ホスピスナースは今日も行く 2018年08月
FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
素晴らしい人生 (7)
 エルマーさんは全体的にスローダウンしてはいましたが、それでも自分の基本的な生活を続けていました。ある日私がいつものように声をかけながら家に入っていくと、エルマーさんは彼の“書斎”から出てきたところでした。エルマーさんはゆっくりと歩行器を押しながら部屋を横切り、暖炉の前の揺り椅子に腰かけました。それから手に持っていた一枚の紙を私に見せました。エルマーさんの呼吸が整うのを待ってから「何ですか、これは?」と訊くと、「僕の死亡記事だよ」と言ったのです。私は「読んでもいいんですか?」と訊くと、「どうぞ」というように手のひらを見せました。そこにはエルマーさんの102年が簡潔に凝縮されており、マージさんと家族への愛情と、悔いのない人生を送れたことへの感謝がにじみ出ていました。私は、「エルマーさんの素敵なエピソードをもっと語れないのが残念ですけど、本当に素晴らしい人生だったことがとてもよくわかります」というと、エルマーさんはホッホと笑って、「僕の話は全部ノートに書いてあるよ。マージと一緒にキャンパーでアメリカ中の国立公園を巡った時も、マージは丁寧に記録してたしね。彼女は英語の先生だったからね、文章を書くのは得意だったんだよ」と言いました。私は、「それは、エルマーさんのご家族にとって、とても貴重で大切な家宝ですね。いつか誰かに出版してもらいたいですよ。そして、映画にしてほしいですね。きっと面白いと思いますよ」というと、エルマーさんはニコニコしながら目をつむり、うんうんと頷きながら「僕の生きてきた間に、世の中はものすごく変わったよ。最近は残念なことの方が多いけどね」と言いました。私は、エルマーさんが、自分の原点ともいえるボーイスカウトの最近の変貌やスキャンダルに心を痛めていることを知っていました。“ボーイズオンリー”と言うことの持つ意味は、少年たちにとって大人が考える以上に大きいはずなのに、世の風潮に沿うため、大切な基本をないがしろにしてしまったことを、彼は嘆いていたのです。「僕はね、いつだってボーイスカウトで教わった知識や技術を使いたくてたまらなかったんだ。僕が13,4歳のころだったかな。すぐ上の兄を誘ってスターヴェーショントリップ(食べ物を持たず、現地調達する旅)をしたんだ。といっても、たった4マイル(6㎞)先の川の近くの森だったけどね。そこでテントを張って、とりあえず釣りをしたんだよ。まず最初に餌にするミミズをつかまえてね。ところがいくら待っても一匹もつれないんだ。場所を変えたり、祈ってみたりしたけどだめでね。兄は途中で、「俺は腹が減った。うちに帰る」と言って帰ってしまったんだ。僕はね、200年前の人たちができたんだから、自分にできないはずがないって思ってね、一人で残ったよ。結局小さなザリガニを2-3匹と、掌一杯の野生のブラックベリーがその日の夕飯だったよ。その晩は腹が減ってなかなか眠れなかったんだけど、夜中に牛の声が聞こえて飛び起きたんだ。でもすぐにそれが牛じゃないことに気づいて、テントから飛び出してね、そいつを捕まえたのさ。なんだと思う?でっかいカエルだよ。それも2匹さ。夜が明けて、僕がカエルの脚を炙ってるところに、家に帰った兄が様子を見に来たんだ。僕が元気に朝飯を作ってるところを見て“信じられん!”ってびっくりしてたよ。」
 私はまるでトム・ソーヤのようなエルマー少年を想像すると、頭の中でそれこそ映画のようにキラキラするシーンが回り始めました。しかし、同時に、この物語にも終わりが近づいていることに気づかぬふりをすることもできず、ワクワクしながら読んできたシリーズが、いつの間にか残りわずかになっていることに気づいた時のような、いつまでも終わってほしくない、という気持ちが胸の底の方からせりあがってきました。アセスメントを終え、薬をチェックし、パッドなどの必要物品を確認してから、「それじゃ、また来週」と言うと、エルマーさんは、「どうかな?」と言いました。私は「また来週会えますね。まだ写真見てませんよ」と言うと、エルマーさんは「さて、どうかな?でも、もしも来週僕がいなかったら、あんたに会えなくて残念だよ。あんたはいつも僕の一日をちっとだけ明るくしてくれるからね」と言って笑いました。私は「えー、ちっとだけ、なんですか?」と笑いながら、もう一度「それじゃ、また来週」と言って、夕暮れのドアを開けました。
 エルマーさんは肩や腕が細くなる一方、両下肢の浮腫みはますます重たくなっていきました。立ち上がってほんの数メートル歩くだけで息切れがし、食事の支度や洗濯などはジェーンさんが行うようになりました。肺雑音も少し聞かれるようになり、私はメディカルディレクターのカールと相談し、今回は利尿剤のブースターではなく、服用している利尿剤の用量を二日間だけ、一日おきに倍量にしてみることにしました。それで少しでも呼吸が楽になれば良いし、効果がなければ液体モルヒネを頓用で使うことにしたのです。そして、万が一のため、倍量にするのはジェーンさんとディックさんがいる週末にすることにしました。また、念のため尿漏れパッドとプルアップ(紙パンツ)の両方を使うことにし、十分水分を取るように指導しました。ジェーンさん達も状況をよく理解し、準備万端で週末に臨みました。しかし、エルマーさんの心臓は思ったよりも弱っており、一回目の倍量でかなり効果はあったものの、トイレに行こうとして立ち上がれず、転んでしまったのです。ディックさん達はホスピスに電話し、週末のナースが訪問したところ、エルマーさんの体力低下は著しく、車椅子をオーダーし、二回目の利尿剤の倍量は中止にしました。幸い転倒によるけがはありませんでしたが、エルマーさんはディックさん達と週末のナースの強い薦めに従い、とうとうホームヘルスエイドに来てもらうことを受け入れました。週末の報告を読んだ私は、月曜日の一番にエルマーさんを訪問しました。ディックさんとジェーンさんは休みを取り、その日の夜にはジルさん達が来ることになっていました。エルマーさんはリクライナーに座り、脚を挙げていました。そして私をちらりと見ると、“いやはや”というような顔をしました。私は、エルマーさんに「大変でしたね。でも、今夜ジルさん達が来てくれるから、安心ですね。それに、明日からはエイドも来てシャワーを手伝ってくれますから。とにかく、ケガがなくてよかったですよ」と言うと、エルマーさんは「僕はまだ(エイドは)必要ないと思うんだけどなあ」と言い、ディックさんとジェーンさんを苦笑させました。
 水曜日の午後、私が訪問すると、エルマーさんはちょうどシャワーから出て、エイドさんに車椅子を押してもらってリビングルームに戻ったところでした。ジルさんとロンさんが「ひさしぶり!」と明るい笑顔で迎えてくれ、二人ともホームヘルスエイドが入ったことを、とても喜んでいました。車いすに座ったエルマーさんに、「シャワーはどうでしたか?」と訊くと、「彼女(エイド)は素晴らしいよ。とてもさっぱりして気持ちがいい」と言ってから、「僕にとてもいいケアをしてくれて、どうもありがとう」と言いました。私は、「それは、彼女(エイドさん)に言ってくださいよ」と言うと、エルマーさんは「彼女にはもう何度も言ったよ。でも、あんたにはまだ言ってなかったからね」と言って、にっこりしました。素晴らしい人生(8)に続く。
[2018/08/30 18:29] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
素晴らしい人生 (6)
 私達のホスピスは、教育病院の一部なので、割と頻回に学生や研修医が実習に来ます。新しい顔、特に若い人と話すのが大好きなエルマーさんは、私がそうした実習生や研修医を連れてくるととても喜び、とっておきの話をするのでした。そして、フィラデルフィア小児病院の研修医が2週続けて同行した時も、エルマーさんらしい、こんなエピソードを話してくれました。それは、エルマーさんがいつも暖炉の近くに置いている、美しい木の箱にまつわる話でした。  
 「この素晴らしい木の箱はなあ、オーク材でできてるんだよ。これはね、長いことアンティークショップをやっていたアンティーク仲間から買ったんだ。もうだいぶ前のことだけど、彼は病気になってね、気の毒に、癌だよ。それで、もう店を続けられなくなったんだ。彼は閉店セールをする前に、アンティーク仲間を呼んで、先に僕らに欲しいものを売ってくれたんだ。僕はできるだけ買ってあげたいと思ってさ、いろいろと選んでたんだけどね、最後にこの箱を見て、これはどうしても自分が欲しいと思ったんだよ。それで、彼に“この美しい箱はいくらだい?”って聞いたのさ。彼はそれに$50を払ったから、$65-70くらいでいいよって言ったんだ。中にはガラクタが入っているけど、それも含めてねってさ。僕は財布の中を見てから、“これを僕に$250で売ってくれよ”って言ったんだ。それがその時持っていた現金で、帰りの高速道路の料金を差し引いた全財産だったんだよ。彼はとても喜んでね、ありがたがってくれたよ。僕だって嬉しかったさ。だって、それだけの価値があると思ったからね。ところが、うちに帰ってふたを開けてびっくりしたよ。そこにはアンティークの小物や道具がいっぱい入っていてね、ガラクタどころか、それはもう、価値のあるものばかりだったんだ。でも彼はその後すぐに亡くなってね。僕は彼に申し訳ない事をしたなって思ったけど、遅かったんだ。それから何年かした後に、その箱の中身をオークションに出したんだ。僕が欲しかったのは箱だけだったからね。そうしたら、なんとさ、$2900で売れたんだよ。ちょうどその頃、僕たちのキャンピングカーもトラックも古くなってたからね。それらを下取りしてもらって、この$2900を新しいやつの残りの支払いに充てたのさ。だけど、やっぱり罪悪感があってね、僕は彼の奥さんにいくらかのお金を返したいと思ったんだ。それで何とかして彼女を探し出したんだけど、残念なことに彼女はもう亡くなってたんだよ。あれは僕の人生の数少ない後悔のなかでも、かなり心苦しいものだったね。それがこの、美しい箱の話だよ。」
 クリスマスはディックさんたちのおうちに呼ばれているというエルマーさんは、みんなに小さなプレゼントを用意していました。そして、クリスマス前の週の訪問の最後に、私にもプレゼントをくれたのです。それは黄色くて丸い小さなマグネットで、それぞれ少しずつ違うスマイルの顔が描かれているものでした。私が「わあ、どうもありがとうございます」と言うと、彼はニコニコして、「$1ストア(100均のようなお店)で見つけたんだけどね、今まで試した冷蔵庫のマグネットの中では、これが一番強力なんだよ」と言いました。私は、「そうなんですか。もうすぐ102歳のエルマーさんが言うなら、かなり確かでしょうね。どうもありがとうございます。すぐ試してみます」と言うと、エルマーさんは自信たっぷりの顔でうんうんと頷きました。(本当は患者さんや家族からギフトを頂いてはいけないのですが、こうした小さいものの場合、上司に報告するだけで見逃されています。)そして、そのマグネットは本当に強力で、翌週そのことを報告すると、エルマーさんはいつものようにニコ目になって、「僕の言うことは、全部本当だって言っただろう?」と言うのでした。
 クリスマスが終わるといよいよエルマーさんの誕生日がやってきました。大みそかの前日に102歳になったエルマーさんは、「僕はね、今までこんな年寄りには会ったことがないよ。僕の周りで102歳まで生きてた人なんていなかったからね。僕が知っている人間で、自分が一番年寄りだなんて、おかしな気分だよ」と言って、ホッホと笑いました。それから、「いつになったら僕の番が来るんだろうね」と言うと、おもむろに「マージと僕はね、お互いに出会うために生まれてきたんだよ」と言ったのです。「僕たちはね、スケートリンクで会ったんだ。あの頃はどの町にもスケートリンクがあったし、ちょっと大きな町にはダンスホールがあってね。若者たちの社交場と言えば、そんなところだったんだよ。僕とマージはすぐに意気投合してね。彼女はちょっと離れた村のたった一つの学校で、英語を教えてたんだ。そのころ僕は工場で働いていたけど、本当は自給自足の生活が夢だったんだ。そして、彼女とならね、それができるってすぐにわかったよ。彼女と僕はね、大抵のことでは意見が一致したんだ。そして、僕がやろうということに反対するってことは、殆どなかったな。彼女はね、いつだって何とかなるって思ってくれたし、そして、一緒に何とかしてきたんだ。僕はね、金持ちにはならなかったけど、一つ自慢できることはね、人生で一度も借金をしなかったことだよ。やりたいと思ったことはすべてやったしね。ああ、本当に、素晴らしい人生だったよ。」
 私は、「うらやましいです。私は仕事で沢山の人に会いますが、エルマーさんほどきっぱりと、素晴らしい人生だったと言い切る人は少ないですよ。エルマーさんのバケツリストは、空っぽみたいですね」と言ってから、「でも、あの写真を見つけるのを忘れないでくださいね」と念を押しました。エルマーさんは笑いながら「一生懸命探しているんだけどなあ。絶対にどこかにあるはずなんだ」と言いました。それから、ちょっと遠い目をしながらこう言いました。「マージはね、ぼくの意見に反対することは殆どなかったんだけどね、一度だけこんなことがあったんだ。その日は二人でランカスターに行ったんだけど、その帰りに飛行場の近くを通ったんだ。この辺りは小さな飛行場が結構あってね。小さいセスナで遊覧飛行もできたんだよ。それで、マージが“ちょっと乗ってみましょうよ”って言いだしたんだ。僕はね、どんな高い山も深い湖も平気だけど、空の上っていうのはあまり気が乗らなくてね。でも、そうはっきり言うのも男の沽券にかかわるからね、ついこう言ったんだ。“今日は手持ちの金が少ないんだ”ってね。そしたら彼女は、”あら、お金なら私が持ってるから大丈夫よ。ねえ、乗りましょうよ”って言うんだよ。僕は困ってね、今度は”実はさっきから腹具合がよくなくてね。今日はやめておこう”って言ったんだよ。マージはそれなら仕方ないと諦めたけど、後にも先にも、僕が彼女に不誠実だったのはあの時だけだよ。」
 年が明け、エルマーさんは揺り椅子に座ったまま眠っていることが多くなってきました。食欲も減ってきているようで、少しずつやせていきました。私は訪問を週に2回に増やしました。エルマーさんは相変わらずホームヘルスエイドを入れることを拒み、「僕は102歳だからね。毎日シャワーをしなくても、そんなに汚れないんだ」と言って、それでも2-3日ごとには自分でシャワーをしていました。食事の量が減ったせいか、それまでは毎朝判で押したように8時半にトイレに行っていたのが、時々滞るようになり、出なかった日にはプルーンジュースを飲むことで調整するようになりました。夜、ベッドに行っても長く眠ることができず、キッチンに行って水を飲んだり、リクライナーに座ってラジオを聞いたりして、そこでしばらくうとうとしてから結局4時には起きてしまい、その代わり午後は揺り椅子やリクライナーで昼寝をするようになったのです。寝室からリビングルーム、リビングルームからトイレへと歩くだけで、少し息切れするようになりましたが、ちょっと休めばすぐに回復する程度でした。寝るときに少し上体を上げると呼吸がしやすくなり、酸素を取り入れやすくなって良く眠れるかもしれない、と説明しても、エルマーさんはまだ、電動ベッドや酸素などの医療機器を入れることを嫌がりました。私は、ディックさんとジェーンさんに、「そろそろジルさん達に、こっちに来てもらう準備を始めてもらった方がいいかもしれない」と話し、エルマーさんが一人で安全に暮らせるのも時間の問題であることを伝えました。ディックさん達も薄々それは感じており、すぐにジルさん達に連絡を取ってくれることになりました。 素晴らしい人生(7)に続く。

 
[2018/08/16 21:19] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(2)
| ホーム |
プロフィール

ラプレツィオーサ伸子

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

このブログが本になりました!

2冊目の本がGakkenから出版されました。 「それでも私が、ホスピスナースを続ける理由」https://gakken-mall.jp/ec/plus/pro/disp/1/1020594700 「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」と言うタイトルで青春出版社から発売されました。 http://www.seishun.co.jp/book/20814/

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR