事の量が減ったせいか、それまでは毎朝判で押したように8時半にトイレに行っていたのが、時々滞るようになり、出なかった日にはプルーンジュースを飲むことで調整するようになりました。夜、ベッドに行っても長く眠ることができず、キッチンに行って水を飲んだり、リクライナーに座ってラジオを聞いたりして、そこでしばらくうとうとしてから結局4時には起きてしまい、その代わり午後は揺り椅子やリクライナーで昼寝をするようになったのです。寝室からリビングルーム、リビングルームからトイレへと歩くだけで、少し息切れするようになりましたが、ちょっと休めばすぐに回復する程度でした。寝るときに少し上体を上げると呼吸がしやすくなり、酸素を取り入れやすくなって良く眠れるかもしれない、と説明しても、エルマーさんはまだ、電動ベッドや酸素などの医療機器を入れることを嫌がりました。私は、ディックさんとジェーンさんに、「そろそろジルさん達に、こっちに来てもらう準備を始めてもらった方がいいかもしれない」と話し、エルマーさんが一人で安全に暮らせるのも時間の問題であることを伝えました。ディックさん達も薄々それは感じており、すぐにジルさん達に連絡を取ってくれることになりました。 素晴らしい人生(7)に続く。
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